DCユニバースvsプラスチック姉さん 作:スカンジナビア半島
山田純一が目を覚ますと、
彼は殺されかけていた。
前も後ろも横も斜めもマグマに囲まれ、
どこにも逃げ場がなかった。
勇気を出してやってみようと言うには。
メンヘラの前でマグマに走っていくのは
危険が大きすぎた。
「起きた」
「起きちゃった」
「会いに来ちゃった」
「来ちゃったねえ」
微笑みを浮かべ、相手の調子に合わせる。
たしかガーフィールド・ローガン、
ビーストボーイはネズミファイターの標的に選ばれていた。
そして何やら恐ろしいゴリラみたいなのが来たと思ったら
意識を喪ってこの何処かも知らない山奥にいた。
ここは何処なのか。
まるで検討もつかない。
ビーストボーイは大丈夫なのだろうか。
メンヘラがタイプと
メンヘラに付き纏われているの違いはあるが、
どちらもメンヘラに消えない傷を負わされた共通点がある。
彼も言っていたが他人とは思えない繋がりを感じた。
願わくば、辰姫に良い感じに見逃されていて欲しい。
「ビーストボーイさんが探していたよ。
会いたがっていた」
「あんたをどうやって殺そうか考えてたんだよ」
言葉が通じていない。仕方のないことだ。
山田を殺して感情のボルテージをリセットするはずが、
ビーストボーイに邪魔をされ、
今やテラ・マルコヴの顔面は表情らしきものすら見えない。
首から噴火中の火山が生えているようなものだ。
そんな人間ががこの宇宙にはいると、
さっきビーストボーイに聞いたばかりだった。
「苦しませずに殺して?」
「イヤ」
「でも考えてごらんよ。
もう辛抱たまらないんだろう?
殺したくて仕方ないんだろう?
殺そうぜ! それからなにもかもを考えようぜ!」
「はぁ? なあんであんたに指図されないといけないの。
こっちはさあ、結構な仕事を終えてようやく解放されたってわけ。
だからしばらくクソみたいなバイトしながら生きてみよって思ったら、
あんたがいたもん……その理解者ヅラして話しかけてくるの見たらさあ……」
爪を立てて掻き毟り過ぎて
テラの額を赤い血が垂れ幕のようにかかる。
狂気に歪んで淀んだ双眸は一目で相手の異常性を物語っていた。
「じゃあ殺しなよ。怖い思いをさせる前に殺せー!」
「もう、うるさいなあ。取りあえずは左足首を溶かすね」
「違うー! 一発で殺せー! 一秒与える度に逆転されるんだぞー!!」
「わざわざダークサイドに囮を頼んだんだから
あるわけないでしょ。どこに宇宙最悪魔王無視してあんたを探しに来るのがいるの」
正論を突かれてしまった。
それはあまりに当然の話だ。
とりあえず時間を少しでも稼ぐつもりではいるが、
ダークサイド退治ってどれくらいの時間がかかるものなのか。
「ちぇっ。なんかさあ、ガッカリだよなあ」
「ああ?」
拗ねた風に青年は溜め息を付いた。
「結局さあ。よくいるメンヘラなんだよなあ。
こっちの言うことには雑に反発して
なんか鳴いてると思っても言うことはワンパでさあ。
普通ならそれでおしっこ漏らしても、俺には昼下がりのコーヒーブレイクさ。
もっと高みのメンヘラを目指すつもりはあっっっつぁ!!!」
メガネにマグマが跳んで、
溶けたフレームが肌を焼いた。
口と鼻の近くをマグマが通ったのは初めてだ。
眼鏡が無くなった。
ハッキリと視認できていた
テラの顔がぼんやりとしたものにしか見えない。
眼鏡常用者が裸眼でいるというのは、実質的には盲目同然だ。
「そのさあ、俺はわかってるんだぜって顔が駄目なんだよ。
あんま調子に乗られたら街ごとマグマで染めたくなって当たり前じゃん」
「たしかにそうだね。俺が全部悪かった。
君は君の望むようにしなよ」
時間稼ぎと誘導は通じない。
他にできることはと頭を必死に働かせてみる。
有効的な作戦は出て来ない。
あるとすれば、祈ることだ。
なにか素晴らしいことが起き、
こちらが何か良い具合に助けてもらえる。
そんな事態が起きることを。
「じゃあとりあえず今のでこっちの気分が悪くなったから
まずは指を一本行くよ。親指からねー」
「危なーーーーーい!!
空からスーパーマンが来てくれた!」
反射的にテラが空中に岩石を投擲した。
空を切り、天井に穴が空いて日が差し込んだ。
土と岩の塊が山田の肩に降りかかる。
いくつかは肩甲骨や足に当たり、強い鈍痛をもたらした。
一度しか使えない手だが、
とりあえずスーパーマンには引っかかった。
残念なことに、ここに来ることはできないようだが、
それでも“その時”が来るのを引き伸ばせた。
「あああああ!! 騙した嘘ついた!!
絶対に許さない、もう顔も見せるな!!」
「これが俺の顔だろぉ?
おいおいもうこのハンサムを見飽きたってのかい?
もっと近づいてご覧よ」
爆発した感情を
メンヘラいなしの達人は受け流す。
しかし、それでも限度はあった。
山田のシンプルな引っ掛けに見事に足元を掬われたテラが、
地団駄を踏んで発作的に
煮えたぎる溶岩を立ち上らせた。
青年の挑発がどうにか彼女の感情の上昇を削るより先に、
時間切れが来た。
あらゆる手段も超えて、
メンヘラの大津波が青年の元にやってきた。
「アザラス メトリオス ジントス!」
物々しいハスキーがかった声、
眼球のないのっぺりした顔貌の烏が
山田青年を咥えて運んだ。
山田にはまったく未知の領域だが、
精神体を烏の形にして
飛ばしていた。
「大丈夫だった?」
冷たさと優しさの混じった声音。
先端が顔の中央に垂れ下がったフード、
伸びるコートがさっきの烏と同じ印象を与える。
細い腕で腹が膨らんでいる山田を
軽々と抱きかかえ、見下ろしていた。
「は、はい……」
紫に染めた髪につんと鋭い眼光。
この世の全てに敵対しているような
拗ねた姿勢を抱えているだろうオーラ。
間違いない、人気キャラだ。
海外アニメを観ると
いつも出てきて出る度に
主役をぶっちぎって人気になるタイプだ。
スタバでガーと会話をした時にも話題に上ったことだ。
世界の大半は気弱でオドオドして
いつも俯いているタイプもそれなりには好きだが、
それ以上に一匹狼でサバサバして輩系には雑対応だが
そうでない相手には優しさを垣間見せるタイプに格別の脆弱性を見せる。
世界はこういうタイプに何故かいつも弱いのだ。
そしてレイヴンは間違いなくそのタイプだ。
全世界の理想に手足が生えたような女性を
実際に恋人にしている人間。
山田はそんな男に、生で接したのだ。
「なんでガーさんは、
あんな殺される寸前のプッツンした時の
デナーリスみたいなのに長々と拘っているんだ……」
自分の彼女(自称)と妻(勝手に婚姻届を出して入籍した狂人)を
思い浮かべ、あまりの格差の違いに愕然とした。
ショックのあまり、極めて無礼なことを呟いてしまった。
「まあ、あいつはバカだから」
肩を竦めてガーの恋人、レイヴン/レイチェル・ロスは苦笑した。
なんというまともな振る舞いか。
シニカルに“あいつはバカだから”と苦笑するのが、
どれだけ魅力的な好意の表明の仕方になることか。
ビーストボーイは紛うことなき狂人だ。
こんな女性と付き合っていたら。
殺戮型のメンヘラなんて悪い夢になって当然だろう。
話を聞き、彼の好みを知って、
レイヴンというヒーローもまた
どうせミザリーの一種か、その進化形態なんだろと思っていたのに。
山田は裏切られた気持ちになった。
「ガーに色々と相談されたんでしょう?
ありがとうね、あいつ、私にはあんまり
テラのことを話してくれないから」
感謝の言葉を述べながら、寂し気に微笑むレイヴン。
あまりに真っ当で善良過ぎる。
心に父譲りの邪悪な側面があるからなんだという話だ。
そんなの表に出まくってるメンヘラに比べたらそよ風にもならない。
「きっと貴女に心配かけたくないんですよ。
だって、もうアレですよ。
あのイカレに比べたら貴女は全てが勝ってますもん!」
「フフッ。そうだってさ」
挑むようにレイチェルがテラを睨みつける。
一触即発と言うにはすでに爆発を続けているテンション。
殺戮型のメンタルの持ち主が歯軋りをした。
「あのマヌケ糞野郎の女がなにしに来たわけ?」
「死んでも治らない糞女をまた眠らせに来た」
「ああ、そうしないと彼氏があんたと寝てくれないからね」
「スレイドと寝たくらいで、そんなに優越感を持てるのは羨ましい。
あいつ、色んな十代のヒーローにモーションかけてるけど……
ただロリコンの一番有名な情婦だったのが、そんなに嬉しい?」
「舐めてんじゃねえぞ、悪魔。
少しヘラったら世界滅ぼすような火薬庫が
まともヅラしてんじゃねえよ」
「大丈夫? スレイドを呼ぼうか。
もう肉片になってるかもしれないから、話はできないかな。
でも肉片相手なら優位に立った交際もできるんじゃない?
前はただ体を預けて喰われるだけで、スレイドと付き合ってるつもりだったでしょ」
「雑魚がっ!!!!」
テラの顔中に怒りの血管が浮かんだ。
頭に血が上り、殺意に染まった。
おっかなくはあるが、安定期が終わったらよく浮かべる貌だ。
それよりも圧倒されるは
レイヴンのテラへの敵意だ。
山田にはとても優しい彼女の横顔が、
テラの相手をしている時は
いつもの奴ら/メンヘラぁと重なる。
ガーが言うには
レイヴンは初対面時は
仲間を洗脳して思う通りに動かすなど
問題行動を取っていたらしいが、
この様子を見れば頷けるものがあった。
テラが浮かべた岩石が空中で研磨され
レイに撃ち出される。
「アザラス・メトリオス・ジントス」
アストラル体が羽ばたきで
黒曜石の弾丸を打ち落とす。
それからも弾丸の雨嵐が襲い来るのを打ち落としていく。
地下からマグマが立ち上がるのを予期したレイヴンが
浮遊して避けると、それよりも上に陣取っていたテラが
小さな山程はある岩を落とす。
「そんな……」
レイヴンの記憶ではテラはあくまでメタヒューマンとしては
かなりの才能を見せる程度のものだった。
だが、今の彼女はそれよりも遥かに超越的な質量を自在に操っている。
彼女が協力していたというアポコリプスに何かされたのか。
レイヴンは横目で山田を確認する。
対メンヘラに特化した洞察力と機転は
ゴッサムでも生き残れるレベルだろうが、
こうして山程の岩を落とされれば、シンプルに殺される。
レイチェルの眼光が金色に染まり、
額が避けて第三・第四の眼が開いた。
巨大な鴉が顎を開き、山を呑み込まんとする。
激しい抵抗を得、レイチェルの精神体である鴉の喉が奇形に膨らんでから、
鴉が山を呑み込み終えた。
「一仕事終えたつもりかよ」
父親と同じ地獄の炎と同じ肌の色になったレイヴンに、
休む間もなく同形の岩が轍を高速で拵えながら
第二陣攻撃が展開された。
「……ジントス!」
アストラル体を酷使して山を呑み込ませるが、
如何せん相手の出力が圧倒的だ。
宇宙最強の魔術師とさえ称される、
出力だけならザターナや購買のババアも凌駕確実と言われるレイヴンをして、
テラの攻撃力は圧倒的に過ぎた。
巻き上がる粉塵が太陽を隠し、
夜勤明けだというのに、光が周囲から消える。
「テメエさあ、腑抜け過ぎじゃね?
ティーン・タイタンズは怖気が走るショボいガキどもの群れだったけど
トライゴンの血だけは、クールと言えなくもなかったのにな」
「……タイタンズのなにが悪い?」
手の甲で汗を拭い、レイヴンが睨みつける。
線の細い肢体をゴスチックなファッションで固めるのが彼女のスタンス。
それで威圧感を与えることはあるが、
この時に限っては
「ガキっぽい。大人に相手にされないから
二線級止まりのガキ同士でつるんでるだけじゃん。
大人に勝てるヒーローがどれだけいた?
ロビンとキッドフラッシュくらいしかいなかった」
「………私はみんなに救われた」
「ガキにチヤホヤされるのが気持ち良かっただけだろ。
精子臭え連中と恋愛関係なって楽しいことあったとでも?」
「それで貴女は大人の世界に触れたつもり?
貴女を気にかける全てを罵倒して
力と体をスレイドに搾取されて何が残った?」
「あんたらがうぜえクソガキだと理解できた」
「デスストローク…………
スレイド・ウィルソンより幼稚な人間がこの世にいると思ったことがなかった」
大きく深呼吸し、
肌の色を地獄の炎から血色の悪い色白に戻った。
フードを目深に被り直し、口元を歪め、嘲笑した。
「貴女にはデスストローク程度が大人に見えていた理由が、今わかった。
幼稚なロリコン親父しか同類に見えないんだね」
「死にやがれ化物が」
テラの掌から重力波が放たれ、
レイヴンの全身に高負荷の重力がかかった。
顔面から地面に落ちたレイヴンの骨と内臓が次々にひしゃげていく。
それを眼の前で見ているだけの山田。
こんな戦いに対して、
お腹に肉がたっぷりついてる大学生ができることなどない。
それは事実。だが山田はメンヘラを前に退却の心を持ってはいない。
「おい、俺も混ぜろよ」
レイヴンを潰しにかかっていた狂い女の肩に腕を置き、
山田がにこやかにキメ顔をした。
一瞬、テラの注意がこちらに集中した。
全身が圧壊間近だったレイヴンがアストラル体でポータルを開く。
「おいなんだその手は」
「なんだよ、俺とテラたんの仲だろ?」
「鳴くんじゃねえ豚。
ブヒブヒする暇あったらその前足をどけろ」
「ブヒ? ブタさん、わかんないブヒ」
「舐めんな!」
能力を振るって攻撃を仕掛けた狂人の意識が途切れた。
眼球の焦点も歯の根も噛み合わないほどに激怒していた女。
怒りの連続性が確かに途切れた。
「ああ!? なんだテメエ、その汚え前足を──」
山田が手を離して離れると、
さっきと同じようなことをテラが口にした。
行動に移す前に狂い女はまたも意識を無くした。
普通ならそのまま崩れ落ちるのを、
すぐに意識を取り戻したのはテラのメタヒューマンとしてのパワーが故か。
山田も知っている症状だ。
これが来るとわかっていたから山田は肩を叩くだけで離れた。
断続的に意識と感情の連続性を失うテラ。
通常なら、それだけで闘争心を失ってもおかしくない。
「なんだ……何が起きてる!?
何処だここは! あたしは何をしている!」
違和感と嫌悪感を顕に憤る彼女が吸っているのは記憶を失う気体だ。
山田も複数回、それを嗅がされ、
「最近そればっかだけど、ワンパじゃ強いメンヘラになれないよ?」
といった旨のことを告げてようやく使用を控えてもらったもの。
敵にも味方にも旦那にもその母親にも平気で
毒を嗅がせて記憶を消しにかかる悪魔。
メンヘラの化身、
メンヘラの女、
彼女はメンヘラ。
「こんなとこで何してんの、ブタ」
戸籍上は山田の妻、
中身は山田の家族でも平気で薬を盛る悪魔。
美少女・佐々木さんだった。
「見てわかるだろう? ヤバい人に攫われて酷い目に会ってるんだよ」
「ぐっ……なんなんだ……!?」
メンヘラ、それも殺戮型ともなれば
感情の波は大陸を呑み込んで洗い流すビッグウェーブ。
だがその弱点は波が途切れることだ。
理性と人格を感情の犬にしているメンヘラは、
リズムに乗れば誰にも止められないが、
逆に言えばそれを止めれば身動きを取れない。
「んじゃあ、こいつを殺せば良いんでしょ」
「おっとぉ」
スムーズに包丁を抜いた佐々木さんが
テラに切りつけた。
狙いは一直線に頸動脈。殺意しかない。
それを手首を掴んで止めた山田。
戸籍上の夫として、メンヘラの行動を見事に読み切っていた。
「何やってんの?」
「おいおい駄目だぜ、佐々木さん。
そう、その人殺しの瞳!
可愛くないなあ……お母さんとして相応しくない!」
「……誰の?」
「やれやれ、お嫁さんは鈍感だぜ」
さっきまで溶岩の熱気でポカポカしていたとは思えない立ち回り。
だが山田にとってはメンヘラの対処から別のメンヘラの対応にシフトするなど、
お茶の子さいさいである。
佐々木さんの鼻を人差し指で軽く押す。
「眼の前に俺の子供を産んでくれる女神がいるだろぉ?」
「やぁん」
頬を染めた佐々木さんが包丁を握ったまま、火照った頬に指を添えた。
横目で凶器にかかる握力を確認するが、
まだプルプルと震え、殺人解禁の時を待っている。
これではまだ収まらないようだ。
「でもね山田くん。この女を殺して何が悪いの?
どうせメンヘラだよ? メンヘラは一人でもいなくなった方が世界平和に繋がるよ」
「おめぇ鏡見ながら同じこと言えっか?」
「あ゛あ゛っ゛!?」
「うんごめんね俺が全部悪かった」
刃先がこちらに向いたのを確認し、
旦那は白旗を上げた。
今、メンヘラに殺されるのはまずい。
純粋に敵が二人に増える。
「舐めんなっ!!」
記憶をメチャクチャにシェイクされたテラが
白目を剥きながら叫ぶ。
そう叫んでもすぐに記憶を失う。
仕方のないことだ。
テラの風上にはガスを入れた瓶が置かれている。
メンヘラの風下に立ったらガスを吸わされる。
専門家には常識の事実だが、
こういうのは往々にして当人は無自覚なもの。
山田は佐々木さんからのリアルタイム鬼電と鬼SMSがあったから
接近してくるのと到着までの時間を予測し動けた。
奇しくもメンヘラとの連携攻撃が成立したのだ。
「とにかくレイヴンさんを起こそう。
重い怪我がなければいいけど……ガスはまだ保ちそう?」
「もう5瓶しかないよ」
「それ何に使う気だった?」
「うるさいなあ。助かったのに感謝の言葉もないの?」
いいから何に使う気だったから答えろよ。
「アリガトウ」
「うん!」
美少女による満面の笑み。
それに心が大きくは動じなくなったのはいつからか。
あまりにも美少女と関わり、殺されかけてきた。
「ああああああ!!!」
テラが狂気を深めて
地の底から来る咆哮をあげる。
大地そのものが波と揺れて
周囲一帯を破壊する。
テラによって巻き上がって晴れなかった粉塵雲が、
同じく彼女の狂乱で掻き消された。
まだ時刻は昼間の15時ほどのはず。
だが、その空はすでに黒い光に染まっていた。
「何あれ」
巨大な黒い太陽が、本来の太陽を隠し、
世界を暗闇に染めていた。
「あーなんか来る時に出てた。
それより大丈夫? やっぱ殺しとく」
「ちょっ、佐々木さん!!」
メンヘラの極みである佐々木さんにとって、
勢いが弱まった同属性の波は
十分に対処可能なもの。
日常的に同じメンヘラと型は違えど殺し合ってもいる。
対メンヘラ戦にも長けているのが
佐々木さんのバトル特性でもあった。
「大丈夫大丈夫、ちょっとチクっとするだけですぐ死ねるよ」
「やめとこうぜ!?
相手は殺戮型でも命は一個しかないんだからさあ!」
「一回殺せば終わりならヤッとこうよ」
「う、う〜〜〜〜ん……」
一瞬、正論に思えてしまった。
そもそもメンヘラとは生きている限り、
自動的にターゲットを追跡するものである。
つまり、死ぬまでメンヘラによる被害は終わらず、
一度、山田をロックオンしたということは
テラは永遠に止まらないのだ。
それは佐々木さんを見ればよくわかる。
第二の佐々木さんを生むくらいなら
殺してやるのが慈悲にも社会貢献にも思えた。
「お前、俺達のベイビーを殺人者の子にするんじゃねえぜ!
結婚式は来年のお正月なんだろぉ!?」
「えぇっ!?」
良くない考えに傾きそうな弱い己を叱咤し、
男はまっすぐに声を張り上げた。
聞いた狂人は動揺して包丁を落とす。
「もう結婚と子作りする気なの?」
「いや、ないけど。嘘だよ」
怯んでしまった。
包丁がテラの首を切断しにかかった。
「高校卒業した日は全身孕ませてやるよぉ! 絶対に逃さねえぞ俺の女ぁ!」
「やっと自分の心に素直になってくれたね。
この時を待ってたよ」
両目に涙を浮かべて佐々木さんは頷く。
まんまと追い詰められて言ってしまった。
だが、これで尊い人命を────
「でもこいつは殺すね」
「あっちゃあ……」
無念だ。
佐々木さんはテラを殺すのを撤回する気はないらしい。
額に手を当てて山田は佐々木さんが人を殺すのを
せめて見届けようと思った。
こうしている間もテラの狂乱は止まらないが、
山田も佐々木さんもメンヘラの大荒れは
ホームグラウンドなので特に思考や行動に影響はしない。
「もう、アーアーうるさいなあ」
警察官の父譲りの制圧術で
テラに裸絞めをし、
そのまま逆手に持った包丁で首を裂こうとした。
「クソガキがああああ!!!」
テラが不確かな意識で力を爆発させた。
波ではなく、爆発。
これには山田もとっさに回避行動を取る。
彼がいた場所が力に当てられ、粉塵に砕ける。
旦那からは妻の姿が見えなくなった。
胸騒ぎがする。
いくら佐々木さんが人の血の通わぬ悪魔とは言え
あんな力の嵐を接近距離で受けたら──
「チクショウ! 死なないでくれ!
死なずにいつかきちんと法の裁きを受けて
世間にストーカーと殺人未遂と不法侵入と盗聴・盗撮はいけないことだと
その懲役をもって知らしめてくれ!!」
「いえーい」
「佐々木さん!」
初めて聞いた佐々木さんの「いえーい」。
テラの口に瓶を突っ込んで鼻と口をテープで塞いだ彼女が、
多少の擦り傷を拵えながらピースしていた。
「よく生きて……なんで生きて……
死なないのはよかったけどちょっとくらい……
なんで……とにかく安心した!!」
「好きって気持ちで女の子は力持ちになれるんだよ!」
「とにかくガーさんに会わせてあげよう」
もうテラが暴れることはないだろう。
どれだけテラと関わっても
彼がこの女に心を掴まれている理由はわかりそうにない。
他人の事情も心の問題も理解するには限度があるものだ。
「無事かい!?」
全てが終わって遅れに遅れた状況でビーストボーイがやって来た。
真っ先にテラよりも山田のところに来て
様子を確認したのはありがたいが、
できればもう少し早く来てくればと思った。
とは言え、彼もレイヴンもヒーローだ。
それもタイタンズと言えば
ジャスティス・リーグ、ジャスティス・ソサエティと並ぶ
世界最強のチームの一角。
ダークサイドが何故かモールで
警備員のアルバイトをしていたのだ。
あの後にどうなっていたかなど
一般人の彼には想像もできない。
「大丈夫です。
あなたの恋人と、佐々木さんが来てくれました。
ほら、佐々木さん。挨拶して」
「…………これ貴方の元カノさんですか?
何考えてこんなのと付き合ってたんですか。
おかげで山田くんが殺されかけましたよ」
お前もいっつも殺しに来てるだろ。
ギリギリのところで言うのを堪えた。
佐々木さんの指摘は恋人として真っ当なものがあった。
恋人だという事実を消したいのを除けば。
「ごめん! まあ正確には元カノでもなかったけど」
「こういう時は素直に平謝りしなって」
膝の裏を蹴ってレイヴンが起き上がって来た。
頭から血が出て眼が4つに増えて、
肌が地獄の炎の色になっているが命に別状はないようだ。
童顔気味なハンサムと、
パンク寄りな一匹狼系のカップル。
絵に書いたような海外アニメに出てくる二人だ。
なんだこの差は。こっちは今も人型ミザリーといるのに。
山田は現実の残酷さに打ちひしがれた。
「本当にごめんね!
とにかく許してくれ。
こんなに可愛い彼女さんを不安にさせたんだから何言われても仕方ないと思う」
「いや……まあ……いいですけど」
ハリウッドで活動していたくらいの
世界的芸能人が相手でも
佐々木さんの反応は何も変わらなかった。
だが“可愛い”と言われたことで
照れてしおらしくなった。
メンヘラだけあって佐々木さんは
褒め言葉には抜群に弱い。
それも無垢な称賛には。
「それよりもテラさん、もう無力になっているはずですけど
何か話したいことありますか?」
「…………」
「佐々木さん、ビーストボーイさんに
そのおっそろしく凶悪なガスの使い方を教えてあげて」
企業秘密として断るかと思ったが、
意外にも大人しく応じてくれた。
可愛いと言われたのが効いているのだろう。
使い方を説明してもらい、
瓶を受け取ってビーストボーイは
テラの口の封印を解き、
口内にある瓶を取り除いた。
戦いが始まってからの記憶を無くしたテラは、
ただ状況の理解と、
激情の一時停止をしただけだ。
何か起きるだけの危険はある。
見守っているレイヴンが腕組みをし、
指に力を込めた。
彼の行動に対して不安や心配を表に出さないが、
それでも内面は別のはずだ。
「久しぶりだね、テラ」
「ガーフィールド・ローガン」
一切の感情も表さずにテラは彼の名を口にする。
これまでの無限の怒りを全てにぶつけいてた者とは思えない、
無関心で無表情な様だった。
相手に好意も嫌悪もないのが見えていた。
ガーはそれを知ってか知らずか、
気さくで爽やかな笑みを浮かべて語りかける。
「最近どうしてる?
俺はこの間、ちょっとこのチェンジリング細胞が異常暴走を起こしてしまって
けっこう酷いことになってたけど、今もなんとかタイタンズにいるよ」
ガーはぎこちない世間話をして
歩み寄ろうとしているが、
テラはじっと見上げるだけだ。
それからも色々と言葉のやり取りを試みるも、
空に浮かぶ黒い太陽が冷たく熱し、
空気を嫌なものにしていく。
右腕の肘を手で抑え、
ガーは意を決して猫の姿に成った。
二足歩行をする緑色の仔猫だ。
顔がデカく、くびれがなく、
何も考えていない平和と愛を体現した姿だ。
「君を喪ってからずっと考えていたんだよ。
俺は君のことを何も理解できなかった。
きっと一方通行の感情を持っていただけなんだよね」
二足歩行の仔猫が、
睨みつけるテラの手足を縛るロープを
牙で噛み切った。
正気ではない。
いくらガスの方が速く届いて
無力化できると言えど、
相打ちで終わってしまうことは十分にありえるのだ。
「ペットセラピーって知ってるよね。
動物と一緒にいたら、心が落ち着いて
カッカした気持ちが穏やかになるの。
俺は君を理解できなかったけど、
せめて君の気が落ち着くまでは一緒にいるよ」
自らの強すぎる力でボロボロになった手に
ガーは自分の頭を擦り付ける。
ペットセラピーの効果は実証されて久しい。
動物と触れ合うことでストレスの源であるコルチゾールの分泌が減少、
セロトニン分泌が活発になり、
心拍数と血圧が下がるのだ。
スーパーマンは世界一高名な愛犬家であり、
スーパーガールは愛猫家、
バットマンの家にいたっては
犬と猫とドラゴンと牛がいるという。
人間は高い頭脳を持つからこそ、
無垢なペットが必要なのだ。
近年の専門家によるとゴリラシティはうつ病患者が多いそうだが、
それもゴリラにはペットを飼う文化が希少だったからだと言う。
自らの頭部に手を載せて
ガーはふわふわの体毛を擦り付ける。
実に可愛らしい仕草だ。
ビーストボーイが動物に変身するだけでなく
動物の動きと振る舞いをマスターしているのがわかった。
テラの異常な性質、精神、気性。
それを愛好するだけでなく
理解しようとし、
無理だとわかっても寄り添おうとする姿に、
狂える毒婦、売女の中の売女でも、
纏う気配が変わった。
山田にはわかる。
安定期に入ったのだ。
あれほどに常に劫火してる鬼が。
「ガー、ありがとう。
その気持ちは本当に嬉しい」
自由になった両手で猫の頭部を撫でる、
両手で小さくて丸い顔を包み、
揉みほぐすと、猫の流体ボディがふよふよ歪む。
山田が横目でレイヴンを確認する。
複雑そうだが、恋人のやることに異議を立てるつもりはないらしい。
裸眼ではほとんどわからないことではあるが、
直感的にそう思った。
「ねえ。もう帰らない?」
服の裾を摘んで佐々木さんが提案した。
一緒に帰るのは気が引けし、
どっと気づかれたしたからすぐに風呂に入って寝たい。
「そうだ、これ」
差し出された眼鏡ケースを開ける。
中には溶かされた眼鏡と
寸分たがわぬ同じ物があった。
度もフレームも、新品なのに使い慣れた心地だった。
「山田くん、いつも変なのに付き纏われるでしょ?
だから私達の結婚資金を少し捻出して用意してたの。
いつ壊されるかわかったもんじゃないし」
「僕がバイトで稼いだ金で用意したわけだね」
「それにちょうどよかったよ。
眼鏡でもいい加減、雌豚牧野のくっせええええええええええええええええええ!!!!!!!
おええええええええ!! 思い出しゲロしそう!!
あんのスケベ臭ずっと我慢してたんだよねえええええええ!!!」
「うん……急にどうした?」
「わからないなら幸せだよ。
雌豚とヤリマン豚のさあ!!
臭いがさあ! ワンチャン、他人のを取ろうって魂胆が
下水にこびりついたドブネズミの糞みたいにさあ!!
こびりついてんの!! 眼鏡のレンズとツルに!!!!!!
おええええええええええええええ!!!!!」
「やれやれそうなのかい」
テラが治まったと思ったら今度は佐々木さんだ。
これさえなかったらほんの少しはマシになるのだが。
仕方ない。メンヘラの波は突然に来る。
一人で吐く真似を繰り返す佐々木さんを放置し、
山田は眼鏡をかけた。
今の彼女といるのは生命の危険を伴うが、
それはそれとしてもう帰った方が良い気はする。
彼女の気性によるとは言え、
死に別れした友人同士の距離がようやく縮まろうというのだ。
あとはプライバシー、プライベート。
どちらも大切なものだから守らなければ。
「あれ?」
眼鏡をかけ、視界がクリアになった山田はすぐに違和感に気づいた。
「あたしが落ち着いたらって言うけどね。
これは間違いなの」
緑の仔猫の頭部に額を当て、
テラは囁く。
黒の太陽が輝きを増し、
猫が振り絞った鳴き声を発する。
「この感情しかない。
その底に優しいとかまともな感性とか
灰の一粒もない。
感情が求めるものを満たしたところで
あたしは何も感じない、本質が出ることもない。
だってないんだから、そんなの」
激情が喪失し、
ビーストボーイにだけ
テラは語りかけた。
ペットセラピーの働きかけは実に効果的だった。
くどい程に燃えていたテラのメンヘラが消えたのだ。
だがそれは山田が知っている安定期ではない。
虚無と言うよりは、地殻の空洞。
煮えたぎるマグマの奥には、
真の静止があるのと同じだった。
ガーフィールド・ローガンは
戦いには参加できなかったが、
たしかにテラの心に触れ、暴き、
そこには停止した固体があるのを突き止めた。
「でも、そうだね。
生命を殺すと、
けっこう楽し「テラさん好きだーーーーーー!!!」」
山田、テラの本性に被せる。
感情の出始めを潰す。
彼女に行動理念も目的も理想もない以上は、
感情を逸らすのは有効だ。
「何不倫セックスしてんだ豚ぁ!!」
「おっと危ねえ」
佐々木さんが0秒で包丁を刺しに来た。
位置は頸動脈。
しかし、躱してみせた。
レイヴンはテラの本質に、
理解できないものを見たように止まっている。
しかし、山田は動けた。
眼鏡をかけ、佐々木さんがメンヘラっていたことで、
彼が鍛えて練り上げきた特能
“メンヘラ属性攻撃オート反応”が発動している。
テラの本質が存在しない以上は、
その行動全てはメンヘラ属性を帯びている。
ならば対応できる。今の山田はメンヘラ相手に研ぎ澄まされていた。
「こっの…………!!!」
ビーストボーイに見せた正体ではない。
それでは彼女は行動ができない。
メンヘラの波を立たせ、山田に岩流弾の雨を浴びせる。
一つ一つが弾丸だった。
銃に撃たれたら困ったことになるが
メンヘラ属性ならギリギリで体が動く。
太っている大学生、
少食なのに肉がついているという体質。
スキルが機能してくれても躱せるのはもう一度。
山田にテラを倒せるわけがない。
地面が浮かんで、浮遊感が支配した。
「あんたは殺す!!」
「らしくないぜ?
ビーストボーイさんに見せた顔を見せてくれよ。
でもそっかあ。やっぱり友達には本当の顔を見せやすいよねえ。
和ませてくれるじゃねえの、テラ姐さんよぉ」
口の端を吊り上げ、豚がシニカルに首を傾げる。
飛ばされ、身動き取れない絶体絶命。
メンヘラオート防御でも、
動けないならどうしようもない。
「えっさほいさ」
しかし、山田を圧死させる前に、
これまで静観していた
死のアバター、ネズミファイターこと辰ちゃんが
テラの手から仔猫をもぎ取り走り去る。
「ごめんねえ。こいつの魂は迷いようがないね!
さあ決めちゃってよ、純一!!」
「辰ちゃん……最高だぜ!!
これが俺の必殺技だー!!」
テラの注意が辰ちゃんとい純一に分かれた。
その瞬間に山田が全速力でタックルを仕掛けた。
間に合うか、間に合わないか、
接近してくる彼に攻撃の矛先が定まり、
進行方向を無思考で予測し、必殺が放たれる。
しかし、山田は敵には駆けない。
その横を走り抜けた。
テラの攻撃は空振りし、何事かわからない彼女は
山田の次の言葉に目を見開いた。
「レイヴンさん! どうにかしてくれ!!」
山田に注意が集中し、
稼いだ時間でレイヴンが詠唱を終えられた。
紫苑に発光し、悪魔の娘が
漆黒の鴉を放った。
テラの足元にポータルが開いて
彼女が静かに沈んでいく。
「三度目」
山田を睨みながら
女は淡々と語る。
まだメンヘラの残滓があり、
ビーストボーイに見せた素顔はわからない。
「次会ったら街ごと殺すから」
だが、その言葉を
彼女は絶対に忘れないだろうと
山田は確信した。
##########
赤い世界。
血の色の空と臓腑めいた大地。
木の代わりに骨が突き刺さり、
ポツンとある大木は
セフィロトの樹の由来である進化の大樹だ。
木の先端が動物に変わり、
川が流れていると思いきや
生命の源が全ての生き物を内包した形を取って
形を成すことなく流水となっていた。
「ここが赤の世界。
案内するのはレイヴン以外だと初めてかな」
ビーストボーイに連れて来られた山田は、
居場所なくキョロキョロと辺りを見渡す。
なんという恐ろしい場所か。
生命の根幹、本質がこれだと突きつけられれば
只人ならこれまでの価値観が崩れ
発狂と自滅を避けられない。
「いいんですか? 神聖な場所なんじゃ」
「君には特に世話になったからね。
それに……やっぱり俺と君は同じなんじゃないかな」
「そうですかねえ」
「彼女に再会して、どうして彼女を忘れられないか思い出した。
ただ、あの子が初恋の人なんだ」
地平線に目を細め、
ガーは昔を思い出す。
それでも今朝まで浮かべていた迷える者ではない。
区切りを付けられた者の横顔だ。
「すいません。僕がもう少し力になれたら……」
「いや、あれ以上はないよ。
彼女の本当の貌もわかった。
感謝してもしきれない」
「テラさんはこれからどうなるんです?」
「確かな場所に託した。
一応は安定したらしいよ。
俺はしばらく会う気はないけどね」
「いいんですか、それで」
「彼女の力になるのは俺じゃないって納得できたから。
よかった。本当に」
寂しさと、スッキリした気分の両方が
ガーの言葉にはあった。
そこに放っておけないものを感じ、
山田は思ったことをそのまま口にした。
「ビーストボーイってどうして名乗ってるかわかりました」
眉を上げる相手に、
言葉を続ける。
「獣とか猛獣じゃなくて、
一緒にいる動物ってことなんですね。
だから、みんな貴方が好きなんだ」
獣は火を恐れ、
人間は火を恐れない。
しかし、火を恐れない人間でも
心が憔悴しきった者には動物が必要だ。
火と動物は共存はできない。
凍えた身と心はどちらかしか
暖められないのが道理。
「大きな動物ってフワフワして落ち着きますもん」
ビーストボーイは無言で山田をハグした。
そういう習慣のない彼は戸惑ったが、
取りあえずは相手の背中を数回軽く叩く。
「やっぱり君はヒーローだ。
だから、俺は君に用があるんだ」
振り返り、
タイタンズのメンバーであるビーストボーイは真っ直ぐに
山田の瞳を見つめた。
ハンサムだと、山田はつくづく思った。
「将来のことは決めてる?」
「パイロットになります」
「君、眼鏡着用者だろ。
規則で視力が基準未満だと足切りらしいけど」
「何事も初めてはあるっしょ」
眼鏡を外し、キメ顔で答えた。
本人としてはジョークのつもりだったし、
狙い通りに相手も笑ってくれた。
「言うねえ。でも、それはそれとして、
君に提案がある」
ビーストボーイが差し出したのは
Tの形をしたIDカード、それとバッジだ。
タイタンズに選ばれた者が持つ証。
「今、世界はヒーローの心を癒やすことに注目している。
俺も、ついこの間までは友達のセラピストに診てもらっていたからね、
君は世界が必要としている人間だ。
タイタンズのパイロットとしてなら、
たぶん席をあげられるし、研修も受けられる」
「……マジで言ってます?」
「真剣だよ」
テラとの一件は何度も死にかけたものだ。
それは、彼の日常と少しも違っていない。
いつも通りに、メンヘラの対処をして
命からがら生き延びただけ。
それだけで
ジャスティス・リーグと並ぶ
世界有数の偉大な一団に加わる資格を見出されるとは。
山田の心の視界が大きく開けた。
特に何があるともわからず
日々をこなすのに必死だったのに、
彼の前には無限の未来が広がっている気がした。
「…………週一でもいいですか?
いや、半日でもいいです!
佐々木さんをなんとか説得させます」
「ああ、彼女も連れてきていいよ?
べつにThe市で研修受けてもいいし。
一応は給料も出るから口座教えてね。
不安なら新しい口座作るか、
代わりに使い放題のバットクレジットカード ブラック渡しても良い」
「え、マジっすか?
じゃあやりまーす!!」
一も二もなく山田は即答した。
これから何が起きるかわからないが、
それでも彼には願ってもないチャンスだった。
「思ったよりすぐ答えが来たな……
まあいっか! じゃあこれからよろしく!
せっかくだしこの世界を案内するよ、
ほら背中に乗って」
緑の駿馬に変身したビーストボーイが
身をかがめて新入りを乗せた。
鞍もなにもないが、
それも馬が人間なら落とさない繊細な走りが出来る。
「よおし、じゃあ行くよ」
初めはゆっくり、静かに、
それから静かになだらかな加速をしていく。
初めての乗馬体験。
おっかなびっくり気味だったが、
世界が後ろに流れ、
風を切って、スリルを感じる乗馬というものに、
山田はたちまち夢中になった。
ここはいつもいる世界ではないが、
それでも風を全身で浴びて、
切り開いていくのは無上の体験だ。
青年達が生命の根源世界を疾走するのを、
死のアバター、ネズミファイターが静かに見送っていた。
その手配書にはビーストボーイの顔写真と
魂が迷う理由の記述があった。
手配書を破り、
辰姫は彼らに背を向ける。
何も呟くことなく、死のアバターは、
眩しい生命から立ち去った。
彼女の存在に気づかずに、
ビーストボーイと山田は無邪気に走る。
プリミティブな行動を通して、
雑多な思考を燃やして溶かしていく。
「アバターだからこういうこともできるよ」
嘶きを上げると
世界が新緑に染まっていく。
力強くもおどろおどろしい肉と血の色から、
ビーストボーイと同じ、芽生えと安らぎの色で
世界が染まった。
「わあ」
両腕を広げ、翠の生命に満ちた世界を味わう。
顔に水滴が当たった。
この世界の緑の生命が生み出したものかと思ったが、
よく見れば、それは乗っている馬の瞳から流れたものだった。
後ろからは顔が見えない、馬だからわからない。
だから山田は気づかないふりをして
楽しそうに叫んだ。
「走れ、走るんだ!
メンヘラの影が及ばないほどに、疾く!!!」
##############
「目を覚ましたか」
狂える女が目を開けると、
見知らぬ少年が
学校の制服のままで見下ろしていた。
瞬間的にこいつを殺して
この場を去ろうと思ったが、
今度は全身の手足に
メタヒューマンの力を封じる手錠がかけられていた。
「誰だ、お前」
「国木……否、お尻警察。否、愛」
その少年を見て、テラはすぐにわかった。
こいつは自分と同じだ。
衝動だけを抱え、その下には何も感じない。
理想や目的がなく、無尽蔵の衝動を抱えて動いている。
「わかっているだろう。
俺達は同じだ。だから、同情はしない。
そうなっていたのも全てはお前の選択によるものだ」
「お尻警察くん。
駄目よ、あまり厳しい言葉を突きつけては」
「お前は甘いんだ勃気博士(ドクター・勃気)」
馬鹿にしているのかと思うほどに
異様なヒーローネームの男女。
どちらも整った顔立ちの少年と少女だった。
「だが、理解はする。
俺がお前にならなかったのは、
出会った順番が違うだけだ」
腰を下ろし、目線をテラに合わせる。
お尻警察の眼を正面から見る。
なんと禍々しく澄み切った瞳か。
己の衝動を満たすことに一切の迷いがない。
「俺は男の子のお尻を愛でホジホジして愛を注がずにはいられない。
お前は無限の憎しみと怒りをぶつけずにはいられない。
俺達は極めて同じだ。
だが、俺は理解した、“全部宇宙が悪い”」
「いやテメエだろ」
「あんたの衝動も“全部宇宙が悪い”。
そう生まれた巡り合わせ、導く者との出会い。
なのにあんたはそれを受け入れず誰かのせいにしようとしている。
いや、自分のせいにしているのか?」
わかったような口を効かれ、
それがどれだけ正しくとも、
テラのメンヘラに激しい波が生じる。
「あたしが好きなのが何か知っているか?
テメエみたいな物知り顔を
ぐっちゃぐちゃに潰すことだ!!」
「──私の眼を見て」
絶世の美少女に命じられ、
テラは反射的に彼女の瞳を覗き込んだ。
国木のものとは正反対の、本当の意味で清浄な清さ。
それに心が照らされると、燃え上がっていた波が
たちまちに沈静化していく。
「やはり勃気を鎮めるチャームが通じたか」
国木が安堵に胸を撫で下ろした。
メンヘラと勃気。
極めて共通する性質なのは説明するまでもないだろう。
メンヘラが極まれば売女となり、
勃気が極まれば鬼畜ロリコンとなる。
売女と鬼畜ロリマンファッカー。
この二属性はコインの裏表ではなく、
近くに住まう隣人だった。
「フフン、どうかしら?
どんどん国木くんより勃気に強くなっているわ」
「これは適材適所だ。
べつに俺がお前にオチンチンネタで劣っているわけじゃない」
「でも国木くんにできないことができたわ。
それとも頑張ればできるの?」
ムキになって言い返したのに
論破されて、国木は沈黙した。
美少女のことは無視することにし、
少年はテラに言った。
「俺達は順番が違った。
俺には……出会いがあり、
こいつを指針にすれば間違いがないと思えたから、
それに従って行動してみることにした」
美少女は誰のことを言っているのかわからずに目をパチクリさせたが、
テラには彼女のことを言っているのが理解できた。
「だからこれはセカンドチャンスだ。
俺達と一緒なら、あんたの衝動は収まる。
俺は牙なき弱き人を悪いお尻から守って、
悪いお尻にヘコヘコする。
いや、バコバコ……ズコズコ? ドゴドゴする。
お前は暫くそれに付き合って、それからどうするか決めれば良い」
「でも私がそうさせないわ!
国木くんからみんなのお尻を守ってみせるもの」
「何故だ!?
悪いお尻を狙うんだぞ」
「適当なことを言って良いお尻もたまに狙っちゃうのを知っているわ」
「とにかくお前は、俺達と一緒なら
一幕だろうと心の静寂を得られるだろう」
彼の言うことは間違っていないとわかる。
彼女に生まれながらに荒れ狂っていた波は凪となっている。
だが、かといって他に何の生き方があるのか。
デスストロークに導かれ、
彼の言う通りに鍛え、在り方を定めてきたのは自分だ。
「どうしてあたしを誘う」
「俺とお前が同じだと言っただろう。
それはつまり、恋仇ということでもある」
「……なんだって?」
「お前はデスストロークに抱かれ、
俺はデスストロークのお尻に愛を注いだ。
言わば、二人でサンドイッチした仲だ」
瞳を閉じ、その時の感触を思い起こし、
国木は十全に興奮して
股ぐらをイキり勃たせた。
あのデスストロークをこんな変態のガキが?
テラは信じられない気持ちだった。
だが、国木が嘘をついていないのもわかる。
この手の人種は嘘をつくが、
それは自分の衝動を鎮めるためであり、
他のことについてならあまりつかない。
テラにとって、
デスストロークは全ての導きを喪った少女に立った
強大かつ確かな灯火だった。
だから信頼し、彼の言葉と教えを盲信し、
彼からの報酬を全身の奥底に受け入れたのだ。
まさか、明らかにただの性欲解消のレイプのために、
デスストロークを強姦する者がいるとは。
「クッ……ククッ、アハハハハ!!」
彼女を取り囲み、
いつでも行動できるようにしてた
タイタンズの面々が驚嘆を露わにした。
あの邪悪の化身であり、
自分たちの青春に消えない傷を遺した女が笑っている。
まるで幼い少女のように、
屈託なく、大声で笑っていた。
「ビーストボーイさんに感謝しておけ」
彼女の爆笑の発作を
国木は冷然と切り捨てた。
「あの人が何度も頭を下げるから、
こいつを危険に晒してもお前を受け入れようと思ったんだからな」
笑いながら俯き、
初めてのメンヘラのない感情で、
彼女の心は痛みを訴えた。
#############
全部宇宙が悪いと国木は言った。
人間は単独で自我と個性を確立させはしない。
これまでの生命の進化、
地球という土壌、宇宙の誕生。
生んだ両親、育てられた時間、
子供の頃に身の回りにいた人たち、
通過する喜び、悲しみ、怒り。
ビーストボーイの場合は、
本人も完全に忘れている始まりがある。
彼は本来はチェンジリングと名乗っていた。
ビーストボーイではなかった。
なぜなら、本質的には彼は全ての生命を形作れたからだ。
そして、幼くして両親を亡くした彼は、
破滅遊撃隊/ドゥーム・パトロールというチームに引き取られ、
リタ・ファー、またの名をエラスティウーマンと
メントーというヒーロー夫婦に引き取られた。
メントーは他者の精神に働きかけることができ、
リタは邪悪な陰謀によって不定形のスライムになった
元ハリウッド女優だった。
不定形、またはゴムのようなヒーローは複数いる。
元盗人が更生したプラスチックマンは人を食ったような生き方を続け、
探偵かつ愛妻家のエロンゲイテッドマンは
およそ探偵と呼ばれる人種にはありえないユーモアと倫理観を備えていた。
いくらでも自らの身体を変えられるからこそ、
己の気質やアイデンティティを絶対に遵守するのが、
自らの身体を自在に変えられる者達だ。
「母さん! 見てみて、チョウチョ!!」
ビーストボーイは動物以外にもなれる。
魚にも虫にも宇宙生物にもだ。
だからその道の先輩と言える母に
何度も何度も変身を披露した。
「あら、上手じゃない」
手を叩き、アルカイックスマイルでリタは喜ぶ。
彼女はいつも表情を大きく変えなかった。
楽しい時は薄く微笑み、
悲しい時は眉を寄せ、
怒る時は眉を上げた。
「どんなのにもなれるよ!
えっとね、じゃあ次は……バーバパパになってみる!」
「あれはフィクションのキャラよ?」
「ヘーキだよ。おれっち、スゴイんだから!」
そう言ってピンク色のスライムキャラに成ろスライムキャラに成ろうと、
ガーは全身を作り変えんとした。
だが、上手くいかない。
体がねじれ、頭から腕が生え、 足が5本になって潰れた。
「あれ、失敗したかも」
「ガー!!」
血相を変えたリタが立ち上がる、
しかしガーの体はすぐに元に戻った。
これくらいのことなら、よくあることだったから。
それでもリタにとっては感情が激しく揺さぶられるのに十分だった。
不定形の彼女は、
歪みのない 完璧な美貌とプロポーションを大きく崩し、
足元が溶け、顔も焼けた蝋のように垂れていた。
「どうするの、戻れなかったら!」
「大丈夫だよ。オレっち何でもできるし」
「あんまりお母さんを心配──」
怒鳴りつけようとしたところで、
リタは自らの外見に気づき、 両手で顔を覆って深呼吸した。
溶けた全身がみるみる安定し、 顔も体も均整の取れた黄金比に近づく。
「あまり無理をしては駄目よ?
お母さんでもビックリしちゃうからね」
「は、はい……」
養子だからか、ビーストボーイには
母は感情を動かさない、 大きく表に出さない。
母が己の外見が歪むのを気にしていることに、
自分のことのように気に病んでいた。
子供に醜い姿を見せたくないのは仕方がない、
それでも、ガーは心の何処かで寂寥感を抱いていた。
「あら、どうしたの?」
ガーは自然と大きな虎の姿になって、
リタの足元に寝転がった。
彼の体温、体毛、鼓動に触れて、
リタの精神は平静になっていった。
「こうしていていい?」
「もちろんよ」
母の膝下で、少年は眠った。
そうすることで、
彼女の心が 少しでも安らかになるのを願った。
だから彼はビーストボーイになり、
彼はメンヘラに強く惹かれるようになった。