娘のバンドと対バンしたい   作:肉野郎

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今回は打ち上げ回です。
あまり話は進展してませんが、色々変更されたところも多いです。

それではどうぞ


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 全てのバンドの演奏が終わり、ブッキングライブは終了した。

 

 極限の緊張から解放され、それぞれの楽器を片付けて楽屋でのんびりと息を吐いていた【結束バンド】の4人に向かって、星歌はいつになくそっけないトーンのまま声をかけた。

 

 

「よし、今日はこのまま打ち上げだ。近くの高級焼肉店予約してあるから行くぞ」

 

「………え!?お姉ちゃん、高級焼肉店予約したの!?いつの間に!?」

 

「おぉ〜!さすが店長太っ腹!今日は食い溜めしてやる!」

 

「きゃ〜!ライブの後の打ち上げって、なんだかバンドマンみたいね〜!」

 

「あっはい」

 

 

 普通なら質素な居酒屋かファミレスがいいところのはずなのに、突然提示された高級焼肉という格上のワードに【結束バンド】のメンバーたちは度肝を抜きながらも、育ち盛りの女子高生らしく素直に喜びの声を弾ませた。

 そのあと、星歌の手際よい指示で手早くスターリーの戸締りと夜間セキュリティの確認を完了。

 【結束バンド】の4人と、彼女たちを見守る大人組の3人は、台風の雨が小降りになった夜の街へと連れ立って高級焼肉店に向かった。

 

 今回の打ち上げの参加者は、主役である【結束バンド】4人(ひとり・虹夏・リョウ・喜多)と大人3人組(星歌・PAさん・きくり)の計7人という賑やかな大所帯だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 たどり着いたのは、スターリー近辺の少し外れた路地裏にひっそりと佇む、個人でやってる隠れ家的な、知る人ぞ知る佇まいの高級焼肉店だった。

 

 店内は大衆店とは一線を画す落ち着いたシックな照明が足元を照らし、7人はお店のスタッフに案内されて奥の大きめの個室へと通された。

 本来なら何週間も前からでなければ席が埋まっている超人気店だったが、今夜は大型台風の直撃という天候不良のため、運良く数組のキャンセルが丁度出たばかりだったらしく、7人がゆったりと座れる大部屋の個室を奇跡的に確保できたのだ。

 無煙ロースターの網が静かに熱を帯びる中、部屋の空気に混ざる香ばしい肉の匂いに、メンバーたちのテンションは再び最高潮に達した。

 

 

「わぁ〜すごい!本当にここで打ち上げするんだ!お姉ちゃんありがと〜!」

 

「肉のいい匂いが漂ってくる。今日は草も食べれなかったから嬉しい…!」

 

「すごいですね!初ライブの打ち上げをこんなすごいところで行うなんて!ねっ後藤さん!」

 

「あっはい」

 

「…店長。本当に大丈夫ですか?お金とか」

 

「まぁ…ちょっと色々あってな。金のことは気にするな」

 

「……」

 

 

 それぞれの定位置へと席に着いた一同は、メニュー表の値段に恐れおののくことなく、思い思いに好きなメニューを注文し始めた。

 テーブルの中央にセットされた鉄板が心地よい熱を放ち始める中、個室のドアが開き、店員の手によって目を見張るような極上の肉が次々と運ばれてくる。

 

 

 最初に運ばれてきたのは、目にも鮮やかな最高級のA5ランクの特選ロース。

 赤身の間を芸術品のように細かくサシが入った美しい霜降りで、ロースターの光を反射して脂が白く輝いている。

 

 次に運ばれてきたのは、肉の王様とも呼ばれる特上サーロイン。

 惜しげもなく厚めにスライスされ、網に乗せる前から肉本来の脂の甘い香りが部屋いっぱいに広がる。

 

 さらに、肉汁の宝庫である和牛ハラミ。

 ひと目で新鮮だとわかる赤身の旨味が強く、噛むほどに味が広がる極上のクオリティ。

 

 タン元、タンシチュー、タン塩、ミスジ、トモバラ、etc…次々に高級部位が、テーブルの上を隙間なく埋め尽くしていく。

 

 サイドメニューには、肉の味を引き立てる本格的なキムチ、みずみずしいサンチュ、丁寧に味付けされたナムル、冷奴、そしてピリッとした辛みが食欲をそそるユッケジャンスープ。

 

 主食には、ホカホカの湯気を立てた白ごはんが大きい御櫃ごとどっさりと届く。

 

 宴を彩る飲み物も、大人組のためのキンキンに冷えたビール、厳選された日本酒、ハイボール、そして学生たちのためのソフトドリンクが次々と卓へと届いた。

 

 

『わぁ〜!』

 

 

 思わず全員の口から同時に感嘆の声が漏れ、目の前の肉にこれ以上ないほど目を輝かせる。

 

 その時、部屋の隅の席にいたきくりがシラフのまま、緊張で指先をもじもじと動かし、ビクビクしながら隣の席の星歌に尋ねた。

 

 

「…あっあの先輩。私…本当にここにいてもいいんですか?この打ち上げって…【結束バンド】のみなさんとスターリーの打ち上げなのに…その…私が居たら…迷惑じゃ…ないですか?」

 

 

 いつものきくりなら真っ先に大はしゃぎするはずだが、今は肩身が狭そうに縮こまり申し訳なさそうに目を伏せた。

 星歌は、そんな愛おしい後輩の様子に、いつもの刺々しさを綺麗に消し去った優しい微笑みを浮かべながら、きくりの頭を優しく撫でた。

 

 

「気にすンなって…お前も楽しめよ。そもそもぼっちちゃんが、お前の事も今回の打ち上げに呼んで欲しいって言ってたんだ」

 

「…え?…ひとりちゃんが?」

 

 

 きくりは目を丸くして、驚きと救われたような表情のままひとりの方に振り向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライブ本番の少し前。

 

 ひとりは喉の奥で何度も息を整え、意を決したように深呼吸をすると、ドリンクカウンターの奥でノートPCのキーボードを忙しなく叩いていた星歌の元へとおずおずと向かった。

 いつもなら、恐怖のあまり絶対に自分から話しかけることなんてないひとり。(そもそもそんな度胸ない)

 

 でも、今日は違った。

 膝の関節がガタガタと震え、両手を強く握りしめながらも、ひとりはゆっくりとカウンターへ近づいた。

 

 

『あっ店長さん…今、お時間よろしいでしょうか…?』

 

 

 星歌はノートPCをいじっていた手をピタリと止め、不審そうにひとりに振り返る。

 いつもビクビクして視線を逸らすひとりが、自分から能動的に話しかけてくるなんて初めてのことだった。

 星歌の切れ上がった瞳が一瞬だけ驚愕で大きく見開かれ、そのクールな胸の内で、すさまじいパニックの嵐が吹き荒れた。

 

 

《ぼっちちゃんが自分から…!?いつも目も合わせないのに…何の用だ?アドバイスでも欲しいのか?それとも……ついにスターリーでバイトしたくなったのか!?》

 

 

 頭の中は一瞬で《ぼっちちゃん可愛い》だの、《メイド服着せたい》だのという限界シスコンならぬ限界店長脳で埋め尽くされた。

 でも、そこは百戦錬磨の大人としてのプライドがある星歌。

 そんなドロドロの妄想は1ミリも表情には出さない。

 いつも通り冷徹でクールな視線をひとりの泳ぐ瞳に合わせ、ドスの効いた声にならないよう、静かに尋ねた。

 

 

『どうした?ぼっちちゃんから話しかけるって珍しいな』

 

 

 ひとりは視線を逸らしながら、震える手で鞄の奥から1通の白い封筒を差し出した。

 それは他ならぬ、昨夜の金沢八景からの帰り道、ただの親バカになって大号泣したあの父の直樹が、『自分の代わりに娘の晴れ舞台を支えてくれる人たちへ』と、ひとりに託してくれたものだった。

 

 

『あっこれ…お父さんが、このお金を店長さんに渡して欲しいって…ライブ終わった後の…打ち上げに使いなさいって…』

 

 

 いきなり大金の入っていそうな厚みのある封筒を無造作に突き出してきたひとりに、星歌は驚きのあまり少し眉を上げた。

 

 

『え?いやそんな悪いよ…お金なんて』

 

『あっお父さんが……『娘が世話になってるバンドや、ライブハウスにお礼がしたい。遠慮はいらないから、これで美味しいものを食べて、英気を養い、次もまた頑張って欲しい』って…言ってました……』

 

 

 ひとりは目を逸らしたまま──でも、お父さんから託された、そして父親としての真摯なメッセージを必死に口を動かして星歌へと伝えた。

 

 星歌は差し出されたそのずっしりと重い封筒を細い指先で握ったまま、しばらくのあいだ無言で黙り込んだ。

 お父さんの家族に対する、そして娘の仲間に対する途方もない思いの深さが、その封筒の重みから真っ直ぐに伝わってくる。

 そして星歌は静かに優しい息を吐いて、いつもの刺々しさを綺麗に融解させた聖母のような表情で微笑んだ。

 

 

『…ぼっちちゃんのお父さん、いい人だな。…わかったよ。ありがたく受け取るよ』

 

『あっはい』

 

 

 ひとりは張り詰めていた緊張の糸が一気に切れ、ホッとしたように肩をなだらかに落としたのだった。

 

 でも、ひとりは大切なことをまだ言い足りていなかった。

 拳をぎゅっと握りしめ、実直な瞳で星歌を見つめながら、さらに小さな声で一生懸命に続けた。

 

 

『あっあと…お姉さん…きくりさんも…是非誘って欲しいです。ここだけの話…お姉さんには、チケット売るために、一緒に路上ライブを手伝ってもらったり…チケット2枚も買ってくれて…そして台風の中わざわざ見に来てくれたりとお世話になりました。…だから、お礼としてお姉さんにも…来てほしくて…』

 

 

 ひとりの一音一音に、きくりへの深い感謝が込められた言葉を受け、星歌は胸の奥がじわりと熱くなるのを感じていた。

 

 

《こんなに恥ずかしがり屋で、いつも縮こまってるぼっちちゃんが……こんな優しいことを、ちゃんと伝えてる》

 

 

 いつもなら対人恐怖で泡を吹いて倒れてしまうような少女が、恩人のために必死に頭を働かせ、直談判してきている。

 星歌は、そのあまりの健気さに内心で激しく感動しながらも、表面上はいつものクールな大人の態度を崩さず、あっさりと頷いてみせた。

 

 

『わかった。あとで廣井も誘うよ。ぼっちちゃんは本当に優しいな』

 

『あっありがとうございます…!』

 

 

 直球で褒められたひとりは、耳の付け根まで顔を真っ赤に染め上げると、パニックを誤魔化すように慌てて何度も頭を下げた。

 無事に用事が済み、ひとりは逃げるようなスピードで【結束バンド】のメンバーが待つ楽屋の元へ向かい、そそくさと戻っていった。

 

 星歌はカウンターの奥で渡された白い封筒を握ったまま、しばらくのあいだ愛おしげにひとりの小さな背中を見送っていた。

 

 

《……そういや、いくら入ってんだ?やけに封筒厚いけど…》

 

 

 女子高生の親が包む臨時の打ち上げ代だ。

 多くて数万円、ファミレスやチェーンの居酒屋で少し贅沢ができるくらいだろう。

 そう高を括りながら、星歌は何気ない手つきで封筒の口を開け、中身を覗き込んだ。

 

 

『!!!??』

 

 

 その瞬間、星歌の顔が、驚愕のあまり完全に凝固した。

 目の前に現れたのは、お札の最高額である1万円札が束になって入っていた。

 

 

『……47、48、49、50……マジかよ……』

 

 

 星歌はカウンターの影で、冷や汗を流しながら震える指先でお札を数え終え、ただただ呆然と天を仰いだ。

 中には、新札の1万円札がぴったり50万円分、隙間なく美しく収められていたのだ。

 子供の初ライブの差し入れとしては、完全に常識の枠をぶち壊した天文学的な金額だ。

 

 でも、その圧倒的な重みを手のひらで受け止めているうちに、星歌の口元には自然と温かい笑みが浮かび上がってきた。

 

 

《ぼっちちゃんのお父さん…本気で娘のバンドを応援してるんだな。せっかくのご厚意だ…高級焼肉店、当日予約入れとくか……あと、お釣りは絶対ぼっちちゃんに返すぞ》

 

 

 星歌はひとりの父親のご厚意を無駄にすまいと、すぐさま私用のスマホを取り出し、下北沢でも指折りの隠れ家的な高級焼肉店の予約フォームへと滑り込みで当日予約を入れたのだった。

 

 ちなみにきくりは、ドリンクカウンターから遥か遠く離れたフロアの薄暗い隅の方で、完全なシラフのまま一人ポツンと寂しそうに立っていたため、この会話は奇跡的に一切聞かれずに済んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きくりからの真っ直ぐな視線を受け止めながら、ひとりは顔を真っ赤に染め上げ、指先をもじもじと絡ませながら小さな声を必死に紡ぎ出した。

 

 

「おっお姉さんにはお世話になりました。あの日、私を支えてくれて…チケット買ってくれて…台風の中わざわざ見に来てくれて…本当に感謝してます。だから今回の打ち上げ…お姉さんにも楽しんでほしいと思って…」

 

「……ひとりちゃん」

 

 

 その一言を受けた瞬間、きくりの大きな瞳にじわじわと涙が溜まり、目頭が熱く潤んで涙目になった。

 シラフのまま恥ずかしがりつつも、ひとりの目をちゃんと見て、震える声で心からの言葉を口にした。

 

 

「……ひとりちゃん……ありがとう…すごく嬉しい……」

 

「あっはい。…なので、お姉さんも今回は遠慮せず…楽しんで欲しいです…」

 

「あっうん…ありがとね……」

 

 

 お互いに重度の人見知りを拗らせているからこそ、言葉の端々から本物の優しさと温かさが伝わってくる。

 

 そんな2人の不器用な姿を隣の席から見つめていた喜多・虹夏・PAさんは、あまりの尊さに心を洗われるような微笑ましそうな表情で見つめていた。

 

 そして何より、この2人の内気で初々しいやり取りを特等席で目撃していた星歌は、そのあまりの破壊的な愛らしさに、クールな仮面の裏で内心キュンキュンと悶絶していた。

 

 

(こいつら可愛すぎるだろ…!)

 

「店長店長!早く食べよう!お腹すいた!」

 

「わかったって山田…そう急かすな」

 

 

 いつものように締まらないリョウの催促に苦笑いしつつも、星歌は自らの席に置かれていたキンキンに冷えてやがるビールのジョッキを高く掲げ、全員に向けて力強く乾杯の音頭を取った。

 

 

「…みんな。今日は台風の中、よくがんばったな。【結束バンド】の初ライブ、最高だったぞ…それじゃあ乾杯!」

 

「「「「「「かんぱーい!」」」」」」

 

 

 合計7個のグラスが個室の中央で小気味よい音を立てて合わさり、全員が満面の笑顔で打ち上げを楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ロースターの上で、極上の肉が次々と小気味よい音を立てて焼き上がり、一同はそれぞれ思うままにその至福の時間を楽しんだ。

 肉がジュージューと焼ける香ばしい音と、上質な脂が焦げる濃厚な匂いが個室の空間を隅々まで満たしていく。

 

 

「うわっ!このロース美味しい!口の中で旨味が溶けていくよ〜!」

 

「きゃー!綺麗な盛り付けで、すごく映えるわー!」キターン!

 

「うめ うめ うめ」

 

「はぁ〜。やっぱり、いいお肉食べながら飲むビールは格別ですね〜♪あっ後藤さん。この辺のお肉焼けましたので、どうぞ」

 

「ふぅ…こういうのも悪くないな。ほら、ぼっちちゃんもいっぱい食べな、ごはんよそってやるから。今日は本当によく頑張ったな」

 

「あっはい…いただきます。…〜っ!美味しい…」

 

 

 虹夏は、早速焼き上がった特選ロースを勢いよく頬張り、あまりの美味しさに目尻を下げて満面の笑みを浮かべている。

 喜多は、網の上の霜降り肉や綺麗なお皿を「キタ〜ン!」と張り切ってスマホでベストアングルに収め、イソスタ用の映え写真を激写していた。

 リョウは、『えっ今日は全員カレーライス食っていいのか!?』というテンションで泣くほど喜びながら、肉厚な特上タンを静かに噛み締めるように味わっていた。

 PAさんは、絶妙な焼き加減のミスジを堪能しつつ冷えたビールをちびちびと上品に飲み、ひとりに優しく肉を振る舞う。

 星歌は、日本酒をロックで粋に味わいながら、大きな御櫃から炊き立ての白ごはんをたっぷりとよそって、ひとりに手渡す。

 ひとりは、PAさんと星歌から両手で恭しく受け取った焼き立てのお肉とごはんを美味しそうに口へ運び、その圧倒的な旨味に顔をほころばせて満面の笑顔になるのだった。

 

 

 そして──

 

 

「あっ虹夏さん、サーロインどうぞ。喜多さんも、こっちのカルビ焼けましたので是非…あっ先輩…日本酒のおかわり要りますか?」

 

「おっサンキュー廣井。…てかお前焼いてばっかで全然手付けてねェじゃん。もっと食えよ」

 

「あっいや…でも…」

 

「遠慮すンなよ。ホラ、ビール旨いぞ。肉ももっと食え食え」

 

「あっありがとうございます先輩…いただきます…」

 

 

 信頼する先輩からのどこまでも温かい促し。

 恩人であるひとりが自分を歓迎してくれているという安心感。

 

 全ての重圧から解放されたきくりは、目の前に差し出された黄金色の液体──キンキンに冷えてやがる極上の生ビールを一気に飲み干した。

 

 

「……ふぅ……」

 

 

 次の瞬間、アルコールが脳髄へ一気に到達し、きくりの目がキラーンと不穏な光を放った。

 お酒という絶対的な防壁を得たことで、彼女の脳内はいつものハイテンション酔っ払いモードに一瞬でスイッチオン。

 

 

「うっひょ~!!!馬ッ!!!これこれ〜!酒うめぇぇぇ!焼肉最高〜!!!ホラ先輩!自分から言いだしたんだからもっと焼いて焼いて〜!!サ~セ~ン!生ビール、大ジョッキでおかわり!」

 

 

 きくりは幸せスパイラルを噛み締めながら、大声で追加のビールを注文。

 そして案の定、星歌に全力のダル絡みを開始した。

 

 

「先輩ってさ〜wwいつもクールぶってるけど本当は優しいよね〜wwなんかヤンキーが雨の中、子犬を見捨てられない感がめっちゃ出てたわwwwあと、ひとりちゃんのぼっちちゃん呼び可愛いよね〜ww?てかぼっちちゃんってなんだよ〜ww!うける〜www!あひゃひゃひゃひゃwwwwww!!!」

 

(う…うぜェ!!こいつ酔うとクソうぜェ!!でも促したのはこっちだし…今更下手なこと言えねェ……)

 

 

 あまりのうざさに、星歌はこめかみに青筋を立てながら日本酒をグッと煽り、内心の殺意を必死に抑え込む。

 そんな荒れる大人組の正面で、ひとりは挙動不審になりながらもおずおずと言葉を返した。

 

 

「あっ…お姉さん、楽しんでもらえて何よりです…」

 

「ぼっちちゃんもありがとね〜wwwあっ!私もぼっちちゃんって呼ぶね〜!…にしても、ぼっちちゃんって…あひゃひゃひゃひゃひゃww!!おもしれ〜wwww」

 

「あっはい」

 

「お前しばらく会わないうちに面倒くさい奴になったな…シラフの時はあんな可愛かったのに…」

 

 

 星歌は、つい数十分前まで涙目で自分に頭を下げていた、あの守ってあげたくなるほど健気だったきくりの幻影を思い出し、冷たい視線でため息をつく。

 けれど、完全に酔っ払って幸せスパイラルをキメて理性のタガが外れたきくりは、もう誰にも止められない。

 アルコールが全身を巡るにつれ、個室の中に響き渡る彼女の声はどんどん大きくなっていくのだった。

 

 

 そんなきくりの豹変ぶりに、それまで微笑ましく見守っていた虹夏・喜多・PAさんは一斉に目を丸くした。

 

 

「えっ!?この人酔ったらこんな感じになるの!?」

 

「さっきまではあんなに内気な感じだったのに、酔ったらこんなにハイテンションなんですね…!」

 

「飲み会覚えたての大学生に通ずるうざさがありますね」

 

「いや……これでこそ、廣井さんだな」

 

 

 リョウは一切動じることなく、腕を組んで「これだよ、これ」と言わんばかりに静かに深く頷いていた。

 リョウは白ごはんの茶碗を持ったままトコトコときくりの横の席へと移動し、直接話しかけた。

 その声には、いつもとは違う純粋な音楽ファンの熱がたっぷりとこもっていた。

 

 

「廣井さん。私よく【SICK HACK】の大ファンなんです…!ライブも何度も行ってました…!」

 

「え?ホント~?君見る目あるね〜!」

 

「はい…!アルバムも全部持ってます…!…ところで、何であの時シラフだったんですか?そんなこと今まで一度もなかったのに…」

 

「あ~それね!前までは将来への不安とか全部忘れられるから飲んでたんだけどさぁ~。もうそれなりに安定した収入もあって金にも困らなくなったから、今は自分へのご褒美の時か、ライブ前後に気分が高揚した時だけ飲んでるんだよ~!」

 

「そういう経緯が…廣井さんの秘話が聞けて嬉しいです…!」

 

「えへへへ~♪ありがとね~!」

 

「…あの、リョウ先輩…この人のバンド、やっぱり人気なんですか?【NEW GLORY】とのコラボ曲聴いて、演奏も声も一級品ってのは知ってますけど…」

 

 

 いつになく饒舌に、そして珍しく興奮の熱を帯びて語るリョウの姿に、喜多は不思議に思って率直な疑問を尋ねる。

 しかしその北の些細な質問が、リョウの逆鱗に触れてしまい、珍しく目をカッ開き、個室の壁を震わせるほどの凄まじい大声を荒げた。

 

 

 

 

「!?何言ってんの()()!!この人、廣井きくりさんがいる【SICK HACK】は、今日本で一二を争うくらい、勢いのあるバンドなんだよ!曲聴いたならちゃんとバンドもリサーチしないとダメだよ!

 

 ()()!!!」

 

 

「!!?」

 

 

 大好きな【SICK HACK】へのリスペクトを軽視された(と本人が勝手に解釈した)ことへの怒りからか、まさかの超大型爆弾がここで投下された。

 最も隠蔽したかった実のフルネームを、最も予期せぬタイミングで公共の場にカミングアウトされ、一瞬でガチガチに固まった郁代。

 

 いきなり個室の空間に響き渡った知らない名前に、ビールグラスを片手にしたきくりが、首を傾げて疑問を口にする。

 

 

「え〜?郁代って誰~?」

 

「へ…へへへ…だっ誰でしょうねぇ…そそそんなしわしわネーム…だっ誰の事かな?郁代ちゃ~ん出ておいでぇ~…」

 

「お前の名前だろ」

 

「あ〜喜多ちゃんかぁ〜」

 

「その顔、後藤さん以外にも伝染するんですか」

 

 

 魂が半分口から這い出し、虚空を見つめながら限界の引きつり笑顔でバグり散らかしている郁代を、星歌は至極呆れた目で見つめながらお酒をグイッと煽る。

 お酒が回ってご機嫌なきくりは「郁代ちゃんかわいい〜!」と楽しそうに手を叩いて茶化し、PAさんは焦げる直前の和牛ハラミをトングで器用にひっくり返しながら、困ったように苦笑いを浮かべていた。

 

 

「あ〜あ!ずっと隠してたのに!!この名前嫌なんですよ!それにダジャレみたいでしょう!?きた〜!行くよ〜!ってあははあほか〜〜いwwww」

 

「喜多ちゃんぶっ壊れた…」

 

 

 取り乱した郁代は、両手で真っ赤になった顔を覆い隠すと、個室のテーブルの上へとダイブするように突っ伏してじたばたと手足をバタつかせ、完全に精神崩壊の奇行へと走っていた。

 その様子を冷や汗交じりに見守る虹夏には、実は一つの秘密があった。

 

 

(というかあたし…ぼっちちゃん家に行った時、身分証提示で喜多ちゃんのフルネーム聞いてたし…)

 

 

 あの後藤家の要塞セキュリティのIDチェックの時、虹夏はカメラの横のモニターで郁代のフルネームをガッツリと目撃していたのだ。

 しかし、そこはさすが結束バンドの良心。

 喜多の乙女のプライドを察して、これまで必死に知らないフリをしてくれていたのである。

 

 

「私のフルネームは喜多喜多です…」

 

「ぷっw何か弱ってるの、新鮮で面白いw」プスプス

 

「お前性格悪いな」

 

「ああああああ!!!!そっそれよりリョウ先輩!!【SICK HACK】の説明お願いします!!ねっ!?ねっ!!?」

 

 

 郁代のテンションが、嫌がっているその名前の如く文字通りしわしわに萎んでいく。

 普段は太陽みたいにキラキラしている後輩が見せたその前代未聞のギャップを前に、リョウはトングを弄びながら実に愉快そうにご満悦の笑みを浮かべていた。

 一刻も早くこの身の毛もよだつ名前イジりの話題から脱出したくて完全に必死な郁代は、これ以上ない必死の形相で【SICK HACK】についての説明をリョウから聞き出し、強引にトークの方向性をねじ曲げにかかった。

 

 

「もっと弄りたいけど…まぁいいや。観客に酒吹きかけたり、泥酔しながらのライブ最高です…!顔面踏んでもらったのもよい思い出です…!」

 

「ありがと〜!実は9月からZIPPERツアーやるんだ〜!ZIPPER羽田とZIPPER新宿、東京でも2公演やるから遊びに来てね〜♪…あっ!もう全公演売り切れてたわ!あははははは!人気者は辛ぇ〜www」

 

「はい…!【NEW GLORY】とのコラボ曲もMVも最高だったし、最新のフルアルバムは、CDもデジタルダウンロードも全部買ったし、今度始まるリリース記念のZIPPERツアー……新宿は落選したけど、ZIPPER羽田のワンマンはチケット取れたので、絶対見に行きます…!」

 

 

 そのリョウの凄まじい熱狂的ファンっぷりに、きくりは驚きで大きな目を丸くした。

 目の前で本物のリスナーから熱烈に肯定されている。

 これ以上ない極上の承認欲求に満たされたきくりは、さらにジョッキを傾ける酒のピッチを急加速させた。

 

 

「えええ!?マジで!?ありがとう〜!!!うぇ〜ん!!!ファンにそう言ってもらえると嬉しいよ〜!生きててよかった〜!!!」

 

「バカテクバンドなのに…実力あるのに売れなくて残念だったけど…ようやく大衆にうけ始めて、日の目を浴びる事ができて嬉しいです」

 

「うおおお!君ほんといい子だね!あとZIPPERの間に、新宿FOLTでもワンマンやるから来てね!チケット残しといてあげるから!よっしゃ〜先輩! もっとこの子に肉焼いて!ごはんもよそってあげて!山田ちゃんだっけ?どんどん食べてね!」

 

「はい…!いただきます!あとFOLTのライブも絶対行きます!」

 

「……お前、ほんと面倒くせェな……」

 

 

 自分の可愛いファンに肉やごはんを配るよう無邪気に急かすきくりに対し、星歌は至極面倒くさそうに大きなため息をつきながらも、最高級A5ランクの特選ロースを焦がさないよう渋々トングで肉を焼いていく。

 その裏で、リョウときくりのやり取りを横で聞いていた虹夏と喜多は、きくりの口から飛び出した『ZIPPERツアー即完』というモンスター級のワードに度肝を抜かれていた。

 

 

「え?ZIPPERツアーって…この人そんなすごい人だったの!?…しかも全公演ソールドアウト…!?」

 

「………伊地知先輩!オーチューブで【SICK HACK】のチャンネル調べたら、一番人気のやつは8000万以上も再生されてますよ!他のMVも、1000万が一個と、数百万再生のが何個か……というかこのチャンネルでも【NEW GLORY】とコラボ曲出してたんですね!?私、【NEW GLORY】のチャンネルしか見てなかったから気づかなかった…」

 

「ええ!?そうなの!!?あっあたしもあとで見てみよう…!」

 

あぁ^〜心がぴょんぴょんするんじゃぁ〜〜!私の最初のライブの時、二人しかいなかったのに。出世したわ〜♪」

 

「今やお前のバンド、洗練されたファンがどんどん増えて、超絶ヘンタイバンドになったよな」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 盛り上がった会話の波が引き、個室の全員が心地よい疲労感と共に笑い疲れた頃。

 ひとりのすぐ真横にある分厚い壁の向こうから、防音の隙間を抜けて低くくぐもった、ひどく哀愁を帯びた男性たちの声が漏れ聞こえてきた。

 

 

「……はぁ……人生って……何なんだろうな……」

 

「…俺も、必死に勉強して…いい大学まで入ったのに……大手は軒並み落ちて、結局聞いた事ないブラック企業に行って、安い賃金で毎日こき使われてる……」

 

「毎日会社行って夜遅くまで残業してンのに、給料も大して上がらずボーナスも雀の涙程度……彼女もいないし、家と会社行き来するだけ…気づけばもうすぐ27……唯一の趣味は二次創作のネット小説読み漁るだけ…ガチで終わってンな俺……」

 

「……とりあえず飲もうぜ。せっかく奮発して、こんな高級な焼肉屋来たのに…」

 

「……そうだな………俺、どこで間違えたんだろ…」

 

 

 箸を止めたひとりは、そのリアルな絶望の告白にじっと耳を澄ませた。

 隣の個室から響く、限界サラリーマンたちの生々しい人生への嘆き。

 その暗黒の波動を正面から浴びてしまったひとりの顔は、みるみるうちに血の気が引いて青ざめていく。

 

 

(人生とはどこまでも地獄なのか…!)

 

 

 そして、ひとりの頭の中で、溜まりに溜まったネガティブな妄想が爆発した。

 

 進学できるほど頭良くないし、大学行っても目的がないから勉強のモチベーションが湧かない。

 だから高校卒業後は一旦就職するしか選択肢はない。

 でも、極度のコミュ症ゆえに就活には100%失敗するだろうし、企業リサーチも碌にせず、とりあえず拾ってくれたブラック企業に内定を貰って入社。

 そこで何の成果も出せずに、職場の居場所もなくなり、針のむしろに耐えかねて自主退職し引きニートコースまっしぐら。

 

 父親のおかげで一生遊んで暮らせて、我が家には一生遊んで暮らせて一生食うに困らない天文学的な資産があるとはいえ、毎日親の金をただ食い潰すだけの罪悪感と猛烈な自己嫌悪に浸りながら、現実逃避のために安酒に溺れる未来。

 しかもタチの悪いことに、ニートであっても家族はみんな優しく温かく接してくれるから、己の無力さが余計に惨めで辛くなるに決まっている。

 

 

(…だったらお父さんみたいに、16~17歳くらいで一人で海外渡り歩いて、武者修行でもする…!?いやいやいや!【NEW GLORY】のワールドツアーにちょこちょこ着いて行って、ある程度の日常会話なら英語話せるけど……日本以上にコミュ力が必要な海外には……とてもじゃないけど行けない!!!)

 

 

 ネガティブの無限ループに囚われ、ひとりの輪郭がどんどん崩壊していく。

 目はぐるぐると怪しく回り、口元は液体のように溶け出し、両頬は一瞬でしわしわに萎み、最終的には肉体が骨を失ったかのようにぐにゃぐにゃに溶け始めてしまった。

 

 そして、個室の防音壁をも突き破らんばかりの、この世の終わりを告げる断末魔が室内に炸裂した。

 

 

「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃやああああぁぁぁぁ!!!!!!!売れなかったら…!!!!ニートで酒飲みで…!!!親の金食い潰して…!!!!最悪の穀潰しになってしまうぅぅぅぅ!!!!うわあああああああ!!!終わりだぁぁぁ!!!死ぬ!!!死んでしまう!!!ぎえええええええええ!!!!!!!やっぱりニートああああああああああああああ!!!!!」

 

「「「「「「!?!?!?!?!?!?」」」」」」

 

 

 叫びきった瞬間、ひとりは物理的に全身がピンク色の胞子状に四散して大発狂。

 突如として始まった未知の怪奇現象を前に、それまでお肉を楽しんでいた個室の空気は一瞬で凍りつき、すぐに騒然としたパニックへと陥った。

 

 

「ぼっちちゃんまたいつもの発作か…!?」

 

「あっこれいつもなんだ」

 

「早くギターで食べれるようにならないと私はニート…」

 

「仕方ない…紙やすり頂戴」

 

「毎回この作業大変ですよね…」

 

「お前ら手慣れてんな…」

 

 

 机の下や換気扇の隙間に散らばったピンクの胞子を集めるべく、淡々と救助作業に取り掛かるリョウと喜多。

 その手際の良さを横目で見ながら、星歌はただただ呆れたように冷や汗を流していた。

 

 そんなこんなで、高級焼肉店の個室を舞台に盛大な一悶着があったものの、空中を漂う後藤ひとりの概念は、大人組の温かい励ましとお肉の焼ける匂いによって、少しずつ、けれど確実に元の姿へと落ち着いていったのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

  

 

 

 

 やがてメインの高級和牛は一通りお腹の中に収まり、テーブルにはシメのデザートが運ばれて全員がそれを楽しんでいた。

 個室の中にゆったりとした満腹の空気が流れる中、ひとりはふと、ある異変に気づいた。

 

 

「……虹夏ちゃんが…いない……?」

 

 

 テーブルを見回すと、虹夏の席がぽっかりと空いている。

 ひとりはそっと席を立ち上がり、個室の引き戸を開けて静かな廊下を歩いた。

 お会計のカウンターを通り過ぎ、ひとりは店の外に通じる非常口の近くで、目的の金髪の少女を見つけた。

 

 虹夏は、一人で外の空気を吸っていた。

 

 台風が去りつつある夜の軒下にポツンと立って、湿った雨の匂いが混ざる冷たい空気を、深く吸い込んでいる。

 その横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。

 

 ひとりは足音を忍ばせ、そっと隣へと近づいた。

 

 

「あっ虹夏ちゃん…何してたんですか」

 

「!ぼっちちゃん。ちょっと外で涼んでたんだ」

 

 

 虹夏はパッと振り返り、自分の寂しげな背中を見つけられたことに少し驚いた顔をした。

 ひとりはそのまま隣に並んで立って、虹夏に不器用な話題を話しかけた。

 

 

「さっ最近はもう、夜は涼しいですね…」

 

「そうだね〜。あ〜あともうちょっとで夏休みも終わりか〜」

 

 

 学生にとって最も過酷な、冷酷な現実のワードを突きつけられ、ひとりは脳の全機能をシャットダウンして現実逃避するように呪文を呟いた。

 

 

「何も聞こえない何も知らない夏休みは終わらない私は学生なんかじゃない木…水…惑星…銀河…」

 

「ぼっちちゃん現実を見て!!」

 

「……うう…」

 

 

 いつものように虹夏がコミカルにツッコミを入れ、宇宙の概念へと逃亡しかけていたひとりは、小さく首を竦めて「うぅ…」と肩をすくめた。

 広場にクスリと2人の笑い声が溶けていったあと、虹夏はふっと真剣な顔になり、雨が滴る夜の空を見上げた。

 

 

「あのさ…今日の演奏みて気づいたんだけど…ぼっちちゃんがギターヒーローなんでしょ?」

 

 

 唐突な、あまりにもあまりにも油断していた正体バレの告知に、ひとりの肉体は一瞬でカチコチに固まった。

 脳が限界を検知した瞬間、慌てて背中からタコのような謎の手を8本に増やし、空気抵抗を完全に無視した速度でブンブンと激しく振り回した。(たこぼっち)

 

 

「えっうっあの…ちがちが…ちがががががが…」

 

「あのキレのあるストロークを聴いたら分かったよ…今更だけどギターも一緒だし」

 

 

 あのアウェイのフロアを、『音だけで黙らせた』鮮烈なカッティングとソロの癖。

 何より、父から受け継いだ傷だらけの黒いレスポールという決定的な証拠。

 

 言い逃れの完全にできない領域まで正体がバレてしまい、ひとりは、タコの手を消失させて涙目でがっくりとうなだれた。

 

 

「えっと…そうです…でもわざと隠してたんじゃなくて…」

 

「……今の私……実力の十分の一も出せてないんです……性格、直してから……話したかったんです…」

 

 

 プロをも戦慄させる本当の実力を隠し、ただの引っ込み思案な「ぼっちちゃん」としてチヤホヤされようとしていた(と思っている)歪んだ自責の念。

 虹夏はそんな風に震えているひとりの肩に、温かい手を優しくそっと置いた。

 

 

「ぼっちちゃん……ギターヒーローだって知られて、ショックだった?」

 

「…い…いえ…虹夏ちゃんが…嫌いになったりしないかなって…怖かったです」

 

 

 ネットの怪物であることを隠してバンドの演奏をめちゃくちゃにしていた自分を、虹夏は騙されたとキレて見捨てるのではないか。

 ひとりがそんな本音を漏らすと、虹夏はひとりの前髪の奥にある目をしっかり、真っ直ぐに見つめて言った。

 

 

「むしろぼっちちゃんでよかったよ。それに、ギターヒーローじゃなかったとしても、あたしはぼっちちゃんに救われた」

 

「……虹夏ちゃん……」

 

 

 自分の不器用な音が、確かに誰かを救っていた。

 お父さん以外の人間に初めて音楽で肯定されたその奇跡に、ひとりの小さな瞳が、じわっとうるっと熱い涙で膜を張った。

 

 虹夏は繋いだ手を優しく解くと、少し遠くの夜空を見つめて静かに話し始めた。

 

 

「あたし…小さい頃にお母さんが事故で亡くなって…それからずっと寂しかったんだ。お父さんはいつも家にいないし、お姉ちゃんだけが家族だったの…」

 

「そんな寂しがるあたしを、お姉ちゃんがライブハウスに連れてってくれて…音楽に救われたんだ。…お姉ちゃんはそんなあたしのために、スターリーを作ってくれた。全部…あたしのために……」

 

 

 ひとりは言葉を挟むことなく、虹夏の過去の重みを静かに受け止めていた。

 星歌が冷徹な表情の裏で抱えていた、妹へのあまりにも深く不器用な愛情。

 その結晶こそが下北沢スターリーなのだ。

 

 虹夏は、涙を堪えながらも満面の笑顔で続けた。

 

 

「だからあたしの本当の夢はね!お姉ちゃんの分まで【結束バンド】を人気にして、スターリーをもっともっと有名にすること!……でも実際バンドを始めてみたら思うようにいかない事ばかりで、あたしの夢って無謀なんじゃないかって思う時もあった。今日のライブでも自信なくなりかけてた」

 

「でも…ぼっちちゃんが助けてくれた。あのギターソロで…みんなの心、取り戻してくれた」

 

「そして最後は、今までで一番の手応えだった!そんなみんなの道標になってくれたぼっちちゃんは…あたしには本当のヒーローに見えたよ!」

 

 

 お父さんの教えを胸に、ただ無我夢中で掻き鳴らした自分の音が、こんなにも美しく、尊く、一人の少女の絶望を救っていた。

 ひとりは、堪えきれなくなった熱い涙をポロポロと頬にこぼした。

 

 

「……虹夏ちゃん……」

 

 

 虹夏はひとりの冷たい手を両手で包み込むようにギュッと握り、その前髪の奥にある瞳を真っ直ぐ見つめた。

 

 

「ぼっちちゃんがいれば……夢を叶えられるって確信した。だから……もっと、導いて欲しい。私……ぼっちちゃんについてて欲しいの!」

 

「だからこれからもたくさん見せてね。ぼっちちゃんのロック…

 

 

 ぼっちざろっくを!」

 

 

 その瞬間、虹夏から託された『ぼっち・ざ・ろっく』という彼女自身のロック魂が、新時代のバンドのタイトルとして完璧に定まった。

 ひとりは涙を拭きながら、力強く頷いた。

 

 

「……はい…私も虹夏ちゃんたちと…ずっといたいです…ギタリストとして…皆んなの大切な【結束バンド】を最高のバンドにしたいです」

 

「うん!これからもよろしくね!ぼっちちゃん!」

 

「あっはい!」

 

 

 二人は台風が去りつつある涼しい夜風の中で、静かに、そして最高の信頼を込めて微笑み合った。

 見上げれば、あれほど猛威を振るっていた台風の黒雲は綺麗に通り過ぎ、下北沢の夜空には満天の綺麗な星空が静かに広がっている。

 

 【結束バンド】の目指す夢のステージは、世界一のお父さんがいるあの高すぎる頂点であり、まだ始まったばかりで果てしなく遠い。

 

 

 でも──ここにいる、お互いの音を命懸けで信じ合える最高の仲間たちがいる。

 

 

 それだけでひとりの胸の奥は、これまで感じたことのない温かさでいっぱいに満たされていた。

 ひとりは、虹夏の手をぎゅっと強く握り返した。

 

 

 

 「一緒に…がんばりましょう…!」

 

 「うん!その意気だよ!!【結束バンド】は最高のバンドになる!」

 

 

 夜空の星たちに誓い合うように言葉を交わした二人は、楽しそうな気配が漂う温かい店内へと戻っていった。

 

 個室の引き戸を開ければ、みんなの笑い声が温かく迎えてくれる。

 

 未来への希望が、ひとりと虹夏の心に、静かに灯っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直樹は、福岡の高級ホテルのスイートルームでソファに深く腰を沈めていた。

 

 数万人を収容する九州最大級のアリーナ公演。

 その前日リハーサルという極限の緊張感が漂う現場を終え、メンバーたちもそれぞれ己の部屋へと戻った後だった。

 一人きりになった広すぎる部屋の中は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれている。

 大きなガラス窓の向こうには、美しく煌めく福岡市街の夜景がどこまでも広がっていたが、直樹の視線はそのきらびやかな光景には目もくれず、手元のスマホの画面だけに一点固定されていた。

 

 

(今日はひとりの…【結束バンド】のライブだったな)

 

 

 愛娘のひとりが、ついに居場所を見つけて4人揃って挑む、記念すべき人生初の公式ライブステージ。

 

 一人の親として、そして一人のバンドマンとして、その歴史的な一歩の瞬間に家族全員で立ち会って応援してあげられなかった事実が、直樹の心にはずっと重い棘のように引っかかり続けていた。

 数ヶ月前から綿密に組まれていた【NEW GLORY】のJAPAN TOURという絶対的な仕事のスケジュール。

 どうしても前日入りでの通しリハや、ミリ単位の緻密な機材チェック、何百人もの命を預かるツアースタッフとの最終ミーティングをこなさざるを得なかったのだ。

 全ての過酷なルーティンが終わった今、ようやく深く息をつける時間が訪れたものの、直樹の胸の奥にはどこまでも苦しいほどの不安が残っていた。

 

 

(台風…東京の方は直撃だって聞いたけど、大丈夫だったかな?スターリーは屋内だけど、雨が強ければ客も来ないかも…ひとり、緊張してたろうな…)

 

 

 直樹はスマホを握りしめ、ロインを開いた。

 ひとりからの新着メッセージは、まだ届いていない。

 スターリーでのライブは夕方からのスタートだったはず。

 時刻を見れば、とっくの昔に終演を迎えている時間帯。

 直樹は焦燥感に急かされるようにして、何度も、何度も親指でトーク画面のタイムラインを更新し続けた。

 

 

 その時──通知音が鳴った。

 

 

 液晶の最上部にポップアップした、愛おしい長女の名前──ひとりからだ。

 

 直樹は慌てた様子で、飛びつくようにして画面を開いた。

 そこに表示された愛娘からのメッセージは、短く、けれど何よりも力強いシンプルな一言だった。

 

 


 

『お父さん。ライブ成功したよ』

 


 

 

 続いて、データ容量の大きい1枚の写真が送られてきた。

 

 送られてきた写真の背景は、落ち着いたモダンな照明が灯る高級焼肉店の個室だった。

 今まさに熱い初ステージをやり遂げた後の打ち上げの真っ最中なのだろう、【結束バンド】のメンバー全員が、カメラのレンズに向かって最高の笑顔を浮かべて写り込んでいた。

 

 ドラムの虹夏が、満面の笑顔でカメラに向かって綺麗なピースサインを掲げ。

 ギターボーカルの喜多は、「キターン!」とした眩しい表情で楽しげに自撮りのシャッターを切っている。

 ベースのリョウは、クールのままに不敵なドヤ顔を浮かべ、親指を立てたサムズアップのポーズで、ひとりの肩を誇らしげにガチリと力強く組んでいた。

 

 そして中心にいる主役のひとりは、突然のフラッシュに少し照れくさそうに身を竦めながらも、押し入れの暗闇を完全に脱出したかのような、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべていた。

 

 少女たちのすぐ後ろには、スターリー店長の星歌、PAさん。

 そしてお酒を浴びていつものハイテンションモードにスイッチが入ったきくりがいて、みんな楽しそうに、心から幸せそうに笑ってる。

 

 

 直樹は画面を指先で慎重にピンチアウトし、送られてきた写真を大きく拡大して、そこに写るひとりの満面の笑顔をじっと見つめた。

 ずっとひとりぼっちだった娘が、自分の力で逆境を跳ね除け、こんなにも眩しく笑っている。

 その揺るぎない現実を前に直樹の胸は熱く締めつけられ、目元には温かい大粒の涙がにじんだ。

 

 

「…よかった…本当によかった……」

 

 

 直樹は、スマホを胸に当てて、深く息を吐いた。

 

 東京に台風が直撃したと聞いた瞬間から、リハーサルの最中もずっと彼の胸をせき止めていた得体の知れない不安が、今の一言と写真によって一気に氷解して溶けていった。

 

 娘が、人生初のブッキングライブを自分の力で見事に成功させたのだ。

 

 一人の親として、そして一人のバンドマンとして、その最初のステージに同行してあげられなかったことへの悔しさは一生消えないかもしれない。

 けれど、ひとりはちゃんと自分の足でステージの上に立ち、最高の笑顔で今夜を締めくくった。

 大好きな【結束バンド】のメンバーたちと、そしてお礼を託した大人3人組と一緒に、これ以上ないほど楽しそうに極上のお肉を囲みながら。

 

 直樹の涙で濡れた顔に、父親としての至高の笑みが溢れた。

 それと同時に、彼のバンドマンとしての血が、再び滾り始めるのを感じた。

 

 

(僕も…負けてられないな)

 

 

 明日は、【NEW GLORY】のJAPAN TOUR、福岡のアリーナ公演の1日目。

 そして明後日は、2日目の本番が控えている。

 いつも通り、自分たちの音を渇望してアリーナを埋め尽くす何万人もの満員の会場を、完璧な実力で熱狂させる。

 

 

 いや──いつも以上に。

 

 

 娘の笑顔を思い浮かべて、もっと熱く、もっと強く、みんなの心を揺さぶる。

 

 直樹はスマホを置いて、立ち上がった。

 窓の外の夜景を見ながら、一人のギタリストとして静かに、熱く決意した。

 

 

(ひとり……お父さんも、ライブ頑張るよ)

 

 

 余談ではあるが、奇跡の台風ライブを成功させた【結束バンド】の熱狂の夜、そして【NEW GLORY】のアリーナツアー福岡公演の前日というこの完璧なタイミングの記念すべき日に、バンドの公式から全世界に向けて、とんでもないツアーの追加公演に関するアナウンスが発表されていた。

 

 ──『NEW GLORY 2027-2028 JAPAN DOME TOUR』の敢行。

 

 11月から翌年の2月までという、計4ヶ月にわたる日本の音楽シーンの歴史を塗り替える壮大なドームツアーのチケット販売が、今まさにネット上で開始されていたのだ。

 

 東京ドームを皮切りに、大阪、名古屋、札幌、埼玉、そしてツアーファイナルの福岡に至るまで、全国6ヵ所、全12公演。

 その総動員予定数は、驚異の62万人という前人未到の天文学的なスケール。

 

 一人でも多くのファンに音を届けるため、彼らはスタンド席以外のエリアをオールスタンディングへと仕様変更し、通常のドームの収容限界を遥かに超える枚数のチケットを用意していた。

 にもかかわらず、世界同時多発的にサーバーへアクセスが殺到した結果、チケットは販売開始からわずか数秒で、全日程・全公演が完全にソールドアウトを記録した。

 

 直樹は、マネージャーから転送されてきたその文字通りの大爆発の結果を知っても、今さら驚きはしなかった。

 それが、自分たちが20年間命を削って創り上げてきた【NEW GLORY】という唯一無二のブランドの格だと知っているからだ。

 

 ただ、彼は暗転した液晶画面を見つめながら、心の中で静かに思った。

 

 

(僕たちも……もっと上を目指そう。

 ひとりに、胸を張れるように……そして、

 

 NEW GLORY(あいつら)】と…世界一になる!)

 

 

 福岡の夜に、直樹は娘への想いを乗せて、改めて決意を固めた。

 

 明日のステージで、最高の音を届けるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ!!チケット買うの忘れてた!!」

 

「あぁ!!もう東京ドーム公演売り切れてる!!というか全公演ソールドアウトになってるし…!」

 

「ああああ……!なんで忘れてたんだ……!!このカラカラの脳みそが憎いッ…!!」

 

 

 ちなみに【結束バンド】のライブでそれどころじゃなかった、虹夏・喜多・リョウの3人。

 

 【NEW GLORY】の6大ドームツアーのチケット販売のことをすっかり忘れており、打ち上げ終わりの帰宅後にようやく気づいたが、すでに全日程・全公演ソールドアウト。

 

 全員頭を抱えており、その中でも特にリョウは一番悔しがっていた。

 

 




ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!
次回から結構、時系列が飛びますので、ご了承ください。
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