三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~   作:斉宮 柴野

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張飛は、完璧すぎる通行申請書で洛陽の関所を突破した。
その書類は守将・韓福と副将・孟坦の心を震わせ、関所の役人たちに行政の理想郷を見せる。
だが、その余韻が冷めぬうちに、書類もなく、髭もない関羽が現れる。
本人確認、通行手形、そして美髯公の誇りをめぐる、最悪の関所審査が始まった。


第四十五話:顔パス失敗! 髭なき武神の逆ギレ突破

【洛陽 第二関所】

 

第二の関所を預かる守将の韓福は、手元の一枚の竹簡に完全に視線を縫い付けられている。

 

美術品を前にした狂信者のような陶酔。

瞳にはうっすらと涙が浮かび、口元はだらしなく歪んでいる。

 

「素晴らしい……いや、素晴らしいという陳腐な言葉では、私の胸を満たすこの圧倒的な感動の百分の一すら表現しきれない」

 

「見てみろ孟坦、そして役人たちよ。この『特別通行申請書』のあまりにも完璧な完成度を。文字の筆致、そのすべてが黄金比によって構築されている。まるで王羲之が最新の自動印字からくりを脳内に接続して直接出力したかのような、狂気すら感じる美しさだ」

 

「おまけに、この完璧な押印の位置を見てみろ。所定の円の枠組みから、一分一厘のズレすら存在しない。朱肉の乗りすらも、湿度や気温を計算し尽くしたかのような完璧な濃淡の推移を描いているではないか」

 

「さらに驚くべきは裏面だ。ただの通行許可証の裏面に、なんと今期の兵糧に関する『在庫管理』の予測図表が、鮮やかな三色構成の棒図表と折れ線図表の複合書式で添付されているのだ。季節変動指数や、天候不順による不作の危険分散策まで完全に考慮された、非の打ち所がない需要予測機構だぞ」

 

「張飛という男……巷の噂では、酒癖が悪くてすぐに暴行に及ぶ知能皆無の猛獣などと囁かれているようだが、とんでもない悪質な虚偽報道だ。この緻密な論理構築、圧倒的な提案能力、そして一切の無駄を省いた書面の視認性と導線設計。彼は間違いなく、最前線で戦う行政官の最高峰であり、法令遵守の権化、いや、組織統治という概念そのものが受肉した神だ……!私は今、彼の下で下働きからやり直したいとすら本気で思っている!」

 

副将の孟坦の手の中にある書類の写しも、小刻みに震えていた。

竹簡から漂う墨の僅かな匂いすらも、彼らには高貴な香のように感じられている。

 

「おっしゃる通りです、韓福隊長。私も先ほどから、この書類の『永続的運用性』に感銘を受けすぎて、涙が止まりません」

 

「単なる通行申請にとどまらず、我々洛陽の関門の業務手順の改善案まで、脚注にこっそりと、しかし的確な文字大で記載されているのです。これほどの『画期的な業務改善案』を提示されたのは、我が軍の歴史上でも初めてのことではないでしょうか」

 

「張飛殿が提示したこの段階的工程通りに業務を回せば、我々の時間外労働は間違いなく皆無となり、勤怠均衡は劇的に向上します。彼はただの武将ではありません。完璧な『知能派の猛獣』であり、最高峰の業務顧問です!」

 

周囲を取り囲む役人たちの間からも、静かな嗚咽が漏れ出していた。

極めて合理的に構築された文字の羅列が、殺伐とした関所に一時の理想郷を現出させている。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

【門前】

 

大地を揺るがす蹄の音が響き渡り、土煙とともに一人の男が降り立った。

天下に名高き武神、関羽である。

 

だが、その面持ちはかつての威容とは程遠かった。

顔面は土気色に染まり、双眸には極度の疲労と神経質な焦燥が渦巻いている。

 

そして何より異様なのは、彼が自らの顎を、左手で覆い隠すようにして固く守っていることだった。

 

「……頼む。ここを通してくれ。急いでいるのだ」

 

しかし、完璧な事務処理の余韻に浸っていた韓福の意識は、冷酷な服務規程の壁を即座に構築する。

 

「止まれ。ここは帝都・洛陽の強固な関門だ。ただ『通してくれ』などという、童の使い程度の曖昧な要求で門扉が開くと思っているのか?」

 

「まずは正式な『通行手形』、ならびに身分を証明できる顔絵付きの公的な身分証を見せてもらおうか。それが我々関所の絶対的な『掟』であり『法令遵守』だ」

 

関羽の左手が微かに痙攣する。

己の手元には、それを証明する物質は何一つ存在しなかった。

 

「……ない。物理的な書類や手形というものは、現在の手元には存在しない」

 

「だが、よく聞いてほしい。先ほどここを、我が愛すべき弟、張翼徳が通過したはずだ。すこぶる優秀な書類を提出してな」

 

「拙者はその張飛の義兄にあたる者だ。当然、張飛が提出したあの完璧な『申請書』の項目の中に、拙者の名前が『同伴者』あるいは『扶養家族』として一括登録されているはずなのだ。つまり、拙者の通行許可はすでに帳簿上で承認済みなのだ。だから、通せ」

 

淀みなく紡がれた虚言。

韓福は鼻先で笑い、手元の羊皮紙を軽く叩く。

 

「ああ、あの書類が完璧すぎた、我が心の師匠とも呼ぶべき知能派の豪傑殿のことか。確かに彼はここを通ったよ。緋色の絨毯を敷いてお見送りしたいくらいの貴賓待遇でな」

 

「だが、彼の提出した完璧な『申請書』の『添付資料』のどこをどう読み返しても、君のような人間の記載はないぞ?」

 

「『後から単独で追ってくる、資産価値が極めて低そうな、しかも顎のあたりが不自然に滑らかな不審な男を一人通してやってください』などという特記事項は、一文字たりとも記載されていない」

 

「完璧な張飛殿が、同伴者の記載漏れなどという初歩的な人為的過誤を起こすはずがない。で、お前は一体何者なんだ?どこの部署の所属だ?」

 

ギリッ。

関羽の左手の奥から、硬質な音が漏れる。

額には青筋が走り、張り詰めた皮膚が限界を告げている。

 

「……不審な禿げ顎ではない!口を慎め!この拙者を誰だと心得る!天下にその名を轟かす、関雲長だ!」

 

「手形がないのは認める。書類化の波に乗り遅れただけだ。だが、手形がなくても、拙者には曹操公からの絶大な信頼、すなわち揺るぎない『与信』があるのだ。関羽という絶対的な威信がな」

 

「……ゆえに、この顔面そのものが最強の証明書である。『顔面認証』という最新の生体照合機構による迅速な処理を頼む!」

 

関羽は左手を勢いよく離し、正面を見据えた。

しかし、そこにあるべきものは存在しない。

 

彼自身の矜持であり、誇りでもあった見事な髭。

今はただ、無惨にも剃り上げられた赤ら顔の下半身が露わになっているだけだった。

 

数秒の静寂。

韓福と孟坦の視線が交差する。

 

「プッ……!アハハハハハハ!ヒィーッ、腹が痛い!」

 

「おい聞いたか孟坦。こいつ、その毛一つない、まるで茹で卵の表面みたいな顎を全開にして、自分を『関羽』だと自称しているぞ!しかも顔面認証だと!?どの台帳と照合しろって言うんだ!お前のその顔面じゃ、照合不一致で一生門扉は開かないぞ!」

 

孟坦も腹を抱えて膝を叩いている。

 

「傑作ですね隊長!天下の『美髯公』と讃えられる関羽将軍の絶対的な『看板』を知らぬ者など、一人たりともおりません」

 

「あの立派で美しく、手入れの行き届いた長い髭こそが、彼の中核となる『固定資産』であり『絶対的優位性』なのです!」

 

「目の前にいるこの禿げ顎の男は、ただの『減損処理』されて価値が皆無となった、売れ残りの不良在庫ですな!いや、不良在庫にすら失礼かもしれません!」

 

韓福の指先が、関羽の顎を無遠慮に指し示す。

 

「そうだそうだ、孟坦の言う通りだ!誰だよ、その青髭の剃り跡すら眩しい顎で関羽とか名乗る図々しい奴は!」

 

「百歩譲って関羽の変装をして関所を偽装突破しようと謀るのなら、せめて安売りの見世物小屋かどこかで『付け髭』くらい経費で落としてから来い!」

 

「小道具の準備すら怠るなんて、最近の不審者は突破のための『思考手順』が雑すぎて話にならないな!これだから現場を知らない無能は困るんだよ!」

 

役人たちの間からも、堪えきれない嘲笑が漏れ始める。

 

「クスクス……。本当だよな。関羽将軍の偽物にしては、一番の売り文句であるべき部位が完全に欠落しているじゃないか。初期不良もいいところだ」

 

「もしかして、宮中の人員整理計画で『経費削減』という名目で物理的に去勢された宦官の成れの果てじゃないのか?」

 

「つるんとしたおっさんが赤兎馬の模造品に乗って『顔面認証』とか、痛々しくて見てられないよな。早く通報してつまみ出そうぜ」

 

関羽の視界が、真っ赤に染まっていく。

耳鳴りが大きくなり、嘲笑の渦が脳髄を直接削り取るような痛みを伴って響く。

 

ギリギリギリギリギリ……!!

歯が砕け散るほどの力で歯を食いしばる。

全身の血が沸騰し、皮膚の下で怒りが暴れ狂っている。

 

「……毛がないだと?……減損処理だと?……不良在庫だと?……初期不良の……宦官だと……?」

 

「貴様ら……今、この拙者の顎を見て、なんと言った……?」

 

関羽の足元から、黒く淀んだ波動が這い上がる。

それは明確な殺意の塊であり、空間そのものを歪ませるほどの質量を持っていた。

 

嘲笑のざわめきが、急速にしぼんでいく。

李司という冷酷な最高権力者に無理やり髭を刈り取られたあの瞬間。

 

暗黒の絶望。

夜な夜な魘されるほどの深い心の傷。

 

それらが今、「禿げ顎」「減損処理」という刃となって、癒えかけた傷口を無惨に抉り広げたのだ。

 

「我が絶対的『看板』である『髭』を侮辱する者は……」

 

「一人残らず、全員まとめて『損切り』だ!!」

 

「たとえ貴様らが曹操公の正規の配下だろうと、書類の不備だろうと、服務規程違反だろうと、そんなものは一切知ったことか!!」

 

「髭を失った関羽は、もはや市場の理りを根底から荒らし回る、制御不能の修羅となるのだ!!法令遵守の向こう側へ行くぞォォォ!!」

 

ブォォォォン!!

 

空気を引き裂き、青龍偃月刀がうなりを上げた。

孟坦の表情が恐怖に引き攣る。

 

「な、なんだこの予測不能な相場崩落みたいな、恐ろしい殺気は!?」

 

「おい、止まれ!お前は今、明確な書類不備なんだぞ!これ以上の強行突破は、我が軍の規程に対する重大な『就業規則違反』だ!監察方の役人も黙っていないぞ!」

 

「俺が相手になって、お前の無法な振る舞いを是正して――」

 

「邪魔だァァァッ!!経費削減(在庫処分)!!」

 

青龍偃月刀の刃が、光の帯となって視界を横切った。

 

ズバァァァン!!

 

孟坦の肉体が、構えた槍もろとも、脳天から股下まで真っ直ぐな線を描いて両断される。

己の死を理解する暇すら与えられず、二つの肉片が左右に滑り落ちた。

どす黒い液体が、関所の石畳を激しく汚していく。

 

「ひ、ひえぇぇぇぇっ!?」

 

韓福が腰から砕け落ち、這いつくばるようにして後退する。

 

「孟坦が……優秀な副将である孟坦が、たったの一撃で『在庫処分』されてしまった!?」

 

「こ、こいつ、真に本物の武神なのか!?いや、仮に本物だったとしても、手形なしでの強行突破は規則上絶対に許されないぞ!こんな暴力による解決が許されてたまるか!」

 

「弓だ!弓兵隊、早くあいつを射殺して『返品』しろ!本営に苦情を入れる暇もないぞ!!」

 

恐怖に支配された声が響き渡る。

だが、誰一人として弓を引き絞る者はいない。

 

関羽から放たれる死の重圧が、彼らの指先から一切の感覚を奪い去っていた。

関羽は赤兎馬の腹を蹴り、一気に距離を詰める。

 

その双眸は、逃げ惑う韓福の顎――そこにある綺麗に整えられた髭だけを完璧に捉えていた。

 

「逃がすかァ!」

 

「貴様のその、無駄に香油で整えられ、綺麗に切りそろえられた小賢しい顎鬚!!」

 

「あれだけ立派な髭を持つ拙者から髭を奪っておきながら、貴様だけがそのような毛を蓄えているなど、言語道断!」

 

「それは拙者に対する、極めて悪質な『虚偽報道(当てつけ)』であり、内部者取引だァァァッ!!」

 

韓福の顔面が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪む。

 

「ええええっ!?そこ!?怒る意図そこなの!?」

 

「俺の髭はただの個人的な資産だろ!お前の禿げ顎とは何の関係もない独立した事業だろうがあぁぉおああっ!?」

 

ザンッ!!

 

刃が閃く。

韓福の首が、無惨な軌道を描いて宙を舞った。

整えられた顎鬚が、虚しく風に揺れている。

血飛沫を全身に浴びた関羽は、転がる骸を氷のような冷眼で見下ろした。

 

「ふん……」

 

「他人の失われた資産(髭)を、現在の市場価格だけで安易に笑うな。相場というものは、いつ暴落するかわからんのだぞ」

 

「……行くぞ、赤兎馬。次の関所へ向けての予定が詰まっている。迅速な人員配置が必要だ」

 

滴る血を払うことすらせず、関羽は関所を通り抜けていく。

そこに、かつての義理や人情を重んじた武人の面影はない。

あるのはただ、「髭への劣等感」という呪いめいた業火に焼かれる男の残骸だけだった。

 

残された役人たちは、武器を握ることも逃げ出すこともできず、ただ絡繰りのように左右に開いて道を空け、地面に平伏するしかなかった。

 

「……先に来た張飛将軍は、話の通じる、完璧な『知識人』だったけど……」

 

「……後から来た関羽将軍は、ただの火薬樽を持ち歩いている『修羅』だったな……」

 

役人の一人が、両断された孟坦と首のない韓福の亡骸を見て、絶望に顔を覆う。

 

「書類の不備、つまり法令違反を優しく指摘しただけで、物理的に抹殺されてしまうなんて……」

 

「李司様が取り仕切る本営の執務室よりも、前線の戦場の治安の方が何倍も逆行してないか……?我々は一体、何のために服務規程の研修を受けたんだ……」

 

「顔面認証」という甘い市場予測を否定された関羽は、物理的な「強制通行」という最悪の解決策を選択した。

 

失われた美髭への劣等感は、礼節ある優良株であった関羽を、触れる者すべてを粉砕する殺戮兵器へと変貌させてしまったのだ。

 

残る関所は、あと三つ。

 

前方を行く、完璧な情報戦と諜報操作を駆使する優秀すぎる元秘書・張飛。

後方を追う、一切の理屈を無視して物理的暴走を続ける髭を失った元武神・関羽。

 

相反する二つの暴力のうねりが、曹操軍の強固な防衛線を、紙切れのように引き裂いていく。

 

 




ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、張飛の完璧な書類に感動した関所が、書類なし関羽という最大級の火薬庫を相手にしてしまう回でした。
書類で通る張飛と、法令遵守の向こう側へ行く関羽。どちらの突破方法がひどかったか、感想で教えていただけると嬉しいです。
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