「……おいおい、お嬢ちゃん。なんだありゃ。この世の終わりか?」
超人オリオンは、背後に庇っていた女子高生・あかりを促しながら、瓦礫の山となった大通りへと踏み出した。死滅回游という名の殺し合いが、呪術師たちの精緻な理屈と血塗られた執着で塗り固められた地獄であることは、転生者としての知識で理解している。だが、目の前で繰り広げられている光景は、そんな殺伐とした空気とは一切無縁の、あまりにも「異質」で「場違い」なものだった。
「……ははは! 決まったぜ、今のボケ! センターマイクがないのが悔やまれるなぁ!」
爆笑。あるいは、絶叫。
そこには、半身だけがヒーローコスチュームのようなタイツに包まれ、もう半身は裸という、変質者一歩手前の男が立っていた。男の名は高羽史彦。売れない芸人でありながら、この地獄において「最強」の一角を担う術式、『超人(コメディアン)』に目醒めた男だ。彼の周囲では、襲いかかろうとした呪霊たちが、なぜか巨大なハリセンで叩かれたり、タライが頭に落ちてきたりといった「古典的なギャグ」の物理現象に翻弄され、戦闘不能に陥っていた。
「……ぷっ。あははは! 何あれ!」
それまで恐怖に震えていたあかりが、思わずといった様子で吹き出した。
その瞬間、オリオンは感じた。張り詰めていたあかりの「負の感情」が、高羽という男の存在によって急速に霧散していくのを。呪術師が呪力を生み出す糧となる負のエネルギーが、笑いという正体不明の濁流に飲み込まれていく。
「ほう……。理屈じゃねえな、ありゃ。世界そのものを自分の世界へ引き摺り込んでやがる」
オリオンは面白げに口角を上げた。かつて神代の海で神を射落とし、迷宮都市で女神を救い出した英雄にとって、目の前の男が振るう「笑い」という力は、どんな術式よりも高潔で、そして強力なものに見えた。何より、この絶望的な死滅回游の中で、少女に笑いを取り戻させたその手腕は、称賛に値する。
「よお、そこの派手な兄ちゃん! 随分と景気のいい戦い方してんじゃねえか!」
オリオンが三メートル近い巨躯を揺らしながら歩み寄ると、高羽はビクッと肩を震わせ、仰け反るようにして彼を見上げた。
「うわぁぁぁ!? デカい! 何これ、進撃のナントカ!? あるいは海外のプロレスラー!? ……あ、でも待てよ、このサイズ感……。もしかして、コントのセットとか、そういう系の仕込みか?」
「ハッハッハ! いいぜ、セットだと思ってくれて構わねえ。俺はオリオン。しがない猟師だ。こっちのお嬢ちゃんを連れて、このクソみたいなゲームの盤面をひっくり返しに行こうと思ってたところさ」
オリオンは黄金の輝きを帯びた大きな掌を高羽に差し出した。
高羽は、目の前の巨漢から放たれる呪力――いや、霊基の圧力に圧倒されながらも、その瞳に宿る屈託のない好意を感じ取り、恐る恐るその手を握り返した。
「猟師……。え、じゃあ今のデカい棍棒も小道具じゃなくて本物? マジかよ、今時コンプライアンス的に厳しくない? あ、俺はピン芸人の高羽! よろしくな、デカい相方!」
「相方、か。悪くねえ響きだ。お前のその『笑い』、気に入ったぜ。この暗っ苦しい街を、お前が笑わせて、俺がぶん殴る。これ以上のコンビもそうはいねえだろ?」
こうして、神話の超人と売れない芸人、そして守られるべき少女という、前代未聞の三人組が結成された。
三人が歩き始めると、すぐに次の泳者が姿を現した。それは得点を稼ぐことに憑りつかれた呪詛師であり、その瞳には慈悲の欠片もない。だが、彼は次の瞬間に、この世の真理(ギャグ)を思い知ることになる。
「死ね、受肉体……!」
呪詛師が放った強力な呪呪の奔流。だが、高羽が「ここで水鉄砲だったら面白いな」と想像した瞬間、その呪力は鮮やかな虹色の水へと変わり、呪詛師の顔面に勢いよく噴射された。
「……ぶふぉっ!? な、何だ、これは!?」
混乱する敵に対し、オリオンは弓も棍棒も使わず、ただの「デコピン」を繰り出した。
「――おっと、あんまりお嬢ちゃんを驚かせんじゃねえよ」
ドォォォォン!!
指先が空気を爆ぜさせ、呪詛師はまるで砲弾のように錐揉みしながら吹き飛び、遠くのビルに埋まった。高羽の術式によって「シリアスな死」が否定され、オリオンの「圧倒的な暴力」がそれをギャグのような結末へと変換する。死滅回游という名のシステムが、彼らの前では完全にバグを起こしていた。
「……ぷぷっ。オリオンさん、今のすごすぎ! あはは!」
「だろ? 高羽のボケがいいから、俺のツッコミも冴えるってもんよ」
あかりの笑い声が、廃墟となった東京に響く。
本来なら呪い合うはずの結界の中で、この一角だけは明るい空気に包まれていた。
「よし、次はあそこの方へ行ってみるか。高羽、面白いネタの準備はできてるか?」
「おうよ!ネタの準備はばっちりだぜ! オリオン、お前は思いっきりツッコんでくれよな!」
弓を背負った狩人と、売れない芸人が肩を並べて進む。
その後ろを、希望を取り戻した少女が追いかけていく。
最強の術師たちが理屈をこねくり回す死滅回游の盤面に、最大にして最悪の「番狂わせ(コメディ)」が吹き荒れようとしていた。
絶望のシナリオを、彼らは一歩ごとに塗り替えていく。
理不尽を暴力で砕き、絶望を笑いで散らす。
超人オリオンの新たな旅路は、明るく、そして騒がしいものになりそうだった。