娘のバンドと対バンしたい   作:肉野郎

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ついに一番書きたかった回が来ました。

それではどうぞ


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 スターリーの地下フロアの空気が、本日何度目かもわからない異常な衝撃によって、再び水を打ったかのように完全に静まり返った。

 

 突如として乱入してきた自称14歳の音楽ライター、ぽいずん♡やみの放った「あなた!ギターヒーローさんですよねッ!!」という鋭い叫びの声が響き渡った瞬間──標的となったひとりの顔からは一瞬にして血の気が引き、頭の中が真っ白になった。

 

 ギターヒーローの正体──それが最も恐れていた他人の口から、この狭いライブハウスの衆人環視の前で暴かれたのだ。

 彼女の目は怪しくぐるぐると回り始め、口元はスライムのようにへの字になり、膝がガクガクと激しく震え始めた。

 

 

「え?ギターヒーローって…何ですか?」

 

 

 まだギターヒーローの正体と、自分のすぐ隣にいる陰キャ少女が同一人物だと結びついていない喜多の無邪気な質問に、やみは待ってましたと言わんばかりに食い気味に怒涛の説明を始めた。

 

 

「このお方、後藤さん!もといギターヒーローさんはオーチューブで超有名なギターカバーしてる人なの!日本のJ-POPから海外の有名曲まで全部ロック風にアレンジして弾いてて腕前がヤバいの!ピッキングの精度、ビブラートの深み、弦の鳴らし方、全部プロ以上!しかも機材も本格的で、Bogner Ecstasyアンプ2台並列、Free The Toneのエフェクターボード、Schecterのギター、まさにプロ仕様!チャンネル登録者数は現在150万人超え!総再生回数は5億回以上突破してるんだから!そして【NEW GLORY】のNaokIを彷彿とさせるプレイスタイルで、ファンの間では『NaokIの再来』って言われてるくらいの実力者!それが、このギターヒーローさんなのよ!!」

 

「ちっ違います!ぼっちちゃんがギターヒーローなんて…!人違いですッ!!」

 

 

 すでに正体を知っている虹夏は、怯えるひとりを自らの背中へと庇うようにして、慌てて前に出て語気を強めてきっぱりと否定した。

 だが、完全にスクープの匂いを嗅ぎつけたやみは、「そんなン知るか」と言わんばかりに虹夏を完全に無視して、目の前で縮こまっているひとりに向けてその瞳を爛々と狂気的に輝かせた。

 

 

「だって見てよ!この動画のSchecterのギターとピンクの髪にピンクジャージ!そしてあの演奏のクセ、キレのあるストローク、感情の乗ったビブラート、速弾きの軌道!全部ギターヒーローさんそのもの!なによりあのカリスマ性!!ステージに立つと、急に目が変わるんですよね!!?やっぱり…あなたがギターヒーローさんですよね!!?」

 

「あっあの…あの…あっいやぁ…えへぇ。ちっ違いますぅ…」

 

「絶対この子ー!!」

 

 

 対人恐怖のパニックで脳の全回路がショートしているはずなのに、プロの音楽ライター(自称)から「プロ以上」「NaokIの再来」「圧倒的なカリスマ性」と人生最大級の最上級の褒め言葉をこれでもかと浴びせられた結果、ひとりの脳内にある肥大化した承認欲求モンスターが、この極限状態の土壇場で最悪の形で目を覚ましてしまった。

 ひとりはパーカーの袖で口元を隠しながら、どうしようもない悦楽にデレデレとニヤニヤしながら嬉しそうに小刻みに身体を揺らして否定した。

 

 まだ目の前の現実を呑み込めずにぽかんとしている喜多は、その凄まじい熱量に押されるようにして、おそるおそるやみに尋ねた。

 

 

「そのギターヒーロー?って…そんなにすごい人なんですか?さっき150万人とか5億再生以上とか聞こえたけど……」

 

「見て見て!これがギターヒーローさんの動画よ!登録者150万人、一番再生数が多い動画は1億2000万越えで、他にも1000万や2000万再生も多数!そして、総再生5億回超えなのよ!」

 

 

 やみは自身のスマホを素早く取り出すと、信者としての誇りを誇示するようにギターヒーローのチャンネルのトップ画面を突きつけた。

 画面を覗き込んだ喜多は、そこに表示されている桁外れの数字を見て、その綺麗な目をこれ以上ないほど丸くした。

 

 

「えっこのピンクジャージ…ひとりちゃん?って登録者150万人!?一番人気の動画再生数も1億2000万回!?直近の動画2~3本も1000万再生超えてる!!すごい…!楽器屋で試奏してた時、上手いなって思ってたけど…まさかここまでなんて!!」

 

「ね~☆だから言ったでしょ~♪」

 

 

 喜多がそのあまりの格の違いに言葉を失っている横で、これまで静かにスマホをいじっていたはずのリョウは、その画面に表示された生々しい数字をじっと見つめながら、頭の中で恐ろしいほどの高速で、緻密な計算を開始していた。

 

 

(ギターヒーローのチャンネル、登録者150万人。総再生5億回以上…オーチューブの平均RPM(1000再生あたりの収益)日本+海外ミックスで約0.7〜1.0ドル。海外視聴者が多いチャンネルだから、少し高めに0.9ドルと仮定しよう。総再生回数:5億回で税引前総広告収入(推定)5億回×0.9ドル=45万ドル日本円換算(1ドル=155円):約6975万円。オーチューブに手数料45%引かれるから6975万円×55%=約3836万円(税引前手取り)。日本の税金(所得税+住民税+復興特別所得税)雑所得として扱われる場合、最高税率(所得税45%+住民税10%+復興特別所得税2.1%)で約57.1%。でも経費計上(機材代、スタジオ代、編集ソフト代など)で大幅に節税可能。税理士が最適化してる前提で、手取りは約58%残ると仮定。3836万円×0.58%=約2225万円(税引後手取り推定)。これは税理士の節税+経費計上をフル活用した結果の数字。税引前総収入から手数料・税金を引いた最終手取りとしての金額は…ざっと、2200万円以上!!!!!!!!つまりぼっちの懐には2000万円近い金があるってことだ!!!!!!!!そういうことか!!!だからスターリーでもバイトしてなかったし、ノルマ代徴収の時も余裕そうだったし、カフェでご飯奢ってくれたし、江ノ島でエスカレーター代やアイスご馳走してくれたし、私の誕生日の時に冗談で言った、DINGWALLとLe Fayの新作ヘッドレス、それとDarkglassのアンプヘッドをプレゼントしてくれたのか!!!!!!!!!)

 

 

 普段脳みそカラカラのくせに、金の匂いがプンプンするこういうときだけ頭の回転が早いクズ(リョウ)

 リョウ(クズ)は今までの人生で誰も見たことがないくらいにその瞳をキラキラさせながら(初期山田くらい)、よだれを垂らさんばかりの勢いでひとりの元へと猛ダッシュで詰め寄った。

 

 

「ぼっち様!!動画のお金の管理は私めにお任せください!!!」

 

「あっえっ?えっ!?」

 

「ありがとうございます!!不肖、山田リョウ!!精一杯頑張ります!!!」

 

「あっちょ…リョウさん…!私何も言ってな……!」

 

「では手始めに、まず1千万ほど融資して頂きたく……

 

 ぐわわーん!!!!」

 

「はーい!リョウはちょっと黙ってようねー!」

 

 

 これ以上ないほど最低で露骨な資産の無心をかまし始めた親友に対し、バンドの風紀を守る虹夏は、一切の躊躇なくリョウの腕をガチリと掴むと、そのまま柔道の要領でフロアの端まで豪快に投げ飛ばし、パニックになっているひとりを守った。

 

 

(リョウったら!お金のことになると、ほんと止まらないんだから!…でも、ぼっちちゃんがギターヒーローバレして…気まずくなるかもって思ってたけど…杞憂だったな)

 

 

 やみはそんな騒ぎを片手間で眺めながら、内心で(アホ共に構ってる暇はない)と思い、ひとりに視線を戻した。

 

 

「ところでギターヒーローさん。さっきのライブ、何であんな酷い演奏を…!?」

 

「わっ…私人見知りで…バンドだと上手く合わせられなくて…動画は家で一人で弾いてるから…」

 

 

 これ以上ないほど的確な、音楽ライターとしての鋭い疑問。

 ひとりはやみの真っ直ぐな視線からパッと目を逸らしながら、パーカーの袖をいじって小さく答えた。

 すると、やみはその回答を受けた瞬間、まるで極上の萌え属性を発見したオタクのようにその目を爛々と輝かせた。

 

 

「天才にだって欠点はあるもんですぅ!それが逆に人間味があって可愛いじゃないですか〜♡人見知りでバンドだと合わせられない…でも、一人だと神業…最高のギャップ萌えですよ!」

 

「ぼっちちゃんにだけ、とことん甘いな…」

 

 

 ギターヒーローだと分かった途端に手のひらを返して全肯定し始めたやみの露骨な態度の変化に、虹夏は眉間に青筋を立てて若干キレ気味のトーンで低く呟いた。

 

 そして近くでこの一部始終をずっと呆然と見ていた、ファン1号と2号の二人も、自身のスマホを取り出しギターヒーローのチャンネルを見て、あまりの非現実的な数字に度肝を抜かれていた。

 ファン1号は、スマホの液晶に表示された天文学的なカウンターの画面を見て、驚愕のあまり大きく目を丸くした。

 

 

「え……登録者150万人!?総再生5億回って…!?ひとりちゃんって、こんな凄い子だったの…!?」

 

 

 一方で同じ画面を凝視していたファン2号は、アップロードされている過去の弾いてみた動画をいくつか脳内で再生しながら、ひとりの画面越しの指先の動きを見比べていくうちに、ふと、ある奇妙な違和感に気がついた。

 

 

(あれ?なんかこのギターの弾き方…路上ライブの時ひとりちゃんの隣にいた、鬼のお面の男の人の演奏に…似てる?)

 

 

 ファン2号は内心でざわついたけど、まだ確信には至らず、ただ黙って動画の画面を見続け、思考を巡らせるのだった。

 

 フロアが混沌を極める中、完全にネットのカリスマの原石を前にしてライターとしての興奮を抑えきれなくなったやみは、これ以上ないほど明るく甘い声を張り上げた。

 

 

「ウチの編集長にかけあって、業界の人を紹介してもらえるように言っときます!ギターヒーローさんなら絶対デビューできますよ〜♡大手レコード会社とかライブハウスチェーンとか、紹介したら一発ですよ!」

 

 

 デビューというインディーズの誰もが焦がれる魔法のような輝かしい言葉に、純粋に【結束バンド】を応援しに来ていた1号と2号は、自分のことのようにその目を一気に輝かせた。

 

 

「え~!?【結束バンド】がデビューできるかもって事!?」

 

「すご~い!やったじゃんみんな!」

 

 

 【結束バンド】のメンバーたちは、デビューというあまりにも甘美な言葉の響きに一瞬ポカンとした後、10代の学生らしく一気に浮かれ始めた。

 

 

「デビュー…デビューか…うへ…うへへ…CD総売上10億枚…ワールドツアーで1億人動員…世界中の音楽賞総ナメ…世界長者番付不動の一位にして人間国宝──後藤ひとり爆誕…うへへ…へへへ…」

 

「もうひとりちゃん!顔たるんでるわよ!」

 

「そうゆう喜多ちゃんもね♪」

 

 

 ひとりはすっかり顔がたるんで口元が緩みっぱなしになり、完全に脳内でお祝いの妄想を爆発させている。

 喜多は、ひとりのそんな締まりのない顔がたるんでると指摘しながらも、自分たちの歌がプロに届いた嬉しさから自身の顔も隠しきれずにニヤケていた。

 そして虹夏も、自分を指摘した喜多の赤くなったほっぺたを指先でプニプニと突っつきながら、バンドの未来が開けた喜びで笑顔が止まらない。

 

 

「……………」

 

 

 その歓喜に沸くフロアの中で、唯一リョウだけは一歩引いた位置から冷静だった。

 彼女は腕を組んで、感情を一切表に出さず、黙ってやみの視線や様子を冷徹に俯瞰してる。

 

 

(この女…なんか胡散臭い。ギターヒーローの話しかしてない…【結束バンド】全体の話はしてない)

 

 

 音楽の厳しさと、大人のビジネスの冷酷さを本能的に知っているリョウ。

 やみは、そんな10代の少女たちの無邪気な浮かれ具合を見て、困惑した表情へと変えた。

 

 

「【結束バンド】?何の話?私が言ってるのはギターヒーローさんだけだよ?」

 

「「「え?」」」

 

「…」

 

 

 あまりにも冷徹でストレートな現実の宣告。

 ひとり・虹夏・喜多の3人が、梯子を外されたかのようにぽかんとして言葉を失い、リョウは、自らの予感が的中したことの成り行きを、黙って静かに見ていた。

 冷え切ったフロアの空気の中で、やみは首を傾げて、何でもない日常の事実を告げるように明るく言った。

 

 

「だから〜☆紹介するのはギターヒーローさんだけで~他の【結束バンド】の子には言ってないよ〜♡まぁベースの子はもっと上達したら、考えなくもないけど…今はまだ……ね?」

 

「……え?え?」

 

 

 自分たちを認めてくれたわけではなかった。

 

 ただ、ネットのブランドである『ギターヒーロー』だけを美味しく消費したいだけ。

 

 あまりの大人の残酷な本音の前に虹夏は困惑して、言葉を詰まらせながらオロオロし始めた。   

 やみは肩をすくめて、言い訳を並べるように続けた。

 

 

「【結束バンド】は高校生にしたらレベルは…まぁ高いと思うけどぉ~。でも、よく居る下北のバンドって感じだし」

 

 

 そう。技術が少し上手いだけの学生バンドなんて、この下北沢の地下には掃いて捨てるほど転がっている。

 

 そして、やみはそれまでのぶりっ子なトーンを完全に捨て去り、少し声を落として、彼女たちの音楽を底辺から全否定するように鋭く吐き捨てるように言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っていうか…“ガチ”じゃないですよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉のナイフに、虹夏の眩しかった笑顔が完全に引きつった。

 喜多の無邪気なニヤケ顔が、一瞬で凍りつく。

 ひとりは世界から拒絶されたかのように顔を真っ青にして、さらに縮こまった。

 リョウだけは腕を組んだまま、感情を一切表に出さず、底冷えするような冷たい視線でやみの瞳を真っ直ぐに見据え続けていた。

 

 やみは片手にスマホを持ったままニコニコと営業用の歪んだ笑顔を浮かべ、その奥にある冷たい視線を容赦なく【結束バンド】の3人へと向けた。

 

 

「えっ…」

 

「だって客も常連だけだし。SNS見ても宣伝もそんなにやってないみたいだし…本気でプロを目指してるバンドに見えないんだもん。ライブハウスで地道にやってるのはいいけど…これじゃ、インディーズの壁も越えられないですよ~♡」

 

「「!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ぼっち。ちょっとこっち来て」

「えっ…?あっはい」

 

 

 虹夏の笑顔は、あまりの屈辱と悔しさに完全に引きつっていた。

 喜多も、自分たちのこれまでの努力と「みんなで上を目指そう」という夢をネットのアクセス稼ぎのロジックで全否定され、悔し涙を堪えるように強く唇を噛んで俯く。

 

 やみはそんな傷ついた彼女たちのプライドなど意に介さず、完全に【結束バンド】を蚊帳の外にするように、手元のスマホの画面を滑らかにいじり始めた。

 

 

「ギターヒーローさんにはいい話探しておきますね〜♡大手レーベルとか、フェスオファーとか紹介できる人、探せばいっぱいいるんですよ〜!…ってあれ?どこ行った?トイレ?」

 

 

 その残酷な引き抜きを目の前で突きつけられ、虹夏と喜多は、突然のことにただただ硬直した。

 けれど、このままひとりだけが連れ去られて、自分たちの夢の結晶である【結束バンド】が踏み躙られたまま終わってたまるか──と、二人とも張り詰めていた感情を決壊させ、慌てて大声を上げた。

 

 

「ちょっと待って!あたしたちだってがんばってるよ!ぼっちちゃんのギターがすごいのは認めるけど…あたしは…【結束バンド】はみんなで…!」

 

「そっそうです!私たち、ひとりちゃんのサポートも…!バンドとして…!」

 

 

 自分たちの音を、絆を、必死に言葉にして叫ぶ虹夏と喜多。

 だが、曲がりなりにも音楽ライターとしての冷酷な耳を持ち、あの【NEW GLORY】の「本物のガチの音」に魂をひざまずかせて崇拝しているやみにとって、その必死の叫びはただの子供の甘えにしか聞こえなかった。

 やみはスマホの画面からゆっくりと冷徹な目を上げて、彼女たちの夢の奈落の底へ突き落とすように、静かに、そして冷たく言った。

 

 

「ギターヒーローさんとのレベルの差がわからないの?」

 

 

 スターリーの薄暗い店内が、今度こそ完全に、冷酷な静寂によって静まり返った。

 やみは少女たちの悔しさを嘲笑うかのように、淡々と残酷な正論を紡ぎ続けた。

 

 

「ギターヒーローさんが合わせるのが下手なのは、経験不足なだけ。場数こなせばすぐに本来の実力出せるから。そうなった時、ついていけなくなるのは…【結束バンド】なのよ」

 

「「!!」」

 

 

 虹夏は悔しさと情けなさに涙ぐみながら、爪が手のひらに食い込むほど拳を強く握りしめた。

 喜多は自分の無力さを突きつけられて唇を噛み、綺麗な目を大きく潤ませた。

 

 

「でっ…でも!あたしたちだって本気だよ!!毎日練習してるし、ぼっちちゃんのギターがすごいのは認めるけど…【結束バンド】はみんなで…ぼっちちゃんだけじゃなくて、みんなでがんばってるんだから!」

 

「そっそうです!私…歌もギターもまだまだだけど…!ひとりちゃんと…みんなと一緒にステージに立ちたいんです!」

 

 

 剥き出しの若さと熱量で紡がれた必死の反論。

 けれど、やみはスマホの画面を滑らかにいじりながら、その健気な純粋さを煽るように冷たく鼻で笑った。

 

 

「ただの感情論ですね〜♡…じゃあ具体的に指摘するわ」

 

 

 やみはそれまでの小悪魔的なトーンを完全に捨て去り、指を一本立てて虹夏に向けた。

 

 

「まずドラム。基本には忠実だけど応用が効かない。テンポが少しずれただけでテンパってミスが目立つ。さっきのライブでもリズムが崩れた瞬間、顔が真っ青になってたでしょ?フィルインのタイミングがいつも遅れてバンド全体の流れを止めてるし、バスドラムのキックが弱くて土台がグラグラ。ハイハットのオープンクローズも雑でシャープさがなくて全体がぼんやりした印象。ドラムってバンドの土台なのに、あんなに不安定じゃ話にならないんだけど?土台がグラグラしてたら、建物倒れちゃいますよね〜♡♡♡」

 

「…ッ!!そ…それは…」

 

 

 普段はバンドを明るく引っ張る虹夏だったけれど、プロの音楽ライターとしての冷酷で的確すぎる指摘に、正面から涙目になりながら反論の言葉を完全に詰まらせてしまった。

 そんな折れかけた虹夏の姿に一瞥もくれず、やみは楽しげに次の標的である喜多へと指先を向けた。

 

 

「次にギターボーカル。バッキングはお粗末。コードの押さえ方にストロークのタイミング、どれも雑。ストロークのダウンアップが不規則でリズムが揺れるし、コードチェンジのタイミングがいつも0.5拍遅れてバンドのグルーヴを崩してる。ギター何年目か知らないけど、ライブに来た客にはそんなもん関係ないのよ。上手いか下手か、気持ちいいか気持ち悪いか、ただそれだけ。……で、肝心の歌は……酷いの一言に尽きますね〜♡♡」

 

「…ッ!」

 

「ボーカルはバンドの顔で花形だってのに…音程が不安定。高音になると息が続かなくて声が裏返る。低音は息が浅くて響きがない。感情は乗せようとしてるけど、テクニックが追いついてなくてただの叫び声。ビブラートが浅くて音がフラットに聞こえるし、息継ぎのタイミングが悪くてフレーズの途中で切れちゃう。ハーモニー入れるところも他のメンバーと音程がズレて、不協和音みたい。………こんなのがギターヒーローさんと一緒に演奏するなんて、烏滸がましいにもほどがあんだけど?」

 

 

 【NEW GLORY】のあの神がかった絶対的な音楽を浴び続けてきたからこそ、やみの放つ酷評の解像度は、ぐうの音も出ないほどに容赦なく、そして的確だった。

 歪んだ承認欲求を隠そうともせず、目の前の女子高生たちのプライドを粉々に粉砕するために煽るように吐き捨てられた、冷酷な言葉のナイフ。

 

 やみのあまりにも容赦のない剥き出しの酷評の前に、喜多はそれ以上言葉を返すこともできず、その大きな瞳に大粒の涙をいっぱいに浮かべて、情けなさからただただ無力に俯いた。

 

 

「…そんな……ひどい」

 

 

 やみは傷つき立ち尽くす少女たちの姿を見下ろしながら、自身の鋭い鑑識眼を誇示するように肩をすくめて冷酷に言葉を続けた。

 

 

「ギターヒーローさんは世界全体で見ても上位のギタリストなのよ?それこそ【NEW GLORY】の楽器隊にも着いていける実力だし。あのNaokIの隣に立っても遜色ない。なのにこんな学生に毛が生えた程度のバンドに埋もれてるなんて、宝の持ち腐れですよね〜♡♡」

 

「唯一文句がないのはベースだけ。演奏も安定してるし、ドラムがミスったら即座に対応して、バンドの屋台骨としてちゃんと機能してたから…これだけは評価できる」

 

 

 【結束バンド】の存在そのものを根底から否定する冷酷な宣告に、スターリーの空気は今度こそ完全に凍りついた。

 自分の求めるバズるゴシップとギターヒーロー単体の才能だけを確認できたやみは、手元のスマホをポケットにしまいながら、彼女たちの絶望を面白がるように薄笑いを浮かべて肩をすくめた。

 

 

「まぁそういうことなんでwwさっさと別のリードギター探して、仲間内でワイワイお遊びバンドしてたら~www高校生の文化祭レベルで楽しんでれば、それで十分ですよ〜wwwww」

 

 

 その容赦のない、そして的確すぎるがゆえに逃げ場のない侮蔑の言葉が、リーダーである虹夏の胸の奥へと深く、鋭く突き刺さった。

 

 お姉ちゃんのためにこの場所を守り、みんなでいつかプロになって世界を目指すと誓い合った、あの嵐の夜の誇り。

 

 それが目の前のたった一人の大人によって、お遊びのゴミだと切り捨てられたのだ。

 

 虹夏は涙ぐみながら強く強く握りしめていた拳の力を、絶望のあまりゆっくりと緩めた。

 

 そして──堪えきれなくなった大粒の熱い涙が、その大きな瞳からポロポロとこぼれ始めた。

 

 

「……あ…あぁ……わああああああ!!」

 

「伊地知先輩…!!」

 

 

 虹夏はこみ上げる嗚咽を遮るように両手を顔に覆って、フロアの真ん中で細い肩を激しく震わせた。

 悔しくて、悔しくて、涙がどうしても止まらない。

 彼女の指の隙間から、ぽろぽろと零れ落ちた涙が冷たいコンクリートの床へと落ちていく。

 

 その痛々しい姿に、喜多は慌てて虹夏に駆け寄って、壊れ物を守るように優しく抱きしめた。

 

 

「ひっ……ひぅ…!」

 

「伊地知先輩……うぅ…」

 

 

 だが、そうやって虹夏を必死に支えようとしている喜多自身も、その綺麗な目が真っ赤に潤んでいた。

 大好きな【結束バンド】を侮辱された情けなさに、必死に涙を堪えようとしてるが、一度決壊した涙が止まらない。

 

 

「ジカちゃん…喜多ちゃん……」

 

「あの人…いくらなんでも言い過ぎじゃ……」

 

 

 近くでずっと事の成り行きを固唾をのんで見守っていた、ファン1号と2号の二人も、悲痛な表情で肩を寄せ合う虹夏と喜多を心配そうに見ていた。

 

 

「………さすがに、度が過ぎますね」

 

「もう限界だ…あいつ許さねェ…!」

 

 

 インディーズの厳しさを知るPAさんであっても、この一方的な言葉の暴力にはその目を険しく細め、怒りを露わにする。

 そして誰よりも妹を大切に想い、その夢のステージとしてこのライブハウスを創り上げた店長の星歌は、ついにカウンターの天板を激しく叩いて立ち上がった。

 

 ライターの取材という枠を完全に一線超えたと判断したのか、凄まじい怒りの表情をその顔に宿して、やみに向かって力強く近づこうとした。

 

 

「オイ!お前いい加減に……!」

 

 

 その時───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきからなに好き勝手言ってんの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまでずっと沈黙を貫いていたはずのリョウが、ゆっくりと前に出た。

 リョウはそのままやみの真正面へと歩み寄って立ち止まり、その切れ上がった瞳で、凍りつくほど冷たくやみの顔を見据えた。

 

 

「!リョウ……!」

 

「リョウ先輩………!」

 

「山田…!お前今までどこに……」

 

「店長は黙ってて」

 

「な〜に?あなたも文句言いたいの?でも残念♡もう引き抜きは確定事項だから……」

 

 

 

 

「ぼっちは絶対渡さない」

 

 

 

 やみがその無礼な物言いに何か言い返そうとしたが、リョウは相手に言葉の隙すら与えず、静かに、でもコンクリートの底から響くような地鳴りの如き力強さでそう言い放った。

 そして、リョウは先ほどまでのひとりとの一連のやりとりを思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やみの酷評がスターリーのフロアに重く響き渡り、全員がそれぞれの思いを抱えて固まっていた、まさにその最悪の瞬間のこと。

 沈黙を貫いていたリョウは周囲の空気に流されることなく、ゆっくりとした足取りで怯えるひとりの元へと近づいた。

 

 

『…ぼっち。ちょっとこっち来て』

 

『えっ…?あっはい』

 

 

 ひとりは驚いて顔を跳ね上げ、恐る恐るリョウの静かな背中の後について、フロアの喧騒から逃れるように楽屋の奥へ向かった。

 重厚な防音構造の楽屋のドアが静かに閉まると、外のやみの嘲笑は一瞬で遮断され、完全な静寂が訪れる。

 リョウは振り返ると、ひとりを正面から真っ直ぐに見つめた。

 いつもと違うただならぬリョウの真剣な気迫に、ひとりはびっくりして身体を小さく震わせた。

 

 

『あっあの……リョウさん…』

 

『さっきのライターの話、ぼっちはどうするの?』

 

『!!』

 

 

 リョウの口から放たれた、静かに、でもはっきりとした、核心を突く残酷なまでの問いかけ。

 大人の言う通りにすれば、プロの道もメジャーデビューも約束される。

 

 だけどそれは、大好きなみんなを切り捨てることを意味していた。

 

 ひとりの顔は一瞬で苦悶に歪み、全身が細かく震え、前髪の奥の瞳がみるみるうちにうるうると潤んでいく。

 喉の奥が詰まってしまい、どうしてもまともな言葉が出てこない。

 せっかく掴み取った居場所が、今にも壊れてしまいそうな恐怖から、大粒の涙がポロポロと頬を伝ってこぼれ始めた。

 

 

『あっ……あの…!リョウさん……!わっ私は…』

 

『ぼっち』

 

 

 リョウは、そんなひとりの肩にそっと手を置いた。

 いつもはクールで無表情なリョウの目が、今日ばかりは驚くほど柔らかく潤んでいた。

 

 そして、いつもとは違う優しい声で静かに語りかけた。

 

 

『台風ライブのこと、覚えてる?…周りの士気が下がってたこと。虹夏はテンパって、郁代もギターや歌がズレて…私じゃどうしようもできなかった』

 

『そんな状況を…ぼっちが打開してくれた。あのギターソロで…みんなの心を取り戻してくれた。【結束バンド】が一つになれたのは………ぼっちのおかげだよ』

 

 

『私にはできなかった。本当にありがとう』

 

 

 リョウは一人の表現者として、そして一人の仲間として、胸の奥に秘めていた絶対的な感謝のすべてを言葉にすると、ひとりの目の前で静かに、深く頭を下げた。

 ひとりは涙を拭うことすら忘れ、ただただ大粒の涙をこぼしながらリョウを見た。

 

 

『………リョウ……さん…』

 

 

 リョウは下げていた頭をゆっくりと上げると、ひとりの濡れた瞳を真っ直ぐに見つめ、その不器用な歩みの全てを肯定するように優しく言葉を続けた。

 

 

『初ライブも…人見知りなのに、勇気を出してステージに上がってくれて、虹夏を支えてくれた』

 

『そして、郁代と再会した時も…ぼっちは郁代の努力をちゃんと見て、自分の気持ちを伝えて、そして郁代の気持ちをちゃんと受け止めた』

 

 

『…ぼっちがいなかったら……【結束バンド】はなかったかもしれない』

 

 

 孤独の中でギターを弾き続けるしか能がなかった自分。

 

 社会の隅っこで誰にも見つけられずに消えていくはずだった自分。

 

 そんな自分の音が、虹夏を、喜多を、そして目の前のリョウの心と人生を、確かに繋ぎ止めていたのだ。

 

 ひとりの胸の奥に、かつてないほどの激しい感動の地鳴りが押し寄せ、もう涙が、どうしても止まらなくなった。

 リョウは、取り乱して泣きじゃくるひとりの肩を包み込むように、どこまでも優しい目線をひとりに向けた。

 

 

『…もしぼっちが【結束バンド】を抜けるなら…私は受け入れる。ぼっちの才能は、もっと大きなステージで輝くべきだと思う』

 

『どんな選択をしても…私はぼっちを応援する。絶対…ぼっちの味方だ』

 

 

 メジャーへの切符。

 

 150万人の登録者を背負うギターヒーローとしての栄光のプロデビュー。

 

 もしそれを望むなら、自分たちのためにその翼を折るような真似はさせない。

 かつて売れるために必死になって、一足先にメジャーの残酷さに触れてバンドを脱退してきたリョウだからこそ、その言葉には、ひとりの未来を本気で想う冷徹なまでの誠実さが詰まっていた。

 

 リョウはそっとひとりの肩から手を離すと、彼女自身の本当の意志を問うように、静かに、けれど強く問いかけた。

 

 

『だから、教えて?

 

 

 

 

ぼっちはどうしたい?』

 

 

 

 

『…………わっわたし……!』

 

 

 

 

 ひとりは、胸を締めつける激しい嗚咽を漏らしながら、必死の形相で何度も何度も大きく首を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『…嫌です……!

 

 【結束バンド】から…離れたくない…!

 

 みんなとずっと…一緒に居たい…!

 

 虹夏ちゃんと…喜多ちゃんと…リョウさんと…!

 

 私はぼっちで…!

 

 ギターヒーローじゃなくて…!

 

 みんなと一緒に…音楽がしたい……!

 

 

 うわあああああ…!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段は大きな声なんて絶対に鳴らせない、どこまでも控えめで内気なひとりが、人生で初めて感情の全てを我慢できずに爆発させ、ボロボロと大粒の涙を溢れさせて激しく号泣した。

 

 暗闇の中で、承認欲求にまみれたギターヒーローという仮面を被り、ただチヤホヤされることだけを夢見ていた過去の自分。

 

 けれど、下北沢で出会った仲間たちの方が、ネットの称賛なんかよりも何百万倍も温かかったのだ。

 

 ひとりは子供のように声を上げて号泣しながら、自らの意志で、リョウの静かな胸の中へとがむしゃらに顔を埋めた。

 

 リョウはいつになく愛おしそうな微笑みを浮かべながらひとりの身体を優しく、強く抱きしめた。そして、自分の服を涙で濡らすひとりの頭を優しく撫でた。

 

 リョウはひとりを心の底から安心させるような、どこまでも静かで、絶対的な確信に満ちた声音で静かに呟いた。

 

 

 

 

『ぼっち、教えてくれてありがとう。…あとは私に任せて』

 

 

 

 

 そのあと、泣きじゃくるひとりの身体をゆっくりと優しく引き離すと、リョウは手にぐっと力を込め、やみが待つあの凍りついたフロアへと向かって真っ直ぐに歩き出した。

 

 その時、涙を拭いながら楽屋の入り口で見つめていたひとりの瞳には、フロアのアウェイの光の中へと堂々と進んでいくリョウの広い後ろ姿が──

 

 

 大好きな父親と同じくらい、頼もしく──心強いと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽屋裏でのひとりの涙と決意をその背中に完璧に背負い、リョウはやみに向かって淡々と、でも一歩も引かない毅然とした態度で言い放った。

 

 

「もしぼっちが引き抜きの話を受け入れるなら、私は黙って見送った。才能ある奴がもっとでかい舞台に行くのは当然のこと。でも…」

 

 

 リョウは一歩踏み出して、やみを真正面から見据えた。

 

 

「ぼっちは【結束バンド】にいたいと…はっきり自分の意思を伝えた。なら外野が何を言おうと絶対に渡さない」

 

 

 インディーズの冷酷な現実を、商業的な打算を、女子高生の頑強なプライドが完全に叩き潰した瞬間だった。スターリーの店内が、息を飲むような緊迫感によって再び静まり返った。

 リョウは、楽屋の入り口で目を腫らしているひとりの方をちらりと見て、その絆を確かめるように言葉を続けた。

 

 

「ぼっちは私たちにとって、かけがえのない存在だ。ギターヒーローだろうがなんだろうが関係ない。ぼっちが弾く音が【結束バンド】の音だ。いきなり現れて、いい加減な態度で私たちをあしらうような…そんな得体の知れないフリーライターなんかに、ぼっちは渡さない」

 

「…ッ!」

 

 

 「得体の知れないフリーライター」という、自らの痛いところを正確に射抜いたリョウの冷徹な正論に、それまで高みの見物を決め込んでいたやみはウッと息を詰まらせて少したじろぐ。

 その親友の男前すぎる背中に導かれるようにして、虹夏は溢れる涙を力強く拭うと、決然とした表情でリョウのすぐ隣に立った。

 目標を見失いかけていた喜多も、真っ赤になった涙目で一歩前に出た。

 二人はこれまでの悔しさを全て投げ打ち、大切な仲間を、自分たちの夢を繋ぎ止めるために、必死に頭を下げてやみに懇願した。

 

 

「確かに、今は実力不足かもしれない…!でもいつか…!ぼっちちゃんにも追いつけるようになるって誓う…!だから…ぼっちちゃんを連れてかないで!」

 

「お願いします!!私たちがんばるから…!ひとりちゃんを連れて行かないで!」

 

 

 二人はボロボロと涙を流し、プライドなんて全てドブに捨てて、ひたむきに頭を下げ続けた。

 スターリーのフロアに響き渡る、少女たちの悲痛なまでの叫び。

 そのあまりにも純粋で真っ直ぐな様子を目の当たりにしたやみは、さすがに一瞬、その冷酷な表情を曇らせた。

 

 

(なっなによ…!これじゃあ…私が悪者みたいじゃない!?)

 

 

 やみは一瞬だけ胸の奥に芽生えた罪悪感を必死に振り払い、今更引き下がれないと虚勢を張るようにして、ぶりっ子モードを維持しながら冷たく言い放った

 

 

「ふふ…可愛いですね〜♡でも、現実は厳しいですよ?ギターヒーローさんは【NEW GLORY】の楽器隊にも着いていける実力なんですから~☆こんなお遊びバンドに埋もれてるのは、もったいないんですよ〜?」

 

 

 その時───リョウがスマホを取り出した。

 

 リョウは表情一つ変えないまま淡々と、まるで明日の天気予報でも読み上げるかのような平坦な声で言い放った。

 

 

「ぽいずん♡やみ…本名は佐藤愛子。23歳。電話番号080-○○○○-○○○○。トゥイッターアカウントは@poison_yami。音楽雑誌の寄稿もしてるけど、最近はアクセス稼ぎのゴシップ記事がメイン。去年の夏に某地下アイドルのスキャンダル記事で炎上して、一時期仕事が減った。今は復活したけど信用は地に落ちてる。…そんなやつが他人に指図する資格あるの?」

 

 

 その場にいる全員が耳を疑うような、容赦のない生々しい個人情報と過去の黒歴史の暴露。

 さっきまで勝ち誇ったように笑っていたやみの顔面は、まるで血の気が一瞬にして凍りついたかのように、言葉を失って真っ青に青ざめた。

 

 

「……………え……?」

 

「ライブ前 ぼっちにダイブの話してた時に、もらった名刺見てスマホで色々調べてた。そしたらこんなに情報がわんさか。よっぽどアンチが多いみたいだね」

 

「えっえっ?ちょ…ちょっと待っ……!」

 

 

 さっき秀華高校で事情聴取された恐怖がフラッシュバックし、やみは完全に防衛ラインを崩壊させてパニックに陥る。

 しかし、リョウの冷徹な追撃は止まらない。

 彼女は感情を一切排した無表情のままスマホを耳元に当て、一切の躊躇なく通報するふりをして、冷たい声をロビーに響かせた。

 

 

「もしもし警察ですか?下北沢のライブハウスで、不法侵入とストーカー行為の疑いのある女がいます。住所は世田谷区下北沢……」

 

 

 秀華高校の先生たちに「次は警察に通報する」と脅された直後のタイミングでの、最悪のリアル通報(フェイク)。

 やみはそれまでの音楽ライターとしてのプライドも、14歳(自称)のぶりっ子設定も全て木っ端微塵に吹き飛ばし、ギャグ漫画のように顔のパーツをこれ以上ないほど歪みまくりに歪ませながら、フロア全体に響き渡る声で大絶叫した。

 

 

「ぎゃああああああああああ!!!!やめてぇぇぇぇ!!!マジで通報しないでぇぇぇ!!!!」

 

 

 やみは完全にパニックに陥り、涙目で慌てて後ずさりしながら、出口である地上のドアに向かってフロアを脱兎のごとく走った。

 地下階段の寸前まで逃げ延びたところで、未だ捨てきれない執念から一度だけガバッと振り返り、恐怖に震える猫なで声でひとりに向かって言った。

 

 

「…ギ、ギターヒーローさぁ~ん…♡…さっきの話、考えといてくださいね~…♡♡……こんなところでうだうだやってると、あなたの才能腐っちゃいますよ」

 

「はい。なので至急パトカーを…」

 

「帰る帰るぅ!ごめんなさい!あばよ☆」

 

 

 最後の最後まですれ違った【結束バンド】のメンバーたちに、あからさまに皮肉るように吐き捨てたやみ。

 しかし、一瞬の容赦もなく即座に通報の振りをするリョウの冷たい声を鼓膜に受け、やみは悲鳴を上げながら、今度こそ完全に逃げるようにスターリーの階段を駆け上がり、地上へと出て行こうとした。

 

 

 その時──── ドアが開いた。

 

 

 勢いよく階段を駆け上がろうとしたやみの目の前、外から入ってきたのは、帽子を深く被った中肉中背の男。

 完全に前方を不注意のままパニックで猛ダッシュしていたやみは、その入ってきた男の胸元へと、正面から勢いよくぶつかった。

 

 

「あっ…すみません」

 

 

 衝突の激しい弾みで、男の頭に深く被せられていたはずの帽子が、頭上からポロリと床の上へと落ちた。

 急に目の前を遮られ、激しい衝撃に突き飛ばされそうになったやみは、痛む額を押さえながら、反射的に文句を言おうと怒りの形相で顔を上げた。

 

 

「痛ッ!ちょっと〜!気をつけ──」

 

 

 次の瞬間、やみの瞳の輪郭が、世界がひっくり返ったかのような信じられない驚愕によって極限まで見開かれ、目の前の相手の顔に完璧に釘付けになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、やみが世界一愛してやまない【NEW GLORY】のNaokIがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………え?」

 

 

 

 

 

 衝突した衝撃よりも、網膜が捉えたそのあまりにも現実離れした映像の質量に、やみの頭の中は一瞬にして真っ白になった。

 

 だが、次の瞬間──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やみの引き裂くような大絶叫が、防音壁を激しく震わせながらスターリー全体へと響き渡った。

 

 それはさっきリョウに本名や個人情報を晒されて泣き叫んだ時とは文字通り比べものにならない、肺が物理的に破裂しそうなくらいの、魂の底からの悲鳴に似た叫び声だった。

 さすがに店内でこれほどの大騒ぎを繰り返されては営業妨害だと、星歌はカウンターを乗り越えて飛び上がるようにして激しい怒りの表情で注意しようとした。

 

 

「いい加減にしろよお前!!!マジで通報するぞ──って…え?」

 

 

 不審者へ向くはずだった星歌の視線が、落ちた帽子の下から露わになった男の素顔を視界に捉えた瞬間、完璧にNaokIに釘付けになり、大興奮と大パニックで星歌自身も絶叫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………えっ!!??えっ!!?えっ!!!??えっ!!!?え!!!??嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘だろ嘘だろ!!!!!?………わああああああああ!!!!うわあああああああ!!! ニュ…【NEW GLORY】のNaokIさん!?!?!?!?!? マジでマジでマジで!!!!!!!????」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星歌の取り乱しっぷりに連動するように、残りの【結束バンド】のメンバーたちも、頭を金槌で殴られたかのように完全に凍りついた。

 

 

「……え?」

 

「…【NEW GLORY】の…NaokI?」

 

 

 虹夏と喜多はあまりの超展開に、完全に思考が固まる。

 

 リョウですら、持っていたスマホを落としそうになるほど両目を見開いて驚愕した。

 どんな状況でもポーカーフェイスを崩さず、いつも静かに虚空を見つめているリョウの瞳が、これまでの人生で初めて、衝撃のあまりガタガタと激しく揺れた。

 

 

「…NaokI?」

 

 

 ドリンクカウンターのすぐ横にいたファン1号とファン2号の二人も、スマホを床へ落としそうになりながら、声を揃えて大絶叫した。

 

 

「【NEW GLORY】!?嘘ッ!?本物!?」

 

「【NEW GLORY】って私でも聞いたことあるよ!え!?なんでここに!?」

 

 

 音響卓の前に立っていたPAさんも、あまりに現実離れした出来事の連続に脳の処理速度が完全に追いつかなかった。

 

 

「あれ?今私、夢の中でしたっけ?」

 

 

 店内が、一瞬で大パニックになった。

 さっきまでやみが冷酷に言い放っていた「お遊びバンド」「ついていけなくなる」「ガチじゃない」なんていう辛辣な酷評の残響など、世界の王者の降臨という文字通り神の領域の衝撃によって、全てが一瞬にして綺麗に吹き飛ぶほどの凄まじい熱量。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてひとりは、父の姿を見てほっとして。

 

 

 ───つい、言ってはいけないことを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっお父さん…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時が、完全に停止した。

 

 全員の視線が、一斉にひとりに向かった。

 

 

「…え?」

 

「…お父…さん…?」

 

「ひとりちゃん…今…なんて…?」

 

「ぼっちちゃん…今NaokIさんに…」

 

「ギターヒーローさんのお父さんが…【NEW GLORY】の…………NaokI…?」

 

 

 虹夏が、リョウが、喜多が、星歌が、そして目の前のやみが、網膜が捉えた二人の輪郭を交互に見つめながら、一音一音を恐る恐るなぞるように呟く。

 

 

「…………え…?……………?………あっ!!!!!」

 

 

 自分が全世界を揺るがすトップシークレットをうっかり口走ってしまったことに気づき、ひとりは涙目で慌てて両手で自分の口を強く押さえた。

 

 そして、落ちた帽子を拾い上げようとしていた直樹も、最悪の失言を察知して、大慌てでその会話に割って入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっ!ひとり!!ここでお父さん呼びはまず──あっ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──終わった。

 

 

 娘をフォローしようとした自らの口から、決定的な肯定の言葉が漏れ出た瞬間、直樹は(あっやらかした)と内心で頭を抱え、完全に墓穴を掘った。

 

 その刹那、この空間にいる全員の脳内で、これまでの全ての不審な記憶のパズルが一瞬にして、凄まじい速度でカチリと音を立てて繋がった。

 

 

 ひとりの家の金持ち具合。

 

 設備の整った地下スタジオ。

 

 後藤家にあった【NEW GLORY】のCDやDVDにBlu-ray、海外限定配布のCDと廃盤CDの在庫の山。

 

 NaokIそっくりのギターテクニック。

 

 

 そして───

 

 

 ひとりの慌てて口を押さえる不審な反応。

 

 世界一の神秘性を保っていたはずのカリスマの口から放たれた「お父さん呼びはまずい」というNaokIの発言。

 

 

 その全ての点と線が繋がり、これは妄想でも見間違いでもない、紛れもない『本物の現実』だと全員の脳が完全に理解した、まさにその瞬間。

 

 

 

 

 店内が、今までにないくらいの大絶叫に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、スターリー開店以来、一番の騒ぎだったのは言うまでもない。

 

 




ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!

今回の話は書いてて一番楽しかったです。
ここまで溜めて溜めて解放した甲斐がありました。
…ただ、ぽいずん♡やみにヘイト向けすぎてしまったことは、割とガチで反省してます。
割と上位クラスで好きなキャラなのにやりすぎてもうた…でも書いてる時に悪口が出るわ出るわで、自分も書いてて楽しかったし、やめられない♪止まらない♬かっぱえびせん状態になってしまった…
ヘイト管理もっとちゃんとして、どっかで清算させないと…
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