娘のバンドと対バンしたい   作:肉野郎

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 いよいよ【結束バンド】の新曲『グルーミーグッドバイ』のレコーディングがスタートした。

 直樹は、コントロールルームのSSLアナログコンソールの前にどっしりと腰掛け、プロ用のトークバックマイクを引き寄せると、ガラスの向こうのライブ・ルームへ向けて、これ以上ないほど冷徹で冷静な指示を出した

 

 

『順番はドラム→ベース→ギター→ボーカル順に撮るから、まずは虹夏ちゃんのドラムパートから。セッティング終わったら、ヘッドホン付けてスタンバイして』

 

「はい!」

 

 

 虹夏は興奮による武者震いを抑えながら、ドラムセット前に座り、各シンバルの位置やスネアのテンションを軽く叩いて厳密に調整した。

 スティックを両手に強く握りしめ、高解像度のモニターヘッドホンを耳にしっかりと装着すると、レコーディングシステムを通じて、直樹の声が鼓膜へと入ってきた

 

 

『虹夏ちゃん、準備OK?』

 

「はい!いつでも行けます!」

 

『OK。じゃあ…カウント入れるよ』

 

 

 虹夏はゆっくりと深く深呼吸をして、そっと自らの目を閉じた。

 視界が真っ暗になったその瞬間、頭の中に鮮烈によぎったのは、あの東京ドームの打ち上げでKyoyaから授けられた、あの門外不出の極秘データとアドバイスの数々だった。

 

 

(手首を返して、叩く意識……)

 

(キックは先頭を切る…)

 

(グルーヴは体で感じて…)

 

 

 虹夏は、Kyoyaの言葉をそっくりそのまま真似するのではなく、自分なりに完璧に噛み砕いて内臓へと消化しきった本物の技術論へと辿り着いた。

 世界の頂点の教えをバンドの『絶対的な土台として』優しく受け止め、そこへ、自分たちがこの4人で世界の頂点へ行くのだという剥き出しの感情と、鋭いリズム感をこれでもかと熱く乗せた。

 

 だからこそ──彼女の心は、驚くほど自然に、深く落ち着いていた。

 

 

『1、2、3、4──スタート』

 

 

 クリック音の直後、虹夏はスティックを振り下ろし、カウントが入った瞬間──覚醒を遂げたドラムパートを全力で叩き始めた。

 

 スティックがハイハットシンバルに鋭く落ちる瞬間、一音の曇りもないシャープな「チッ」という極上の打撃音が、完全に調音された防音ブースに響き渡った。

 

 オープンクローズの切り替えタイミングはコンマ0.01秒のタイムラグすらなく完璧で、ハイハットのエッジがアリーナの空気を引き裂くように鋭く、変拍子が絡み合う16ビートの極めて細かいダイナミクスのニュアンスを、微妙な指先の力加減だけで鮮やかに表現していく。

 

 リズムの核となるキック(バスドラム)は、Kyoyaの言葉通りに、右足のヒールダウン奏法によってアンサンブルの先頭を鋭く切り裂き、大口径のヘッドが地の底から低く唸るように地鳴りを立てて激しく振動し、防音ブース全体をビリビリと震わせる。

 

 スネアドラムの放つ強固なバックビートは、完全に手首のスナップをプロの角度で利かせたことで「パン!」と乾いたこれ以上ないほど音抜けの良い音を叩き出し、一打ごとに正確なリムショットの強力なアクセントを加えて、単調なリズムへ圧倒的なプロの深みを出す。

 

 タム回しのフィルインにおいては、左手の細かなロールの連打を滑らかに繋げ、それを右足の強烈なキックと完全に同期させてバンドのグルーヴを爆発的に強調──荒れ狂うような熱い感情を乗せながらも、タイム感はまるで精密な機械のように1ミリもブレない狂気的なまでの精度を維持していた。

 

 クラッシュシンバルは、あえてジャストのタイミングからコンマ数秒ずらして「シャーン!」と空間に広がる極上の余韻を100%コントロールし、これほど叩きまくっているにもかかわらず、全体のリズムが微塵も揺るがない。

 

 そして虹夏の体は自然と揺れ、心の底から楽しんで叩いているのが、汗の飛び散る様子や、口元の緩んだ笑みから伝わってくる。

 無音換気システムに守られたブース内のNeumann U67マイクが、その魂を刻んだ最高の一打一打を余すことなく忠実に捉え、最高峰のコンバーターを経てコントロールルームのPro Toolsへと送り込んでいく。

 

 

 直樹は、コントロールルームでフェーダーを微調整しながら(…すごいな、この子は。ただの高校生のレベルじゃない)と、静かに感心していた。

 

 Kyoyaの教えをただ真似して縮こまっているのではなく、虹夏自身の感性で完璧に昇華させ、世界に一つしかない自分だけの最強のプレイスタイルを確かに築き上げている。

 それは単なるテクニックの向上などではない。一人のドラマーとしての生涯消えない個性の芽生えの瞬間だった。

 

 楽曲のラスト、シンバルの余韻が完全にフェードアウトして1曲目の録音が完璧に終わると、直樹はトークバックマイクのボタンを押し、マイク越しに声をかけた。

 

 

『虹夏ちゃんOKだ。まだまだ荒削りだけど、ドームのサウンドチェックの時より、テクニックも格段に向上してるし…何より安定感がすごい。それに心の底から楽しんで叩いてるのが、音に乗ってる。バンドの土台として…相応しくなってきたよ』

 

 

 NaokIから贈られた、これ以上ないほど重く、熱い本物のプロとしての最大級の合格点。

 虹夏はヘッドホンをそっと外して、嬉しさと興奮のあまり耳の裏まで真っ赤に染め上げながら、拳を胸の前でぎゅっと強く握りしめた

 

 

「NaokIさん、ありがとうございます!私、もっともっとがんばります!最高のドラムで…【結束バンド】を支えられるように!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 虹夏のドラムパートが完璧に録り終わり、直樹はコントロールルームのコンソールで吸い込まれた波形を最終確認しながら、満足げにマイクのトークバックボタンを押した。

 

 

『次はベースパートだ。リョウちゃんはブースに入って、スタンバイしてくれ』

 

 

 リョウは無言でケースから長年連れ添った愛機のFender・Precision Bassを取り出し、重厚な防音扉を開けて完全デッドなISOブースへと移動した

 レコーディングブースの椅子に座り、Darkglass Infinity のプリアンプヘッドを、目の前にあるAmpeg SVT-CL+810Eキャビネットに滑らかに接続する。

 シールドを通じて通電音が小さく響く中、RoÉから直々に叩き込まれたアドバイスが、頭の中で何度もリプレイされる。

 

 

(親指の角度を80度近くまで立てて、手首をスナップ…)

 

(タッピングの指の独立性…B弦からG弦まで素早く移動する時は指を浮かせる意識……)

 

(中域を800Hz〜1.2kHzでピンポイントブースト…低域は100Hz以下をカット……)

 

 

 リョウは4弦から1弦までを軽く爪弾いてピッチのチューニングを厳密に確認し、ヘッドホンを装着した。

 ガラスの向こうから、直樹のカウントが入る。

 

 

『リョウちゃん、準備OK?』

 

「はい。大丈夫です」

 

『じゃあ始めるよ。1、2、3、4──スタート』

 

 

 ベースの弦に親指が触れた瞬間、リョウのプレイスタイルが爆発した。

 

 スラップを繰り出した瞬間のポップ音は爆発的にクリアで、親指をネックに対してほぼ垂直の80度へと立て、手首を鋭く内側へスナップさせて叩く意識が、RoÉの教えを完璧に体現していた。それでいて、ただの模倣には決して留まらない、リョウ独自の「音の柔らかさと鋭さの両立」という極上のニュアンスが、音の粒立ちに贅沢に加えられていた。

 

 音響補正も完璧だった。低域は100Hz以下をすっきりとカットしてクリーンな音像を保ち、中域の800Hz〜1.2kHzをピンポイントでブーストした音が、突き抜けるような極上のキレで抜けていく。

 

 タッピングのフレーズでは、薬指と小指の独立性が飛躍的に向上し、B弦からG弦への高速移動で指を「浮かせる」意識が完璧に機能。

 指先が弦を叩くたびに「ポンッ!ポンッ!」と鋭く、しかし感情を乗せたニュアンスが乗る。

 

 スラップとタッピングを織り交ぜたソロパートでは、RoÉのクールでテクニカルなスタイルを基盤に、リョウの「静かな情熱」が加わり、音に深みと緊張感が生まれていた。

 親指と人差し指のダブルポップで爆発的な連打を繰り出し、指がネックを駆け上がる瞬間、ブース全体が低域の振動で震えた。

 

 全体として、以前の動画では感じられなかった「存在感」と「情感」の融合──スラップの切れ味はプロ級に鋭く、タッピングのスピードは1.5倍以上高速化し、ベースラインがバンドの「心臓」として機能している。

 

 リョウ自身も、指が弦を弾いてアンプが鳴るたびに、これまでの人生で一度だって感じたことのないような凄まじい手応えをリアルタイムで感じ、口角が自然と嬉しそうに上がっていた。

 

 

(…この感覚、今までにない感覚だ…!私も成長してる…!)

 

 

 直樹はフェーダーを滑らかに微調整しながら、そのヘッドホンから伝わってくる音圧に、静かに驚愕していた。

 

 元々上手かったリョウの実力が、このわずか4ヶ月の間でスタジオミュージシャンクラスまで跳ね上がっている。

 RoÉにもらったことをどんどん吸収して、彼女自身のプレイスタイルへと完璧に昇華させていた。テクニックのタイム精度の高さはもちろん、アクティブEQの細かな音色のコントロール、グルーヴの圧倒的な深さ、そして音に宿る感情の乗せ方──全てがプロの域に達していた。

 

 ベースパートの録音が完璧なカタルシスを伴って終わると、直樹はトークバックのボタンを押し、マイク越しに静かに、しかし地鳴りのような力強さをその声に込めて言った。

 

 

『リョウちゃんもOKだよ。動画でも元々センスがあったけど…今はもうスタジオミュージシャンの域に入ってる。RoÉの教えをただ真似したんじゃなく、自分なりに噛み砕いて昇華させてる。音の抜け方、グルーヴの深さ……全部がバンドを支えてる。今までにない手応え……感じてるだろ?』

 

「はい。今までにない手応えを感じました…」

 

 

 リョウはそっとモニターヘッドホンを外して、愛用のベースをジャージの膝の上に優しく置いた。

 普段のクールな無表情が幸福感で綺麗に崩れ、その前髪の隙間から、世界の頂点に認められた一人の表現者としての、珍しく小さな、誇らしげな笑みが確かに浮かんでいたのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

『よし……次はひとりのギターパートだ。ブースに入ってスタンバイしてくれ』

 

「うん」

 

 

 ひとりは愛機であるSchecter・PA-SXを両手でしっかりと手に取り、静かにレコーディングブースへ移動した。

 普段はコミュ症で人見知り、外部のスタジオなら緊張で指が震えるはずだったが──今回は違う。

 ここは、物心ついた頃から慣れ親しんできた自宅の地下スタジオ。

 そして、大型の透明防音ガラス越しに見えるのは、自分を世界一愛し、世界一その才能を信じてくれているお父さんただ一人だけ。

 プレッシャーをかけてくる外部の人間は、ここには一人もいない。

 6面全てが防音材で完全に遮断されたISOブースのデッド空間は、外の雑音を一切シャットアウトしており、ひとりはまるで自分の部屋に閉じこもっているかのような、絶対的な安心感に包まれていた。

 ひとりはSchecterを肩にかけ、深呼吸した。ヘッドホンを装着すると、NaokIの声が優しく耳に届いた。

 

 

『ひとり……準備OK?』

 

「あっうん。いつでも行ける」 

 

『よし。じゃあ…いつものギターヒーローの収録みたいに好きに弾いてくれ。……カウント入れるよ。1、2、3、4──スタート』

 

 

 ひとりは目を閉じ、指がネックのフレットに触れた瞬間、いつもの「ギターヒーロー」の収録モードに入った。

 トランス状態に入り、世界が消え、音だけが残る。

 

 

 Schecterの弦にピックが触れると、まずリフが爆発的に鳴り響いた。

 

 ピッキングの精度は異常で、右手のダウンストロークとアップストロークのバランスが完璧に取れている。

 左手は指板を滑るように移動し、ビブラートは深く、幅広く、感情を乗せた揺れを正確にコントロール。

 

 ベンドは半音から全音まで、ピッチがブレることなく、ターゲットノートにピタリと着地。

 変拍子パートではリズムの揺れを一切感じさせず、虹夏のドラムとリョウのベースに完璧に同期。

 

 ソロのクライマックスでは、タッピングとスウィープを織り交ぜ、指がネックを駆け上がる速度が人間離れしていた。

 感情が爆発する瞬間、ひとりは無意識に体を揺らし、口元が緩み、目が虚ろになる──完全に没頭していた。

 

 東京ドームでの【NEW GLORY】とのセッションの時よりも、さらに上手くなっていた。

 

 あの時は、NaokIのギターに追いつくために必死で全力で集中して弾き切ったが、今は余裕がある。指が弦を弾くたびに、音が「伸びる」感覚がある。

 

 ビブラートの深みが増し、ベンドの正確さがさらに研ぎ澄まされ、タッピングの連打はより滑らかで、感情の起伏を細かく表現できるようになっていた。

 

 リフの密度は、以前より1.2倍近く詰まり、音の粒立ちがクリアに抜ける。

 

 トランス状態の集中力は、ドームの時よりも長く持続し、疲れ知らずで最後まで感情を乗せ続けられた。

 

 音はただの「上手い」ではなく、心を直接抉るような表現力を持っていた。

 

 防音ブース内に厳密にセッティングされた、『Neumann U87 Ai』と『Royers R-121』の黄金比のブレンドが、その魂を刻んだ一音一音を忠実に捉え、最高級ケーブルを通じてコントロールルームへと送り込んでいく。

 直樹はお父さんとして、そして世界一のエンジニアとして、コンソールのフェーダーを滑らかに微調整しながら、スピーカーから溢れ出る愛娘の覚醒の音圧に、内心で凄まじい衝撃を受けて驚愕していた。

 

 

(…また上がってる。ドームの時より明らかに上手くなってる…ピッキングの精度、ビブラートの深み、ベンドのコントロール…全部が一段階以上上がってる。これでまだ成長途中って…大人になったら、本当に世界一のギタリストになるんじゃないか…)

 

 

 娘のギタリストとしての腕前が、自分の予想の枠を遥かに超えて天元突破の速度で伸びている。

 

 東京ドームのセッションの時点でさえ、すでにプロの第一線で飯を食える域に達していたというのに──彼女は今、そのさらに先へと孤独に突き進んでいるのだ。

 直樹は一人の父親としての無限の愛をその表情に湛え、静かに微笑みながら、トークバックマイクのボタンをグッと押した。

 

 

『ひとりも一発OKだ。トランス状態の集中力、感情の乗せ方、テクニックの精度……全部が桁違いだ。ドームの時よりも更に腕を上げたな…お父さん誇らしいよ』

 

 

 世界で一番大好きな、世界で一番リスペクトしているお父さんからの、これ以上ない最高の褒め言葉。

 それをイヤモニの奥で聞いた瞬間、それまでの別人格のギターヒーローの顔はどこへやら、ひとりの顔面は一瞬にしてフニャフニャと限界まで緩みきった。

 口元がニヤニヤと締まりなく上がり、大きな目が三日月のように可愛らしく細くなり、パジャマの頰が林檎のように赤く染まる。

 両手でSchecterを愛おしげに強く抱きしめ、椅子の上で小さくぴょこぴょこと跳ねるようにして全身で喜びを爆発させた。

 

 

「う…うへへ…お父さんありがとう…うへ…うへへへへ」

 

(……やっぱりひとりは世界一可愛いな)

 

 

 愛娘のそのあまりの愛らしさに、コントロールルームの奥でお父さんの親バカメーターも一瞬にして限界突破を記録する。

 

 だが──ひとしきり椅子の上でうへへと喜び散らかした後、ひとりはすぐに、キュッと自らの表情をプロの表現者として引き締めた。

 

 現状の進化に満足して甘える事なんて一切なく、【結束バンド】の4人で必ず世界の頂点へと這い上がるために、もっと、もっと上を目指そうと、心の中で強く、固く決心した。

 お父さんから贈られた最大級の褒め言葉は、彼女の魂にとってただの快楽などではなく、【NEW GLORY】といつか肩を並べるための、新たなる目標の烈しい火種になったのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 虹夏のドラム、リョウのベース、ひとりのギターが完璧に録り終わり、スタジオの空気が最高潮に達していた。

 

 

『よし…最後は喜多ちゃんのボーカルパートだ。ブースに入ってスタンバイしてくれ』

 

「はい!」

 

 

 喜多は拳を胸の前でぎゅっと握りしめて返事をすると、二重防音扉を開けて完全に遮音されたISOブースへと足を踏み入れた。

 ブース内は無音換気システムによって完全に静寂が保たれており、中央にそびえ立つ漆黒の最高級マイク『Neumann U87 Ai』の前で、自らの身長に合わせて正確に高さを調整した。

 スタジオ仕様のヘッドホンを耳にしっかりと装着し、目を閉じると、Lavielから直々に授かった、あの宝の山のようなレッスンメモの文字が、脳裏に鮮烈に何度も反芻される。

 

 

(息を吐きながら声を出すイメージ…)

 

(喉を開いて、お腹から声を出して…)

 

(ロングトーンは息を漏らす意識で…)

 

 

 この日のために、リップロールから母音練習にいたる発声練習のルーティンを毎日ストイックにこなし、今も特製のはちみつレモン水で声帯を優しく包み込んで温めた、まさに人生で最高峰の喉の状態。

 

 喜多の目には、どこにも迷いがなかった。

 

 むしろ、今の進化した自分の本当の実力を一刻も早くこの神のマイクに叩き込みたいと、フロントマンとしての胸の奥がウズウズと心地よく疼いていたのだ。

 虹夏の安定したドラム、リョウの存在感のあるベース、ひとりの感情を抉るギター──進化した3人の演奏を聴いて、心が熱くなった。

 

 

(私も負けてられない…!ラヴィさんの教えを全部活かして…みんなに届く声を出す…!)

 

『喜多ちゃん……準備OK?いつもの練習のように……心から歌ってくれ』

 

「はい!いつでもどうぞ!」

 

『OK…じゃあカウント入れるよ。1、2、3、4──スタート』

 

 

 イントロが流れ始めた瞬間、喜多の喉が自然と開いた。

 

 お腹の横隔膜からまっすぐな息が押し出され、彼女は『グルーミーグッドバイ』の最初のフレーズを力強く歌い上げた。

 

 声はクリアで、透明感がありながらも力強い。

 腹式呼吸が完璧に機能し、息継ぎのタイミングはLavielのメモに書かれた「句読点や子音の強いところで息を入れる」を忠実に実践。

 

 Aメロの部分では、喉を締めず、息を「漏らす」意識で声を維持し、感情を細かく乗せたビブラートが自然に揺れる。

 

 サビの爆発的な盛り上がりでは、ハイトーンが天井を突き破るように伸び、息切れせずに持続。

 高音は苦しさが一切なく、喉が開いたままクリアに抜け、声帯に負担がかかっていないのが音から伝わってくる。

 

 カラオケのような軽い感じの声ではなく、感情と熱がこもった歌声に完全に変わっていた。

 3人の進化した演奏に完全に同期しながら、自分の声でバンド全体を「包む」ように歌い、言葉の端々に「想い」が滲み出ていた。

 

 ブース内のマイク(Neumann U87 AiとAKG C414 XLIIのブレンド)が、その透明感とパワーを忠実に捉え、コントロールルームに送り込む。

 

 

 直樹はコンソールの前でフェーダーを滑らかに微調整しながら、スピーカーから鼓膜を直撃するその喉の響きに、内心で凄まじく驚愕していた。

 喜多の歌は、以前の動画で感じた軽い声から完全に生まれ変わり、Lavielの教えを自分なりに完璧に昇華させた「聴き手の心に直接届く声」になっていた。

 息継ぎの自然さ、ハイトーンの圧倒的な伸び、そして言葉への感情の乗せ方──その全てが、完全にプロの域に近づいている。

 

 【結束バンド】の楽器隊の演奏もすごかったが、特に才能が開花したのは喜多だった。

 

 直樹は、思わず口元を緩めた。

 ボーカルパートの録音が終わると、直樹はマイク越しに優しく、しかし力強く言った。

 

 

「喜多ちゃんも一発OKだ。喉の温まり方が完璧で…音程も息継ぎも感情の乗せ方も、全部がレベルアップしてる。喜多ちゃんも…ラヴィの教えをただ真似したんじゃなく、自分なりに噛み砕いて昇華させてる。本当によくやった」

 

 

 喜多はヘッドホンをそっと外して、嬉しさと興奮で顔を真っ赤に染め上げながら、拳を胸の前でぎゅっと強く握りしめた。

 今までにない圧倒的な手応えと、バンドを自分の声で引っ張る本物の感覚を覚え、1テイク目で完璧なOKが出た瞬間、彼女は体中から喜びを爆発させて思いっきり喜んだ。

 

 

「NaokIさんありがとうございます!!私…今すっごく……手応え感じました!みんなの演奏にも負けない声を出せました…!もっともっとがんばります!」

 

 

 喜多が防音扉を開けてレコーディングブースを出た瞬間、ロビーで待っていた【結束バンド】の3人から、割れんばかりの最大級の賞賛の声が一斉に浴びせられた。

 

 

「喜多ちゃんすごかったよ〜!喜多ちゃんの歌声、心に響いたよ!!あたし泣きそうになったよ〜!」

 

「郁代の歌声、更に進化して良くなってた。数ヶ月前と比べたら桁違いに上手くなってる」

 

「あっ喜多ちゃん…!喜多ちゃんの声、心に響きました…!とてもよかったです…!」

 

「ありがとうございます!私も、今出せる全力を発揮できたので嬉しいです!」

 

「褒めて遣わす…よしよし」

 

「きゃ~!!リョウ先輩好き~~!!♡♡♡♡♡」

 

 

 スタジオの空気が、達成感と興奮で満たされた。

 虹夏はスティックを掲げ、喜多は両手を握りしめ、リョウはベースを抱き、ひとりはSchecterを胸に当てた。

 

 4人は互いに目を合わせ静かに、でも強く頷いた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 レコーディングが終了した。

 虹夏のドラム リョウのベース ひとりのギター そして、喜多のボーカル──全てのパートが一発OKで録り終わり、スタジオの空気は達成感と興奮で満たされていた。

 

 

「よし、全パートOKだ。ここからは僕の仕事…データ書き出して、MIXとマスタリングに入るから、みんなは少し休憩してくれ。大体3時間以内に、完成音源出来上がるから」

 

『よろしくお願いします!』

 

 

 4人はブースから出て、休憩ブースへ移動した。

 

 その間、直樹は一人コントロールルームに残り、MIXとマスタリング作業に入った。

 

 SSLコンソールのフェーダーをミリ単位で細かく調整し、Neve 1073のプリアンプで4人の紡いだ音源に極上のアナログの艶を色付け、Universal Audio 1176とLA-2Aのヴィンテージ実機ラックで音圧のダイナミクスを滑らかにコンプをかけ、SSLバスコンプで【結束バンド】という生命体のアンサンブルを完璧にまとめ、Mac Studi○上のUADプラグインを駆使して微調整を加えていく。

 

 さらに世界最高峰のコンバーター『Prism Sound ADA-8XR』で極上のアナログ波形を1ビットの濁りもなく高解像度デジタルへと変換し、メインモニターの『ATC SCM50ASL Pro』から放たれる原音を何度も厳密に確認しながら、4人の魂のバランスを完璧に、美しく整えていく。

 

 普通のエンジニアなら数日、あるいは数週間を費やすクリエイティブの修羅場を、直樹は2〜3時間にわたり、極限の集中力で作業を続けた。

 

 

 一方、【結束バンド】の4人は、休憩ブースでソワソワしながら時間を過ごした。

 

 虹夏はお手洗いに行って戻ってきては、再びソファに座って緊張を誤魔化すように足をぶらぶらさせ。

 喜多はスマホの画面でLaviel直伝の発声練習メモを何度も熱心に見返しながら、小さな声で喉を優しく温め。

 リョウは冷蔵庫から摘んできた軽食の高級ナッツを黙々と口に運んで摘みながら、RoÉから授かったあのカウンターベースのフレーズを頭の中で何度も反復練習し。

 ひとりはギターを愛おしげに強く抱え、ソファの最果ての端っこで小さくミュートした弦をピキピキと弾いては、みんなの緊張した様子をチラチラと見ていた。

 

 

「NaokIさん、3時間以内に出来るって言ってましたけど…やっぱり、それなりに時間かかるんですね…」

 

「何言ってんの郁代!!?エディットからマスタリングまで3時間で終わらせられるなんて、エンジニアとして超一流なんだよ郁代!!ラフMIXならまだしも、完成音源だから尚更…!普通はエディットだけでも、3〜4時間は掛かるんだよ郁代!!」

 

「ああああぁぁあ!!!分かりました!凄さは十分わかりましたから、名前を連呼しないでください!!!私の名前は喜多喜多です!!!!」

 

「あはは……それにしてもNaokIさん。エンジニアの腕も超一流なんだね〜。色んなアーティストにも頻繁に楽曲提供してるし、やっぱり慣れっこなのかな?」

 

「あっはい。お父さん…楽曲提供の納品数が多い時は、1日で3〜4曲くらい作ってましたから…多分これくらいなら余裕です」

 

「ば…化け物すぎるッ…!スピードとスキルが半端ないッ…!!」

 

「よく分からないけど、やっぱりNaokIさんってすごいのね!あ〜早く出来上がらないかしら…!」

 

 

 3時間後──

 

 コントロールルームのドアが開き、直樹が入ってきた。

 表情は、満足げな笑みを浮かべている。

 

 

「みんな、完成したから来てくれ」

 

 

 4人は一斉に立ち上がり、コントロールルームへ足を運んだ。

 

 緊張と期待で胸を高鳴らせながら、直樹の後を追った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 コントロールルームに入った瞬間、【結束バンド】の4人は息を飲んだ。

 

 直樹はSSLコンソールの前に座り、パッチベイの実機ラックに手を伸ばしながら、コンソールのボリュームフェーダーをゆっくりと、滑らかに上げていった。

 リモート操作によって、スタジオ内の二段階LED照明が作業用の白色からリラックス用の暖色LED(2700K)へと鮮やかに切り替わり、部屋全体が最高級ホテルのスイートルームのような柔らかな至高の光に包まれる。

 ATC SCM50ASL Proの漆黒のウーファーが微かに振動し、静かに、しかし地鳴りのような圧倒的な解像度で『グルーミーグッドバイ』のマスターデータが流れ始めたのだった。

 

 イントロが鳴った瞬間──

 

 

 身体全体がビリビリと震えた。

 

 

 虹夏のキックが低く重く響き、リョウのベースがクリアに突き抜け、ひとりのギターが感情を乗せて絡み、喜多のボーカルが天井を突き破るように伸びる。

 

 MIXとマスタリングで調整された音は、まるでスタジオの壁を越えて直接心臓に届くようだった。

 

 低域は深く、しかし濁らず、中域はクッキリと抜け、高域は透明で鋭い。

 

 グルーヴはバンド全体を一つにまとめ、感情の起伏が音の波として押し寄せる。

 

 『グルーミーグッドバイ』──未確認ライオットに向けて作った新曲が、完成した形で初めて鳴り響いた。

 

 

 全員の頭の中に、同じ思考が浮かんだ。

 

 

《す…すごい!!これが私たちの…音楽!?》

 

 

「…てな感じかな」

 

「す…すごーい!!これが私たちの曲!?こんなにカッコよく響くなんて…!」

 

「私の声、こんなに綺麗に伸びてる…!デモCDのときは、何かいまいちだったのに…!それに、ひとりちゃんのギター…伊地知先輩のドラム…リョウ先輩のベース…全部溶け合ってる…!」

 

 

 虹夏は思わず飛び跳ねて、両手を握りしめて叫んだ。

 喜多は目を潤ませて、胸を押さえた。

 ひとりとリョウも、静かに頷き同意する。

 

 

 完成音源が流れ終わって各々感想を言い合った後、コントロールルームに静寂が訪れた。

 スピーカーの最後の余韻が完全に消え去るまで、その場にいる誰も言葉を発さなかったが、フロントマンとしての重圧を背負い続けていた喜多が、最初に沈黙を破って静かに口を開いた。

 その声は感動と安堵で少し震えていたが、その顔にはこれ以上ないほど眩しい、太陽のような笑顔が咲いていた

 

 

「いい曲になってて本当によかった〜…精一杯歌ってたんですけど……やっぱり初のレコーディングで、ずっと不安の中でやってたんで…でも、この音聴いて安心しました」

 

「私もまだ実力不足のところがあった…だから次に活かす…」

 

 

 リョウも喜んではいたが、現状には満足しておらず次に活かすと決意する。

 虹夏はみんなの言葉を聞いて、ホッとしたように息を吐いた。

 内心では、少し不安なところもあった。ドラムの安定感は上がったけど、まだKyoyaの域にはほど遠い。

 

 

 でも──みんな言葉に出さないだけで、同じ気持ちだったんだと気づいて、安心した。

 

 

 直樹は、コンソールの椅子に座ったまま、ゆっくりとみんなを見回した。

 

 

「どんなバンドもレコーディングはこんなもんだ。僕たちだって、必ずと言っていいほど毎回反省点が出る。そこで満足したら、バンドの成長は止まる。だから…その気持ちは正解だ。みんなは現状の力を出し切って、次への課題も見えた」

 

 

 直樹は立ち上がり、4人に一人ずつ目を合わせて、労いの言葉をかけた。

 

 

「虹夏ちゃんのドラムは、バンドの心臓になった。

 

 リョウちゃんのベースは、音の骨格を作った。

 

 ひとりのギターは、魂を吹き込んだ。

 

 喜多ちゃんの声は、みんなの想いを届けた。

 

 みんな…本当によくやった。今回のレコーディングは大成功だ。…今日はお疲れ様」

 

 

『はい!!!!ありがとうございました!!!!』

 

 

 スタジオの空気が、静かな達成感と新たな決意で満たされた。

 

 『グルーミーグッドバイ』──完成した音が、スピーカーから静かに流れ続ける。

 

 

 【結束バンド】の初のレコーディングは、最高の形に仕上がった。

 

 




ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!

今回のレコーディングで結束バンドのレベルを格段に上げました。
虹夏ちゃんは大幅にレベルアップして、リョウはスタジオミュージシャンの域に入り、ぼっちちゃんもいつも通りの演奏が出来て。
そして、喜多ちゃんは特にレベルアップして才能が開花しました。
元々歌上手い上に、ちゃんとした発声方法など理解したので、成長具合が半端ないです。
あと、グルーミーグッドバイの曲調がまだ分からなかったので、想像で色々書いてみました。
2期始まったらはよ聴きたい。

とりあえず3巻でのカラオケ練習回が無くなったので…つっきーにはヒトカラ楽しんでもらうとして。リナさんの扱いどうしよ…出番なくなっちまったよ…

次回は後藤家でお泊り回やります。そのあと一気に時系列進ませます。
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