様子のおかしいハリー・ポッターさん(10代) 作:夜風ミシェル
1. Gehenna
人間なら誰でも一度くらいは『あの時に戻れたら』と夢想するだろう。
過去に戻って運命を捻じ曲げる。叶わない空想だと分かっていても、どうしたって考えてしまうのだ。
私と共に来てしまったが為に殺されたセドリック。
私の浅はかな行動のせいで、遺体すら残さず消失したシリウス。
私と共に戦い、そして命を散らしたルーピン、トンクス、ムーディ、ドビー、コリン、フレッド⋯⋯名前を挙げればキリがない。
死を以て私を導いたダンブルドア、スネイプ。
思えば、両親の一件から、私の人生には『死』が纏わりついていたのかもしれない。
残酷で、如何なる魔法でも覆すことのできない死。死を遠ざける魔法はあれど、蘇らせるものはなく。
私はいつまでもいつまでも、英霊に囚われ続けていた。
でも、死にたいと思ったことはなかった。本当だ。強がりではない。
親友二人がいてくれたから。愛すべき家族を得たから。そして、何にも代え難い仲間を得たから。
あの戦争から十三年、私は闇祓い局局長として、日々魔法界の平和の為に戦い続けている。
「お疲れ様。皆、今月もよく働いてくれたね」
エールを片手に微笑むと、闇祓いの仲間たちも思い思いにビールを煽った。
ここはホッグズ・ヘッド。ダンブルドアの弟が経営するパブだ。私は不定期にここを訪れては、アルコールを嗜んでいる。
今日は、第一小隊を引き連れて呑みに来たのだった。
「今月はやたらと人身売買の検挙率が高かったですよね〜」
赤毛の後輩が口元を拭った。呑みに来てもつい仕事の話になるのは職業柄だろう。私は後輩の前にフィッシュ&チップスの皿を差し出した。
「食事中にその話はやめようか」
「あ、はい」
後輩が口をもごもごさせると、長身の男が喉の奥で笑った。彼は第一小隊の副隊長だ。
「じゃ、話を変えるか。⋯⋯ハリーのゴシップ記事とか?」
「それやめて。これは命令です」
思いっきり顔を顰めてみせると、副隊長は肩を震わせた。そして、堪えきれなくなったのか爆笑し始める。彼は闇祓いの経験年数こそ私に及ばないが、同い年であるが故に遠慮がない。
「客の忘れ物だ。好きにしろ」
アバーフォースが悪ノリして、例のゴシップ記事をテーブルに置いた。内容としては、私とハーマイオニーが怪しい──言葉を選ばずに言うならば、不倫関係にあるのではないか、という最悪の妄想だった。
ハーマイオニーは魔法法執行部に異動したばかりで、否が応でも人の関心を惹く。私もそれは同じで、結果として二人のゴシップは後を絶たない。今回は二人まとめて記事にされたようだった。
「ほら、君は四年生の頃、リータ・スキーターにハーマイオニーとクラムと君とで三角関係がどうのこうの書かれただろ? あれを引用して今回の記事が生まれたっぽいね」
「最悪だ⋯⋯」
「巨悪を倒した英雄だろうと、人はゴシップを求めるのさ」
彼の言う通りだった。
私はヴォルデモートを打ち倒した英雄として崇拝されている。だが、戦争が過去のものとなるにつれて人々の恐怖心は薄れ、安穏な生活に刺激を求める。
とはいえ自分のことをゴシップにされるのはうんざりだった。しかも不倫って。
「ロンには見せちゃいけないな」
「たははっ! 僕もそう思うよ」
副隊長は自分から話を始めたくせに、「この記事は燃やそう」と言って柳の木の杖を振った。紙は暖炉に放り込まれ、一瞬で灰と化す。
「あ、噂をすれば」
後輩が外を指差す。釣られて顔を向けると、パブの扉が開いてロンが入ってきた。一斉に沸き立つ隊員たちに、ロンは片手を挙げて応える。
ロンは闇祓いを早期退職した後も、こうして会いに来る。闇祓いの戦闘訓練にも偶に参加していて、交流は絶えない。
「やぁ。皆、酒は進んでる?」
「奢りなので、沢山飲みます!」
赤毛の後輩が声高に宣言すると、ロンはゲラゲラ笑った。ロンはこの後輩を、弟のように思っているらしい。斯く言う私も、素直で可愛い彼のことは気に入っていた。まだ新人だが、めきめきと頭角を現しつつある。表立っては言えないが、一番目を掛けている部下でもあった。
ほかの後輩たちとの交流を終えると、ロンは私の隣に椅子を持ってきて座った。そして、思い出したようにトランクを持ち上げた。
「そうそう、うちの商品を見てほしくって」
ロンは現在、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの経営の手伝いをしている。テーブルの上に、精巧な杖の玩具が散らばった。
「改良しただまし杖。なんとこの度、オリバンダーとのコラボが決まってね。実存する杖そっくりのデザインで作ってみたんだ」
ロンは一本の杖を手に取った。振り回すと忽ち蛙に変身する。
私は杖をよく見た。
「これって⋯⋯」
「お、気付いた? 君の杖そっくりでしょ」
見た目も長さも、いつも私が使っている杖そのものだった。手の平によく馴染む。
隊員たちは目を輝かせた。「これが局長の杖!」「闇の帝王を倒した局長と同じ杖を持てるなんて!」と好評の様子。
赤毛の後輩は、副隊長に玩具を手渡した。
「ほら、副隊長もどうです? 本当は十本くらい欲しいんでしょう?」
「要らないよ」
「え〜? だって副隊長って、ハリーへの憧れが捨てきれず、事務職から闇祓いに転職するくらい『ハリー・ポッター』のファンじゃないですかぁ」
「べべべ別に僕はファンじゃねーわ! 勘違いすんなよ」
とか言いつつだまし杖を回収している。お手本のようなツンデレっぷりに思わず笑うと、皆も爆笑し始めた。
ロンはにやけた顔で問う。
「君の杖も作ってあげようか? 商品棚に並べて置いておくよ。柳の木の杖だったっけ?」
「絶対に売れないでしょ。嫌すぎるんだが。売れ残る自分の杖を見るの」
「違いないね、副隊長殿」
皮肉たっぷりに役職名で呼ばれ、彼はぐぎぎぎと歯を食いしばった。
その後も話は大いに盛り上がったが、そろそろ解散した方がいいだろう。私は腕時計を見た。
「今日はお開きにしようか。皆、先に帰っていいよ」
勿論お代は私持ちだ。皆、礼を言いながら帰っていった。片手にだまし杖を持って。
「あれ、新商品でしょ。皆に配って良かったの?」
「いいんだよ。一ヶ月後、闇祓い局に取材が入るだろ? その時に皆が持ってたらいい宣伝になる」
「策士だ⋯⋯」
チェスでは負け知らずの親友はにやりと笑った。そして、「呑み足りないからもう少しここにいよ」と椅子に座り直す。
「いやぁ、だいぶ売り上げが見込めそうで何よりだよ。後輩たちからも好評だし」
「まぁね。自分で言うのもなんだけど、私に憧れて闇祓いになった人が多いから」
私はチーズを追加注文した。
思わず苦笑が漏れる。
「⋯⋯私は英雄なんかじゃないのに」
その言葉に、ロンは顔から笑みを消した。ビールの瓶を置く音が重く響く。
「『自分はただ守られていただけ』とか、『ダンブルドアのお膳立てのお陰』とか言うんだろ? 確かにその側面は否定できないけど、ヴォルデモートにトドメを刺したのは君じゃないか」
君は充分ヒーローだよ、とロンは続けた。ジョッキから滴り落ちる水滴が、木製のテーブルに滲みを作る。
視界がぼやけてくるのは、アルコールのせいだけではなかった。
「でも⋯⋯それさえも計算されたことで⋯⋯。私だけでは、何一つ成せなかった」
憧れは呪いだ。皆の眼差しは、時折私の胸を抉る。
ロンは大袈裟にため息をついた。
「もー、そういうこと言うのやめてよ。僕なんて分霊箱の影響をモロに食らって君たちと喧嘩した挙句、途中離脱したんだよ? 君がそんなんじゃ、僕の立場がないだろ」
スリザリンのロケットのせいで一時的に精神が不安定になったことを、ロンは未だに引き摺っていた。「うおぉぉ⋯⋯あの時の自分を殴りたい。恥ずかしすぎる」と頭を抱える姿は子供っぽかった。ついでに机のささくれが肘に刺さったらしく、今度は悶絶し始めた。可哀想だけど、ちょっとおもろい。私は込み上げる笑いを隠そうと顔を伏せた。すると、乱暴に頭を撫でられる。
「そんな重く感じる必要はないんじゃない?」とロンは天井を仰いだ。
「少なくとも僕にとって、君は英雄じゃないし」
「⋯⋯じゃあ、何だって言うの」
「最高の友達だよ」
ぽんっと放たれた言葉に、声が詰まった。ロンはしてやったり顔でビールを煽ると、頬杖をついた。
「君が背負ってるもの全部、僕も背負ってあげるから」
「ね?」とロンは小首を傾げる。悔いも痛みも丸ごと包み込むような柔い笑みが眩しかった。こんなことを平然と言える君が、言葉にできないほど愛おしい。
私は目尻の涙を拭った。「笑うか泣くかどっちかにしろ」と理不尽に怒られたのは、ちょっと解せないけど。
つくづく思う。私は人に恵まれたなと。そして、この生活が続くことを祈った。
だが、前述の通り、私の人生には死が纏わりついている。それは今も変わらなかった。
戦闘訓練場が襲撃を受けたのは、それから一週間後のことだった。
首謀者はデルフィーニ。
ヴォルデモートの娘を名乗る女は、同志を引き連れて私を殺しに来たのだった。──
*****
闇祓いの本部は魔法省にあるが、戦闘訓練場は独立して存在している。今日は第一小隊が貸し切っていて、私たちは鍛錬に励んでいた。
「⋯⋯?」
不意に、床が僅かに振動していることに気付いた。揺れはどんどん大きくなる。
その原因が膨大な魔力だと気付いた瞬間、私は叫んだ。
「全員、防御魔法を──っ!?」
その声は爆音にかき消された。天井から、見えるはずのない空が覗く。建物が崩壊していた。
私は近くにいた後輩を守りながら、その惨状を見つめていた。
ここは結界魔法を重ね掛けしている。それが一瞬で破られた。守護霊で応援要請を出すと、私は慎重に敵の気配を探った。数にして十数名。だが、そのうちの一人から凄まじい魔力を感じた。
それが、デルフィーニだった。
デルフィーニの目が、私を捉えた。
そこからは激しい魔法の応酬だった。
デルフィーニは執拗に私を狙う。デルフィーニの仲間は、第一小隊員と乱戦を繰り広げていた。
「アバダ ケダブラ!」
死の呪い。身を捻って躱すと、私は武装解除呪文を唱えた。光線は弾かれ、かろうじて耐えていた屋根材が落下する。
私は後ろに飛んだ。着地すると、水が跳ねる音がした。──違う、これは血だ。
虚ろな目をした後輩が仰向けに倒れていた。白いワイシャツが、彼の髪色と同じ真紅に染まっていく。既に事切れていた。
私は唇を噛んだ。
「⋯⋯第一小隊、禁じられた呪文の使用を許可する!」
増幅魔法で声を響かせると、あちこちから「了解!」と返事を受けた。
私はデルフィーニに向き直った。足元の死体は見ない。
そして、同時に杖を振った。
「「アバダ ケダブラ!」」
両者共に光線は外れた。私は身を低くすると、一気に距離を詰めた。
近距離での魔法の撃ち合い。閃光が皮膚を掠め、どちらのものなのか分からない鮮血が迸る。
デルフィーニは舌打ちと共に宙に飛んだ。箒無しの飛行術だ。上から弾丸のように降り注ぐ魔法を、私は防御魔法で受け流そうと試みる。だが、一つ一つが重い。少しでも気を抜けば、膝が折れてしまいそうだった。
⋯⋯このままではもたない、と思った。デルフィーニは強い。そして、若さ故の体力がある。
「プロテゴ・マキシマ!」
後ろから声がした。 副隊長によって、ドーム状の護りが築かれる。時間稼ぎをしながら彼は報告した。
「あいつの仲間は全員片付けた」
私は人数確認をした。四人。戦える状態なのはそれだけだった。しかし、デルフィーニの仲間はもういない。いくら彼女が強くても、人数差があればどうにかなると思いたかった。
デルフィーニも自分の同志がいなくなったと気付いたのだろう、「使えない」と吐き捨てた。
「……だったら遠慮はいらないわねっ!」
デルフィーニの杖先から激しい炎が噴射された。護りは破壊され、熱気が肌を焦がす。
悪霊の火だ。炎は蛇のような動きで、訓練場を駆け巡る。
生存者の一人が飲み込まれた。肉が焼けるにおいが鼻を掠める。咄嗟に伸ばした腕は、副隊長によって引き戻された。
「馬鹿! 死ぬぞ!」
彼は私を担いで、燃え盛る業火から距離を取った。勿論その間にも緑色の閃光が飛来しているが、その全てに死の呪いをぶつけることで相殺するという離れ業をやってのけた。
「悪霊の火を長時間扱うのは難しいし、あいつもそろそろ止めるだろ」
彼の予想通り、デルフィーニは杖を下ろすと苦しそうに息を吐いた。すかさず攻撃すると、無から生み出された蛇が魔法を飲み込んで消失した。 杖を握る手が汗ばんできた。長時間戦っているかのような疲労感だが、実際には五分も経っていない。
私は隊員に指示を出し、挟み撃ちを狙って左右に分かれた。デルフィーニは四方八方に攻撃魔法を飛ばす。誰かの首が宙を舞った。
地面が爆発し、足に砕片が突き刺さる。デルフィーニの視線が負傷部位に吸い寄せられ、私は瞬時にそこを庇うように盾を作った。
だが、それはフェイントだった。
禍々しい蒼黒の刃が右肩を貫いた。
「ハリーっ!」
副隊長の声が遠い。落雷のような衝撃と痛みで、ほんの一瞬意識が飛んだ。──右腕から杖が滑り落ちる。デルフィーニが舌で唇を舐めた。
「クルーシオ」
私は咄嗟に左手を前に突き出した。杖無し魔法で足元の瓦礫を浮かせて身代わりにしたが、衝撃波を殺し切ることができない。私の体は後ろに吹っ飛んだ。そのまま壁にぶつかるかと思われたが、すんでのところで抱き止められた。
「すまない、ありがとう」
私が礼を言うと、「大丈夫さ」と返された。
いつの間にか、生存者は私たち二人だけになっていた。
「サーペンソーティア」と唱えて呼び出した蛇をドラゴンに変身させ、デルフィーニにけしかける。その隙に彼は柱の影に避難すると、私の肩に包帯を巻いた。
「杖、落としたよね」
そう問われ、私は顔を伏せた。こんな状況であるまじき失態だ。
杖無しでも戦うことはできる。だが、どうしたって精度は落ちてしまう。杖を拾いたいが、こんな惨状で探すことなど不可能に近い。
絶望的な状況だった。それなのに、私の目の前にいる彼の瞳は輝いている。
「こんなこともあろうかと、僕は杖を二本持っているんだよ」
彼の袖口から、細長い棒きれの先端が見えた。知らず知らずのうちに笑みが零れる。
「君って最高」
私の言葉に、彼も笑った。そして、今使っていた方の杖を私に差し出す。
「こっちの方が使いやすいと思うから」
「さんきゅ」
軽く打ち合わせを済ませると、彼は柱から飛び出した。
デルフィーニの正面に立った彼は、わざとらしく「ハリー、逃げろ!」と叫んだ。その言葉に従い、私は駆け出す。
デルフィーニが嘲笑した。
「杖もない、怪我して姿くらましも使えない。どうやって逃げるってのよ」
デルフィーニは今、私に杖がないと思っている。だから油断している。
「あなたたちはここで死ぬわ。奇跡なんてない」
「奇跡を起こすのが魔法だろ?」
彼は霧を作り出した。視界不良でも、魔力探知で彼女の居場所はすぐに把握できる。白い霧の向こうで、閃光だけが生き物のように脈打っていた。
鈍く重い衝突音と、何かが崩れる音が響いた。その正体が何なのか探る前に、私はデルフィーニの背中に杖を突き立てた。
「アバダ ケダブラ」
デルフィーニの体が、力なく倒れた。
終わった。
ヴォルデモートの娘は死んだ。
私は痛む体を引きずって、最後まで共に戦ってくれた彼の元へ這った。
瓦礫に包まれた彼の体は蝋人形のように固まっていて、脈動すらも感じられなかった。
絶命していた。
血だまりに杖が落ちている。拾い上げて、気付いた。
「なんだ⋯⋯」
どうしようもない感情が、涙となって溢れた。
私は震える声で呟いた。
「偽物じゃないか⋯⋯」
それは、あの日、ロンがパブで配っていただまし杖だった。
嗚咽が込み上げて言葉が出なかった。彼に託された柳の杖が酷く重い。
救いはない。英雄はいない。神さえもいないのに、地獄はあった。
右肩の激痛が、私に生を実感させる。
私はまだ、生きていた。