人類と魔族の共存する理想都市   作:ファストナハト

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『開演前:断頭台』

 

 

 月明かりの照らすとした夜の町には、夜にも関わらず無数の気配が、塔の影、路地の奥、城壁の上にまで満ちている。

 

 もっとも、それは人間のものではない。

 北部高原に位置する魔王軍の駐屯地は無数の魔族で溢れかえっていた。

 

 その町を囲むように存在する城壁の上で、七崩賢の1人、断頭台のアウラは町を取り囲むように並んだ自身の不死の軍勢を眺めながら、約束の人物の到着を待っていた。

 

 魔王直属の配下である七崩賢を呼び付けることが出来る存在は限られる。魔王自身か、もしくはその腹心たるシュラハトだ。

 

「……遅っそいわね」

 

 などと愚痴る。

 現在、自身の不死の軍勢で人間の町を占領したアウラはシュラハトからの命令によって、直属の使者を向かわせるため、それまで町から出ないように厳命されていた。加えて、生き残った町の人間にも手は出さないように、とも。

 

 前者の命令は分からないこともない。魔族は基本的に魔力量で上下関係が決まるため、魔王の腹心のシュラハトの使者とあらば、大魔族のアウラも命令に従い大人しく待つほかない。

 ただ、分からないのは後者の命令で、魔族にとって人間とは殺して喰らう食糧だ。それは魔族として当たり前の本能であり、アウラ自身もこれまでもそうしてきた。

 

「……はあ」

 

 アウラはため息を吐き、徐に城壁の縁に腰掛けた。

 ぶら下がるように揺れる脚の下では、《服従させる魔法(アゼリューゼ)》によって集められた不死の軍勢が静かに立ち尽くしている。息も鼓動もないそれらは命令を待つだけの存在だ。

 

「……本当、気味が悪いわねえ」

 

 自身の軍勢に向けられた言葉ではない。

 魔王の腹心、全知のシュラハト。自身の魔法によって遥か先の未来すら見通す存在。

 そんな彼が、この町に──この北部高原の、何の価値もない人間の町に使者を寄越す。何か狙いがあるのだろうと勘繰ることは出来るが、アウラですらその真意を読むことは出来ない。

 

「(……来たわね)」

 

 そのとき、アウラは不意にこちらに近づいてくる1つの魔力を感じ取った。有象無象の魔族の中を掻き分け、城壁に備え付けられた塔を登って、こちらを目指している動きだった。

 だが、あまり強くはない。七崩賢の感覚からすれば拍子抜けするほどに。

 

 アウラは脚を止め、石造りの城壁の塔へと視線を向ける。魔王の腹心たるシュラハト直属の使者だというのなら、自分には劣るとしても魔力量はもっと多く、多少は圧のある魔力であってもおかしくはない。

 だが近づいてくる魔力は落ち着きがなく、散漫で──酷く怯えていることさえ分かる。

 

 次の瞬間、塔の扉が軋む音を立てて開いた。

 

 現れたのは、1人の白髪の魔族の少女だった。

 流石に身なりは魔王軍らしいものだったが、拍子抜けするほど小柄だ。肩を竦めるようにして周囲を窺い、まるで町に迷い込んだ小動物のような足取りで城壁の上へと姿を現す。

 

 アウラは思わず眉を顰めた。

 これが、あの全知のシュラハト直属の使者?

 

 アウラは城壁の縁に腰掛けたまま、塔の入口から現れた魔族の少女を観察する。

 その魔族はこちらを見ているようで、どこかに吸い寄せられるように固まったかと思えば、次の瞬間には慌てて視線を逸らす。そのくせ、また直ぐにちらちらと盗み見る。魔力の弱さ以上に、動揺が手に取るように分かる。

 

 アウラは、城壁の縁から腰を上げた。

 靴が城壁を踏む音に、魔族の少女の肩が思い切り跳ねる。魔力量の差に怯える魔族は珍しくないが、ここまで露骨なのは久しぶりだ。

 

「……あなたが、シュラハトの使者?」

 

 声をかけながら距離を詰める。

 アウラが問いかけると、魔族の少女は完全に思考を停止したように固まった。そして次の瞬間、慌てたように何度も頷き、喉を鳴らす。

 

「は、はいっ……!えっ、あ、えっと……その……!」

 

「どうしたの?具合でも悪い?」

 

「い、いえっ!?だ、だだだ大丈夫ですっ……!えっ、というか、えっ……あ……し、七崩賢の……断頭台の、アウラ様……ですよね……?」

 

「……そうだけど」

 

 目の前の魔族の少女──シュラハトの使者は、まるで雷にでも打たれたかのように全身を硬直させた。次の瞬間、口が空回りを始める。

 

 あぁ、ようやくか。

 怯えきった謝罪か、あるいは報告が来る。そう思ったアウラの予想は、盛大に裏切られた。

 

「……か、顔……良っ……」

 

「は?」

 

 聞き返すより早く、魔族の少女は両手で自分の口を塞ぎ、目を見開いていた。

 夜の冷気に晒されながら、アウラは目の前の魔族の少女を見下ろしていた。今、確かに聞こえた言葉を脳内で反芻する。

 

 ──顔、良っ。

 

 魔族の少女は自分で自分の口を塞いだまま、目を見開いて固まっている。顔色は蒼白というより、もはや真っ白だ。魔力の揺らぎは先ほどよりも激しく、心臓の鼓動が波紋となって魔力に滲み出ているかのように落ち着きがない。

 

「(……何なのよ、この子)」

 

 アウラは内心で困惑した。

 魔力量の差に怯える魔族は何度も見てきた。

 七崩賢という肩書きを前にして、震え、跪き、命乞いをする者も珍しくない。

 だが、この少女のそれは種類が違う。

 

「え、あ、い、いえ……! えっと……えっと……」

 

 言葉を探すように視線が宙を彷徨う。

 しかし、どうしても抗えないというように、再びアウラの顔へと吸い寄せられた。

 そして、その瞳が──輝いた。

 

「は、はぁ……ほ、本当に……生きてる……?」

 

 小さく、何度も息を吐く音。そして、殆ど無意識であろう独り言が漏れる。しかし再び我に返ったように再び激しく首を横に振る。

 

「ち、違っ……ちが、違います!いや、違いませんけど……今のは、その……!」

 

 だが、否定の言葉とは裏腹に、表情がまったく追いついていない。驚愕と動揺、そして──妙な高揚が混ざったような顔。

 

「(……魔力量の差で混乱してる?それとも、元々こんな性格なのかしら?)」

 

 だが、どちらにしても辻褄が合わない。

 あの全知のシュラハト直属の使者なのだ、配下の選別がされていないはずがない。

 

「……あなた、本当にシュラハトの使者?」

 

「は、はいっ!はいはいはい……!ほ、本当です!ほ、ほんとに!あの、その……!」

 

 必死に肯定しながら、言葉がまるで追いついていない。唇が震え、呼吸が浅くなっている。

 その一方で──視線だけは、どうしてもアウラから離れない。

 

「……名前は?」

 

「な、ななな名前……!!?」

 

 目の前の魔族の少女は完全にパニックだ、問いの内容自体は何の変哲もないというのに。

 

「……随分と落ち着きがないわね。あのシュラハトの使者なんだから、もっとこう……無感情なものだと思っていたけれど」

 

 アウラは無言で、しばらく目の前の魔族の少女を見下ろしていた。

 落ち着きがないどころの話ではない。視線は泳ぎ、指先は震え、呼吸は浅く速い。魔力量の差に怯えている──だけでは説明がつかない挙動だった。大魔族を前にして平静を保てない魔族など掃いて捨てるほどいる。だが、それは畏怖や恐怖によるものだ。目の前のこの少女から感じるのは、そういった単純な感情ではない。

 

「ご、ごめんなさい……!あっ、あの、その……レーアと申します!」

 

 アウラは内心で舌打ちした。

 シュラハトの使者、と聞いて多少身構えていた自分が馬鹿らしくなる。あの全知のシュラハト直属の配下ならば、もっと不気味で底知れない存在を想像していた。

 

「……で?」

 

 アウラは腕を組み、話を促す。

 

「シュラハトの使者なんでしょう。用件は何?」

 

「ひ、ひゃいっ……!」

 

 間抜けな返事だった。

 レーアは背筋を正そうとして失敗し、変に目根を張ってから、慌てて咳払いをした。その仕草1つ1つが固く、どこか不自然だ。

 

「え、えっと……その……しゅ、シュラハト様から……で、伝言、です……」

 

「……聞いてるわ」

 

 早くしなさい、と視線で促す。

 アウラに視線で促されるようにして、レーアは顔を伏せて大きく息を吸った。

 先ほどまでの浅く乱れた呼吸とは違う。まるで別の生き物が、同じ肺を使い始めたかのような、静かで規則正しい呼吸だった。すると、震えていた指先が止まり、視線が泳ぐことを止め、真っ直ぐにアウラを捉えた。

 

「(……何、この魔力は?)」

 

 アウラはその変化を即座に察知した。

 魔力量そのものは変わっていない。だが、明らかに質が変わった。散漫で怯えた揺らぎは消え、1本の芯を持った、冷たく澄んだ魔力がそこにあった。

 

 レーアが緩慢な動作で顔を上げる。

 その表情からは、先程までの混乱は跡形もなく消えていた。瞳は開ききり、瞬きすらない。そして口元には──愉しげとも取れる弧が浮かんでいた。

 

「……やあ」

 

 乾いた、軽い調子。高さも、震えもない。軽く、柔らかく、それでいて底の見えない声。

 

「七崩賢、断頭台のアウラ。見るのは初めてだね。ふぅん……なるほど、首が飛ぶわけだ」

 

 アウラは目を細めた。

 これは使者の態度ではない。ましてや、先程まで震えていた魔族のそれでもない。まるで、別の意思が同じ肉体を動かしているかのようだった。

 

「フフ……いやあ、壮観だね」

 

 レーアは徐に城壁の下──不死の軍勢を見下ろした。命を失い、命令だけを待つアウラの兵たち。死と服従の象徴だった。

 

「よく揃えたね、兵士の数も質も悪くない。流石は七崩賢だ」

 

 風景を評価するような口調だった。称賛とも、嘲笑ともつかない。

 アウラの眉が僅かに動く。

 

「……それが伝言?」

 

 アウラの問いかけにレーアは小さく笑う。笑い声は乾いていて、やけに軽かった。

 

「違う違う、今のは俺の感想さ。伝言はもっと……簡単だよ」

 

 言いながら、レーアは城壁の縁に近づいた。さっきまでなら、アウラに距離を詰められただけで肩を跳ねさせていたはずの足取りが、今は不思議なくらい迷いがない。むしろ──自分から危険へ触れにいくような、好奇心に飢えた者の歩き方だ。

 レーアは城壁の石に掌を置き、夜の空気を吸い込むようにして息を整え、アウラを真っ直ぐに見据える。その仕草は丁寧で礼儀正しく、その瞳には恐怖も敬意もない。

 

「シュラハト様からの正式な伝言だよ」

 

 声が、さらに低く落ちる。柔らかさは残したまま、芯だけが冷たく研ぎ澄まされていく。

 

「──この町はね」

 

 レーアは一拍、間を置いた。

 その間に夜風が城壁を撫で、遥か下に並ぶ不死の軍勢の間を抜けていく。

 

「今日から全て、俺のモノになる」

 

「はあ?それがシュラハトの伝言?」

 

 アウラの声に刃のような冷たさが混じるが、レーアは先程までの怯えた仕草とはまるで違う、軽い子供じみた仕草で肩を竦める。

 

「うん。正確には……こうだよ」

 

 レーアは愉快そうに喉を鳴らす。その声色は笑いと溜息の中間のようだった。

 

「“この都市の管理権を、私の配下のレーアに移譲する。断頭台のアウラは、軍勢と共に即時撤退せよ”──だってさ」

 

 空気が、止まった。

 眼下の不死の軍勢は変わらず動かない。

 

「……ふうん」

 

 アウラは、ゆっくりとレーアに近づいた。

 並の魔族なら、まず立っていることすら出来ない程の魔力の圧だ。

 

「随分と、面白い冗談を言うのね」

 

 アウラは、レーアを見下ろす。

 その手には、いつの間にか魔力で生成された剣が握られていた。

 

「この町は、私と私の軍勢が直々に制圧したのよ?それを、あなたみたいな無名の魔族に全て引き渡して帰れ、だなんて──」

 

 レーアはその言葉を聞いて、また笑った。

 小さく、喉の奥で鳴らすような笑い。楽しそうで、どこか困ったようで、それでいて──ぞっとするほど無邪気な笑いだった。

 

 城壁の縁は不死の軍勢の真上だ。

 自分が少しでも踏み外せば終わる場所だというのに、態度に全く恐れがない。むしろ、危険そのものに触れたがっているようだった。

 

「──嫌よ、と言ったらどうするのかしら?」

 

 アウラは握った剣を持ち上げ、レーアにその切先を向ける。

 七崩賢が本気で殺そうとすれば、レーアのような弱い魔族など一瞬で魔力の塵になる。それが分からないはずがない。

 

 だが、レーアはアウラに近づいた。

 距離にして、ほんの数歩。

 だが、七崩賢にして大魔族であるアウラに対して、魔力量で劣る魔族が詰め寄るなど、常識外れもいいところだった。

 

「ハハッ……あははははっ!」

 

 笑い声が、夜の城壁に響く。

 レーアは涙を拭うような仕草をしながら、アウラにもう1歩近づいた。

 七崩賢の魔力が、刃のように肌を切る距離。

 アウラの持つ剣が容易に首筋に届く距離。

 

「じゃあまず……この町にいる魔族を全部殺そうかなあ?キミの軍勢も1体ずつ壊していくよ」

 

 レーアは指を折りながら数える仕草をする。

 

「それで最後にキミを残して、その時にもう一度聞くよ──それでも嫌?ってね……」

 

 アウラの眼下で、無数の不死の軍勢が微かに騒めいた。アウラ自身はまだ特に命令は出していないが、操り主の感情に反応しているのだ。

 

「……言うじゃない。シュラハトの名を盾にすれば、私を脅せると思ってるのかしら?それとも──」

 

 声には若干の苛立ちが混じっている。

 剣先が僅かにレーアの喉元寸前で止まっており、銀色の刃が月光を反射して冷たく光った。

 

「──ねえ、アウラ?」

 

 レーアはアウラの話を聞いているのか聞いていないのか、薄ら笑いを浮かべたまま囁くように言った。

 

「キミ、首を切るのが得意なんだってね?なら……ここでやってみせてよ?」

 

 レーアは楽しげに呟くと同時に、また自ら1歩前に出た。

 冷たい刃がヘレスの首筋を滑る。

 次の瞬間には首の皮膚が引き裂かれ、とろりとした朱色の血が白銀の刃の上を流れる。

 

「……っ、な……!?」

 

 アウラの目が見開かれる。

 レーアは顔を顰めることすらせず、血の匂いと痛みを確かめるように深く息を吸い、吐く。

 

「ハハッ……いいね。もっとみせてよ……」

 

 囁きが、アウラの背筋を撫でた。

 アウラの視界が一瞬だけ白くなる。魔力量の差だとか、七崩賢としての矜持だとか、そういう秩序が音を立てて崩れ落ちていく。

 

 怖い。

 相手が強いから怖いのではない、恐怖の種類がまるで違う。相手が壊れていて、その壊れ方がこちらの常識の外側にあるから恐ろしい。

 

「ひっ……」

 

 アウラの手が震えた。

 握っていたはずの剣が指先から滑り、金属が石畳を打って乾いた音が城壁に跳ね返る。

 レーアは落ちた剣を見下ろし、肩を揺らして笑った。深々と切れ込みの入った首筋からは鮮血が流れ続けている。

 

「ハハッ、もう終わりなの?キミも案外つまらな……」

 

 レーアの声が途中で不自然に途切れる。

 次の瞬間、魔力の揺らぎが変化した。冷たく研ぎ澄まされていた芯が突然解けて、散漫で怯えた揺らぎに戻る。

 仄暗かった目つきが柔らかくなり、乱れのなかった呼吸が次第に浅くなっていく。

 

「……え、あ、あれ?」

 

 声が高い。掠れも、冷たさもない。

 ただの、怯えた魔族の少女の声。そして首元から流れている血に今更気づいたらしく、指先で恐る恐ると言った風に触れて、目を見開く。

 

「ひゃっ……!?な、なにこれ、血!?え、え、え、ちょ、ちょっと待って待って!?」

 

 城壁の上で、レーアは思い切り腰を抜かす。

 ついさっきまで、自分から刃に首を差し出していた存在と同じとは思えない動きだ。

 アウラは石畳に落ちた血の付いた剣を見下ろし、それからレーアを見た。

 

「……あなた、今の……」

 

「い、いやいやいや!何も知らないです!ち、違います!違うんです!え、えっと……!」

 

 レーアは両手を目の前で振りながら必死に弁明しようとする。だが言葉が追いつかず、視線があちらこちらに跳ねる。

 

「えっ、その……なんで私、こんな……?え?あ、アウラ様!?え、ちょ、ちょっと待ってく、ください!?なんでそんな、怖い顔してるんですかあ!?」

 

 アウラの額に青筋が浮かぶ。

 怖い顔をしているのはお前のせいだ。

 

「あ……でも、その顔も……良……」

 

 口に出してから、レーアは首筋から血を垂らしながらまた両手で口を塞いだ。けれど結局、吸い寄せられるみたいにまたアウラを見る。さっきまで恐怖も敬意もない目をしていたはずなのに、今のレーアはただ目の前の光に釘付けになった小動物みたいだった。

 

「……さっきの話、覚えてる?」

 

「さ、さっき……?え、えっと……しゅ、シュラハト様の……あれ?」

 

 どうやら全く覚えていないらしい。

 アウラは、喉の奥に貼り付いたような嫌な冷たさを押し返すこともできないまま、目の前の少女を見下ろしていた。

 

 さっきまでの“それ”は、自ら刃に首を差し出し、血が流れても笑っていた。

 命の価値も、恐怖も、秩序も、全部を玩具みたいに扱っていた。

 

 なのに今はどうだ。

 腰を抜かして石畳にへたり込み、首筋を押さえて涙目で狼狽している。血が指先に付いたのが怖いのか、痛いのが怖いのか、状況が怖いのか──もはや全部が怖い、と顔に書いてある。

 アウラは頭を抱えたくなった。

 

「……伝言の話だったでしょう」

 

「で、伝言!そう、伝言です!えっと、えっと……あー、“この都市の管理権を──”」

 

 レーアはそこで言葉を詰まらせた。

 自分の口から出てくる内容の意味が理解できず、怖くなったようだった。

 

「……え、やっぱ無理……いや無理じゃない、仕事!仕事だから!でも、そんなの言ったら殺され……え、えっと……」

 

「最後まで言いなさい」

 

「ひゃいっ……!」

 

 レーアは情けない声を漏らしながらも、必死に言葉を繋いだ。

 

「“この都市の管理権を、私の配下のレーアに移譲する。断頭台のアウラは、軍勢と共に即時撤退せよ”……です……!」

 

 言い終えた途端、レーアは肩で息をした。

 そして、恐る恐るアウラの顔を盗み見て、まるで拝むように両手を胸の前で握った。

 

「……あの、やっぱり怒ってますよね……?ですよね……?でも、私、ほんとに使者で……その……シュラハト様の命令なので……」

 

 アウラは先程の伝言を反芻する。

 目の前では、レーアが石畳にへたり込んだまま首元を押さえている。血は止まりきっていないが、魔族にとって少々の傷は致命傷にはならない。だが本人は、それだけで世界の終わりみたいな顔をしている。

 

「……はあ……」

 

 アウラは、剣を拾い上げる。

 血の付いた刃を一度だけ見つめてから、魔力を散らして剣を霧のように消し、レーアに視線を戻した。

 

「立ちなさい」

 

「ひゃっ……!?は、はいっ……!」

 

 レーアは慌てて立ち上がろうとして、足がもつれてよろけた。アウラはもはやそれについては何も言わず、淡々と告げる。

 

「……伝言は確かに聞いたわ。この町はあなたに預けるわよ。私の部下と軍勢は、近くの補給拠点まで撤退するから」

 

「え……えっ……!?ほ、本当ですか……!?いや、その、疑ってるわけじゃなくて……!」

 

「別に疑ったっていいわよ。私だって、納得したわけじゃないし」

 

 アウラは城壁の縁へと歩み寄る。

 眼下には不死の軍勢が並んでいる。自身の魔法で縛り付けられ、意思も、恐怖も、迷いも失った兵たち。命令さえあれば、何千、何万という命を平然と踏み潰す。

 この町は自分が奪い取ったものだ。血と恐怖と服従で塗り固められた、紛れもない戦果。それを、目の前で腰を抜かし、首から血を垂らして震えている、この魔族に引き渡せと言う。

 

 シュラハトは一体何を見たのだろう。

 未来を読む存在が命じたことなのだから、先程のあれは事故でも偶然でもないはずだ。あの不安定さと狂気をこの町に置くということを──意図的に選び取ったということだ。

 そこまで分かっても、やはり理解は出来ない。未来を知る者の真意には、現在に縛られた自分たちでは永遠に届かないのかも知れない。

 

 アウラは城壁の上に立ち、魔力を広げる。

 号令を発するまでもなく、不死の軍勢が一斉に動き出した。重たい足音が夜の町に低く響き、整然と撤退の列を作っていく。

 

「……あ、あの……」

 

 小さな声が背後から聞こえる。

 アウラは振り返らない。

 

「なに?」

 

「その……えっと……ありがとうございました……?」

 

 礼を言う場面じゃないでしょう、と振り返って言い返そうとして、やめた。どうせこの子には、何を言っても半分も伝わらない。アウラは夜風に髪を揺らしながら、低く呟いた。

 

「……シュラハトはいつから、こんな狂った駒を持つようになったのかしら」

 

 

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勇者ヒンメルの

死から28年後

北側諸国

グラナト伯爵領

 

 

 

 

「久しぶりだね、アウラ」

 

「そうねえ、80年ぶりかしら。フリーレン」

 

 あの夜の出来事などとっくに忘れ去っていたアウラは、無数の不死の軍勢を率いて、フリーレンと相対していた。手には『服従の天秤』を持ち、適当に言葉を交わしつつもあくまで冷静に相手を分析する。

 80年前、フリーレンそのものより──彼女の仲間の“速さ”が厄介だった。勇者ヒンメル。あの男は魔法を発動させるという行為そのものを許さなかった。《服従させる魔法(アゼリューゼ)》を発動させる前に斬り込まれ、兵も配置も何もかもが崩れ、撤退の2文字だけが現実になった。

 

「この先の街に行くつもりでしょ、引き返してくれるとありがたいんだけど」

 

「嫌よ」

 

「なんで?」

 

 不死の軍勢のうちの2体に命令を下し、フリーレンを襲わせる。同時に、周囲の軍勢へも微かな意志を流し、包囲の輪を締め、退路を潰す。この一手でフリーレンを倒せるとは思わない。まだ倒す必要もない。

 

 見せるだけでいい。

 状況の重さを。数の暴力を。積み上げた優勢という名の、揺るがない現実を。

 案の定攻撃を躱していたフリーレンに、アウラはただ明確な事実を告げる。

 

「私の方が圧倒的に優勢だから」

 

 そう言い切った瞬間、アウラの胸の奥に小さな快感が走った。80年前に奪われた主導権を、今ここで取り戻したという快感が。

 

「……これほどの数を操るだなんて、魔族の魔法はとんでもないね。人類の魔法技術では想像も付かないほどの高みだ」

 

 淡白な感想。

 驚きも焦りもない、乾いた声だ。

 

「でも最低に趣味の悪い魔法だ、反吐が出る」

 

「酷い言いようね、折角頑張って集めたのに?」

 

 吐き捨てるような嫌悪の言葉だが、ドラゴンを前にした虫けらが必死に鳴いているようで、どこか滑稽に聞こえてくる。

 

「見知った鎧がいくつかあるね。アウラ、やっぱりお前はここで殺さないとダメだ」

 

 フリーレンの視線が、不死の軍勢の鎧の意匠をなぞる。そして次の瞬間、彼女の目は真っ直ぐアウラの方に戻る。淡い光のような殺意だ。

 

 アウラは唇の端を僅かに吊り上げた。

 これでいい。もう“お話し”は終わりだ。あとは不死の軍勢で少しずつ詰めて、魔力を消耗させたところで《服従させる魔法(アゼリューゼ)》を発動させれば、フリーレンを討ち取ることが出来る──

 

 

 ──はずだったのに。

 

 

「あり得ない……」

 

 自らの意思に反して、剣を握りしめた両の腕が持ち上がる。白銀の刃が自らの髪を押し切ってゆっくりと首筋に添えられる。

 

 アウラの視界の端では『服従の天秤』が地面に転がっていた。落とした記憶はない。ただ、今のこの状況が致命的なミスを犯した結果であることだけは、はっきりと分かっていた。

 

 魔力を、制限していた。

 フリーレンは《服従させる魔法(アゼリューゼ)》の仕組みを知った上で、敢えて魔法を発動させた。無表情の裏にこんな卑怯な手段を隠していた。

 

 認められない。

 こんな最期は認められない。認めたくない。500年以上も研鑽を積んだ魔力量を簡単に上回られ、自分の魔法で死ぬことになるなんて。

 だが意思に反して身体はフリーレンの命令に従う。《服従させる魔法(アゼリューゼ)》とは、そういう魔法であることは何より自分がよく分かっていた。

 だからこそ、認めたくない。これでは自身が使役してきた不死の軍勢と全く同じだ。

 

「……この、私が……」

 

 掠れた声が、喉から漏れた。

 剣が丁寧に──自分の首元へと向かう。

 恐ろしく冷たい刃が、皮膚に触れた瞬間、何かが背筋を這い上がる感覚と共に、皮膚が引き裂けて激痛が走る。そのとき、アウラの脳裏に意味のない残像が過った。

 

 城壁、夜風、血の匂い。

 自ら刃に首を差し出していた、誰か。恐怖さえ笑っていた、あの壊れた瞳。

 

 ──誰、だ?

 

 死の間際だというのに、鮮明には思い出せない記憶。名前も、顔も、全てが霧の向こうだ。だが、自分が今しようとしていることを楽しんでいた何かが、確かに何処にいた。

 

 何か熱いものが、喉元を伝う。

 そして剣が動く。肉が裂ける音がした。

 世界が回転し、横倒しになる。

 

 地面に倒れた『服従の天秤』は、月明かりを受けて静かに光っていた。不死の軍勢は命令を失ったまま、立ち尽くしている。

 そして、フリーレンはこちらを一瞥することもなく、背を向けて歩き去っていく。

 

 最後にアウラの意識の底で、あの狂ったような笑い声だけが脳裏に浮かびかけて──それすら思い出せないまま、意識が闇に沈んだ。

 

 

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 

 

 アウラは暗闇の中で、目を見開いた。

 そして次の瞬間、身体が跳ね上がった。

 

「──っ、あ、あ、ああああああああああ!!」

 

 叫びは最初は声にならず、ただ喉の奥から空気が引き裂かれるような音だけが漏れた。だが次の瞬間には肺いっぱいに吸い込んだ息が、悲鳴となって吐き出される。叫びは部屋の壁に反響して、自分の耳を殴り返してくる。

 心臓が、内側から身体を叩き割ろうとしているかのように、無茶苦茶な速さで打ち続ける。

 

 反射的に、両手が首へ伸びる。

 爪が皮膚に食い込み、息が詰まるほど強く、痛いほど強く、自分の首を掴む。何度も何度も確かめるように撫で回すと、冷たい汗で濡れた首筋は確かに繋がっているのが分かる。切り離されていない。血も、流れていない。

 

「……ひっ……ひ、ひっ……」

 

 呼吸が、壊れている。

 吸うたびに喉が焼ける。吐くたびに、胸の奥が引き裂かれるみたいに痛む。呼吸は乱れ、胸が大きく上下する。肺に入ってくるはずの空気が、途中で霧散していく。息を吸っても、吸えていない。吐いても、吐けていない。視界の端が暗くなり、星のような光がちらつく。

 それでも、手を離せない。

 あの刃の感触が残っている。皮膚が裂ける瞬間の冷たさと、熱と、肉が裂ける音も。

 

 視界の端が滲む。

 月明かりに照らされた剣と、地面に落ちた天秤の幻が、まだそこにある。

 首が落ち、視界が回り、地面に転がり、月明かりが遠ざかる映像が、勝手に再生される。

 止めようとしても、止まらない。

 

「……い、いや……」

 

 声にならない声が、唇からこぼれ落ちる。

 違う、これは違う。首は、落ちていない。血の匂いもしない。剣の重みも、手にはない。

 分かっているのに、身体が信じていない。

 

「──っ、う゛……!」

 

 喉が引き攣った。

 次の瞬間、胃の中身がせり上がってくる感覚が襲った。身体が前へ折れ、喉が勝手に開き、暗闇の中に苦い液体を吐き出す。自分の呼吸と、嗚咽と、吐瀉物が混ざり合う情けない音が落ちていく。

 

「ごほっ……!ごほっ……ぅえっ……!!」

 

 そして、喉が焼けるほど吐き終えてようやく、視界に場所が入り込んできた。

 

 暗い。だが、完全な闇ではない。天井の高い部屋に、厚手のカーテンの隙間から淡い光が差し込んでいる。光は柔らかく、部屋の輪郭をぼかすように空間を撫でていた。

 

 次にアウラは、自分が寝台に寝かされていたことに気づいた。背中に感じるのは、硬い石でも冷たい地面でもない。沈み込むような柔らかさと、上質な布の感触。指先を動かすと、絹のように滑らかなシーツが擦れる音がした。

 

 ここは、どこだ。

 心臓がまた、強く脈打つ。

 嫌な予感が、胸の奥で形を持ち始める。

 

 アウラは、自然と魔力探知を行った。

 身体の内側から外に意識を伸ばせば、部屋の片隅、ベッドから少し離れた場所にある机の側に置かれた椅子に、誰かが腰掛けている。

 

 背を向けている。

 視覚ではそれだけしか捉えきれない。だが、魔力の感覚が、はっきりと告げていた。

 あれは人間だ。

 

 アウラの内側で、何かが凍りついた。

 魔族として、人間の気配を感じること自体は珍しくない。だが、ここまで近い距離で、しかも無防備な状態で、背を向けたまま待たれているという状況は、あまりにも異常だった。

 

 死の恐怖が、再び遅れてやってくる。

 戦場で感じた恐怖とは違う。何が起きたのか分からず、何故ここにいるのかも分からず、誰に何をされたのかも、分からない。

 それが、喉を締め上げる。

 

 もし、ここで目覚めたのが、まだ戦場の真ん中で、フリーレンが目の前に立っていたなら。それならまだ事は単純だっただろう。

 

 だが今は違う。

 この静けさに、整えられた寝台。この背を向けている人間に、全くと言っていいほど殺す気配がないことが、逆に恐ろしい。

 

 アウラは視線を椅子の方へ向ける。

 まだ人間は振り返らない。机の上には書類のような紙の束と、インク瓶らしき影が見える。

 椅子の背もたれに預けられた身体は緊張している様子もなく、自然だ。まるで──目覚めるのを、待っているかのように。

 

 そして不意に椅子が、静かに鳴った。

 木と床が擦れる乾いた音がするだけで、アウラの肩が跳ねる。椅子に座り背を向けていた人物が、ゆっくりと立ち上がってこちらに歩み寄ってくる。

 

 人間の女だった。

 背の高い、30代ほどの年頃。肩から腰にかけて、無駄のない線で仕立てられた白い礼服のような、しかしどこか軍服にも見える装い。布地は上質で、僅かに光を反射する。黒い髪はきちんと纏められ、顔には感情の起伏を抑えた、穏やかな微笑が浮かんでいる。

 その微笑が、逆に不気味だった。

 

 人間の女は少しだけ腰を折り、ベッドに座るアウラに視線を合わせる。

 

「お目覚めになったかな、断頭台のアウラ様」

 

 その言葉に、アウラの内側が騒つく。

 人間が、魔族に敬称を付ける。それも、魔王直属の七崩賢に対して。

 

 続けて女は窓際へ歩く。

 部屋のカーテンの前に立ち、こちらを振り返ったまま、穏やかに続けた。

 

「ようこそ、宴都ビューネへ。歓迎します」

 

 女がためらいもなくカーテンを開くと、光が爆発した。

 夜だというのに、闇が一瞬で押し流される。窓の向こうに広がっていたのは、無数の光だ。

 

 何発もの花火が、夜空に打ち上がる。

 赤、青、金、緑。弾けるたびに、夜空が昼のように照らされ、建物の輪郭が浮かび上がる。

 

 その下に広がるのは、果てのないほどに広い都市。様々な色彩の光が走り、看板が瞬き、歓声と音楽と笑い声が、ガラス越しに微かな振動となって伝わってくる。まるで、夜そのものを光で彩ったかのような光景。

 

 アウラは、言葉を失った。

 こんなものは魔族の都市でも、人間の都市でも見たことがない。あまりにも楽しげで、あまりにも現実味がない光景だった。

 女はその反応を満足そうに眺めてから、再び口を開く。

 

「お連れの方も、近くにいらっしゃいます。最も目覚めたばかりで、今はお休み中ですが」

 

 花火がまた空を裂いた。光が女の白い服を照らし、影を長く床に落とす。

 

「どうぞ、ゆっくりとお過ごし下さい。宴都ビューネは──永遠に、宴の続く都市ですから」

 

 窓の外で花火が、一際大きく弾けた。

 光の中で、都市は笑っているように見えた。

 

 

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