三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~   作:斉宮 柴野

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本作は、三国志という歴史物語を素材にしつつ、英雄譚でも戦記でもありません。

これは、「金と契約と損益計算で世界を殴る女」の物語です。

忠義も理想も大義も、すべて帳簿の前では一行の数字に過ぎません。

もし乱世が市場なら、彼女は最も冷静で、最も残酷な投資家でしょう。

英雄たちは戦います。
彼女は回収します。

――さて。
これは、誰が一番儲けるかという話です。


第一話:花嫁は金貨の夢を見るか

現在時刻、未の刻を少し過ぎたあたり。

 

 

場所、洛陽郊外の雑木林。視覚情報、高速で流れる緑色の背景。聴覚情報、男二人の荒い息遣いと、地面を蹴る足音。触覚情報、腹部に食い込む男の肩の骨の感触。現状認識。

 

私、李司一五歳は現在、絶賛誘拐され中である。

 

振動が凄い。内臓がシェイカーの中身のように攪拌される。吐き気はない。私の三半規管は精確無比なジャイロ機能を搭載しているため、この程度の動揺では機能不全を起こさない。

 

だが、不快指数は鰻登りだ。担がれているこの体勢、非常に屈辱的である。米俵か。

私は米俵なのか。

 

百歩譲って担ぐにしても、もう少し丁重な扱い方というものがあるはずだ。お姫様抱っこという術式をこの男は習得していないのか。

 

「はっはっは!うまくいったな本初!追っ手は撒いたぞ!」

 

前方を走る男が笑う。背が低い。身なりは良いが、着崩し方が下品だ。走り方にも品がない。名は阿瞞と呼んでいたか。こいつが主犯格と推測する。

 

誘拐という重犯罪を犯しながら、ピクニックにでも来たかのような陽気さだ。脳内論理回路の配線が数本焼き切れているに違いない。

 

「ぜぇ、はぁ……!阿瞞、貴様……!俺が囮になると言っておきながら、なぜ俺に女を担がせる!」

 

私を担いでいる男が吠える。名は本初。こちらは背が高い。顔立ちは整っているが、そこはかとなく漂う残念な雰囲気。

 

そして何より、体力が貧弱すぎる。さっきから私の耳元で「ぜぇぜぇ」と機関車のような呼吸音を響かせている。うるさい。そして肩が痛い。骨と皮しか無いのか、この男の肩は。緩衝材としての筋肉が欠如している。

 

「重いんだよ!名門袁家の嫡子になんて真似をさせるんだ!」

 

聞き捨てならない発言を検知。重い?今、この男は私を重いと言ったか?私の体重は四二キログラム。

 

身長一六〇センチメートルの適正体重を一〇パーセント以上下回る、軽量化に成功したボディだ。それを重いなどと宣うのは、貴様の筋力不足が原因である。

 

基礎代謝を上げろ。走り込みをしろ。タンパク質を摂取しろ。私の体重に責任転嫁するな。名門だか何だか知らないが、その貧弱な肉体を鍛え直してから出直してこい。

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても。怒りが収まらない。私は今日、結婚式を挙げる予定だった。相手は隣町の豪商の息子。顔は豚に似ていたが、資産は莫大だった。

 

この婚姻は、我が李家と先方の商家との事実上の合併事案である。私が嫁ぐことで得られる結納金、および将来的な資産運用益。

 

それらを合算すると、金貨にして三〇〇枚相当の利益が見込まれていた。

 

三〇〇枚だ。わかるか、この金額の重みが。一般市民の年収の何百年分だと思っている。 それが今、このバカ二人の暴走によって、すべて水泡に帰そうとしている。

 

 

 

現在までの損失額を試算する。

 

結婚式の準備費用、金一〇枚。

料理、酒代、金五枚。

私の花嫁衣装、金八枚。

そして、逸失利益、金三〇〇枚。

合計、金三二三枚の赤字。

 

破産だ。これはもう、個人の人生における破産宣告に等しい。私の輝かしい未来設計図が、墨汁をぶちまけられたように真っ黒に塗り潰されていく。許せない。断じて許容できない。この落とし前、どうつけてくれるつもりだ。

 

「細かいことは気にするな。ここらでいいだろう、下ろせ。戦利品の確認といこうぜ」

 

主犯格の阿瞞が足を止める。ようやく止まるか。私の三半規管は正常だが、腹部の圧迫による血流阻害が限界値に近づいている。これ以上の拘束は、私の美しい肢体に痣を残すリスクがある。商品価値の低下は避けなければならない。

 

「う、うむ……。やっとか……」

 

本初が立ち止まる。そして、何の前触れもなく、私を放り出す。

 

ドサッ。

 

重力が仕事をする。私の体は草の上に無造作に転がされる。痛覚信号を受信。背中と腰に鈍い痛み。だが、それ以上に深刻な被害が発生。花嫁衣装の裾が泥で汚れる。クリーニング不可。修復不可能。資産価値、完全消滅。

 

金八枚が、ただの布切れになった瞬間である。おのれ。おのれ本初。この請求書は、貴様の実家に送りつけてやる。耳を揃えて払わせてやる。

 

私は草の上で、あえて動かない。死んだふりではない。情報収集のための待機状態だ。薄目を開け、周囲の状況を解析する。場所は街道から外れた獣道。人通りは皆無。叫んでも誰も来ない確率、九九・九パーセント。自力での脱出、および事態の打開が必要不可欠。

 

「ひゅ~!こいつは驚いた。近くで見ると極上のタマだな」

 

阿瞞が私の顔を覗き込む。視線がねっとりとしていて不快だ。眼球をえぐり出してやりたい衝動を、理性が必死に抑え込む。今はまだ動く時ではない。相手の戦力を分析し、勝率が一〇〇パーセントを超える瞬間を待つ。

 

「この薄桃色の髪、西域の馬みたいで美しいじゃないか」

 

馬。この男、私の髪を馬と形容した。語彙力が欠落している。そこは「絹糸のような」とか「春の夜明けのような」とか、詩的な表現を用いる場面だろう。

教養のなさが露呈している。顔も悪ければ頭も悪い。救いようがない。

 

だが、その腰にある剣。あれは良いものだ。鞘の装飾、柄の材質。一見して只物ではない。鑑定開始。材質、青銅ではない。鋼鉄製。しかも、鍛錬の回数が桁違いだ。推定価格、金五〇枚。

 

ほう。悪くない。

 

「む……。確かに。傾国の美女とはこのことか」

 

本初も覗き込んでくる。こいつは私の顔を見て、頬を赤らめている。

 

単純な男だ。チョロい。こいつの首から下がっている首飾り。あれも鑑定対象だ。緑色に輝く石。翡翠か。いや、ただの翡翠ではない。あの透明度、あの色艶。最上級の琅玕だ。 推定価格、金一〇〇枚。……訂正。 金一二〇枚は下らない。

 

チャリーン。

 

私の脳内で、小銭が落ちる音が響く。損失額、金三二三枚。

 

回収見込み額、剣と首飾りで金一七〇枚。まだ足りない。まだ赤字だ。だが、こいつらの身に着けている服。帯。靴。それらをすべて剥ぎ取り、中古市場に流せば、あるいは……。

 

さらに、こいつらの身代金。名門袁家の御曹司と、どこぞの金持ちの息子。実家に脅迫状を送りつければ、残りの赤字を補填できる可能性が高い。

 

よし。計算完了。損益分岐点は突破可能だ。事業計画を修正。『花嫁強奪被害』から『強盗殺人および身代金獲得作戦』へと移行する。

 

「だが阿瞞、こいつ妙に静かだぞ?泣きも叫びもしない」

 

本初が不審がる。鋭い。知性は残念だが、勘は悪くないようだ。一般の少女なら、この状況下では悲鳴を上げ、涙を流し、命乞いをするのが標準的な反応だろう。

 

だが、私は違う。泣いて事態が好転するなら、バケツ一杯分の涙を流してみせる。叫んで金が降ってくるなら、喉が裂けるまで絶叫してやる。しかし、現実は非情だ。感情はコストであり、利益を生まない無駄なエネルギー消費である。常に、最適解のみを導き出す。

 

「気絶でもしてるんだろ。今のうちに楽しもうぜ」

 

阿瞞が下卑た笑みを浮かべる。楽しむ?何をだ。その言葉の意味を解析するまでもない。 性的な暴行の示唆。犯罪係数が跳ね上がる。この男、将来的にろくな死に方をしないな。予言してもいい。

 

「なあ本初。どっちが先に味見するか決めようぜ」

 

「はあ!?攫う計画を立てたのはお前だが、担いできたのは俺だぞ!権利は俺にある!」

 

「いやいや、言い出しっぺの特権というものがあるだろう。それに俺のほうが手練手管は上だ。お前のようなお坊ちゃんには荷が重いって」

 

「なんだと!?この宦官の孫風情が!俺を誰だと思っている!」

 

内輪揉めを開始。こいつらの連携など、所詮はこの程度。欲望の前では、友情など紙切れ同然。浅ましい。実に浅ましいが、それが人間というものだ。そして、それが私の勝機となる。

 

警戒心の低下を確認。二人の意識は、互いの主張をぶつけ合うことに集中している。背後への注意がおろそかになっている。今がその時だ。隙の発生率、九九・八パーセント。 残りの〇・二パーセントは、隕石が落ちてくるとか、地面が割れるとか、そういう天変地異の確率だ。実質、成功率は一〇〇パーセント。

 

推奨行動。物理的排除。および、制圧。

 

私の脳内指令所が、全身の筋肉に戦闘態勢への移行を命令する。心拍数を上昇させ、アドレナリンを分泌。瞬発力を最大化する。花嫁衣装は動きにくいが、構造上の弱点は把握済みだ。裾を蹴り上げれば、可動域は確保できる。

 

音もなく立ち上がる。呼吸を止める。気配を消す。これは実家の倉庫に忍び込み、親に見つからずにへそくりを盗み出す際に培った技術だ。まさかこんなところで役立つとは、人生とは分からぬものだ。

 

言い争う二人の背後に立つ。彼らはまだ気づかない。「俺が先だ!」「いや俺だ!」と喚き合っている。滑稽だ。これから地獄へ落ちるというのに、順番争いか。ならば、私が裁定を下してやろう。

 

「――実行します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右足に意識を集中する。

 

大腿四頭筋、収縮開始。

ハムストリングス、連動。

腓腹筋、瞬発力最大。

足首の角度、接地角に対し三十五度。

地面を掴む足指の力、最大出力。

 

爆発的な踏み込み。地面の土が圧力に耐えきれず、悲鳴を上げて窪む。

その反動を全て前方への推進力に変換する。矢のように飛び出す。狙うは阿瞞の懐。

 

阿瞞の目が驚愕に見開かれるのが見える。彼の網膜に私の姿が映り、視神経を通って脳に伝達され、危険信号として処理されるまでの時間的遅延。その隙間を、私は悠々と駆け抜ける。婚礼衣装の長い裾が、私の動きに遅れて翻る。

 

バサァッ!絹擦れの音が、これから始まる暴力の旋律を奏でる。邪魔だ。この裾、実に邪魔だ。足に絡みつこうとする布地を、微妙な足捌きで回避する。まるで舞踏だ。あるいは、荒れ狂う波の上を歩くかのような繊細な重心移動。これもまた、計算の極致。

 

阿瞞の目前に到達する。距離、一尺。阿瞞はようやく剣を抜こうとしている。だが、その剣が鞘から放たれることはない。左手で、彼の剣の柄を上から押さえつける。カチン。剣が鞘に戻る音。抜刀阻止。

 

阿瞞の顔に「え?」という疑問符が浮かぶ。理解不能といった表情。説明している暇はない。私は右手を開き、掌底の形を作る。狙うは顎の先端。三叉神経が集まる急所。ここに的確な衝撃を与えれば、脳を揺らし、平衡感覚を破壊できる。

 

角度、下方より四十五度。速度、音速以下だが視認不可。質量×速度=破壊力。

 

ドカッ!!

 

乾いた衝撃音。私の掌が、阿瞞の顎を捉える。手首のスナップを効かせ、衝撃を頭蓋骨の内部へと浸透させる。物理法則は嘘をつかない。

 

作用反作用の法則に従い、阿瞞の頭部が後方へと跳ね上がる。それに引かれるように、彼の身体が宙に浮く。

 

美しい放物線。私の計算通りだ。彼は今、重力に逆らい、自由落下運動に入る前の最高到達点へと向かっている。だが、これで終わりではない。私は彼が吹き飛ぶ方向を調整する必要がある。

 

なぜなら、このままでは彼が茂みに突っ込み、捜索が面倒になる可能性があるからだ。回収の手間を省くため、分かりやすい位置に着地させるのが効率的だ。 私は浮き上がった阿瞞の襟首を掴み、強引に軌道修正を行う。遠心力を利用した投げ。目標、後方にある大木。

 

「いってらっしゃい」

 

彼を投げ飛ばす。阿瞞の身体が空を裂く。彼は手足をバタつかせ、何かを叫ぼうとしているが、顎への衝撃で呂律が回っていない。「あがががが」という奇妙な音声データのみが出力されている。

 

ドコッ!!

 

阿瞞の背中が、太い幹に激突する。幹が振動し、葉が数枚、ハラハラと舞い落ちる。阿瞞は幹に張り付いたまま、一瞬停止し、それからズルズルと重力に従って滑り落ちる。地面にへたり込む音。素晴らしい。狙った位置から一寸もずれていない。芸術的な着地だ。 自分の制球力に、内心で拍手を送る。

 

さて、次だ。視線を左へ巡らせる。そこには本初がいる。彼は今の光景を見て、完全に硬直している。口を半開きにし、目は点になっている。戦意喪失?いや、恐怖による思考停止状態だ。

 

逃げるという選択肢すら、彼の脳内回路からは消滅しているようだ。好都合だ。動かない的ほど当てやすいものはない。ゆっくりと彼に向き直る。ドレスの裾を捲り上げる。美しい脚線美を惜しげもなく披露する。これはサービスではない。可動域確保のための必要措置だ。本初の視線が、私の太腿に釘付けになる。男という生物の悲しい性だ。

 

生命の危機に瀕してもなお、性的欲求中枢が反応してしまう。その隙、致命的。

 

「見物料は高いですよ」

 

軸足を左足に定める。地面を深く踏みしめる。大地のエネルギーを吸い上げるように。

 

右足を引き上げ、腰を回転させる。旋回運動。遠心力を最大化する。狙うは本初の側頭部。上段回し蹴り。俗に言うハイキック。

 

私の右足が鞭のようにしなる。空気抵抗を切り裂く音。

 

ヒュンッ!本初は反応できない。彼の目はまだ私の太腿を見ている。愚か者め。その煩悩ごと、脳みそを揺さぶってやる。

 

バキッ!!

 

私の足の甲が、本初のこめかみ付近を捉える。骨と骨が衝突する鈍い感触。痛みはない。私のアドレナリン分泌量は現在、致死量の一歩手前まで上昇しており、痛覚信号を遮断している。

 

対して本初は、世界が回転するような衝撃を受けているはずだ。彼の首が異様な角度に曲がる。頸椎へのダメージを懸念するが、私の計算ではギリギリセーフだ。後遺症が残らない程度の、絶妙な手加減。

 

これぞ職人芸。本初の身体が横回転しながら吹き飛ぶ。きりもみ回転。体操選手も顔負けの回転数だ。彼はそのまま、阿瞞が激突したのとは別の木に向かって飛んでいく。

 

ドカッ!!

 

激突音。本日二回目。本初は顔面から木にぶつかり、カエルのような姿勢で張り付く。 そして、ゆっくりと仰向けに倒れる。白目を剥いている。鼻血が出ている。口から魂のような白いモヤが出かかっているが、まだ生体反応はある。

 

生存確認。よし。

 

息を吐く。ふぅー。戦闘終了。

 

所要時間、約五秒。私の脳内シミュレーション通りの展開だ。乱れた衣装を整える。

 

裾についた草を払う。袖口の皺を伸ばす。髪のほつれを指で直す。身だしなみは重要だ。 私はこれから、彼らに対して「債権者」としての立場を明確にしなければならない。品位ある態度は、交渉における優位性を担保する。

 

倒れている二人に歩み寄る。阿瞞は地面にめり込むようにして倒れている。本初は白目を剥いて痙攣している。惨状だ。だが、同情はしない。これは自業自得という因果律の結果である。原因は彼らの誘拐行為。結果としての身体的損害。実に論理的な帰結だ。

 

阿瞞がうめき声を上げる。

 

「ぐへぁッ……!?」

 

何か言っている。彼の横にしゃがみ込む。ドレスの裾が汚れないように注意しながら。 阿瞞の髪を掴み、強引に顔を上げさせる。彼の顔は土と草にまみれ、鼻血が筋を作っている。その目はまだ死んでいない。恐怖と混乱、そして微かな反骨精神が混ざり合っている。いい目だ。いじめ甲斐がある。

 

「な、なにが……?」

 

阿瞞が震える声で問う。彼は自分が何故ここに転がっているのか、理解できていないようだ。無理もない。私の動きは彼の動体視力を遥かに凌駕していた。

 

「あ、あぷ……」

 

隣で本初が奇妙な音を発する。

 

「親父にも……ぶたれたことないのに……」

 

などと、どこかの軟弱な少年の台詞のようなことを呟いている。意識が混濁しているようだ。幼児退行の兆候が見られる。治療費を請求項目に追加する必要があるかもしれない。

 

立ち上がり、二人を見下ろす。

 

「打撃深度、想定通り」

 

事務的に報告する。誰にか?自分自身にだ。自己評価は成長のために不可欠な工程だ。

 

「骨折は回避しましたが、全治三日の打撲です。ふぅ……。婚礼衣装での戦闘は空力抵抗が悪くて非効率ですね」

 

もし動きやすい道着だったら、彼らは今頃、三途の川の渡し賃を計算していただろう。 私の慈悲に感謝してほしいものだ。

 

さて。ここからが本番だ。戦闘はあくまで手段。目的は損失の回収である。私はビジネスモードに切り替える。

 

「さて、お二人さん。損害賠償請求の宛先を確認します」

 

抑揚のない声で告げる。

 

「お名前は?」

 

質問というよりは、尋問だ。個人情報の開示を要求する。彼らの身元によって、請求書の額面が変わる。もし貧乏人なら、身ぐるみ剥いで売り飛ばすしかない。もし金持ちなら……ふふふ。期待値が高まる。

 

阿瞞が震えながら口を開く。

 

「そ、曹……孟徳……またの名を、阿瞞……」

 

曹孟徳。その名を聞いた瞬間、私の脳内検索エンジンが高速回転を始める。

キーワード入力:『曹孟徳』『曹家』。 検索中……。

ヒット数、多数。

関連ワード:『宦官の孫』『濁流』『金持ち』『売官』『三公』

私の眉がピクリと動く。

 

「父は……曹嵩だ……」

 

阿瞞が付け加える。決定打。曹嵩。その名は、この国の経済界におけるビッグネームだ。 金の力で「太尉(軍事長官)」の地位を買ったと噂される、桁外れの富豪。

その資産額は推定不能。国家予算に匹敵するとも言われる、歩く金塊だ。

私の瞳孔が開く。

脳内でファンファーレが鳴り響く。金だ。この薄汚い男の背後に、黄金の山が見える。

 

興奮を抑えつつ、視線を本初に移す。

 

「貴方は?」

 

本初は私の視線に怯え、ビクッとして後ずさる。地面を這う虫のような動きだ。

 

「わ、私は……袁本初……!」

 

彼は必死に虚勢を張ろうとする。

 

「四世三公の名門、袁家の……!」

 

四世三公。その四文字熟語が、私の脳髄を直撃する。四世代にわたり、三公(最高位の大臣)を輩出してきた超名門一族。政界のサラブレッド。権力、名声、コネクション、そして莫大な資産。

 

それら全てを生まれながらにして所有する、選ばれし貴公子。それが目の前で鼻血を出して倒れているこの男か。

 

カシャーン!!私の脳内で、巨大な金銭登録機が開く音が響く。いや、一つではない。 数百台のレジが一斉に開き、硬貨が溢れ出す音だ。

 

検索結果:『大当たり(ジャックポット)』これは夢か。それとも幻か。いや、現実だ。目の前に転がっているのは、ただの不良少年と残念な貴公子ではない。

歩く「優良債権」だ。金の卵を産むガチョウだ。いや、ダイヤモンドでできたガチョウだ。

 

比較演算開始。

 

当初の予定:田舎の商家の嫁になる。

予想収益:金三百枚。

労力:豚のような夫の世話、姑のいびりへの耐性、家業の手伝い。

リスク:夫の浮気、商売の失敗、戦争による没落。

結論:ローリスク・ローリターン。

 

現在の状況:超富裕層の御曹司二人を恐喝(正当な請求)

予想収益:測定不能(上限なし)

労力:こいつらの管理、脅迫、実家への交渉。

リスク:権力による報復、暗殺者の襲来。 だが、リターン(期待値)は桁違いだ。

 

金一〇〇〇枚? いや、一万枚? いや、彼らの実家そのものを乗っ取ることも不可能ではない。推定資産価値……国家予算並み。

 

私の脳内物質、ドーパミンが大量分泌される。快感。圧倒的な快感。金貨の輝きが、私の視界を黄金色に染める。私は、自分が今、歴史の転換点に立っていることを確信する。 三国志?英雄?そんなものはどうでもいい。これは「李司財閥」の創世記だ。

 

深呼吸をする。高まる鼓動を鎮める。そして、表情を一変させる。先ほどまでの冷徹な鬼の仮面を脱ぎ捨てる。代わりに装着するのは、聖母のような慈愛に満ちた(営業用の)微笑み。

 

口角を十七度上げ、目を三日月形に細め、慈しみのオーラを放出する。

完璧な演技。アカデミー主演女優賞確実の変貌ぶりだ。

 

阿瞞の手を優しく取る。土で汚れたその手を、まるで宝物であるかのように両手で包み込む。そして、自分の頬に当てる。冷たい土の感触。だが、私にはそれが金粉の感触に思える。

 

「ああ……なんてことでしょう」

 

うっとりとした声を出す。声帯の振動数を調整し、甘く、とろけるような響きを作り出す。

 

「貴方様方が、そんなに素晴らしい『優良債権』様だったなんて」

 

本音が漏れているが、今の彼らには理解できないだろう。語尾にハートマークが見えるような口調だ。

 

阿瞞が目を白黒させる。

 

「は?さ、債権……?」

 

彼は混乱の極みにある。さっきまで自分を殴り飛ばしていた暴力女が、急に恋する乙女のような顔で自分の手を握っているのだ。脳が処理落ちするのも無理はない。

 

「あの……お前、頭打ったのか?」

 

などと失礼なことを考えているに違いない。だが、私は気にしない。顧客には優しく接するのがビジネスの鉄則だ。

 

「ええ」

 

優しく頷く。

 

「私の結婚を破談させた慰謝料。誘拐による精神的苦痛。婚礼衣装の洗濯代」

 

指折り数える仕草。優雅に、かつ正確に項目を列挙する。

 

「その他もろもろ合わせて……そうですね」

 

懐から愛用の計算道具を取り出す。五つ玉のそろばん。これは私の外部記憶装置であり、魂の相棒だ。

 

ジャラッ!私はそれを構える。阿瞞と本初がビクリとする。武器だと思ったらしい。ある意味、剣よりも恐ろしい武器だが。

 

パチパチパチパチ!!高速演算開始。指が残像を残すほどの速さで玉を弾く。

 

慰謝料:金三百枚(逸失利益補填)

精神的苦痛:金二百枚(誘拐という恐怖体験代)。

衣装損害:金五十枚(精神的付加価値含む)。

殴った拳の治療費(私の手):金十枚。

教育費(彼らへの指導料):金百枚。

その他手数料、深夜割増、危険手当……。

加算、乗算、累乗計算。

全ての項目を最大限に水増しする。

端数は切り上げ。

消費税も導入しようか。

 

パチィン!!最後の玉を弾く音が、森に響き渡る。計算終了。決定。

 

「現在価値で、金一〇〇〇枚としましょうか」

 

にっこりと告げる。一〇〇〇枚。普通の人間なら一生かかっても拝めない金額だ。

城が一つ買えるかもしれない。だが、彼らの実家なら払える。痛くも痒くもない端金だろう。

 

「せ、一〇〇〇枚だと!?」

 

本初が叫ぶ。意識が戻ったらしい。

 

「ふざけるな、そんな大金!たかが女一人攫ったくらいで!」

 

彼はまだ状況を理解していない。「たかが」だと?私の価値を「たかが」と言ったか。 その発言により、追加料金が発生したことを彼は知らない。

 

表情を消す。聖母の仮面を一瞬で剥がし、地獄の番人の顔になる。声のトーンを二オクターブ下げる。ドスの効いた低音。腹の底から響かせる威圧の声。

 

「払えない?」首を傾げる。視線だけで彼らを刺し殺す。

 

「なら、貴方たちの身体をバラして臓器を売りますか?」

 

具体的な部位を視線でなぞる。

 

心臓、肝臓、腎臓、眼球。闇市場での相場が脳裏に浮かぶ。

 

「それとも……ご実家に案内してくださいます?」

 

阿瞞と本初が凍りつく。彼らの本能が警鐘を鳴らしている。

 

「こいつは本気だ」と。冗談ではない。いつだって本気だ。金に関しては、一厘たりとも妥協しない。それが李司という女の生き様なのだ。

 

二人の背後に回る。そして、彼らの首に左右から腕を回す。ヘッドロックの要領だ。右腕で阿瞞の首を、左腕で本初の首を抱え込む。

 

「捕獲」完了。逃げられないように、ガッチリと筋肉をロックする。私の二頭筋が彼らの頸動脈を圧迫する。これは愛情表現ではない。拘束具だ。

 

「さあ、行きましょう。曹家と袁家へ」

 

明るい声で宣言する。遠足に行く引率の先生のような口調で。

 

「お父様たちに、ご挨拶(請求)をしなくては」

 

挨拶と書いて請求と読む。これ常識。

 

「逃げようとしたら……分かってますよね?」

 

二人の耳元で囁く。吐息がかかる距離。甘い声。だが内容は致死的。

 

「頸椎を、ボキッといきますから」

 

阿瞞と本初が顔を見合わせる。その顔には絶望の色が濃く滲んでいる。彼らの目線で会話が行われる。

 

「おい、どうするんだこれ」

 

「知らん、お前が連れてきたんだろ」

 

「悪魔だ……!!」

 

「いや、悪魔以上だ……!」

 

彼らの心の声が聞こえてくるようだ。光栄な評価だ。ビジネスの世界では、悪魔と呼ばれることこそが勲章なのだから。

 

「あ、ついでに」

 

思い出したように付け加える。重要な案件を忘れていた。

 

「私をどちらが『飼う』か揉めていましたね?」

 

そう、彼らは私をペットか何かのように扱おうとしていた。

 

「味見」だの「楽しむ」だの、不愉快極まりない会話をしていた。その件についての最終判決を下す。

 

「安心してください」

 

二人の首をさらに強く締め上げる。グエッ、というカエルのような声が二重奏を奏でる。

 

「私が、貴方たち二人を『管理』して差し上げますから」

 

主従関係の逆転。所有権の移動。これより、彼らは私の所有物(アセット)である。資産台帳に登録完了。減価償却期間、一生。耐用年数、死ぬまで。

 

「死ぬまで(骨までしゃぶって)、ね?」

 

至近距離で、にっこりと笑う。その笑顔は、夕日よりも赤く、血のように鮮やかで、そして美しくも悪魔的だったに違いない。彼らの瞳に映る私が、そう物語っている。

 

二人はガクガクと頷く。拒否権など最初から存在しない。契約成立だ。印鑑は不要。恐怖という名の拇印を押させたからな。

 

「では、出発進行!」

 

二人を引きずりながら歩き出す。彼らの足が地面を擦る音がするが、気にしない。目的地は洛陽。大都市。金と欲望が渦巻く魔都。そこが私の新しい戦場だ。田舎の商家の嫁なんていう小さな夢は、もう捨てた。

 

これからはもっと大きな夢を見る。金貨一〇〇〇枚?否。一万枚、十万枚、一億枚。国の全てを買い取るまで、私の欲望は止まらない。

 

森を抜けると、夕日が地平線に沈もうとしていた。空が黄金色に輝いている。まるで世界そのものが金貨でできているかのようだ。

 

美しい。実に美しい光景だ。あれが私の未来だ。

 

こうして私は、三国志という名の巨大市場に上場を果たした。

目指すは、天下統一……ではなく、総資産一位。群雄割拠?知ったことか。英雄豪傑?ただの顧客だ。乱世?それはビジネスチャンスの別名に過ぎない。私の覇道(集金)は、まだ始まったばかりである。

これから忙しくなるぞ。まずは曹操の親父から、いくら巻き上げられるか。

 

ふふふ。楽しみで仕方がない。私の計算機が熱を帯びて唸りを上げる。さあ、稼ぐわよ!




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

李司という女は、善人でも悪人でもありません。
正義の味方でも、悪の女王でもありません。

彼女はただ、「価値があるものを見逃さない」だけです。

英雄を英雄として見るか、それとも優良債権として見るか。

もしあなたが彼女の立場なら、この乱世で、何を売り、何を買い
誰を管理したいでしょうか。

よろしければ、
・李司という主人公をどう感じたか
・この世界観に興味を持ったか
・続きが読みたいか

その率直な感想を聞かせてください。

彼女は、次にどこから金を引き剥がすか、もう計算を始めています。
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