様子のおかしいハリー・ポッターさん(10代) 作:夜風ミシェル
期末試験が近づいてくると、賢者の石どころではなかった。いつも呑気なロンも、一週間前になると焦り始める。
クィレルの授業は聞いても聞かなくても変わらないので、私たちは魔法史の勉強をしていた。暗記がメインだから大変だ。いくら二回目とはいえ、歴史なんてほぼ覚えちゃいない。
悪足掻きをして迎えた試験当日は寝不足で、最後の科目が終わった瞬間、私は机に突っ伏した。テストは何歳になっても辛い。
「どうだった、ハリー」
死んだ魚の目をしたロンが問いかける。「筆記は自信ないけど、実技で稼げたかな」と正直に答えると、鼻で笑われた。
「はんっ、謙虚なことで。君なら筆記も余裕だろ!」
優秀な生徒像が根付いたせいで疑われている。私はロンを宥めながら、気分転換に外に出た。
ハーマイオニーは「案外難しくなかったわね」と、一周目の世界と同じことを言っている。
さて。
私にとってはここからが本番だ。
手紙を咥えた梟が真っ直ぐ飛ぶのを見て、私は立ち上がる。
「ハグリッドのところに行かなくちゃ」
「え?」
「おかしいと思わない? ハグリッドはドラゴンが欲しかった。でも、ドラゴンの所有は法律で禁じられてる。それなのに、そんな彼のところに、偶々ドラゴンの卵を持った人が来た? 偶然なんかじゃない!」
「つまり⋯⋯」
ハーマイオニーの顔から、血の気が引いた。
「ハグリッドから、フラッフィーの話を聞き出すための餌だったってこと!」
私がそう叫ぶと、二人もようやく事態を飲み込めたのだろう、慌てたように立ち上がった。
転がる勢いでハグリッドの小屋に駆け込む。
彼はやっぱり抜けていて、
「三頭犬のこと、訊かれた?」
「ん? ああ。そう簡単にお目にかかれるもんじゃねぇからな。フラッフィーにゃ、音楽を聴かせれば一瞬で眠るって言ったら、感心してたな⋯⋯」
口を滑らせた。ここまでくると、最早ある種のギャグなんだよな⋯⋯。
ホグワーツ城に帰った私たちは、マクゴナガルに賢者の石のことを伝えた。すると彼女は本を取り落とす。
ここも以前と同じだった。マクゴナガルは賢者の石の守りを信じていて、真面目に取り合ってくれない。
マクゴナガルが去ってしまった後は、スネイプが話しかける。
「もっと注意深くなってほしいものだな。こんなふうに固まってこそこそとしていては、何かを企んでいるように見られて当然だ」
こんな台詞を言えば、スネイプへの疑いはますます強固なものになる。
寮に戻ると、ロンとハーマイオニーはスネイプへの罵詈雑言を言い募った。そこへ割っていって、「賢者の石を守れるのは僕たちだけ」と私は二人を言いくるめた。
勿論、別に私たちがいなくてもみぞの鏡がある限り賢者の石は安全だ。だが、私には今夜やりたいことがあった。
ヴォルデモートと対峙するのは私だけだし、二人に危害が及ぶことはない。途中まで一緒に来てもらったっていいだろう。
それに、『皆で何かを乗り越えた』っていう思い出が欲しかった。
フラッフィーを眠らせ、悪魔の罠を通り抜ける。鍵のついた鳥を捕まえて次に進むと、巨大なチェスの駒があった。
ロンが前に進み出る。
「ハリー、君はビショップの代わりを。ハーマイオニーはルークに」
チェスが得意なロンが指揮を取った。私とハーマイオニーは指示に従って、駒に徹する。
なんとなく気が重い。なせなら、私はこのチェスの結末を知っているからだ。ロンの犠牲によって私たちは前に進む。
私が指揮を取れば、彼が犠牲になることはない。だが、今後の展開を考えるとロンにはここで離脱してもらわねばならなかった。
「絶対にスネイプを止めるんだぞ、ハリー」
そう言い残して、ロンは前に出た。──同時に、私の中に、『嫌だ』という気持ちが湧き上がった。
別にロンは死ぬわけじゃない。それでも、例えほんの少しの怪我だとしても、彼に降りかかる暴力は見過ごせない。
ロンには、痛みとか苦しみとか、そういうものとは無縁でいてほしい。
クイーンの駒が腕を振り上げる。タイミングを合わせて私はこっそり杖を振り、無詠唱の防御魔法をロンの前面に展開した。続け様に失神呪文を飛ばし、ロンを気絶させる。
見えない壁が石でできた駒を粉砕し、その破片の中でロンは倒れ込んだ。あたかも殴られて気絶したかのように。
「ロンっ!!」
ハーマイオニーは泣き叫んだ。それでも、まだ勝負は終わっていない。
私はロンが言い残した通りに駒を動かして、チェックメイトを告げた。
キングが王冠を地面に置く。それがゲーム終了の合図で、チェスの駒たちは左右に分かれて道を作り、お辞儀をした。
先に進む前に、私はロンの元に駆け寄った。怪我はない。
魔法で毛布を作ってから、私はハーマイオニーと共に次の扉を通過した。
気絶しているトロールの横を通り、論理パズルの部屋へ辿り着く。ここはハーマイオニーに任せよう。
暫くぶつぶつと独り言を言っていた彼女は、不意に顔を上げて一つの小瓶を指差した。
「これが正解。⋯⋯そしてこっちが戻るための薬」
私は、戻る方の薬をハーマイオニーに渡した。
「戻ってロンと合流してくれ。それから鍵が飛び回ってる部屋に行って箒に乗る。そうすれば仕掛け扉もフラッフィーも飛び越えられる。そして、ダンブルドアに助けを求めてほしい」
ハーマイオニーは、「あなた一人で行くって言うの?」と唇を震わせる。それに対して、私は不敵に笑うのだ。
「はっはーん。僕を舐めちゃあいけないよ。なんてったって僕は、かつて悪を打ち倒した偉人なんだから」
「⋯⋯そうだったわね」
ハーマイオニーも小さく笑った。
そして私たちは背を向けた。互いの任務のために。
小瓶の中身を飲み干し、炎に体を突っ込んだ。
最後の部屋にいるのはクィレルだ。勿論知っていたけれど、私は驚いた顔を作って言った。
「あ、あなたが!」
「そうだ」
クィレルは目を細めて指を鳴らした。瞬間、太い縄が私を拘束する。
クィレルは意気揚々と、クィディッチのときに呪いをかけたのも、トロールを引き入れたのも自分だと告白した。
「そんな⋯⋯僕はてっきりスネイプだと思っていたのに⋯⋯」
「セブルスか。確かに、彼が育ちすぎた蝙蝠みたいに飛び回ってくれたのはとても役に立った」
よく分からない例えだったが、多分馬鹿にしているんだろう。
私は話を進めるために、クィレルに話題を提供することにした。
「でもなんで石が必要なんですか」
「全てはあのお方のためなのだよ」
クィレルはみぞの鏡を撫でながらそう言った。
鏡を凝視するクィレル。
「石が見える⋯⋯。私がご主人様に石を差し出している。だが、肝心の石はどこだ?」
ぺたぺたと鏡を触るも、何も起きない。クィレルは「お助けください、ご主人様!」と虚空に向かって声を放った。
『その子を使え⋯⋯』
聴き馴染みのある声に、心臓が跳ねた。
私の全てを壊した元凶。
クィレルがこっちを向いて、「ポッター、来い」と手を叩いた。すると縄が解け、勝手に足が動き始める。
私はみぞの鏡の前に立った。鏡面には、クィレルに賢者の石を手渡す自分の姿が映っていた。
「何が見える、ポッター」
「先生に石を渡す自分が見えます」
「馬鹿を言うな。貴様は私の邪魔をするために来たのだろう?」
信じてもらえなかった。正直に答えたのに。
今宵の私の目的は、クィレルを生かすことだ。
独自にヴォルデモートの居場所を割り出した賢さ。
単独でグリンゴッツに侵入できる才能。
そして、いざとなれば切り捨てられる程度には思い入れもない人物。
クィリナス・クィレルは使える。
ここで死なせるのは勿体ない!
『もういい⋯⋯俺様が話す』
「ですが、あなた様はまだ充分に力がついていません」
『構わん。代われ』
クィレルは息を吐き、ターバンの結び目に手をやった。
しゅるしゅると布が擦れる音がして、ターバンが解かれる。
後頭部の顔と、もろに目が合った。
『私を見ろ⋯⋯ポッター』
めっちゃ見てくる。
「うわ、後頭部になんかいる! だから先生禿げたんですか!?」
「第一声がそれですか?」
ちょっと傷付いてそうなクィレル。
そりゃあ勿論、本当は顔について言及するべきなんだろう。が、私は阿呆な子を演じた。
「ご主人様が憑いてから、残っていた数本の毛が抜け落ちました⋯⋯。ご主人様は、グリンゴッツから石を盗み出すのにしくじった愚かな私に罰を与えた」
とても悲しそうだったので、「じゃあヴォルデモート関係なくほぼハゲじゃねーか」という言葉は飲み込むことにした。
『ポッター⋯⋯。この有様を見ろ。ただの霞にすぎない脆い姿⋯⋯。賢者の石さえあれば、俺様は肉体を創ることができるのだ』
『もう一度鏡を見ろ』とヴォルデモートは命令した。だけど、結果は同じことだ。
私は鏡から石を取り出すことができない。
私は、ヴォルデモートと目を合わせないように注意しながら言った。
「本当なんですよ、先生。僕は、クィレル先生に石を使ってほしい」
「まだそれを言うのか」
「ええ。だっていつも疲れてるみたいだったので。あ、いや憑かれてはいたのか」
「は?」
「や、なんでもないですぅ⋯⋯。兎に角、賢者の石で疲労回復してほしいなって思ったんです」
『こいつは何を言ってやがる』とクィレルとヴォルデモートは思っただろうし、私もそう思う。だが、こうする他ない。
『愛の護り』で守られた私がクィレルに触れてしまえば、彼は死んでしまう。かと言って、ヴォルデモートを寄生させたまま生かすわけにもいかない。
つまり私は、ヴォルデモートを追い出した上でクィレルを助ける必要があった。
今回の世界線では禁じられた森での罰則がなかったから見ていないけれど、クィレルは既にユニコーンの血を飲んでいるはず。その呪いの効果を打ち消すことができるのは、賢者の石くらいだ。
「クィレル先生、目を覚ましてください!」
私は全力で叫んだ。
「ヴォルデモートなんかに誘惑されちゃ駄目だ! そいつは、あなたのことなんて奴隷としか思ってない!」
「⋯⋯はっ、何を。唯一私を認めてくださったのはこの方だけ。復活した暁には、私に相応しい地位を与えると約束してくださった」
「⋯⋯でも、それはあなたの本当の望みじゃないはずだ!」
クィレルの眉がぴくりと動いた。
彼は学生時代、いじめられていたという。その経験から力に固執し、ヴォルデモートを探すに至った。
だが、承認欲求を満たしたいだけなら教師という仕事を選ぶのは合理的ではない。こんな閉鎖的な空間にいるより、官僚にでもなった方が、他者からの評価は断然高くなるだろう。
だから、クィレルが教師の道に進んだのには、彼自身にも言語化できない⋯⋯いや、そもそも気付いてすらいない思いがあったのではないだろうか。
「あなたの望みはヴォルデモートに認められることじゃない。この学び舎で、生徒や教師に認めてほしかったんじゃないんですか。『ここにいてほしい』、その言葉を望んでいたんでしょう?」
「さっきから何を言って⋯⋯!」
クィレルは狼狽えている。そこに付け入る隙がある。
今、ヴォルデモートがクィレルに取り憑いているのは、ひとえにクィレルがヴォルデモートに心酔しているからに過ぎない。つまり、こちら側に心を引き寄せれば、自ずとヴォルデモートは離れていく。
「僕、先生の授業がホグワーツで一番好きなんです!」
鏡の間に、私の告白が盛大に響き渡った。
「そ、そうだったんですか⋯⋯?」
丁寧な口調のときは、素の自分に戻っているのだとふと気付いた。
私は大きく頷いた。
「ええ! だって先生の説明はいつも理路整然としていて分かりやすいですから」
クィレルの唇がむず痒そうに痙攣する。
だが、ここで後頭部から余計な声が聞こえてきた。
『耳を貸すな⋯⋯クィレル。ポッターは貴様の授業中、魔法史の内職をしているぞ⋯⋯。一番好きなわけあるまい』
こいつ、なんで知って⋯⋯と思ったが、よく考えればいつも授業に参加していたな。ターバンから透視魔法で私の様子を覗いていたのだろう。
『貴様は舐められている。ポッターは嘘つきだ』
「黙りな、親の仇。⋯⋯先生の授業はどうしてこうも面白いんだろうと考えたとき、気付いたんです。先生は授業ノートを作って、毎夜構成を考えていらっしゃるんですよね?」
教卓の上に、クィレル独自のノートが置いてあるのは確認済みだ。
「よく気が付きましたね⋯⋯」
とうとう微笑を露わにするクィレル。後頭部が喚いているが、私は無視を決め込む。
「先生には人気者になれるポテンシャルがあります。まず、若い!」
『何の話をしている?』
あまりにも馬鹿なことを言い出したと思われている。だが、『若い』、たったそれだけが生徒には大切なのだ。
「いいですか、生徒からすれば教師なんて若ければ若いほどいいんですよ!」
尚、人によりけりという注釈は加えておく。
「しかもここには同年代なのにクソみたいな先生がいる。相対的にあなたの評価は爆上がりですよ」
『⋯⋯まさかスネイプ?』
折角ぼかしてやったというのに、ヴォルデモートが台無しにした。
私は拳を握る。
「先生、もっと自信を持ってください! あなたのその勤勉さは、普通の人にはないものだ。頼りなく見えるから認めてもらえないだけなんです。堂々とすれば、自然と人がついてきます」
そして私は微笑み、クィレルに手のひらを差し出す。
「僕は先生に、ずっとホグワーツにいてほしい。ヴォルデモートの右腕ではなく、先生と呼びたいんです」
「ミスター・ポッター⋯⋯」
クィレルの呼吸が震えている。
困惑と歓喜の両方を抱えた瞳が潤んでいる。
「わた、しは⋯⋯私は──」
『クィレル? おい、クィレル!?』
「⋯⋯ヴォルデモートの右腕を退職しまあぁぁぁぁぁぁす!」
『!? ちょ、一旦冷静になって考え直せ!』
「うるせー!」
クィレルはかつての主人の言葉を一刀両断。
「正気に戻りました。そうですよ、クルーシオをぶっかけてくる主のどこがいいんですか! 寝るときは寝返りが許されないですし! お陰でこっちは腰痛ですよ! 今すぐ去ね、ヴォルデモート!」
『ぐわあぁぁぁぁぁぁ!』
求心力がなくなったので、ヴォルデモートは急速に追い出された。テンポがいい。
黒い靄が『許さん⋯⋯許さんぞ、ポッター!』と呪詛を吐く。⋯⋯私のせいか? クィレルの話を聞くに、ヴォルデモートの日頃の行いがトドメを刺したような気がするけど。
ヴォルデモートは私に靄アタックをかました。八つ当たりがすぎる。
「っ⋯⋯!」
意識が飛びかけたが、思い切り舌を噛んでなんとか耐えた。そうしている間に、ヴォルデモートは消えていた。
私は「エピスキー」と唱えてから、口の中に溜まった血液を吐き出した。同時に、クィレルがその場に崩れ落ちる。
「先生!?」
駆け寄ると、クィレルは血の塊を吐いた。
悟った表情で呻くクィレル。
「ユニコーンの呪い、ですね⋯⋯」
どうやらヴォルデモートの魂が抜けたことで、ユニコーンの呪いを一身に受けることになったらしい。
まずい。
呪いがこんなに早く体に回るのは想定外だ。
今すぐ命の水を与える必要があった。だが、『賢者の石を使いたい』と思っている私には、みぞの鏡から石を取り出すことができない。
「先生⋯⋯死なないで⋯⋯」
私は両目から涙を流す。そして、悲壮感を漂わせて囁いた。
「助けて⋯⋯ダンブルドア先生⋯⋯」
喉の奥から声を絞り出した、その瞬間。
「おぬしの慈悲深さは美徳じゃな」
空間が揺らいだ。現れたのは白髭の老人。
やっぱり、ここにいると思った。
私はダンブルドアを見て、「先生⋯⋯」と呟いた。
優しく微笑むダンブルドア。
「クィリナスを助けよう」
みぞの鏡から賢者の石が飛び出してくる。それを片手で掴むと、ダンブルドアはクィレルの口元に命の水を流し込んだ。
虚ろだったクィレルの瞳に、生気が戻る。私はそれを、後ろから見つめていた。
一時はどうなるかと思ったけれど。
思わず笑ってしまいそうになる。
計画通りだった。
「ダンブルドア先生」
私は健気な生徒の仮面を脱ぎ捨てた。
「クィレルは本来、ここで死んでいました」
「⋯⋯ハリー?」
「それを助けたのはダンブルドア。あなたが過去を変えたんです」
ダンブルドアは決して善なる人間ではない。自分の死をも厭わない冷酷さを兼ね備えている。
だから、私が過去を変えようとしていると知られたら、どんな手を使ってでも阻止される可能性があった。
しかし、ダンブルドアの協力なくしてヴォルデモートを倒すことは不可能だ。分霊箱の破壊は、学生の私が一人で成し得ることではない。
故に、ダンブルドアには共犯者になってもらう必要があった。
ダンブルドアの手で、過去を変えさせる。もう引き返せないところまで落として、無理矢理協力させる。
「先生、お話したいことがあります」
ダンブルドアは気付くだろう。自身が乗せられようとしているのは泥舟だと。
そうだとしても構わない。
私は、舟が沈む前に楽園へ辿り着いてみせる。
*****
ロンは医務室、ハーマイオニーは寮へ。
そして私は校長室で密談していた。
目の前にはダンブルドアとスネイプ。クィレルは体調のことを考えて、ソファで横になってもらっている。
「おぬしの事情はよく分かった。未来の話も」
全てを聞き終えたダンブルドアは、重々しく頷いた。スネイプは変わらず仏頂面だが、私が「先生はリリー・エバンズのために私を守ってくださいました」と言ったときにだけ動揺していたのを私は知っている。
「⋯⋯儂の全力を掛けて協力しよう」
ダンブルドアの言葉に、私はほっと胸を撫で下ろした。良かった、ここで協力を得られなかったら彼と対立するところだった。
「私も協力しますよ、ミスター・ポッター」
出しぬけにクィレルが喋った。彼はヴォルデモートが離れたことで、自身の理性を取り戻しつつあった。
どうやら私に恩義を感じているようで、クィレルの目線は温かい。
罪悪感がする。私が彼を助けたのは、ただの打算なのに。
「ダンブルドア先生。あの⋯⋯フラメルさんに掛け合って、どうにかクィレル先生が一生を生きていけるくらいの命の水を貰えませんか?」
ユニコーンの呪いは重く、賢者の石を使っても解呪はできない。定期的に命の水を飲んでも、相殺までが限界だ。
ダンブルドアは頷いた。
「石から抽出した命の水の長期保存は難しい。じゃから、ニコラスにはあと数十年追加で生きていてもらおう。なに、彼からすればあっという間じゃ」
私は礼を述べた。クィレルへの謝罪としては充分だろう。
スネイプが嫌に静かなのが気がかりだった。彼は今の今まで、一言も発していない。不穏だ。
「⋯⋯幾つか尋ねるべき点がある」
ようやく口を開いたかと思えばそんな始まり方だったから、胃が沈み込むのが分かった。
スネイプはいつもの、『隙あらば減点してやる』という目をしていた。
「過去改変には宇宙の崩壊の危険性が伴う。そこはどうお考えなのかね」
それは、私が目を逸らし続けてきたことだった。
逆転時計が厳重に管理されているのは、歴史を変えることで本来存在していた人が消失し、世界が、ひいては宇宙そのものが破滅するからだ。
逆転時計のよくある事故──過去の自分を殺して現在の自分も消える、それくらいなら許容範囲だ。
だが、かつて行われた実験では少なくない数の人間が消え、火曜日と木曜日がおかしくなってしまった。
被害はそれだけではない。
時が狂ってしまったことが原因で細胞が老化と若化を繰り返し、耐えきれなくなった肉体が破裂するといった事例が数百件見受けられたという。
また、国内の幾つかの地点で、不自然な空間の裂け目が観測された。穴の先は完全なる虚無で、近付けた物は消失した。
これは表には出ていない情報だ。神秘部は、事象が無事収束したのをいいことに、問題の一部を秘匿していたのだ。
時間と空間は密接な関係にある。時がおかしくなったことで空間にも影響が現れた。
その影響がもっと大きくなれば、いずれ宇宙そのものも歪められてしまうだろう。
「⋯⋯過去改変の皺寄せが来るのは、使用者が元の時代に戻ってきたとき。つまり、二十年の猶予があります」
「成程? それで、貴様はその猶予を使った素晴らしい策をお持ちで?」
やっぱりスネイプのことは好きになれないな、と思った。
どうして彼はいつもいつも、私の嫌なことをしてくるのだろう。どんなに私が悩んでいるか、想像できないはずがないのに。
「それも、皆さんと一緒に考えたいと思います」
「は、笑わせてくれる。よもや解決策が一つもないとは」
私はぎり、と奥歯を噛んだ。正論だ。自分の愚かさを突き付けられているようで、体が重い。
それでも望んでしまった。
定めを捻じ曲げることを。
宇宙が存続していればいい、だなんて。私はそうは思えない。
「⋯⋯私の世界は終わったも同然。だから、躊躇いはありません」
私はスネイプを見つめた。交わった視線は、スネイプが目を逸らしたことで途切れる。
ダンブルドアはやるせなく瞠目した。
「ハリー⋯⋯おぬしは地獄を見たのじゃな」
その言葉に、私は瞬きを一つ返した。
「そうですね。一瞬、このまま死んでもいいかなと思うくらいには」
*****
「グリフィンドールとスリザリンの同時優勝なんて。ママが知ったら腰を抜かすよ」
帰省するためにホグワーツ特急に乗り込んだロンは、大袈裟に肩を震わせた。
私は「そうだね」と同意しながら、心の中でひっそり笑う。実は私がダンブルドアに提案したことなのだ。
私たちの頑張りにご褒美が欲しい。けれどスリザリンが優勝できないのは可哀想だ。
平たく言うのならば、私はスネイプに忖度したのである。
彼はいつもスリザリンが一位になれるよう、他寮の得点を見て自寮の点を調整している。それに気付いたのは、今年のスリザリンの得点が一周目の世界より若干高かったからだ。思ったように私から減点できないから、スリザリンにバカバカ点を与えていた模様。
「⋯⋯待って、今気付いたんだけどさ」
ロンは目を見開いた。
「今年、僕って二回しか加点されてなくない!?」
トロールと賢者の石での加点か。確かに二回。
項垂れるロン。
「君たちが授業で点を稼ぐ一方、僕は何をやっていたんだ⋯⋯」
「今を生きていたね」
「カッコよく言ってくれてありがとう」
ロンは力なく笑った。
君は知らない。『生きること』がどれだけ難しいのかを。
世界は確実に終わっていく。けれど、それを知るのは私だけ。
それで良いのだ、と思う。知らないことの幸せを享受してほしい、とも。
私は親友に真実を明かすつもりはない。泣かれるのも止められるのも嫌だった。
汽笛が鳴って、汽車は徐々に加速する。
窓から見えるホグワーツ城が遠ざかっていく。
一年目が終わる。
二度目の賢者の石終わり。ハリーの暗躍が始まりました。
以下、主要人物紹介。
ハリー⋯とにかくやかましい。その正体は、逆行ハリー。
スネイプ⋯はわわ!
ダンブルドア⋯飾り付けを変えねば。
クィレル⋯実は生きている。
フラメル夫妻⋯もう少し長く生きることにしたらしい。
秘密の部屋編は今月中には出したいですけど、忙しいのでどうなるかは分かりません。