ラインハットのヘンリー王子に憑依転生してパパスを救う   作:拓拓

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第6話 二つのリング

 翌朝。

 俺が旅支度を整えて屋敷を出ようとすると、玄関ホールでフローラとデボラが待ち構えていた。

 

「ヘンリーさん! お父様から聞きました! そんな危険な場所へ行くなんて、自殺行為です!」

 

 フローラが涙目で俺の袖を掴む。

 

「そうよ! あんたバカなの!? ただのアイテムのために命を捨てるなんて……!」

 

 デボラもまた、珍しく焦った様子で俺の前に立ちはだかった。

 二人とも、本気で心配してくれている。

 その気持ちは嬉しい。

 だが、俺の決意は揺るがない。

 

「心配無用です。……俺はもっと強くならなきゃいけない。守りたいものがあるんでね」

 

 俺は二人の頭を──デボラには怒られたが──ポンポンと撫でて、優しく突き放した。

 

「待っていてください。指輪と、最高のお土産話を持って帰ってきますから」

 

 静止する二人と、呆れ顔のルドマンを背に、俺は屋敷を後にした。

 

 目指すは、二つのリング。

 今のレベルは18。死の火山の溶岩や、滝の洞窟の魔物は脅威だが、原作知識とこれまでの経験があれば、攻略不可能ではない。

 厳しい戦いになるだろう。だが、それを乗り越えた先には、最強の装備と、さらなる高みが待っている。

 

「まずは……『死の火山』だ」

 

 俺は地図を広げ、南の山岳地帯を指差した。

 サラボナから近いということもあるが、何より「熱い」方から先に片付けるのが性分だ。

 溶岩原人。強敵だが、行動パターンは頭に入っている。

 

 俺はサラボナの武器屋と防具屋を巡り、『はじゃのつるぎ』と『みかわしのふく』を調達した。さらに道具屋で、回復アイテムと魔除けの聖水を大量に買い込んだ。

 準備は万全だ。

 

「……行くぞ」

 

 俺はサラボナの街門をくぐり、南へと続く街道に足を踏み出した。

 目的は、二つのリングの入手。

 そして、ルドマンを認めさせ、最強の装備を手に入れること。

 

 ♢

 

 街道を進むにつれ、周囲の景色は緑豊かな平原から、荒涼とした岩場へと変わっていく。

 魔物の質も上がっている。ホースデビルやメタルハンターといった、一筋縄ではいかない連中が襲いかかってくる。

 

「……ッ、せいッ!」

 

 俺は『はじゃのつるぎ』を振るい、ホースデビルの首を飛ばした。

 重い。だが、その切れ味は抜群だ。

 魔物を屠るたびに、身体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じる。経験値が蓄積され、肉体が研ぎ澄まされていく感覚。

 

 山麓に辿り着く頃には、俺のレベルは19に達していた。

 眼前にそびえ立つのは、黒煙を上げる巨大な活火山。

 熱気が肌を焼く。ここからが本番だ。

 

 俺は『聖水』を頭から被り、魔物の気配を遠ざけつつ火山内部へと侵入した。

 内部は灼熱地獄だ。

 煮えたぎるマグマの池、噴出する蒸気。

 一歩足を踏み外せば即死の環境。

 だが、俺の頭には完璧なマップが入っている。

 

「ここを右……あの溶岩地帯はダメージ床だが、最短ルートだ」

 

 俺はためらうことなく、ダメージ覚悟で溶岩の上を駆け抜けた。

 靴底が焦げる臭いがするが、回復魔法『ホイミ』でカバーする。

 無駄な戦闘を避け、最短距離で進む。これこそがRTA走者の……いや、今の俺のやり方だ。

 

 中腹の広間。

 俺は足を止め、宝箱を開けた。

 中に入っていたのは、古びた杖。

 

「……あった。『まふうじのつえ』」

 

 俺はニヤリと笑った。

 道具として使えば、敵の呪文を封じる『マホトーン』の効果を発揮するアイテムだ。

 この火山のボスには効かないかもしれないが、将来戦うことになるゲマや、イブールといった強力な呪文使いへの切り札になる。

 これはただの装備品じゃない。未来への投資だ。

 

 杖を背負い、さらに奥へ。

 最深部、火口の底にある祭壇。

 そこに、そいつらは待ち構えていた。

 

 ボコッ、ボコボコッ!

 

 マグマ溜まりから、巨大な炎の塊が三つ、飛び出してきた。

 燃え盛る岩石の身体を持つ魔人。

 溶岩原人だ。しかも三体。

 

「グオオオォォォッ!!」

 

 咆哮と共に、熱波が押し寄せる。

 まともにやり合えば、火炎の息と怪力の連携で嬲り殺しにされる。

 レベル19のソロで挑む相手じゃない。

 だが、勝算はある。

 

「……デカブツが三匹。狭い足場じゃ渋滞するだろ?」

 

 俺は挑発的に笑い、祭壇の端──溶岩に突き出した細い岩場へと走った。

 そこは一人がやっと通れるほどの幅しかない。

 案の定、怒り狂った原人たちが殺到するが、互いの巨体が邪魔をして、一度に一体しか俺に近づけない。

 

「いただきだ!」

 

 俺は先頭の原人が腕を振り上げた隙を突き、その懐に飛び込んだ。

『はじゃのつるぎ』に全体重を乗せ、岩石の継ぎ目──関節部分を叩き割る。

 

 ガギンッ!!

 

「グガッ!?」

 

 一体目が体勢を崩す。

 すかさず、俺は『まふうじのつえ』を突き出し、魔力を解放した。マホトーンではない、杖そのものの打撃だ。

 いや、ただの打撃ではない。杖に込められた魔力が、原人の纏う炎を一時的に乱す。

 

「次は魔法だ! ……イオ!」

 

 至近距離での炸裂。

 爆発の衝撃波が、炎の巨体を揺るがす。

 よろめいた一体目が、後続の二体目にぶつかる。

 その隙に、俺は手負いの一体目を集中攻撃し、粉砕した。

 

 残り二体。

 だが、俺の有利な地形は変わらない。

 一体ずつ、確実に処理していく。

 回復は惜しまない。MPが尽きれば薬草を噛み砕く。

 

 激闘の末。

 最後の一体が崩れ落ち、マグマの中へと沈んでいった。

 

 ──脳内にファンファーレが鳴り響く。

 レベルアップ。20到達。

 

「……はぁ、はぁ。……熱いな、ここは」

 

 俺は汗だくになりながら、祭壇の中央に置かれた台座へと歩み寄った。

 そこには、紅蓮の輝きを放つ指輪が鎮座していた。

 

『炎のリング』。

 

 俺はそれを手に取り、高々と掲げた。

 一つ目、確保。

 この熱さは、勝利の熱さだ。

 

 俺は指輪を懐にしまい、足早に火山を下り始めた。

 次なる目的地は、サラボナの北に位置する山岳地帯。滝の洞窟だ。

 

 ♢

 

 滝の洞窟へ行く前に、俺は一度サラボナのルドマン邸へと戻った。

 報告と、休息のためだ。

 

 屋敷の書斎に通されると、ルドマンは驚いたように椅子から立ち上がった。

 無理もない。死地へ赴いてから、まだ数日しか経っていないのだから。

 

「ヘ、ヘンリー君!? 無事だったのか……! いや、その様子だと、やはり無理だっただろう」

 

 俺の服は煤で汚れ、髪も少し焦げている。

 ルドマンは、俺が逃げ帰ってきたと思ったようだ。安堵と、少しの同情が混じった目を向けてくる。

 

「死の火山は、大の男でも生きて帰るのが困難な場所だ。君のような子供が挑むには早すぎた。……諦めて逃げ帰ったとしても、私は君を軽蔑したりはしないよ」

 

 優しい言葉だ。

 だが、俺はその言葉を遮るように、懐から取り出した「それ」を机の上に置いた。

 

 ゴトッ。

 

 重厚な音と共に、紅蓮の輝きを放つ指輪が転がる。

 

「……なっ!?」

 

 ルドマンが絶句し、目を見開いて指輪を凝視した。

 震える手でそれを持ち上げ、鑑定するように光にかざす。

 

「こ、これは……間違いなく、『炎のリング』……! ば、馬鹿な……!」

 

 ルドマンの視線が、指輪から俺へと移る。

 そこにあるのは、単なる驚きではない。畏怖だ。

 フローラやデボラとさほど歳の変わらない子供が、伝説級の秘宝を持ち帰ったという事実。

 それが意味する「異常な強さ」に、大商人の本能が戦慄しているのだ。

 

「約束通り、一つ目は確保しましたよ。次は『水のリング』だ」

 

 俺が平然と言うと、ルドマンはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「……本気なのか? 滝の洞窟は、火山とはまた別の地獄だぞ。暗闇と激流、そして未知の魔物が巣食う迷宮だ。……今の君なら、引き返すこともできる。命が惜しくないのかね……」

 

 引き止めようとする言葉。

 だが、その響きは弱かった。彼自身、俺が止まらないことを悟っているのだ。

 俺の瞳にあるのは、死地への恐怖ではなく、その先にある獲物を狙う狩人の光だけだから。

 

 数秒の沈黙の後、ルドマンはふっと息を吐き、机の引き出しから豪奢な小箱を取り出した。

 

「……参ったよ。君という人間を見誤っていたようだ。これは、君の覚悟への敬意だ。受け取ってくれ」

 

 箱を開けると、そこには流星のような輝きを放つ銀の腕輪が収められていた。

『星降る腕輪』。

 装備者の素早さを倍加させる、伝説の装飾品だ。

 

「本来なら娘の嫁入り道具の一つにするつもりだったが……君のような戦士にこそ相応しい。未来への投資だと思ってくれ」

「ありがたい。……大事に使わせてもらいますよ」

 

 俺は腕輪を受け取り、左腕に装着した。

 瞬間、身体が羽毛のように軽くなる。神経の伝達速度が跳ね上がり、世界が少しだけゆっくりと回って見える。これがあれば、誰よりも速く動ける。

 

 ♢

 

 その夜。

 俺は客室で、束の間の休息を取った。

 泥を落とし、新しい服に着替えてソファに沈んでいると、扉がノックされた。

 

「……入りますわよ」

 

 現れたのは、フローラとデボラだった。

 フローラはお盆に載せた温かいハーブティーを、デボラは……なぜか大量の薬草を抱えている。

 

「ヘンリーさん、お疲れ様でした。……お怪我はありませんか?」

 

 フローラが心配そうに覗き込んでくる。

 その優しさが、張り詰めた神経に染み渡る。

 

「大丈夫だよ、フローラ。ちょっと熱かったけどな」

「無茶ばかりして……。でも、ご無事で何よりです」

 

 フローラが安堵の息を漏らす横で、デボラが鼻を鳴らした。

 

「フン。小魚にしてはしぶといじゃない。これ、使いなさいよ」

 

 デボラが薬草の束を俺の膝に押し付ける。

 最高級の薬草だ。

 

「こんなにいらないよ」

「うるさいわね! 次も生きて帰ってこなかったら承知しないわよ! あんたは私の下僕候補なんだから、勝手に死ぬことは許さないんだから!」

 

 顔を背けて叫ぶデボラ。

 その耳が赤くなっているのを見て、俺は思わず吹き出してしまった。

 

「笑うなっ!」

「悪い悪い。……ありがとう、二人とも。必ず戻ってくるよ」

 

 二人の少女の不器用な激励を受け、俺は決意を新たにした。

 この子たちの未来も、俺の双肩にかかっている──かもしれない。

 絶対に負けられない。

 

 ♢

 

 消耗品を補充し、体力を回復させた俺は、船を使って川を遡った。

 鬱蒼とした森を抜け、標高が高くなるにつれて、空気はひんやりと澄んでくる。

 死の火山の熱気が嘘のような、清冽(せいれつ)な冷気。

 

 滝の洞窟へ向かう山道の途中、俺は小さな集落を見つけ、足を止めた。

 

「……ここか」

 

 山あいにひっそりと佇む、数軒の家屋と温泉宿。

 周囲を断崖と森に囲まれた、俗世から隔絶された隠れ里。

「山奥の村」。

 地図には載っていない、忘れられたような場所だ。

 

 俺は村の入り口に立ち、その光景を目に焼き付けた。

 静かだ。あまりにも静かすぎる。

 聞こえるのは、風が木々を揺らす音と、遠くで湧き出る温泉のせせらぎだけ。

 村人たちの姿もまばらで、すれ違う人々は皆、どこか穏やかで、そして寂しげな目をしていた。

 

「……本来の歴史(シナリオ)では、成長したビアンカがここに住むことになるんだな」

 

 俺は独りごちた。

 原作では、アルカパの宿屋をたたんだダンカンが、療養のためにこの地に移り住む。

 そしてビアンカは、一番多感な時期を、この閉ざされた村で、病弱な父の看病と母の墓守をして過ごすことになるのだ。

 

 あのおてんばで、太陽のように明るかった少女が。

 誰よりも冒険に憧れていた彼女が、この静寂の中に押し込められる。

 それは、どれほどの孤独だったろうか。

 

 俺は村の広場にあるベンチに腰を下ろし、水筒の水を飲んだ。

 冷たい水が、乾いた喉を潤す。

 目の前を、野生のウサギが跳ねていく。平和だ。だが、この平和は「停滞」と紙一重だ。

 

「……似合わないな、あいつには」

 

 俺は首を振った。

 ビアンカには、こんな寂しい場所よりも、もっと広い世界が似合う。

 魔物を蹴散らし、宝物を探し、泥だらけになって笑っている姿こそが、彼女の本質だ。

 

「ダンカンの親父さんの病気も、俺の知識とコネがあればなんとかなるかもしれない。……いや、なんとかしてやるさ」

 

 万能薬の調合、あるいは高名な医者の招聘。

 金ならある。ルドマン家の報酬と、ラインハット王子のポケットマネーで。

 ビアンカをこの村に縛り付けさせない。彼女が望むなら、いつだって冒険の空へ連れ出してやる。

 それが、彼女に「冒険者」を夢見させた男の責任だ。──とはいえ、その大役をリュカが担うことになるのかもしれないが。

 

 少しだけ感傷的な気分になりながら、俺は立ち上がった。

 今はまだ、感傷に浸っている場合じゃない。

 まずは目の前の試練をクリアし、力を手に入れなければ。

 

 俺は村人たちに軽く会釈をして、村の奥へと続く山道を進んだ。

 しばらく歩くと、空気が湿り気を帯び、轟音が響き始めてきた。

 大地を震わせるような、重く激しい水音。

 

 視界が開ける。

 目の前には、巨大な滝が白い飛沫を上げて流れ落ちていた。

 その裏側に、ぽっかりと開いた暗黒の口。

 

「着いたな」

 

『滝の洞窟』。

 水のリングが眠る、清浄にして危険な水源地。

 水しぶきが俺の頬を濡らす。

 火山の次は水攻めか。上等だ。

 

 俺は『はじゃのつるぎ』の柄を握りしめ、濡れた岩場へと足を踏み出した。

 レベル20。

 今の俺なら、この迷宮も恐れるに足りない。

 

 ♢

 

 目の前に立ちはだかるのは、轟音を立てて落下する巨大な白い滝のカーテン。

 晴れ間から差し込む光が舞い上がる水しぶきに反射し、入り口付近には鮮やかな虹がかかっていた。

 美しくも、人を拒むような激しさがある。

 

 俺はその滝の裏側へ回り込むようにして、洞窟内部へと侵入した。

 入り口に立った時点で、全身が霧雨のような飛沫で濡れそぼる。だが、構うものか。

 

 一歩中に入ると、空気が一変した。

 外界よりも気温が低く、ひんやりとしている。湿度は100%。服が肌に張り付く不快感と、冷たい雫が首筋を伝う感覚が、ここが人の住む世界ではないことを告げている。

 

 足元は常に濡れており、所々に苔が生えていて滑りやすい。

 戦闘中に踏ん張りが効きにくい、厄介なフィールドだ。

 

(……ここ、ヒロインと来てたら『キャッ、滑っちゃった』『危ない!』みたいなラッキースケベイベントが発生する場所だな)

 

「……って、誰もいねえし」

 

 俺はポツリと呟き、一人寂しく濡れた岩場を踏みしめた。

 隣にいるのは、殺風景な岩壁と、滴り落ちる冷たい水滴だけ。ラッキースケベどころか、足を滑らせても助け起こしてくれる者すらいない、完全なるソロプレイだ。

 虚しい。レベル上げの効率を考えればソロが正解なのだが、このロケーションで男一人は精神的にクるものがある。

 

 そんな下らないことを考えながら、俺は慎重に歩を進める。

 洞窟内部は、蒼の迷宮と呼ぶに相応しかった。

 

 壁面は鍾乳石や濡れた岩肌で覆われ、松明の魔法の光が水面に反射して、洞窟全体が青白く、あるいは深緑色に揺らめいて見える。

 

 幻想的だが、どこか不安を煽る光景だ。

 聴覚も支配される。

 

 入り口付近では会話もままならないほどの滝の轟音が響いていたが、奥に進むにつれて、それは遠ざかり、「ポチャン、ポチャン」という水滴の音や、地下川のせせらぎが反響する静けさに変わった。

 

 俺の足音や、剣と服が擦れる音が湿った壁に反響し、独特の閉塞感を生む。

 そして、その静寂を破るように、魔物たちが現れた。

 

「……お出ましだな」

 

 水辺に適応した、ヌメヌメした魔物たちが暗がりから姿を現す。

 地底湖の水面が不自然に盛り上がり、巨大な触手が躍り出た。オクトリーチだ。

 奴は太い触手を鞭のようにしならせ、同時に口から真っ黒な墨を吐き出して視界を奪おうとする。

 

「邪魔だッ!」

 

 俺は『はじゃのつるぎ』を振るい、迫る触手を切り落とした。

 刀身に込められた破邪の力が閃光を放ち、墨の闇を切り裂く。

 レベル20の体幹は、滑りやすい岩場の上でも微動だにしない。俺は水面を蹴って跳躍し、オクトリーチの眉間に剣を突き立てた。

 

 だが、息つく暇もない。

 足元の泥濘がボコボコと泡立ち、泥人形のような魔物、マドルーパーが不意打ち気味に飛び出してきた。

 

「甘い!」

 

 死角からの攻撃など想定内だ。俺は着地と同時に回転し、泥の怪物を横薙ぎに両断した。

 飛び散る泥と魔物の体液。

 水と闇の迷宮は、一歩間違えれば死に直結するトラップだらけだ。だが、今の俺にとってここはただの通過点に過ぎない。

 

 しかし、最も厄介なのは力押しで来る魔物ではない。

 戦況を泥沼化させる、あの「回復のスペシャリスト」だ。

 

「ピキー!」

 

 通路の奥から現れたのは、ゼリー状の身体を持つスライムたち。だが、その色は普通のスライムとは違う。

 ベホマスライム。

 集団で現れ、傷ついた仲間を『ベホマ』で完全回復させる、持久戦の鬼。

 倒しきれないと戦闘が無限ループに陥る、RPGにおける嫌がらせの権化のような存在だ。

 

「ピキピキッ!」

 

 三体が連携を取り、防衛陣形を敷く。一体が傷つけば、即座に背後の個体が回復呪文を唱える構えだ。

 通常の速度で戦えば、削り切るのは至難の業だろう。

 

「回復なんて……させるかよ!」

 

 ベホマスライムの一体が、傷ついた仲間を癒そうと杖を振り上げた、その瞬間。

 

 キィン……!

 

 俺の左腕に装着された『星降る腕輪』が微かに鳴動し、銀色の輝きを放った。

 世界が変質する。

 滴り落ちる水滴が空中で静止し、魔物の動きがコマ送りのように遅くなる。瞬きすら数秒かけて行われるような、停滞した時間の中。

 倍加した神経伝達速度と身体能力が、俺に圧倒的な「時間の猶予」を与えてくれる。

 

「……遅い」

 

 俺は一歩、踏み込んだ。

 その一歩は、ベホマスライムが呪文の詠唱を終えるより遥かに速く、音速を超えて距離を詰める。

 敵の視界に俺の姿が映る前に、俺の剣閃が奔る。

 

 ──ザシュッ!

 

 鋭い袈裟懸けの一撃。

 回復役だったスライムは、自分が斬られたことすら気づかずに、その身体を両断されて霧散した。

 

「次はこっちだ!」

 

 返す刀で、隣にいた別の個体も突き刺す。

 速い。あまりにも速い。

 残像すら残さない神速の連撃。

 集団戦の脅威である回復役を、敵が「回復が必要だ」と判断する思考の隙間すら与えずに殲滅する。

 これこそが、『星降る腕輪』がもたらす究極のアドバンテージだ。

 

 効率的な戦闘。

 魔物を排除し、静寂を取り戻した広間で、俺は一つの宝箱を発見した。

 

「……お、『やすらぎのローブ』か」

 

 淡い光を放つ、上質な布地で織られたローブ。

 高い守備力だけでなく、眠りや麻痺の時に受けるダメージを軽減してくれる優秀な防具だ。

 今の俺には必要ない装備だが、将来誰かが──例えば、これから過酷な運命に巻き込まれることになるリュカの花嫁候補たち、ビアンカやフローラ、あるいはデボラが使うかもしれない。

 特に眠り攻撃を多用してくる戦闘では重宝するはずだ。

 

「未来への贈り物だな」

 

 俺はそれを丁寧に畳み、旅袋にしまった。

 

 そして、さらに奥へ。

 地下深層。

 広大な地底湖が広がるエリアで、俺の目が怪しく光った。

 

 岩陰を逃げ惑う、金属質の輝き。

 松明の光を反射して、プラチナのように煌めく小さな影。

 

「……メタルスライム」

 

 はぐれメタルほどではないが、それでも美味しい経験値の塊。

 レベル上げマニアとしては、垂涎の的だ。

 あいつらは逃げ足が速い。だが、今の俺には『星降る腕輪』がある。逃げる隙など与えない。

 

「逃がすかよ……!」

 

 俺は『はじゃのつるぎ』を『どくばり』に持ち替え、音もなく忍び寄った。

 一撃必殺。『星降る腕輪』の速度があれば、逃げられる前に仕留められるはずだ。

 

 俺は風のように踏み込んだ。

 必殺の間合い。針先が銀色のスライムを捉える──

 

 ピキャッ!

 

 だが、その瞬間。

 メタルスライムは、まるで予知していたかのように身体を液状化させ、俺の針を紙一重で回避した。

 

「なっ、避けただと……!?」

 

 驚愕する俺を尻目に、メタルスライムは目にも止まらぬ速さで岩陰へと逃げ込んだ。

 速い。

『星降る腕輪』で加速した俺の動きすら見切る、異常なまでの反射神経。

 

「待てコラッ! 逃げるな!」

 

 俺は血相を変えて追いかけた。

 だが、相手は逃走のプロフェッショナルだ。

 岩の隙間を潜り抜け、壁を滑り、天井に張り付いて移動する。攻撃を当てても「キンッ!」と硬質な音を立てて弾かれるか、スルリとかわされる。

 

「くそっ、こいつら……!」

 

 俺は泥と水にまみれながら、執拗に追い回した。

 冷静さを失ってはいけないと分かっていても、目の前の経験値が逃げていくストレスは筆舌に尽くしがたい。

 転んで膝を打ち、水たまりに顔から突っ込みながらも、俺は食らいついた。

 

「絶対に……絶対に狩る!」

 

 執念の鬼ごっこ。

 一時間、いや二時間だったか。

 行き止まりの横穴に追い詰めた時、俺の息は上がり、全身泥だらけになっていた。

 

 ピキ……。

 メタルスライムが震えている。逃げ場はない。

 

「チェックメイトだ……!」

 

 俺は最後の力を振り絞り、どくばりを突き出した。

 

 ──ズシュッ!!

 

 今度こそ、針先が急所を捉えた。

 メタルスライムの身体が光り輝き、弾け飛ぶ。

 ファンファーレ。

 脳汁が出るような達成感と共に、膨大な経験値が流れ込んでくる。

 

「はぁ……はぁ……、やった……」

 

 俺はその場に大の字になって倒れ込んだ。

 たった一匹を狩るのに、ボスクラス以上の労力を費やしてしまった。

 だが、この中毒性はなんだ。

 苦労した分、喜びもひとしおだ。

 

「……もう一匹、いけるか?」

 

 俺は泥を拭い、ニヤリと笑った。

 それから、俺は滝の洞窟で「メタル狩り」に没頭した。

 逃げられ、追いかけ、時には返り討ちに遭いそうになりながらも、執念で食らいつく。

 その泥臭い努力の結果、最深部に辿り着く頃には、俺のレベルは22に達していた。

 

 最深部の祭壇。

 清浄な水に守られるようにして、それは静かに輝いていた。

 

『水のリング』。

 

 蒼い光を放つ指輪。

 俺はそれを手に取り、冷たい感触を確かめた。

 

「これで、二つ揃った」

 

 俺は指輪を懐にしまい、洞窟を後にした。

 もう迷いはない。

 サラボナへ戻り、約束の報酬を受け取り、そして──最強への道を突き進むだけだ。

 

 ♢

 

 サラボナへの帰還。

 ルドマンの屋敷に戻った俺は、書斎で待っていたルドマンの前に、二つのリングを並べた。

 

「……まさか。本当に、二つとも……?」

 

 ルドマンは椅子から立ち上がり、信じられないものを見る目でリングと、そして俺を見比べた。

『炎のリング』と『水のリング』。

 この世の秘宝が、一人の少年の手によって揃えられたのだ。

 

「約束通り、持ってきましたよ。……さあ、旦那様。商談の続きといきましょう」

 

 俺が不敵に笑うと、ルドマンは深く息を吐き、そして豪快に笑い出した。

 

「はっはっは! 完敗だ! 君のような規格外、見たことがないよ!」

 

 ルドマンは鍵束を取り出し、部屋の隅にある金庫を開けた。

 そこから恭しく取り出されたのは、燦然と輝く二つの装備品。

 

「持っていきなさい。君の強さと、その不屈の魂に敬意を表して」

 

『きせきのつるぎ』。

 攻撃するたびに自らの傷を癒やす、奇跡の刃。

『しんぴのよろい』。

 身につけるだけで生命力が溢れ出す、神秘の鎧。

 

 どちらも、この時点ではオーバースペックと言えるほどの最強装備だ。

 

「ありがとうございます。……これで、戦えます」

 

 俺は装備を受け取り、その重みを確かめた。

 震える。

 恐怖ではない。武者震いだ。

 この装備があれば、レベル上げの効率は飛躍的に上がる。そして、来るべき決戦でも、誰も死なせずに勝利できる。

『きせきのつるぎ』の刀身に指を這わせる。その輝きは、ただの鋼ではない。古代の秘術と最高級の素材が織りなす芸術品だ。握れば手に吸い付くような馴染みがあり、振れば空気が鳴動する。『しんぴのよろい』は驚くほど軽く、それでいてドラゴンの一撃すら弾き返す強度を誇るという。

 

「……すごい」

 

 思わず声が漏れた。

 ゲーム画面で見ていたアイコンとはわけが違う。本物の「力」が、今ここにある。

 

 ♢

 

 サラボナを出発する朝。

 港には、ルドマンとフローラ、デボラの姿があった。

 

「ヘンリーさん……。どうか、ご無事で」

 

 フローラが祈るように手を組む。その瞳は潤み、別れを惜しむように揺れている。

 彼女は一歩進み出て、小さな包みを俺に手渡した。

 

「これ、よかったら道中で召し上がってください。……私の手作りクッキーです」

「ありがとう、フローラ。大切に食べるよ」

 

 受け取ると、フローラはパァっと花が咲くように微笑んだ。その笑顔の破壊力たるや、一瞬でHPが全快しそうだ。

 

 その横で、デボラは腕を組み、そっぽを向きながらも、チラチラとこちらを見ていた。

 不機嫌そうな顔をしているが、その足先が落ち着きなく地面を叩いているのが分かる。

 

「フン。最強の装備を手に入れたんだから、負けたら承知しないわよ。……あと、たまには顔を見せに来なさいよね」

 

 デボラらしい、素直じゃない激励。

 だが、その言葉の裏にある「寂しさ」を、俺はしっかりと感じ取っていた。

 

「ああ、約束するよ。次はもっと面白い土産話を持ってくる」

「当たり前よ! つまらない話だったら海に沈めるから覚悟しなさい!」

 

 デボラが叫ぶ。その頬が微かに紅潮しているのを、俺は見逃さなかった。

 ルドマンも満足げに頷き、力強く手を振ってくれた。

 

「達者でな、ヘンリー君! 君の武運を祈っているぞ!」

 

 最高の見送りだ。

 俺は三人に手を振り、その足で港へと戻った。

 日は沈み、夜の帳が下り始めている。

 だが、俺の旅は終わらない。むしろ、ここからが正念場だ。

 

 レベル22。

 これではまだ足りない。

 ラインハットに戻る前に、俺には行かなければならない場所がある。

 

 地図を広げる。

 大陸の東、険しい山脈と海に挟まれた深い森の奥地。

「試練の洞窟」。

 そこは、グランバニア王家ゆかりの地でありながら、経験値の塊──「はぐれメタル」が生息する場所だ。

 

「……行くぞ」

 

 俺は小船を一艘チャーターという名の買い取りをし、夜の海へと漕ぎ出した。

 目的は、レベル40への到達。

 古代の遺跡でゲマを返り討ちにするには、最低でもレベル30は欲しい。

 パパスとリュカが到着するその日までに、俺は「人」を辞める領域まで強くなる。

 

 孤独な修行の始まりだ。

 波の音だけが、俺の決意を聞いていた。

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