ラインハットのヘンリー王子に憑依転生してパパスを救う   作:拓拓

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第3話 聖地巡礼、夜空色の瞳

 それから、数週間が過ぎた。

 俺の生活は、秒単位で管理された二重生活となっていた。

 

 昼間は、誰も手がつけられない「我儘王子」。

 教師を困らせ、兵士に当たり散らし、弟を無視する。その演技はもはや板につき、城内の誰もが俺を「将来の暴君」として腫れ物扱いするようになっていた。

 胸が痛まないと言えば嘘になる。特に、廊下ですれ違うたびに悲しげに目を伏せるデールの姿を見るのは、物理的なダメージとして胃に来た。

 

 だが、その代償として手に入れた「夜の自由」は、俺に劇的な進化をもたらしていた。

 ──レベル10。

 それが、今の俺の到達点だ。

 

 ステータス画面は見えないが、感覚で分かる。

 7歳の子供の体でありながら、その筋力は大人の兵士を凌駕し、身のこなしは野生の獣のように鋭敏になっていた。

 習得した呪文は「メラ」「ホイミ」に加え、グループ攻撃呪文の「ギラ」までもが使えるようになっていた。物理攻撃面でも、ブーメランに炎を乗せる「火炎斬り」の精度は百発百中の域に達している。

 

「……準備は、いいな」

 

 深夜。月の光だけが差し込む自室で、俺は革の旅袋の口を縛った。

 中身は、城の厨房から少しずつくすねて乾燥させた肉とパン、水筒、そして大量の薬草と聖水。

 そして何より重要なアイテム──「キメラの翼」だ。

 

 今日の目的地は、ここラインハット周辺ではない。

 国境を越え、遥か南西に位置する小さな村──「サンタローズ」。

 原作の主人公が育ち、パパスが拠点としている村だ。

 

 ゲーム内ではすぐに行ける距離だが、現実の縮尺では大人の足でも数日はかかる道のりだ。

 だが、行く必要がある。

 パパスたちがラインハットへ出発する前に、一度でも現地へ赴き、この場所を「記憶」しておかなければならない。そうすれば、万が一の事態が起きても「キメラの翼」で駆けつけることができるようになる。ルーラの登録地点を作るようなものだ。

 

「行くぞ」

 

 俺は深緑のフード付きマントを頭からすっぽりと被り、顔を隠した。

 姿見に映るのは、王子ヘンリーではなく、小柄な一人の冒険者。

 窓を開けると、冷たい夜気が頬を叩く。

 いつものように軽やかに窓枠を乗り越え、闇の中へと躍り出る。

 着地音は、もうしない。

 

 見回りの兵士の配置は完全に頭に入っている。

 影から影へ。呼吸をするように気配を消し、俺は城壁を越え、城下町を抜け、そして街道へと出た。

 

 ここから先は、未知の領域だ。

 ラインハット周辺とは魔物の強さが違う。一歩間違えれば、野垂れ死ぬ可能性だってある。

 恐怖がないと言えば嘘になる。

 だが、それ以上に胸を高鳴らせているのは、抑えきれない高揚感だった。

 

 この道の先に、彼らがいる。

 かつて画面の中で憧れた、紫のターバンの少年と、偉大な父が。

 

 俺は夜空に輝く一番星を見上げ、ブーツの紐をきつく締め直した。

 待ってろ、リュカ。パパス。

 今、運命を変えるための特異点が、そっちに向かうからな。

 

 俺は地面を蹴り、夜の街道を疾走し始めた。

 その速度は、もはや子供の駆けっこではない。

 風そのものとなって、闇を切り裂いていく。

 

 ラインハットの城下町が地平線の彼方に沈み、周囲の風景が整えられた石畳から荒涼とした土の道へと変わる頃。

 俺の行く手に、異変が生じた。

 

 ──ボコッ、ボコボコッ!

 

 足元の地面が突如として隆起し、土煙と共に無数の影が飛び出してきたのだ。

 急ブレーキをかけ、ザザッ、とブーツの底を滑らせて停止する。

 

「……お出ましか」

 

 月明かりの下、現れたのはずんぐりとした茶色の獣たち。

 大きな鼻に、愛嬌のあるつぶらな瞳。手には身の丈に合わない大きなスコップを握りしめている。

「いたずらもぐら」だ。

 原作ではサンタローズ周辺でよく見かける、序盤の雑魚モンスター。

 

「キキーッ!」

「モグッ! モググッ!」

 

 だが、現実はゲーム画面のように可愛らしくはない。

 鼻をひくつかせ、スコップを振り上げる様は、明確な殺意を持った野生動物のそれだ。しかも数は6匹。

 包囲陣形を取りつつある彼らは、俺をただの「迷子の子供」と見なしているのだろう。舌なめずりをする音が聞こえてきそうだ。

 

「……数で押せば勝てると思ったか?」

 

 俺は腰のブーメランに手をかけ、口角を上げた。

 悪いが、こちとらレベル10だ。サンタローズの洞窟だってソロで踏破できるスペックがある。

 

 先手必勝。

 俺は踏み込むと同時に、右手のブーメランを水平に薙ぎ払った。

 

 ──ヒュンッ!!

 

 放たれた銀色の凶器は、美しい弧を描いてモグラたちの横腹を次々と打ち据える。

「モグッ!?」と驚く間もなく、3匹が吹き飛んだ。

 だが、残りの3匹が怯まずに飛びかかってくる。泥まみれのスコップが、俺の喉元を狙って迫る。切っ先は錆びついているが、だからこそ破傷風が怖い。現実の戦闘だ。

 

 甘い。

 

「……ギラ!」

 

 俺は左手を突き出し、掌に熱量を集中させた。

 ブーメランを投げた後の隙? そんなもの、魔法で埋めればいい。

 指先から迸ったのは、メラのような単体の火球ではない。横薙ぎに広がる、灼熱の閃光。

 

 ──カッ!!

 

 閃光が闇を切り裂き、飛びかかってきたモグラたちを空中で焼き払う。

 断末魔の叫びと共に、黒焦げになった身体が地面に転がる。

 

 その直後、ヒュオッという風切り音と共に、ブーメランが俺の手元へと戻ってきた。

 俺はそれを右手でパシリと受け止め、残心の構えを取る。

 

 物理による広範囲攻撃と、魔法による迎撃。

 完璧な連携だ。

 自分の身体ながら、惚れ惚れするような動きだった。

 

「ふぅ……」

 

 周囲に散らばる光の粒子を見送りながら、俺はブーメランを腰に戻した。

 息切れ一つない。

 かつて画面の前でコマンドを選んでいた時には味わえなかった、自らの手で戦況を支配する高揚感。

 

「よし、先を急ごう」

 

 障害は排除した。

 俺は再びマントを翻し、サンタローズの方角へと走り出した。

 夜明けまでには、国境の関所を抜けたい。

 

 ♢

 

 それから一時間ほど走り続けただろうか。

 東の空がわずかに白み始め、夜行性の魔物たちの気配が薄らいできた頃、俺は街道脇にある小さな湧き水スポットで足を止めた。

 水筒の中身を補充し、少しだけ休息を取るためだ。

 

「……ん?」

 

 水を汲もうと屈んだ時、鼻孔をくすぐる匂いがした。

 湿った土と緑の匂いに混じって漂う、炭の焦げた匂い。

 俺は視線を巡らせ、茂みの向こう側──風除けになる岩陰に、その痕跡を見つけた。

 

 焚き火の跡だ。

 黒く炭化した薪が円形に並べられ、中央の灰からは、まだうっすらと白煙が立ち上っている。

 誰かが野営をしていたのだ。それも、ごく最近まで。

 俺は慎重に近づき、片膝をついて地面を観察した。

 灰に手をかざす。温かい。出発してから一時間も経っていないだろう。

 

「旅人か……あるいは商隊か」

 

 だが、商隊にしては焚き火の規模が小さい。馬車の轍もない。

 個人の旅人。それも少人数。

 何気なく地面に残された足跡を追う。

 一つは、深く重いブーツの跡。大柄な男のものだ。歩幅からして、身長は180後半から190はあるだろう。戦士クラスの体格だ。

 

 そして、その隣に並ぶように残されているのは──。

 

「……小さい」

 

 俺の心臓が、ドクリと大きく跳ねた。

 そこにあったのは、今の俺と同じくらいの、小さな子供の靴跡だった。

 父親と、子供。

 この魔物の多い危険な街道を、たった二人で旅する親子。

 

 まさか。

 いや、でも方角的には一致する。ここはサンタローズとラインハット、そしてアルカパを繋ぐ街道の交差点付近だ。

 俺は逸る鼓動を抑えながら、さらに周囲を探索した。

 何か、決定的な証拠はないか。

 岩の陰、彼らが腰掛けていたであろう場所に、何かが落ちていないか。

 

「……あった」

 

 草むらの中に、紫色の布切れが引っかかっていた。

 俺は震える指先でそれを摘み上げる。

 安物の布ではない。手触りの良い、エキゾチックな織物。

 この色。この質感。

 見間違えるはずがない。

 かつてパッケージイラストで何度も見た、あの少年のトレードマーク。

 紫のターバン。その切れ端だ。

 

「リュカ……」

 

 名前を呼んだ瞬間、鳥肌が立った。

 いる。

 彼らは「データ」でも「空想」でもなく、この世界に確かに存在し、呼吸をし、この場所で夜を明かしたのだ。

 温かいスープを飲み、パパスの大きな背中に守られながら、リュカがここで眠っていた情景が、ありありと脳裏に浮かぶ。

 

 すぐ近くだ。

 この足跡の向かう先。おそらくサンタローズの方角へ、彼らは歩いている。

 追いかければ、追いつけるかもしれない。

 一目だけでも。遠くからその姿を見るだけでも。

 

 俺は布切れを握りしめ、立ち上がった。

 理性が「まだ早い」と警告する。

 今ここで接触して、歴史が変わってしまったらどうする? 怪しまれたら?

 だが、本能が叫ぶ。

「推し」がそこにいるんだぞ、と。

 

 俺は大きく深呼吸をし、乱れる呼吸を整えた。

 紫の布切れを、お守りのようにポケットにしまい込む。

 

「……顔は見せない。遠くから、無事を確認するだけだ」

 

 そう自分に言い聞かせ、俺は足跡の続く先へと走り出した。

 疲れなんて微塵も感じない。

 胸にあるのは、熱い熱情だけだ。

 待っててくれ、リュカ。

 君を地獄に落とす役回りだったはずの男が、今、君を守るために背中を追いかけているなんて、笑い話にもならないだろうけど。

 それでも、俺は君に会いたいんだ。

 

 空が完全な青さを取り戻し、朝露に濡れた草原が宝石のように輝き始めた頃。

 俺は、街道から少し外れた小高い丘の陰から、その光景を見下ろしていた。

 

 いた。

 

 街道沿いの休憩所。古びた石碑のそばで、大柄な戦士が地図を広げている。

 パパスだ。

 威厳ある髭、歴戦の傷跡が刻まれた鎧。遠目からでも伝わってくる圧倒的な安心感。まさに「父親」の理想形だ。

 

 そして、その少し離れた場所。

 黄色い野花が群生している茂みの中に、小さな背中があった。

 紫のターバン。だぶついた旅装束。

 リュカだ。

 

「…………っ」

 

 声が出そうになるのを、両手で口を覆って必死に堪える。

 本物だ。画面の中のドット絵でも、ポリゴンでもない。

 風に揺れるターバンの布地、小さな指先が花を摘む仕草、そのすべてが実在の質量を持って俺の網膜を焼く。

 当初の予定通りなら、ここで引き返すのが正解だ。

 パパスは地図を見て、これからのルートを確認している。リュカは無事だ。それだけで十分なはずだった。

 

 だが。

 運命の悪戯か、あるいは必然か。

 パパスが「ふむ……」と低く唸り、地図を片手に街道の先──俺がいる方向とは逆の、森の様子を確認しに行ったのだ。

 ほんの数十メートル。

 だが、リュカは一人になった。

 

「……行け」

 

 理性が止める前に、身体が動いていた。

 レベル10の身体能力は、俺の思考よりも速く、風のように丘を駆け下りていた。

 足音は立てない。気配も殺す。

 まるで獲物を狙う獣のように、けれど心臓は初恋を知った少年のように早鐘を打っていた。

 

 リュカの背後、数メートルの位置にある木陰に滑り込む。

 近い。

 花の香りだけじゃない。リュカ自身から漂う、ミルクのような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 リュカは、手いっぱいに黄色い花を摘んでいた。

 そして、最後の一本を摘み取ろうとして、指先に棘が刺さったのか、「あぅっ」と小さく声を上げた。

 その声を聞いた瞬間、俺の隠密は霧散した。

 

「──大丈夫か?」

 

 思わず飛び出し、声をかけていた。

 リュカがびくりと肩を震わせ、振り返る。

 紫のターバンの下から覗く、大きな瞳。

 吸い込まれそうなほど深く、星々を宿したような夜空色の瞳と目が合った瞬間、俺の思考は一瞬で白く染め上げられた。

 それは単なる美しさではない。

 人も、魔物も、妖精さえも無差別に魅了し、傅かせてしまうような、抗いがたい引力を持った「魔性の瞳」だった。

 

 時が止まる。

 旅装束に身を包んでいるが、その顔立ちは整いすぎていた。

 

(……美少年すぎる。長い睫毛に、吸い込まれそうな夜空色の瞳。もしここが乙女ゲーの世界なら、間違いなく攻略対象の筆頭だ)

 

 ああ、間違いない。こいつが主人公だ。

 

「だ、誰……?」

 

 鈴を転がすような声。警戒心よりも、好奇心と不安が入り混じったような響き。

 俺は慌ててフードを深く被り直し、努めて優しい声を作った。

 

「通りすがりの旅人さ。それより、指、見せてごらん」

 

 俺はリュカの前に跪き、その小さな手を取った。

 柔らかい。壊れ物のように繊細な手だ。

 人差し指の先に、小さな赤い血が滲んでいる。

 

「……痛くないよ。ホイミ」

 

 小声で呪文を唱える。

 淡い緑色の光が指先を包み込み、一瞬で傷を消し去った。

 リュカが目を丸くする。

 

「すごい……! 魔法使いさんなの?」

「まあね。……その花、お父さんにあげるのか?」

 

 俺が尋ねると、リュカは恥ずかしそうに、でも誇らしげに頷いた。

 

「うん。お父さん、いつも疲れちゃってるから……お花の匂いで、元気になれるかなって」

 

 天使か。

 いや、天使だ。

 こんなに優しい子が、あと数ヶ月後には奴隷として鞭打たれることになるなんて。

 許せるわけがない。

 絶対に、何があっても、俺が守り抜いてみせる。

 

 俺は衝動的に、ポケットに入れていた「紫の布切れ」──さっき拾ったターバンの切れ端を取り出した。

 そして、リュカの手の中にある花束を、その布切れで器用に結わえてやった。

 

「ほら、これで持ちやすくなったろ」

「あ……! ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 お兄ちゃん。

 その言葉の破壊力に、俺の脳内ヒューズが飛びそうになる。

 だが、タイムリミットだ。

 遠くから、重い足音が近づいてくる。

 

「リュカ! どこだ、リュカ!」

 

 パパスの声だ。

 俺は立ち上がり、リュカの頭を──ターバンの上から、ポンポンと軽く撫でた。

 

「お父さんを大事にな。……また会おう、リュカ」

「えっ? またって……?」

 

 リュカが問い返すよりも早く、俺は地面を蹴った。

 一瞬で茂みに飛び込み、木の陰を利用して高速で離脱する。

 背後で、パパスが駆け寄ってくる気配がした。

 

「リュカ! 無事か! 今、誰かと話して……」

「お父さん! 見て、お花! 魔法使いのお兄ちゃんが結んでくれたの!」

「魔法使い? ……誰もいないぞ?」

 

 親子の会話が遠ざかっていく。

 俺は安全圏まで走り抜けると、木に背中を預けて座り込んだ。

 心臓が破裂しそうだ。

 右手に、リュカの手の温もりが残っている。

 

「……約束したからな」

 

 また会おう、と。

 次に会う時は、ラインハットの城だ。

 その時までに、俺はもっと強くならなければならない。

 あの子の「お兄ちゃん」として、恥じない強さを手に入れるために。

 

 俺は空を見上げた。

 太陽が完全に昇り、新しい一日が始まろうとしている。

 

「行くか。始まりの場所へ」

 

 俺は再びサンタローズの方角へと走り出した。

 パパスたちとは距離を置く。彼らは街道を行くが、俺はレベル10の脚力を活かして、森の中をショートカットする獣道を選ぶ。

 道中、森の魔物たちが襲いかかってきたが、今の俺の敵ではない。

 いっかくウサギ、おおきづち。

 現れる端からブーメランで薙ぎ払い、火炎斬りで炭に変えていく。

 それはただの移動ではなく、舞うような蹂躙だった。

 

 そして、太陽が中天に差し掛かる頃。

 森が開け、視界が一気に広がった。

 

「……着いた」

 

 俺は崖の上から、眼下に広がる景色を見下ろした。

 木々に囲まれた、静かで小さな集落。

 川のせせらぎが聞こえ、家々の煙突からは細く煙が立ち上っている。

 畑を耕す人々の姿、井戸端で談笑する女性たち。

 どこにでもある、平和な村の風景。

 

 サンタローズの村だ。

 かつて画面の中で、未知に浮かれワクワクしながら駆け回った、あの村。

 

 俺の視線は、村の北外れにある一際大きな建物へと吸い寄せられた。

 石造りの土台に、木造の二階建て。

 屋敷の横には、地下へと続く階段の入り口が見える。

 

「パパスの屋敷……」

 

 あそこでリュカが育ち、ベラと出会い、そして妖精の国への冒険へと旅立つのだ。

 胸が熱くなる。

 聖地巡礼なんてレベルじゃない。ここは俺にとって、全ての伝説が始まる「原点」なのだから。

 

 屋敷の煙突からは煙が出ていない。

 サンチョが留守を守っているはずだが、主人の帰還を待って静まり返っているのだろうか。

 

「……よし」

 

 村の空気を吸った。場所も記憶した。これでいつでもキメラの翼で戻ってこられる。

 だが、せっかくここまで来たんだ。

 パパスたちが到着するまでにはまだ時間がある。

 今のうちに「やっておくべきこと」があるはずだ。

 

 俺は崖の縁に座り込み、眼下の村を見据えながらニヤリと笑った。

 村の洞窟。

 そこには、パパスが大切に保管している「天空のつるぎ」があるはずだ。

 今の俺に装備はできないが、場所を確認し、あわよくばメタルスライムが出るフロアにある強力なアイテムを回収できるかもしれない。

 

 冒険者の血が騒ぐ。

 さあ、少しだけお邪魔させてもらおうか。

 

 俺は崖を降り、村人の視線を避けるようにして、村の外周にある木立の中を移動した。

 昼下がりの村は穏やかだ。

 だが、その穏やかさを守っている「縁の下の力持ち」の姿を見つけた瞬間、俺の足が止まった。

 

 商店の裏口。

 大きな麻袋を二つも抱え、店主と笑顔で話している丸っこい男。

 サンチョだ。

 パパスに絶対の忠誠を誓い、後に双子の子供たちを育て上げることになる、忠義の男。

 

「……元気そうだな、サンチョ」

 

 風に乗って、彼の大らかな笑い声が聞こえてくる。

「旦那様が戻られたら、すぐにシチューを作らなきゃなりませんからな!」

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 彼は知らないだろう。主人が戻ってきても、すぐにまた過酷な旅に出ることになるなんて。

 そして、その旅が永遠の別れになるかもしれないなんて。

 

 俺は木陰から、その丸い背中に向かって、心の中で敬礼を送った。

 あんたには苦労をかける。

 だけど、あんたが守ったリュカは、俺が絶対に不幸にさせない。

 

 俺はサンチョに背を向け、目的の場所へと急いだ。

 村の北。川の上流にある洞窟の入り口だ。

 

 入り口に見張りはいない。

 子供の遊び場にしては危険すぎる場所だが、村の自警団も日中は畑仕事で忙しいのだろう。

 俺は誰にも見咎められることなく、薄暗い洞窟の口へと滑り込んだ。

 

 ──ヒンヤリとした冷気。

 岩肌を滴る水音。

 そして、奥から漂ってくる獣の臭い。

 

「さて、ボーナスステージといくか」

 

 俺は懐から松明(たいまつ)を取り出し、火を灯した。

 洞窟の構造は、驚くほど記憶通りだった。

 最初の分岐を右へ。

 飛び出してくるドラキーをブーメランの一閃で撃ち落とす。

 

 ──バシュッ!

 

 一撃だ。レベル10の暴力。

 俺は立ち止まることなく奥へと進む。

 道中の宝箱も忘れずにチェックする。

 

「お、『皮のたて』発見。……こっちは『旅人の服』か」

 

 装備品は今の俺にはサイズが合わないか、あるいは今の装備より弱い。

 だが、金にはなる。あるいは、いつかリュカに渡してもいい。

 俺はアイテムを旅袋に放り込み、地下へ、地下へと潜っていった。

 

 最下層。

 岩の隙間から、ひときわ神聖な空気が流れ出している場所があった。

 俺は松明を掲げ、その広間へと足を踏み入れた。

 

 そこには、人工的な石の台座があり、一振りの剣が突き刺さっていた。

 錆びついた刀身ではない。

 時を超えても輝きを失わない、蒼穹の刃。

 翼を模した黄金の鍔。

 

 ──天空のつるぎ。

 

 世界を救う勇者だけが装備できる、伝説の剣。

 パパスが過酷な旅の中で見つけ出すも装備は叶わず、灯台下暗しとなるこの地に隠し守っていたという皮肉な剣。

 

「……本物だ」

 

 俺はゴクリと唾を飲み込み、そっと近づいた。

 圧倒的なプレッシャー。

 ただの武器ではない。「意志」のようなものを感じる。

 

 俺は恐る恐る手を伸ばし、その柄に触れてみた。

 指先が触れた瞬間。

 バチッ! と静電気が走り、俺の手は弾かれた。

 

「……やっぱりな」

 

 拒絶されたわけではない。ただ、「お前ではない」と静かに告げられたような感覚。

 俺は苦笑いして、痛む指先を振った。

 

 分かっている。俺は勇者じゃない。

 伝説の血筋でもなければ、選ばれし者でもない。

 ただの、運命に抗おうとする「脇役(モブ)」崩れの王子だ。

 

「いいさ。お前の主人は、俺が連れてきてやる」

 

 俺は剣に向かって不敵に笑いかけた。

 

「それまで、ここで眠ってろ。……伝説の剣」

 

 目的は果たした。

 場所の確認、アイテムの回収、そして「己の立ち位置」の再確認。

 十分すぎる成果だ。

 

 俺は踵を返し、来た道を戻り始めた。

 外に出る頃には、日は傾き始めているだろう。

 

 ラインハットへ帰ろう。

 あの退屈で、窮屈で、けれど俺の戦場であるあの城へ。

 

 洞窟を出て、森の開けた場所まで移動する。

 俺は再びキメラの翼を取り出し、空へと掲げた。

 

「ラインハット!」

 

 今度こそ、迷いはない。

 身体が光の粒子に包まれ、サンタローズの風景が白く溶けていく。

 次に来る時は、パパスと共に。

 そして、運命の歯車が大きく動き出す時だ。

 

 ──バシュンッ!

 

 風を切り裂く音と共に、俺の姿はサンタローズの森から消滅した。

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