あと今回も星歌視点の描写挟みます。
それではどうぞ
【NEW GLORY】の圧倒的な演奏が終了し、熱気で歪むステージの幕が下りた。
次のバンドは、かつて下北沢のインディーズシーンを騒がせた、星歌の元バンドの出番だった。
しかし、楽屋の空気はこれからステージに立つ人間たちのものとは到底思えない、異様な興奮に包まれていた。
「マジで神すぎたわ今回!!初手『Delete and Zero』からの『Killer Break』の繋ぎはエグすぎるって!!多分俺あの瞬間が人生で一番デカい声出たわ!!」
「ホントそれ!!しかも『Chase After Your Self!』まで組み込んでくれたのマジで最高すぎたよね!!何気に今回のライブ、今までで一番レアな神セトリなんじゃないの!?」
「あれだけの音をあんな至近距離で、しかもタダで聴けた私らって、マジで今後の人生の運を使い果たしたよね~!あぁ~もうダメ!ガチで最高とか神以外の語彙が思いつかない!!」
本来なら、この後に控える自分たちのセットリストや、機材の最終チェックに神経を尖らせるべき時間であるが、リナたちはまるでライブが終わったばかりの最前列のライブキッズのように、年甲斐もなく語彙力を何処かへ投げ捨てては大はしゃぎしていた。
ガチャ
その時──楽屋のドアが開いた。
入ってきたのは、つい先ほどまでフロアの最前列で力尽きていたはずの星歌だった。
「あっ星歌おつかれ〜。さっきめちゃくちゃはしゃいでたね〜」
「めちゃくちゃダイブしてたなお前wそれより次楽しみにしてろよ〜。俺らもめちゃくちゃ盛り上げるからな」
「……ん?星歌…その背負ってるギターケースって──」
「お前ら、今日のセトリ教えろ」
リナが疑問を口にし終えるより先に、星歌の有無を言わせぬ声が響く。しかし、リナたちは何とか戸惑いを打ち消すように苦笑いを浮かべた。
「…え?いやいや無理だって。サプライズにならないじゃん」
「そうそう、せっかく俺たち星歌のために色々仕込んで考えたんだぜ?本番まで楽しみにフロアで待っ「気が変わった」て………は?」
「今日は私も、演者として参加する」
「「「!!!?」」」
リナたちの言葉を冷酷に遮り、星歌は背負ったケースのストラップを肩から外しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「嘘ッ!?」
「マジで!?」
「えっ本気なの星歌!?っていうか、ブランクあるのに弾けるの!?」
「心配すンな。夏辺りから毎日空き時間はギターの練習してたからな。指の感覚はとっくに現役のそれに戻してある。…それとも何だ?私がステージに出るのは迷惑か?」
「いや全然いいし、むしろめちゃくちゃ嬉しいけど…!だったらなんで最初からそう言ってくれないのよ。急にどうしたの?」
リナは両手を振って全力で否定しながらも、急に出演を決意した星歌に、当然の疑問を真っ直ぐぶつけた。
「…最初は、本当にその気はなかったんだよ。後方でお前らの様子見でもしようかと思ってたしな」
「でも【NEW GLORY】の演奏を観て、特に最後のあの曲を特等席で聴かされて…気が変わったんだよ」
星歌の脳裏には、先ほどの【NEW GLORY】のラスト一曲の光景がリフレインしていた。
◆
《──あ。この曲は……》
一瞬の静寂ののち、NaokIの指先から爪弾かれた最初の1コードを聴いた瞬間、星歌の身体を、心臓を、電撃のような凄まじい戦慄がぶち抜いた。
ラスト──『
泣いても笑ってもこれが最後となるその曲は、星歌が初めて【NEW GLORY】の存在を知り、生まれて初めて脳髄を焼き尽くされた始まりの曲。
そして、これまでも、これからも、彼女の人生において一番大好きなナンバーだった。
当時、星歌が中学2年生の夏休みにリリースされた、日本中を巻き込む大型映画タイアップの楽曲で、【NEW GLORY】という存在を日本の最前線へと押し上げ、彼らの歴史の決定的な転機となった伝説のモンスターナンバーだ。
スモークの立ち込めるステージの真ん中、青白い逆光のライトを浴びたLavielが深く息を吸い込む。
デジタルとアナログの境界を溶かす、退廃的でサイバーなシンセの旋律が空間を支配した瞬間、RoÉの地鳴りのような重低音とKyoyaの精密で強烈なドラムビートがドロップされ、曲は凄まじい推進力を得て加速を始めた。
その疾走感溢れるエモーショナル・ロックの旋律は、まさに星歌の脳裏に焼き付いているあのメロディそのものだった。
切なくも攻撃的なデジタルの冷徹さを纏いながら、激しいパッションを帯びて、フロアの空気をどこまでもエキサイトさせていく。
重厚なバンドサウンドの底を這うような、RoÉの超絶技巧のベースライン。そして何より、サビに向けてエモーションを限界までビルドアップしていく、NaokIのあの凶暴極まりないギターリフ。その爆音を全身に浴びながら、星歌の視界の中で、現在のスターリーの景色と、17年前のあの暑かった中学2年生の夏休みの光景が、完全にひとつに重なり合っていた。
まだ何者でもなかったあの頃、幼い虹夏をあやしながらテレビ画面をただ呆然と凝視し、なけなしのお小遣いを握りしめて汗だくでCDショップへ走った、あの日の初期衝動。
画面の向こうで眩しすぎる光を放っていた憧れの背中。
かつて下北沢のステージで、それこそ指先から血を流しながら狂ったようにギターをかき鳴らしていたバンドマンとしての熱い記憶が、せき止められていたダムが決壊するように、凄まじい濁流となって星歌の全身の血管を駆け巡る。
Lavielのファルセット気味の高音シャウトがスターリーの天井を突き抜けた瞬間、曲は激しい爆発を伴ってサビへと突入した。
その瞬間、星歌の中で完全に何かのタガが弾け飛んだ。
《……思い出した。私は、この音に憧れてギターを始めたんだ。この人たちの背中を追いかけたくて、バンドを始めたんだ…》
目の前で鳴り響く伝説のアンサンブルに、その魂を極限まで感化され、煽られ、完全に火をつけられた。
聴き手として大人しく見届ける側になんて、もうこれ以上一秒たりとも収まっていられるわけがない。
《私も…今すぐステージに立ちたい…!》
今すぐあの耳を聾する爆音の渦の中心に飛び込んで、自分の音を掻き鳴らしたい──
その狂おしいほどの自己表現の衝動が、星歌の理性を完全に焼き尽くした。
◆
「あんなすげェモン見せつけられて、大人しく観戦だけなんてできるわけねェだろ……だから次のステージ、私も参加させてくれ。今日だけは…ガキに戻りてェンだよ」
星歌の口から飛び出した、あまりにも不器用で、剥き出しの懇願に楽屋は静まり返り、張り詰めたような沈滅が数秒だけ流れた。
メンバー3人は一瞬だけ驚きに目を見開いたが、すぐに示し合わせたかのように互いに顔を見合わせると、どこか愛おしそうな、最高の笑顔を星歌に向けた。
「もちろんだよ!それに今日のイベントは星歌が主役なんだからさ、大人しくフロアで見守るなんて最初から似合ってないんだよ!一緒にステージに上がろう!」
「4人揃ってのステージとかマジでいつ以来だ?めちゃくちゃ久しぶりだし血が騒ぐな!」
ギターボーカルのメンバーが我が事のように嬉しそうに胸を張り、ベースの男も完全に戦闘モードへと切り替える。
その一方でリナがスティックを指先で器用に回転させながら、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを星歌に向けて小突いた。
「それより星歌〜出るからにはちゃんと演奏してよね〜。ブランク言い訳にして私たちの足だけは引っ張んないでよ〜?」
「誰にモノ言ってやがる」
星歌はフッと鼻で笑うと、ギターケースを開け、完璧に手入れされたギターのネックを力強く掴み引き抜いた。
「お前らこそ下手くそな演奏しやがったら、速攻スターリーから叩き出すからな」
「うわぁ~~!出たよ!完全なる職権濫用じゃん!」
「やってみろよ星歌wwもし本当に追い出されたら、腹いせにスターリーのレビュー欄に『店長の態度が最悪。二度と行きません』って低評価つけて荒らしてやるからなww」
「それは普通に営業妨害で洒落になンねェからマジでやめろ!!」
「あはは!なんかこのバカみたいなやりとり、めちゃくちゃ懐かしいな~♪」
楽屋にかつてと全く変わらない4人の笑い声が響き渡る。
10年の歳月なんて、一瞬で吹き飛んでしまうほどの確かな絆がそこにはあった。
そして、開演時間が近づく。
スタッフからの呼び出しの合図とともに、4人はそれぞれ機材を最終チェックし、手慣れた手つきでイヤモニを耳へと装着し始めた。
頭の中で何かのスイッチが切り替わる。
4人の表情には、先ほどまでのライブキッズのような笑顔はもうどこにもなかった。そこにいたのは、30代のライブハウス店長や社会人ではない。
10年前、圧倒的な実力とカリスマ性で下北沢のインディーズシーンを最前線で引っ張っていた、バンドマンの顔そのものだった。
───
──
─
「次は店長さんのバンドの出番ですね!どんな演奏するのか私楽しみです!」
「解散してからだいぶ経つのに、お姉ちゃんの誕生日にわざわざ集まってくれるなんて、本当にいいメンバーだよね。お姉ちゃん愛されてるなぁ〜」
「……で。その肝心の主役はどこにいるの?」
「「え?」」
虹夏がどこか誇らしげに微笑んでいる横で、リョウがジト目で指摘を投げかけると、虹夏と喜多は辺りを見渡した。
「あれ?そういえば、姿が見えないですね……」
「ええっ!?【NEW GLORY】のライブの時までは、最前列でずっと観てたのに!お姉ちゃんどこ行っちゃったんだろ…?」
「虹夏、今回のイベントの主催なんだから、ちゃんと周り見ないとダメじゃん」
「うぐっ……!それを言うならリョウだって、さっきまで聞いてもないのに【NEW GLORY】のライブの感想を延々と語ってたじゃんか~!」
「私は音楽に対して常に真摯だからね。仕方ない」
二人がいつものように小競り合いを始めたその時、少し後ろにいたひとりが、おずおずと片手を挙げて消え入りそうな声を漏らした。
「あっあの…店長さんならさっき、【NEW GLORY】の演奏が終わった直後…凄い勢いでスターリーから出て行ってましたよ?」
「えっそうなのぼっちちゃん!?も~お姉ちゃんったら!主役のくせに勝手に出て行ってどこ行ったのさ~!」
「多分、着替えにでも行ったんじゃない?店長、さっきめちゃくちゃモッシュとかダイブに参加してたし」
「確かに見るからに汗だくでしたもんね。いつもクールで大人な店長さんが、すっごくはしゃいでて新鮮でしたね!ね~ひとりちゃん」
「あっはい」
「あっ!そろそろ時間ですね!」
喜多のスマホの時計が定刻を告げると同時に、黒幕が滑るように引き下げられ、スポットライトがステージを一気に照らし出した。
拍手と歓声に迎えられ、ギターボーカル、ベース、ドラム席にリナがそれぞれの定位置へと登場する。だが最後に上手の袖から、1本のギターを肩に担いだ影が、悠然とステージのセンターへと歩み出てきた。
その正体は──伊地知星歌その人だった。
「………え!!?おっお姉ちゃんッ!!!?」
仕掛け人であるはずの【結束バンド】のサプライズ計画を、さらに上から力ずくで叩き潰すような超絶サプライズに、虹夏は目をこれ以上ないほど見開いて素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「あっ…店長さんがさっき出て行ったのは…自分のギターを取りに戻ってたからなんですね……」
「…虹夏はこのこと知ってたの?」
「いやいやいや!あたしそんなの聞いてないし初耳だよ!!どうなってるの!?」
「もしかして店長さん、私たちに逆サプライズとか考えてたんですかね?まぁ理由は何にせよ、私店長さんがギター演奏するところを観るの初めてなので、めちゃくちゃ楽しみです!!」キターン
全員が自分のポジションについた瞬間、ギターボーカルがマイクを握りしめ、フロアを煽るように軽快なMCを響かせる。
『メリークリスマス!今日はこんなにたくさん集まってくれて本当にありがとう!一曲目から容赦なく飛ばしていきます!それでは聴いてください!』
『…1.2.3──』
リナのドラムカウントが静寂を切り裂き、いよいよ待ちに待った曲が始まった。
先発曲は、星歌たちのバンドの代名詞とも言える超定番のキラーチューン。スターリーのフロアを疾走感溢れる爆音が駆け抜けていく。
驚くべきは、その圧倒的な一体感だった。
解散から10年以上の歳月が経ち、久しぶりのバンド演奏であるにも関わらず、リズムが走ることも、誰一人としてテンパることもない。
まるで昨日も同じステージに立っていたかのように、4人の呼吸は一分の狂いもなくぴったりだった。
現在も第一線で活躍するスタジオミュージシャンであるリナのドラムは、破壊力と正確無比な安定感を両立させ、バンドの骨組みを強固に支える。
そこへベースの男が、うねるような低音のベースラインを滑り込ませ、単なるリズムキープに留まらないメロディラインを構築していく。
ギターボーカルは慣れた手つきで完璧なバッキングギターを刻みながら、サビに突入すると、彼女は満面の笑顔で歌い上げながらフロアの客を力強く牽引していった。
そして、この最強のアンサンブルの頂点に君臨するのが、リードギターである星歌だった。
星歌の放つギターの音色は、バンド全体を引っ張る絶対的な道標として機能し、他の3人を、そしてフロアの全員を熱狂へと導いていく。
ひとたび曲がギターソロに突入すると、星歌の指先は指板を駆け巡り、感情を爆発させるような情熱的なチョーキングと、正確無比なリフを炸裂させた。
その圧倒的なカリスマ性と、ブランクを完全にねじ伏せたギタープレイに、当時の古参ファンからブッキング相手である【しじみ帝国】のファン、そして今日初めて星歌たちの音を聴いた【結束バンド】の一般客に至るまで、スターリー全体が瞬く間に割れんばかりの歓声と絶賛の嵐に包み込まれた。
「うおおおお!!!」
「最高だ━━━!!!!」
「すげぇ!昔と全然変わってない!」
「このバンドも中々いいかも…いやマジでカッコいいな」
「これで解散してんの勿体なさすぎるだろ」
さらに、普段のライブハウスの店長としての星歌しか知らなかった常連客たちは、ステージでギターを掻き鳴らす星歌の姿に、顎が外れそうなほど驚愕していた。
「え…?ヤバくない?てかレベルたっか…」
「スターリーの店長さん、こんなにギター上手かったんだ!」
「もうプロレベルじゃん…なんでバンドやめたんだろ?」
地鳴りのような絶賛の渦は、【結束バンド】の4人の元へとダイレクトに吹き込んできた。フロアの熱気と客席からの賞賛の声に包まれるようにして、圧倒されるメンバーたちの言葉が次々と溢れ出す。
「店長さんたちすごくカッコいいですね!人気高かったのも頷けますよ!」
「確かに…ブランクあるはずなのに息ぴったり。虹夏が人気あったって言ってたの本当だったんだ」
「あっそうですね…店長さん達、カッコいいです…」
このようにフロアの観客や【結束バンド】のメンバーたちが一様に、星歌たちのブランクを感じさせない圧倒的な演奏技術とパフォーマンスに気圧されていた。
しかし、その中で──
「…」
虹夏だけは最初から一言も発さず、微動だにすらしていなかった。
歓声を上げることも、リズムに合わせて身体を揺らすこともしない。ただじっと、ステージのセンターで誰よりも輝いている姉の背中を、網膜に焼き付けるように真っ直ぐに見つめ続けていた。
───
──
─
それから、目まぐるしいスピードでセットリストは進んでいった。
メンバーが手拍子をしてフロアを煽れば、客席全員が爆音の疾走感に合わせて狂ったようにジャンプを繰り返す。【NEW GLORY】が残していった圧倒的な熱量の後だというのに、フロアの熱気は一ミリも冷めることなく熱狂し続けていた。
解散から10年。それでもステージの上で鳴り響く音はみずみずしく、かつて下北沢を震わせていたあの頃のままだった。
そして、泣いても笑ってもこれが最後のラスト一曲を迎えるその前に、ドラム席のリナがマイクを握り、少し息を切らしながらMCを挟んだ。
『え~、星歌が急にバンド辞めてライブハウスやるって言い出した時は、正直何言ってんだこいつって思ったし、絶対に無理だろって思ってたんですよ。あまりに突然だったから星歌にバンド辞めるって言われた瞬間に、ガチで一発ぶん殴っちゃいましたしね』
『それでも星歌は、本当に死ぬ気で真面目に勉強して、がむしゃらに働いてスターリーを作った。今じゃこんなに多くの人が集まる最高のハコになって…本当に、本当によく頑張ったんだなって、今日ここで演奏して心の底から思いました』
リナは一度言葉を切り、愛おしそうにステージの床を踏みしめ、それから横一列に並ぶメンバーたち、そして星歌を見つめた。
『星歌が死ぬ気で守り抜いてきたこの大切な城で、またこうして4人揃って音を合わせることができて…私めちゃくちゃ幸せです!』
その言葉が紡がれた瞬間、ギターボーカルもベースの男も、そして背を向けていた星歌の肩も、ほんの少しだけ優しく揺れた。ドラム席から真っ直ぐに向けられた戦友としての最大のリスペクトと愛に、ハコ全体がじわりと温かい感動に包まれていく。
『星歌!これからも何十年も、ず〜〜〜っと愛され続ける最高のハコにしろよ!誕生日おめでとう!』
リナがスティックを高く掲げたその瞬間、フロア全体から、まるでハコが揺れるほどの凄まじい拍手喝采と、星歌の誕生日を心から祝う温かい言葉の雨が贈られた。
「店長おめでと━━━!!!!」
「これからもスターリーに通い続けるからね〜!」
「最高のバンドだ!がんばれー!」
「今度から店長にサポートギター頼むね〜!」
スターリーの地下が、これ以上ないほどエモーショナルで美しい感動の渦に包まれる。リナはマイクを握り直すと、そんな満開の拍手を受け止めながら、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべて言葉を付け足した。
『──あっそうそう。星歌もう31なんだからさぁ。毎晩抱いて寝てるお気に入りのぬいぐるみ、いつまでも虹夏ちゃんに洗ってもらうんじゃなくて、いい加減自分で洗いなよ~?』
『!!?!?!』
リナの声が妙にクリアに響き渡った瞬間、上手の定位置で、星歌の身体が文字通り落雷でも浴びたかのように硬直した。
あまりにも唐突すぎる容赦のないプライベートのカミングアウトに、さっきまで圧倒的なカリスマの覇気を放っていた星歌の顔が、一瞬で見たこともないほど真っ白に凍りつく。
そしてフロアの空気も、感動の絶頂から一転して妙なざわつきに包まれ始めた。
(妹離れできてないんだ…)
(てかぬいぐるみって…)
(店長さん、家事できない系の人か…)
(ギャップ萌えエグすぎンだろ)
(この三十路……可愛過ぎる!!)
(さすがリナさん。この一瞬でお姉ちゃんの弱点を3つも暴露するなんて…)
あまりにも恥ずかしすぎるプライベートの暴露に、怒りと羞恥でわなわなと震えていた星歌だったが、フゥと一つ深く息を吐き出すと、上手のスタンドからマイクを握り直した。
『…コホン。え~湿っぽい話と、どうでもいい雑音はここまでだ』
無理やり話を打ち切るように星歌が凄みのある声でマイクに音を乗せると、フロアの客たちは内心(あっ誤魔化した…)と思いつつも、星歌の威圧感に気圧され、再び静まり返って星歌の口元へと注目した。
『次の曲がラスト一曲なんだけど……最後は私たちが現役時代、披露することができなかった新曲をやりたいと思う』
『!!?』
その言葉がスターリーの地下に響き渡った瞬間、フロアの前方に陣取っていた20名ほどの古参ファンたちの表情が一変し、驚愕のあまり完全に言葉を失った。
そして当然、虹夏も例外ではなかった。
「え…?新曲……?お姉ちゃん、そんなの作ってたの…?」
驚きに小さく息を呑み、ステージの後方から呆然と見つめている虹夏の視線に、星歌は気がついていた。
上手の定位置でギターを構えた星歌は、フロアの喧騒からふっと視線を外し、虹夏へと顔を向けた。
普段の不機嫌そうな店長の顔でも、獰猛なギタリストの顔でもない。世界でたった一人の妹にだけ見せる、柔らかくて、どこか照れくさそうな優しい笑みを浮かべる。
(やっと……聴かせられるな)
最後の曲は、10年前のバンド活動の中で、星歌が初めて一人きりで作詞・作曲を手掛けた特別な楽曲だった。
リナたちと上を目指すための曲でも、インディーズシーンを殴りつけるための攻撃的なナンバーでもない。
母を亡くし、不器用ながらも二人三脚で生きてきた、世界で一番大切な家族──他でもない、妹の虹夏のために作った曲だった。
いつか虹夏が自分の意志で羽ばたくその日まで、星歌が胸の奥底でずっと温め、毎日のように誰もいない部屋で大切に磨き続けてきた、姉としての祈りの結晶。
星歌はもう一度マイクを強く握りしめ、その曲名を告げた。
◆
21歳の頃の私は、【NEW GLORY】と自分のバンドと仲間だけが世界の全てだった。
大好きなバンド仲間とひたすら夢に向かって突っ走り、全盛期の【NEW GLORY】の追っかけに命を懸ける。
毎日が言葉にできないほどのキラキラとワクワクで埋め尽くされていて、未来は夢と希望だけに満ちていた。
当時の私は、何も怖くなかった。
でもそれと同時に、私にとっては家族の存在が、ただただ煩わしかった。
特に妹の虹夏は…
今でこそ姉妹仲良くやっているが、21歳の大学生とまだ9歳の小学生の価値観なんてハナから合うはずもなく、当時の私たちはケンカばかりしていたのを覚えている。
昔の虹夏は、何をするにも私の後ろをちょこちょことついてきた。見たくもないアニメを一緒に見ようとせがんできたり、人形遊びにも毎日のように付き合わされた。
傍から見りゃ、年の離れた姉妹の微笑ましい光景に映ったかもしれない。だが、音楽に全てを捧げていた当時の私にとって、ガキの遊びなんかこれっぽっちも興味はなかったし、一分一秒を惜しんでギターを弾きたい私にとって、あいつの無邪気さはただただ鬱陶しくて仕方がなかった。
ある日のライブ後、居酒屋で打ち上げをしていた時のことだ。下北沢の『レイニー・バー』というライブハウスから、私たちのバンドに出演オファーが届いたとリナから伝えられた。
そこは独自の厳格な審査があり、ブッカーのお眼鏡にかなわなきゃステージにすら立たせてもらえないハコで、メジャーレーベルのお偉いさんもよく視察に来てて、なにより国内最大手にして【NEW GLORY】が所属しているレーベル『Fusion Impact』のA&Rも時々に見に来るという、下北沢でも特に敷居の高いライブハウスだった。
ワンチャン、【NEW GLORY】とレーベルメイトになれるかもしれない──そんな都合のいい期待を、私たちは本気で抱いていた。
なによりも、憧れの神と対バンできるかもしれない、人生最大のチャンスが巡ってきたのだ。
その話を聞いた瞬間、私は柄にもなく、メンバーたちと一緒になって大はしゃぎしてしまった。
他のメンバーたちは「彼女を呼ぶ」「友達を誘う」「親を招待する」と口々に盛り上がっていた。私は正直言って躊躇したけれど、とりあえず話だけでもと思い、久しぶりに実家に帰った夕飯の席で、そのライブの話を切り出した。
『やだ!!お姉ちゃんのライブなんて絶対いかないもん!!虹夏、バンドなんて大っきらい!!』
だが虹夏は、私の淡い期待を裏切るように案の定のリアクションを返してきた。べーっと舌を出して、生意気にも真っ向から拒拒してきやがったのだ。
そのあと、母さんと父さんが虹夏に向かって何か宥めるようなことを言っていたけれど、私の耳には一ミリも入らなかった。
神と繋がれるかもしれない私の人生の最高到達点を、よりによって身内に「大っきらい」という安っぽい言葉で全否定されたのだ。
あまりの生意気な言動にムカつきが収まらなかった私は、帰ったばかりの家をそのまま飛び出し、しばらくの間、リナのアパートへプチ家出を決め込んだ。
それから一カ月が経った、ある日のことだ。
リナのアパートでいつものように飯を食っている最中に、ひょっこりと来客があった。
『やっほ~星歌♪来ちゃった~☆』
部屋のドアを開けて立っていたのは、他でもない母さんだった。さすがに一カ月も家に帰らないのはまずかったらしい。
母さんは私にちょっと話があると言ってきて、そのまま二人で近くのカフェへと移動し、サシで向かい合って話すことになった。
私はさっさと話を切り上げてリナの家に戻りたくて、当たり障りのない言葉を選びながら、面倒くさそうに母さんをあしらっていた。
そんな私を困ったように見つめながら、母さんは静かに言葉を紡ぎ出した。
『じゃあ、もう虹夏を泣かせちゃダメよ』
母さんの口から飛び出したのは、私への説教ではなく、置いてきた小さな妹の名前だった。
『夢に一生懸命になるのも良い。きっと今の星歌は、人生の中で一番楽しい時期を過ごしてるんだと思うからね。お母さんとお父さんのことが鬱陶しくなっちゃうのも、別に良い。それは星歌の自由だから』
『でもね、虹夏にだけは、寂しい思いをさせちゃダメ。常に世界一仲の良い姉妹であるコト♪』
『お母さん達は、いつか星歌たちより先に居なくなっちゃう。そしたらね、この広い世界でたった二人だけで、お互いに支え合って生きていかなきゃいかなくなるでしょ?』
『だから星歌と虹夏には、世界一仲の良い姉妹でいてほしいの。お母さんからのお願いは、本当にそれだけなんだから♪』
いつもなら、母さんの小言なんて話半分で軽く聞き流していたはずだった。
だがこの時ばかりは何故か、母さんのその言葉が、まるで胸の奥に深く突き刺さったみたいに、ずっと頭から離れなくなってしまった。
話が一区切りついた後、母さんは私に次のライブ、虹夏を誘ってあげてほしいと言ってきた。
虹夏のことだ。どうせまた意味の分からない理由をつけて怒るだろうし、正直言って嫌だった。
けれど母さんは全部見透かしたような顔で、「虹夏はね、本当はお姉ちゃんのライブに凄く行きたいんだよ」と、分かったように笑っていた。
《………まぁ、一回くらい誘うのも悪くないか。新曲も披露したいしな……とりあえずさっさと歌詞書き上げないと…》
頑なだった私の心が、母さんの言葉によってほんの少しだけ柔らかく解けていく。
それでも素直になれない私は、母さんには「とりあえず気が向いたらね」とだけ伝えて、その日はカフェの前で別れた。
それが、母さんとの最後の会話だとも知らず…
そして──終わり時は突然訪れた。
『可哀想に…玉突き事故の巻き添えですって…』
『虹夏ちゃん…だったかしら?まだ9歳って言ってたわよ』
『娘さん…まだあんなに小さいのにねぇ…』
『あんなに元気にしてたのにね…』
『本当に、信じられないわね……』
母さんが死んだ。
お通夜のどんよりと淀んだ空気の中、親戚だか近所の人だかも分かンねェ大人たちの、無責任に憐れむようなひそひそ話が耳に障った。
祭壇の遺影に写る母さんはいつも通り優しく微笑んでいるのに、線香の煙だけが容赦なく現実の終わりを告げていた。
死因は、玉突き事故の巻き添えだった。
衝突の衝撃で重体となった母さんは、近くの救急病院への搬送中に息を引き取ったらしい。
しかもその事故が起こったのは、カフェで私と別れて、わずか数分後のことだったのだ。
──私がもっと話をちゃんと聞いていれば。
──あの時、もっとカフェに母さんを引き留めていれば。
──なんであの時、「うん」って言ってあげなかったんだろう。
そんな、意味のない後悔だけが脳髄をぐちゃぐちゃにかき回す。
『ひっく…!ひぅ…!おかーさん、死んじゃやだよ…!!おかーさん!!あぁ……わあぁぁ…!うわあぁぁぁん!!』
そんな大人たちの声をかき消すように、虹夏はただただ子供のように、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んでいた。
大嫌いと言って私を拒絶した小さな身体が、今は怯えた動物のようにガタガタと震えながら泣きじゃくっている。
21歳の私の世界は、間違いなく完璧に満たされていた。
【NEW GLORY】を追っかけていたあの時、仲間といる時、バンドをやっていた時、毎日が言葉にできないほどキラキラとわくわくしていて、未来は希望で溢れかえっていて、私には何も怖いものなんてなかった。
でも、そんな幸せに満たされていた私の世界は、あまりにもあっけなく終わりを迎えた。
それから一カ月が経った。
『せっ星歌、無理しなくていいんだよ?まだ一カ月だし…バンド活動の再開だって、もうちょっと落ち着いてからでも誰も文句言わないから…』
スタジオでリナが本当に申し訳なさそうに気を使ってくれたけれど、私は家で大人しくしている方が余計なことばかり考えそうで嫌だった。
それに本当のことを言えば、あの時はあんまり実感が湧いていなかった。
母さんはまだ世界のどこかにいるような気が、ずっとしていた。
それからさらに時間が経って──いよいよあのレイニー・バーでのライブの日がやってきた。
朝から会場へ向かおうとしていた私のスマホに、普段は滅多に連絡なんてよこさない父さんから、珍しく焦ったような電話が掛かってきた。
急いで家に帰ると、自室の床にへたり込んだ虹夏が、過呼吸になりそうなほど大号泣しながら登校拒否を起こしていた。
『やだやだ!!もう学校にもどこにも行かない!!もうずっと家にいる!!何もしたくない!!』
いつもの我儘な泣き方とは明らかに違う、世界に見捨てられたような叫びだった。
でも私はその異様な気迫に戸惑いつつも、なんとか学校へ行く支度をするよう促した。
『きっ…気持ちはわかるけど、学校はちゃんと行かなきゃダメだろ?ほら、いつまでも泣いてないで…髪を結んで、早く支度して…』
私がそう言って、虹夏のバラバラに広がった金髪に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
『結べないもん……ッ!!もうお母さんいないもん!!!!』
虹夏は私の手を激しく振り払い、狂ったように叫んだ。
──今日はどのリボンにしよっか?
──じゃあ、このチェックのやつ!
──はーい♪
──…どれも大して変わンねェだろ?
──あー!お姉ちゃんがまた意地悪言う!!
──あらあら、ふふふ♪
脳裏をよぎるのは、もう二度と戻らない、ありふれたあの朝の食卓の光景。
でも母さんはいない…もう…どこにも…
その事実を脳が完全に理解した瞬間、私の目から、熱い涙がボロボロと溢れ出して止まらなくなっていた。
虹夏は家でずっと一人で、お母さんの死に向き合っていた。
私が現実から逃げて家に帰らない間も、ずっと、たった一人で。
しばらくして泣き疲れて眠った虹夏を父さんに任せた後、私は家のベランダに出て、冷たい風に吹かれながら一人で黄昏ていた。
その頭の中に、あのカフェで微笑んでいた母さんの声が、かつてないほどの鮮烈さでよぎった。
──二人で支え合って、世界一仲の良い姉妹でいてほしいの。
私は冷たい手すりを強く握りしめ、空に向かってぽつりと呟いた。
『……約束…絶対守るよ』
そして、ライブの開演時間が刻一刻と迫る中、私は泣き止んだ虹夏をリビングの椅子に座らせて、その金髪を生まれて初めて自分の手で結び直した。
『お母さんの結び方と全然ちがう…』
『こんなぐちゃぐちゃじゃないもん…』
『っていうかこれ、お菓子の箱についてたリボンじゃん……』
慣れない手つきで不器用に髪を結ぶ私に、虹夏はもにょもにょとずっと不満を零し続けていた。普段なら怒鳴り飛ばしていたところだが、その日はバンドにとって一番大事なライブが控えていた。ここでまた大泣きされては堪らないので、私は泣く泣く文句の言葉を胃の奥へと飲み込んだ。
これが後に、周りからトレードマークと呼ばれるようになる、あいつのサイドポニーテールの本当の始まりだった。
そのあとライブハウスの玄関前で、虹夏は「別に興味ないから帰る」とそっぽを向いて不機嫌そうにしていた。
だが、私には分かっていた。
母さんが言っていた通り、あいつは本当は、ずっと私のバンドのライブに来たかったのだ。
私は開演前の準備に追われ、付きっきりでいてやるわけにもいかなかった。
だから、いつも私がライブをしているハコの、昔から気心の知れた信頼できる照明スタッフの元へ虹夏を預け、私は足早に楽屋へと向かった。
そして、ついにライブの本番が始まった。
結局、母さんと約束した新曲の歌詞は、あの夜のステージには間に合わなかった。
けれどあの時の私は、間違いなく今までの音楽人生の中で一番手応えのある、魂を削り出すような最高の演奏ができた。私のギターの音が、レイニー・バーのフロアを真っ二つに切り裂いていくのが分かった。
演奏が全て終わり、息を切らしながら、私はフロアの奥へと視線を走らせた。
向こうで私が不器用にくくりつけたお菓子の箱のリボンを揺らしながら、虹夏は最高の笑顔でボロボロと涙を流し、小さな拳を力強く握りしめて、両手を天高く突き上げて喜んでいた。
バンドなんて大っきらいだと言っていたはずの妹が、私の鳴らした音に、人生で一番美しい光をその瞳に宿して救われていたのだ。
その瞬間──私の胸の奥で、本当に世界の形が変わった。
これからもずっと、虹夏のこんな顔が見ていたいって──
ライブが終わった後、私は機材も置いたまま誰よりも速い足取りで虹夏の元へと駆け寄った。
まだ興奮と涙で小さな身体を震わせている妹を、私は壊れ物でも扱うように、けれど二度と離さないように力強く抱きしめた。
『虹夏。私は…もう母さんの死から逃げない。虹夏一人だけに、辛い思いなんて絶対させない』
『だから──これからは二人で支え合って生きていこう。私たちは、世界一仲の良い姉妹なんだから』
あの日、私の胸の奥で、お母さんから受け継いだひとつの星が、虹夏へと繋がる一本の強固な鎖になった。
◆
『Next Song is called──『
その曲名が告げられた瞬間、リナの激音のドラムカウントとともに、『Star Chain』の爆音のイントロがスターリーを震撼させた。
曲の始まりは、どこまでも澄み渡ったクリスタルな電子音の旋律と、胸を突き抜けるような超高速のビートが、恐ろしいほどの美しさで交錯する極上のサウンド。
まるで濁った空気を一瞬でクリスタルブルーの熱気へとハジけ飛ばすような圧倒的な透明感に、客席からは割れんばかりの手拍子と歓声が巻き起こった。
「うわああああ!!!」
「ヤバい!ヤバい!マジでヤバい!!」
「大好きだー!!!!」
イントロのあまりの格好良さと、音源すら存在しない完全な初披露の衝撃に、フロントに陣取る20名の古参ファンたちが一斉に頭を抱えて歓喜の声を上げた。
そしてフロアの後方では、虹夏がその目から大粒の涙をポロポロと溢れさせ、両手で口を覆ったまま呆然と姉の姿を見つめていた。
その横でリョウも、ひとりも、喜多も、このハコの主が紡ぎ出す圧倒的な音の鎖に、ただただ息を呑んで釘付けになっていた。
(待たせたな虹夏。これがお前と、母さんとの約束の曲だ)
心の中でそう呟くかのように、星歌の指先は千切れんばかりの勢いでギターを掻き鳴らす。胸を焦がすような疾走感あふれるリフも、五感を劈くような美しい電子音の旋律も、全てはサビに向けた狂おしいほどの手向けだった。
(あの時は、歌詞さえ間に合わなかった。でも、今なら全部お前に届けられる!)
そこから目まぐるしく展開を重ね、サビへと向かうビルドアップの瞬間、スターリーに鳴り響く音が、一つの巨大な光の渦のようにうねりを上げ始めた。
どこまでも加速していくビート。フロアの客全員が曲の猛烈なスピードに合わせて一斉にジャンプを繰り返し、ハコ全体が物理的に激しく揺れ動く。
緊張感が限界まで高まっていく中、解散後に星歌が一人で書き上げたというその旋律が最高潮を迎える。
歌詞に込められているのは、かつて理不尽に去っていった最愛の母への鎮魂、そして、その意志を絶やすことなく次の世代──今まさに新しい夢へ羽ばたこうとしている虹夏たちへと繋いでいくための、あまりにも泥臭く美しい誓いだった。
(母さん見てるか…!聴こえてるか…!届いてるか…!私は、もう絶対に逃げない!虹夏が自分の足で羽ばたくその日まで、私がこの城でずっと繋ぎ続けるから!!)
そして、感情のダムが決壊するようなサビの瞬間、世界が青く反転した。
突き抜けるようなハイトーンの旋律が、濁りのない圧倒的な透明感を纏って、まるで冬の夜空の星屑のようにきらびやかにフロアへと降り注ぐ。
それまでの音をさらに一段上へと引き上げるような、宇宙の果てまで一気に吹き抜けていく強烈な疾走感だった。
その星歌の背中から放たれる凄まじい熱量に引っ張られるように、リナたちの演奏もまた、全盛期を遥かに超える無敵の一体感へと昇華していった。
4人の音が濁流となってフロアの全員の鼓膜へ、そして虹夏の心臓へと容赦なく突き刺さっていく。
曲が最高潮に達し、スポットライトを全身に浴びた星歌が、ステージのセンターへとお立ち台に踏み出した。
リードギター、伊地知星歌の本気が大爆発する。
その指先から解き放たれる鋭利な音色と、圧倒的なソロ。
それは、ネットを震撼させたギターヒーローとしての後藤ひとりの超絶技巧にも、先ほどのステージで圧倒的なカリスマを見せつけた【NEW GLORY】のNaokIの神がかったプレイにも、決して勝るとも劣らない、フロアの全員の脳髄を力ずくで叩き割るような至高のソロだった。
31歳、ライフはゼロ、全身汗だく。
そんなもんは、彼女の研ぎ澄まされたエモーショナルなチョーキングの前に一瞬で消し飛んだ。
リナのドラムが床を震わせ、ベースが地鳴りを上げ、4人の音が完全にシンクロしてスターリーを支配していく。
(店長さん、中々上手いな。完璧にコントロールするステージングの魅せ方も、軸が1ミリもブレない高速のダウンストロークも、観客を一瞬で惹きつける確かな華がある)
ステージ袖の暗がりからその様子を凝視していたNaokIは、内心で星歌たちのプレイを激賞していた。
(ひとりからバンドやってたってのは聞いてたけど、オルタネイトの正確さも、ハイフレットでのフィンガリングのキレも完全に現役のそれだ。特にあのサビ裏のピッキングのダイナミクスだけで感情の起伏を表現する表現力と、ソロでの魂が乗ったチョーキングのビブラートの深さも完璧だ)
世界基準のステージを回るプロのギタリストの目から見ても、今ここで鳴らされている音は本物だった。
年齢やブランクを、ただ純粋な音楽の初期衝動だけで完全にねじ伏せ、バンドの絶対的な道標として君臨している星歌の姿に、リスペクトを覚えずにはいられなかった。
(それにしても…これほど熱量のあるバンドがすでに解散しているなんて、本当に勿体無いな…)
同時に、これほどの奇跡のようなアンサンブルを鳴らせるバンドがすでに解散してしまっているという現実に、プロのギタリストとして強烈な口惜しさを覚えずにはいられなかった。
当然、仕掛け人である【結束バンド】のメンバーたちも、その場から1歩も動けずに圧倒されていた。喜多はキラキラと目を輝かせ、リョウはプロの縦の線の完璧さに戦慄し、ひとりは本物のプレイヤーの覇気に釘付けになっている。
そして虹夏だけは、大粒の涙を流しながら、お母さんとの約束の全てが込められた姉の最高の晴れ舞台を、ただ真っ直ぐに、その瞳に焼き付け続けていた。
───
──
─
『Star Chain』のラストの残響がゆっくりとフェードアウトし、完全に音が止まった瞬間、それを叩き割るような拍手喝采と、フロアを埋め尽くした観客たちの絶叫のような歓声が巻き起こった。
「きゃああああ!!!」
「すげぇ!!最高だった!!」
「アンコール!アンコール!」
鳴り止まないアンコールと祝福の声を背に浴びながら、伊地知星歌たちは惜しまれつつもステージを降り、互いに肩を叩き合いながら楽屋へと戻っていった。
楽屋に戻っても、体から噴き出す熱気と汗は止まらない。全員が汗だくになりながらも、その顔は、全盛期のあの頃と全く変わらない純粋な音楽の笑顔で満ち溢れていた。
「やばかったな今回!多分、現役の時以上の盛り上がりだったんじゃね!?」
「最高に楽しかったね~!まさかあそこまでフロア全体が一体になって盛り上がるとは思わなかったよ~!」
ベースの男がタオルで顔を拭いながら興奮気味に叫び、ギターボーカルも、楽器を下ろしながら眩しそうに目を細めた。
そしてリナは、今回の紛れもない主役である星歌の元へ歩み寄り、心からの賞賛の声をかけた。
「星歌マジでカッコよかったよ~!あのソロの入り、土壇場でマジで覚醒してたじゃん!!毎日研ぎ澄ましてたって言うだけあって、ブランクなんて全然感じなかったわ!!」
「ホントホント!今すぐでも私たち現役に戻れるかもね!」
「なんなら、もっかい下北のインディーズからデビュー目指すか?ww」
メンバーたちが冗談交じりにハイテンションでまくし立てる中、星歌は背負っていたギターケースを丁寧にスタンドへ立てかけ、いつも通りの不機嫌そうな店長の仮面を被り直した。
「なに調子に乗ってンだよお前ら。久しぶりに合わせて聴いたけど、全体的に酷かったぞ?現役で叩いてるリナは流石に上手かったけど、お前ら二人は明らかにブランクのせいで運指もピッキングもヨレてただろ」
「ちょっとちょっと~!せっかく最高のライブだったんだから、そうやってすぐ水ささないでよ~!」
「腑抜けてると思ったけど、一応ハコの店長やってるんだな」
星歌は腕を組み、照れ隠しを隠しきれない鋭いツンデレな視線を3人に向けた。
「…だから。次やる時は、ちゃんと死ぬ気で練習してこいよ」
冷たく言い放ったその言葉の奥にあったのは、紛れもない次への約束。
またこの4人で、この大好きなハコで音を合わせようという、星歌なりの最高にツンデレな誘い文句に、楽屋には再び温かい爆笑が響き渡るのだった。
その時、コンコンと場違いなほどスマートなノックの音が響く。
「ん?は〜い!今開けま〜…!!!!?」
リナが扉を開けた向こうに立っていたのは、他でもない、世界を揺るがすモンスターバンド【NEW GLORY】の4人だった。
「「「「!!!?!?!?!?」」」」
あまりの衝撃に、星歌たち4人の脳内はパニックに陥る。
次の瞬間、自衛隊も真っ青なレベルの直立不動を決め、体は物理的にガチガチに凝固した。
「おっお疲れ様です!!!!」
「先ほどの【NEW GLORY】のライブ、最高に、宇宙一カッコよかったです!!!!」
「私たちの…その…大切な出番の前に、最高に場を温めてくださって本当にありがとうございました!!!!」
「おっおかげさまで、私たちもその…えっと…完璧な波に乗らせていただくことができて、フロアを盛り上げることができました!!!!本当にありがとうございます!!!」
画面の向こう側の存在であり、自分たちの青春であり、今でも心から信仰している【NEW GLORY】の4人が、今、自分たちの数畳ほどの狭い楽屋に並んで立っている。
そのあまりの現実味のなさに、星歌たちは背筋をこれ以上ないほどピンと伸ばし、心臓を激しく鳴らしながら、上ずった声でガチガチの限界敬語をまくし立てた。
そんな星歌たちを前に、NaokIは優しく目元を緩めると、大人の色気と貫禄を湛えた静かな声で語りかけた。
「そんなことないよ。君たちの演奏は、本当に心に響く素晴らしい音だった。お世辞抜きで、僕たちの演奏が終わった後だというのにフロアのオーディエンスは誰一人として冷めることなく、一人残らず拳を突き上げて歓声を上げていたじゃないか」
「NaokIさん…」
NaokIの真っ直ぐな称賛の言葉が、星歌たちの鼓膜に染み渡っていく。それだけで脳味噌がショートしそうになっている4人に向けて、NaokIはさらに、世界基準のステージを回る一人のトップギタリストとしての、最大級の賛辞を付け足した。
「……正直に言わせてもらうなら、もし君たちが今でも解散せずにバンド活動を続けていたら──僕たち【NEW GLORY】の、本当にいいライバルになれたと思っているよ」
「──ッ!?!?!」
ライバル。
そのあまりにも重く、あまりにも光栄すぎるパワーワードに、星歌の心臓が物理的に跳ね上がった。
中学2年のあの夏、なけなしの有り金を叩いてCDを買い漁り、指先から血を流しながらがむしゃらにその背中を追いかけ続けた憧れの神様から、自分たちの音楽を対等な好敵手として認められたのだ。
10年前に夢を諦め、バンドを畳んだあの日の未練と悔しさが、この一言だけで完全に救われ、極上の光へと昇華していく。
ガタガタと震えながら涙目を浮かべるメンバーたちに、NaokIは優しく微笑みながら深々と頭を下げた。
「最高のクリスマスに、本当に良いライブを観せてくれてありがとう。それと改めて店長さん。誕生日おめでとう」
「」
最推しのNaokIから、プロとしての最大級の賛辞と祝いの言葉を直接浴びせられた瞬間、星歌の脳内回路は完全にショートし、臨界点を突破した。
「NaokIしゃんが…わたしに…おめでとうって…ひゃぅっ…!?ぁぁああっあにゃがとうごじゃいまふぅ…!へへ……へへへへ」
すると星歌の喉から、ご○うさのシャ○ちゃんのような最高に可憐で、最高にバグり散らかした黄色い奇声が響き渡った。
完全に目がハートマークになった星歌は、両手を頬に当てて身体をくねらせながら、だらしなく口角を下げて不気味なほど幸せそうにニヤニヤと笑い始める。
(なっNaokIしゃんがッ!最推しのNaokIしゃんが今、私に向かっておめでとうって!!うわあぁぁぁ!!無理無理尊すぎて全細胞が死滅するぅぅぅ!!!もしかして今日が命日!?今日が命日ー!?)
先ほど【NEW GLORY】のライブまで、隣でLavielに向かって「すきぴ~ッ!♡」と叫んでいた恵恋奈のことを冷ややかに見下していたはずの星歌が、今やその恵恋奈に匹敵するレベルのリアコガチ勢夢女子モンスターへと完全変態を遂げていた。
(うわぁ…)
(マジかこいつ…)
(あとで絶対羞恥心で死ぬな…)
これには、同じく直立不動で固まっていたリナたち3人も、自らの推しを目の前にしている緊張を忘れてドン引きの視線を星歌に突き刺す。
しかし、一度限界を迎えた星歌にはもう何を言っても無駄だった。憧れの【NEW GLORY】の前で、31歳の誕生日当日に、これ以上ないほど最高に可愛らしく、そして最高に手遅れな姿を晒してしまう星歌の姿を、NaokIたちはどこまでも優しく、そして少しだけ困惑したような苦笑いで見つめているのだった。
「失礼しま〜す!店長さん達お疲れ様です!ライブ最高でした!!」
「お疲れ様です」
「あっお疲れ様です」
最推しのNaokIから言葉をかけられ、危うく脳が完全崩壊しかけていた星歌だったが、【結束バンド】の4人が楽屋のドアを開けて入ってきた瞬間、店長としての理性をなんとか力ずくで引き戻した。
「お姉ちゃんッ!!!」
楽屋に入るなり、虹夏は一目散に星歌の元へと駆け寄り、その胸へと全力で飛びついた。
大粒の涙を流しながら、けれどひまわりのような最高の笑顔を咲かせて、世界で一番大好きな姉を全力で褒め称える。
「お姉ちゃん、凄く格好よかったよ!!あたし!お姉ちゃんの演奏が聴けて!!本当に、本当に嬉しかったッ!!!」
21歳のあの夜、レイニー・バーの客席で大泣きしていた小さな妹。その姿が現在の虹夏と完璧に重なり合い、星歌の胸の奥をこれ以上ない愛おしさが満たしていく。
星歌は何も言わず、ただ優しく妹の身体を抱きしめ返すと、気が済むまで何度も何度も虹夏の頭を撫で続けた。
リナたち元のバンドメンバーも、そして【NEW GLORY】と【結束バンド】も、その美しい姉妹の光景を邪魔にならないよう静かに、けれどどこか温かい微笑みを浮かべながら黙って見守っていた。
やがて星歌はゆっくりと虹夏を腕から離すと、涙を拭う彼女の頭を一小突くだけして、正面に並ぶ【結束バンド】の4人へと視線を向けた。
その瞳に宿っていたのは、ライブハウスの店長としての鋭さではない。かつて下北沢のインディーズシーンを最前線で牽引していた、一人の先輩バンドマンとしての熱い眼光だった。
「お前ら、本当にありがとな。【しじみ帝国】はもちろん、【NEW GLORY】のみなさんの最高の演奏が聴けたこと、また私たち4人がこうして音を合わせられる機会を作ってくれたこと、本当に感謝してるよ」
「でもな。今日のこのクリスマスライブの本当の主役は、他でもない【結束バンド】…お前らだ。【しじみ帝国】も【NEW GLORY】も、 そして私たちも…もう十分過ぎるくらい、お前たちのための最高のステージの役割は果たしたつもりだ。ハコの熱気は…これ以上ないほど温まった」
星歌は一度言葉を区切り、メンバー4人の顔を一人ずつ、愛おしそうに見つめていった。
「喜多、山田、ぼっちちゃん、そして虹夏。多くは語らねェからよく聞け。ラスト…思いっきり暴れてこい」
世界最高峰のプロの音を浴び、原点の絆を取り戻したギタリストから託された、最高に熱いバトン。
その言葉が4人の心臓の奥底へと突き刺さった瞬間、【結束バンド】の4人の瞳に、未来を切り拓くバンドマンの炎が美しく燃え上がった。
「「「「はい!!!!」」」」
スターリーの楽屋に、4人の決意に満ちた眩しい返声が力強く響き渡った。
伊地知星歌の31歳の聖夜。
それは最高のプレゼントとともに、次世代の若き才能たちが世界へと羽ばたく、新たな伝説の始まりの夜だった。
今回も見てくれてありがとうございました!
ラストは結束バンドです。あと次でクリスマスライブ終了です。