よければ見てってください。
楽屋の重い扉の向こうから、地鳴りのような歓声が微かに響いてくる。
後藤直樹は世界中に熱狂的な信者を持つ、4人組ロックバンドのギタリスト。
その名は今や、世界のロック史において「生ける伝説」と同義だった。
20歳の頃に直樹が結成したバンドは、今年で結成20周年の節目を迎える。
日本では、あらゆるセールス記録を塗り替え歴代で最も売れたアーティストとして頂点に君臨。
その勢いは留まることを知らず、国境を越え、言葉の壁を破壊し、海外の音楽シーンをも破竹の勢いで席巻していった。
この日、9万人収容のイギリス最大級のスタジアムにてライブを控えていた。
少しでも多くのファンに音を届けるため、スタンド席以外は全てオールスタンディングへと仕様変更されていた。
規格外のキャパシティにもかかわらず、プラチナ化したライブチケットは発売開始からわずか数分でソールドアウトを記録。
スタジアムの外では、音漏れを期待して押し寄せたファンが黒い波となって群がり、警備員たちが血相を変えて無線に怒号を飛ばしていた。
公演開始1時間前。
薄暗いステージ袖では、無数のツアースタッフが張り詰めた空気の中、最終の機材チェックに追われていた。
楽屋の中では、百戦錬磨のメンバーたちがそれぞれのルーティンを淡々とこなしている。
ボーカルは特殊なハミングで喉を温め、ベースは重低音に耐える体を維持すべくストイックにストレッチを行い、ドラムは慣れ親しんだスティックを指先で回しながら、今夜のセットリストのテンポを脳内で刻んでいた。
そんな喧騒から一歩引いた特等席で、ギタリストである直樹は革張りのソファに深く身体を沈め、スマホを手に取った。
液晶画面に映し出されているのは、世界で一番愛くるしい娘の顔。
後藤ひとり。
世界を揺るがすギタリスト・後藤直樹の実の娘である。
画面の中の彼女は、いつものように少しうつむき加減で、カメラのレンズと視線が合うと、すぐ視線を逸らしてしまう酷い人見知りで、内気な少女。
だが、父親である直樹にはハッキリと分かっていた。
その前髪の隙間からのぞく、小さな瞳の奥──そこには、かつて自分が20歳で衝動を爆発させた時と同じ、いや、それ以上に強烈なギターへの情熱が、静かに、しかし青白い炎となって燃え盛っていることを。
「お父さん。今日のライブ、がんばってね…」
「ありがとう、ひとり。こっちはもうすぐ本番だよ。会場はいつも通り満杯で、外にも入りきれなかったファンが沢山いるんだ。本当に楽しみだなぁ」
スピーカー越しに届く娘の声は、おそるおそるとしていて、今にも消えてしまいそうに儚い。
直樹の口元に、自然と穏やかな笑みが浮かんだ。世界中のどんな熱狂的な歓声よりも、彼の心を芯から温める魔法の言葉だった。
バンドを結成して20年──振り返れば、あまりにも激動の、しかし奇跡のような歳月だった。
私生活においても、直樹はこれ以上ない幸福に包まれていた。
妻の美智代は、出会った頃から変わらず世界一美人で、気立てがよく、底抜けの愛嬌で直樹の全てを優しく包み込んでくれる。
そして、授かった二人の宝物──長女のひとりと次女のふたり。
二人とも世界で一番可愛くて、愛おしい自慢の娘たちだ。この娘たちのためなら、今ここで自分の命だって惜しげもなく投げ出せる──本気でそう思っていた。
音楽アーティストとしても、富、名声、知名度、売上、その全てにおいて日本の頂点に君臨し、海外でも単独でスタジアムを即完させる、まさに前人未到の領域に達している。
バンドは世界的な人気を博し、愛する家族にも恵まれ、人生はどこまでも順風満帆。
誰の目から見ても、これ以上ないほど満たされた、完璧な人生。
なのに──────
心のどこか奥深く、指先も届かない場所に、薄い冷たい膜のようなものが張っていることに、直樹は最近になって気づき始めていた。
全てを手に入れ、全てを成し遂げてしまった。
その完璧すぎる平穏の裏で、脳裏をよぎる不穏な二文字。
──退屈
ギラギラだったあの頃の、ヒリつくような焦燥感がない。
そんな贅沢で不遜な思考を頭を振って追いだし、直樹は努めて明るい父親のトーンで娘へと声をかけた。
「そっちはもう夜中だろう?応援は嬉しいけど、早く寝た方がいいぞ」
「あっ…うん。………あ…あの、お父さん」
「ん?どうした、ひとり?」
画面の向こうでひとりは頼りなく視線を泳がせ、指先をモジモジと絡ませながら、何かを必死に紡ぎ出そうとしていた。
その迷うような沈黙のあと、小さな唇から言葉が零れ落ちた。
「私……バンド組んだよ」
一瞬、楽屋の時間が完全に停止した。
イギリスのスタジアムから吹き込む微かな風も、メンバーの刻むリズムも、全ての音が消失したかのような錯覚。
「……バンド?」
「…うん【結束バンド】っていうの。ドラムの虹夏ちゃんって子にサポートギターを頼まれて…それから正式に加入したの」
スピーカーから聞こえる娘の声は、いつものように緊張で小さく震えていた。
けれど、その震えの奥には、確固たる一本の芯が通っていて、迷いなどひとかけらもなかった。
ひとりはいつも、部屋の片隅で、ただ一人きりでギターを弾いていた。
学校では友達ができず、クラスの輪に入れず、家でネットの海に動画をアップロードするのが精一杯だった愛娘。
高校に入学してからも、相変わらずぼっちを極限まで拗らせ、孤立という暗闇の中にいたはずの娘が──。
今、自分の力で、誰かと音を重ね合わせる「居場所」を見つけてきたのだ。
直樹の胸の奥で、張り付いていた冷たい膜が、凄まじい熱量で一気に破られた。
押し寄せる感慨と名前のつかない熱い感情が、彼の全身の血を沸騰させる。
「本当かひとり!!すごい……すごいよ!お父さん、めちゃくちゃ嬉しい!!!」
スタジアムのステージさながらの大声が楽屋に響き渡る。
楽屋の隅でタイムスケジュールを確認していたマネージャーが、心臓を跳ね上がらせて信じられないものを見るような目を向けたが、今の直樹にはどうでもよかった。
画面の向こうのひとりは、父親のあまりの熱量に驚いたように、照れくさそうにパッと目を逸らす。
「そんなに喜ばなくても…まだ駆け出しだし……」
「駆け出しだからこそだよ!お父さんだってバンドを始めた頃は毎日が不安で、でもそれ以上に毎日ワクワクしてた!ひとりも今、そういう時期なんだろ?」
「あっ…うん。まあね…うへへへ…」
はにかむように、どこか嬉しそうに怪しい笑い声を漏らす娘の顔を見つめながら、直樹の胸は高鳴っていた。
それから、ひとりの言葉は少しずつ熱を帯びていった。
下北沢のライブハウスのこと。
元気いっぱいにドラムを叩く、
どこか浮世離れしたベースを弾く、
新しく始まった【結束バンド】という世界を、ひとりは必死に説明していく。
直樹はただ静かに、愛おしさを噛み締めるように頷きながらその声を聞いていた。
言葉の端々に、これまでの娘の人生には決して存在しなかった「他者と繋がることへの興奮」が混じっているのが、父親には痛いほど伝わってきた。
直樹はスマホの画面に顔を近づけ、前髪の隙間から覗く娘の瞳をまっすぐに見つめた。
「なあ、ひとり。お父さん新しい目標ができた」
「?目標?」
「ああ。一つ目は───【結束バンド】が大きくなったら、僕たちのバンドと対バンしよう。一緒にステージに立つんだ。お父さん、楽しみで仕方ないよ」
画面の向こうで、ひとりが文字通り目を丸くした。
「え……対バン?お父さんのバンドと?」
「あぁ…楽しみだろ?お父さん燃えてきたよ。今日のライブは過去一の出来にするからな。ひとりもがんばれよ」
「…む、むむむむむむむむむ無理だよそんなの!!お父さんのバンド、世界でもトップクラスなのに!!」
「無理じゃない。ひとりは才能がある。それはお父さんが保証する。絶対有名になる。僕が一番のファンになるから」
ひとりの頬が、じわじわと林檎のように赤く染まっていく。
驚きと、気恥ずかしさと、そしてほんの少しの歓喜。彼女は視線を激しく泳がせたあと、ポツリと、しかし今までにないほどはっきりとした芯のある声で告げた。
「……がんばる」
その一言が引き金だった。
直樹の胸の奥で、冷たい膜がパリンと音を立てて完全に割れ散った。
通話が終わり、液晶が暗転したスマホを、直樹は愛おしげに両手で胸へと抱きしめた。そして、長く、深い呼気を吐き出す。
心のどこかで、現状に満足していた。
日本ではもはや敵う者などおらず、世界で見ても一握りの上澄みにいる。
その事実に甘え、自覚のないまま無意識のうちに退屈し、停滞し、己の成長を止めてしまっていたのだ。
だが今、娘という、人生においてこれ以上ない最高のライバルが出現した。
それだけで、全身の細胞が歓喜に震えている。
まさか娘の成長が自分の新たなモチベーションになるなんて。
そして対バンとは別に、もう一つの途方もない目標が、直樹の脳内で明確な形を結んだ。
──世界一のロックバンドになる。
自分たちは人気バンドだ。
しかし、音楽の歴史に名を刻む過去の偉大なレジェンドたちに比べれば、世界一の知名度とは言えない。
世界で最も売れたトップ10のリストにすら、まだ食い込めていないのが現状だ。
このままでは、いつか世界へ羽ばたくであろう娘に、「お父さんは凄いんだぞ」と胸を張って自慢することができない。
──だから売上、影響力、伝説、全てで頂点に立つ。
結成当時と同じ──────いや、それを遥かに凌駕する獰猛な熱が、胸の奥で爆発的に再燃していた。
後藤ひとりの父親として。
そして、一人の先行くバンドマンとして。
娘に決して舐められない、背中で語る世界一のギタリストになってやる。
開演を告げるブザーが鳴り響き、スタジアムの巨大な照明が、生き物のようにゆっくりと点灯し始めた。
重低音のSEが空気を震わせ、メンバーが一斉にステージへと飛び出していく。
その瞬間、9万人の観衆から放たれた地鳴りのような咆哮が、全方位から鼓膜へと叩きつけられた。
その夜のライブは、文字通りあらゆる常識を置き去りにした。
直樹のギターから放たれるギターソロは飢えた獣のように唸りを上げ、ボーカルの咆哮はスタジアムのコンクリートごと観客の魂を震わせる。
アンコールを求める地響きは鳴り止まず、バンド史上、間違いなく最高峰の夜となった。
終演後、オーチューブの公式チャンネルにゲリラアップロードされたライブのハイライト動画は、世界中のタイムラインを瞬く間にジャックした。
再生回数のカウンターは異常な速度で跳ね上がり、一晩が明ける頃には、前代未聞の10億回再生を突破。
世界中の音楽ファン、クリエイター、そして批評家たちが、新たな伝説の目撃者として、興奮冷めやらぬままネットの海でその夜の奇跡を語り合っていた。
男の名前は後藤直樹。バンドネームは 【
バンド名【
ボーカル、ギター、ベース、ドラムという、ロックにおける最も原始的で、最も誤魔化しの効かない王道の4人編成。
音楽で新たな栄光を掴むと言う意味を込めて、自ら名付けたバンド。
バンドのリーダーであり、最年長のギタリスト。
【NEW GLORY】の全ての楽曲の作曲・編曲を手掛ける、唯一無二のメインコンポーザー。
日本のみならず、世界中の主要な音楽レーベルがこぞって彼らと契約を交わしている。
20年目でフルアルバムは10枚目に到達し、CDの総売り上げは2億2000万枚以上。
オーチューブチャンネルのチャンネル登録者数は6000万人以上という、モンスターバンドである。
そして──後藤ひとりの父親である。
というわけで、ぼっちちゃんのお父さん、後藤直樹は音楽つよつよお父さんになりました。
身内が最強キャラってロマンあるよね…
あと原作では2017年スタートでしたが、このssの西暦は2027年から原作開始になってて、この話は2027年の5月設定で原作よりも10年くらい先の時代設定です。
その方が動画サイトとかSNSでバズる理由になるし、サブスク時代にCDが売れてる凄い感が出るので変更しました。