三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~   作:斉宮 柴野

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曹家に次男が生まれた。
本来なら、祝いと安堵に包まれるべき日だった。
だが、その慶事すら、帳簿と詩と皇叔ブランドの侵略からは逃れられない。
――都に根を張り始めた劉備は、思った以上に厄介だった。


第三十話:皇叔の誕生と、乗っ取られる子供たち

「オギャア、オギャア」

 

 曹操の広大な屋敷の奥深くに、生命力そのもののような甲高い産声が響き渡る。

 

肺活量、発声の張り、四肢の反応、肌の色。どれも良好。実に結構だ。私は産湯を使わせたばかりの赤子を左腕に抱え、その柔らかな熱と重みを確かめながら、右手では机上の冷たい木簡に筆を走らせていた。

 微かに漂う血と羊水の匂いが大仕事を終えたことを告げているが、月末の決算処理は待ってくれない。骨の髄まで疲労が染み込んでいるのがわかるが、帳簿はそれ以上に、放置すれば腐臭を放つ。腐る前に締める。それが経理の鉄則だ。経産婦は無駄に慌てない。二人目ともなれば、出産直後にそのままテレワークで決算処理へ戻るくらいは標準運用である。

 

「ふむ……生産完了です。名は曹鑠と登記しました。四肢欠損なし、発声強度良好、初期スペックは極めて優秀。孟徳、貴方の遺伝子もまだ現役で使えますね」

 

 私が淡々と告げると、孟徳は鼻の下をだらしなく伸ばしたまま、赤子の頬をつつこうとして乳母に軽く手を払われていた。

 

「おお、鑠か! 可愛いな! いやあ李司、今回も大儀だった! 本当にご苦労だったな。これで子脩に続いて、我が曹家の男子がまた一人増えたわけだ! めでたい! めでたいぞ!」

 

「めでたいのは結構ですが、まずこの三日分の出費を確認してください。産婆への謝礼、薬草代、湯の支度、産着、乳母の増員、祝い酒で勝手に開けられた貴重な酒瓶三本。貴方、浮かれている場合ではありませんよ」

 

「今ぐらいは浮かれさせてくれ! 俺とお前の次男だぞ!」

 

「ですから浮かれていいです。ただし帳簿への署名捺印を済ませてからにしてください」

 

孟徳が「先にそこかよ!」という顔をする。先にそこです。家計も軍費も、浮かれた男の勢いで動かしていいものではないのだ。

 

 そこへ、障子が開く音すらさせず、当然のような顔をして劉備がぬるりと入り込んできた。あの男、もう完全にこの屋敷を自分の別宅か何かだと誤認している節がある。許可なく奥まで来るなと何度釘を刺しても、あの人の良さそうな笑顔で防壁を全部すり抜けてくるのだから質が悪い。

 

「いやあ、めでたい! めでたいねえ! 曹操殿、李司殿、無事のご出産、心よりお祝い申し上げます!」

 

「帰りなさい」

 

「冷たいなあ! 祝いに来た親戚の叔父さんみたいなもんだろ?」

 

「親戚ではありませんし、叔父さんでもありません」

 

「だいたい身内だろ?」

 

その雑な理屈一つで宮中のほぼ全員を突破していくのだから、この男の面の皮は城壁よりも分厚い。私はあえてひさしのように冷ややかな視線を向けるが、劉備は意に介する様子もなく、どこからともなく筆と木簡を取り出した。

 

「この良き日に、私からお祝いとして一筆啓上いたしましょう! 祝いの席には、やはり詩だよ、詩!」

 

「頼んでいません」

 

「頼まれてなくてもやる! それがサービス精神ってもんだ!」

 

勝手に座り、勝手に墨を磨り、勝手に書き始める。筆運びに一切の迷いがない。あの男、日常生活のだいたい全部が図々しいというのに、筆跡だけは妙に洗練されている。そこがまた無性に腹立たしい。

 

「『麒麟、地に降りて、万民の光となる。小さき掌に宿る温もりは、家門の福を繋ぎ、やがて天下の闇を照らさん。その産声は雷の如く、しかしてその寝顔は春の水鏡のように静かである』……どうだい? 今ここで考えた即興だけど」

 

孟徳がひったくるように木簡を受け取り、文字を追い、顔を引きつらせた。

 

「……韻の踏み方、比喩、余韻、全体の温度感……。ぐうう……上手い。小難しくない。なのに軽くない。くそっ、なんでだ! なぜこの教養のなさそうな田舎侍に、これほどの詩才があるんだ!? 俺が徹夜で推敲した詩より、よほど大衆受けしそうな温かみがあるぞ!」

 

「大衆受け、というのは極めて重要です」

 

「孟徳の詩は内容は悪くないのですが、読み手に相応の教養コストを要求します。対して劉備殿のこれは、知識ゼロの層でも『なんか良いこと言ってる』と感じられる構造ですね。市場向きです」

 

「市場向きとか言うな! 俺の息子への祝いの詩だぞ!」

 

「そこです」

 

「これを『劉備玄徳、曹家次男誕生を寿ぐ直筆祝詞』として写本化し、丞相府の認証印つきで限定販売すれば、一枚五百銭は固いでしょう。貴方の屋敷の祝い事というストーリー性まで乗る。版権料は我々と折半でどうですか、劉備殿」

 

劉備の黒瞳が一瞬で野生動物のように輝く。金の話になると本当に反応が速い男だ。

 

「商売上手だねえ! いいぜ、乗った! ついでに俺のキスマークでもつければ一枚一〇〇〇銭で売れるぞ!」

 

「いりません。衛生面で価値が下がります」

 

「辛辣!」

 

 孟徳が頭痛を堪えるように額を押さえた。

 

「俺の息子への祝いの詩で勝手に新規事業を立ち上げるな!! しかも何でお前ら、利益配分の話まで一瞬でまとまりかけてるんだ! 普通はまず『ありがとう』だろうが!」

 

「ありがとうございます。では写本担当の人員を二名追加しましょう」

 

「そういうありがとうじゃない!」

 

鑠が泣き声を止め、一瞬だけこちらへ視線を向けた。生まれたばかりだというのに、もうこの家の騒がしさに呆れ果てているような顔だ。順応が早い。実に優秀である。

 

 ただ、こちらも黙って詩人の看板を明け渡すわけにはいかないらしく、その日の夕刻、孟徳は一人で書斎に籠もった。

 

「李司、見ていろ。俺だって返歌の一つや二つ、すぐに書ける。あんな山賊まがいの即興に、文人としての格の差を見せつけてやる」

 

室前はそう豪語していたが、二刻後に出てきた時には、床一面に書き損じの反故紙が散乱し、本人の顔色まで紙のように白く抜け落ちていた。

 

「できましたか?」

 

「……第一稿が」

 

「読みますか」

 

「まだだ! 待て! 心の準備が要る!」

 

 そこに書かれていた詩情は、確かに悪くはない。悪くはないのだが、赤子の誕生を寿ぐというより、天下の無常と父性の重責、果ては人の一生の儚さにまで哲学が飛躍しており、祝いの席に持ち込むには少々胃もたれする重さだった。

 

「ふむ。文学性は高いですね」

 

「だろう!?」

 

「祝い物としては湿っぽすぎます。これを贈られた母が泣くのは感動ではなく困惑です」

 

「なぜだ!」

 

「鑠がまだ生まれて半日だというのに、『いずれ少年は父を越え、父は老い、世は移ろう』などと書き連ねるのは早計です。せめて初節句まで待ちなさい」

 

 孟徳は力なく机に突っ伏し、「くそっ……俺の詩は未来を見据えすぎるんだ……」と呻いた。未来を見据えるのは結構だが、売れない詩はただの不良在庫である。

 

私はその第一稿も静かに回収し、『曹操、次男誕生に際し情緒が暴走した未公開私家版』として限定販売できないか、一応検討リストに入れておいた。市場には失敗作の過程を好むニッチな層も存在するからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――数日後、宮中では別の意味で騒ぎが起きていた。

 

宗正が家系図を広げ、これでもかという厳粛な顔つきで、劉備の血筋が現皇帝に連なることを公式に確認したのだ。長い長い前置きと、呪文のような名前の羅列の末に導き出された結論は、要するに「劉備は献帝の叔父筋にあたる」という事実だった。

 玉座の上の劉協は、十三歳の少年らしく、その報告に目を丸くしていた。

 

玉座という名の氷の椅子で、あの子は常に凍えている。天子として畏れ敬われることはあっても、生身の家族として温かく触れられることは少ない。だからこそ、その「叔父」という単語は、想像以上に強く彼の胸を刺したのだろう。

 

「叔父……! 朕に、血の繋がった身内がいたのか……!」

 

 その感極まった瞬間の、劉備の反応速度がまた異常だった。あの男、金勘定への嗅覚だけでなく、他人の心の空白を見つけ出して入り込む速度が常軌を逸している。

 

「へえー、そうなのかい? いやあ、私のようなしがない田舎者が皇室の血を引いているなんて、とてもとても……と言いたいところだけど! まあ、そういうことなら仕方ないね!」

 

「皇叔……!」

 

「ん? 良いぜ! 陛下、これからは叔父さんについてきな! 都の美味いもん食わせてやるし、外の面白い話もたくさんしてやる。堅苦しい挨拶なんか今日からなしだ!」

 

「ぶ、無礼な! いくら血筋が判明したといっても、相手は天子であらせられるぞ! 言葉を慎まんか!!」

 

 しかし、他ならぬ劉協の方が身を乗り出して孟徳を制した。

 

「よいのだ、曹操。朕は……ずっとこういう温かい言葉を待っていたのだ。誰もが朕を畏れ、あるいは利用しようとするこの宮中で……。はい! 皇叔! 朕はこれから、皇叔を頼りにするぞ!」

 

その光景を列の最後尾から俯瞰しながら、私は一つだけ冷静な結論を弾き出す。

 ――取り入るのが速すぎますね。

 

しかも、ただ露骨に媚びるのではない。「立場が上の相手にだけ通用する、無遠慮な軽さ」という劇薬を用いて一瞬で距離を詰める。あの男は礼法を無視しているように見えて、相手の渇ききった内面が今どんな温度の言葉を求めているかを正確に当ててくるのだ。まさに天性のソーシャル・エンジニアリング能力である。

 

「……あの男、また面倒な肩書きを手に入れたぞ」

 

「ええ。公式アンバサダーの就任ですね。皇叔ブランドの確立です。資産価値が跳ね上がりました」

 

「そこも市場評価で見るのか、お前は」

 

「当然です。肩書は信用を生み、信用は容易に現金化できますから」

 

宮中で皇叔認定を受けた後の劉備は、水を得た魚の如くさらに調子に乗った。

 

認定された当日に、劉協へ「宮中の飯は上品すぎるだろ」と勝手に串焼きを差し入れし、翌日には「皇帝ってたまには外の風に当たった方がいいぞ」と半ば散歩のような顔で庭へ連れ出し、その翌々日には「陛下、魚釣りって知ってるか?」と意味不明な提案まで持ちかけてくる。

 

当然ながら侍従たちは青ざめ、側近たちは卒倒しかけ、孟徳はそのたびに「やめろ! やめろと言ってるだろうが!」と怒鳴り散らして追いかけ回す羽目になる。しかし当の劉協だけは、頬を紅潮させて心底楽しそうに笑っているのだ。

 

「皇叔、次は何を教えてくれる?」

 

「そうだなあ。まずは人の見分け方だ。偉そうにしてる奴ほど、だいたい中身は小さい」

 

「おい!」

 

「金を持ってる奴はもっとよく見ろ。腰の紐が固いか緩いかで性格がわかる」

 

「おいおい!」

 

「あと、腹が減ったらちゃんと食え。腹を空かせた英雄は、ろくな判断をしない」

 

教育内容そのものは野座晒しのように雑極まりないのに、なぜか情緒面でのケアとしては的確に機能している。あの男、体系だった教育理論など皆無に等しいのに、相手が今どんな言葉に飢えているかだけは獣のような嗅覚で察知するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌日から、劉備は本当に我が物顔で屋敷に出入りし始めた。

 いや、正確には以前から我が物顔だったのだが、「皇叔」という絶大な肩書がついたことで、彼の図々しさに公式ライセンスが付与されてしまったような状態だ。

 

中庭では、子脩と顕思が劉備を囲んでいる。

 子脩は孟徳の長男で十七歳。顕思は本初の長男で十八歳。どちらも次世代を担う優良アセットであり、本来ならもっと兵法、統治、会計、礼法などを計画的に叩き込むべき重要株である。

 

それが今、何にうつつを抜かしているかというと、劉備の胡散臭い山賊理論の講義に目を輝かせているのだ。

 

「良いか、子脩、顕思!」

 

「戦場でも交渉でも、一番大事なのは剣術でも兵法でもない。圧倒的な『度胸』だ! 敵の前で一歩も引かず、『俺の背後には大軍が伏せているぞ』『俺を怒らせたらとんでもないことになるぞ』って顔をして堂々と嘘をつくんだ。すると相手は勝手にビビる!」

 

子脩が、深く感心しきった顔でうなずく。

 

「なるほど……! 父上はいつも『兵法を読め』『冷静に考えろ』と小難しいことばかり仰いますが、劉備将軍の言う『ハッタリ』の方が即効性がありますね!」

 

 顕思まで真顔で同調し始めた。

 

「大変勉強になります! 僕の父は無駄にプライドが高くて、嘘をつくと顔に全部出るんです。僕がこの『ハッタリ』を身につければ、袁家は安泰ですね!」

 

「素直で良い若者たちだなあ!」

 

いや、良くない。そちらの方向へ素直に育たれては困る。

 さらにその足元では、もっと幼い連中までが劉備にまとわりついている。

 

玲綺が木の棒を無邪気に振り回し、「りゅうびのおじちゃん、うちのパパよりつよいー?」と尋ねている。董白は高級菓子を頬張りながら「りゅうびのおじちゃん、いつもあまい匂いするー」と笑い、袁尚は意味もわからずきゃっきゃとはしゃいでいる。鑠はまだ乳母の腕の中で「バブー」としか発声できないが、あの騒音の中でも起きないのは大物かもしれない。

 

柱の陰からその惨状を見ていた孟徳が、ぎりぎりと歯を食いしばっていた。

 

「…………なんなんだアイツは。なんでうちの貴重な子供たちが、あんな胡散臭い男に懐いているんだ」

 

「やはり人たらしですね」

 

「幼い精神というものは、本能で『自分を無責任に甘やかしてくれる大人』を選びます。貴方のように『勉強しろ』『武芸を磨け』『KPIを達成しろ』とうるさく管理する父親より、面白いホラ話をしてお菓子をくれる叔父の方が、エンゲージメントが高くなるのは必定なのです」

 

「くそっ……! 俺の家庭内シェアまで乗っ取る気か!!」

 

「もうだいぶ侵食されていますね」

 

「分析を聞きたかったんじゃない!!」

 

 父親としての威厳を確立したいのに、劉備が横から美味しいところを全部かっさらっていく。しかも子供たちは、劉備が語る雑な武勇伝や、肩の力の抜けた豪快さの方へと引き寄せられていくのだ。

 

 人間は理屈よりも楽しさに流れる生き物である。特に若年層は顕著だ。市場も子供も、派手でわかりやすい広告には抗えない。

 

ある日、子脩と顕思は下男たちを相手に、劉備直伝の『圧をかけるだけで相手を下がらせる交渉術』なるものを試し始めた。

 

「良いか、まず沈黙だ」

 

 と、子脩が妙に渋い声を作る。

 

「次に視線だ。何も言わず、『お前はもう負けている』という顔をする」

 

 と、顕思が凄みを効かせて続く。

 

その結果どうなるかというと、下男たちは単に「若様たち、今日も何か変な遊びを始めたな」と生温かい視線を向けて遠巻きにするだけで終わった。理論だけを上辺で真似たところで、劉備ほどの図太さが伴わなければ、ただ気まずい空気を放つ若者でしかない。それでも本人たちは満足そうだった。

 

「皇叔の教えは深いな……」

 

「うむ。まだ僕たちには胆力が足りない」

 

 足りないのは師匠選びの慎重さです、と私は喉まで出かかったが、ここで頭ごなしに否定すれば余計に反発して劉備へ傾倒するだけだ。教育とはかくも難しい。やはり子供の矯正には短期的な厳しさだけでなく、中長期を見据えた囲い込み戦略が必要となる。

 

さらに数日後。

 市街地の市場を視察していた私は、思わず足を止めた。

 数ある露店の中で一つだけ、妙な熱気を帯びた人だかりを作っている店があったからだ。風にはためくのぼりには、無駄に達筆な字で『皇叔御自作 有機野菜』と記されている。

 

声の主は、やはり劉備だった。

 しかも両脇には、渋々といった表情を浮かべる関羽と張飛まで立たされている。

 

「へいらっしゃい! そこの奥さん!」

 

「現皇帝陛下の叔父にあたる『皇叔』こと、この劉備玄徳が真心を込めて屋敷の庭で育てた超・新鮮な有機野菜だよ! これを食えば寿命が延びて運気も上がるぜ!」

 

大根一本、金十枚。

 胡瓜一本、金八枚。

 瓜に至っては形が整っているだけで特上品扱いとし、金二十枚。

 

明らかなぼったくりである。

 張飛が耐えきれないように小声で漏らす。

 

「兄者……いくらなんでも高すぎるだろ。大根一本が金十枚って、完全に悪質商法だぞ」

 

 対して関羽は、花の香りをまとった艶やかな美髯を風に揺らしながら、妙に誇らしげに立っていた。

 

「これは『付加価値』だ、翼徳。皇叔ブランドが乗っているのだ」

 

「お前まで言うのかよ!」

 

関羽の立ち姿は、看板としての視覚効果が異常に高い。あの立派な髭は遠目にも目を引くし、そこに清潔感と威厳があると認めてしまった以上、こちらとしても表立って文句は言いづらい。あれを市場の客寄せに使うのは、商売のセオリーとしては極めて正しい。正しいからこそ猛烈に腹が立つ。

 

「……見ましたか、孟徳」

 

「見た」

 

「最近は我が社から支給した屋敷の庭を勝手に開墾し、あのように『皇叔ブランド』を騙って超高値で売り捌いているようです」

 

「一見すると、天下への野心は薄そうに見えるな。ちまちまと野菜売って、小銭稼ぎしてるだけの気のいい田舎者だ」

 

「逆です」

 

「あれは『徐州へ戻る気が一切ない』という強固な意思表示です。許昌の経済圏があまりに美味しいので、ここで稼げるだけ稼ぐつもりなのでしょう。我々の屋敷、我々の護衛、我々の流通、市場の治安。全部こちらのインフラにタダ乗りして私腹を肥やしている。ある意味、兵を挙げて謀反されるよりよほどタチが悪い不良債権です」

 

「たしかに厄介だな……。あいつ、追い出そうとしても『えっ、親戚なのに?』みたいな顔をして平然と居座りそうだしな」

 

「その通りです。しかも帝の情緒を握り、子供たちにも深く食い込んでいる。今の劉備殿は、都のあちこちに無数の細い根を張り始めています」

 

市場の下では、劉備がまた元気に声を張り上げる。

 

「ほら見てくれ、この艶! この瑞々しさ! 皇叔が育てた瓜だぞ! 食えば恋も実る!」

 

「兄者、それ絶対嘘だろ!」

 

「商売において大事なのは夢を売ることだ!」

 

その言葉だけは妙に真理を突いているのが業腹だ。

 夢は売れる。ブランドも売れる。肩書も売れる。だから困る。

 あの男は、自分が市場で何を売っているのか本能で理解している。泥つきの野菜を売っているように見せかけて、実際に売っているのは『皇叔が触った』『皇叔が選んだ』『皇叔とちょっと会話した』という希少な体験価値なのだ。そう分析すると、極めて高度な高付加価値ビジネスと言わざるを得ない。

 

市場での劉備はさらに図に乗る。皇叔ブランドの野菜が売れると見るや、今度は『皇叔が今朝見回った畑の土』『皇叔が選んだ種』『皇叔が座った縁台で休憩できる権利』まで矢継ぎ早に商品化し始めた。

 

 土一握りが金三枚、種一袋が金十五枚、縁台使用権は一刻ごとに金五枚。もはや野菜屋ではなく、空気を金に換える錬金術だ。

 

「兄者、それ絶対に調子に乗りすぎだ!」

 

「馬鹿だな翼徳、商売とはな、現物じゃなく物語を売るんだよ」

 

「現物も売れ!」

 

関羽はその横で、客へ向けて静かに髭を撫でていた。あれはあれで卑怯極まりない。髭の説得力だけで『たしかに皇叔様の野菜は尊いのかもしれない』という集団催眠のような気分にさせてくるのだ。

 

 種代、肥料代、人件費、庭の占有コスト、警備費、皇叔ブランドによる上乗せ利益率、関羽の看板効果、張飛のツッコミによる集客効果。計算してみると、腹立たしいことに非常に優秀な小売モデルが完成している。腹立たしい。非常に腹立たしいが、収益率の高さだけは見習うべき水準だ。

 

「……孟徳、やはり早急に対策が必要です」

 

「ただ追い出すだけじゃ駄目か?」

 

「駄目です。今の劉備殿は、皇帝の情緒ケア、子供部門への浸透、市場での小売、全部の機能を兼任しています。無理に切り捨てれば、あちこちで深刻な反発が起きる。だからまずは実務の仕事を増やして自壊させるか、もしくは稼ぎの導線を完全にこちらの管理下へ移して、利益だけを吸い上げる必要があります」

 

「お前の発想、いつも搾取が前提なんだよな……」

 

「当然でしょう。搾取される前に搾取する。乱世におけるビジネスの基本です」

 

その時、市場の下から劉備のよく通る声がまた響いた。

 

「おっ、そこのお嬢さん! 今なら皇叔お墨付きの胡瓜に、雲長の流し目がサービスでついてくるぞ!」

 

「兄者ァ! 俺の義兄を勝手に景品扱いするな!」

 

「いや、髭の揺れが一番売れるんだよ!」

 

 

 結論は一つ。あの男、放っておくと本当に都そのものへ根を下ろす。だから処理は急がねばならない。ただし雑に切るのではなく、利益と人脈と好感度を根こそぎ回収してからだ。

 

 




最後まで読んでくださってありがとうございました。
今回は、めでたい次男誕生と、都でどんどん図に乗る劉備を書きました。
もしよろしければ、「ここが好き」「ここで笑った」など、一言でも感想をいただけるととても嬉しいです。
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