娘のバンドと対バンしたい   作:肉野郎

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 ライブ当日──

 

 スターリーの外は、台風の猛烈な暴風雨が叩きつけていた。

 周囲の建物は、窓ガラスがビュービューと鳴り、時折雷鳴が響く。

 

 スターリーの店内は、いつもより薄暗く照明が落とされ、ステージの準備が進む中、メンバーたちの空気が重かった。

 

 

「知り合い全滅だって…台風で交通機関止まってるし……」

 

「私の友達も来れないみたいです…せっかくの初ライブなのに……」

 

「…」

 

 

 虹夏はスマホを握りしめたまま、消え入りそうなため息をついた。

 喜多も、友達からの『電車が止まった』『外に出られない』という絶望的な断りの通知が溢れて、力なく肩を落とす。

 リョウは壁に背中を預け、ただ無言のまま深く目を伏せていた。

 いつもは飄々としていて掴みどころのない彼女だったけれど、今日ばかりはその瞳の奥に、隠しきれない暗い影を滲ませている。

 

 

「…………」

 

 

 そんなメンバーたちの中心から少し離れた暗い隅っこで、ひとりは小さく膝を抱えて座り込んでいた。

 

 スマホには、母の美智代からのロインの通知が届いていた。

 画面を開けば、『台風で危ないから行けない、ごめんね』という、あまりにも正論で、それゆえにどうしようもない無力感に満ちたメッセージが刻まれている。

 妹のふたりはまだ5歳の子供だからライブハウスの環境には入れないし、ジミヘンにいたっては犬だから論外。

 

 そして何より、あの夜に鬼のお面を被って自分の音を命懸けで守ってくれた父の直樹は、自身のバンド【NEW GLORY】のJAPAN TOURのために、すでに遠く離れた福岡の地に前日入りしてしまっている。

 

 誰も来ない。

 

 自分の最初のステージを、家族の誰も見届けてはくれない。

 

 

「……誰も…来ないかも……」

 

 

 妄想の中で夢見た完璧な初ワンマンの妄想とはあまりにもかけ離れた、冷たい現実。

 ひとりの唇から零れ落ちた声は、恐怖と寂しさで小刻みに震えていた。

 

 

 スターリーの経営者であり虹夏の実の姉でもある星歌も、今日ばかりはいつもの威圧感のある佇まいを崩し、ドリンクカウンターの冷たい天板に力なく突っ伏して項垂れていた。

 普段は鋭い眼光で妹たちを突き放すクールで毒舌な彼女が、ここまで目に見えて激しく落ち込み気味になっている姿など、誰も見たことがなかった。

 

 PAさんもミキサーの機材を静かにチェックしながら、フロアの隅で震えている少女たちを、心配そうにじっと見つめ続けているのだった。

 

 

 

 

 そんな時──ドアが、ガチャッと開いた。

 

 吹き込んできた激しい雨風と共に、全身びしょ濡れの女の人が弱々しい足取りでエントランスへと入ってきた。

 

 

「あっ…ひとりちゃん、こんにちは……」

 

「あっお姉さん…」

 

 

 そこに立っていたのは、他ならぬ廣井きくりだった。

 

 けれど、初めて会った時のようにおにころを片手に大声を上げる破天荒な彼女の姿は、そこには微塵もなかった。

 

 今の彼女は一滴のアルコールも入っていない──完全なるシラフ。

 

 本来の内気で臆病な素の性格が全開になっており、ビクビクと身体を縮こまらせながら、入口のマットの上で立ち尽くしている。

 まとわりつく紫がかったピンクの髪からは水滴が床へと落ち、濡れ透けた服が体に張り付いていた。

 

 するとカウンターの奥で項垂れていた星歌が、弾かれたように目を丸くした。

 

 

「……廣井? お前なんでここに?…てかお前、ぼっちちゃん目当てで来たの?」

 

「あっはい。…先輩、お久しぶりです。…色々あって…ひとりちゃんと親しくなって……ひとりちゃんからチケット購入したので…来ました」

 

「おぉ…そうか。てかなんでびしょ濡れなんだ?傘は?」

 

「あっ…来る途中で、傘が暴風で飛んでいって……あの、先輩…それより、ぼっちちゃんってのは…ひとりちゃんのこと…ですか…?」

 

「あっはい。私のあだ名です…」

 

「あっ…そうなんですね……」

 

 

 ひとりは以前会った時とは、まるで別人のきくりにびっくりしつつ、もう一人いないか聞いた。

 

 

「あっあの、お姉さん。…確かあの日、チケット2枚買ったはずじゃ?今日は一人で来たんですか…?」

 

「…!」

 

 

 その何気ない質問を受けた瞬間、きくりは顔を一気に強張らせ、バツの悪そうな顔で申し訳なさそうにひとりに深く頭を下げた。

 

 

「…ごめんなさい!…あの後、気分が高揚して居酒屋ハシゴして…そして家に帰って、目が覚めたらチケットが一枚無くなってて……探したけどどこにもなくて…仕方なく…一人で来たんです…」

 

 

 きくりは自らのどうしようもない罪悪感と自己嫌悪の深淵にどっぷりと浸りながら、ブツブツと消え入りそうな声で呟いた。

 

 

「……私の杜撰さ…自己管理の無さ…本当に嫌になる………うちのメンバーどっちにも渡せなくて……ひとりちゃん、ごめんなさい……本当に…ごめんなさい…」

 

「あっ…そんな…!頭をあげてください…!お姉さんにはお世話になったので……!むしろ台風の中、わざわざ来てくれただけでも……!」

 

 

 きくりは涙目になり肩を震わせ、懺悔するように頭を下げ続ける。

 目の前できくりが今にも泣き出しそうな形相で謝罪を続ける様子を見て、ひとりは胸がズキズキと痛み、居た堪れなくなって慌てて手を差し伸べるのだった。

 

 星歌はそんなきくりを見て、ニヤリと笑った。

 

 

「ぼっちちゃんの言う通りだ。元々台風でそんなに人来ないだろうし、来てくれただけで十分だよ」

 

「先輩……でも、せっかく…ひとりちゃんが招待してくれたのに…チケットを、厳重に保管してれば……」

 

「だから大丈夫だよ。相変わらず内気で心配性だな………あ〜そうそうこれこれ!思い出した!昔からお前のそういうところが可愛いンだよ!」

 

「あっ…可愛いだなんて……そんな…」

 

「とりあえずこれ使え。濡れたまんまじゃ風邪ひくぞ」

 

「あっ…ありがとうございます…先輩…」

 

 

 星歌はきくりの横に立ち、奥の楽屋から持ってきた清潔なタオルを彼女の頭に乗せて、水分を吸い取るようにポンポンと優しく叩いた。

 

 

(あ〜クソッ!マジで可愛いなコイツ!!…いやでも私にはぼっちちゃんが…!…でもこの廣井も捨てがたい…!!)

 

 

 上機嫌──それも飛びっっっっっっっ切りの。

 

 

 いつもは毒舌なのに、今日の星歌は人が変わったように優しい。

 そんな星歌の振る舞いに、きくりは恥ずかしそうに縮こまり、耳の付け根まで顔を真っ赤にして視線を泳がせた。

 

 カウンターの周辺で繰り広げられるその奇妙な光景に、【結束バンド】のメンバーたちは一様に度肝を抜かれていた。

 実の妹である虹夏は、あまりの衝撃に目を丸くした。

 

 

「お…お姉ちゃんが上機嫌!?それにこんなオープンで優しいとこ久しぶりに…いや初めて見た!!いつもの回りくどさがない!!?」

 

 

 数日前まで絶賛【NEW GLORY】の映像を浴びて脳を焼かれていた喜多は、きくりの顔を凝視しながら内心で思った。

 

 

(この人……【NEW GLORY】のMVで見た人だ…!歌も演奏も一級品だった…!……でも実際会ったら、こんなにネガティブなんだ…)

 

 

 そしてメンバーの中で最も深い衝撃を受けていたのは、リョウだった。

 彼女は【SICK HACK】のライブに足繁く通うガチの常連だからこそ、ステージの上で酒をラッパ飲みしてベースを殴るように弾く、狂気的なきくりしか知らない。

 それ故に、目の前でガタガタと震えているシラフ状態のきくりを見て、世界がひっくり返ったかのような凄まじい反動が脳髄に突き刺さっていた。

 

 

「廣井さんがシラフだと…!しかも、こんなぼっちみたいな性格に!?」

 

 

 リョウの驚愕の声を細い肩を竦めて受け止めながら、きくりはタオルの隙間から涙を拭き、ぼそっと蚊の鳴くような声で言った。

 

 

「あっ…いつもは…お酒で、誤魔化してるだけです……本当は内気で根暗な陰キャです…がっかりさせてすみません…」

 

「いいんだよ!お前はそれでいい!むしろそのままがいい!!今日はぼっちちゃんの…【結束バンド】のライブだ。一緒に応援しよう」

 

「あっはい………ひとりちゃん、【結束バンド】のみなさん…ライブ頑張ってください……」

 

 

 星歌はまるで手のかかる妹の面倒を見るかのように、きくりの濡れた髪を優しく綺麗に拭きながら励まし続ける。

 そしてきくりは小さく頷き、【結束バンド】にエールを送った。

 この奇妙で温かいやり取りを見ていたメンバーたちの心からは、冷たい緊張の糸がすっと解け、ほんの少しだけ重苦しかった空気が和らいでいくのだった。

 

 

 

 

 和らいだ空気の余韻を破るように、スターリーのドアが再び開いた。

 

 吹き込んできた激しい雨風と共に、傘を持った女の子二人が、息を切らしながらフロアへと入ってきた。

 

 

「あの〜。【結束バンド】見に来たんですけど…」

 

「これ、チケットです」

 

 

 路上ライブでチケットを買ってくれた女の子二人が、チケットを握りしめて受付へと差し出した。

 ひとりは二人の姿を見るなり、驚愕して目を丸くした。

 

 

「あ!ひとりちゃん」

 

「あっ…えっ!?来てくれたんですか…!?」

 

「もちろん!私たち、ひとりちゃんのファンだし!」

 

「台風吹っ飛ばすくらい、かっこいい演奏期待してますね!」

 

 

 

 女の子たち(ファン1号と2号)は、嵐を潜り抜けてきた疲れを微塵も感じさせない、これ以上ないほどの眩しい笑顔で言った。

 その真っ直ぐな言葉が鼓膜に届いた瞬間、ひとりの冷え切っていた胸の奥には、じんわりと、どこまでも温かい光のようなものが広がっていった。

 

 

(お客さん来てくれた…お姉さんも…私のファンもいる……)

 

 

 自分を待ってくれている人たちの純粋な応援と期待に、ひとりは恐怖で震えていた心を、強く、激しく奮い立たせた。

 

 

 そして【結束バンド】は、ステージに上がる準備を始めた。

 

 ライブの開演時間が近づく。

 

 外はまだ台風が吹き荒れているけど、店内は、少しだけ温かくなった。

 

 【結束バンド】の初ライブは、予想外のメンバーを加えて、始まろうとしていた。

 

 

(4人揃っての【結束バンド】の初ライブ。お客さんは少ないかもしれない…でも、ここにいる人たちを…絶対盛り上げてみせる!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのあとひとりは完熟マンゴーのダンボールを被り、再びライブに出ようとし始める。

 それを止める虹夏とその様子を横目に見るリョウ。

 本番直前で、ステージ袖からフロアに集まった客の様子をおそるおそる伺う喜多。

 

 他のバンドのファンも集まり始めた頃、他のバンドのファンが【結束バンド】の話題を出していた。

 

 

「ねぇ…1番目の【結束バンド】って知ってる?」

 

「知らない。興味ない」

 

「観とくのたるいね」

 

 

 その無慈悲な言葉は、ステージ袖にいた【結束バンド】全員の耳に容赦なく突き刺さった。

 

 虹夏の笑顔が一瞬凍りつき。

 喜多は、悔しさと情けなさから唇を強く噛み、やりきれない思いで目を伏せ。

 リョウは無表情のまま、拳を強く握る。

 ひとりはギターを強く抱きしめて、ただただ無力に俯いた。

 

 フロアに充満する、圧倒的な「アウェイ」の空気。

 だが虹夏は、【結束バンド】のリーダーとして、折れそうな心を必死に踏みとどまらせ、気丈に声を張った。

 

 

「あっあはは…!結成したばっかで、まだ知られてないからね!みんな落ち込まないで!」

 

「あっ!大丈夫です!」

 

「よ〜し!皆ライブ頑張るぞ〜!」

 

 

 虹夏の空元気に合わせるように、喜多も咄嗟に笑顔を無理やり作り、何度も深く頷く。

 だが2人とも、その細い声は隠しきれない動揺で少し震えていた。

 ひとりは前髪の隙間から、メンバーたちの背中に流れるその決定的な動揺を、誰よりも敏感に感じ取っていた。

 

 

(明らかに…士気が下がってる)

 

 

 そうこうしているうちに、開演時刻になった。

 

 薄暗い照明が落とされたスターリーのステージに、【結束バンド】の4人はそれぞれの楽器を構えて立っていた。

 ぼんやりとしたスポットライトの光だけが、緊張で強張ったメンバーのシルエットを冷たく照らし出している。

 

 

『はっ初めまして!【結束バンド】で~す!今日は足元の悪い中お越し頂き誠にありがとうございま~す!』(台本)

 

『あはは~喜多ちゃん。ロックバンドなのに礼儀正しすぎ〜!』(台本)

 

「はは…」

 

 

 台本通りのMCは反応が薄く、最前列で固唾を飲んで見守っていたファン2号も、あまりのぎこちなさに思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

 

『あっ…うっ…じゃあ早速1曲目いきます〜』

 

 

 台本通りのMCを終え、1曲目が始まった。

 

 でも──その演奏は、いつものスタジオ練習の時の実力が半分も出ないほど、壊滅的なものだった。

 

 ひとりは自らの演奏を続けながらも、俯瞰するように冷徹にメンバーの崩壊を察知していた。

 

 いつもならバンドを前へと引っ張るはずの虹夏のドラムは、完全にアウェイの空気に呑まれて完全にもたついている。

 手元のスティックの軌道がほんの少しずつ遅れ、大切なリズムの軸がボロボロと崩れていく。

 

 フロントマンとして光を放つべき喜多は、プレッシャーからか目に見えて致命的なミスが目立っていた。

 声を張ろうとするたびにハイトーンが頼りなく裏返り、焦りから右手のストロークが乱れてギターの弦を完全に外してしまう。

 

 リョウだけは唯一マシで、スタ練通りの正確な実力を発揮していた。

 けれど相方である虹夏のドラムが崩れているせいで、完全に息が合っていない。

 ロックの心臓であるはずのベースとドラムの低音が、一拍ごとに微妙にズレて不協和音を生み出していた。

 

 

『……1曲目!『ギターと孤独と蒼い惑星』でした…!』

 

 

「……」

 

「…わっわぁ〜……」

 

「やっぱ全然パッとしないわ…」

 

「早く来るんじゃなかったね…」

 

「……トイレ行こ…」

 

「すみません。コーラください」

 

(ああ〜やばい!今になって、酒抜きでライブしたあれが!白けまくってダダ滑りした頃のライブが!!今になってフラッシュバックしてきた!!)

 

 

 1曲目が終わった。

 

 冷や汗を流しながら放った曲タイトルのアナウンスに対し、返ってきた拍手は乾いた数人分のまばらなものだけだった。

 他バンドのファンたちは完全に興味を失い、あからさまに溜息をつきながら手元のスマホをいじり始めている。

 フロアの一部は観る価値なしとばかりにトイレへ向かったり、カウンターへ行ってドリンクを注文して時間を潰そうとしていた。

 

 そして客席の後方でシラフのまま見ていたきくりは、周りの客の反応を見て──かつて【SICK HACK】が迷走していた時のライブを思い出して、共感性羞恥で肩を縮めていた。

 

 ステージを見つめるファン1号と2号の瞳にも、明らかな不安と戸惑いの色が滲んでいる。

 

 

(……みんな……さっきの言葉に動揺して……士気が下がっちゃったんだ……)

 

 

 大好きな仲間たちが目の前で自信を奪われ、冷たい視線にすり潰されようとしている。

 その光景を見つめていたひとりは、ギターのネックを強く握りしめた。

 

 

(……私……やらなきゃ……みんなを……盛り上げなきゃ…!)

 

 

 世界の頂点に立つお父さんが「お前には圧倒的な才能がある」と背中を押してくれた。

 

 あの祭りの夜、お面を被って自分の音を命懸けで守ってくれた。

 

 そのお父さんの血が、今この絶望のステージの上で静かに咆哮を上げている。

 

 胸の奥が、熱くなる。

 

 

(このままじゃいやだ!!)

 

 

 そして──ギターヒーローの片鱗が、現れた。

 

 

 2曲目──『あのバンド』のイントロ。

 ひとりは自らの魂に渦巻くすべての感情を乗せて、レスポールの弦へと激しくピックを叩きつけた。

 いつもより遥かに速く、ミリ秒の狂いもなく正確に、けれどその一音一音には、冷え切ったフロアを力任せに抉じ開けるような烈しい心がこもっていた。

 指先が指板の上を滑るように縦横無尽に動き、イントロのソロパートに突入した瞬間、その音圧が一気に大爆発を起こした。

 

 あの路上ライブで感じた圧倒的な演奏の感覚を、再現する。

 

 脳に直接衝撃を与えるような獰猛なリフが、スターリーの壁を激しく震わせ、フロア全体に凄まじい衝撃波となって響き渡る。

 

 その歪んだ爆音に身を委ねた瞬間、ひとりの脳裏に、あの日交わした父親の言葉が、鮮烈な残響となって力強く響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 路上ライブのあと、まだ胸の熱量が収まらず、ギターが弾き足りなくて仕方がなかったひとりは、自室をそっと出て地下の広大な防音スタジオへと向かった。

 スタジオに入ると、そこでは父の直樹が、福岡公演で演奏するセトリ順に、曲の練習をしていた。

 ひとりもそのまま父の隣に並び、リズムギターとして一緒に弾き始めた。

 数曲を無言でセッションし、心地よい汗が滲んだ頃、ひとりは手元の弦を止め、ずっと胸の奥で気になっていた疑問を勇気を出して聞いてみた。

 

 

『お父さん…【NEW GLORY】って…やっぱり昔から人気だったの?』

 

『ん?どうしたんだ急に?』

 

『あっいや…私が小さい頃から、すでに海外人気もすごかったし…やっぱり、とんとん拍子だったのかなって…あはは…』

 

 

 世界ツアーを数分で即完させ、世界の音楽チャートの頂点に君臨するお父さん。

 

 自分とは住む世界が違う、生まれながらの天才だったのだろうか。

 

 そんな風に不器用に笑う娘の言葉に、直樹は少し驚いた顔をした。

 けれど、彼はすぐに愛おしげに目を細めると、昔を懐かしむような穏やかなトーンで答えた。

 

 

『いや……全然だよ。最初はずっと叩かれてた』

 

『……え……?』

 

 

 お父さんの口から飛び出したあまりにも意外な歴史の真実に、ひとりは驚きのあまり大きく目を見開いた。

 その娘の様子を横目で愛おしげに見つめながら、直樹は懐かしそうに当時の血の滲むような記憶を静かに語り出した。

 

 

『確かに【NEW GLORY】は、結成して1年半でドーム制覇して、CDも1000万枚くらい売れて……日本じゃ順調な滑り出しだった』

 

『え!?たった1年半で、そんなに!?』

 

『まぁね……それから数年経って、母さんと結婚して、ひとりが生まれてすぐの頃──【NEW GLORY】は、世界的に有名なロックバンドの前座に呼ばれたんだ。場所は、この前やったイギリスのスタジアムで…』

 

『じゃ…じゃあ、その頃から海外でも名前が……』

 

『いや、海外では無名もいいとこだった。『場違いだ消えろ!』とか『日本でちょっと売れてるからって、調子に乗るな!』とか『今すぐワンマンにしろ!お前らは日本に帰れ!』って、向こうの海外のファンからブーイングと批判の嵐だったな。現地メディアからも『アジアの新参者』とか『名前負けしてるバンド』とか『過大評価』とか色々書かれてて死ぬほど叩かれたよ』

 

 

 ひとりは、あまりの凄絶なアウェイの現実に思わず息を飲んだ。

 

 

《……お父さんのバンドが……そんな目に……?》

 

 

 今や全世界の音楽シーンをひざまずかせる神様のような【NEW GLORY】が、かつてそんな過酷な排斥とブーイングの暴風雨に晒されていたなんて。

 

 直樹は愛用のギターのネックをそっとなぞりながら、静かに続けた。

 

 

『でも、ライブが始まった瞬間……曲を聴かせて、ギターソロが響いたら……会場は一気に変わった。最初の批判が嘘みたいに消えて熱狂の嵐。…それから、海外でも人気になっていった』

 

 

 ひとりは、その音楽という力一本で世界の理をねじ伏せた父親の格好良さに、完全に言葉を失った。

 

 自分が物心ついた頃には、【NEW GLORY】はとっくに日本の頂点に君臨しており、海外進出なんて当たり前のように果たしていた。

 だから今の【結束バンド】みたいに知名度が全くなく、人々に興味すら持たれない暗闇の時期が、お父さんたちにも存在していたなんて想像もしなかった。

 

 

 でも──あったんだ。

 

 

 世界中から叩かれまくって、剥き出しの敵意のブーイングを浴びせられて、それでもなお、己の紡ぎ出す圧倒的な『音』だけで全オーディエンスを完全に黙らせてきた歴史が。

 直樹は目の前でレスポールを抱えているひとりの小さな目をまっすぐに見つめて、静かに、だが歴史を創ってきたロックスターの絶対的な力強さを込めて言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひとり…

 

 どんなに評価が低くても、どんな逆境や向かい風でも…

 

 お前の音で、興味のないオーディエンスを黙らせてやれ。

 

 視線全部、掻っ攫ってやれ。

 

 ひとりならできる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのお父さんの言葉は、ひとりの胸の奥へと、何よりも激しく、熱く響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聴け!

 

 響け!!

 

 

 届け!!!

 

 

 

 私を見ろ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとりのギターソロが、フロアへ向かって爆発的に炸裂した。

 

 その刹那──スターリーの空間全体が、まるで時間が停止したかのように一瞬で静まり返った。

 あまりの音圧と、高校生のものとは到底信じられない異次元の超絶テクニック。

 

 あからさまに退屈そうな態度で手元のスマホをいじっていた他のバンドのファンたちが、雷に打たれたかのように一斉にガバッと顔を上げた。

 最前列のファン1号と2号の女の子たちは、涙を浮かべながらその瞳をこれ以上ないほど爛々と輝かせた。

 客席の後方でシラフのまま見守っていたきくりは、全身に鳥肌を立てて激しく息を飲んだ。

 カウンターの奥からステージを睨んでいた星歌も、ミキサーの前に立つPAさんも、言葉を失ったままその圧倒的な指先をじっと見つめ続けた。

 

 お父さんの言葉通り、自分の音だけで世界を黙らせてみせた。

 

 その背中で語る圧倒的なカタルシスが、絶望に沈んでいた【結束バンド】のメンバー全員を強烈に奮い立たせ、冷え切っていた士気が一瞬にして火がついたように戻ってきた。

 

 リーダーの虹夏のドラムが、ひとりの背中に導かれるようにして、獰猛で力強いリズムを完璧に取り戻す。

 フロントマンの喜多の歌声が、どこまでも伸びやかにフロアへと響き渡る。

 リョウのベースが、息を吹き返した虹夏のビートにミリ秒の狂いもなくピタリと合わさる。

 絶望の向こう側で、全員がいつものスタジオ練習の時を遥かに凌駕する真の実力を発揮し始めた。

 

 楽曲が、最大の盛り上がりであるサビへと突入する。

 

 ひとりのギターから放たれる狂気的なリードギターの旋律が、荒れ狂う嵐のうねりのように、みんなの音を、バンド全体の魂を力強く引っ張っていく。

 スターリーの会場全体が、音の熱量だけで物理的に揺れ始めた。

 

 完全に興味を失っていた他の対バン相手の客たちも、一人、また一人と吸い寄せられるように徐々にステージへと目を向けていく。

 いじっていたスマホをポケットへと下ろし、出口へ向かおうとしていた足を止め、フロアのあちこちから感嘆の拍手がぽつぽつと起き始める。

 気がつけばその場にいる全員が、激しく音を掻き鳴らすひとりの姿に釘付けになっていた。

 

 激しい残響を残して曲が終わった瞬間──静寂を打ち破る熱い歓声が、フロアに巻き起こった。

 

 

「今のやばかったね!」

 

「やっぱり、ひとりちゃんかっこいい!」

 

「……ちょっといいじゃん…」

 

「……ね…」

 

 

 他バンドのファンたちすらも手のひらを返し、その音楽性の高さに畏敬の念を隠せない。

 ひとりは自分の指先が起こしたその奇跡の光景を前に、胸を激しく上下させながらただただ呆然としていた。

 ドラムセットの奥では虹夏が満面の笑みを浮かべ、ベースを抱えるリョウも珍しく嬉しそうに口角を上げ、目標を見つけた喜多はマイクを握りしめる。

 

 ひとりのギターヒーローの片鱗が現れた瞬間から、少しずつ空気が変わった。

 

 

「みんな……ありがとう!じゃあ次ラストの曲です!」

 

 

 完全にひっくり返ったフロアの熱気を受け止めながら、喜多がマイクを握りしめて叫んだ。

 

 

 そして、最後の曲──『ドッペルゲンガー』

 

 

 イントロのリフが響いた瞬間、【結束バンド】の全員が一気にボルテージを上げた。

 ひとりの指が弦を強く弾き、感情を乗せたピッキングが炸裂する。

 

 虹夏のドラムが、安定した土台を作り出す。

 パワフルで、でも繊細に一打一打に感情を込めて、会場全体を揺らす。

 

 リョウのベースは、屋台骨のようにどっしりと構え、歪んだ重低音でフロアの足元を完璧に支え、締め上げていく。

 

 喜多の歌声は、力強く伸びやか。

 彼女がハイトーンで感情を剥き出しにして叫ぶ瞬間、その細い身体から放たれた声量がスターリーの会場全体をビリビリと震わせた。

 

 

 そして、ひとりの放つ圧倒的なリードギターが──バラバラだった【結束バンド】の進むべき道標となった。

 

 

 

 元々ノリノリだったファン1号と2号は、完全にリズムに乗って盛り上がっていた。

 手を挙げ、ジャンプし、声を枯らして叫ぶ。

 

 『あのバンド』で興味を惹かれた他のバンドのファンたちも、気がつけばスマホを閉じていた。

 最初は「興味ない」って言っていた人たちが、いつの間にか最前列に走り出し、一緒に手を挙げ声を出し始め叫んだ。

 

 

 そして曲の終盤──サビ。

 

 

 【結束バンド】の全員が、お互いの音を完璧に信頼し合い、完全に一つになった。

 

 

 インディーズの高校生バンドの域を遥かに超越した、完璧なユニゾン。

 

 虹夏のドラムが、感情を剥き出しにした爆発的なビートを刻む。

 リョウのベースが、容赦のない低音で全体のアンサンブルを冷徹に締め上げる。

 喜多の歌声が、光の刃となって会場の空気を真っ二つに貫く。

 ひとりのリードギターが、NaokIの背中を見上げて培った全てを乗せて、最後の超絶ギターソロを爆発させる。

 

 

 音が、完全にフュージョンした。

 

 

 地下のコンクリートを叩きつける台風の激しい雨音さえ、フロアを埋め尽くした熱い歓声に完全に飲み込まれていく。

 

 そして──

 

 

「『ドッペルゲンガー』でした!以上で【結束バンド】の演奏は終わりです!!本当にありがとうございました!!!」

 

 

 曲が終わった瞬間──

 

 

 今日一番の大歓声が巻き起こった。

 

 

「きゃああああああ!!!すごい!!すごいよ!!!」

 

「みんな、本当に輝いてたよ!!!」

 

「アンコールアンコール!!」

 

「最後のユニゾンマジでヤバかった!!」

 

「ヤベェ…なんか涙出てきた……」

 

「これ、絶対有名になるよ!」

 

「だよな!?今のうちにファンになっとこ!」

 

「最高だった!!興味ないとか言ってごめん!!」

 

「【結束バンド】ヤバい!」

 

 

 他バンドのファンたちすらも手のひらを返し、その音楽性の高さに畏敬の念を隠せない。

 ひとりは自分の指先が起こしたその奇跡の光景を前に、胸を激しく上下させながらただただ呆然としていた。

 ギターを抱きしめたまま、信じられないものを見るような目でゆっくりと客席を見回す。

 さっきまで冷淡にスマホをいじっていた他のバンドのファンたちが、今は全員が最前列に押し寄せ、手を挙げ、声を枯らして自分たちの名前を叫んでいる。

 

 台風の中駆けつけてくれたファン1号と2号は、涙目でジャンプを繰り返していた。

 客席の後方ではシラフのまま見ていたきくりが、溢れる涙を拭いながら惜しみない拍手をステージへと送っている。

 ドリンクカウンターの奥からは星歌が、妹たちの快挙に満足そうに腕を組みながら不敵なドヤ顔を浮かべ、PA席のPAさんも、卓のメーターを見つめながら我が子を見守るように優しく微笑んでいた。

 

 確かな熱狂の渦の真ん中で、ドラムセットの奥から立ち上がった虹夏がマイクを握りしめて改めて全力で叫んだ。

 

 

「みんな……ありがとう!!台風の中、来てくれて……本当にありがとう!!!」

 

 

 スポットライトを浴びた喜多は、その瞳に大粒の涙を浮かべながら、最高の笑顔で笑った。

 

 

「私たちの音……みんなの心に届いたよね……!」

 

 

 

 リョウはベースを下ろしながら、いつも通りの涼しい顔のまま内心の誇らしさを隠さずにドヤ顔していた。

 

 

「まぁ私がいるから、当然の結果だけどね」

 

 

 

 そしてひとりは、抱きしめたギターの冷たいボディにポロポロと熱い涙をこぼした。

 

 視界が涙で滲み、胸の奥が、焼き切れるのではないかと思うほど熱い。

 

 脳裏に、あの日地下スタジオで演奏を終えたお父さんが、まっすぐ目を見て授けてくれたあの言葉が、激しく、深くリフレインする。

 

 

 

 

 

 

『音で黙らせてやれ。視線全部、掻っ攫ってやれ』

 

 

 

 

 

 

 ひとりは、歓声が降り注ぐステージの上で、誰にも聞こえないほどの小さな声で静かに呟いた。

 

 

「……できた…!みんなを……熱狂させられた……!」

 

 

 客は少なかった。

 

 見向きもしない人たちの方が多かった。

 

 でも──確かに今、この空間にいる人たちの魂を、自分たちの『音』だけで完全に熱狂させた。

 

 【結束バンド】の初ライブは、予想外の形で、伝説の始まりとなった。

 

 

 ひとりは、熱気に満ちたステージの上で、大切な仲間たちと次々に目を合わせた。

 

 スティックを掲げる虹夏、眩しく微笑む喜多、頼もしく佇むリョウ。

 

 そして、客席にいる大切なファンたち。

 

 涙ぐむきくり。

 

 見守る星歌。

 

 支えてくれたPAさん。

 

 みんなの笑顔が、ひとりの胸を温かくした。

 

 台風の雨音が、まるで拍手のように聞こえた。

 

 【結束バンド】は、まだ始まったばかり。

 

 

(これから…もっと大きくなる!)

 

 

 みんなの心を──熱狂させるために。

 

 




というわけで、台風ライブでした。
今回は特に気合い入れてライブシーン書きました。
ついでにきくり姉さんはシラフで登場しました。
…多分酔ってる時よりシラフの時のが多いのって、俺のssだけなんじゃね?

今回も見てくれた方、ありがとうございました!
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