ラインハットのヘンリー王子に憑依転生してパパスを救う 作:拓拓
季節は巡り、ラインハットの城下町にも初夏の風が吹き始めていた。
俺がヘンリーになってから、数ヶ月という月日が流れていた。
その間、俺は狂ったようなスピードで成長を続けていた。
現在のステータス、レベル15。
7歳の子供としては、もはや「異常」と呼ぶほかない数値だ。筋肉の密度、神経の伝達速度、魔力の保有量。すべてが常人の域を凌駕している。城周辺のスライムやドラキー程度では、もはや準備運動にすらならない。一睨みで逃げ出す魔物さえいる始末だ。
退屈だ。圧倒的に刺激が足りない。
ある日、俺は好機を見つけた。「北の関所付近に出没する盗賊団」の噂だ。
俺はすぐさま兵士長の部屋へ乗り込み、机を叩いて直談判した。「王家の威信にかけて、この俺が成敗してくれる!」と。
もちろん、子供の戯言だと一蹴されかけたが、そこは日頃の「手のつけられない暴れん坊」演技が功を奏した。「行かせなければ城内の骨董品を片っ端からへし折る」という無言の圧力をかけ、半ば呆れられる形で外出許可をもぎ取ったのだ。
表向きは「公務」としての討伐遠征。だが実態は、ただの「お忍び」だ。
護衛の兵士たちも、街道の入り口で「邪魔だ、ついてくるな」と撒いてきた。今の俺の脚力についてこられる兵士など、この国には存在しない。
俺の真の目的は、盗賊退治のその先にある。
関所を越えた北西の宿場町、アルカパ。
そこへ行き、リュカの花嫁――ビアンカの動向を探ることだ。
金髪のおてんば娘。幼馴染であり、数奇な運命に翻弄される天空の花嫁候補。
パパスたちが到着する前に、彼女が今どうしているのか、この目で確かめておきたい。いや、あわよくば接触し、少しでも好感度を……じゃなくて、未来の悲劇を回避するための布石を打っておきたいのだ。
しかし、運命とは皮肉なものだ。
俺が探すまでもなく、向こうからやってきたのだから。
――アルカパへと続く山間の街道。
そこで俺は、非道な光景を目撃した。
「へっへっへ、いい身なりをしてるじゃねえか」
「金目の物を置いていけば、命だけは助けてやるよ!」
数人の薄汚い男たちが、一台の馬車を取り囲んでいた。
御者台には、困り顔の壮年の男――ダンカン。
そして馬車の荷台からは、女性が不安げに顔を覗かせている。ビアンカの母親だ。
そんな二人を守るように、小さなナイフを構えて男たちを睨みつける金髪の少女がいた。
「やめなさいよ! お父さんとお母さんに指一本触れさせないわ!」
おてんば姫、ビアンカだ。
まだ幼いけれど、その勝気な瞳は宝石のように輝いている。二つに結った金髪が、威嚇するように揺れていた。
だが、相手は凶悪な武装盗賊団。子供のナイフで太刀打ちできる相手じゃない。
「生意気なガキだ。さらって売り飛ばしてやる!」
「きゃっ!?」
盗賊の一人が汚い手を伸ばし、ビアンカの腕を掴もうとした瞬間。
「――そこまでだ、下種ども」
俺は街道脇の岩場から跳躍し、馬車の屋根に音もなく着地した。
逆光を浴びて、深緑のマントがバサリと翻る。
眼下の盗賊たちを見下ろす俺の心臓は、激しく脈打っていた。恐怖ではない。これが「運命の出会い」だという確信への興奮だ。
「誰だ、てめぇは!」
「通りすがりの……そうだな、正義の味方ってとこか」
俺はニヤリと笑い、腰の剣――城の武器庫から拝借した「はがねのつるぎ」を抜き放った。
鋼の刀身が、初夏の太陽を反射してギラリと輝く。
「さあ、ショータイムだ。かかってこいよ」
リュカの未来の嫁(候補)の前で、無様な姿は見せられない。
俺は剣先に「メラ」の熱量を集中させる。ボッ、と音を立てて鋼の刀身が紅蓮に染まった。
戦闘は、一方的な蹂躙だった。
「う、うわあああっ! なんだこいつ、速すぎる!?」
「剣が燃えてるぞ!? 魔法剣士かよ!」
盗賊たちの悲鳴が木霊する。
俺は最小限の動きで彼らの錆びた剣や棍棒をかわし、峰打ちと蹴りで的確に急所を突いていく。
レベル15の身体能力にとって、彼らの動きはスローモーションのように鈍重だった。
最後の一人、リーダー格の男が震える手で剣を構える。
俺はため息をつき、剣に纏わせた炎を強く燃え上がらせた。
「――消えろ」
「ヒッ、ヒイイイッ!!」
男は腰を抜かしかけながら背を向け、仲間を引きずって蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
街道に静寂が戻る。
俺は剣の炎を消し、大げさに血振りの動作をしてから――実際には斬っていないので血はついていないが、鞘に納めた。
「怪我はないか? お嬢さん」
俺は振り返り、呆然と立ち尽くしているビアンカに声をかけた。
彼女は大きな瞳をパチクリとさせ、それから頬を朱に染めて大きく頷いた。
「う、うん! 助けてくれてありがとう! ……すごく強かったわ!」
「ははは、どういたしまして」
やばい、可愛い。
勝気な吊り目が、今は尊敬と驚きで丸くなっている。破壊力抜群だ。
「おお……なんと感謝してよいやら。旅のお方、あなたが来てくださらなければ、どうなっていたことか」
御者台から降りてきたダンカンが、深々と頭を下げた。
荷台の奥からは、母親も安堵の息を吐きながら、弱々しくも微笑みかけてくれている。
「礼には及びません。通りがかっただけですから」
「いやいや、そういうわけにはいきません! 見れば、あなたもアルカパへ向かう途中でしょう? どうぞこちらの宿屋へ来てください。最高のもてなしをさせていただきますぞ!」
ダンカンの申し出。
断る理由はない。というか、それが目的だ。
俺は「それならお言葉に甘えて」と、少し照れたふりをして頷いた。
こうして俺は、ダンカンの馬車――つまりビアンカの隣に座り、アルカパへの道のりを共にすることになった。馬車に揺られながら、ビアンカが身を乗り出してくる。
「ねえねえ、さっきの剣、どうやったの? 魔法? どこで覚えたの?」
「独学だよ。……君は?」
「私はビアンカ! 大きくなったら、あなたみたいな強い冒険者になりたいの!」
弾けるような笑顔。
俺は眩しさに目を細めながら、心の中でガッツポーズをした。
第一関門、突破。
コネクション作りは、これ以上ない形で成功したようだ。
やがて、山間の盆地に、温かな明かりの灯る町並みが見えてきた。
アルカパの町だ。
♢
アルカパの町に到着した頃には、日はすっかり沈み、家々の窓から漏れる明かりが石畳を暖かく照らしていた。
ダンカンの経営する宿屋は、町の中心にある立派な建物だった。
「さあ、着いたぞ! 母さんは部屋で休んでいてくれ。ビアンカ、お客様をご案内するんだ」
「はーい! こっちよ、お兄ちゃん!」
ビアンカに手を引かれ、俺は宿屋の客室へと通された。
清潔なリネン。木の温もり。ラインハットの豪華だが冷たい石造りの部屋とは違う、生活の匂いがする空間。
荷物を置き、一息ついたところで、ドアが控えめにノックされた。
「……入っていい?」
顔を出したのはビアンカだ。背中に何かを隠している。
モジモジと部屋に入ってくると、彼女は隠していた小さな包みを差し出した。
「これ……お礼。その、形はちょっと変になっちゃったけど……」
包みを開けると、そこには不格好な形のクッキーが入っていた。
焦げ目が少しあり、大きさもバラバラ。
デールが持ってきてくれたものを思い出させる、手作りの菓子。
あの時、俺はそれを床に叩きつけた。
弟を守るために。心を鬼にして。
――でも、今は違う。
俺はクッキーを一つ摘み上げ、ビアンカの不安そうな瞳を真っ直ぐに見つめた。
そして、口に放り込む。
サクッとした食感。砂糖の甘さが、旅の疲れと乾いた心に染み渡っていく。
「……ん、美味い」
演技ではない。自然と頬が緩み、満面の笑みがこぼれた。
「すごく美味しいよ、ビアンカ。お店で売ってるのより好きだ」
「ほ、ほんとに? お世辞じゃない?」
「ああ。君の優しさが詰まってる味がする」
俺がそう言うと、ビアンカの顔がボッと音を立てんばかりに赤くなった。
「も、もう! 調子いいんだから!」と照れ隠しに俺の腕をペシペシ叩くが、その表情は嬉しさで緩みきっている。
(ごめんな、デール。兄ちゃんだけ、こんな役得で)
心の中で弟に詫びつつ、俺はこの温かな時間を噛み締めた。
その後、一階の酒場で開かれた夕食会は、ダンカンの豪快なもてなしで大いに盛り上がった。
特製のシチューに、焼きたてのパン。ダンカンは上機嫌でジョッキを傾け、俺の武勇伝を聞きたがった。俺は正体がバレない程度に、適当な冒険譚をでっち上げて彼を楽しませた。
そして、夜。
部屋に戻り、ベッドで魔法の練習をしていた時だ。
――コンコン。
再びノックの音。
「開いてるよ」と言うと、ビアンカが枕を抱えて……ではなく、目をキラキラさせて飛び込んできた。
「ねえ! 約束、覚えてる?」
「約束?」
「魔法よ! さっきの剣が燃えるやつ、私にも教えてくれるって言ったじゃない!」
ああ、そういえば馬車の中でそんな話をしたような。
ビアンカは魔法使いの素質がある。将来「メラゾーマ」まで覚える彼女なら、今の段階でも「メラ」くらいは習得できるかもしれない。
「よし、いいよ。ちょっと手を出して」
俺はベッドの端に座り、ビアンカを隣に座らせた。
小さな掌を上に向けてもらう。
俺はその下から自分の手を添え、彼女の指先を包み込むように支えた。
「えっ……?」
「魔法っていうのは、イメージだ。身体の中にある熱い力を、指先に集めるんだ。こうやって……」
俺は自分の魔力を少しだけ流し込み、彼女の魔力回路を誘導してやる。
肌と肌が触れ合う距離。
ビアンカの体温が伝わってくる。彼女の肩が少し強張り、耳まで赤くなっているのが分かる。
シャンプーのような、甘い石鹸の香り。
やばい。これ、リュカが見たら嫉妬で狂う案件じゃないか?
いや、これは特訓だ。師匠と弟子だ。邪念を捨てろ。
「集中して。指先に小さな太陽を作るイメージだ。……熱くなってきただろ?」
「う、うん……なんか、ピリピリする……」
「そう、それが魔力だ。それを一気に解放する! ……メラ!」
俺の声に合わせて、ビアンカも叫ぶ。
「メラッ!」
ボッ!!
彼女の指先に、マッチの火ほどの小さな炎が灯った。
揺らめくオレンジ色の光が、二人の顔を照らし出す。
「わあ……! できた! 私にもできたわ!」
「すごいな、一発成功だ。ビアンカ、君には才能があるよ」
俺が手を離しても、炎は消えない。
ビアンカは炎を見つめ、それから俺を見て、今日一番の笑顔を咲かせた。
「ありがとう、先生!」
その笑顔の破壊力に、俺の心臓は「会心の一撃」を受けたかのように跳ね上がった。
これは……守りたい。
レヌール城の幽霊だろうがゲマだろうが、この笑顔を曇らせる奴は全員、俺が灰にしてやる。
夜更けまで続いた魔法教室。
二人の影が、暖炉の明かりで壁に一つに重なっていた。
♢
翌朝。
早起きした俺たちは、朝の散歩がてら町の武器屋と防具屋を覗いてみることにした。
ラインハットの城下町ほどではないが、アルカパも活気のある宿場町だ。掘り出し物があるかもしれないという淡い期待を抱いて。
しかし、現実は甘くなかった。
「いらっしゃい! おすすめは『ブーメラン』だ! あとは『こんぼう』に『ひのきのぼう』!」
武器屋の親父が威勢よく勧めてくるが、俺はため息交じりに棚を眺めるしかなかった。
今の俺は「はがねのつるぎ」装備だ。レベル15の物理攻撃力を活かすには、少なくとも「はがね」以上のグレードが欲しい。だが、ここに並んでいるのは初期装備のラインナップばかり。
「……まあ、そうだよな」
ゲームの進行度的には、ここはまだ序盤の町だ。強力な武器が売っているはずがない。
ガッカリして店を出ようとした時、壁に掛けられた一振りの武器が目に入った。
トゲのついた革製のムチ。
「いばらのムチ」だ。
「……そうだ。これなら」
俺は足を止め、そのムチを指差した。
「親父、それ一本くれ。一番質のいいやつを頼む」
「へい! 毎度あり!」
俺は袋からゴールドを取り出し(ラインハットの公費だ、遠慮はいらない)、ムチを購入した。
そして、隣できょとんとしているビアンカに手渡す。
「はい、プレゼント」
「えっ!? わ、私に?」
「ああ。昨日の盗賊みたいな奴らに、また襲われるかもしれないだろ? 護身用だ」
ビアンカはおずおずとムチを受け取り、その感触を確かめるように握りしめた。
少し重そうだが、彼女の筋力なら扱えるはずだ。
「でも、私、ムチなんて使ったことないわ……」
「大丈夫、コツさえ掴めば簡単さ」
俺は店の裏手にある広場へ彼女を連れ出し、即席のレクチャーを開始した。
「いいか、ビアンカ。ムチの最大の利点は『攻撃範囲』だ。剣やナイフは目の前の敵一人しか狙えないが、ムチはしなる動きで複数の敵を一網打尽にできる」
俺は彼女の手を取り、手首のスナップの効かせ方を教える。
「手だけで振るんじゃない。腰を入れて、遠心力を使って……横に薙ぎ払うイメージだ! そうすれば、グループ単位の敵全員にダメージを与えられる」
「こ、こう!?」
ビアンカが掛け声と共にムチを振るう。
ヒュンッ!
空気を切り裂く鋭い音が響き、ムチの先端が地面の空き缶を弾き飛ばした。
「うまい! 筋がいいぞ!」
「やったぁ! これなら、いっぺんにやっつけられるわね!」
ビアンカが得意げにムチを構える。
その姿は、将来の「天空の花嫁」としての片鱗をすでに見せ始めていた。
メラによる遠距離攻撃と、いばらのムチによるグループ攻撃。
この装備があれば、レヌール城のゴースト相手でも十分に無双できるはずだ。
「よし、準備万端だな」
俺は満足げに頷いた。
この投資は、必ず未来で活きてくる。
……まあ、一番の理由は、ムチを構えるビアンカが予想以上に似合っていて可愛かったから、というのは内緒だが。
特訓を終えて宿屋に戻ると、ロビーはチェックアウト後の客室清掃と、昼食の仕込みで戦場のような忙しさになっていた。
ダンカンが額に汗を浮かべ、一人で走り回っている。
「おじさん、手伝うよ」
「い、いやいや! お客人にそんなことさせられませんぞ!」
「いいから。泊めてもらってるお礼もしたいし、じっとしてると体が鈍るんだ」
俺は遠慮するダンカンを押し切り、エプロンを装着した。
さあ、レベル15のスペックを見せてやる時だ。
魔物退治だけが冒険者のスキルじゃない。
「まずは皿洗いだな。……『ピオリム(身体強化)』!」
実際にはピオリムは使えないが、イメージで神経を加速させる。
俺の両手が残像と化した。
キュキュッ! カチャッ!
山積みだった皿が、瞬きする間に洗われ、拭き上げられ、棚へと整列していく。その速度、まさに神速。
「す、すげえ……」
「次は客室のモップ掛け!」
俺はモップを構え、廊下を疾走した。
摩擦熱で床が輝くほどの高速スライド。廊下の端から端まで、残像を残しながら「ピカピカ」という擬音が具現化しそうな勢いで磨き上げる。コーナーリングではドリフトを決め、家具の隙間の埃も逃さない。
10部屋の清掃をわずか5分で完了させた俺は、涼しい顔でロビーに戻ってきた。
「終わりました。次は薪割りですか?」
「あ、あんた……一体何者だ……?」
ダンカンが口をあんぐりと開けて立ち尽くしている。
ビアンカも目を丸くして、「すごーい! 魔法みたい!」と拍手喝采だ。
昼食の時間。
俺の働きで回転率が上がったおかげか、宿屋は大繁盛だった。
一息ついた休憩時間、ダンカンが冷たい麦茶を差し出してくれた。
「いやあ、助かったよ。正直、あんたがいなけりゃ回らなかった。……どうだ? 将来、本当にウチの婿に来てくれないか?」
ガハハ、と豪快に笑うダンカン。
冗談だ。分かっている。旅の子供に対する、最高の賛辞としてのジョークだ。
だが、俺の心臓は早鐘を打った。
婿。ビアンカの夫。
その響きの甘美さよ。
俺は危うく「はい! 喜んで! 今すぐ契約書を!」と食い気味に叫びそうになるのを、鋼の理性で飲み込んだ。
ここで即答したら、ただの危ない子供だ。
「ははは……ビアンカが大人になって、まだ売れ残ってたら考えてみますよ」
「なっ、何よそれ! 失礼ね!」
ビアンカが怒って頬を膨らませる。
その顔を見て、俺とダンカンは顔を見合わせて笑った。
平和だ。
この穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思っていた矢先のことだった。
「ねえ、ヘンリー。夕飯の買い出しに行きたいんだけど、荷物持ちしてくれない?」
「ああ、いいよ」
俺たちは連れ立って夕暮れの町へと繰り出した。
アルカパの町外れ、川沿いの道を歩いている時だ。
橋の下から、子供たちの騒ぐ声と、弱々しい動物の鳴き声が聞こえてきた。
「……ミャー……ミャウ……」
「へへっ、逃げんじゃねーよ!」
「もっとつつこうぜ!」
俺とビアンカは顔を見合わせた。
次の瞬間、ビアンカは買い物カゴを放り出し、土手を駆け下りていた。
「ちょっと! 何やってるのよあんたたち!」
そこには、三人の悪ガキが、一匹の子猫――いや、正確には「ベビーパンサー」の幼獣を囲んで棒でつついている光景があった。
独特の斑点模様。まだ牙も生え揃っていないが、将来は凶暴な魔物になる種族だ。
だが、今のそいつは傷だらけで、怯えきって震えていた。
「あ、なんだよビアンカかよ」
「魔物いじめて何が悪いんだよ。どうせ大きくなったら人間を襲うんだぜ?」
悪ガキたちは悪びれる様子もない。
ビアンカが怒りで顔を真っ赤にする横で、俺は静かに前に出た。
そして、ニッコリと笑った。
――「狂気の王子」モードの笑顔で。
「へえ、弱い者いじめか。楽しそうだな」
俺は落ちていた手頃な石を拾い上げると、指先だけで「バキンッ!」と粉々に握りつぶした。
白い粉がパラパラと落ちる。
「……ッ!?」
「俺も混ぜてくれよ。ただし、次は『お前ら』がつつかれる番な」
底冷えするような声。
悪ガキたちの顔が青ざめる。彼らは「ひ、ひいいっ!」と悲鳴を上げ、脱兎のごとく逃げ出した。
レベル15の威圧感、効果てきめんだ。
「……大丈夫?」
ビアンカが子猫に駆け寄り、優しく抱き上げる。
子猫は「ミャ……」と安心して、彼女の胸に顔を埋めた。
「怪我してる……かわいそうに」
「魔物の子供だけどな。……飼うつもりか?」
俺が聞くと、ビアンカは強い瞳で俺を見上げた。
「当たり前でしょ! 放っておけないわ。ねえ、名前は何がいいかしら?」
来た。原作名物、名前論争だ。
ビアンカは子猫の顔を覗き込み、嬉しそうに候補を挙げ始めた。
「そうねえ……『ボロンゴ』なんてどう?」
「ボロンゴ……強そうだな」
「じゃあ『プックル』は?」
「可愛い系か」
「うーん、それとも『ゲレゲレ』?」
「……独特なセンスだ」
「あ! 『チロル』もいいかも!」
次々と飛び出す名前に、俺は苦笑いするしかない。
どれも懐かしい。
俺にとってのこいつは「キラーパンサー」であり、かつて共に旅した相棒だ(ゲーム)。
どの名前になろうとも、こいつが将来、パパスの剣を守り続ける忠義の獣になることは変わらない。
「ビアンカの好きなように呼びなよ。君が助けたんだから」
「むぅ……じゃあ、とりあえず『ボロンゴ』にする! 強くなって、私を守ってくれそうだし!」
ビアンカは「ボロンゴ」を高々と持ち上げ、夕日に透かして笑った。
子猫も嬉しそうに手足をバタつかせている。
その光景は、あまりにも美しく、そして切なかった。
本来なら、ここにいるのはリュカであるべきなのだ。
彼らがリボンを託し、再会を誓い合うはずの場面。
(……まあ、いいか)
俺は心の中で呟いた。
ボロンゴがビアンカに懐いているなら、それはそれでいい。
大事なのは、こいつが生き延びたことだ。
俺たちはボロンゴと買い物カゴを抱え、宿屋への帰路についた。
子猫の温もりと、隣を歩くビアンカの笑顔。
「今日はシチューにしましょうね!」と張り切る彼女の声を聞きながら、俺はこの世界に来て初めて、心の底からリラックスしている自分に気づいた。
その夜のシチューは、絶品だった。
家族団欒のような温かい食卓。ボロンゴもミルクを貰い、暖炉の前で満足そうに丸くなっている。
俺は久しぶりに、何の警戒も計算もなく、深く安らかな眠りにつくことができた。
♢
翌朝。
俺は旅立ちの準備を整え、宿屋の入り口に立った。
あまり長居はできない。城を抜け出してきている以上、これ以上の滞在は「捜索隊」のリスクを高めるだけだ。それに、本来の主役であるリュカたちがいつ到着するか分からない。鉢合わせは避けるべきだ。
目的は十分に果たした。
ビアンカとのコネクションは確立し、彼女の装備も整え、ボロンゴも救った。あとは運命の流れに任せるだけだ。
「……もう行っちゃうの?」
見送りに出てきたビアンカが、少し俯き加減で問いかけてくる。
その足元には、すっかり懐いたボロンゴがまとわりついていた。
「ああ。これ以上、城の連中……いや、親を心配させるわけにはいかないからな」
「そっか……。もっと色々、魔法とか教えてほしかったな」
寂しげな表情に、心が揺れる。
だが、俺は笑顔で彼女の頭をポンと撫でた。
「大丈夫さ。君には才能があるし、何よりこの『ボロンゴ』がいる。二人で強くなれるよ」
「うん……」
「それに、これが今生の別れってわけじゃない」
俺はしゃがみ込み、彼女の目線に合わせて真っ直ぐに見つめた。
「また会いに来るよ。その時までに、いばらのムチを使いこなせるようになっておくこと。それが宿題だ」
「……ほんと? 絶対?」
「ああ、約束だ。次はもっと面白い奴を連れてくるかもしれないぜ?」
俺がリュカのことを示唆してウィンクすると、ビアンカはようやくパッと顔を輝かせた。
「分かった! 約束よ! 次会う時までに、ボロンゴと一緒にすっごく強くなってるから、覚悟しててよね!」
「期待してるよ、おてんば姫」
俺は立ち上がり、ダンカンにも軽く会釈をした。
「おじさん、世話になりました。シチュー、最高でしたよ」
「またいつでも来なされ! あんたなら大歓迎だ!」
二人の笑顔と、ボロンゴの「ミャー」という鳴き声を背に受けて、俺は歩き出した。
振り返らない。
振り返れば、帰りたくなくなってしまうから。
♢
アルカパの町を出て、街道を歩く。
風が心地よい。
足取りは軽い。確かな成果と、未来への希望を手に入れたからだ。
「さて……帰るか」
俺は人目のない場所まで来ると、懐からキメラの翼を取り出した。
次はポートセルミへ向かうつもりだが、その前にやるべきことがある。
これ以上の長期不在は、さすがにただの「行方不明」として扱われかねない。一度戻り、今後は堂々と動けるように「既成事実」を作る必要がある。
「ラインハット!」
俺は高らかに唱え、光の渦に身を委ねた。
数秒後、視界が白から緑へと変わる。ラインハット城外の森の中だ。
俺はマントの埃を払い、城へと向かった。
城内は、俺の数日間の不在で蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「王子! ヘンリー王子! 今までどこへ……!」
血相を変えて駆け寄ってくる兵士長を無視し、俺はまっすぐに玉座の間へと向かった。
重い扉を押し開ける。
そこには、頭を抱える父王の姿があった。
「ヘンリー! 無事だったか! お前というやつは……!」
駆け寄ろうとする父を手で制し、俺は不敵に笑って見せた。
「親父。いちいち騒ぐな、みっともない」
「な、なんだと……?」
「俺は決めたぞ。この狭い城に閉じこもっているのは飽きた。俺は外の世界を見てくる」
俺は腰の剣を叩き、宣言した。
「王になるには見聞が必要だろ? しばらく旅に出る。止めても無駄だ。止めるなら、この城の壁を全部ぶち壊してでも出て行くからな」
それは我儘な子供の暴論だ。
だが、レベル15の威圧感を纏った今の俺の言葉には、大人の兵士すらたじろぐほどの迫力があった。
父王は呆気にとられ、それからふっと息を吐いて、どこか頼もしそうな目で俺を見た。
「……勝手にしろ。だが、必ず戻ってこい。お前は次期国王なのだからな」
「はんっ、気が向いたらな」
言質は取った。
これでお尋ね者にならずに済む。
俺は弟のデールにも「俺がいない間、親父を頼むぞ」と(心の中で)別れを告げ、その足で再び城を出た。
次なる目的地は南。
港町ポートセルミ、そしてサラボナへ。
公認の「武者修行」の始まりだ。