Cyberpunk:RUNNING IN THE NIGHT CITY 作:菜の花畑
街の外れ、砂漠地帯。其処にルーシーはいた。
風も温度も、音すらも感じない。
己の息遣いが、他人のそれのようだった。
サイレント映画か、まさか。
映像は唐突に始まった。
ミリテクの強襲を退けるため、キーウィ主導の下、強奪したサイバースケルトンの接続準備が行われる。
主を待つインプラントは、底冷えするような黒光りを放っていた。
「デイビッド……駄目よ。それはインストールするべき物じゃ無い」
思いも空しく、クロームから伸びた楔がデイビッドを貫く。
聞こえて然るべき痛みの声は、やはり無い。
分かるのは周辺機器が警告表示していることのみ。
目減りする人間性コスト。レベッカが抑制剤を打ち込み、どうにかセットアップは完了した。
これが、ファラデーの計画。ルーシーの罪、本来の姿。
サイバースケルトンの強さは常軌を逸していた。奪われる武器、瞬時に潰れる車両。ミリテク・アラサカ両陣営は、ことごとくスクラップ化した。
その力と引き換えだ。寿命は削れていった。
「もう良い……もう良いのデイビッド……その力は使っちゃ駄目……」
遂にアラサカタワーにて、アダム・スマッシャーと対面する。
不意打ちを受け発狂し、窓の外へと飛び出して行った。
その手に抱えるのは自分。
インストールの、原因だ。
「嘘よ……そんなの嘘!だってここに!」
やはり奴は怪物だった。
共に戦い、これ以上無い強さを発揮してくれたレベッカが、一撃で殺された。
デイビッドも立ち向かうが、クロームを壊され、一方的な蹂躙の末、瀕死になる。
連戦に次ぐ連戦、全身を蝕む副作用。限界という言葉すら生温かった。
それを横目に、ファルコの手で逃がされる、自分。
「……けるな……ふざけるな!何で逃げてんのよ!デイビッドを助けなさいよ!」
跪いた。映像は止まりはしない。
ズタズタにされながらも、笑っていた。
晴れやかですらあった。
「やめて……もう見せないで……!」
言葉とは裏腹に、目が逸らされることは無かった。
そして、その目に焼き付けるように、デイビッドの笑顔は、真っ赤に砕け散った。
「いやあああああぁぁあ!」
「あああっ!?」
「ルーシー!」
街が暗幕に覆われた頃だった。雲の隙間から照らされたベッドの上で、彼女は飛び起きた。
寒気を嘲笑うように汗が吹き出て、抱えた腕には爪が食い込んだ。
言うまでもなく、此処は自宅だ。しかし知る由は無い。眼中に無かった。
最後の記憶はディープダイブ。今見たのは起こり得た現実の続き。
それが示すこと。それは……
「デイビッドが……デイビッドが死んじゃう……私を……私なんかのせいで!」
「大丈夫だよ、ルーシー……俺は生きてるから」
デイビッドが駆け寄り、背を抱いたが、伝わらない。
寧ろ、熱で震えが浮き彫りになった。
「駄目、駄目なのよ……私は……私なんか……」
「ルーシー……?」
「私なんか……私が死ねば良かったのに!」
「ルーシー!」
殆ど脊髄反射だった。
顔を掴み、無理矢理目を合わせる。
自分だけを映すように。
当初引き攣っていた眼は、時間をかけて、少しずつ焦点を結んでいった。
「デイビッド……生きてる……?」
「そうだよ、ルーシー。生きてるよ。勝ったんだ……君のお陰だ」
語気に力を込め、何とか笑ってみせるが、靄は晴れなかった。
「違う……私は何もしてない……その気になってただけ……」
「そんなこと……」
呟きは、交わることなく霧散した。
彼女は手を離れ、動かなくなった。
一体何を見てきたのか。
今は虚の中に、何を見ているのだろうか。
開きかけた口を噛み締める。
顎を伝う汗。思わず鳥肌が立つ。
顔が、此方へと動いた。
微笑みを浮かべていた。
砕け散る寸前の、薄氷のような。
「……違うわね。私は良くやった。及ばなかっただけ……生きてるあんたがおかしいのよ」
鼻奥から、揶揄の音が響く。
言葉を失った。
背骨が靱性を失い、音叉のように共振する。
ドクは予期していたのか。まるで別人だ。
ハミングが止まった。口が鋭利に歪む。
「昔からそう……私に関わるとみんな死ぬの。メインやドリオだけじゃ無い……あんただって知ってるでしょ?」
「ルーシー……何を……」
搾り出たのは、それだけだった。
発せられる音が、声が、喉を締め上げる。気流は滞り、声帯は役をなさない。
彼女は詠う。
「別に死なせたかった訳じゃ無いわ。私はパイを取っただけ。食べなきゃ死ぬ、そうでしょ?落ちてようが腐ってようが、そんなのこの街には関係無い……だから地獄なのよ」
彼は、ただ俯く。
「だけどどうしてかしらね?人一人のために何十?何百?知らないわ、食べたパイの数なんて。クソ不味くて思い出したくも無い……デイビッド、全部あんたのせいよ」
ぎょっとする。寝耳に水だった。
彼女の眉が吊り上がる。
「夢を見るのは寝る時だけ。叶うのは死んだ時。それで良かった。現実逃避したって、生きるのが苦痛なだけだもの……なのにあんたは、人の夢叶えるだなんて、馬鹿みたい……失せなさいよ、もう。これ以上馬鹿を移さないで」
旋律が止み、喉が引き攣った。
腰が砕け、手をつく。頭が上がらない。口の奥が粘ついた。泥を流し込まれたようだ。
へばりつく汗が、重力に負けて滴り落ちる。
彼女は口元を抑え、小節を鼓膜へと叩きつけた。
「何?ダニでも観察してるの?外に居るでしょ、腐るほど……消えてよ。見苦しい」
のしかかる低音に、肘が面白い程笑った。
これ程周波数の合う相手などいるだろうか。
目線を合わせ、口角を上げてやった。
これはツケなのだ。人の夢を追っておきながら、自分しか見ていなかった。己の汚さを嫌悪するだけで、彼女の業など考えもしなかった。
だから、今は受け入れた。その上で決めたのだ。
するのは受容までだと。
「それは聞けないな……いくら君でも」
「……はあ?」
転調した。半音上がった瞬間、目の全貌が露になる。
そこにあるのは、何処までも続く深淵。行けばもう戻れない。
不意に、頬を冷たさが走る。彼女の手だった。
「ホントに鈍いガキね……死ななきゃ分かんない?」
唇が弓を引く。覗いた歯は、剃刀を思わせた。
距離は目鼻の先、対象は無防備、首筋は狙い放題。後は、刃を突き立てるだけだ。
にもかかわらず、血潮の巡りを感じていた。
如何に冷たくとも、熱は伝播する。温くなった手と脈が、足掛かりを与えてくれた。
手を掴み返す。浮ついた隙に、腕を引き込んだ。
「……何してんのよ。離しなさい」
「嫌だ。と言ったら?」
「私は躊躇しない」
「ならやれよ」
ぴくりと、手が動いた。
「君に殺されるなら本望だ……良いよ、いつでも」
密かに目を閉じた。
単調に刻まれる脈動を数えるでも無く、いつが来るのを待ち続ける。
ふと、肩が揺れた。
「……ふっ……ふふふふふ……あはははは……」
「ルーシー?」
音の波は段々と膨れ上がり、打って変わって高笑いが溢れ出た。
先のような重々しさは無い。
打ちひしがれるような響きも無い。
言うなれば、音の外れた笛だ。
手を解く。かち合ったその顔つきに、眉間の皺を深くした。
氷の微笑は、罅だらけだった。
筋肉で釣り合いを取っているだけだ。早くも痙攣が来ていた。
細く開いた口が、沈黙にひっそりと穴を開けた。
「本望だなんて、馬っ鹿みたい……あんたが宜しくやってた女は、もう居ないのよ」
「ならそれでも構わない」
「……は?」
表情が、無で固まる。
もう一度、彼女の頬を包んだ。
「……俺にとっては、君も彼女だ。彼女を守るために生まれた、もう一人の……だから、君が何を言っても、俺の気持ちは変わらない」
「……あんたに何が分かるのよ」
腕が締め付けられる。曲がった指から、熱が逃げ出した。
「私が何考えて、何してるかなんて分からない……あんたはそう言ったわ」
「言った……申し訳ないと思ってる」
「なら消えなさいよ……顔も見たくない」
指が外れた。
食い込んだ赤い痕が、熱を滲ませる。
細めた目を、彼女へと移した。
鼻先まで覆う髪。唇は噛み締められ、白みを帯びている。
やはりいる。匿われているだけだ。
後は自分次第だ。
軽く咳払いした。
判断を誤れば、この彼女は赦さない。八つ裂きでも何でもするだろう。
すれば良い。身を差し出すだけだ。
「ならせめて……聞いてくれないか?」
毛先が、微かに靡く。
理屈では無い。ましてや未練など以ての外だ。
何よりも先に、伝えるべきは……
「ルーシー……ありがとう……」
今度は乱れた。
「君が居なかったら、俺はとっくに死んでた……それだけじゃ無い。支えてくれたこと、出会ってくれたこと……本当にありがとう」
選んだのは、感情だった。彼女がそうだったように。
言葉の熱だけが、間隙を揺蕩っていた。
やおらに、拳が開いた。寝床が軋む。
破裂音。壁が映っていた。
「……わよ……」
「……ルーシー?」
「ふざけんじゃないよ!そんなこと思って無い癖に!」
遅れて、頬がひりつく。
氷の蓋は跡形も無かった。
底の見えない容れ物から、中身が溢れ出る。
「あんたはいつもそうよ!人のことばっかりで、勝手に突っ走って……私の言うことなんて聞いてもくれなかったじゃない!」
「……ごめん……」
「それで何かと思えば、ありがとうだなんて……馬鹿にするんじゃないわよ……あんたなんか……あんたなんか大っ嫌い!」
一際大きな静謐が、耳に穴を開けた。
言ったきり、手はぶらんと下げられたままだ。
次を伺っているのだろうか。
……尻尾を踏まれているとは知らずに。
虹彩が、黒く塗り潰された。
心の抉れは無い。拍子抜けした。与えられたのだ。自覚する契機を。
腹の底で燃え盛るものに。
良く知っている感情だ。不思議と頭はすっきりしていた。曇りも無い。いっそ冷ややかな程、貌が見える。
完全燃焼だ。
停止は出来ない。それを除けば、至って正常だった。
「……心外だ」
抑えたつもりが、壁や天井からも跳ね返りを感じた。
殊の外反響があったらしい。
「君だって、俺に死ぬなとか言っておいて、一人で無茶してたんじゃないか」
「あんたを助けるためにやったことよ!礼まで言っておいて、今更蒸し返すつもり?」
「あぁそうだ、俺のせいだ。さっきの言葉も嘘じゃない。けど……それとこれとは別だろ?」
音階が下がった。反射で固まる。
マットに埋もれ、影が覆いかぶさった。
「水には流せないな」
「退きなさいよ!さもないと!」
「殺せば良い。俺のことなんて好きなだけ嫌いになれよ……八つ当たりするだけだから」
体が跳ねる。声は塞がれていた。
口腔は狭過ぎた。
捩じ込まれ、粘液が絡み合う。
匂い。温度。圧迫感。
霞がかる自我の境界。
……結局、歯は落とされなかった。
「はぁ……はぁ……」
四肢が上がらない。
筋繊維を一本に解されたようだ。
「……やけに素直だね……良かった?」
「……馬鹿なこと言わないで」
「否定しないんだ?」
目に力を込め直す。
幾らでもやってきた動作なのに、一向に筋収縮しなかった。
額が重なる。許可した覚えは無い。
「なぁルーシー」
「……何よ?」
「君を抱きたい……話は後でしよう」
「っ!あんたいい加減にしなさいよ。そんな気分じゃない……分かるでしょ?」
「そんなんじゃ止まらないよ?……嫌なら、逃げなきゃ……」
耳が、灼けつく。
深く沈み、我ならぬ何かと混ざり合う。
首筋をちくちくと走る痛覚だけが、自制心を繋ぎ止めていた。
大方反論もやることも尽きて、こんな手で来たのだろう。腰を振って終わるつもりか。浅はかな。
屈しない。もう。この男には。
裾をくぐり、背部にがり、と爪を立てた。