様子のおかしいハリー・ポッターさん(10代) 作:夜風ミシェル
ヴォルデモートの娘に勝利したポッターさん。あなたは、再び世界を救った英雄ですよ!
「⋯⋯いいえ。私ではなく、共に戦ってくれた仲間が英雄なんですよ」
確かに彼らも英雄です。ですが、ですがね!
最後まで立っていたあなたも英雄と呼ばれて然るべきなんですよ。魔法界は皆、あなたに感謝している!
「⋯⋯ありがとうございます。これからも、平和のために尽力することを誓います」
ええ、ええ!
勇者の魂に敬礼を。そして、唯一生き残った英雄に拍手を!
*****
壁に拳を打ちつける。ゴッ、という音がして、それから骨にじんわりと痛みが広がった。
会見を終えた私は、控え室で手の平に顔を押し付けた。
連日、新聞の一面を飾るのは私の話題だった。英雄ハリー・ポッター。そんな見出しで。
魔法界は再び私を持ち上げる。そして、私を英雄だと誤認した人々が私に憧れて闇祓いになり、ふとした瞬間に死ぬのだろう。
私だけがまた生き残ったせいで。
控え室の外が騒がしくなる。記者が退出し始めたのだろう。「次はデルフィーニの記事⋯⋯らしいけど⋯⋯」と、途切れ途切れに声が聞こえる。
デルフィーニ。
私が殺したあの女は、間違いなくヴォルデモートの娘だった。DNA鑑定という証拠がある。
だが、それ以外の情報はまるでなかった。現代に存在しない逆転時計を所有していたことから、未来で何かがあったためこの時代に来たのだろうという浅い推測しかできない。今の時代を生きるデルフィーニの捜索が始まったが、既に逃げられた後だった。恐らくデルフィーニは襲撃の前に、過去の自分に警告をしておいたのだろう。
そして、デルフィーニが引き連れた同志は皆、現代の人間だった。この時代に降り立ってから募った仲間で、純血主義の縮小に割を食っていた者たちに声を掛けていた。
「『かつての栄華を復活させる』と言って誘われた」というのが唯一の生存者である同志の言葉だ。死の呪いを解禁したため、皆死んだかと思われたが、副隊長が一人、生け捕りにしていたのだ。
とはいえ彼女の同志も、彼女について詳しいわけではなかった。未来で何が起こるのか、そもそも何故逆転時計を持っているのか⋯⋯疑問は尽きないのに、答えを得ることは不可能だった。
逆転時計は神秘部が回収した。既に解析は始まっていて、どうやらこの逆転時計は今までの物とは違い、年単位で遡れるという。更に特異なのが、
この時代に現存する逆転時計はない。だが、時間の研究は止まったわけではなかった。
昨今主流となりつつあるのが、『逆転時計を使用した瞬間、新たな世界線が生まれて元の世界線との統合を図る』という論だ。
これまでは、逆転時計の使用込みで現在の世界が存在している──つまり、例え過去を変えようと試みたところで、結局はその試みによって、確定した現在に帰結するとされていた。だが、その説には色々と例外があった。1899年に行われた実験が、その最たる例だろう。
そこで台頭したのが件の論である。
新たな世界線が生まれ、元の世界線との統合を図る。逆転時計が使われること前提で世界が回っているわけではないのだ。
そして最も興味深いのは、統一の過程で元の世界線から逸脱した過去改変が起きたとしても、ある程度なら見逃されるという可能性。
逆転時計には世界を修正しようとする意志のようなものがあって、その許容範囲内であれば過去改変によって時空が崩壊することはないというのだ。
その点で未来から齎された逆転時計は許容範囲が広い──即ち、大幅に過去を変えても辻褄合わせが期待できる。
ならば──!
「ハリー? 入るわよ」
突然扉がノックされ、熱くなっていた思考回路が断絶された。「どうぞ」と返すと、顔を見せたのはハーマイオニーだった。
化粧で誤魔化しているが、目の下には隈があり、血色も悪い。私もきっとそうなのだろう。
「⋯⋯会見、断っても良かったのに」
ハーマイオニーは私を案じるように目を伏せた。
「巨悪再来の事態に民衆が動揺してるからって、無理矢理引っ張り出されたんでしょう?」
「否定はしないよ。⋯⋯ただ、私は『ハリー・ポッター』の価値をよく分かっている。説明義務を果たさないなんて、我儘にも程がある」
抑揚を抑えてそう告げると、ハーマイオニーの顔が泣きそうに歪んだ。
「我儘なんかじゃないわ。あなたは休むべきよ」
それを言うなら、彼女にこそ休息が必要だった。
私はハーマイオニーを椅子に座らせた。
ハーマイオニーは横目で私を見る。
「⋯⋯明日はあなたの誕生日ね」
七月三十一日は、数時間後に迫っていた。とても祝う気にはなれない。それなのにハーマイオニーは「明日は家族と一緒に過ごしなさい。ジニーも心配してるわよ」と執拗に説き伏せる。
私は、自分の妻の顔を思い浮かべた。最近、彼女の顔をよく見れていない。子どもたちの世話も任せきりにしていて、申し訳なく思った。
「そうだね、有給を取るよ」
私がそう言うと、ハーマイオニーは安堵の表情を浮かべた。そして、「私も早く帰りたいから、残りの仕事を片付けてくるわ」と立ち上がる。
部屋を出る前に、ハーマイオニーは足を止めた。私に背中を向けたまま、口を開く。
「⋯⋯あなたが神秘部の職員を脅したことは知っている」
私は息を呑んだ。
逆転時計の解析結果を、私は強引に聞き出した。そのことを知られていたなんて。
これは警告だ。
「家族を大切に思うのなら、変なことは考えないで」
そこで踏みとどまれ、という、懇願にも似た警告だった。
私は、「分かってる」と返すことしかできなかった。悲しみを乗り越えて前に進もうとする人の真似をした。
本当にそうなれたら良かった。
*****
三十一歳一ヶ月。ようやく右肩の傷が癒えた。
書類を片付けて帰宅したふりをした私は、透明マントを羽織って魔法省にいた。
人目を忍んで廊下を歩く。懐から杖を抜くと、脳裏に家族の顔が浮かび上がった。
生涯大切にしようと思っていた。私が初めて得た家族だったから。それなのに、どうしたって諦められないのだ。
私は逆転時計で、彼らの死をなかったことにする。
エレベーターから無言者が降りてくる。気配を殺して背後に回ると、私は彼の後頭部に杖を突き付けた。
「インペリオ」
無言者の目から、意志が消える。「逆転時計の管理場所まで案内して」と命じると、彼は覚束ない足取りで先導し始めた。
誰かに見られることのないように気を配りながら地下に降りる。廊下の突き当たりの扉を開けると、更にいくつかの扉が円状に配置されている。
無言者は同じ形の扉でも見分けがつくようで、左手前のものを開けた。
木製の棚が所狭しと並んでいる。奥に進むと、開けた空間に出た。
机に囲まれた中央には、ガラスケースで保護された逆転時計が飾られていた。妖しい輝きから目が離せない。保護呪文を解除させると、私は慎重にガラスケースを外した。
その時だ。
「止まりなさい」
腕に蔦が絡まる。足は床に縫い付けられたように動かない。
私の口からは、乾いた笑いが零れた。
「おかしいな⋯⋯気配を探るのは得意なはずなのに」
「そうね。でもあなたは一瞬油断した。⋯⋯そんなに逆転時計が欲しかったの?」
ハーマイオニーは無言者に掛けられた服従の呪文を解いた。そして、自我が覚醒する前に失神させる。
「あなたがやったことは、私しか知らない。今ならまだ引き返せるわ」
ハーマイオニーは無言者を壁際に寝かせながら言った。
「どこからやり直すつもりだったの」
「⋯⋯今回のことだけだよ」
私は正直に答えた。
いくら許容範囲が広いとは言え、逆転時計の力は未知数だ。全ての悲劇の始まり──ヴォルデモートの誕生から変えてしまえば、修正力だけではどうにもならないと分かっている。
だから私は、最低限の過去改変にしようと決めた。
「デルフィーニに殺された人だけを蘇らせる。それならきっと、宇宙の消失は起きないはずだ。勿論、辻褄合わせはちゃんとやる」
「どうやって?」
「偽物の遺体を用意する」
「⋯⋯それが上手くいくと思うの? 私の記憶では、彼らの体は確かに本物だったわ。変身術なんかじゃない。判別の付かないご遺体は血液検査をしたり、エンバーミングを施した。科学と人の目を、どうやって誤魔化すわけ?」
「忘却術で記憶をすり替える」
「忘却術は万能じゃないのよ、ハリー」
ハーマイオニーの目は、『そんなこと不可能だ』と告げていた。自分でも分かっている。これが、机上の空論に過ぎないことは。
「過去改変はタブーよ。あなたは誰も救えず、むしろ世界を滅ぼしてしまうかもしれない。時空転換の寛容性は、現段階では理論上の話に過ぎないのよ」
分かってる。
「ジニーやジェームズ、アルバス、リリーのことはどうでもいいの?」
愛おしく思ってるよ。
それでも私は、今の世界を許せない。
ハーマイオニーも同じはずだった。
「⋯⋯君なら、私の気持ちが分かるだろう?」
彼女は震える唇を結んだ。何度も口を開いては、その度に言葉を飲み込む。
ようやく絞り出された声は、風前の灯のように頼りなかった。
「分かるわよ、勿論。『喪ったものに囚われてはいけない』⋯⋯そんな綺麗事で片付けられないことも。⋯⋯それでもっ!」
鋭い眼光に射抜かれ、私は半歩後退る。
ハーマイオニーは低く唸った。
「今生きている人たちを危機に晒すことは許されない」
私はその言葉を、冷え冷えとした気持ちで聞いていた。
ハーマイオニーは倫理や掟の内側にいる人間だ。そして私は、白線を踏み越えることに何の躊躇いもない人間だった。ただそれだけ。
両腕を拘束されていても、魔法が使えない訳ではない。指先に灯した火で蔦を燃やし、杖無し呪文を発動した。
ハーマイオニーも構えを取るものの、もう遅い。
「っ!?」
全身を拘束され、ハーマイオニーは目を見張った。
これでも私は闇祓い局長だ。本気でやれば、ハーマイオニーを拘束することくらい造作もない。
彼女は唇を噛んで項垂れた。──服から、銀色のコインが落ちる。
「本当は、私一人で何とかしたかった。あなたを犯罪者にしたくなかったから」
「⋯⋯まさか」
「ハリー、投降しなさい。魔法法執行部隊を呼んだわ」
その言葉通り、扉が開いて武装した魔法使いたちが突撃してきた。コインの落下が合図だったようだ。
私は執行部に棚を投げつけ、更にハーマイオニーを吹き飛ばした。手当たり次第に魔法を乱射してから、逆転時計を引っ掴む。
「レダクト!」
壁の一部を切り崩して、部屋からの逃走を図った。
隣は、水に浸された脳味噌だらけの部屋だった。扉から出ると、無数の扉が回転を始める。
私は幻影魔法で自分の偽物を作った。これで追手を撹乱したい。
偽物の自分を見送ってから、私は逆転時計を首に掛けた。回転させようとして、はたと気付く。
何か魔法が掛けられている。
魔力を目に集中させると、砂時計の部分に縺れた糸が絡まっているのが見えた。単純だが厄介な保護呪文だ。多分、この糸を解かなければ使えないのだ。
落ち着ける場所を求めて、手近な部屋に飛び込んだ。
「⋯⋯!?」
私は目を見張った。
視界に飛び込んできたのは、異様な存在感を放つ石のアーチだった。
私にとって、それは憎悪の対象だった。それなのに、強烈に心惹かれてしまう。
死のアーチ。
一度潜れば二度と現世に戻ることのできない、死の象徴。
まさかこの部屋を引き当ててしまうなんて。耳に纏わりつく声を振り払って、私は部屋を出ようとした。──が、案外ここなら見つからないかもしれない、と思い直した。
私はここで第二の父を喪った。それを知っているハーマイオニーなら、態々この部屋に入って探してこないのではないかと読んだからだ。
アーチの裏手に回って、地面に腰を下ろす。出入り口から死角になっていて丁度良かった。
揺らめくベールを背に、私は逆転時計を顔の前に持ち上げた。杖先で紐を掬い、丁寧に解いていく。単純作業だが、紐が切れないように注意しながら進めるのは大変だった。
糸が切れたらどうなるのは、想像に難くない。盗人と見做され、魔法が発動するのだろう。
呼吸が荒くなるのを止められなかった。焦るな、と自分に言い聞かせる。ここで失敗すれば、私は誰も救えない。
鼓動が激しくて手が震える。
汗が額を伝うのを感じた。瞬きをすると、瞼の上で留まっていた雫が目に入った。
一瞬の視界不良。
手の中で糸が切れる音がした。
「あ」
解呪失敗。
強奪者を拒むように、逆転時計から熱気を含んだ風が放出された。
熱した金属を押し当てられたように顔面が痛い。その上、耐え難い爆風が無防備な私の体を吹き飛ばした。
背後にあるのは死のアーチ。
「インカーセラスっ!」
咄嗟に柱に命綱を括り付けたが、死の前では何もかもが無意味だった。
アーチをくぐった瞬間、縄の張り詰める感覚が消えた。
「⋯⋯あああああああぁぁぁぁっ!!」
戻れ戻れ戻れ!
私は必死にもがいた。けれども視界は段々と白くなっていく。
最早自分の絶叫さえも聞こえない。
静謐で淡白な無の空間だった。
首に掛けていた逆転時計がふわりと浮いて、独りでに回転を始める。何か大きな力に引っ張られるようで目が回りそうだ。止めようと伸ばした腕も空間に飲み込まれ、散り散りになってしまう。
私は死ぬのか。かつてのシリウスのように。骨の一つも残さないで。
向こうに行けば、会えるのだろうか?
微睡みに突き落とされて、もう意識が保てない。
最期に知覚できたのは、木漏れ日のように温かな光だった。
優しく、けれども無慈悲なまでの神々しさ。
荘厳な輝き。
私はそこに、神を見る。
誤字報告ありがとうございます。
本作における逆転時計の設定については、近々活動報告で解説しようかと思います。