ラインハルトが哨戒隊司令官に着任して一ヶ月。
彼は普段の様子からは考えられないぐらい、凹んでしょげていた。
「……兄上」
「……どうした、ラインハルト」
「またやってしまいました……」
そう、机に突っ伏しながらボヤくように愚痴と言うか、そんなことをするラインハルトの姿なんてアルフやアンネローゼでも見たことが無いぐらい。
普段、軍務中であれば兄上、なんて呼ぶ事も無いのに無意識に出てしまっている事からよっぽどである。
彼の悩み、愚痴とは部下を持ったが故だった。
今まではアルフの副官で、意見を言うにしても直接やり取りすればそれで済んでいた。だから特に何かを気にする必要も無かった。
だが部下を持った事で、部下と接することがどれだけ大変で、それを特に意識するでも無く、自然にこなせている兄の凄さを嫌と言うほど分かった。
中佐という階級は、艦艇であれば今のように哨戒隊や、駆逐艦数百隻からなる戦隊を指揮している階級だ。
部下は数千から一万程度までかなり差はあるが、ともかくたくさんの部下を持つ階級であり、それ相応にコミュニケーション能力も要求される。
ではラインハルトはどうかと言うと、良い意味でも悪い意味でもヤンとは真反対で、真面目で働き者且つ極めて優秀、と言うか天才であることが災いしたと言っていい。
そこに生来のコミュニケーション不足、若干のコミュニケーション能力不足が加わればどうなるか、と言うのは想像に難く無い。
部下からの評価は、
「仕事は超優秀だが、だからこそ出来ない人間の気持ちが分からない」
「こちらは説明不足だと感じているし、もっと細かいところを聞こうとすると何故今の説明で理解出来ないのか、と不思議な顔をされる」
「質問に対して嫌な顔はされないが、何故我々が理解出来ていないのかが理解出来ないと言う表情をされる」
「アドバイスが多過ぎて集中出来ない」
「提出書類の修正があまりにも多過ぎて、今までならOKのものでも戻ってきてしまう」
とまぁ、何というか、散々な評価である。
総評としては、「天才である貴方と凡人である俺達を能力的に一緒だと考えないでくれ。俺達は貴方ほど賢くもなければ仕事ができる訳でもない」の大大大合唱となってしまった訳だ。
艦艇数三〇隻そこそこの哨戒隊司令官をやっていて、これである。もし正規艦隊司令官や統合作戦本部長にでもなったら、多分仕事が回らなくなり機能が停止してしまう。
よく考えてみると今までなら、アルフ、ヤン、キャゼルヌと言ったある意味天才に囲まれていたから全く実感が無かったが、それから離れて初めて分かったことだ。
平均か、それ以下の人間との仕事上でコミュニケーションを取ったこと自体、ラインハルトにはまず無い経験だ。
と言ってもアルフはそれを放置していた訳でも無く、色々とフォローして回ったり、必要であればドールトンやフィッツシモンズを貸して支えていたがそれでも、である。
と言うより、本来ラインハルトに必要なのは哨戒隊司令であるラインハルトと、その部下達を繋ぐ副官であるのだがそこが欠落していた。というよりラインハルトから矢継ぎ早に指示されることを熟すのに精一杯になってしまい、そこら辺に全く手が付けられなかったというべきだろう。
司令官に限らず、基本的に上に立つ人間に求められるのは、仕事が出来るか否か以上にコミュニケーション能力が求められる。
より細かく言うなら、「物事をより分かり易く伝える能力」が必要となる。
頭の中でどれだけ素晴らしい計画を立てても、それを実際にやるのは下に付く人間だ。彼らに物事を伝えられなければ結局意味は無い。
もっと分かりやすく言うなら、『普段からムスッとしている奴』と『多少能力に劣っていても笑顔で接してくれる奴』のどちらの下に付きたいと思うか、ということだ。
その点、アルフは他人に物事を伝える能力に秀でていたし、あのオフレッサーですら笑みを浮かべて部下を労ったり鼓舞することが出来る。
メルカッツやモートンは言わずもがなであるし、チュンやラップに至ってはその性格と天性のコミュニケーション能力で苦労した事が無い。ラインハルト相手にも天性のコミュニケーション能力を発揮して難無く仲良くなった。
ヤンの場合は本人以上にパトリチェフ、フィッシャー、グリーンヒル大尉と、支える人間やメッセンジャーとなる人間が優れていたからより円滑に進んでいる。
それでラインハルトは度々、兄を頼ってその辺りのコツ、というか、そう言うのを学ぼうとしているのである。
「今度は何があった?」
「その……」
ラインハルトの話を要約すると、部下が提出したものが、中々どうしても合格ラインに達する事が無かった。まぁそれは仕方がない。
だがそこでラインハルトは最大の悪手とでも言うべき事をやってしまった。それは部下の提出物をラインハルト自身で修正しまったのである。内心、これ以上時間を掛けても無駄だし、とは思っていた。
だが、まぁ、誰にでもそれなりにプライドがある。ましてや艦長を務めるぐらいの人間ならば尚更。
そんな中で、必死になってラインハルトの要求を満たそうとして提出したものを目の前で、それを上回る出来で修正されればどう思うか。
結果、売り言葉に買い言葉で、「だったら最初から最後まで全部アンタがやれよ」「いいよ、やってやるよ」と大喧嘩。
直属の上官である分艦隊司令モートン少将の元に話が行き、先任分艦隊司令官メルカッツ中将にも話が行き、艦隊司令官であるアルフの元にまで話が行く事になった。
「貴官は何を考えておるか!」
「はっ、申し訳ありません」
「貴官の行動は、貴官に大いに期待して下さっている人達の顔に泥をぶちまけたが如き最も愚かな行動ではないか!」
「弁明のしようもありません……」
とまぁ、異口同音ではあるがモートン少将、メルカッツ中将には勿論しっかり、近年稀に見るレベルでのお叱りを頂いた。
アルフには報告こそ上がっているが、あの二人からしっかり怒られたなら、そう怒る必要は無いし、注意をするぐらいに済ませるか、と思っている。
最終的にラインハルトと相手は互いに非を認めて頭を下げ謝罪。
手打ちとなったが、現在ラインハルト指揮下の哨戒隊の空気はかなーりギスギスしていると言うか、とても微妙な雰囲気になってしまったのである。
「まぁ、それは駄目だろう。本当なら諭すか、受け流して対応するべきだったな」
「出来たら困ってません……」
本来ならこの階級にまで来ていれば、経験を既に積んでいて出来て然るべきである。だがそもそも若過ぎる上に、今の今まで経験していない。
これは自由民主主義を謳う同盟だからこそ、発生し得る悩みとも言えるかもしれない。
「ラインハルト、お前は他人に対して下す評価が些か厳し過ぎるきらいがある。ラインハルトは自分自身に対しても厳しいから厳しくするのは構わん。だが、それが行き過ぎるのは駄目だし、厳しくするには相応の理由が無ければいけない。少なくともその理由を説明するか、何かしら期待しているとか、そう言った言葉を掛けてやらないと人間と言うのは嫌になってしまうものなんだ」
「……兄上でも、ですか?」
「まぁ、考えるぐらいはするが、ともかく理由も分からず厳しくされたら反発ぐらいはするだろうな。ヤンだって言葉で色々言い立てるぐらいはするだろうし、ビュコック提督なんか、俺が知り合った頃なら下手をすれば血を見ることになるだろうからな」
「兄上も、部下とのコミュニケーションで困ったことがあると?」
「幸い、上官に関しては皆良い人ばかりだったし、そう言った苦労はしなかった。期待してくれているというのも分かるような形だったからな。だが部下は違う。上官である俺達が主体的に動いて、色々と示してやらないとならん」
「そう言うものですか……」
「いいか、分かっていると思うが敢えて言わせてもらう。世の中の人間の殆どはお前みたいに頭が良い訳じゃないし、ましてやお前の考えをポン、と理解出来るような人間でもないんだ」
ラインハルトは、ある意味では周りに大変恵まれており、そしてある意味では恵まれていないとも言える。
今までであればラインハルトの周りには同様に頭の回る天才、秀才ばかりでラインハルトの言葉を数舜のタイムラグこそあれど理解するだけの能力があった。
だが、逆を言えばそうでない平凡な者や、それ以下の者は存在し得なかった。
アルフの両親は勿論、アルフも、アンネローゼも、幼少の頃から世話になっていたメルカッツや超脳筋と言われるオフレッサーでさえ。
だからこそ、ラインハルトはそう言う人達とどう接するのかと言う事を学ばぬまま成長してしまった。
これで学校などで学友とコミュニケーションを取ったり、親しい友人の一人か二人ぐらいでも出来ていれば多少話は変わっていたのかもしれないが、学生時代にやっていた事と言えば勉強に勉強、身体を鍛えること、兄姉を馬鹿にした奴との殴り合い、いじめられている者を助ける為の殴り合いである。
これでは学ぶも何も無い。
「今からでも遅くはない。学んで行けばいい。多分、士官としてやっていくならこう言ったことが学べるこれが最後の機会だからな。ま、頑張れ」
「はい」
軽くラインハルトの肩を二度、叩く。
兄として弟に必要なアドバイスを上手くできただろうか、とアルフは思う。
「じゃ、今回の件に関しての報告書と始末書、それと反省文を明日までに提出するように」
「……はっ」
良い感じに締めたところ悪いがそれとこれは話が別である。