娘のバンドと対バンしたい   作:肉野郎

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今回はライブ審査です。
それではどうぞ


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 新宿FOLTの会場は、未確認ライオットのライブ審査当日で熱気に満ちていた。

 

 10代バンドのフェスということもあり、客層はほとんどが高校生〜20代前半の若者たち。

 開演前、客席は10代中心の若者たちで埋まり、壁際や後ろのスペースまで人がぎっしり。

 楽屋では出演バンドのメンバーが緊張した顔で待機し、スタッフが機材を急いで調整している。

 

 会場入りするなり、直樹は家族を促して素早く最後方の壁際へと移動した。

 キャップを深く被り、大きめのサングラスで顔の大部分を隠す。世界の音楽シーンを沸かせてきた彼がここにいると万が一にでも露見すれば、ライブ審査どころの騒ぎではなくなってしまう為、念入りに変装を確かめ気配を殺した。

 隣では妻の美智代がそわそわとステージを見つめ、直樹の腕に抱っこされたふたりは、目をキラキラと輝かせて眩しい照明の行き交うフロアを見回している。

 

 

(やっとひとりの……【結束バンド】のライブを観る事が出来る!明後日の国立まではオフだから、今日は集中してライブ観戦できるぞ!)

 

「こんな大勢の前で演奏するなんて、ひとりちゃん凄いわね〜」

 

「おねーちゃんおうちだとギターうまいし、バンドだとどうなるのか楽しみだなぁ!」

 

 

 家族の無邪気な声の背後で、フロアのあちこちからスマホを片手にした若者たちの興奮した声が、喧騒となって耳に飛び込んできた。

 誰もが今日の通過枠を予想し、熱を帯びた声で語り合っている。

 

 

「今回、誰が勝つと思う?」

 

「やっぱ【SIDEROS】は確実だろ。MV見たけど全員レベル高かったし、特に大槻のギターと歌声はプロクラスだと思う」

 

「確かに…他より頭ひとつ抜けてるしな。ファイナルは確実だろうな…」

 

 

 他のグループでは、別のバンドの名前が上がる。

 

 

「2位の【ケモノリア】もカッコいいよな〜。あの音作りめちゃくちゃ好きだわ。キーボードのギャグセンは酷いけど…」

 

「分かる あのシンセとギターの絡み、中毒性高いわ。【SIDEROS】とぶつかるの熱すぎる…まぁいきなり楽器立てて武田信玄の軍配〜とか一発芸してヤバかったけど…」

 

「多分【ケモノリア】も突破すると思うけど、でも正直【SIDEROS】が本命だよな。前にFOLTのワンマン観たけどマジで最高だった」

 

「やっぱ上位二組は【SIDEROS】と【ケモノリア】かな〜?」

 

 

 フロアのあちこちで、同様の会話が同時多発的に巻き起こっていた。

 誰もが【SIDEROS】の圧倒的な実力を認め、【ケモノリア】の毒性のあるエレクトリックサウンドを絶賛している。観客の期待は、完全にその二強による頂上決戦へと向いていた。

 

 ――そこに、【結束バンド】の名を挙げる者はまだいない。

 

 ネット予選6位という結果は新人として大健闘だが、百戦錬磨の観客たちが集うこの現場では、あくまで【SIDEROS】と【ケモノリア】の引き立て役に過ぎないという冷徹な評価が主流だった。

 

 

(下馬評は微妙か…でも【結束バンド】は絶対上がると僕は信じてる。娘のステージ…しっかり見届けるぞ)

 

 

 ───

 

 

 ──

 

 

 ─

 

 

 定刻を告げるブザーとともにフロアの明かりが落ち、開演を告げるアナウンスがスピーカーから鳴り響いた。

 スポットライトに照らされ、ステージ中央に立ったMCの男がマイクを握りしめて声を張り上げる。

 

 

『またせたな!未確認ライオット…ライブ審査スタートするぜー!!!』

 

 

 ワァァァァァァ!!!!!

 

 

『全国の10代バンドから、まだ見ぬ才能を発掘するこの未確認ライオット!今年も3000を超える衝動がエントリーしてくれた!今日はその中から、過酷なネット投票を勝ち抜いた上位30組がこのステージに挑む!だが、ファイナルステージに駒を進められるのは――わずか2組だけだ!』

 

『審査基準は楽曲の完成度だけじゃない!フロアを埋め尽くす君たちの盛り上がり、その熱量も全て審査対象だ!次世代のロックシーンを塗り替える最初の目撃者は君たちだ!最後まで魂燃やしていってくれ!!』

 

 

 一際大きな歓声が沸き起こり、再び照明が完全にシャットアウトされた。一瞬の静寂の後、MCの鋭い声が闇を切り裂く。

 

 

『じゃあオープニングアクトは、ゲスト 【SICK HACK】!会場を温めてくれ!』

 

 

 その瞬間、会場が沸騰した。

 客席から「廣井ー!!」「志麻様〜!」「イライザちゃ〜ん!」というコールが飛び交い、スマホのライトが一斉に振られる。

 【SICK HACK】の3人がステージに上がると、歓声はさらに大きくなった。

 

 

 現在の【SICK HACK】は、名実ともに「日本で最も勢いと人気のあるインディーズバンド」だった。

 

 

 今年の4月、彼女たちが主題歌と挿入歌を手掛けたアニメが覇権級の大ヒットを記録。それに伴う形で楽曲も爆発的なセールスを叩き出し、配信が開始されるや否や、ストリーミングサイトのチャートを完全にジャックした。

 

 【NEW GLORY】の最新アルバム『Evolutionary』が世界のチャート1位に不動の如く君臨し続ける中、【SICK HACK】のシングルはそれに次ぐ「11週連続2位」という驚異的な歴史的記録を維持し続けた。世界の頂点に立つ巨人のすぐ足元に、日本のいちインディーズバンドが肉薄し続けるなど、データ上はバグとしか言いようがない奇跡だった。

 

 公式オーチューブチャンネルの主題歌MVは4900万再生を突破し、挿入歌も920万再生を超えている。圧倒的なライブパフォーマンス、廣井きくりの天才的なメロディセンス、そして退廃的なカリスマ性。それらが今の若者たちを熱狂の渦へと巻き込んでいた。

 

 ステージの中央、ベースストラップを肩にかけたきくりが、マイクスタンドを両手で握りしめた。

 うつむいていた彼女が、爛々とした瞳で無言のままフロアを見渡す。ただそれだけの視線の暴力で、狂乱していた数階の観客が一瞬にして水を打ったように静まり返った。ハコ全体の空気を、その存在感だけで完全に掌握したのだ。

 

 そして――MCもカウントすらもなく。狂気じみた重低音が、いきなり鼓膜を殴りつけた。

 

 きくりのベースが低く鳴りボーカルが炸裂し、イライザのギターが唸り、志麻のドラムが響く。

一曲が終わった瞬間、会場は大爆発。

 「最高!!!」「【SICK HACK】やばい!!!」「神!!!!」という叫び声が飛び交い、拍手と歓声が鳴り止まない。

 場の空気が一気に温まり、審査本番への期待が最高潮に達した。

 会場はオープニングアクトの余韻に包まれ、審査本番への期待でさらに熱を帯びた。

 

 

 ──

 

 ─

 

 

 ステージが暗転する。余韻を引きずるフロアに、再びMCの煽り文句が響き渡った。

 

 

『さあ、ここからがライブ審査本番だ!トップバッターはネット投票第2位!キュートでポップで、だけど最高にロック!エレクトリック・ロックバンド【ケモノリア】だ!!』

 

 

 眩いスポットライトがステージを射抜き、【ケモノリア】の4人が姿を現した。

 センターに立ったキーボード兼ボーカルの少女が鍵盤に触れた瞬間、暴力的なシンセの電子音が唸りを上げる。彼女が弾けるような笑顔でマイクを握ると、キャッチーでポップなメロディがFOLTの空間を鮮やかに彩っていった。

 そこに鋭利なギターリフが絡みつき、タイトなドラムがビートを刻み、ベースが太い低音でボトムを支える。

 新時代を予感させるデジタルとアナログの融合サウンドは、一瞬にしてフロアを支配し、客席を大きな波のように揺らした。

 

 

「初めて聴いたけど、めちゃくちゃノれるじゃん このバンド絶対これからクルって!」

 

「いやいや、もうとっくにキテるから!」

 

 

 観客が興奮を口々にする中、MCの声がさらにギアを上げた。

 

 

『続いては、ネット投票堂々の第1位!かわいい顔して最高に凶暴な音を鳴らすガールズバンド【SIDEROS】!!今大会の優勝候補大本命と言っても過言じゃねえ、彼女たちの重低音を浴びてくれ!!』

 

 

 ヨヨコがステージ中央、マイクの前に立つ。その圧倒的な存在感に、フロアが水を打ったように静まり返った。

 

 ――次の瞬間、ヨヨコのギターが獰猛に炸裂した。

 

 楓子の重厚なダウンチューニング・リフが地這うように絡み、幽々の重低音ベースが唸りを上げ、あくびのドラムビートが文字通り床を揺らす。

 そこへ、ヨヨコの刃物のように鋭い歌声が切り込み、ハコ全体の空気を一気に塗り替えた。

 先ほどまでのポップなノリは霧散し、フロアは狂ったように拳を突き上げる。

 【SIDEROS】が放つ圧倒的な音圧とヨヨコのカリスマ性は、並大抵のバンドなら戦意を喪失するほどの圧倒的な壁となって立ちはだかっていた。

 

 

「ヤベェ…!【SIDEROS】最高すぎる!!」

 

「なんか楽器隊とか、全体的にレベル上がってね?」

 

「確かに。全員その辺のメジャーよりもクオリティ高かったわ…」

 

「大槻の声、めちゃくちゃ響いたわ…」

 

「つーかギターソロのとこ、マジでよかったよな!」

 

「わかる!元々上手かったのに今回ガチでヤバかった!!」

 

 

 興奮の渦が続く中、4組目の審査が終わったところで、ステージは一時的に照明を落とした。

 客席のざわめきが少し落ち着きを取り戻す。どのバンドも10代としては十分に立派で、それぞれに音作りや構成の工夫が見て取れた。

 

 

 ――だが直樹の脳内は、フロアの評価とは全く異なる領域にあった。

 

 

(【ケモノリア】の音響構築はかなり面白いな。キーボードのレイヤリングは低域から中域を段階的に重ねて、サビまでのビルドアップの計算が美しい。シンセのアルペジオをギターリフと綺麗に同期させて、ポップさと攻撃性を両立させている。……ただ、デジタル特有の低域が少し薄いか。もう少しサブベースの帯域を足して重心を下げれば、全体の説得力が跳ね上がるな)

 

(ドラムのフィルインも、リズムのタイム感を崩さずにサビの爆発力を引き出していた。けどキックのタイミングがほんのわずかにジャストより遅れ気味だ。もっとタイトにベースと同期させれば、グルーヴがグッと引き締まる。……まぁ10代という年齢を考えれば、ケモノリアは相当なレベルが高いけど)

 

 

 そして直樹は、先ほどフロアを完全に叩きのめした【SIDEROS】の演奏についても、極めて冷静に解剖していた。

 

 

(【SIDEROS】……あのメンツの中じゃ頭一つ抜けているのは確かだ。ギタボの子は声のノドの開きが良いし、感情の乗せ方も素晴らしい。速弾きのピッチも正確だ…ただピッキングの角度が少し浅いな。弦へのアタックが弱く逃げている。もっと手首を意識して弦を叩きつけるように振り抜けば、低音の抜けが劇的に良くなって、バンド全体の突進力が増すはずだ)

 

(リズムギターの子はコードワークが安定しているが、右手のパームミュートが甘くて余韻の音が少し濁っている。カッティングの際にもっとタイトに消音できれば、アンサンブルの輪郭がクリアになる。ベースの子のライン構成はセンスがあるけれど、フィンガリングが少し雑でピッチが微妙に揺れているな。これは単純な練習量でカバーできる範疇だけど少し耳につく…ドラムの子は安定感がある。しかしハイハットのオープンの戻りが一瞬遅れて、グルーヴがわずかに後ろに流れている。もっとシャープに閉じればサウンド全体がさらに硬質に締まるはず……)

 

(……総評として、10代としては超優秀。優勝候補と言われるのも当然だ。だけど贔屓目なしで見ると、まだまだ粗が目立つな。サビのダイナミクスは文句なしだけど、Aメロの静寂なパートでベースとドラムの同期がコンマ数秒ズレている。そこを締められれば化ける)

 

 

このように、世界最高峰の現場で耳を鍛え上げられてきた職業柄、どうしても加点要素より先に減点要素の粗が立ってしまう直樹だった。

 

 その後に演奏した3組目、4組目のバンドに対しても、ボーカルのピッチの不安定さ、ギターのチョーキングの詰め切れていない甘さ、フィルインで走ってしまうドラム――

 どれもアマチュアの10代なら若さの勢いで許容される範囲だが、世界最高峰のギタリストの耳をごまかすことはできなかった。

 

 

(みんな10代にしては頑張っている。…でも、どうしても粗が目立ってしまう。…それでもこの子たちは、これからもっと伸びる。………ひとりもきっと…もっと良くなる)

 

 

 卓越した技術の応酬を目の当たりにするうちに、直樹は一人の父親としての視点を超え、未来のロックシーンを担う若者たち全員を、純粋に応援したくなっていた。

 ふと、隣にいた美智代が直樹の真剣な横顔を見上げ、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 

 

「直樹さん。みんながんばってるわね…ひとりちゃんたちもきっと…」

 

「そうだね。ひとりのステージが待ち遠しいよ…」

 

 

 ───

 

 

 ──

 

 

 ─

 

 

 ライブ審査は5組目に突入した。

 

 会場内の熱気は少し落ち着き、最初の【ケモノリア】と【SIDEROS】があまりにも抜きん出ていたため、残りのバンドはどこか消化試合のような空気になっていた。

 オーディエンスの会話も自然とその二組に集中し、【結束バンド】の名前が上がっても反応は薄い。

 

 

「次のバンド…【結束バンド】だっけ?」

 

「初登場でネット投票6位はすごいけど…ここは【SIDEROS】と【ケモノリア】で決まりだよな…」

 

「去年なら確実に優勝候補だったんだろうけど、今年はレベル高いからね〜。期待値は高いけど…ここはなさそうかな……」

 

「5番目ともなると、聴く方もだれるしね…もう【SIDEROS】で決まりじゃん?」

 

 

 容赦のない観客のリアルな声が、耳に飛び込んでくる。

 

 

(みんなまだ【結束バンド】のこと知らないんだな…6位でもこの空気じゃ消化試合扱いか。でも…僕は知ってる。ひとりがどれだけがんばってきたか……虹夏ちゃん・喜多ちゃん・リョウちゃん…みんなの音がどれだけ熱いか…)

 

 

 直樹は家族の手を強く握りしめ、静かに息を吐いた。

 MCの声が響き、ステージの照明が再び点く。

 

 

『次の5組目は下北沢発!バンド名はちょっとネタっぽいが実力は本物!初登場にしてネット審査第6位に滑り込んだ、今大会のダークホース!【結束バンド】の登場だ!!』

 

 

 ステージにスポットライトが当たり、虹夏・喜多・リョウ、そして──ひとりが登場した。

 

 

「ひとりちゃ〜ん!頑張って〜!」

 

「おねーちゃーん!!」

 

 

 美智代の声と、直樹の腕の中でぴょんぴょんと跳ねるふたりの黄色い声援が、最後方からステージへと真っ直ぐに飛んでいく。

 

 

(ひとり……【結束バンド】のみんな…頑張れよ!)

 

 

 ステージ中央、喜多がスタンドからマイクを抜き、フロアへ向けていつもの眩しい太陽のような笑顔を向けた。

 

 

『えーこんにちは!下北沢から来ました。エゴサが全く機能しません【結束バンド】です。よろしくお願いします!じゃあ一曲目…の前にリードギターの後藤から伝えたい事があるそうなんで…ひとりちゃん」

 

「あっ!はい…」

 

 

 喜多が軽快な足取りでMCのバトンをひとりに譲り渡した瞬間、最後方の壁際にいた直樹と美智代は、完全に思考がフリーズしたような顔でステージを凝視した。

 

 

「え?ひとりちゃんがMCを…?」

 

(ひとり…)

 

「おねーちゃんがんばれー!」

 

 

 そんな両親の驚愕をよそに、直樹の腕に抱っこされたふたりだけは、無邪気に小さな手をちぎれんばかりに振って姉を応援し続けた。

 マイクの集音マイクが、フロア最後方からの妹のピュアな声を拾ったのだろうか。ステージの上のひとりは、ほんの少しだけ顔を林檎のように赤く染めながら、意を決したように両手でマイクを強く握りしめた。

 極度の緊張でその細い肩が小刻みに震え、スピーカーから漏れ出た彼女の第一声は、今にも消え入りそうなほど小さく震えていた。

 

 

『あっえっと…私達がこのフェスに出ようと思ったのは………』

 

 

 会場のあちこちから「声ちっさ」「がんばれーw」と、茶化すような薄いヤジがちらほらと上がる。

 ひとりは一瞬だけ怯えたように視線を落としたが、胸が張り裂けんばかりの深呼吸をひとつ挟み、真っ直ぐに顔を上げた。周囲のざわめきを完全に遮断するように、彼女はぽつり、ぽつりと語り始めた。

 

 

『…こっこの4人でバンドをする意味を…聞かれたことがきっかけでした。…ある人に“ガチじゃないですよね?”って言われて…私は…私達は、何も言い返せませんでした…』

 

『みんな一生懸命やってるのに、何でそんなこと言うんだろうって………遊びでやってるつもりはないのにって…思ってました。…でも…事情を知らない外部の人から見たら、そう言われても仕方なくて…目標もどこか漠然としてて……返す言葉がありませんでした…』

 

『本当に悔しかった……でも、どう進めばいいのか分からなくて…どうしようもなくなって……』

 

 

 言葉の端々に、彼女がこれまでに味わってきた胸の奥の痛みが乗っている。

 気づけば、フロアを支配していた冷めた空気は完全に消え去り、静寂がFOLTを包み込み始めていた。腕を組んでステージを睨んでいたあるフリーライターも、いつの間にか真剣な表情でフロントの少女を見つめている。

 

 ひとりの声はまだ震えていた。

 けれど、その震えは怯えではなく、確かな熱量を持った力強さへと変貌していく。聴いている観客たちも息を呑んで彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

 

『…そんな時、ある人たちに…世界一尊敬してる人に…エールを貰って…本気でプロを目指す覚悟が出来ました…』

 

 

 その言葉を聞いた瞬間──虹夏、喜多、リョウの3人は、ひとりの言葉に胸を打たれ、真剣な目で彼女を見つめていた。

 その視線はただの信頼ではなく、一緒に乗り越えてきた葛藤、焦り、いくつもの高い壁を共有した、血の通った仲間としての深い絆そのものだった。

 

 

『そっそれから…たくさんライブや練習をして、バンドとして力をつけてきました…大変なこともあったけど…みんながいてくれたから、がんばれました…!虹夏ちゃんの優しさが…!喜多ちゃんの笑顔が…!リョウさんの静かな支えが…!ファンの応援が…!私をここまで連れてきてくれた…!!』

 

 

 ひとりは言葉を区切り、ゆっくりと目を開いた。

 先ほどまで怯えていた瞳には、もう微塵の迷いもない。そこに宿っていたのは、全てを薙ぎ払うような、覚悟に満ちた凄烈な光だった。

 

 

『けっ【結束バンド】の結束力…観てください!!』

 

 

 ――その瞬間、ひと言の余韻も残さず、ひとりのギターソロが狂暴に炸裂した。

 愛機Schecter PA-SXの強靭な弦が悲鳴のような咆哮を上げ、感情を乗せた激烈なフレーズがFOLTの空間を真っ二つに切り裂く。

 弛緩していた会場の空気が一瞬にして凍りつき、静寂を置き去りにした熱狂が津波のように押し寄せた。

 

 

「これ…高校生かよ…!?」

 

「こんなすげェバンドだったのか!?」

 

「一曲目から飛ばすじゃん!」

 

 

 最後方の壁際、直樹は帽子の下で、サングラスの奥に溢れそうになる涙を静かに堪えながら、ステージの上で怪物の如き音を鳴らす娘の姿をじっと見つめていた。

 美智代は隣で祈るように直樹の手をきつく握りしめ、父の腕の中では、ふたりが小さな拳を突き上げていた。

 

 

 カウントなど必要なかった。

 ひとりの放った先制の銃撃に合わせるように、バンドの演奏がスタートした瞬間、FOLTの床が、壁が、観客の脳髄が物理的に震えた。

 

 虹夏のドラムが地響きのような一撃を叩き出し、喜多のクリアでどこまでも伸びやかなボーカルが、フロアの熱気ごと空気を一気にブチ抜いていく。

 リョウのベースは低く、重く、かつ凶悪なほど正確にアンサンブルの土台を支配し、その上をひとりのギターが、剥き出しの衝動を乗せて鋭く踊った。

 

 曲が始まってわずか数秒。先ほどまでフロアに漂っていただるい空気は完全に一変していた。

 それは【SIDEROS】が誇る圧倒的なカリスマの壁すらも容赦なく粉砕していく、純粋で、かつ狂気的なまでに熱い結束の力だった。

 

 

「え!?え!?え!!?」

 

「なんだコレ!?プロ!?」

 

「ヤバい…【結束バンド】神すぎる…」

 

「リードギターとかプロ超えてるだろ…!」

 

「すげェェ!!まだこんなバンドいたのかよ!!」

 

「ガチでダークホースじゃねーか!!」

 

「マジかよ…何で去年まで無名だったんだ…?」

 

 

 ステージの上のひとりは、最初こそ指先に硬さを残していたものの、フロントマンである喜多の背中を見た瞬間、完全にトランス状態へと没入していた。

 

 直樹のプロの耳が、娘の音の恐るべき進化を捉える。

 指が指板の上を滑るたび、彼女の全感情がそのままダイレクトに音の波動となって放たれている。ピッキングの凄まじいダイナミクス、脳を揺らすビブラートの深さ、1ミリの狂いもないベンドのピッチコントロール。それら全てが、あの弱気な娘の脳内で完璧に統制されていた。

 

 サビに突入した瞬間、ひとりのリードギターは完全にタガが外れたように自由なフレーズを解き放ち、喜多のボーカルがハイトーンで天井を突き破る。

 虹夏のドラムはさらに重厚なグルーヴを深め、リョウの歪んだベースが低域でフロア全体の心臓を締め上げる。

 

 4人の鳴らす音が完璧に絡み合い、共鳴し、FOLT全体を狂乱の渦へと巻き込む巨大なうねりとなって押し寄せていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 【結束バンド】の音が爆発したその瞬間、最後方に立つ直樹の全身を、未だかつてない激しい戦慄が駆け抜けた。

 虹夏のドラムがフロアを震わせ、喜多のボーカルが天井を突き抜け、リョウのベースが低く獰猛に唸る。そして、その中心で――ひとりのギターが、孤独と情熱、恐怖と覚悟を燃料にして、純粋なる感情の奔流を解き放っていた。

 直樹の視線は、最初から最後まで、ステージの上の娘だけに完全に釘付けになっていた。

 

 ひとりの指がネックを駆け巡る速度、ピッキングの強弱、ビブラートの深さ、ベンドのピッチ──全てが、【NEW GLORY】のNaokIを彷彿とさせていた。

 

 ひとりは完全にトランス状態に入っており、ギターヒーロー以上の実力が完璧に出せていた。

 

 プロどころか、世界最高峰クラスの領域に足を踏み入れていた。

 

 リードギターとして【結束バンド】を引っ張り、バンド全体を高みへと導く。

 

 火花を散らすほど鋭利なピッキング。魂を直接掴んで揺さぶるように深く、どこまでも長く伸びるビブラート。完璧にコントロールされたベンドは正確無比でありながらも、コンマ数ヘルツの揺らぎによって剥き出しの人間味を帯びていく。

 ひとりは狂ったように身体を揺らし、まるで自分の半身であるギターを狂おしく抱きしめるようにして、ただひたすらに音を紡ぎ続けた。ハイフレットから放たれる鋭利な高音が、FOLTにいる全員の心臓を容赦なく貫いていく。

 

 

 そしてギターソロのパートで──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついにひとりは──NaokIの本気を、その時だけ超えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あっ…あぁ…!ひとり…!!)

 

 

 直樹の脳に、肉体に、魂に、未曾有の衝撃が走る。

 サングラスの奥から大粒の涙がとめどなくこぼれ落ち、頬を伝って床へと落ちた。

 

 それは、娘の成長を喜ぶ父親としての涙ではなかった。

 一人のギタリストとして、世界の頂点に立つ表現者として、目の前に現れた「自分を超える圧倒的な才能」を前にした、純粋なる敗北と感動の涙だった。

 

 自分の本気を、全盛期を超えてみせた、我が娘の音。

 それがこんなにも狂おしいほど嬉しいのに――同じ表現者として、どこまでも悔しくて、胸が張り裂けそうなほど締め付けられる。

 けれどそれを遥かに凌駕するほどの、爆発的な誇らしさが直樹の胸を満たしていった。

 

 

 ひとりの放った神懸かり的な輝きに引きずられるようにして、虹夏、喜多、リョウの3人もまた、自らのリミッターを粉々に破壊してボルテージを跳ね上げた。

 

 虹夏のドラムはさらにタイトに加速し、まるでバンドの心臓そのものが命を吹き込まれたかのように熱く脈打つ。

 喜多のボーカルは胸の奥の感情を爆発させるように艶やかに伸び、圧倒的なハイトーンがフロアを蹂躙していく。

 リョウのベースは重厚な低音で全体を支えながらも、ひとりの神懸かったギターソロに完全同期し、ベースラインをリアルタイムでより獰猛に進化させ、アンサンブルのグルーヴに底知れない深みを加えていく。

 

 4人の鳴らす衝動が、音が、魂が、完璧に絡み合い、共鳴し、FOLTの空間に完全なる一体感を生み出していた。

 

 最高潮に達した彼女たちの絶対的なグルーヴは、その場にいるオーディエンス全員の魂の深淵へと、深く、深く突き刺さっていた。

 

 

 そして、曲が終わった瞬間──会場は今日一番どころか、新宿FOLT始まって以来の大歓声と大熱狂、賞賛の嵐が巻き起こった。

 

 

『わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

「うわぁぁぁぁ!!みんな凄いよー!!やっぱり【結束バンド】最高だよ!!!」

 

「ひとりちゃん!!みんな!!カッコよかったよ!!!」

 

「ヤベェ!!マジで【結束バンド】よかった!!」

 

「全部よかったけど、ギターソロがガチで神すぎる…!!」

 

「あれひょっとしたら、【NEW GLORY】のNaokIも超えてたんじゃね!?」

 

「流石にそれはないだろうけど…でも、間違いなく世界トップレベルだったと思う…!」

 

「最後のサビのとこのユニゾンとか鳥肌立ったわ…」

 

「だよね!!もうなんか…全部すごかった!!!」

 

「あっヤバい。なんか…涙が……」

 

「いかん俺も…ライブで泣くとか初めてだわ…」

 

「コレもう【結束バンド】優勝だろ!!?」

 

「SNS全部フォローしよ!………あぁもう!ホントにエゴサ機能しねェし!」

 

「こんなん事実上の決勝戦だろ!」

 

「これがファイナルじゃないとかヤバすぎるわ!」

 

「お前が人間国宝ー!!!!」

 

「ひとりちゃ〜ん頑張ったね〜!」

 

「おねーちゃんすごーい!!!」

 

 

 会場の空気は、完全に【結束バンド】の放った純粋な衝動の色一色で塗り潰されていた。

 降り注ぐ拍手、鳴り止まない歓声、割れんばかりのコール。その濁流のような祝福を浴びながら、ステージの上のひとりとメンバーたちは、肩を激しく上下させて息を切らしつつも、互いに視線を交わし合って、この上なく眩しい笑顔を咲かせていた。

 

 

 ───

 

 

 ──

 

 

 ─

 

 

 その後、残る6組目と7組目の演奏が終了した。

 全てのパフォーマンスが出揃い、しばらくの静寂ののち、FOLTの空間にふたたびMCの重々しい声が響き渡った。

 フロアの照明が完全に落とされ、鋭いホワイトのスポットライトがステージ中央へと集まる。運命の審査結果発表の始まりに、会場全体が息を呑み、静まり返った。

 

 

『それでは未確認ライオット・ライブ審査…ファイナルステージ進出のバンドを発表!!ファイナルステージへと駒を進める2つのバンドは――コイツらだ!!!まず1組目!ネット投票1位、圧倒的なパフォーマンスで会場を掌握した…【SIDEROS】だー!』

 

 

 割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こり、ステージ袖から大槻ヨヨコ率いる【SIDEROS】の4人が姿を現す。

 続いて、MCの声がさらに一段と重みを増し、フロアの熱量を煽り立てた。

 

 

『そして2組目!今日の演奏で会場を完全に掌握した…………

 

 

 

 

 

 

 

 

【結束バンド】だー!!!!』

 

 

 その瞬間、新宿FOLTの天井が今度こそ吹き飛ぶかのような、最大級の大歓声と大熱狂が爆発した。

 

 

『わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

「…え?わっ私たちが………ファイナルに…?」

 

「…やっ………やったああぁぁぁ!!!!!やったよみんなぁぁぁぁ!!!!うわああああああ!!!!」

 

「やりましたね!!!!私たちファイナルステージですよ!!!!」

 

「これくらいよゆーよゆー」

 

 

 【結束バンド】の名前が呼ばれた瞬間、ひとりは目を丸くし、虹夏と喜多はお互い抱き合って飛び跳ね、リョウは素っ気ない反応だったが、ドヤ顔で誇らしげにしていた。

 

 これまでの成果――

 スターリーでの小さな一歩、路上での練習、池袋での容赦のないアウェイ公演、みんなで駆け抜けたMV撮影、いつでも支えてくれたファン1号・2号の笑顔。そして――世界一のバンド【NEW GLORY】から託された熱い激励。

 

 その全ての記憶と血の滲むような時間が、一本の線となってこの瞬間に繋がったのだ。

 何より、自分たちがあれほどの演奏をやり遂げられたこと、そしてその音が、この場にいるオーディエンス全員の魂に届き、認められたという事実が、彼女たちの胸を何よりも熱く満たしていた。

 

 

『全くとんでもねェバンドが出てきたぜ!審査員も最後まで迷ったんだが、どのバンドも皆いいライブをしてくれた!本当にありがとな!!…これにて、未確認ライオット・ライブ審査を終了するぜー!もう一度、【結束バンド】と【SIDEROS】に大きな拍手を!!!』

 

 

 会場は大歓声に包まれ、「【結束バンド】最高だったよ!!!」「ファイナルも頑張れー!!」「優勝まで行っちゃえー!!」というコールが鳴り止まなかった。

 

 こうして、未確認ライオットのライブ審査は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ライブ審査が終わった後、後藤家は新宿FOLT近くの駐車場から車に乗り込み、夜の街へと向かった。

 ひとりは後部座席の真ん中に座り、美智代が左側、ふたりが右側に寄り添う形で座っていた。

 直樹はハンドルを握り、ミラー越しに家族の様子をチラチラ見ながら運転する。

 車内はまだ興奮の余韻が残っていて、静寂が訪れる気配など微塵もなかった。

 

 

「ひとりちゃん今日はすごかったわ〜♪みんなの前で一生懸命MCして、ひとりちゃんのギターでみんなの心を掴んで…お母さん感動しちゃった。がんばったね〜えらいよ〜♪」

 

「おねーちゃん今日すごかった!!ギターすごく上手くてかっこよかった!!おねーちゃん世界一だよー!!」

 

 

 美智代はひとりの頭を何度も優しく撫で、そのピンク色の髪を愛おしそうに指先で梳きながら、穏やかで愛情に満ちた声で娘を褒めちぎり続けた。

 ふたりは姉の手を握ったまま、喜びを抑えきれないように座席の上でぴょこぴょこと身体を揺らしている。いつもは姉を容赦なく揶揄ったり舐め腐ったりしている妹のふたりも、今夜ばかりは無邪気に賛辞していた。

 

 

「へ…へへへ…w…ケケwケヒヒ…wいっいや〜あっあれくらい大したことないけどぉ〜?w朝飯前というか…うへへへ…w」

 

「あははは!おねーちゃん笑い方おもしろ〜い!」

 

 

 ひとりは照れくさそうに俯きながらも、限界まで満たされた承認欲求のせいで、顔のパーツが完全に溶け落ちそうなほどご満悦だった。

 耳の奥には、FOLTのフロアで浴びたオーディエンスの熱い叫びが、今も幻聴のようにリフレインしている。

 

 

『やっぱりひとりちゃんカッコいい!!』

 

『ギターソロ、マジで神だったわ!!』

 

『優勝だろこれ!!!』

 

『お前が人間国宝ー!』

 

 見ず知らずの観客たちからの絶賛と、世界で一番大好きな家族からの温かい労い。その二つが重なり合った瞬間、ひとりの胸の奥はかつてないほどの幸福感で満たされ、魂がふわふわと宙に浮くような全能感に包まれていた。

 直樹は運転中のため後ろを振り返ることはできなかったが、ルームミラーに映る娘を愛おしい満面の笑みを確認すると、サングラスを外した優しい目で声をかけた。

 

 

「ひとり。今日の演奏、本当によかったぞ。技術だけじゃなくて…みんなと心の底から楽しんで演奏してるのがすごく伝わった。………ファイナルでも頑張れ。家族みんな…ひとりの事応援してるからな」

 

「お父さん…うん…!絶対優勝する…!そして、お父さんにも追いついてみせる…!!待ってて…!」

 

「…楽しみにしてるよ。…よしみんな!今から銀座の寿司屋に行くぞー!!もう店ごと貸し切ってあるから、好きに食べていいぞー!!」

 

「やったー!お寿司だー!!」

 

「あら〜よかったわね、ひとりちゃん♪」

 

「うん…!何食べようかな…!」

 

(……まぁ………とっくに追いつかれてるけどな。…………僕もひとりに…負けてられないな)

 

 

 車内は絶え間ない笑い声と、これ以上ないほど温かな幸福感で満たされていた。

 ひとりは家族の無条件の愛情に包まれ、頬を緩ませ続けながら、今日という奇跡のような一日を心から噛み締めていた。

 

 そして直樹の胸の奥でもまた、一人のギタリストとしての渇きが静かに燃え上がっていた。娘という最高のライバルを得た彼は、これまで以上に世界へ向けて最高の音を届けようと、夜のハイウェイを疾走しながら固く決意するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライブ審査の結果発表が終わり、狂乱に沸く会場の熱を背中で受けながら、私は楽屋の片隅でせっせと自分の荷物をまとめていた。

 

 汗で張りついた前髪が額にへばりつき、まだ呼吸が浅く乱れている。

 無事にファイナル進出を決めて安堵している楓子たちの視線を肌に感じながら、私は振り返ることもせず、ただ一言だけを絞り出した。

 

 

「……先に帰る」

 

「え?ヨヨコ先輩?」

 

 

 楓子が咄嗟に引き留めるような声をあげたけれど、私は無視した。重いギターケースを肩に担ぎ、バッグをひったくるように掴むと、足早に楽屋を、そしてFOLTを飛び出した。

 

 新宿の、眩しすぎる雑踏をすり抜ける。自分の惨めさを嘲笑うかのような極彩色のネオンを避けるようにして路地裏へと逃げ込み、ようやく見つけた人気のない小さな公園へと滑り込んだ。

 

 辺りには人っ子一人いない。

 頼りない街灯の薄い光が、古びたベンチをぼんやりと照らしているだけだった。

 私は、命の次に大切なはずのギターケースとバッグをベンチへ乱雑に放り出し、その横に力なく腰を落とした。

 まとわりつくような夏の夜気のはずなのに、なぜか指先だけが氷のように冷え切っている。誰もいない静寂の空間が、急に恐ろしい重量を持って私の肩にのしかかってきた。

 

 

 今まで我慢していたものが、一気に溢れ出した。

 

 

「………………うぅっ」

 

 

 最初は、小さく情けない嗚咽だった。

 喉の奥が何かに強く圧迫されているみたいに詰まって、うまく息が吸えない。

 両手で乱暴に顔を覆うと、指の隙間から熱い涙がぽたぽたと音を立ててこぼれ落ち、お気に入りのスカートの膝の上に、不格好な濃い染みを作っていった。

 

 

「う…うぅ…!あああぁぁぁ…!」

 

 

 一度声が漏れてしまえば、もう止められなかった。堰を切ったように、私は子供みたいに声を上げて泣きじゃくった。

 肩が激しく震え、あまりの苦しさに背中が真っ二つに折れてしまいそうになる。

 涙が止まらない。

 顔が真っ赤になるほどガシガシと拭っても、次から次へと新しい涙が溢れて視界をにじませる。涙も鼻水もぐしゃぐしゃに混じって、きっと今の私は世界一みっともなくて不細工だ。

 

 でも、そんなプライドなんてどうでもよくなるくらい――ただひたすらに、胸が、心臓が、引きちぎられるように痛かった。

 

 悔しかった。

 

 本当に…本当に悔しかった。

 

 あのステージで私たちは…【SIDEROS】は持てる力を全部出し切っていた。

 

 これまでにない手応えがあった。

 

 私の声はいつもより伸びて、ギターはこれまでで一番鋭く、楓子のリズム、幽々のベース、あくびのドラム、全てが噛み合って会場を掌握したと思った。

 

 

『今日こそ、私たちが一番だ』

 

 

 心の底から本気でそう思っていた。

 

 ステージに立った瞬間、観客の視線が私に集まるのを感じて、【ケモノリア】にも他のバンドにも、勝った気さえしていた。

 

 

 でも【結束バンド】が上がった瞬間、全てがひっくり返った。

 

 

 伊地知虹夏のドラムが、山田リョウのベースが、喜多郁代の歌声が、そして、後藤ひとりのギターが──全部が【SIDEROS(私たち)】をあっさり超えた。

 

 

 今までだって、悔しい思いなら数え切れないほどしてきた。

 対バンした相手が自分たちよりフロアを沸かせたときも、夜も眠れないほど悔しくて、自分の無力さに歯噛みした。

 でもそれは、いつも私たちより何年も長く泥をすすってきた先輩バンドが相手だったからだ。その悔しさはいつも一晩で強烈な燃料へと変わり、「次は絶対に引きずり下ろしてやる」と死に物狂いでスタジオにこもり、気がつけばとっくに追い越していた。

 

 ――でも、今回は違う。今まで味わってきたどんな挫折とも、比べものにならなかった。

 

 

 一年前までは無名もいいところだった同世代の【結束バンド】。それが一気に【SIDEROS】を…私を追い抜いた。

 

 

 喜多郁代の歌声は、私の歌声を遥かに超えていた。

 どこまでも澄んでいて、なのに触れれば切れるほど鋭い。彼女の全感情がそのまま剥き出しの刃となって、私の心臓を容赦なく突き刺す。

 年下のあの子に、フロントマンとしての華も歌も、完全に負けた。

 それだけでも胸が張り裂けそうなほど屈辱的だったのに。

 

 

 何よりも私の心を完膚なきまでに叩き壊したのは、後藤ひとりのギターだった。

 

 

 あのソロが炸裂した瞬間、私はステージ袖で本当に息を止めていた。

 指先がネックの上を縦横無尽に駆け巡る圧倒的な速度、正確無比なタッピングの連打、魂の叫びのようなビブラートの深さ、完璧に統制されたベンドのピッチ──その全てが、私の貧相な想像力を遥かに凌駕していた。

 プロの領域などとうに越えて、世界最高峰の神域に直接触れている音だ。

 

 

 何より………あの【NEW GLORY】のNaokIすら…一瞬だけ超えた瞬間を、私は見ていた。

 

 

 あの瞬間、心臓が凍りつくかと思った。

 途端に、自分が今まで命を懸けて磨き上げてきた音が、ひどく小さく、薄っぺらで安っぽいオモチャのように感じられた。

 ファイナルステージに進めたことなんて、今の私にはどうでもよかった。

 

 そして私が何より悔しくて許せなかったのが──

 

 

 私自身が負けを認めてしまった事だった…

 

 

 ──【結束バンド】には…勝てない…後藤ひとりには……絶対勝てない…

 

 

 本気で、心の底からそう思ってしまった。

 その敗北の呪縛が頭の中でリフレインするたび、胸の奥が物理的に引きちぎられそうになる。悔しさと絶望で喉がせり上がり、まともに息を吸うことすらできない。

 そこには、今まで誰にも見せたことのない、惨めで、無力で、矮小な私がいた。

 リーダーとして、SIDEROSの絶対的な核として、いつも虚勢を張り続けていた仮面が、音を立てて粉々に崩れ落ちていく。真っ黒な負の感情が泥濁流となって次々と押し寄せ、私の思考を暗闇で塗りつぶした。

 

 

「……ひ…ッ…ひぅ…ッ!うぅ…!」

 

 

 もう何も考えられない。

 

 もう立ち上がれない。

 

 もう歌えない。

 

 もう…ギターを弾けないかもしれない。

 

 そんな暗い思いが、どんどん広がっていく。

 

 

 

 

 その時──────

 

 

 

 

「ヨヨコ先輩」

 

 

 

 

 突然、声が聞こえた。

 涙でぐしゃぐしゃの視界に、ぼんやりと3つの影が映る。

 

 

 あくび、楓子、幽々──3人が、私の前に立っていた。

 

 

「ッ!!?」

 

 

 え…?なんでここに…?

 

 

「…なっなん…で…ここに………?」

 

 

 喉がひきつって、震えた声がまともに出ない。涙の膜でぼやけた瞳のまま、私は呆然と3人を見上げた。

 あくびが私の隣にすっと腰を下ろし、いつもの少し眠たげな瞳で私をまっすぐに見つめてきた。

 

 

「ヨヨコ先輩。ライブ後は絶対と言っていいほど反省会するのに…今日だけ何も言わずに帰ったじゃないすか。んで気になって、みんなでついて来たんすよ…そしたら…」

 

 

 あくびの言葉に合わせるように、正面に立った楓子も優しく頷いて、今にも泣き出しそうな目で私を見つめている。

 そしていつも無口な幽々が、私の前に静かに膝をつき、迷いのない動きで私の両手をそっと握りしめてきた。

 さっきまで氷のように冷え切っていた私の指先を、幽々の確かな熱を持った手のひらが優しく包み込んでいく。

 

 見られたくない姿を見られた羞恥心で、私は慌てて腕を振り上げ涙を拭った。袖で肌がヒリつくほど乱暴に顔をこすり、必死になって涙をせき止めようとする。

 だけど、ダメだった。止まるわけがなかった。

 溢れ出た弱音の雫は、次から次へと睫毛を割り、私の頬を伝って冷たい地面へと落ちていく。

 激しく鼻をすすりながら、私は残された最後のプライドで、必死に虚勢の仮面を張り直そうとした。

 

 

「べっ別に泣いてないし…!ちょっと目にゴミ入っただけで…!ていうかあんたたち…!勝手について来ないでよ!…私は一人で……平気……だから…………」

 

 

 強がれば強がるほど声は惨めにしぼんでいき、言葉が途切れ途切れに霧散する。

 涙目のまま精一杯の力で睨みつけようとするけれど、視界が涙の海で塞がって、3人の顔すらまともに見えやしない。

 敗北の悔しさ、見られた恥ずかしさ、リーダーとしての情けなさ――あらゆる負の感情が頭の中でぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、ボロボロと涙が止めどなく溢れ出していく。

 もうどうしようもなかった。私は自分の無力さに耐えかねて、ただ深く、深く俯くしかなかった。

 

 

 

 その時──3人が、一斉に私に抱きついてきた。

 

 

「……ッ!!!」

 

 

 息が止まり、全身の細胞がカチリと固まった。

 いつもの私なら「やめなさいよ!」と怒鳴って振り払っていただろう。だけど今は、指先一つ動かす力すら湧いてこなかった。

 3人は、何も言わなかった。

 ただ黙って壊れ物を扱うように、だけど絶対に離さないという強い意志を込めて、私をぎゅっと抱きしめ続けてくれた。

 重なる腕が、私の冷え切った身体を全方位から包み込んでいく。3人の愛おしい体温が、凍りついていた私の心臓の奥へと、じんわりと染み込んでくる。

 

 

 

 

 そして──我慢ができなくなった。

 

 

 

 

「…あっ…あぁ…!…ああああああぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 今まで【SIDEROS】を結成してから誰にも、メンバーにすら一度も見せたことのないような声を上げて、私は大号泣した。

 

 まるで迷子になった小さな子供のように、狂ったように泣きじゃくる。

 

 激しい嗚咽が喉の奥からせり上がり、肩が壊れたように震え、涙が狂ったように溢れ出る。

 

 後藤ひとりへの敗北の悔しさ、彼女の音への狂おしいほどの憧れ、負けたことへの自分への怒り、そして誰よりも脆くて弱かった自己嫌悪――胸の奥に澱んでいた毒が、涙となって一気に噴き出していった。

 

 

 それでも、3人は何も言わなかった。

 私の醜い感情を受け止めるように、ただ黙って私を抱きしめ続けてくれた。

 

 あくびは私の両手を強く握りしめたまま、その温もりを伝え続ける。

 楓子は優しく、何度も何度も私の背中をさすって孤独を溶かしていく。

 幽々は私の頭を胸に抱き寄せ、幼い子供をあやすように、慈愛を込めて何度も私の髪を撫でてくれた。

 

 3人がくれた無条件の温もりが、絶望に震える私の身体と魂を、どこまでも優しく、暖かく包み込んでくれていた。

 

 

 ───

 

 ──

 

 ─

 

 

 ………どれくらい泣いていただろう。

 

 胸の奥に澱んでいたドス黒い感情を全部吐き出して発散していくうちに、心臓を締め付けていた冷たい塊が少しずつ、確かに溶けていくような感覚があった。

 激しかった嗚咽が次第に小さくなり、壊れたように震えていた肩の揺らぎが収まっていく。引きちぎれそうだった呼吸が、ゆっくりと本来の規則正しさを取り戻していった。

 

 私は幽々の胸からゆっくりと顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった無様な顔を袖で手荒に拭う。

 まだ小さく鼻をすすりながら、私は正面にいる3人に向かって、消え入りそうな声でぽつりと呟いた。

 

 

「…………ありがとう…来てくれて…」

 

 

 およそ私らしくない、ひどくしおらしくて、弱々しい声だった。

 自分で言うのもなんだけど、いつもは強気でツンツンしている私が、こんなにも素直に「ありがとう」を口にするなんて。

 

 

「大丈夫ですよ。ヨヨコ先輩の気持ち、私たちも分かります…」

 

「幽々たちも同じ気持ち…正直悔しかった」

 

 

 楓子が痛みに寄り添うように共感し、幽々も静かに力強い声で言葉を添える。

 すると、隣に座るあくびが私の顔を覗き込んできた。いつもの少し眠たげな口調のまま、私の魂を叩き起こすような芯のある声で告げた。

 

 

「…ヨヨコ先輩。前にぼっちさんとスタ練した時、こんなこと言ってましたよね?」

 

「……え?」

 

 

「『最後に私たちが一番だったらそれでいい』って…」

 

「?」

 

 

 確かに言ったけど……何で…今そんな話を…?

 

 

 

 

「だったらファイナルステージで優勝して…全部覆しましょう。何があっても立ち止まらないんでしょ?」

 

 

 

 

 その言葉が、私の胸に深く刺さった。

 悔しさの涙はまだ乾いていないのに、瞳の奥に、再び強い光が灯る。

 

 

 (……そうだ。私が言った言葉だ)

 

 

──最後に私たちが一番だったらそれでいい

 

 

 あの時、自信たっぷりに言った言葉。今、それがブーメランのように返ってきた。

 

 

「……ッ」

 

 

 一瞬だけ、言葉に詰まった。

 だけど、次の瞬間には、私の脳細胞は完全に戦闘モードへと切り替わっていた。

 涙で濡れた顔をもう一度袖で手荒に拭い、肺の底にある淀んだ空気を吐き出すように、ゆっくりと息を吐く。

 じわじわと顔の筋肉が持ち上がり、いつもの、誰も寄せ付けないほどの自信に満ちた表情が戻ってくる。

 

 

「…………そうね。私が言った言葉だ…最後に一番だったら…それでいい。…こんなところでメソメソ泣いてるなんて…私らしくない…!絶対ファイナルで優勝して…全部覆してやる!【結束バンド】も圧倒するくらい…1番になってやる!!もう…誰にも負けない!!!」

 

 

 私の咆哮を聞いて、あくびも、楓子も、幽々も、どこか嬉しそうに笑みを浮かべた。

 悔しさと決意。その相反する二つの感情が私の胸の中で激しく混ざり合い、これまでにないほど熱く固い覚悟の塊へと昇華していく。

 

 

「……こうしちゃいられないわ。3人とも荷物持って!今からスタジオに直行するわよ!私も含めて、今日の演奏のダメだったところ、1音残さず全部徹底的に洗い出すからね!!」

 

『うっす/はい!/は〜い』

 

 

 三者三様の、だけど絶対に揺るがない信頼の返答が夜の公園に響く。

 一度は心を折られた悔しさの炎が、――私を、私たち【SIDEROS】を、誰も届かない高みへと押し上げる最強の力に変わり始めていた。

 

 




ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!
ライブ審査は結束バンドとSIDEROSに決まって、そしてSIDEROSと大差をつけての進出になりました。
あとケモノリアには脱落してもらいました。
作中でも出番ちょっとしかないし、結局ファイナルでも描写なかったから落ちてもらいました。
すまんな…尊い犠牲になってくれ…

次回はオリジナル回になります。
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