三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~   作:斉宮 柴野

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張飛は、汜水関で思わぬ歓待を受ける。
完璧な書類仕事を終えた猛将を待っていたのは、銘酒と山海の珍味、そして蜂蜜酒という最高の接待だった。
一方その数日後、同じ関所へ辿り着いた関羽を待っていたのは、毒茶と、許昌で刻まれた青汁の記憶。
毒より恐ろしい健康管理の悪夢が、汜水関を襲う。


第四十六話:蜂蜜酒の宴と、激マズ青汁の恐怖

【汜水関】

 

第三の関所である汜水関。

 

卓という卓には関所の年間予算を完全に無視してつぎ込まれた山海の珍味が、かつての黄金期の楼閣のごとく高く積み上げられている。

 

その絢爛たる空間の中央で、守将の卞喜は顔面筋肉の限界値に挑むような職務上の愛想笑いを貼り付け、一人の男を全力で出迎えた。

 

「ようこそお越しくださいました、張飛将軍!いやはや、将軍の素晴らしいご活躍の噂は、この汜水関にも、かねがね聞き及んでおりますぞ!なんでも、あの泣く子も黙る李司様の執務室に監禁され、帳簿の枠結合を一つ間違えただけで始末書を書かされるという、文字通りの地獄のような分析業務を耐え抜かれたとか!しかも文字の大きさから余白のわずかな隙間の調整まで、一切の指摘を許さない完璧な申請書を作成する、伝説の知識を備えた猛将……もとい、事務処理の達人であられると!」

 

「さあさあ、本日はそんな法令遵守の鑑である将軍に対する、我らからのささやかな歓迎の接待にございます!どうかその物騒な蛇矛などという物理的闘争の解決具は壁際に置いていただき、まずはゆっくりと一服、羽を伸ばしていただきたい!」

 

過剰な称賛を全身に浴びた心地よさが、豪快な笑い声となって宴会場に響き渡る。

 

「愉快な奴だ!気が利くじゃねえか!かたじけない、ありがたく接待を受けるとするぜ!蛇矛なんていう野蛮なものは、今の俺には似合わねえからな!俺の武器は今や美しい書式の書類だ!それにしても、完璧な事務処理を徹夜で終え、李司殿のあの氷のような承認の印を貰った後の解放感といったらねえぜ!この圧倒的達成感のあとの一杯のために、人間は生きてるようなもんだからな!さあ、まずは酒だ!!細かな前置きはいいから、とびきりの酒を持ってこい!!」

 

上機嫌な要求に対し、卞喜の顔に安堵の色が浮かぶ。

 

「心得ておりますとも!将軍のような最上級のお得意様をおもてなしするために、我が汜水関の予算をやりくりして備蓄しておいた隠し資産……いやさ、とっておきの銘酒をご用意させていただきました!さあ、これをお持ちしろ!」

 

部下たちが仰々しい足取りで一つの壺を運んでくる。壺から注がれた液体は黄金色に妖しく輝き、照明の光を反射して極上の粘度を見せつけている。

 

その場に同席し、静かに目を閉じていた鎮国寺の僧侶、普浄。彼は酒や伝統茶の品質、成分の配合率まで瞬時に見抜く、卓越した鑑定士の眼力を持つ男である。注がれる音と匂いが彼の鼻腔をかすめた瞬間、そのまぶたが鋭く見開かれた。

 

「お待ちくだされ!張飛殿!その杯に注がれた酒の色、そして光の屈折率……これは見事な黄金の資産です!!硝子杯の壁面にへばりつくように落ちていく高い粘度は、糖度の圧倒的な暴力!そして何より、鼻腔を突き抜けて脳髄を直接揺さぶるような、この芳醇で暴力的なまでに甘い香り……!これは間違いなく、市場価格でも最高値を記録し続ける伝説の絶品に違いありません!」

 

普浄の言葉に導かれるように、張飛は太い指で杯をつまみ上げ、顔を近づけて匂いを探る。次の瞬間、張飛の脳内に衝撃が走った。

 

「なんだと!?まさか……待てよ、この脳髄に直接響いてくるような不自然なまでに濃厚な甘い香り……。俺はこれを知ってるぞ!かつて寿春で袁術の野郎を打ち破った時に、あいつの備蓄からまるごと巻き上げた、あの伝説の液体じゃねえか!あの李司殿が、夜な夜な『これは自分への設備投資です』とかいう理解不能な言い訳をしながら、一人で隠れて飲み干していた蜂蜜酒そのものじゃねえか!!疲労回復という名の滋養強壮と、重圧に対する危険分散にひどく効くって噂の、超絶な逸品だぞ!!」

 

李司が横領して闇市場に流していた品目を、匂いだけで見抜かれたことへの焦燥が胸を締め付ける。地獄の書類仕事をさせられていただけはある、恐るべき知能と嗅覚。ここで動揺してはならないと、卞喜は顔の引きつりを必死の笑顔で塗り固めた。

 

「さ、左様でございますとも!流石は張飛将軍、お目が高い!実は将軍の日頃の過労による深刻な精神的疲労と肉体疲労を癒やすため、特別な経路、すなわち法令的に灰色の闇市場の情報網を全開にして、特別に仕入れさせていただいた逸品でございます!」

 

露骨な言い訳が耳に入っても、張飛の関心はすでに別の場所にあった。

 

「そういうことか!いいぜ、細かい流通過程の監査なんて俺の管轄外だ!話が分かるじゃねえか卞喜!お前のその柔軟な対応、気に入ったぜ!お前の関所のもてなし評価点は、文句なしの最上級だ!客の評価欄には最高の言葉を書き込んでおいてやる!ならば遠慮なく、この高級資産を俺の胃袋に投資させてもらうぜ!最高だ!!疲れ切った脳細胞の隅々にまで、限界を突破した糖分が染み渡るぜ!!」

 

蜂蜜酒を一気に飲み干し、歓喜に打ち震える張飛の姿。卞喜の胸中を占めていた緊張が、ようやくほどけていく。

 

「将軍万歳!さあさあ、まだ備蓄はたっぷりございます!対費用効果などという野暮なことは気にせず、時間の許す限り飲み干してくださいませ!」

 

書式の体裁にうるさい知識を備えた猛将も、気持ちよく接待してしまえば汜水関の運営は安泰である。張飛の順番は、平和的な買収という名の接待によって極めて円滑に終了していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後のこと。

汜水関の門前に、ただならぬ覇気を放つ男が赤兎馬に跨がり単独で到着した。かつては美髯公と称えられながらも、今や滑らかになった顎をさすり、髭の喪失による深刻な精神的異常を抱え続ける元武神、関羽雲長である。

 

張飛を歓待した数日前とは打って変わり、守将である卞喜の胸中には暗殺者としての冷たい殺意が渦巻いている。宴会場の引き戸の裏側の暗がりには、総勢二百名にも及ぶ完全武装の兵士たちが、物理的な暗殺部隊という名の不良在庫としてぎっしりと身を潜めていた。

卞喜は顔の筋肉を引きつらせた、極めて不自然な愛想笑いを浮かべながら関羽の前に進み出る。

 

「やあやあ、これは関羽殿。お待ちしておりましたよ。あなた様の義弟であられる張飛将軍も、先日こちらの関所の経路を、極めて平和的かつ正規の手続きで通過されました。さあ、本日はあなた様のための歓迎の会談でございます。まずはその、見るからに物騒で威圧的な青龍偃月刀を壁に預けていただき、こちらに座って一服どうぞ」

 

関羽の胸の奥底で、安堵の感情が広がっていく。

無意識に滑らかな顎を隠す仕草をしながら、警戒心を解いていく。

 

「かたじけない……」

 

ようやく法令遵守と商談の作法をわきまえた関所にたどり着いた。前の関所では、初対面だというのにこの滑らかになった顎を執拗にからかわれ、精神的苦痛のあまり思わず損切りという物理的手段に出てしまった。だがここの守将は話が通じる優良な取引先のようだ。やはり対話こそが最高の解決策である。

 

疑うことを知らぬ関羽は、長年の相棒である青龍偃月刀を近くの柱に無造作に立て掛け、重い腰を下ろして席に着いた。

 

「さあさあ、長旅で喉もお渇きでしょう。我が関所が誇る、特製の歓迎の茶でございます。どうぞ、一気に飲み干してくださいませ」

 

たった数滴舐めただけでも体重一トンの牛が即座に失当して天に召されるという、特別製の猛毒。手ぶらのまま苦しんで死ねと、卞喜は腹の底で嘲笑っていた。

 

関羽は砂漠で水場を見つけた旅人のように、喉の渇きを潤そうと無防備に茶碗へ手を伸ばす。

指先が陶器の表面に触れようとした、まさにその刹那。

 

端の席に静かに座っていた普浄の全身から焦燥が弾け、周囲の卓が大きく揺れた。彼の口から、警告の音声が強く発せられた。

 

「関羽殿!!お待ちくだされ!!その飲み物に口をつけてはなりませぬ!!それは致命的な脅威を孕んでおりますぞ!!」

 

突如として響いた大音声に、関羽はピタリと動きを止めて眉をひそめた。

 

「どうしたというのだ、和尚。いきなり大声を出して。せっかくの歓迎の茶を阻害するとは、礼儀に反するではないか」

 

「関羽殿、よく見てくだされ!その茶碗に注がれた茶の色……尋常ではなく濁りきっております!極めて高い粘性を持ち、なにやら不穏で不吉な、まるで地獄の底から湧き出た呪いのような、濁水のような緑色をしておりますぞ!私の鑑定士としての直感が告げております、そこに配合されている成分は、決してただの茶などという生易しいものではありません!」

 

切迫した言葉に押され、関羽はゆっくりと茶碗の中を覗き込む。

ドロドロの緑色の液体を視界に収めた瞬間。

関羽の顔面から全ての血の気が引き、完全な土気色へと変貌していった。

 

なんだ……!?

まさか……

待て、嘘だろう……

 

この、見る者の精神を削り取っていくような、深緑の泥状の液体……。

そして、湯気とともに立ち昇る、嗅いだ瞬間に胃液が逆流してくるような、この強烈すぎる青臭い匂い……!

 

これは……

まさか、これは……っ!

 

関羽の脳裏に、かつて許昌の執務室で経験した、この世の終わりとしか思えない恐るべき光景がよぎる。

 

『関羽殿、我が社では社員の健康管理も重要な運営課題です。本日から健康運営の義務化の一環として、これを毎朝一気飲みしていただきます。残すことは社内規定違反とみなします』

 

感情の読めない眼差しで、李司が杯になみなみと注いで差し出してきた、あの悪魔の飲み物。

 

「許昌の執務室で、李司殿が健康運営の義務化ですなどという有無を言わさぬ職権乱用名目で、毎朝毎朝、拙者に無理やり一気飲みさせていた、あの地獄の液体――極悪の苦味を持つ青汁かァァァッ!!」

 

全身の筋肉が激しく震え、恐怖と怒りが入り混じった混乱状態に陥りながら、座っていた椅子を蹴立てて勢いよく立ち上がった。

 

「貴様……卞喜とやら!ここは曹公の防衛線、つまり外部の人間が管理している関所のはずであろうが!それなのに、貴様は裏で密かにあの李司殿と吸収合併して、拙者の健康管理という名の拷問を、この辺境の地で強制執行するつもりか!?『雲長、あなたのその無くなった髭の艶を再び保つためには、圧倒的な栄養補強が不足しています。さあ飲みなさい』と、あの絶対零度の声で囁きながら、拙者に再びあの味覚を破壊する地獄の青菜の汁を味わわせる気かァァァ!!」

 

暗殺を企てていた卞喜は思わず隠し持っていた刀を抜き放ち、余裕を失って喉を枯らさんばかりの声を返す。

 

「違うわ!!なにを一人で勝手な心の傷を呼び起こして狂乱している!!それは毒だ!!ただの、致死率十割を誇る由緒正しき暗殺用の毒薬だ!!青汁なんかじゃねえよ!!誰がわざわざ、そんな人間の飲むものじゃない狂った成分の液体を、高い輸送費を払ってまで辺境に仕入れるか!!俺たち刺客としての、一撃必殺の矜持を侮辱するのもいい加減にしろ!!」

 

必死の弁明を耳にしても、関羽の眼球は血走り、鋭い光を放って卞喜を射抜いていた。

 

「なんだと?今、なんと言った?毒だと?」

 

卞喜は胸を張り、なぜか誇らしげに毒の効能を説明し始める。

 

「そうだ、ただの猛毒だ!飲めば一切苦しむことなく、三秒で命を落としてあの世へ旅立てる、我が軍の優しさと配慮に満ちた至高の毒薬だ!こんな美しく透き通った暗殺の道具を、あんな味覚と精神を破壊する悪魔の泥状の青汁なんかと一緒にすんじゃねえ!創作者に対して失礼だろうが!!」

 

その言葉を認識した関羽は、凄まじい速度で柱の青龍偃月刀を手元へと引き寄せた。全身から立ち昇る気迫が、完全に理性を失った鬼神の如き怒りの目覚めを告げている。

 

「……ふん、ただの毒か。ならば、敵対的買収としての暗殺という手順において、形式上は瑕疵はない。武将として命を狙われるのは当然の職業だからな。……だがしかし!貴様の用意したその毒薬の色と匂いが、拙者の脳内に直接、あの青汁の記憶を蘇らせ、甚大な精神的苦痛を与えたというその罪は……万死に値する!!法令違反どころの騒ぎではない!!貴様ら全員、ここでまとめて損切りだァァァッ!!」

 

怒髪天を衝く勢いで青龍偃月刀を振り上げた関羽に対し、卞喜の顔面が恐怖で歪む。

 

「なんでだよ!!毒殺されそうになったという事実そのものに対して怒れよ!!心の傷が呼び起こされたからって激怒するとか、理不尽すぎるだろ!!」

 

弁明の言葉が最後まで響く前に、関羽の理不尽な怒りと精神的苦痛の全てが乗った青龍偃月刀が一閃した。その一撃は、卞喜の胴体を宴会用の卓ごと、まるで豆腐のように真っ二つに両断する。

 

引き戸の裏に隠れていた二百名の兵士たちは、関羽のあまりにも理不尽で圧倒的な戦闘力と、その狂気に満ちた怒りの理由に完全に腰を抜かしていた。彼らは一斉に武器を放り捨てると、蜘蛛の子を散らすように関所から逃げ惑っていく。

 

関羽は荒い呼吸を繰り返しながら、滑らかになってしまった顎の感触を無意識にさすり続けている。

 

「危ない、本当に危機一髪のところであった……。もしあの液体が、毒ではなく本物の青汁であったら……拙者は五臓六腑の内部統制を完全に破壊され、精神的被害の蓄積によって再起不能に陥るところだった……。毒で助かった……」

 

真っ二つになって沈黙した卞喜の亡骸と、破壊された宴会場の惨状を呆然と見つめながら、普浄は震える声で呟いた。

 

「……関羽殿。天下にその名を轟かせる武神が、自身の命を奪う猛毒よりも、ただの野菜を絞った汁のほうを恐れ、さらには『毒で助かった』と安堵するとは……。その許昌という地にいる李司殿とは、一体どれほど恐ろしい魔王なのですか……?私の理解の範疇を超えております……」

 

普浄の問いかけに対し、関羽の目には抗いようのない疲労の色が色濃く浮かんでいた。胸の奥底から重い息が漏れ出る。

 

「聞くな、和尚。この理不尽な日々には、知らぬほうが健全な恩恵を享受したまま、平穏な人生を終われることもあるのだ。李司殿の健康管理の手法は、物理的な死よりも恐ろしい……。……さあ、行くぞ、赤兎。一刻も早くこの緑色の恐怖から離れなければ、拙者の精神が持たん」

 

関羽はそう言い残し、返り血を浴びて赤く染まった姿のまま、青龍偃月刀を担いでゆっくりと関所を通過していった。

 

 

 

 

 

 

 

逃げ遅れた関所の役人たちが、門の影に隠れて全身を震わせながら、今後のための引き継ぎ事項を竹簡に猛速度で記録している。

 

「先日の張飛将軍は……完璧な書類を作成する上に、銘酒の接待という正攻法で完全に買収できたのに……」

 

「今日の関羽将軍は……暗殺用の毒の色を青菜の汁の幻影と勘違いして完全に激昂し、守将の卞喜様を卓ごと細切れにしてしまったぞ……」

 

「なんて理理尽な難癖をつける客だ……!すぐに次の関所の守将に緊急連絡だ!『関羽将軍の視界には、絶対に緑色のものを一切入れるな。観葉植物すら撤去しろ』とな……!」

 

 

千里行は続く。残る関所は、あと二つである。




今回は、張飛が蜂蜜酒で平和に通過し、関羽が毒茶を青汁と誤認して汜水関を粉砕する回でした。
一番ひどい目に遭ったのは張飛、関羽、卞喜、普浄の誰だったか、感想で教えていただけると嬉しいです。
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