ラインハットのヘンリー王子に憑依転生してパパスを救う   作:拓拓

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第1話 狂った王子

 重いまぶたを持ち上げると、視界に飛び込んできたのは見慣れない高い天井だった。

 

 身体を起こそうとして、平衡感覚が狂う。

 軽い。あまりにも軽すぎる。

 シーツを握りしめた手を見ると、そこにあるのは節くれだった大人の手ではなく、白く柔らかな子供の手のひらだった。

 

「……なんだ、これ」

 

 喉から漏れたのは、未成熟な高い声。

 石造りの壁から染み出す冷気が、薄いパジャマ越しに肌を刺す。

 ここは病院でも、俺の部屋でもない。

 

 慌ててベッドから飛び起き、部屋にある大きな姿見を覗き込んだ。

 そこに映っていたのは、見知らぬ少年の姿だった。

 豪奢だが少し趣味の悪い緑色の服。少し長めの緑髪に、いかにも育ちが良さそうな、それでいてどこか人を小馬鹿にしたような生意気そうな吊り目。

 

「……誰だ、こいつ?」

 

 自分の喉から出た声は、変声期前の高い子供の声だった。

 夢か? それにしては感覚が鮮明すぎる。頬をつねると、現実的な痛みが走った。

 混乱する頭で必死に記憶を手繰り寄せる。

 俺は確か、事故に遭って……死んだはずじゃなかったか?

 それがなんで、こんな外国の子供みたいな姿になっているんだ。

 

 その時、重厚な扉がノックされ、恭しい声が響いた。

 

「失礼いたします、ヘンリー王子。そろそろお目覚めの時間でございます」

 

 ガチャリと扉が開き、メイドが入ってくる。

 俺は凍りついた。

 

「……へんりー、おうじ?」

 

 その言葉が、雷に打たれたように脳内を駆け巡った。

 ヘンリー王子。

 緑色の服。マント。緑髪。生意気なツラ構え。

 そして、この中世ファンタジー風の石造りの城。

 全てのピースがカチリと嵌まる音がした。

 

「……嘘だろ。これ、ドラクエⅤの世界かよ」

 

 呆然と呟く俺を、メイドが怪訝そうに見ている。

 俺はよろめきながら後ずさり、再び鏡の中の自分を凝視した。

 間違いない。こいつは、あの国民的RPG『ドラゴンクエストⅤ』に登場する、ラインハットの第一王子・ヘンリーだ。

 

 状況を整理する。

 俺は死んで、そして転生したらしい。よりによって、あの悲劇の引き金となるラインハットの第一王子、ヘンリーに。

 冷や汗が背中を伝う。

 

 もし今が、原作通りの幼少期だとしたら。

 もう少しすれば、サンタローズからパパスと息子(主人公)がやってくる。

 そして、俺の誘拐事件をきっかけに、パパスはゲマの手にかかって殺されてしまうのだ。画面の前でただ見ていることしかできなかった、あの地獄。

 子供の俺(主人公)を守るために剣を捨て、一方的に痛めつけられる偉大な背中。

 ぬわ──っっ!! という断末魔と共に、父親が息絶えるあの瞬間。

 

「……させるかよ」

 

 鏡の中の自分を睨みつける。

 俺があの誘拐を回避すればいいのか?

 いや、光の教団がラインハットを狙っている以上、俺が逃げても別の悲劇が起こるだけだ。太后の陰謀もある。弟のデールだって巻き込まれるかもしれない。

 根本的に運命を変えるには、力がいる。

 パパスを死なせない。あの優しき主人公を、長きにわたる奴隷生活になんて送らせない。

 そのためには、俺自身が強くなり、来るべき「古代の遺跡」での決戦でゲマの計算を狂わせる必要がある。

 

 思い立ったが吉日だ。

 パパスたちがいつ到着するか、正確な日時は思い出せない。だが、ゲームの進行通りなら、すぐにイベントが発生するわけではないはずだ。

 焦燥感に焼かれそうになる胸を、深く息を吸い込むことで無理やり落ち着かせる。

 肺に入ってくる冷涼な空気が、熱り立った脳を少しだけ冷やしてくれた。

 大丈夫だ。まだ時間はある。

 この手で、運命をねじ伏せるだけの時間は。

 

 脳裏に、かつて画面越しに恋焦がれた少女たちの姿が浮かぶ。

 活発で、少しお姉さんぶった金髪の幼馴染、ビアンカ。

 お淑やかで儚げに見えて、実は芯の強い青い髪の令嬢、フローラ。

 高飛車でわがままで、それでもどこか憎めない黒髪の美女、デボラ。

 

 彼女たちは皆、主人公と共に過酷な運命に翻弄される。

 特にビアンカなんて、選ばれなければ山奥の村で独身のまま……いや、そんな末路は俺が許さない。

 全員だ。全員が幸せになれる未来を。

 この世界の理不尽から彼女たちを守れるなら、俺は悪魔にだって魂を売ってやる。

 

 そして……忘れてはならない女性がもう一人。

 本来の歴史で、奴隷として共に過ごし、俺を支え、最後には妻となってくれた聖母のような女性——マリア。

 彼女もまた、教団の理不尽な暴力にさらされ、兄と引き裂かれる悲劇を背負わされる。

 今の俺に「将来の伴侶」なんて実感はまだないが、あんな心優しい女性が絶望の淵に立たされるのを、黙って見ていられるはずがない。

 

「それに……」

 

 俺は鏡の中の少年の瞳を覗き込む。

 守るべきはヒロインたちだけじゃない。

 誰よりも優しく、誰よりも悲しい運命を背負う、紫のターバンの少年——リュカ。

 

 あいつはヘンリーのせいで、人生の最も多感な時期を奴隷として奪われるんだ。

 暗い穴蔵で、重い石を運び続けるだけの日々。親の愛も、恋も、冒険も知らずに。

 想像するだけで、胃の腑が煮え繰り返るような怒りが湧いてくる。

 あんな良い奴に、二度とあんな思いはさせない。

 

 パパスも死なせない。マーサも助け出す。

 原作知識(チート)だろうが何だろうが、使えるものは全部使って、俺がこの『ドラゴンクエストⅤ』をハッピーエンドのその先へ導いてやる。

 

「……ふっ、悪くないな」

 

 口角を上げると、鏡の中の生意気そうな少年も不敵に笑い返した。

 前世ではパッとしなかった俺だが、今の俺は一国の王子だ。

 金も権力も、そして何より「未来の記憶」がある。

 まずは現状把握と、戦力の確保だ。

 

 俺はパジャマの襟を掴み、乱暴に脱ぎ捨てた。

 ひ弱な王子の身体だが、やる気だけは満ち溢れている。

 待っていろ、ゲマ。待っていろ、ミルドラース。

 ラインハットの「元」ヘタレ王子が、お前らのシナリオをズタズタに引き裂いてやるからな。

 

「おい! いつまで突っ立っているんだ!」

 

 俺は意識して声を荒げ、入り口で固まっているメイドを一喝した。

 喉がちりつくような高い声。慣れない発声だが、威圧感だけは込める。

 メイドがびくりと肩を震わせ、「も、申し訳ございません!」と慌てて駆け寄ってきた。

 

「着替えだ。早くしろ。それと、今日は城下を視察する」

 

「えっ? し、しかし本日は家庭教師の先生が……」

 

「うるさい! 俺が外と言ったら外なんだ! 文句があるなら親父に言え!」

 

 駄々っ子のように腕を振り回す。

 心の中では「ごめんね、仕事増やして」と平謝りだが、表面上は最高にムカつくクソガキを演じ切る。これが俺の唯一の防御策だ。周囲に「手のつけられない馬鹿王子」と思わせておけば、多少の奇行も「わがまま」で片付けられる。

 

 着替えを終えると、俺はマントを翻して廊下へと飛び出した。

 石造りの廊下は広く、そして静かだ。

 だが、俺の目的は散歩じゃない。

 

「おい、そこの兵士!」

 

「はっ! ヘンリー王子、おはようございます!」

 

 直立不動で敬礼する兵士を見下ろし、俺はニヤリと笑った。

 

「金庫番を呼べ。今すぐだ」

 

「は……? 金庫番、でありますか?」

 

「そうだ。城下町で民草の暮らしぶりを見てやるんだ。そのためには軍資金が必要だろう? とりあえず……そうだな、袋いっぱいのゴールドを用意させろ」

 

 兵士が困惑の表情を浮かべる。

 当然だ。7歳の子供がいきなり大金を要求しているのだから。

 だが、ここで引くわけにはいかない。

 

「なんだ、その顔は。次期国王であるこの俺の命令が聞けないのか? それとも、俺が『兵士長にいじめられた』と親父に泣きついてもいいんだぞ?」

 

 脅し文句は子供っぽいが、効果は絶大だった。

 兵士の顔色が青ざめる。王からの寵愛(というより溺愛に近い放任)を受けている第一王子の讒言となれば、彼の首など簡単に飛ぶ。

 

「た、ただいま! すぐに手配いたします!」

 

 兵士が転がるように走っていくのを見送り、俺は小さく息を吐いた。

 ……権力って怖いな。そして便利だ。

 数分後、俺の手元にはズシリと重い革袋があった。中身を確認すると、眩いばかりのゴールド硬貨が詰まっている。推定5000ゴールド。序盤にしては破格の金額だ。

 

「ふん、チョロいもんだ」

 

 悪態をつきながら、俺は城の大門をくぐった。

 背後には護衛の兵士が二人ついてくるが、まあいい。買い物をするだけなら邪魔にはならない。

 ラインハットの城下町は、朝から活気に満ちていた。

 石畳の道を往来する人々。香辛料と焼き立てのパンの匂い。遠くで聞こえる鍛冶屋の槌音。

 ゲーム画面でしか知らなかった世界が、圧倒的な解像度で迫ってくる。

 だが、感動している暇はない。

 

「そこをどけ! 王子のお通りだ!」

 

 兵士が民衆を散らす中、俺は真っ直ぐに武器屋へと向かった。

 店に入ると、鉄と油の男臭い匂いが鼻をつく。

 

「いらっしゃい……おや、こりゃヘンリー王子じゃありませんか!」

 

 武器屋の親父が目を丸くする。

 俺はカウンターに革袋をドン! と叩きつけ、店内を見回した。

 品揃えは……渋い。「ひのきのぼう」「どうのつるぎ」「竹のやり」。

 これじゃ話にならない。

 

「親父。こんなガラクタじゃなくて、もっとマシなもんはないのか」

 

「ガラクタとは手厳しい。しかし王子、子供用の剣となると……」

 

「誰が子供用だと言った? 一番高いやつを出せ。あと、ブーメランはあるか?」

 

 そう、ブーメランだ。

 序盤の最強兵器。全体攻撃ができるこれさえあれば、レベル上げの効率が段違いになる。

 親父は少し考え込み、奥の棚から埃を被った木箱を出してきた。

 

「実は昨日、旅の商人から仕入れたばかりの『刃のブーメラン』がありましてね。ただ、扱うにはコツがいりますし、何より値が張りますが……」

 

「いくらだ」

 

「はは、まあ1500ゴールドといったところでしょうかな」

 

「もらう」

 

 即決。革袋から硬貨を鷲掴みにしてカウンターに置く。

 親父が目を剥くのを無視して、俺はブーメランを手に取った。

 ずしりとした重み。鋭く研ぎ澄まされた金属の刃。

 ……重い。7歳の腕力では、振るうだけで精一杯かもしれない。

 だが、関係ない。今の俺に必要なのは「殺傷能力」だ。

 

「あと、聖水だ。店にあるだけ全部くれ。それと薬草も持てるだけ」

 

「は、はあ……? 聖水を全部、ですか?」

 

「魔除けだ。最近、悪夢を見るんでな」

 

 適当な嘘をつき、残りの金でアイテムを買い占める。

 兵士二人に荷物を持たせ、俺は王族らしく悠々と店を出た。

 空を見上げると、太陽が眩しい。

 平和な昼下がり。

 だが、俺の戦いは今夜から始まる。

 まずはレベル上げだ。

 このひ弱な7歳の体を、魔物殺しの兵器に作り変える。

 待ってろよ、スライムども。今夜は眠らせないからな。

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