フリーレン「そうだ。社会主義革命を起こそう」   作:あっさーだ

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黄金郷編。その前日譚です。


ヴァイゼ=ゼロ

 北側諸国の荒野で、一台の貴族の馬車が横転していた。

 襲撃したのは、七崩賢の一人、マハト。彼は、横転した馬車に体を預け、最期の一服を楽しんでいる一人の男を見ていた。ヴァイゼの貴族、グリュックである。肩から血を流し、目の前に剣を持った魔族がいるのにもかかわらず、その目に怯えはなく、どこまでも冷たかった。

 

「……逃げないのか」

 

 マハトの問いに、グリュックは煙を吐き出し、力なく笑った。

 

「殺したければ殺せ。報いを受ける覚悟など七年前に終わらせている」

 

 グリュックは、血の混じった声で語り始めた。ヴァイゼという街がいかに停滞し、古い特権階級によって経済が窒息しているか。それを変えようとした自らの息子が、政敵に殺されたこと。そして自分は、息子の遺志を継ぎ、この街を「あるべき姿」――誰もが豊かになれる場所へ作り替えようとしていること。

 

「だが、私の理想には力が足りない。政敵を蹴落とす知略も、停滞を打破する暴力もな」

 

 マハトは黄金の瞳を細めた。彼にとって、命も国もすべては適切な数値で換算可能な「商品」に過ぎない。だが、グリュックという男からは、計算不能な「何か」の匂いがした。決して換金できない「何か」。

 

「私は『悪意』というものを知りたいと思っている。人間にしか持ち得ない、あの非合理な感情を」

 

「悪意、か。なら話は早い」

 

 グリュックは、マハトの冷徹な視線を真っ向から受け止めた。

 

「交渉だよ。私には利用価値がある。私ほど悪意に触れ、悪意に手を染めてきた男はそういない。私なら、お前の知らない『価格のつけられない感情』を教えてやれる」

 

「……面白い。条件を言ってみろ」

 

 マハトが初めて表情を表す。

 

「お前には『仕事』をしてもらう。まずは、実権を握っている大貴族アレクセイの一族を片付けるのを手伝ってほしい。そして、私の顧問として、この街を豊かにしてほしい」

 

「『豊かに』か。いいだろう。私はこの世界を、合理的な市場へと作り替えよう」

 

 それが、後に「黄金郷」と呼ばれ終焉をむかえる都市の始まりであった。資本主義の暴力を体現する魔族と、復讐のために魂を売った政治家。二人の「合理的な悪魔」による、ヴァイゼの構造改革は森の中の街道で人知れず幕を開けた。

 

 

 

 

 ヴァイゼの街に戻ったグリュックは、執務室の硬く冷えた椅子に深く腰を下ろした。

 執務室とは名ばかりだった。実権をアレクセイ一族に奪われ、飾り物の領主へと成り下がったグリュックに与えられたその部屋は、あまりにも粗末だった。ろくな調度品もなく、部屋の隅には何年も放置されたような埃が厚く積もっている。

 窓の外に目を向ければ、そこにはアレクセイ一族の圧政に喘ぎ、活力を失った街の姿が灰色の空の下に広がっていた。

 

「それで? アレクセイの一族を追い出すにはどうすればいい?」

 

 グリュックが、対面に立つ男へ問いかけた。経済顧問として雇い入れた魔族、マハトである 。

 マハトは無機質な瞳で部屋を一瞥し、淡々と答えた。

「確かアレクセイ一族は、帝国中央から左遷された貴族でしたね。彼らは今も、中央の権力闘争へ戻ることを熱烈に渇望している」

 

「ああ、奴らの関心は、この街からどれだけの金を搾り取り、中央への復帰資金にするか、それだけだ」

 

「ならば、その渇望を利用しない手はありません」

 

 マハトは一歩前へ出た。その佇まいは、世界を「市場」としてのみ認識する究極の合理的経済人そのものであった。

 

「グリュック様。これから行う策では、一時的に貴方に辛い思いをさせることになりますが、よろしいですか?」

 

「……ふん。とっくに覚悟はできている」

 

「そうですか。では、まずは準備が必要です。粘土でも木でも構いません。黄金の延べ棒を模した塊を、数十本ほど用意していただきたいのです」

 

 グリュックは怪訝そうに眉を寄せる。

「……? いったい何をしようとしているんだ? 偽物の金で、あの狡猾なアレクセイを欺けるとでも?一時的には何とかなるかもしれないが、奴らがそれを使おうとしたときばれるのではないか?」

 

「問題ありません。奴らは決して使うことはないでしょう」

 

 マハトは微かに口角を上げた。

 

「私の考えた策。それは────」

 

 マハトが策の全貌を語り終えると、室内には重苦しい沈黙が流れた。それはあまりにも合理的で、かつ市場の論理に基づいた冷酷な計略だった。

 

「わかった。その策に乗ることとするよ」

 

 グリュックもまた、にやりと笑った。

 

 

 

 

 ヴァイゼの支配権を事実上掌握しているアレクセイ伯爵の執務室は、追放同然の身である領主グリュックの埃っぽい小部屋とは対照的に、搾取した富と虚栄で埋め尽くされていた。壁には帝都の権威を象徴する巨大なタペストリーが掛けられ、卓上には贅を尽くした酒器が並んでいる。グラスに注がれたワインは民から吸い上げた血と涙を凝縮したような鈍い光を放っていた。

 

「……誰だ」

 

「現在はグリュック様に仕えているマハトと申します」

 

 アレクセイは、ソファーに深く沈み込み、不機嫌そうにグラスを揺らした。

 

「それで? 何用だ? とうとう、やつが年貢の納め時だと使いでもよこしたのこか?」

 

「私は合理的な存在です、アレクセイ伯爵。無駄な挨拶は省きましょう。私は、グリュック様を損切りしに来たのです」

 

 マハトは部屋の入り口に佇んだまま、無機質な黄金の瞳でアレクセイを見据えた。

 

「損切り……だと?」

 

 アレクセイの手が止まった。グラスの中で揺れていた波紋が、ピタリと収まる。

 

「ええ。もちろん、ただであなたに受け入れてもらえるとは思っていません。これを」

 

 マハトは懐から一通の封書を取り出し、卓上に滑らせた。

 

「これは何だ」

 

「グリュック様が貴方に隠して密かに蓄積していた、実物資産の目録とその隠し場所です。彼はこれを使って帝都の反対派を動かし、貴方を排除しようと企んでいました。しかし、私の計算によればその試みが成功する確率は極めて低い。ゆえに、私は『勝ち馬』である貴方にこの情報を売ることにした」

 

 アレクセイは奪い取るように手紙を読み、下卑た笑みを浮かべた。

 

「ふん……あのネズミめ。これほどの黄金を隠していたか。マハト、貴様の合理的判断とやらは気に入った」

 

「伯爵、ご提案があります」

 マハトは一歩前へ出た。

 

「今夜、グリュック様が不在の隙に、その黄金を『接収』されるといい。名目は──領主による公金横領への制裁。それだけの地金があれば、貴方の帝都復帰のための工作資金は一気に充足されるでしょう」

 

アレクセイは立ち上がり、勝利を確信した足取りでマハトに歩み寄った。そして、その肩を、脂ぎった手で力任せに叩く。

 

「よかろう。マハト。その言葉が本当だった暁には、貴様を私の新たな『経済顧問』として迎え入れてやろう。グリュックを捨てて私に付け。この街の富も、中央への道も、すべては私の手の中にあるのだからな」

 

「賢明なご判断です、伯爵。貴方の『欲望』には、実に素晴らしい市場価値がつきました」

 

 マハトは深々と頭を下げた。恭順を示すその姿勢のまま、影に隠れた瞳は、目の前の男を淡々と観察し続けていた。

 

 

 

 

 街はずれにある農村の倉庫にそれはひっそりと隠されていた。

 重く錆びついた扉が、悲鳴のような音を立ててこじ開けられる。護衛たちが掲げる松明の炎が、闇に沈んでいた空間を強引に引き裂いた。埃が舞う中、部屋の中央に積み上げられた粗末な麻袋の山──その隙間から、それは漏れ出していた。

 

「……これか」

 

 アレクセイは、貴族としての体面も忘れ、泥にまみれた床を急ぎ足で踏みしめた。 護衛が麻袋の一つをナイフで裂くと、中から溢れ出したのは無骨で重厚な地金の塊だった。

 松明の揺らめく光を反射し、黄金が放つ鈍くも暴力的な輝きが、アレクセイの網膜を焼き、理性をなぎ倒す。それは単なる富ではない。他者を屈服させ、法をねじ曲げ、失いかけた権威を再びその手に取り戻すための、「力」そのものだった。

 

「おお……おお、これだ。これほどの量が……!」

 

 アレクセイは手袋を剥ぎ取り、地金の一つを鷲掴みにする。指先に伝わる、金特有の不自然なほどの重量感。冷たい感触が体温を奪うが、彼の心臓は逆に沸騰せんばかりに脈打っていた。

 

「グリュックめ!最近おとなしいとは思っていたが、まさか裏でこんなことをしてたとは。だが、残念だったな。貴様が必死に集めたこの金はもう私のものだ!」

 

 アレクセイの笑い声が、天井の低い倉庫内に反響し、不気味に響き渡る。彼の瞳はもはや黄金の反射光に飲み込まれ、焦点が定まっていない。その姿は支配者というよりも、呪われた宝を前にした亡者のようであった。

 

「伯爵、ご確認いただけましたか」

 

 背後の闇から、マハトの抑制された声が響く。彼はこの狂乱の光景の中にあって、唯一、背景の闇と同化するように静止していた。

 

「この地金の純度は、先ほどお話しした通り。ヴァイゼの全予算を数年分飲み込んでもお釣りがくる量です。今この瞬間、貴方の資産価値は帝都の有力貴族をも凌駕した」

 

「マハト、貴様は最高の猟犬だ!」

 

  アレクセイは黄金を抱いたまま、振り返りもせずに叫んだ。

 

「今すぐ運べ! 私の邸へ、一欠片も残さずだ! これがあれば、帝都の連中など私の足元に跪くことになる!」

 

「御意。ただちに搬送の計算に入ります」

 

 マハトは深々と一礼した。 その無機質な黄金の瞳は、アレクセイが抱える地金の輝きを反射することなく、ただ冷徹にその「重さ」を計っていた。黄金に狂う男の影が、松明に照らされて倉庫の壁に巨大に、そして歪に伸びていた。

 

 

 

 

 翌日、アレクセイ伯爵の執務室には、昨日運び込まれた黄金の一部が、誇示されるように机上に積み上げられていた。 信用を完全に勝ち取り、新たな「経済顧問」の座に収まったマハトは、その黄金が放つ熱狂を冷淡な眼差しで切り捨て、机の上に一通の契約書を広げた。

 

「伯爵。この黄金は見事なものです。しかし、今の状態ではこれは単なる『静止した富』……いわば死んだ金属の塊に過ぎません」

 

「死んだだと?」

 

アレクセイは、手にした金貨を指で弄び、その重みを確かめながら眉をひそめた。

 

「ええ。帝都での権力闘争、官職の買収、有力貴族への工作――これらに必要なのは、重く動かしがたい地金ではなく、即座に形を変える『流動性』です。現物を帝都へ運ぶのは非効率であり、何より政敵にその急所を晒すようなもの。合理的ではありません」

 

 マハトは瞳を細めた。彼にとって、眼前の男の命も、この領地の未来も、すべては適切な数値で換算し、処理すべき「商品」に過ぎない。

 

「そこで、この黄金を『担保』としてヴァイゼに据え置くのです。そして、貴方が元々お持ちの農地や鉱山の権利書……これらをセットにした『共同担保パック』として帝都の銀行に提示する。土地と、黄金。この二つが組み合わさることで、銀行は貴方に、黄金の価値を遥かに超える天文学的な融資枠を提示するでしょう」

 

「レバレッジ、というわけか」

 

アレクセイは、マハトから聞きかじったばかりの近代的な知略を口にし、自らが時代の先端を行く知略家であるかのような優越感に浸った。

 

「左様でございます。貴方の持つ『本物の領地』が、この魔法のような黄金の価値を『真実』として裏付けるのです。銀行家たちは、名門一族の土地が担保に入っているというだけで、何の疑いもなく金庫を開放するでしょう。黄金を人目にさらす必要すらありません。これこそが、帝都へ返り咲くための最短、かつ唯一の航路です」

 

 マハトの言葉は、アレクセイには甘美な福音として響いた。土地も農地も、もともとは自分のものですらなかった故に愛着などない。それらは、帝都の華やかな社交界を取り戻すための「チップ」としてしか映っていなかった。

 

「……面白い。その共同担保とやらで、帝都の銀行から絞れるだけの金を引き出せ。私の『名誉』と『黄金』を、一つの天秤に乗せてやる」

 

マハトは、淀みのない動作でペンを差し出した。

 

「賢明な判断です。これで貴方の資産価値は、物理的な制約から解き放たれました」

 

 アレクセイが尊大に署名を書き進める傍らで、マハトの瞳は淡々とその光景を映していた。

 

 

 

 

 帝都の夜は、ヴァイゼの静寂とは無縁だった。

 最高級のクリスタルグラスが触れ合う澄んだ音、着飾った貴婦人たちの耳障りな笑い声、そして金で買い叩かれた称賛の嵐。アレクセイ伯爵は、その狂乱の中心にいた。

 帝都の一等地に構えた豪邸のサロンで、彼はかつて自分を冷遇した貴族たちを前に、惜しみなく「未来の富」を振りまいていた。

 

「……見たか、あの侯爵の顔を。かつて私を『落ち目の田舎貴族』と呼んだ男が、今や私の融資枠に預かろうと列をなしている!」

 

 アレクセイは、極彩色の刺繍が施された服の襟を正し、上機嫌で深紅のワインを煽った。

 

「すべては計算通りです、伯爵。貴方の『信用』という銘柄は、今や帝都市場で最高値を更新し続けています」

 

 影のように傍らに控えるマハトが、感情を排した声で告げる。その手には、次々と舞い込む社交の招待状ではなく、膨大な数の「追加融資契約書」が握られていた。

 

 マハトが仕掛けた「共同担保パック」は、帝都の銀行家たちを熱狂させた。

 ヴァイゼの肥沃な農地という「確かな担保」と、倉庫に眠る莫大な黄金という「圧倒的な余剰資産」。この二つの組み合わせは、アレクセイに実資産の十倍を超える融資枠をもたらしていた。

 

「伯爵、さらなる攻勢を。次の官職を買収するためには、もう一段階のレバレッジが必要です。ヴァイゼの鉱山採掘権を、現在の融資の二次担保に設定しましょう。なに、一時的な手続きに過ぎません。黄金がある限り、誰も異を唱えない」

 

「よかろう! 鉱山でも何でも書面に加えろ。どうせ来月には、帝都の利権で倍にして買い戻せるのだからな」

 

 アレクセイは、マハトが差し出す契約書に、もはや中身も読まずにサインを書き殴った。

 彼がサインするたびに、ヴァイゼの土地は切り売りされ、帝都の銀行へとその所有権が実質的に移転していく。しかし、手元に流れ込む莫大な「数字」が、彼の恐怖を麻痺させていた。

 アレクセイが贅沢を尽くせば尽くすほど、彼の「本物の資産」は銀行へ、そしてマハトが裏で操る投資グループへと吸収されていく。一方、担保の核となっている「あの黄金」がどうなっているかなど、アレクセイはもう確認する余裕すら持っていなかった。

 

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