娘のバンドと対バンしたい   作:肉野郎

9 / 38
お気に入り登録、評価、感想くれた方、ありがとうございます!
今回はぼっちちゃんがギターを購入する回です。
江の島、SICK HACKのライブ、文化祭ライブのところは、原作と大して展開が変わらないので、大幅にカットしました。期待してた方すみません。

それではどうぞ


9

 

 

 台風ライブから、数ヶ月が経った。

 

 ひとりは少しずつ、でも確実に前へと進み続けていた。

 

 夏休みの最終日には、【結束バンド】のメンバー全員で江ノ島へと足を運び、階段の多さに泡を吹いて倒れそうになりながらも、仲間たちとのかけがえのない絆を深く、強く確かめ合い。

 

 秀華高校の文化祭の個人ステージに、喜多の計らいによって【結束バンド】として公式に出演することが電撃決定したり。

 

 【SICK HACK】の新宿FOLTライブに参戦して、きくりのステージに圧倒され、決意を新たに文化祭ライブに挑み。

 

 そして文化祭ライブでは、ひとりのギターが機材トラブルで、チューニングが安定せず、ペグが故障し、音が途切れるハプニングもあったが、喜多のアドリブのソロや、虹夏とリョウの演奏で場を繋ぎ、ひとりは土壇場でボトルネック奏法で乗り切って、大成功。

 

 曲終わりのMCの際、喜多に無茶振りの一言を求められ、色々考えた結果、勢いで客席にダイブして失敗。

 

 そして、例のダイブの所をSNSに晒されて、ネットでバズったりするが、それはまた別の話。

 

 本当に色々な大事件があったけれど、彼女たちの青春の時間は、着実に秋の気配を濃くしながら過ぎ去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 直樹は、久々につかみ取った完全なオフの日を家族全員と共に満喫していた。

 

 いつもなら休日のリビングでもDAWの画面を睨んだり、脳内で新しいフレーズを練り上げたりするが、今回ばかりは新譜のネタ作りもストックの構築もせず、本当に何もなくのんびりとした時間を過ごしていた。

 

 直樹はふたりを肩車して、広いリビングを駆け回って遊んでいた。

 ふたりは父の肩車から見えるいつもより高い景色に大はしゃぎしてキャッキャと笑い、愛犬のジミヘンはそんな親子の足元を邪魔しないように並走しながら、ちぎれんばかりにフサフサの尻尾を振っている。

 キッチンのカウンターでは、美智代が香りの良いアールグレイの紅茶を淹れながら、湯気の向こうで繰り広げられるその温かい光景を、慈愛に満ちた聖母のような優しい微笑みで見守っていた。

 

 そんな中──ひとりだけは、少し離れた廊下の境目あたりで重いギターケースを命綱のように抱きしめたまま、カチコチになって立ち尽くしていた。

 ケースの中に収められているのは、限界を超えた負荷によってペグがへし折れ、ボディにもいくつかの生々しい傷がついてしまった黒いレスポール・カスタム。

 

 ひとりは喉の奥でゴクリと唾を飲み、深呼吸をして勇気を振り絞って声をかけた。

 

 

「お父さん…ちょっといい?」

 

「?どうしたひとり?…ごめんふたり。ちょっとお姉ちゃんとお話していいかい?」

 

「えー!?おとーさんまだあそんでー!」

 

「大丈夫だよ、すぐ終わるから。…それで、どうしたんだ?…というか大丈夫か?顔色悪いぞ?」

 

 

 直樹はしがみつくふたりを優しく床へと下ろし、ただならぬ悲壮感を漂わせている長女からの話を待つために姿勢を正した。

 ひとりは、直樹から必死に目を逸らしながら、罪人が証拠品を差し出すかのようなおどおどした手つきで、傷だらけのギターケースを直樹の前へと差し出した。

 

 

「お父さん、ごめんなさい。……お父さんから借りた大切なギター…ライブで壊してしまいました…」

 

 

 ひとりの消え入りそうな懺悔の言葉を聞き、直樹は黙って受け取ったギターケースをソファーの上に静かに横たえた。

 カチリ、と金属のロックを外し、ベルベットのクッションに包まれた愛機を露出させて、そこに刻まれた破損の状況を目視で入念に確認していく。

 確かに1弦のペグが根元からポッキリと壊れており、ボディの側面にも激しいピッキングやダイブの際についたと思われる擦り傷が残っていた。

 

 ──けれど、直樹は怒るどころか、どこまでも穏やかで、誇らしげな微笑みをその口元に浮かべた。

 

 

「大丈夫だよ。ペグが壊れただけだし、修理すれば使えるから心配しなくていいよ。ギターなんて弾いてるうちに傷つくものだ。それに……お前が頑張ってる証拠だろ?」

 

 

 直樹は「楽器は飾っておくためのコレクションじゃない、ステージの上で血を通わせるための相棒だ。」と一人の偉大なギタリストの先輩として、気にしないでいいと、縮こまっているひとりを優しく励ます。

 だがひとりは、自分がお父さんの大切な相棒を傷つけてしまったという申し訳なさから、涙目で激しく首を横に振った。

 

 

「でも、このギター…私にとって特別で…5歳の時、初めて【NEW GLORY】のライブでお父さんが弾いてたギターで…私に貸してくれるまで…色んなドームやスタジアム、ワールドツアーでも使ってて…フレーズ考える時もいつも使ってたし…たくさん思い出が……」

 

 

 溢れ出し、止まらなくなるお父さんへの純粋なリスペクトと、楽器へ注いできた狂おしいほどの愛着。

 その涙混じりの必死の言葉を聞いた瞬間、直樹の瞳が、これ以上ないほど優しく、熱く細められた。

 娘の健気な軌跡を想い、直樹の胸の奥は涙腺が決壊するほど熱く激しく焦がされた。

 

 

「……ありがとう、ひとり。お前がこのギターを大切に使ってくれて…お父さんすごく嬉しいよ。傷ついたって…お前の音が刻まれてる証拠だ」

 

「…お父さん……」

 

 

 傷すらも、お前が一人のバンドマンとして戦い抜いた『勲章』であり、お前の音が刻まれている証拠なのだと、優しく全肯定してくれた直樹の言葉。

 そのあまりにも大きくて温かい父親の深い愛に触れ、ひとりはジャージの袖で顔を覆いながら、大粒の涙をポロポロと床へとこぼすのだった。

 

 直樹は優しくひとりの涙を指先で拭うと、何かを思い出したようにポンと手を叩いた。

 

 

 「…丁度よかった。ひとり、渡したいものがあるから…ちょっと待っててくれ」

 

 

 直樹はひとりの頭をポンポンと優しく撫で、そのままリビングの奥にある書斎の引き出しに向かい、厳重に保管されていた一冊の通帳とキャッシュカードを取り出した。

 そこにはくっきりと『後藤ひとり』名義の文字が刻まれている。

 直樹はそれをひとりの手のひらの上へとそっと載せた。

 

 

「これを機に、ひとりも自分のギター買ったらどうだ?自分で買ったギターだと、愛着湧くぞ。とりあえず受け取ってくれ」

 

「え?う、うん」

 

 

 ひとりは直樹から通帳を受け取り、恐る恐るそのページを開いた。

 最新の印字データが刻まれた、残高の欄に整然と並んだ数字。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在高──*22,267,920

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え……?」

 

 

 ひとりはあまりの非現実的な桁数に、それまでポロポロと流れていた涙が一瞬で引っ込み、彫刻のように完全に固まった。

 通帳を二度見、三度見、四度見。見間違いであってくれと祈りながら何度も瞬きを繰り返すが、残高欄に並ぶ『2226万7920円』という天文学的な数字は変わらない。

 それが紛れもない現実味を帯びてくるにつれ、彼女の顔面は一瞬で土気色になり、どんどん青ざめていった。

 

 

「……2……2千万!!!!?」

 

「びっくりしたか? まあ、2千万って数字だけ見たらそうなるよな」

 

 

 ひとりは、申し訳なさそうに顔を上げた。

 

 

「おっお父さん…!こんなのもらえないよ!お父さんには、いつもお小遣いもお年玉も…ものすごい金額もらってるのに…これ以上は…!」

 

 

 親の金を不当に食い潰す穀潰しニートへの恐怖がリフレインする娘の前に、キッチンから紅茶のカップを運んできた美智代がすっと入ってきた。

 美智代はソファーに座る直樹の横にピッタリとくっついて腰を下ろすと、聖母のような笑みを浮かべて優しく言った。

 

 

「ひとりちゃん。これはひとりちゃんが稼いだお金よ。お父さんはそれを管理してただけ」

 

「私が……稼いだ……?」

 

 

 ひとりは驚きのあまり、それ以上開かないというほどに大きく目を丸くした。

 直樹はそんな娘のパニックを優しく受け止めながら、フッと微笑んでゆっくり説明した。

 

 

「ギターヒーローのチャンネル、2年くらい前から広告をつけてたんだ。最初は趣味で上げてただけだったけど、登録者が100万人超えて、再生数がどんどん伸びて……海外の視聴者も多かったから、広告単価も結構良かった」

 

「オーチューブ側で手数料45%引かれるけど、それでも2年間で5億再生以上だから、かなりの金額になる。ただ日本だと所得税と住民税がかかるし、確定申告も必要だろ?」

 

「だから僕がずっと雇ってる税理士に全部任せたんだ。源泉徴収の計算から、経費の計上、節税の対策まで全部やってくれてる」

 

「つまり、ひとりは何も手続きしなくていい。税金も、もう引かれた後の金額がここに入ってる状態だよ」

 

 

 ひとりは、ますます目を丸くした。

 

 

「税理士さん…?経費…?私…何もしてないのに……」

 

 

 ただ地下スタジオに引きこもってギターを弾いていただけなのに、裏ではお父さんのおかげで、プロの税金対策による完全合法な資産運用が完璧に完了していたのだ。

 直樹は、戸惑う娘を安心させるように笑って続けた。

 

 

「大丈夫だよ。こういうのはプロに任せとけば間違いない。ひとりは自分の音楽に集中してればいいんだ」

 

「これは…ひとりが自分の力で、真っ当に稼いだお金だから…好きに使っていい」

 

 

 世界のトップアーティストとして税金の恐ろしさを知り尽くしている直樹だからこその、あまりにも手慣れた完璧なバックアップ。

 美智代が、その温かい言葉に優しく付け加えた。

 

 

「新しいギターを買うのもいいし、ひとりちゃんの欲しいものに使ってもいい……ひとりちゃんが幸せになることに使ってくれたら、お父さんもお母さんも嬉しいわ」

 

 

 ひとりは渡された自分名義の通帳を、胸にぎゅっと抱きしめた。

 お父さんは自分の活動を静かに見守り、一人のアーティストとして、そして娘としての未来をここまで完璧に守ってくれていた。

 その無償の、深すぎる愛情が胸に押し寄せ、目元から涙が、ぽろぽろとこぼれる。

 

 

「……ありがとう……お父さん、お母さん……私……大事に使う……新しいギター買って……もっと……みんなを熱狂させる……」

 

 

 直樹は、ふたりを再び肩車しながら、嬉しそうに笑った。

 

 

「ひとりがどんなギター買うか、お父さん楽しみにしてるよ」

 

 

 ひとりは涙を拭きながら、新しい相棒に出会う未来に向けて力強く頷いた。

 

 

「…うん…!…楽しみにしてて…!」

 

 

 直樹は衝撃冷めやらぬ愛娘の様子を見つめながら、何でもない日常の予定を思い出したかのように、軽く付け加えた。

 

 

「それにお父さん、2千万程度なら稼ぐのに1時間もいらないから、本当に気にしなくていいよ」

 

「ねーおとーさん!はやくあそんでー!」

 

「おぉごめんごめん。それじゃ行くぞふたり!!後藤直樹号!発進!!」

 

「きゃー!おとーさんもっとはやくー!」

 

「よっしゃー!5000馬力だー!!」

 

「きゃー!はやーい!」

 

「ワンワン!」

 

「ふふっ♪転ばないようにね〜」

 

 

 その言葉を合図にするように、直樹は再びふたりを広い肩の上へと肩車して、広大なリビングの端から端まで全力で走り回り始めた。

 ふたりは歓声を上げて喜び、愛犬のジミヘンも千切れんばかりに尻尾を振りながら、主人の足元を元気いっぱいに追いかけていく。

 美智代は、手元の温かい紅茶を愛おしげに口に含み、湯気の向こうで破顔している家族の姿を優しく見守っていた。

 リビングの四方から楽しげな家族の笑い声が響き渡り、空間は一瞬にして、いつもの穏やかな後藤家の団欒の光景へと戻っていった。

 

 そんな幸福の象徴のようなリビングの片隅で、ひとりだけは、手元に残された2200万円超えの通帳の重みを感じながら、改めて戦慄のモノローグを脳内で爆発させていた。

 

 

(……お父さん…流石に規格外すぎる…!やっぱり年収数百億近くあるっての…本当なんだ…!)

 

 

 ちなみに、ひとりがネットの噂話だと思っていたその金額は、現実の数字の前にはむしろ過小評価と言えるレベルだった。

 

 直樹の年収の源泉──それは世界ツアーによる莫大なライブの収益、ミリオンセラーを連発するCDの印税、サブスク時代において不動の世界1位を記録し続けるストリーミング・ダウンロード収益、世界中のカラオケ印税、世界規模の2次利用(大規模CM・番組の世界的タイアップ)。

 さらに、これまで国内外の様々な歌姫やトップアーティストたちへ提供してきた膨大な名曲の数々から、長期に渡って途切れることなく天文学的な金額が口座へと自動的に振り込まれ続ける、最強の不労所得のシステムまで完成していた。

 

 その結果、今年度における後藤直樹の総収入は、9月の中旬というまだ年の後半を残した段階であるにもかかわらず、とっくに年収580億円(税金や諸経費を全て引き去った後の『手取り』)という、一国の国家予算にすら届きかねない圧倒的な数字を超えていたのだ。

 

 ひとりは通帳を胸元へと大切に抱きしめながら、自分をここまで無償の愛で守り、育ててくれた父親の底知れない凄さを、改めて静かに実感するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この辺の店はいろ〜。お姉ちゃん昔ここでバイトしてたんだよ!」

 

「あっはい」(入りたくない…)

 

 

 ひとりは50万ほど財布に入れ、ギターを買う決意をした。

 

 さっそく【結束バンド】のメンバーたちに相談すると、虹夏が即座に「楽器屋さんに行こう!」と満面の笑顔で提案。

 対人恐怖症のひとりは、誰とも喋らずに済むネットの通販サイトでポチッと買おうと思っていたのだが、虹夏から「一生の相棒なんだから、実際に自分の手で触って選ぶのが一番いいんだよ!」と力強く押し切られ、いつものように流されるまま、大勢の人で賑わう御茶ノ水の大型楽器屋に行くことになってしまったのだ。

 

 

(楽器屋さんの店員怖そうだし、もし話しかけられたりしたら…)

 

『お前このギター選ぶとかなかなかのセンスじゃん?』

 

『洋楽とか聴く?…ほー、センスあンじゃねェか!じゃあこのヘビィメタルバンドは当然知ってンよなァ?…あン!?知らねェだとォ!?(バラ)すぞ!!!』

 

 

 入店を前にして、ひとりのネガティブな妄想がマッハで暴走を開始し、その顔面がどんどんクリーチャーの如く崩壊していく。

 店員の強面のメタルオタクに音楽知識の無さを糾弾され、物理的に(バラ)される最悪の幻覚。

 ひとりは恐怖で膝をガタガタと震わせながら、脳内で編み出した起死回生の「ある作戦」に出る。

 

 

(イヤホンつけてノってるふりすれば、話しかけられないはず…!)

 

 

そしてひとりは、まだ音楽すら流していないAirPod○を両耳へと力任せに装着し、フロアの入り口から本当に激しくヘドバンをかましながら、完全に不審者のスタイルで入店した。

 

 

「ピックってこんなに種類あるんですね〜」

 

「これとか可愛くない?」

 

「イヤリングに加工しちゃおうかな〜」

 

「いいね~それ♪」

 

 

 そんな後方の入り口で髪を振り乱して狂ったようにヘドバンしているひとりの姿を、虹夏と喜多は流れるように綺麗に無視。

 女子高生らしくキャッキャと声を弾ませながら、色とりどりの小物が並ぶウィンドショッピングを純粋に楽しんでいた。

 

 

(楽器みろや…)

 

 

 そんなカオスな光景を目にしたリョウは、全員に静かにツッコミを入れた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ひとりは店内を歩き回っていた。

 

 店内はプロ仕様のギターが壁一面に並び、試奏ブースからあちこちで音が鳴り響いている。

 ひとりは最初、店員の視線が怖くて縮こまっていたが、ギターの美しさに少しずつ目を奪われていく。

 

 Fenderの伝統的なストラトキャスター、Gibsonの王道のLes Paul、モダンな美しさを放つPRSのカスタムモデル、激しい歪みに強そうなESPのアーティストシグネチャー。

 ひとりはいろんな高級ギターを愛おしげに手に取っては、お父さんの前で見せるような滑らかな指使いで軽く弦を弾いて音の鳴りを確認してみる。

 けれど、そのどれを爪弾いても、心のどこかで(…これじゃない。すごくいいギターだけど…私の相棒じゃない…)と、奇妙な違和感を感じて手を離してしまっていた。

 

 そんな時──棚の奥に、一本のギターが目に入った。

 

 

 

 

 

 Schecter PA-SX (2013年モデル)

 

 

 

 

 

 引き締まった中低音を放つアルダーボディにアタック感に優れたメイプルネックと漆黒のEbony(エボニー)指板を採用。

 

 心臓部には、アクティブピックアップの金字塔であるEMG 81/85を搭載し、ブリッジにはどれだけ激しいアーミングを行ってもミリ単位の狂いすら許さないFloyd Rose Original(フロイドローズ・オリジナル)をマウントした、完全にハイゲインサウンドに特化した戦闘仕様。

 

 ボディトップは美しい杢目が浮き出るキルテッド・メイプルが採用されており、高級感のある質感で、グラデーションはボディ中央が鮮やかなエメラルドグリーンで、外周に向かって色が濃くなるバースト塗装が施されている。

 

 価格は当時新品で20万円前後だったが、今や市場に出回ること自体が稀なため、中古市場では希少性が極めて高く、これほど状態の良いものはプレミア価格がついているプレミア機だった。

 

 ひとりは、その圧倒的な存在感を前に思わず息を飲んだ。

 

 

(これ、確かSchecter…お父さんが、特に気に入ってるメーカーの……)

 

 

 このエメラルドグリーンのボディと完全に重なった瞬間、警戒していたはずの店員が、背後から優しく声をかけてきた。

 

 

「お客様、試奏されますか?このモデル、かなり希少で状態も良いんです。EMGピックアップ搭載で、ディストーションが抜群に効くんですよ」

 

「……は、はい……」

 

 

 ひとりは緊張で全身をガチガチに硬直させながらも、吸い寄せられるように深く頷いた。

 そのまま試奏ブースへと案内され、店員の手によって目の前でギターがアンプへと繋がれる。

 お父さん以外の機材、お父さん以外のギター。

 あまりの未知の重みに最初は指が小さく震えてしまい、最初の一音は掠れるような不格好な響きになってしまった。

 

 

 でも──弦を弾いた瞬間、音が響いた。

 

 

 どこまでも重厚で、鋭くて、でもどこか懐かしい優しいトーン。

 

 EMG 81のブリッジポジションがもたらすハイゲインの歪みが、脳に直撃するようなパンチのあるサウンド。

 フロントのEMG 85のネックポジションは、クリーンでウォームな響きを保ちつつ、ソロで伸びやかなサスティンを生む。

 

 ラウドロックやメタルコアを鳴らすために生まれてきたそのエッジの効いた音色は、ひとりが得意とする高速リフや、脳髄を揺さぶる重いブレイクダウンの刻みにこれ以上ないほどぴったりと噛み合っていた。

 

 さらに取り回しの良いボディの軽さと、ミリ単位で薄く削られたネックの滑らかさが、異常な速弾きを劇的に容易にさせ、Floyd Roseの鉄壁の安定性を誇るチューニングが、どんなに激しい演奏をかましても一音たりとも音の輪郭を崩さなかった。

 

 ひとりの心が、一気に引き込まれた。

 

 

「……あ……」

 

 

 ひとりは、ゆっくりと目を閉じた。

 周りの視線や店内の喧騒を脳内から完全にシャットアウトし、自分の世界へと没入した彼女は、いつものスタジオやあの路上ライブの時のように、本来の調子で弾き始めた。

 

 指先がエボニー指板の上を滑るように縦横無尽に動き、一音一音に狂おしいほどの感情を乗せたピッキングが放たれていく。

 人間の構造を無視したような極悪難易度の速いパッセージも、ミリ秒の狂いもなく正確無比に紡がれ、それでいてそこには聴く者の胸を締め付けるような温かい心がこもっている。

 

 あの路上ライブで感じた感覚が、今この新しいエメラルドグリーンのボディを通じて鮮烈に蘇る。

 

 その異次元の爆音が、店内に凄まじい衝撃波となって響き渡る。

 

 

 虹夏、喜多、リョウの3人は、別の棚でピックやストラップなどの小品を見ていたが、そのあまりにも桁違いの音圧とキレのある音に気づいて、驚愕のあまり慌ててひとりのいる元へと駆け寄った。

 ブースのガラス越しにその演奏を目撃した【結束バンド】の3人は、あまりの衝撃に目を丸くしてその場に立ち止まった。

 

 

「ぼっちちゃん!?えっ!?この音ヤバい!いつもよりキレてて、ストロークの切れ味がいつもと違う!」

 

「え……これ……ひとりちゃんの音…!?いつも練習の時と全然違う!メロディが心に響く…ひとりちゃんすごい!」

 

 

 虹夏は目を丸くして立ち止まり、喜多は魂を奪われたように息を飲んでその指先を見つめた。

 

 そしてリョウは、腕を組んで静かにその爆音を見つめ、普段の気怠げな表情から一転して珍しく鋭く目を細めた。

 最初はいつものようにクールに聞いていたが、ひとりの放つピッキングの細かなニュアンスやアクティブ特有のトーンに気づいた瞬間、その脳内には凄まじい驚愕が走っていた。

 

 

(このトーン、EMGのアクティブピックアップのハイゲインを完璧に活かしてる。ネックポジションのウォームなサスティン、ブリッジのエッジの効いた歪み。速弾きのフィンガリングが、指板の滑らかさを最大限に使ってる。Floyd Roseの安定したチューニングで、ビブラートが全く揺れない。いつも練習の時は抑え気味だったのに…これがぼっちの実力か……私のベースも、このギターに負けないように、もっと磨かないと。…曲作りと並行して、もっと自主練の時間を増やそう…)

 

 

 ひとりは最後の超絶ギターソロを完璧に弾き切り、アンプから放たれた最後の美しい残響をフロア全体に響かせて、彼女は優しく、静かに手のひらで弦を止めた。

 演奏が終わった瞬間、それまで試奏を聴いていた周辺の客や店内の空気が、一瞬にして静まり返った。

 

 次の瞬間──その場にいた担当の店員が、あまりのクオリティに目を丸くして激しく拍手した。

 

 

「お客様凄いですね!!こんな上手い人、初めて見ましたよ!!」

 

「えっ!?あっいや〜、へへ…あっありがとうございます…うへへ…」

 

 

 ひとりは現実に引き戻されて激しく驚きつつも、ずっと求めていた他者からの称賛が脳髄に直接染み渡り、嬉しくなって顔がだらしなくニヤケ始めた。

 【結束バンド】の3人も、いつもはおどおどしているピンクジャージの少女の圧倒的な腕前に心から感服し、興奮気味に彼女を囲んだ。

 

 

「ぼっちちゃんすごいすごい!!本当にカッコよかったよ!!このギターにしなよ!」

 

「ひとりちゃん、ソロだとこんなに上手だったのね!それにこのギター、ひとりちゃんにぴったり!あと緑のグラデーションも綺麗だし!」

 

「やっぱり私の目に狂いはなかった。このギターはぼっちが買うべきだと思う」

 

 

 ひとりは、みんなの賞賛に恥ずかしがりながらも、承認欲求が極限まで満たされて、脳汁を出してご満悦の至福に浸った。

 前髪の隙間から、自分の手を完璧に受け入れてくれたエメラルドグリーンの美しいボディを見つめ、その口元に小さな確信の笑みが浮かぶ。

 

 そして、彼女は未来の相棒に向けて決意を告げた。

 

 

「……このギター、買います……」

 

 

 プレミアがついたその1丁の価値を完璧に引き出してみせた少女の言葉に、店員は満面の笑顔で深く頷いた。

 

 

「かしこまりました。大切に使ってくださいね」

 

「あっはい!」

 

 

 そのあとひとりは支払いを済ませ、念願の新しいギターを愛おしげに両腕で抱きしめた。

 店員によって頑強なケースに大切に入れてもらい、受け取った瞬間、いつもの致命的なコミュ症が猛烈に発揮された。

 店員さんにも、待ってくれていたメンバーにも「ありがとうございます……」と消え入りそうな声で小さく呟くだけで、視線を拒絶するように一目散に楽器屋の店外へと素早く脱出した。

 背後からは、そんなひとりらしい極端な行動に、虹夏たちが楽しそうな笑い声を上げながら追いかけていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとりは家に着くなり靴を脱ぎ捨てて、一目散に地下スタジオに向かった。

 新しいギターケースをしっかり胸に抱きしめ、息を切らしながら地下スタジオのドアを開ける。

 遮音された空間に広がる、いつものスタジオ特有の吸音材の匂いと、アンプの熱、そして弦の金属臭が、外界に怯えていた彼女を優しく出迎えてくれる。

 

 ひとりはケースをそっと床に置き、真新しい特製のストラップを肩にかけた。

 

 

「かっかっこいい…!」

 

 

 ──Schecter PA-SX

 

 トップに贅沢に施されたバースト塗装のエメラルドグリーンのグラフィックが、スタジオのスポット照明に照らされて深海のようにキラキラと鮮やかに輝く。

 漆黒のエボニー指板と、その中央に鎮座するEMG 81/85の無骨なアクティブピックアップが、静かにスタジオの光を反射している。

 

 ひとりの目は、キラキラと輝き始めた。

 それこそ、お父さんの伝説のステージを初めてVIP席から目撃した5歳の頃のような、宝物を見つけた子どものような純粋な輝きだった。

 

 

「これが、私の新しいギター…!」

 

 

 ひとりは、巨大なラックスタンドからシールドケーブルを一本力強く引っ張り、大型のチューブアンプへと直接繋いだ。

 アンプのメイン電源を入れると、真空管が熱を帯びる独特の低いハム音が静かな防音室の部屋に響く。

 軽くボリュームを上げ、新しい弦をハジきながらフロイドローズのチューニングを確認。

 カチッと噛み合うロックナットの感触、そして指先に伝わる工場から出荷されたばかりの新品の弦の張りが、とてつもなく心地いい。

 

 そして──試しに、【NEW GLORY】と【SICK HACK】のコラボ曲「Psychedelic Collapse」を弾き始めた。

 

 イントロのサイケなベースうねりをイメージしながら、指を滑らせる。

 

 EMG 81のブリッジポジションが、余計なノイズを完全にカットした歪みを効かせた鋭いトーンを圧倒的な音圧で生み出す。

 ハイゲインなのに、音の輪郭がクッキリとしていて、脳に直撃するようなパンチがある。

 攻撃的なエッジが、ひとりの速弾きをより鮮やかに引き立てる。

 サビのメロディラインに入ると、スイッチをEMG 85のネックポジションに一瞬で切り替えて、アクティブ特有の暖かみのあるクリーン寄りのサウンドを歌うように伸びやかに弾く。

 どれほど激しくチョーキングをし、アームを底まで叩きつけても、Floyd Roseの安定したチューニングが、その激しいビブラートの全部を受け止めて音を崩さない。

 ボディの軽さとネックの薄さが、速いフレーズをスムーズに弾かせてくれる。

 

 

「あっ…これいい…!私の音が…もっと大きくなる…!」

 

 

 ひとりは、完全に自分だけの音楽の世界に入り込んでいた。

 

 コラボ曲のギターソロパートを、感情を乗せて弾き切る。

 そのバケモノじみた圧倒的な音が防音室の壁を震わせるように部屋に響き渡り、プロ仕様の防音室だというのに、彼女自身の胸がその音圧で物理的に激しく震えるほどだった。

 

 最後の一音をサスティンで響かせ、弾き終わった瞬間、ひとりは愛おしそうに新しい相棒をその胸にぎゅっと抱きしめた。

 

 

「私のギター…私だけのギター…!お父さんに借りてたのと同じくらい、絶対大事にする…!」

 

 

 ひとりは、すぐにメンテナンス道具を取り出した。

 新しい弦を張り替えるためのクリーナー、ポリッシュクロス、指板オイル、クロモリ弦の予備。

 丁寧にボディを拭き、指板にオイルを塗り、弦を一本ずつ丁寧に巻き直す。

 

 かつて5歳のあの日から、毎日6時間戦い続けてきたお父さんのあのレスポールと同じように、これからこのエメラルドグリーンの相棒も、毎日欠かさずメンテナンスすることを心に強く誓った。

 

 

「これでもっと…みんなを熱狂させられる。【結束バンド】を最高のバンドにする…!」

 

 

 ひとりは、新しいギターをスタンドに立て、部屋の明かりを落とした。

 

 外は秋の夜。

 

 でも、ひとりの心は、キラキラと輝いていた。

 

 新しい相棒とともに、未来への一歩を踏み出した。

 

 ギターの弦が、静かに震える。

 

 それは、ひとりの新しい音の始まりだった。

 

 




はい。というわけでぼっちちゃんのギター購入回でした。
ギターは元Fear, and Loathing in Las VegasのSxunさんが愛用してたギターに変更しました。
ギターは完全に自分の好きなギタリストの愛用ギターです。
散々設定変えまくったし、今更ギターくらいでガタガタ言う人おらんやろ多分。
あと自分で書いててなんだけど、ぼっちちゃんもう高校中退出来るやんけ…

今回も見てくれた方、ありがとうございました!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。