三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~ 作:斉宮 柴野
だが、彼のもとへ辿り着いた関羽と張飛は、感動の再会どころではないほど怒りと疲労を抱えていた。
さらに、袁紹軍から逃げてきた顔良・文醜、周倉、そして自己演出に命を賭ける趙雲まで現れ、劉備軍はますます混沌を極めていく。
【汝南】
ここにいるのは天下無双の持ち逃げの達人にして、幾多の大勢力から軍資金と兵力を掠め取っては華麗に夜逃げを繰り返す稀代の天才詐欺師、劉備玄徳である。
彼の顔になるのは勝者の余裕と、新たな己の陣営を立ち上げるワクワク感だけである。人間としての良心はどこへ置いてきたのか。
「いやー、それにしても袁紹様は、本当にチョロい大旦那だぜ!俺がちょっと適当な戯言をぶちかましただけで、路銀と兵力をポンと出してくれるんだからな!気前の良さの鑑というべきか、単なる節穴なのか!まあ、俺の懐が潤うならどっちでもいいけどな!」
己の悪行を微塵も省みないその精神構造は、もはや恐怖すら覚える。
「あとは、雲長と翼徳が合流すれば、我が軍の野望は軌道に乗る!あいつらも、俺が残してやった『俺の帰りを待て』っていう置き手紙の意図を汲み取って、曹操のところから出奔して向かってきているはずだからな!俺の人徳があれば、少々の連絡不足など感動の再会で帳消しになるって寸法よ!」
連絡不足という言葉で済まされる事態ではないのだが、劉備が能天気な妄想に酔いしれていると、地平線の彼方から土煙を上げて二つの影が近付いてきた。一人は巨大な青龍偃月刀を背負い、疲れ切った赤い馬に跨る男。もう一人は、大量の荷物を積んだ馬車を引きながら重い足取りで歩いてくる巨漢である。
「おおっと!噂をすればなんとやら!見ろよ、あの地平線の彼方からやってくる見慣れた二つの影!間違いない、俺の大切な弟たちだ!やはり俺の人徳に惹かれて、駆けつけてくれたんだな!」
「やあやあ!雲長!翼徳!随分と遅かったじゃないか~!兄ちゃん、ここで待ちくたびれちゃったぞ!さあさあ、積もる話もあることだし、まずは感動の再会として、固い絆を確かめ合う熱い抱擁を交わそうじゃないか――」
両手を広げて満面の笑みで弟たちを迎え入れようとした。しかし。
「……げっ!」
劉備の詐欺師としての生存本能が警鐘を鳴らし始めた。
近付いてきた二人の顔が見える距離になった時、劉備は悟った。彼らの表情に、感動や再会の喜びなどという前向きな感情は存在していないことを。
馬に跨る関羽の顔は、なぜか髭が根元から消滅しており、荒れ果てた顎のラインを晒している。そしてその両目には、絶望と憎悪が入り混じった光が宿っている。
馬車を引く張飛の顔には、目の下に真っ黒な隈が幾重にも刻み込まれており、その表情は酷使された下働きの怨念そのものである。
「……兄者ァァァ……!!!」
「……よくも……兄者ァァァ……!!!」
その声は、もはや人間の発する音を大きく逸脱している。
「お、おおお!我が愛する弟たちよ!なんだかすごく殺気立っているというか、疲労困憊というか、見た目が激しく変わっているようだが!風の噂で、五つの関所を突破したとか、掟を無視して無断で出奔してきたとか武勇伝は聞いているぞ!ま、まあ、とにかく無事に合流できて何より……」
ドゴォォォン!!!!!
落雷でもあったかのような凄まじい衝撃音が響き渡る。その音の余波だけで、背後にある城壁がパサパサと崩れ落ちた。
「ぎゃべぇぇぇぇっ!!??」
劉備の顔面が奇妙な形に歪む。
二人は拳を劉備の顔面にめり込ませたまま、絶叫を上げた。感動の再会とは程遠い、純粋な怨恨の発露である。
「よくも俺たちを裏切ってくれたな!!この血も涙もない大詐欺師野郎がァァァッ!!」
「お前!!お前が俺たちを置き去りにして!!軍と蜂蜜を全部持ち逃げして、華麗に夜逃げをキメやがったせいでな!!残された俺がどれだけ地獄のような日々を送ったか分かってんのかコラァァッ!!」
「李司殿の執務室は、人間の精神を根底から破壊する地獄なんだよ!!毎日毎日、日の出から深夜まで木簡の山に埋もれて、一文字でも誤字脱字があれば即座に『差し戻し』なんだぞ!!」
「『張飛殿、この兵糧の勘定書の綴じ紐の位置が三分ずれています。やり直し』『張飛殿、この兵糧請求の理屈が完全に破綻しています。再提出』『張飛殿、軍規の概念が致命的に欠如しています。詫び状を十枚、明日の朝までに書きなさい』ってな!!毎日がその終わりのない繰り返しだ!!俺の気力は常に限界突破した状態で、目からは血の涙を流しながら必死に帳簿と格闘していたんだ!!それをお前は自分だけ安全な場所でぬくぬくと!!俺の徹夜の恨み、その顔面できっちり支払ってもらうぞ!!」
「拙者の恨みも聞けェェェッ!!お前が夜逃げしたせいで、残された我々は曹操軍の捕虜として扱われたのだ!!そして何より許せないのは、李司という名の悪魔によって、拙者の最大の誇りであり、存在意義そのものであった髭を刈り取られ、強制的に無価値の烙印を押されたことだ!!」
関羽の目は完全に血走り、狂気の光を帯びている。
「お前にこの絶望が分かるか!?毎朝鏡を見るたびに、そこには見知らぬおっさんが映っているのだぞ!?しかも、お前のもとへ合流するために五つの関所を通過しようとするたびに、どこの守将どもからも『なんだそのツルツル顎の去勢男は!』『関羽の威光も完全に地に落ちたな!』と嘲笑されながら、やむを得ず彼らを斬り捨てて突破してきたのだ!!」
やむを得ずという理由で斬られた守将たちが不憫でならない。
「すべてはお前が、事前の知らせもなしに逃亡したからだろうが!!責任を取れ!拙者の失われた威厳と誇りを今すぐ弁償しろォォッ!!」
「ぎゃああああ!!!痛い!痛い痛い痛い!骨が!骨が粉砕される!弟たちの親愛の情の表現方法が物理的に激しすぎるーーーっ!!待て!待ってくれ!詫びの品なら用意するから、とりあえず暴力はやめてくれぇぇぇ!!」
◇◇
~十分後~
とりあえず合流を祝う宴という名の、非常に気まずい反省会が開かれていた。
宴の中心には、顔中をボコボコに腫らし、妖怪のようにコブだらけになった劉備が正座をして小さくなっている。
「……ったく、十分間ぶっ通しで殴り続けても、心に蓄積された帳簿の恨みは全く晴れねえぜ。顔面の腫れが引いたら、第二回戦の反省会を開いてやるからな。で、俺はずっと疑問に思っていたんだが」
「なんで兄者が袁紹軍から夜逃げしてきただけなのに、いつの間にか兵隊が七万人も膨れ上がってんだ?途中で傭兵団でも丸ごと奪ってきたのか?しかも、あそこにいるあれは、一体何の冗談だ?」
張飛が心底呆れ果てて指差す先。そこには、城壁の隅っこで、人間の骨格の限界に挑戦するような奇妙極まりない姿勢を限界まで決めながら、関節をギチギチと不気味な音を立てて鳴らしている二人の巨漢の姿がある。
袁紹軍が誇る二枚看板にして、最高の武名を誇る猛将、顔良と文醜である。
「フッ……。笑いたければ笑うがいい、劉将軍の弟よ。俺たちのこの極限まで研ぎ澄まされた姿勢を理解できないのも無理はない。だが、俺たちはもう、蔡文姫様の行う『算術的な健康管理』、通称『死の施術』には、これ以上耐えられないと判断したのだ」
「お前たちには到底理解できないだろうが、あの女は人間の肉体を、単なる図形か、あるいは算術の公式の集合体としてしか認識していないのだ。毎朝起きるたびに、『顔良将軍、本日の貴方の骨格の比率が一分一厘ずれていますね。計算式に合致せず、全く美しくありません。直ちに修正しましょう』と言って、得体の知れない金属製の定規と角度を測るような器具を使って、関節を無理やり拡張してくるのだぞ!!俺の肩の可動域は今や、人間の限界をはるかに超えて三百六十度回転するようになっている!!こんなものは健康管理ではない、ただの人体実験だ!!」
「そうだ。顔良の言う通りだ。夜寝て、朝起きるたびに自分の体が昨日とは違う、より『算術的に美しい』とされる謎の形へと改造されている恐怖……。お前にこの地獄が分かるか!?」
「これ以上あそこにいたら、俺たちは間違いなく人間をやめることになる……いや、最終的にはただの『真ん丸の肉塊』か何かにされて前線に転がされるという恐怖が告げたのだ。だから二人で示し合わせて夜逃げしてきたぜ。もう褒美なんていらない、厚遇も求めない。俺達を雇ってくれ!!戦闘力だけは保証する!!」
すると今度は、飯を頬張っていた朱霊と路招もまた会話に加わってくる。
「我々も、顔良将軍たちの気持ちは分かりますよ。我々も、一度劉備様に引き抜かれてしまった以上、もはや曹操軍には絶対に戻れませんからね!このまま劉備様についていくしか生き残る道はありません!」
「その通りです!もし今更曹操軍に戻ったとしても、あの李司様にどんな恐ろしいお仕置きを受けるか分かったもんじゃありませんからね!劉備様のこの適当で貧乏な弱小勢力の方が、まだ精神衛生上マシというものです!」
なぜどこの陣営も、命のやり取りよりも裏方の文官や軍師を恐れているのか。
「へへっ……どうだい、翼徳?我が軍は優秀な人材の宝庫になってるだろ?これぞまさに俺の人徳がもたらした、究極の引き寄せの法則ってやつだ!」
「まあ、訳ありの厄介者だろうが何だろうが、使える将はすべて俺の陣容に組み込んでやる!」
宴の中心で劉備たちが騒いでいるその片隅。
薄暗い城壁の陰で、とりあえずついてくることにした周倉が関羽の姿を、ジロジロと極めて不審そうに見つめている。
「あの……劉備様」
「本当に、そこに座っている、貧相な無精髭の男が、天下にその名を轟かせる関羽将軍なのですか?もっとこう、神々しい威厳に満ち溢れ、風になびく二尺の美髯があり、見る者すべてを平伏させる威光を纏っているはずなのですが……」
「この目の前の、中年男性は、俺の憧れである関羽将軍とは一分一厘も一致しません!これは明白な詐欺、あるいは悪質な偽物の疑いがあります!」
「うぐっ……!し、しつこいぞ周倉!!貴様、昼間から何度も何度も同じことを!!拙者は、正真正銘の、本物の関雲長であると言っているだろうが!!これが偽りなき真の姿だ!!」
「今は……その、なんだ!!あれだ!!そう、一時的な『換毛期』なだけだ!!武神という生き物は、季節の変わり目や過酷な環境下に置かれた際、より強靭で美しい髭を生やすために、一時的に古い髭を完全に落とすいう。今はたまたま、その生え変わりの最中に貴様と遭遇してしまっただけだ!!来年の春には、元の三倍の豪快な髭が生えてくる手筈になっているのだ!!」
「嘘をつけェェェッ!!どんな三流の作り話だそれは!!俺は関羽将軍の逸話を隅から隅まで読み込んできた生粋の信奉者なんだぞ!!」
「そんな『換毛期』なんていう都合の良い後付けの理屈は、どこの書物にも、どの伝承にも一切記載されていない!!さっさと俺の理想の関羽将軍を返せ!!」
「うぐぐぐぐっ!!!!」
「拙者は……拙者は換毛期……いや、本物の……うぐっ……」
バタン!!
あまりのショックの大きさにまたしても思考回路が完全に焼き切れ、白目を剥き関羽は大木が倒れるかのように再び地面へと卒倒した。
◇◇
翌日、劉備が今後の軍資金繰りの甘い妄想をしていると、前方へ道の安全確認と地形調査のため偵察に出ていた朱霊が大慌てで駆け戻ってきた。
「はぁっ……!はぁっ……!緊急事態です、御大将!進軍経路に、極めて重大な障害が発生しております!」
「どうした朱霊。そんなに慌てて。山賊どもが路銀を狙って通行料の要求でもしてきたのか?それとも、袁紹の追手がもう追いついてきたのか?」
「いえ、追手ではありません!しかし、山賊と言えば山賊なのかもしれませんが……極めて特殊な、これまでに見たこともない類の障害物です!この先の山道に放棄された古い砦があるのですが、そこに、めちゃくちゃに強そうな、そして無駄に顔の造形が良い一人の男が陣取っていて、道を封鎖して困っているのです!」
「穏便な対話を試み、丁重に頼んだのですが、その男は全く応じようとしないのです!彼は突然、虚空に向かって奇妙な型を決めながら、『俺の華麗なる美技に酔いしれろ』とか、『この先は俺の独壇場だ。通過したければ、俺の舞台への見物料を支払え』とか意味不明な辻芝居の口上ばかりを並べ立てて、さっぱり道を通してくれないのです!対話不能の狂人です!」
「通行人から見物料を徴収しようと新手の商売を展開していると?ずいぶん尖った稼ぎ方をする山賊がいるもんだな。とりあえず、直接品定めしに行ってみようじゃないか」
「おい、顔良、文醜。お前たちの出番だ。物理的破壊力と視覚的暴力の双璧よ。その道を塞いでいる辻芸人に、お前たちの自慢の腕力と姿勢を見せつけて蹴散らしてこい」
「フッ……。承知した、御大将。お任せあれ。この俺たちの、常人の理解をはるかに超越した肉体の造形を見せてやる」
◇
劉備を先頭に、一行は朱霊の案内で山道をさらに奥へと進んでいく。やがて木々が開けた場所に、石積みで作られた古びた砦が姿を現す。
一行が砦の正面、およそ五十歩ほどの距離に到着した、その瞬間である。
パンパンパン!!
突然、何もない虚空から、まるで芝居の開演を知らせるかのような、律動感のある拍子木の音が三回、周囲の山々に響き渡る。音の出所は全く不明である。
劉備たちがと驚いて足を止めると。
砦の裏手から、一頭の純白の馬が時間が遅くなったかのような優雅さで、極めて不自然なほど滞空時間の長い跳躍を決めて飛び出してきた。
その白馬に跨っているのは、全身を眩いばかりの銀色に輝く鎧で包み込んだ、常軌を逸した色男である。彼の顔の造形は、まるで神仏が設計して具現化したかのようであり、肌には一切の毛穴すら見当たらず、肌荒れに悩む関羽とは対極にある透明感を放っている。
さらに信じがたいことに、その男は白馬で優雅に飛び出しながら、どこから調達してきたのか不明な大量の桃色の花びらを、自身の頭上に向かって勢いよくバラ撒いているのである。季節感の完全な無視である。
男は白馬をゆっくりと歩ませながら、降り注ぐ自作自演の花吹雪の中で、前髪を優雅にかき上げる。
「フッ……。我こそは、常山の趙子龍!!この世のすべてのしがらみに別れを告げた哀れな亡者どもよ、我が華麗なる白銀の槍の錆となるべく、ここで美しく、そして儚く散るが良いぞ!!さあ、俺の美技の前に、その命という名の見物料を支払え!!」
シーン……。
鳥の鳴き声すら止み、風の音だけが虚しく吹き抜ける。
劉備、関羽、張飛、顔良、文醜、朱霊、路招。劉備軍の全員が、目の前で繰り広げられた常識も理屈も無視した一人芝居を見せつけられ静止している。
彼らの頭脳は、この異常さを処理しきれず思考停止に陥っていた。
「……む」
趙雲はピタッと動きを止め、馬の上で腕を組む。
「……ダメだ。今のは完全にダメだな。落第点だ。観客の心を惹きつける掴みが全く足りていない」
何やらブツブツと独り言を言いながら反省と修正を繰り返し始める。
「まず、名乗りの第一声の拍子だ。馬の前足が地面に着地した瞬間と、俺の『我こそは』という発声がわずかにズレていた。これでは視覚と聴覚の相乗効果が薄れ、登場の威圧感が半減してしまう。さらに、白馬のいななきの長さが短すぎた。最低でも三つは甲高く嘶かせなければ、戦場における緊張感を煽る音使いとして機能しない。それに『別れを告げた亡者どもよ』の部分の抑揚だ。悲哀と残酷さを表現する震えの美しさが圧倒的に甘かった。あんな三流の素人芝居のような発声では、目の前の者どもの胸を打つことなど絶対に不可能だ。俺の威光を下げる致命的な不手際だ」
筆で素早く文字を書き込んでいく。
「……よし、『登場の段取り、第三十二の型:白馬の君・絶望編・改』の修正登録と。花びらの散布量も、現在の風の強さを計算して二割増しに設定し直す必要があるな。陽光の当たる角度も、右斜め四十五度から当たるように、立ち位置を少し左へ修正だ」
顔を上げ、呆れ果てて静止している劉備たちに向かって、芝居の元締めのように手を叩いて指示を出す。
「よし!観客の皆様、大変申し訳ありませんが、今の登場は俺の美の基準を満たしていなかったのでやり直しとします!二度目の登場に移りますので、お前たち、もう一度最初から、俺が飛び出してきた瞬間の新鮮な驚きの反応を作って待機していてくれ!いいか、絶対に驚く所作の手を抜くなよ!観客の熱量があってこその舞台だからな!」
趙雲はそう一方的に言い放つと、馬の向きを変え、猛烈な勢いで再び砦の裏手の見えない位置へと引っ込んでいく。
「……」
残された劉備たちは、もはや言葉を発する気力すら根こそぎ奪われ、ただ無言で立ち尽くすのみであった。
十秒後。
パンパンパン!!
「我こそは、常山の趙子龍!!(二回目)」
劉備軍の者たちの反応は、以下の通りであった。
劉備
「………………」
(完全に引いている。幾多の詐欺を働き、数々の修羅場をくぐり抜けてきた詐欺師の目から見ても、目の前の男の自己演出はもはや恐怖の対象でしかない。あんなものに関われば、詐欺が狂わされるという本能的な警鐘が鳴り響いている)
関羽
「………………」
(呆れて物も言えない状態を超越して、深い絶望の淵に沈んでいる。なぜなら、目の前の男の風になびく髪の毛と、一切の淀みない美しい肌を見るにつけ、自らの失われた髭と、苦労でボロボロになった顎の現状との格差を見せつけられ、誇りが崩壊しているからである)
張飛
「………………」
(手にした蛇矛を、杖代わりにして寄りかかり、遠い目をしながら眺めている)
顔良
「……おい、劉備殿。御大将。あいつはヤバい」
文醜
「そうだ。間違いない。思い出したぜ。奴は確か、かつて界橋の戦いで蔡文姫様に向かって面と向かってババア呼ばわりした、伝説の命知らずの狂人だぞ」
馬上で美しい姿勢のまま数秒間静止していた趙雲は、再び訪れた沈黙に違和感を覚える。
「……あれ?」
「おかしいな。今度こそ、俺の完璧な間合いと発声、そして光の演出によって、観客から割れんばかりの喝采と熱狂的な歓声が巻き起こるはずだったのだが。拍手一つ聞こえないとは、一体どういうことだ??」
不満げに馬から降り、ようやく目の前にいる「観客」たちの顔を一つ一つしっかりと確認し始める趙雲。
「おや?おやおや?腫れ上がっているものの、特徴的な耳の形と、全身から漂う胡散臭い雰囲気……。もしやそこにいらっしゃるのは、かつてお会いした、劉備将軍ではありませんか!!お久しぶりです!!この趙子龍、まさかこんな辺境の舞台で貴方にお会いできるとは、夢にも思っておりませんでした!」
劉備は慌てて一歩後ずさる。
「お、おう。趙雲か。確かに久しぶりだな。公孫瓚将軍のところで将として働いていたのは知っているが、なんでこんな山奥で、野良の辻芝居みたいな真似をしているんだ?」
「はぁ……。お聞きください、劉備殿。私の元の主君であった公孫瓚様の陣営は、悲しいかな、滅亡してしまったのです。その結果、専属の演者であった私は身寄りを失い、流浪の身、すなわち無職の素浪人となってしまったのです!」
「ぜひ!ぜひとも、この美貌と武の才能を持った逸材を、皆さんの率いる劇団……失礼しました、新進気鋭の勢力に加えていただけませんか!?実は今、当面の飯代すら底をつきかけ、一文無しでして」
「しかし、ご安心ください!私を召し抱えるにあたっての条件は極めて破格です!月々の決まった俸給、恩賞、怪我の治療費などの金銭的報酬は一切不要です!ただ一つ、私が求める条件は、私の美技と演出を披露するための、最高の『舞台』、すなわち目立つ配置での戦場さえ用意してくだされば、それで満足なのです!」
「武力:測定不能。特技:いかなる状況下でも美しく戦うこと、完璧な光の計算、究極の自己演出。志望動機:とにかく目立ちたい。誰よりも黄色い歓声を浴びたい。真ん中に立ちたい。……なるほど」
劉備は書状を閉じ、即座にそれを自分の懐へとしまい込む。
「よし!決まりだ!趙雲、お前のその熱意と、費用の安さに感銘を受けた!本日ただいまをもって、お前を正式な将として採用だ!!」
「俸給ゼロ!兵糧代完全無料の野良契約!しかも褒めちぎってやるだけで勝手に最前線で戦ってくれるなんて、我が軍の台所事情にとって逸材じゃないか!我が軍は、お前のようなタダ働きを喜んで受け入れる、志の高い将を大歓迎するぞ!」
「あ、兄者……!早まるな!本当にいいのか!?召し抱える手順を完全に無視しているぞ!こやつは危険だ!」
「ハッ!気にするな雲長!我が陣営の現状の陣容をよく見てみろ!」
親指で、後ろに控える者たちを次々と指差していく劉備。
「すでに我が軍には、『蔡文姫の算術的拷問によって、四六時中無理な姿勢を保ち続けていつ腸が捻じ切れてもおかしくない奇妙な姿勢の二人組』がいる!さらに、『最大の誇りであった髭を喪失し、己の存在意義が崩壊して事あるごとに白目を剥いて卒倒する、ツルツル顎の元武神』もいる!おまけに、『地獄の指導によって完全に文官化し、野性味を失って算盤の玉ばかり気にしている算術ゴリラ』までいるんだぞ!」
「今更、自己愛の塊の目立ちたがり屋が一人増えたところで、我が軍の混沌具合は何も変わらん!毒と毒を掛け合わせれば、逆に新しい奇跡が生まれるってもんだ!我が軍は型破りな者を重んじる、寄せ集めの集団なのだ!」
もはや主君の器というよりも単なる開き直りとしか思えない宣言に対し、趙雲は感極まったように膝をつき、劉備の手を固く握りしめる。
「おお……!感謝します、偉大なる座長……いや、劉備殿!私の才能を理解してくださるとは!貴方こそが、私の探し求めていた真の興行主です!では早速ですが、私の新規加入に伴う、大々的な歓迎の宴の演出の段取りと、花吹雪の追加調達にかかる費用の決裁についての緊急評定を開かせていただきたいのですが……」
「バカ言え!そんな路銀なんて、我が軍には一文たりとも残っちゃいない!花びらはその辺の山から自力でむしり取ってこい!評定は後回しだ!今は一刻の猶予もないんだよ!」
「よし!野郎ども!目指すは南の未開の地、荊州・劉表陣営のもとだ!新しい『寄生先』もとい金持ちのパトロンの懐へ向かって、寄り道をせずに駆け抜けるぞーーーっ!!」
「オオーッ!!」
「拙者の髭オイル代も劉表に出させるぞーッ!!」
「帳簿付けの手間がない世界へ行くぞーッ!!」
「奇妙な姿勢のまま走るぞーッ!!」
「美しい桜吹雪の金蔓を見つけるぞーッ!!」
かくして、劉備軍は再びその奇妙な行軍を開始した。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、劉備・関羽・張飛の感動の再会……ではなく、怨念の拳骨から始まる汝南合流回でした。
そして、顔良・文醜、周倉、趙雲まで加わり、劉備軍はいよいよ寄せ集めの混沌集団になってきました。
一番ひどい目に遭っているのは関羽、張飛、顔良・文醜、あるいは趙雲を拾ってしまった劉備の誰だと思ったか、感想で教えていただけると嬉しいです。