ラインハットのヘンリー王子に憑依転生してパパスを救う   作:拓拓

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第2話 レベルアップと特技とクッキー

 城内が静寂に包まれる頃、俺は自室の窓枠に足をかけていた。

 眼下には暗い中庭。高さは二階程度だが、落ちればただでは済まない。

 俺はシーツを固く結んで作ったロープを柱に巻き付け、恐る恐る体を外へと投げ出した。

 

 夜風が冷たい。昼間の熱気を帯びた石壁とは対照的に、夜の空気は肺の奥まで凍りつきそうだ。

 そろり、そろりとロープを伝い、地面に降り立つ。

 土の感触。湿った草の匂い。

 城の警備兵の巡回ルートは、日中の「我儘な視察」で把握済みだ。奴らは規則正しいが、その分、死角も多い。

 

 俺は小さな影となって庭を駆け抜け、古い排水路の格子を潜り抜けた。

 体が小さいというのは、こういう時には便利だ。錆びついた鉄格子の隙間をするりと抜け、城壁の外へと転がり出る。

 

 そこには、広大な闇が広がっていた。

 ゲーム画面のようなBGMはない。あるのは虫の声と、風が草原を撫でる音だけ。

 そして、その静寂を破るように、ぬちゃり、という湿った音が聞こえた。

 

 目の前の草むらが揺れる。

 月明かりに照らされて浮かび上がったのは、水風船のようなシルエット。

 ぷるぷると震える青い身体。つぶらな瞳と、笑っているような口元。

 スライムだ。

 テレビ画面の向こうでは愛嬌のあるマスコットだった存在が、今、俺の目の前で「敵」として息づいている。

 でかい。バランスボールくらいの大きさがある。あんなのに体当たりされたら、7歳の骨なんて簡単に折れてしまうだろう。

 

「……ふぅーっ」

 

 俺は深く息を吐き、腰に差していた「刃のブーメラン」を抜き放った。

 ずしりと重い。切っ先が月光を反射して、ギラリと光る。

 怖いか? いや、武者震いだ。

 

「悪いな。経験値になってもらう」

 

 俺は大きく振りかぶり、全身のバネを使ってブーメランを投げ放った。

 

 ──ブンッ!!

 

 風を切り裂く音。

 狙いは適当だ。だが、この武器には「軌道を補正する」という魔力が込められているらしい。手から離れた凶器は美しい弧を描き、スライムの側面へと吸い込まれた。

 

 ──ザシュッ!

 

 鈍い音と共に、青いゼリー状の身体が弾け飛ぶ。

 悲鳴のような音を立てて、スライムが地面に崩れ落ちた。

 ブーメランが弧を描いて戻ってくる。俺はそれを、痛む掌で必死に受け止めた。

 衝撃が腕に走る。

 だが、それ以上の高揚感が全身を駆け巡った。

 

 倒した。

 自分の力で、魔物を。

 

 その瞬間、身体の奥底から、熱い何かが湧き上がってくるのを感じた。

 力が馴染む感覚。筋肉が、神経が、一つ上の段階へと書き換えられていくような万能感。

 ファンファーレは聞こえない。だが、確信がある。

 レベルが上がったのだ。

 

「……これなら、いける」

 

 俺は汗ばんだ手でブーメランを握り直す。

 闇の向こうで、また何かが動く気配がした。一匹や二匹じゃない。

 上等だ。

 俺はニヤリと笑い、再び闇の中へと足を踏み入れた。

 夜明けまで、まだ時間はある。

 狩りの時間だ。

 

 ──ヒュンッ! ザシュッ!

 

 夜の静寂を、風切り音と肉を断つ音が支配する。

 俺の放ったブーメランは、闇夜に潜むコウモリの魔物──ドラキーの翼を正確に切り裂き、そのまま弧を描いて背後のいっかくウサギの角をへし折った。

 

「……ッ、し!」

 

 戻ってきたブーメランを、今度は革手袋(武器屋の親父にオマケさせた)でしっかりと受け止める。

 掌への衝撃は、最初の一撃に比べれば随分と軽く感じられた。慣れだけじゃない。明らかに俺自身の肉体が変質している。

 視界の端に、ファンファーレが鳴り響く幻聴が聞こえた。

 テレレ・レッテッテッテー♪

 レベルアップだ。これで今夜何度目だろうか。

 

 最初は重く感じたブーメランが、今では指先の一部のように馴染んでいる。

 身体の芯から無限に活力が湧いてくる感覚。息切れは激しいが、筋肉の悲鳴は心地よい熱へと変わっていた。

 足元には、数え切れないほどの魔物の死骸……ではなく、光の粒子となって消えゆく痕跡だけが残っている。

 ゲームと同じだ。死体処理の手間が省けるのは、隠密行動において最大の利点だな。

 

「……ふぅ」

 

 大きく息を吐き、俺は空を見上げた。

 濃紺だった空の端が、薄っすらと白み始めている。

 冷ややかな朝の空気が、火照った頬を優しく撫でた。

 

「そろそろ、時間切れか」

 

 今のレベルは……体感だが、5か6といったところか。

 一晩の成果としては上出来だ。この辺りの魔物はもう相手にならない。ブーメランの一撃で沈む雑魚ばかりだ。

 俺は腰のベルトにブーメランを差し込み、伸びをした。

 全身がバキバキと音を立てるが、不思議と倦怠感はない。むしろ、もっと動ける、もっと戦えるという全能感が脳を支配している。これがレベルアップの魔力か。

 

 だが、現実は非情だ。

 日が昇れば、城の人々が動き出す。特にあの口うるさい教育係や、俺の動向を探る太后の手の者が起き出す前に、ベッドに戻っていなければならない。

 7歳の王子が、泥だらけのうえ、魔物の返り血を纏って朝食の席に現れたら、大騒ぎになるだろう。

 

「帰るか」

 

 俺は来た道を戻り、城壁の裏手へと走った。

 行きは恐怖心もあったが、帰りは身体能力の向上も相まって、忍者のように軽やかに進むことができた。

 俺の部屋の窓から垂らした、シーツのロープ。あれを登れば、温かいベッドが待っている。

 ……はずだった。

 

「…………は?」

 

 城壁の下に辿り着いた俺は、間の抜けた声を漏らして立ち尽くした。

 ない。

 見上げても、見回しても。

 俺が命綱として垂らしておいた、あの白いシーツのロープが、どこにもないのだ。

 風で飛ばされた? いや、あれだけ固く結んだんだ、ありえない。

 となると、考えられる可能性は一つ。

 

「……おい、見ろよこれ。上等なシーツだぞ」

「誰だ、こんな所に洗濯物を干したのは。ったく、メイドの管理はどうなってるんだ」

 

 壁の向こう側、中庭の方から男たちの話し声が聞こえた。

 ガチャガチャという鎧の音。見回りの兵士だ。

 血の気が引いた。

 奴らだ。奴らが「落とし物」あるいは「不始末」として、俺のロープを回収してしまったのだ。

 

「最悪だ……」

 

 俺は頭を抱えた。

 どうする? どうやって戻る?

 壁の高さは5メートル以上。石積みの隙間に指をかければ登れなくもないが、7歳のリーチでは厳しい。それに、登っている最中に見つかったら「不審者が侵入しようとしている」と弓矢で射抜かれかねない。

 

 正面突破?

「散歩をしていました」と笑顔で正門をくぐるか?

 いや、門番は交代制だ。夜明け前に城外から戻ってくる王子なんて、怪しさの塊だ。即座に父王か太后に報告が行くだろう。特に太后に知られたら、「素行不良」を理由に何をされるか分からない。

 詰んだか?

 いや、諦めるな。俺はこれから世界を救う男だぞ。こんな玄関先でゲームオーバーになってたまるか。

 

 必死に思考を巡らせる。城の構造。人の出入り。

 その時、ゴロゴロ……という重い車輪の音が近づいてくるのが聞こえた。

 朝霧の向こうから現れたのは、野菜や肉を山積みにした荷車だった。

 早朝の食材搬入だ。

 

「……これだ」

 

 俺は瞬時に判断し、草むらに身を潜めた。

 荷車を引いているのは年老いた農夫。護衛の兵士は眠そうにあくびをしている。

 チャンスは一瞬。

 荷車が城の通用門を通るチェックの際、兵士が農夫に話しかけ、視線が逸れたその時。

 

 俺は地面を蹴った。

 音もなく荷車の背後に忍び寄り、積み上げられた麻袋──キャベツだろうか──の隙間に身体を滑り込ませる。

 狭い。そして野菜の青臭い匂いが充満している。

 だが、今はそれが香水よりも有り難い。

 

「よし、通れ」

 

 兵士の許可が下り、荷車が再び動き出す。

 ゴトン、ゴトンと揺れる振動に合わせて、俺の心臓も早鐘を打った。

 通用門をくぐる。石畳の感触が変わる。城内に入った。

 だが、まだ安心はできない。

 食材は厨房に運ばれる。そこで荷解きされたら一巻の終わりだ。

 

 俺は荷車の隙間から外を覗う。

 中庭だ。俺の部屋の真下付近を通るルート……今しかない!

 荷車がカーブを曲がり、減速した瞬間。

 俺は麻袋の山から転がり落ち、受け身を取って植え込みの影に飛び込んだ。

 農夫も兵士も、荷物が一つ減ったことには気づいていない。

 

「……セーフ」

 

 心臓が口から飛び出そうだった。

 魔物との戦いよりもよっぽどスリリングだ。

 俺は震える足に力を込め、植え込み伝いに城館の裏口──使用人用の勝手口へと向かった。

 鍵はかかっていない。早朝の掃除婦たちが活動を始めているからだ。

 誰もいない廊下を、忍び足で駆け抜ける。

 階段を駆け上がり、自室の前へ。

 幸い、廊下にはまだ誰もいない。

 俺は自室の扉をそっと開き、滑り込んだ。

 

 静寂。

 主のいないベッドが、俺を待っていた。

 全身の力が抜け、その場にへたり込みそうになる。

 だが、まだだ。

 俺は泥だらけの服を脱ぎ捨て、タンスの奥に隠した。ブーメランも同様だ。

 そして新しいパジャマに着替え、ベッドにダイブする。

 シーツの冷たさが心地いい。

 

 その直後。

 ──コンコン。

 

「ヘンリー王子、お目覚めのお時間でございます」

 

 昨日と同じ、メイドの声。

 ギリギリだった。あと1分遅れていたら、俺の部屋がもぬけの殻であることが発覚していた。

 俺は荒い呼吸を整え、わざと眠そうな声を作って答える。

 

「……んあ? うるさいなぁ……あと5分……」

 

 扉が開き、メイドが苦笑しながら入ってくる。

 完璧だ。俺はただの、朝に弱い我儘な王子。

 誰も、この少年が夜通し魔物を殺戮し、野菜と一緒に密入国してきたなんて思いもしないだろう。

 布団の中で、俺は拳を強く握りしめた。

 第一夜、クリア。

 この調子でいくぞ。

 

 パタン、と重厚な扉が閉まる音がした。

 メイドの足音が遠ざかるのを待ち、俺は勢いよく布団を跳ね除けた。

 

「……さて」

 

 心臓の鼓動はまだ早いが、それは恐怖からではない。興奮だ。

 俺はベッドの上であぐらをかき、自分の掌を見つめた。

 昨晩、ブーメランを受け止めるたびに刻まれた無数の擦り傷。ジンジンと熱を持っていたはずの痛みが、今は心地よい痺れに変わっている。

 レベルが上がった。それは間違いない。

 だが、今の俺には「つよさ」を表示するウィンドウもなければ、「じゅもん」を確認するコマンドもない。

 あるのは、身体の内側で渦巻く、新しい「何か」の感覚だけだ。

 血管の中を血とは違う熱い奔流が駆け巡っている。これがMP(マジックパワー)というやつだろうか。

 

「試してみるか」

 

 俺は指先を立て、精神を集中させた。

 イメージするのは、小さな火種。

 ドラクエ5のヘンリーは、魔法使いタイプではないが、いくつかの呪文を覚える。その代表格がこれだ。

 

「……メラ」

 

 ボッ!

 指先に、ライターの火ほどの小さな炎が灯った。

 熱い。けれど、火傷するような熱さではない。俺の意思に従って揺らめく、制御されたエネルギーの塊。

 

「おお……」

 

 思わず声が漏れる。魔法だ。正真正銘、ファンタジーの世界の住人になった証だ。

 原作通りなら、ヘンリーはレベルが上がれば「メラ」だけでなく「イオ」などの攻撃呪文を覚える。ここまでは予想通り。

 だが、問題はここからだ。

 

 昨晩の戦闘中、俺は奇妙な感覚を覚えていた。

 傷ついた身体が癒しを求めるたびに、脳裏に浮かぶ「光のイメージ」。

 そして、ブーメランを振るう瞬間に閃いた、剣に炎を纏わせる「技の軌道」。

 あれはただの妄想か? それとも……。

 俺は掌の擦り傷に視線を落とし、祈るように念じた。

 傷を塞げ。痛みを消せ。癒しの光よ、ここに。

 

「……ホイミ」

 

 言葉にした瞬間、掌が淡い緑色の光に包まれた。

 温かい。陽だまりに手をかざしているような、優しい温もり。

 光が収束すると同時に、赤く腫れていた擦り傷が、見る見るうちに薄いピンク色の皮膚へと変わっていく。

 

「……マジか」

 

 俺は呆然と、すっかり綺麗になった掌を握り返した。

 ホイミ。回復呪文の基本にして、冒険の生命線。

 だが待て。原作のヘンリーは、絶対にホイミを覚えないはずだ。

 彼は攻撃と補助がメインの魔法戦士タイプで、回復は主人公やスライムナイトの役目だった。

 それが使える。

 この事実は、俺の生存戦略を根本から覆す。

 薬草の数に怯えることなく、MPが続く限り戦い続けられるということだ。単独での長期遠征が可能になる。サンタローズまでの強行軍も、夢物語ではなくなる。

 

 さらに、だ。

 俺はベッドから降り、部屋の隅に隠していたブーメランを手に取った。

 素振りをするわけにはいかないが、構えを取るだけで「それ」は脳内で再生された。

 刃にメラの熱量を乗せ、敵を焼き切る一撃。

 ──火炎斬り。

 これも本来、ヘンリーの習得技リストにはない。

 どういうことだ?

 転生特典? それとも、この世界はゲームのデータ通りではなく、努力や才能次第で技を習得できるリアルな法則で動いているのか?

 

 理由は分からない。だが、一つだけ確かなことがある。

 今の俺は、原作のヘンリーよりも強い。

 そして、もっと強くなれる可能性がある。

 

「……ふっ、ははっ」

 

 自然と笑みがこぼれた。

 絶望的な未来に対する、ささやかな希望の光。

 回復手段と、物理攻撃への属性付与。

 これがあれば、格上の魔物相手でも立ち回れる。メタルスライムだって、毒針に頼らずとも火炎斬りで削れるかもしれない。

 

「面白くなってきたじゃないか」

 

 俺はブーメランを隠し場所に戻し、鏡の前の自分に向かってニヤリと笑いかけた。

 生意気な王子の顔が、今は頼もしい相棒のように見える。

 その時、廊下からバタバタという慌ただしい足音が近づいてきた。

 使用人ではない。もっと軽やかで、遠慮のない足音。

 

「兄上ーっ! あーそーぼー!」

 

 ドカン! と扉が開かれる。

 ノックもしない無遠慮な侵入者。

 そこに立っていたのは、少し小柄な少年だった。

 デール。俺の異母弟。

 そして将来、俺の代わりにラインハットの王となり、偽太后の傀儡として苦しむことになる少年。

 無邪気な笑顔が、俺の胸に突き刺さる。

 今の俺にとって、彼は守るべき家族であると同時に、最も警戒すべき「弱点」でもあった。

 

「兄上、これ! 厨房のおばちゃんにお願いして、焼いてもらったんだ!」

 

 デールが小さな手で差し出してきたのは、銀の皿に盛られた焼き菓子だった。

 不格好な形のクッキー。焦げ目もまばらだが、バターと蜂蜜の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 デールの指先には、小さな絆創膏が貼られていた。おそらく、自分も手伝おうとして火傷でもしたのだろう。

 

「一緒に食べようよ。兄上、ずっとお部屋にこもってるって聞いたから……」

 

 不安げに揺れる瞳。

 昨晩の戦闘で空腹の極みにある胃袋が、情けなく鳴りそうになる。

 そのクッキーを受け取り、頭を撫でて、「ありがとう」と言う。

 たったそれだけのことが、今の俺には許されない。

 

 俺が優しくすれば、デールは俺に依存する。

 俺たち兄弟の仲が良ければ良いほど、太后はそれを危険視し、引き裂こうとするだろう。

 最悪の場合、俺への人質としてデールが利用される未来すらあり得る。

 遠ざけなければならない。

 俺が「どうしようもないクズ兄貴」であればあるほど、デールは安全圏にいられるのだ。

 

「……臭いな」

 

 俺は鼻をつまみ、わざとらしいほど嫌悪感を露わにした。

 

「え……?」

 

「甘ったるい匂いだ。吐き気がする。そんな餌、豚にでも食わせておけ」

 

「え、さ……?」

 

 デールの顔から、さぁっと血の気が引いていく。

 皿を持つ手が小刻みに震え始める。

 心が痛む。叫び出したいほどの罪悪感が、胸を万力で締め付けるようだ。

 ごめん、デール。

 本当はお前が大好きだ。お前のその屈託のない笑顔に、前世の記憶も含めてどれだけ救われたか分からない。

 でも、だからこそ。

 今は傷ついてくれ。俺を憎んでくれ。

 

「聞こえないのか? 出ていけと言ったんだ!」

 

 俺は手近にあった読みかけの厚い本を掴むと、デールの足元へ力任せに投げつけた。

 ──バシンッ!!

 乾いた音が響き、本が床を滑る。

 デールがビクリと肩を跳ね上げ、小さく悲鳴を上げた。

 

「う……うぅ……っ」

 

 大きな瞳に涙が溜まり、決壊する。

 

「うわぁぁぁぁん! 兄上のバカぁぁ!!」

 

 デールはクッキーの皿を取り落とし、泣きじゃくりながら廊下へと走り去っていった。

 ガシャン、と銀の皿が床にぶつかり、不格好なクッキーが無惨に散らばる。

 静寂が戻った部屋に、遠ざかる弟の泣き声だけが残響していた。

 

「……クソッ」

 

 俺はその場に膝から崩れ落ちた。

 奥歯を噛み締めすぎて、顎が痛い。

 視線の先には、砕けたクッキーと、デールの涙の跡。

 俺は震える手で、床に落ちたクッキーの欠片を一つ拾い上げた。

 埃がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。

 口に放り込む。

 

 ……甘い。

 砂糖の甘さと、少しの焦げ臭さ。そして、隠し味に入れたのだろうか、わずかに塩気が混じっていた。

 一生懸命作った味がした。

 

「美味いじゃねぇか……バカ野郎」

 

 喉の奥が熱くなり、視界が滲む。

 だが、俺は涙を流さなかった。

 泣く資格なんてない。俺は自分で選んで、弟を傷つけたのだから。

 口の中の甘さを噛み締めながら、俺は再び立ち上がった。

 この痛みも、罪悪感も、すべて力に変える。

 

 強くなるんだ。

 誰にも何も奪わせないくらい、圧倒的に。

 たとえ世界中の誰に嫌われようとも、デールとお前たちが笑って暮らせる未来を、俺がこの手で切り拓く。

 

 俺はクッキーを飲み下すと、再び鏡の前に立った。

 そこにはもう、甘えも迷いもない、修羅の目をした少年が立っていた。

 修行再開だ。

 まずはMPの最大値を把握する。そして、「ホイミ」と「火炎斬り」の発動速度を極限まで縮める。

 孤独な部屋で、俺の戦いは続いていく。

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