今回はぽやみさん突撃回です
それではどうぞ
「着いた。ここがスターリーか…」
私の名前は佐藤愛子。
ぽいずんやみというペンネームで活動している音楽ライター(自称)だ。
私は今、下北沢のライブハウス、スターリーの入り口の前に立ってる。
今日の私の目的は、先日の秀華高校の文化祭ライブのステージから無謀にも客席に飛び降り、誰一人として受け止めることのないまま床に叩きつけられたあの「女子高生ダイブ失敗動画」のネタ記事を書くための、当事者バンドへの直接取材。
(……本当は、こんな他人の恥を切り売りするような下俗なクソ記事、死んでも書きたくないんだけどね…)
ここへ辿り着くまでの自分の情けない道中を思い返すだけで、喉の奥から重いため息しか出てこない。
最初は学校特定から始めた。
ダイブ動画の背景に映ってた体育館の校章ディテールと、観客の着ていた制服のデザインから秀華高校だってわかった。
正門辺りに待ち構えて、秀華高校の生徒たちに何人かに聞き込みしたが、有意義な進展はまるでなし。
校内に侵入して聞き込みしようとした矢先──秀華高校の先生たちが数人駆けつけてきて、その場でガチの事情聴取を受ける羽目になってしまった。
「生徒に迷惑をかけるな」「次不法侵入したら警察に通報する」って言われて追い出された。
冷静に考えたら、三文記事書くために高校侵入とか…普通に最低すぎるわ…
(本当はロッキンとかギタマガの編集者になりたかったんじゃい!!いいバンドのライブレポート書いて、インタビューして、読者に「このバンド知らなかったけど聴いてみよう」って思わせたかったのに……なんで今、女子高生ダイブ失敗のネタ記事書いてんだよ…!!ちくしょ━━━━━━!!)
…でも中学生って言われた。
23歳なのに…私もまだまだ肌のハリ的にもビジュアル的にも、中学生でいけるな……へへっ♪
(痛い格好してるかいあったわ。今度から14歳って名乗ろう…)
私は秀華高校の正門前で不審者として先生たちに追い出されたあと、とりあえず近くの適当なカフェに入った。
店内のカウンター席に座り、注文した甘いフラペチーノが届くのを待つ間に、私は重い溜息と共にポケットからスマホを取り出した。
(…にしても学校入れなくなっちゃったしどうしよう…あっ動画載せてた子にきけばいいじゃん!)
トゥイッターを開き、あのダイブ失敗動画の投稿者を検索すると、驚くほど簡単に対象のアカウントはすぐ見つかった。
早速そのアカウントのDMを開いて、テキトーに打った。
『はじめまして、音楽ライターのぽいずん♡やみって言います!文化祭ライブのダイブ動画、拝見しました!例のダイブしてた女の子について少しお話聞かせてもらえませんか?名前とかバンド名とか取材させてください!』
よし…送信っと。
すると、1分もしないうちに返信が来た。
『えっライターさんすか!?すげぇww』
『確か後藤さんとかいって【結束バンド】とかいうバンドっすwww』
…あまりにもあっさり、なんの躊躇もなく標的のフルネームもバンド名も全部開示してきた。
私は画面に並んだ文字を見つめて、あまりのガードの低さに呆然とした。
(今時の若い子口軽すぎない?DMでいきなり個人情報ペラペラと話して…ネットリテラシーとかないんかねぇ)
でも、それと同時に内心ホッとしたのも事実だった。
これで欲しかった記事の材料は揃った。SNSで【結束バンド】と検索すれば、下北沢にあるスターリーというライブハウスを拠点に活動していること、そしてまさに今日そこでライブをやる予定だってことが瞬時に引っかかった。
あとは、その現場へ取材に行けばいいだけ。
私は届いたフラペチーノを一口飲んで、冷たい糖分で脳を満たしながら、再びトゥイッターのいつものアカウントを開き、自虐混じりのネタトゥイを打つ。
『高校に不法侵入しようとして追い出されちゃった☆』
投稿。
すると、すぐにリプがいくつか来た。
『草』
『ぽいずんまたやらかしたwww』
『不法侵入未遂乙』
『コイツそろそろパクられンじゃね?』
ネットの有象無象に消費される、いつものぽいずん♡やみとしての道化の役割。
私は小さくため息をつきながら、スマホの画面を暗転させてポケットに深くしまった。
(私も人のこと言えないな。…高校に不法侵入しようとして追い出された人間が、ネットリテラシーとか語る資格ないわ……)
甘すぎるフラペチーノを胃袋へ流し込み、私はそのままカフェを出て、小田急線に揺られて下北沢へと移動し、スターリーに向かって歩いた。
(とりあえず、取材してクソ記事書いて……生きていくしかないか……)
そうこうしているうちにスターリーの前に到着、そして今に至る。
私はもう一度深呼吸して、覚悟を決めて重いドアを開けた。
……よし、行くか
「こんにちは〜!」
◆
【結束バンド】のライブ前、その女は突然現れた。
「ばんらぼってバンド批評サイトで記事書いてる者ですが、【結束バンド】さんに取材お願いしたく〜。あっ!あたしぽいずん♡やみ14歳で〜す☆」
現れたのは、黒髪に派手なピンクのインナーカラーが目立つ、姫カットでハーフツインの髪型。
ロゴプリントの入ったロングスリーブカットソーに黒ニーソ、首に包帯を巻いた萌え袖の地雷系ファッションの童顔の女性だった。
あまりにも場違いな不審者の襲来に、スターリーの店内は一瞬にして、水を打ったかのように凍りついて静まり返った。
ドリンクカウンターの奥から冷たい視線を送る星歌の横から、普段は冷静沈着なPAさんがゆっくりとフロアへと出て、にこやかに営業スマイルを浮かべながら声をかけた。
「アポとか取ってらっしゃいますか?」
「ごめんなさ〜い☆とってないですぅ☆」
大人の対応を前にしても、その女──ぽいずん♡やみは微塵も怯むことなく、小悪魔的な笑みを浮かべてニッコリ笑って自身のWebメディアの名刺を指先で差し出した。
「アポ無し突撃取材です〜♡下北沢で活動中の若手バンド特集記事を書こうと思ってまして〜☆ちゃちゃっと終わらせますんで〜!」
『取材』
インディーズバンドにとって最も輝かしく甘美な響きを持つ言葉がフロアに響いた瞬間、虹夏の大きな目が、これ以上ないほどキラキラと眩しく光り輝いた。
隣にいた喜多も、あまりの快挙に興奮を抑えきれずに虹夏にがっしりと抱きつきながら、女子高生らしくキャッキャとはしゃいだ。
「え!?記事!?あたしたちに取材!?あたしたちってもうそんなに注目されてるの!?あっ…ありがとうございます!」
「伊地知先輩凄いですね!」
自分たちの音楽が、ついに世間のメディアに見つかって評価され始めた。
そう純粋に信じ込んで大喜びしている無垢な少女たちの反応を見て、やみは内心で(チョロwこれなら文化祭のダイブ失敗の件も簡単に吐かせられるわね♪)とほくそ笑み、手元のスマホの録音ボタンをオンにして、早速最初の質問を突きつけた。
「じゃあしつも〜ん!今後の【結束バンド】の目標は~?」
「メジャーデビュー!!」
「エンドース契約して、タダで楽器もらう」
「みんなでずっと、楽しく続ける事かしら?」
「あっ…世界平和…」
全員の答えが完全にバラバラで、直近の具体的な活動目標は事実上のゼロ。
あまりの締まりのなさに、やみはこの時点で【結束バンド】をただの文化祭の延長線上にあるお遊び集団だと見切りをつけ、感情の籠もらない棒読みの笑顔で言葉を取り繕った。
「…ユメガイッパイナノハスバラシイデスヨネ☆」
(…所詮お遊びバンドか。目標はあやふやで方向性ゼロ…PV取れるネタ以外価値なさそう…まあいいや、本題行くか)
用があるのはバンドの音楽性ではなく、あのピンクのリードギターのゴシップだけ。
やみは計算高い笑みを浮かべたまま、標的であるひとりの方へと視線を滑らせた。
「あっ!そういえばギターの方って、少し前にダイブで話題になった人ですよね!?」
「あっあ…えっ…!!?…ダ…ダイブ!?」
「あれ〜?知らないんですか〜?ネットに文化祭ライブのダイブのシーンが転載されてたんですよ〜☆ホラこれ♬」
「あっえ!?…い…いつの間に!!?」
ひとりは、突然矛先が自分に向きパニックになる。
そして突きつけられたスマホの画面を見て、初めて世界中に自分のあの最も恥ずかしい生き恥(ダイブシーン)が晒されている事実を知り、魂が口から飛び出るほどの絶望に驚愕する。
だが、やみはそんなひとりの過呼吸寸前の精神状態など気にも留めず、自称・取材という名の刃を容赦なく突き立てて、根掘り葉掘り聞き出し始めた。
「何であの時ダイブしたんですかぁ〜?普段のライブからダイブしてるんですかぁ?」
「あっえっ…」
「あの〜…このキャラは設定でぇ…聞こえてます~?何か喋ってください〜」
「」
人見知りな少女を甚振るような、あからさまに嘲笑を含んだライターの詰問。
その様子を見ていた虹夏は、彼女たちの純粋な音楽への興味が最初からこの不審者に存在していなかったことを完全に悟り、その大きな瞳から光を消して瞬時に強固な警戒モードへと入った。
(……この人ひょっとして、バンドの取材じゃなくて…ぼっちちゃんをネタにした記事書くつもりなんじゃ…幸い初めて見る人種にぼっちちゃんが心閉ざしてるからよかったけど…)
「伊地知先輩…」
「……」
喜多も最初はプロの取材だと無邪気に浮かれていたけれど、隣に立つ虹夏のただならぬ強張った表情を見て、何かがおかしいと察して急に不安げに唇を噛んだ。
リョウはそんな喧騒から少し離れた場所で、一切の興味を遮断してマイペースにスマホをいじり続けている。
「店長。変な子入って来ちゃったんで、注意してくれません?」
「…ったく。しゃーねェな…」
異様な空気の侵入を察知したPAさんが静かにカウンターの星歌へと声をかけ、スターリーの絶対権力者としての毅然とした注意を促した。
愛する妹たちの縄張りを荒らされ、星歌はドリンクカウンターの奥からゆっくりと立ち上がり、低いドスの効いた声で威圧するように声をかけた。
「すみません。うちでの迷惑行為はやめてもらえま…」
「ふぇ…ごめんなさい…」
(ふぇ!?)
だが、やみは即座に裏声を駆使した、計算尽くのぶりっ子モードを全開にして防衛線を張った。
大きな目をうりゅうりゅさせて、両手を胸の前で合わせて肩を震わせる。
その14歳(自称)のギトギトの演技を正面から喰らった星歌は、内心で(きもちわり━━━━!!)と盛大に顔を顰めながら、かつてない嫌悪感に若干引き気味のトーンで言った。
「セツドアルコウドウオネガイシマスネ…」
「はぁ〜い♡」(チョロ☆)
「おねーちゃんの役立たず!!!!」
あろうことか、あの難攻不落のはずの星歌が、不審者のキモすぎるぶりっ子精神攻撃の前に呆気なく怯んで小言レベルに後退してしまった。
虹夏は姉が全く役に立たないと悟り、このアウェイの空気を力任せに切り裂くべく、意を決してフロア全体に響き渡るような咄嗟の大声を張り上げるのだった。
「……みんな!そろそろライブの準備しなきゃ!」
「あっ…そうですね…!」
「ぼっちちゃんも行こう!すみません。後はライブ後でいいですか?」
星歌が役に立たないと悟った虹夏は、「これ以上、大切なメンバーであるぼっちちゃんに悪意ある質問の刃を向けさせてたまるか」と、張り詰めた店内の空気を打ち破るように咄嗟に大声を張り上げ、ひとりの冷たい手をぎゅっと強く引っ張ると、有無を言わせぬ勢いでステージ脇の楽屋の方へ向かって歩き出した。
ただならぬ気配を察した喜多と、相変わらず無表情ながらも状況を把握したリョウも、素早く虹夏の後ろについて防衛線を張るように歩いてくる。
少女たちのあからさまな拒絶と敵意を向けられても、ぽいずん♡やみは痛痒を感じた様子もなく、フリフリの萌え袖をこれ見よがしに揺らしながら、ニコニコと歪んだぶりっ子の笑みを浮かべて手を振った。
「わかった〜♡ライブ後で待ってるね〜!楽しみにしてるよ〜♡」(警戒されてるな~。ゴメンね~でも、こっちもこれが仕事なのさ)
ドアが閉まった後、虹夏はひとりの震える手を握ったまま、まっすぐに立ち止まった。
「ぼっちちゃん大丈夫?あの人、なんか怪しいよね」
ひとりは前髪の奥の目をぐるぐると回し、生き恥が全世界に晒されていた衝撃からまだ立ち直れず、言葉にならない無言のまま何度も小さく頷くだけが精一杯だった。
そんな弱り切った愛おしい後輩の姿を見て、虹夏は自らの両腕を伸ばし、ひとりの身体を優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ。あたしたちがいるから…あの人にぼっちちゃんをネタになんかさせない。ライブで、最高のステージ見せて…あの人も黙らせよう」
「…あっはい」
楽屋の扉の向こうのフロアには、自分たちをただの「バズるエサ」としか見ていないぽいずん♡やみの、あの計算高い邪悪な笑顔がまだ残っている。
でも、その悪意に晒されたことで、結束バンドのメンバーたちの結束はより一層強固になり、それぞれの瞳に本物の火が灯って決意を新たにした。
ライブで───音で、勝負する。
【結束バンド】の音で、心を掴んで、ネタ記事なんて吹き飛ばすと。
◆
楽屋に引っ込んでいった女子高生たちの背中を見送りながら、私は小さく息を吐き、誰もいない近くの壁に背中を預けた。
(ふぅ…なんとか記事になりそうでよかったわ…)
手元のスマホには、さっきのバラバラなインタビュー音声がしっかりと録音されている。
あの無様なダイブ失敗ネタと、メンバーたちのあまりにもあやふやでバラバラな目標…これらを適当に面白おかしく盛れば、ネット民がこぞってクリックするPVの取れるクソ記事が1本完成だ。
とりあえず、今月のノルマ最低ラインの素材が集まった。
よし、一安心。
………でも、ライブを観ていかなきゃいけないのは…ぶっちゃけだるい。
(早く帰りて~。あの子たちレベル低そうだし…観てても時間の無駄かも…)
私は手元のスマホをいじりながら、ぼんやりと開演を迎えた薄暗いステージを眺めた。
ステージライトが点き、大して面白くもないMCのあと、ドラムが1曲目のカウントを刻む。
ドラムを叩いているのは、さっきの金髪の子か…
けれど、最初の一打からテンポが少しもたついてる…アウェイの空気に完全に呑まれているのか、キックが弱くて、バンド全体の心臓であるはずのリズムの土台がふわふわと宙に浮いている。
叩きながら一度ミスったら、目に見えてテンパってるのがこちらの客席にまで伝わってくるし、ハイハットも開きが甘くて、全体を鋭く引き締めるためのシャープさが致命的に足りない。
(ドラムは基本のフィルインすら安定してない。これじゃリズムセクションとして機能してないよ。ガッカリ…)
次に視線を向けたのは、センターでマイクを握る赤髪の陽キャっぽいギターボーカルの子。
でも、その声は完全に楽器の音圧に負けて埋もれてしまっている…
声帯が絞りきれていないカラオケレベルで、ピッチの維持やビブラートが壊滅的に浅いし、高音になるたびにピッチが少し不安定に揺れている。
さらに歌いながら弾いているバッキングギターのストロークもお粗末…
コードの押さえが甘くて、スピーカーから出る音が濁ってるし、何よりストロークのタイミングがもたついているドラムと全く合ってない。
(ボーカルは声量ないし、表現力ゼロ。ギターも初心者丸出し……これじゃあインディーズの底辺だよ。酷評せざるを得ないわ…)
そして気になるリードギターは、例のダイブ動画のピンクのジャージの子。
けれど、弾き始めた最初の音から全体のアンサンブルとバラバラで、他のメンバーと全く合ってない…
手首の柔らかさやストロークのキレそのものは見るべきものがあるけれど、周りのリズムが崩れているせいで、全体のアンサンブルが完全に崩れてる。
(リードギターも合ってない…基本技術は完璧っぽいけど、音がズレてるだけで台無し…もったいない……これじゃあライブとして成立してない…)
そんな崩壊寸前の泥船の中で、ベースを弾いている青髪の子だけは唯一文句なしだった。
太い4弦から放たれる低音が驚くほど安定してて、バラバラなドラムの隙間を埋めるように一人でグルーヴを作ってる。
スラップの親指の動きも滑らかで、時折混ぜてくる指弾きのダイナミクスのニュアンスがいい。
(ベースは相当上手いわね。今の時点でメジャーでもなんとかやっていけるレベルだし、高校生ってことを考えれば、まだまだ伸びしろも期待できる。この子がいなかったら、完全に崩壊してる……)
けれど、たった一人がどれだけ踏ん張ろうとも、バンドとしての評価は覆らない。
(なんか【結束バンド】…全体的にレベル低いな)
ベースの子だけは頭一つ抜けてるけど、音楽ライターとしての私の耳から総合的に見た場合、これじゃインディーズのレーベルからも声がかからないレベル。
正直言って、どこにでもある普通の学生バンドに毛が生えた程度だ。
(前言撤回。これじゃ記事にならないわ…ダイブ失敗ネタだけじゃ弱い。正直がっかり…この子たち売れる気配ゼロじゃん。あ~あ…時間とチケット代無駄にした…)
………そういえば、あのダイブの子のギター… SchecterのPA-SXじゃん。
ギターヒーローさんの新しいギターと同じやつだ…意外と使ってる人多いのかな?
…まぁどうでもいいけどね。
私はため息をついて、スマホで時間を確認した。
(あと何曲でライブ終わるんだろ…早く帰りたい……でも取材するって言っちゃったしなぁ…)
その時──────
リードギターのギターサウンドが、ふと耳に刺さった。
キレのあるストロークに、Schecter特有の太くて鋭いハイゲインのトーン。
そして──【NEW GLORY】のNaokIを彷彿とさせる演奏のクセ。
(ん?この音…聞き覚えが。ストロークの切れ味…ピッキングの角度…ビブラートの入れ方…これ
私はスマホを見ていた顔を上げ、ステージに…リードギターに視線を集中させる。
照明の下で激しく蠢く、リードギターの運指の動き。
周りのリズム隊ともたついて音がズレてるだけで、一音一音のピッチや運指といった基本的な技術は、素人どころかプロの領域に達していて完璧。
いや──完璧という言葉すら生ぬるい、完璧以上だ。
音の粒立ちが揃った超高速の速弾きの精度、感情の乗せ方、倍音を含んだ独特な弦の鳴らし方…
その全てが、私が毎晩画面にかじりついて、動画で何百回、何千回と何度も見た、あのネットの怪物のプレイスタイルそのものだった。
(…噓でしょ?…まさかあの子…)
胸が高鳴った。
ライブが続く間、私はリードギターから目を離せなくなった。
他のメンバーのミスが気にならなくなるほど、リードギターに引き込まれた。
(この音、生で聴くとヤバい…!…間違いない!)
そしてライブが終わり、しばらくして【結束バンド】のメンバーが出てきた。
例のクソ記事のネタなんて、もうどうでもよかった。
私は、リードギターの子に近づいた。
「あのっ!!その…まさか、まさかとは思ったんですけど…その歌うようなギタービブラートのかけ方、所々に滲み出る演奏のクセ…絶対そう!間違いない!」
これは、他人の炎上ゴシップなんか比じゃない。
音楽業界を根底からひっくり返す、本物の天文学的な大スクープだ。
「あなた!ギターヒーローさんですよねッ!!」
私は、興奮で輝き胸が高鳴った。
◆
直樹は、東京ドームの駐車場から自家用車に乗り込み、下見を終えた。
世界中がその一挙手一投足に注目する、【NEW GLORY】の6大ドームツアー追加公演初日。
超満員のドームの音響を完璧にハックするための前日リハーサルや、ミリ単位の緻密な機材チェック、何百人ものスタッフとの緊密な全体の打ち合わせは、驚異的なチームワークによって当初の予想よりも大幅に早く終わった。
いつもならこのままメンバーたちと近くの行きつけの店に軽く食事に行ったり、あるいは東京から首都高に乗ってそのまま金沢八景の自宅に帰ってのんびり過ごすはずだった。
だが──今日は違った。
胸の奥に、ずっと引っかかっていたものがある。
(……ひとりの…【結束バンド】のライブ……今日も行けなかった……)
そう、今日は愛娘ひとりが所属する【結束バンド】の、スターリーでのブッキングライブの日でもあったのだ。
ドームに入る前、直樹はロインで娘に『今日ドームのリハでお父さんも東京行くから、時間が空けばライブ観に行くよ』というメッセージを送った。
だがプロの現場のシビアな段取りに阻まれ、またしても客席からその成長の音を聴いてあげることは叶わなかった。
(せめて、ひとりの迎えにだけは行こう。とりあえずロイン送ろ)
直樹は私用のスマホを取り出し、ロインのアプリをタップしてメッセージを綴った。
『ごめんなひとり。ライブには行けなかったけど迎えには行くから。スターリー近くのパーキングで待ってるよ』
『わかった。○時までにそっちに行くから待ってて』
『了解』
娘からの返信を受けた後、直樹はすぐさま車載ナビの目的地を下北沢へとセットして、東京ドームの駐車場から自家用車を滑らかに走らせた。
しばらくして、古着屋やライブハウスが乱立する下北沢の狭い路地裏を慎重に抜け、スターリー近辺にある小さなコインパーキングに到着。
車を停めた直樹は素顔を外界から遮断するため、助手席のダッシュボードを開けていつもの変装用のメガネとマスクを着用しようとしたが──
(ヤバ…2つとも忘れた…まぁいいか。ひとりが来るまで、とりあえず車で待ってよう)
完全に金沢八景の自宅に置いてきてしまっていた。
普段は鉄壁のセキュリティを強いる男が、娘のことになるとこれである。
もしも車から出なきゃいけない緊急の状況になったら、持っている帽子を限界まで深く被って、なんとか誤魔化すしかない。
直樹は諦めて、静かにエンジンを切った。
◆
「…………さすがに遅いな。もう1時間近く経ってる…」
静まり返った車内で、直樹は時計を見る。
ロインでひとりから『〇時までにそっちに行く』と連絡が来てから、とうに指定の時間は過ぎ去っている。
いくらライブ後の片付けや挨拶が長引いているとはいえ、あまりにも時間が経ちすぎていた。
人見知りで、いつも他人の視線に怯えて呼吸困難を起こしてしまう愛娘の顔が脳裏を過り、直樹の胸の奥にジワジワと本気の心配が湧き上がってきた。
(ちょっと様子を見に行くか。こそっと行って、ひとりを迎えに行けばいい……帽子深く被ってるしバレないだろ…)
直樹はシートベルトを外し、帽子を深く被り直して車を降りた。
夜の下北沢──お洒落な古着屋のガラス窓から漏れる光が路面を照らし、若者たちの楽しげな人通りはそこそこあるが、狭い路地裏のライブハウス周辺はインディーズ特有の独特な熱気で少し賑やかさを増している。
世界ツアーで各国の巨大スタジアムを回る彼にとって、この狭く雑多なストリートを歩くのは実に新鮮な経験だった。
スマホのナビアプリの画面を指先でなぞりながら数分ほど慎重に歩みを進めていると、電飾で飾られたお目当てのスターリーの看板が見えてきた。
(ここか…ひとりが頑張ってる場所。………よし行こう。全員が全員【NEW GLORY】のこと知ってるわけじゃないだろうし、大丈夫だろ…)
メディア露出を極限までゼロに抑えている隠密のカリスマバンドゆえの、絶対の自信。
自分の顔がこのアンダーグラウンドな地下のライブハウスで即座に割れるはずがない──
直樹はそう自分に言い聞かせるようにフッと息を吐くと、意を決して、静かに、ゆっくりとスターリー扉を開けた。
このあと、何が起こるかも知らずに…
今回も見てくれた方、ありがとうございます!
変更点としては、ぼっちちゃんの腕前はもちろん、リョウのベースの腕前も向上してます。
台風ライブ以降から、曲作りと並行して毎日一時間は必ず自主練をするようになりました。
そしてぼっちちゃんの楽器屋試奏から火がついて、反復練習や自分の世界に入り込む癖を矯正して、音を合わせる努力をした結果、メジャーデビューしてもやっていけるくらいの実力になりました。
音楽にストイックなリョウならこれくらいはするだろうと思い、変更しました。