Cyberpunk:RUNNING IN THE NIGHT CITY   作:菜の花畑

7 / 10
後遺症、ですかね


SAVE ME

 街の外れ、砂漠地帯。其処にルーシーはいた。

 風も温度も、音すらも感じない。

 己の息遣いが、他人のそれのようだった。

 サイレント映画か、まさか。

 映像は唐突に始まった。

 ミリテクの強襲を退けるため、キーウィ主導の下、強奪したサイバースケルトンの接続準備が行われる。

 主を待つインプラントは、底冷えするような黒光りを放っていた。

「デイビッド……駄目よ。それはインストールするべき物じゃ無い」

 思いも空しく、クロームから伸びた楔がデイビッドを貫く。

 聞こえて然るべき痛みの声は、やはり無い。

 分かるのは周辺機器が警告表示していることのみ。

 目減りする人間性コスト。レベッカが抑制剤を打ち込み、どうにかセットアップは完了した。

 これが、ファラデーの計画。ルーシーの罪、本来の姿。

 サイバースケルトンの強さは常軌を逸していた。奪われる武器、瞬時に潰れる車両。ミリテク・アラサカ両陣営は、ことごとくスクラップ化した。

 その力と引き換えだ。寿命は削れていった。

「もう良い……もう良いのデイビッド……その力は使っちゃ駄目……」

 遂にアラサカタワーにて、アダム・スマッシャーと対面する。

 不意打ちを受け発狂し、窓の外へと飛び出して行った。

 その手に抱えるのは自分。

 インストールの、原因だ。

「嘘よ……そんなの嘘!だってここに!」

 やはり奴は怪物だった。

 共に戦い、これ以上無い強さを発揮してくれたレベッカが、一撃で殺された。

 デイビッドも立ち向かうが、クロームを壊され、一方的な蹂躙の末、瀕死になる。

 連戦に次ぐ連戦、全身を蝕む副作用。限界という言葉すら生温かった。

 それを横目に、ファルコの手で逃がされる、自分。

「……けるな……ふざけるな!何で逃げてんのよ!デイビッドを助けなさいよ!」

 跪いた。映像は止まりはしない。

 ズタズタにされながらも、笑っていた。

 晴れやかですらあった。

「やめて……もう見せないで……!」

 言葉とは裏腹に、目が逸らされることは無かった。

 そして、その目に焼き付けるように、デイビッドの笑顔は、真っ赤に砕け散った。

「いやあああああぁぁあ!」

 

「あああっ!?」

「ルーシー!」

 街が暗幕に覆われた頃だった。雲の隙間から照らされたベッドの上で、彼女は飛び起きた。

 寒気を嘲笑うように汗が吹き出て、抱えた腕には爪が食い込んだ。

 言うまでもなく、此処は自宅だ。しかし知る由は無い。眼中に無かった。

 最後の記憶はディープダイブ。今見たのは起こり得た現実の続き。

 それが示すこと。それは……

「デイビッドが……デイビッドが死んじゃう……私を……私なんかのせいで!」

「大丈夫だよ、ルーシー……俺は生きてるから」

 デイビッドが駆け寄り、背を抱いたが、伝わらない。

 寧ろ、熱で震えが浮き彫りになった。

「駄目、駄目なのよ……私は……私なんか……」

「ルーシー……?」

「私なんか……私が死ねば良かったのに!」

「ルーシー!」

 殆ど脊髄反射だった。

 顔を掴み、無理矢理目を合わせる。

 自分だけを映すように。

 当初引き攣っていた眼は、時間をかけて、少しずつ焦点を結んでいった。

「デイビッド……生きてる……?」

「そうだよ、ルーシー。生きてるよ。勝ったんだ……君のお陰だ」

 語気に力を込め、何とか笑ってみせるが、靄は晴れなかった。

「違う……私は何もしてない……その気になってただけ……」

「そんなこと……」

 呟きは、交わることなく霧散した。

 彼女は手を離れ、動かなくなった。

 一体何を見てきたのか。

 今は虚の中に、何を見ているのだろうか。

 開きかけた口を噛み締める。

 顎を伝う汗。思わず鳥肌が立つ。

 顔が、此方へと動いた。

 微笑みを浮かべていた。

 砕け散る寸前の、薄氷のような。

「……違うわね。私は良くやった。及ばなかっただけ……生きてるあんたがおかしいのよ」

 鼻奥から、揶揄の音が響く。

 言葉を失った。

 背骨が靱性を失い、音叉のように共振する。

 ドクは予期していたのか。まるで別人だ。

 ハミングが止まった。口が鋭利に歪む。

「昔からそう……私に関わるとみんな死ぬの。メインやドリオだけじゃ無い……あんただって知ってるでしょ?」

「ルーシー……何を……」

 搾り出たのは、それだけだった。

 発せられる音が、声が、喉を締め上げる。気流は滞り、声帯は役をなさない。

 彼女は詠う。

「別に死なせたかった訳じゃ無いわ。私はパイを取っただけ。食べなきゃ死ぬ、そうでしょ?落ちてようが腐ってようが、そんなのこの街には関係無い……だから地獄なのよ」

 彼は、ただ俯く。

「だけどどうしてかしらね?人一人のために何十?何百?知らないわ、食べたパイの数なんて。クソ不味くて思い出したくも無い……デイビッド、全部あんたのせいよ」

 ぎょっとする。寝耳に水だった。

 彼女の眉が吊り上がる。

「夢を見るのは寝る時だけ。叶うのは死んだ時。それで良かった。現実逃避したって、生きるのが苦痛なだけだもの……なのにあんたは、人の夢叶えるだなんて、馬鹿みたい……失せなさいよ、もう。これ以上馬鹿を移さないで」

 旋律が止み、喉が引き攣った。

 腰が砕け、手をつく。頭が上がらない。口の奥が粘ついた。泥を流し込まれたようだ。

 へばりつく汗が、重力に負けて滴り落ちる。

 彼女は口元を抑え、小節を鼓膜へと叩きつけた。

「何?ダニでも観察してるの?外に居るでしょ、腐るほど……消えてよ。見苦しい」

 のしかかる低音に、肘が面白い程笑った。

 これ程周波数の合う相手などいるだろうか。

 目線を合わせ、口角を上げてやった。

 これはツケなのだ。人の夢を追っておきながら、自分しか見ていなかった。己の汚さを嫌悪するだけで、彼女の業など考えもしなかった。

 だから、今は受け入れた。その上で決めたのだ。

 するのは受容までだと。

「それは聞けないな……いくら君でも」

「……はあ?」

 転調した。半音上がった瞬間、目の全貌が露になる。

 そこにあるのは、何処までも続く深淵。行けばもう戻れない。

 不意に、頬を冷たさが走る。彼女の手だった。

「ホントに鈍いガキね……死ななきゃ分かんない?」

 唇が弓を引く。覗いた歯は、剃刀を思わせた。

 距離は目鼻の先、対象は無防備、首筋は狙い放題。後は、刃を突き立てるだけだ。

 にもかかわらず、血潮の巡りを感じていた。

 如何に冷たくとも、熱は伝播する。温くなった手と脈が、足掛かりを与えてくれた。

 手を掴み返す。浮ついた隙に、腕を引き込んだ。

「……何してんのよ。離しなさい」

「嫌だ。と言ったら?」

「私は躊躇しない」

「ならやれよ」

 ぴくりと、手が動いた。

「君に殺されるなら本望だ……良いよ、いつでも」

 密かに目を閉じた。

 単調に刻まれる脈動を数えるでも無く、いつが来るのを待ち続ける。

 ふと、肩が揺れた。

「……ふっ……ふふふふふ……あはははは……」

「ルーシー?」

 音の波は段々と膨れ上がり、打って変わって高笑いが溢れ出た。

 先のような重々しさは無い。

 打ちひしがれるような響きも無い。

 言うなれば、音の外れた笛だ。

 手を解く。かち合ったその顔つきに、眉間の皺を深くした。

 氷の微笑は、罅だらけだった。

 筋肉で釣り合いを取っているだけだ。早くも痙攣が来ていた。

 細く開いた口が、沈黙にひっそりと穴を開けた。

「本望だなんて、馬っ鹿みたい……あんたが宜しくやってた女は、もう居ないのよ」

「ならそれでも構わない」

「……は?」

 表情が、無で固まる。

 もう一度、彼女の頬を包んだ。

「……俺にとっては、君も彼女だ。彼女を守るために生まれた、もう一人の……だから、君が何を言っても、俺の気持ちは変わらない」

「……あんたに何が分かるのよ」

 腕が締め付けられる。曲がった指から、熱が逃げ出した。

「私が何考えて、何してるかなんて分からない……あんたはそう言ったわ」

「言った……申し訳ないと思ってる」

「なら消えなさいよ……顔も見たくない」

 指が外れた。

 食い込んだ赤い痕が、熱を滲ませる。

 細めた目を、彼女へと移した。

 鼻先まで覆う髪。唇は噛み締められ、白みを帯びている。

 やはりいる。匿われているだけだ。

 後は自分次第だ。

 軽く咳払いした。

 判断を誤れば、この彼女は赦さない。八つ裂きでも何でもするだろう。

 すれば良い。身を差し出すだけだ。

「ならせめて……聞いてくれないか?」

 毛先が、微かに靡く。

 理屈では無い。ましてや未練など以ての外だ。

 何よりも先に、伝えるべきは……

「ルーシー……ありがとう……」

 今度は乱れた。

「君が居なかったら、俺はとっくに死んでた……それだけじゃ無い。支えてくれたこと、出会ってくれたこと……本当にありがとう」

 選んだのは、感情だった。彼女がそうだったように。

 言葉の熱だけが、間隙を揺蕩っていた。

 やおらに、拳が開いた。寝床が軋む。

 破裂音。壁が映っていた。

「……わよ……」

「……ルーシー?」

「ふざけんじゃないよ!そんなこと思って無い癖に!」

 遅れて、頬がひりつく。

 氷の蓋は跡形も無かった。

 底の見えない容れ物から、中身が溢れ出る。

「あんたはいつもそうよ!人のことばっかりで、勝手に突っ走って……私の言うことなんて聞いてもくれなかったじゃない!」

「……ごめん……」

「それで何かと思えば、ありがとうだなんて……馬鹿にするんじゃないわよ……あんたなんか……あんたなんか大っ嫌い!」

 一際大きな静謐が、耳に穴を開けた。

 言ったきり、手はぶらんと下げられたままだ。

 次を伺っているのだろうか。

 ……尻尾を踏まれているとは知らずに。

 虹彩が、黒く塗り潰された。

 心の抉れは無い。拍子抜けした。与えられたのだ。自覚する契機を。

 腹の底で燃え盛るものに。

 良く知っている感情だ。不思議と頭はすっきりしていた。曇りも無い。いっそ冷ややかな程、貌が見える。

 完全燃焼だ。

 停止は出来ない。それを除けば、至って正常だった。

「……心外だ」

 抑えたつもりが、壁や天井からも跳ね返りを感じた。

 殊の外反響があったらしい。

「君だって、俺に死ぬなとか言っておいて、一人で無茶してたんじゃないか」

「あんたを助けるためにやったことよ!礼まで言っておいて、今更蒸し返すつもり?」

「あぁそうだ、俺のせいだ。さっきの言葉も嘘じゃない。けど……それとこれとは別だろ?」

 音階が下がった。反射で固まる。

 マットに埋もれ、影が覆いかぶさった。

「水には流せないな」

「退きなさいよ!さもないと!」

「殺せば良い。俺のことなんて好きなだけ嫌いになれよ……八つ当たりするだけだから」

 体が跳ねる。声は塞がれていた。

 口腔は狭過ぎた。

 捩じ込まれ、粘液が絡み合う。

 匂い。温度。圧迫感。

 霞がかる自我の境界。

 ……結局、歯は落とされなかった。

「はぁ……はぁ……」

 四肢が上がらない。

 筋繊維を一本に解されたようだ。

「……やけに素直だね……良かった?」

「……馬鹿なこと言わないで」

「否定しないんだ?」

 目に力を込め直す。

 幾らでもやってきた動作なのに、一向に筋収縮しなかった。

 額が重なる。許可した覚えは無い。

「なぁルーシー」

「……何よ?」

「君を抱きたい……話は後でしよう」

「っ!あんたいい加減にしなさいよ。そんな気分じゃない……分かるでしょ?」

「そんなんじゃ止まらないよ?……嫌なら、逃げなきゃ……」

 耳が、灼けつく。

 深く沈み、我ならぬ何かと混ざり合う。

 首筋をちくちくと走る痛覚だけが、自制心を繋ぎ止めていた。

 大方反論もやることも尽きて、こんな手で来たのだろう。腰を振って終わるつもりか。浅はかな。

 屈しない。もう。この男には。

 裾をくぐり、背部にがり、と爪を立てた。

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