「どう考えても一年に務まる任務じゃない」
7:3に分けた金髪の青年が憂鬱といった雰囲気で愚痴をこぼす。
「僕は燃えているよ!! 夏油さんにいいとこ見せたいからね!!」
明るめの黒髪マッシュを短めにまとめた青年ははつらつと語る。
東京都立呪術高等専門学校 一年
七海 建人 2級呪術師
灰原 雄 2級呪術師
二人は太陽を照り付ける日本の南国、沖縄に降り立った。
目的は同学校の先輩である五条悟、夏油傑の任務のサポートである。
その任務は『星漿体 天内理子の護衛』。
灰原は本人の言に違わず、燃えていた。
無情な運命により、残り数日もない命となった少女。そしてその僅かな余命も安息はない。
意味の分からない集団から命を狙われる。
そんな悲劇のヒロインを支えるのは、尊敬する先輩たち。
呪術高専始まって以来の問題児。ただし最強。
灰原はそんな二人の力になれることを誇りに感じていた。
「で、僕たちはなんでここに待機なの、七海?」
「私たちは那覇空港が占拠され、同化の儀式に間に合わなくなることを防ぐ。」
「なるほど、そうか! 敵の目的は同化失敗であればいいからか。さすが夏油さんだ!」
「そう、あくまで敵のサブプラン。何事もなく、時間通りに終わってほしい。」
「ははっ!七海らしいや。じゃあ到着祝いに何か一杯を飲もう」
「何かって、君はコーラでしょ」
二人は緊張感を忘れずに、談笑しながら自販機へと向かった。
自販機の前で七海は飲み物を迷っていた。
「七海、滞在一日のばすって。なにかあったのかな」
七海建人の望みはすでに叶わなかった。
――2007年 夏
「変わったナイフだ、術式に必要なのかな?」
灰原は呪詛師と対峙していた。
七海とともに赴いた2級呪霊の討伐任務。
手始めに低級呪霊を祓っていたら、いつの間にか分断されていたという訳だ。
「使うけど、必要じゃないかな。それよりおじさんは、どうしてこんなところに?」
「ここには良い呪具おたからがあってね、いやそれもその一つじゃないかと思ってね」
「残念、これは普通の武器だよ」
「そうか~ぁ! 呪術師かぁ! 呪術師というのも大変だな。術式の開示だったか、戦闘の最中で自身の戦闘力を上げるためには自らの手の内を明かさないといけないなんてな。さっきのもそれか?」
「いや、まさか!」
言い終わるころには、灰原は呪詛師の懐に潜っていた。
「必要ない、それに開示しても問題ない能力、相手なら大丈夫」
黒く光る石のようなナイフが呪詛師の胴を襲った。
鋭い黒刃が突き刺さった感覚が手に伝わる。しかし、その手応えはありすぎた。
まるで大木に手斧をふるったかのような、刃が固いものを割きながらめり込む感覚。
いくら呪詛師といえども、人。違和感は瞬時に感じていた。
「呪具、霊甲冑」
灰原はナイフを改めて見た。たしかに刃が見えない何かに遮られており、相手に当たっていなかった。
それを確認して、灰原はその場から引いた。
「ふぅ~! 焦った~、君、早いね。でもその程度の攻撃じゃ、これは破れないね」
演技だ。灰原は軽快な口調に惑わされず、会話を合わせた。
「完全に隙をついたんだけどな、おじさんのそれって継ぎ目とかないの?」
「継ぎ目? そこ狙おうって算段でしょ。ムダムダ、ないよ」
「本当になさそうだね」
灰原は呪詛師の視線の変化を見ていたが、何もなかった。
「おじさんのそれについて、なんか教えてよ。実は語りたいんじゃないの? それ気に入ってそうだし」
「ははは、参ったな~」
次の瞬間には、呪詛師は何かを振りかぶった体勢で距離を詰めてきていた。
「蘊蓄っつうのは聞きたい相手に語るもんじゃないのさ」
(心劃呪法……!)
灰原は呪詛師の懐にナイフを構え、そのまま突き刺した。
その刃には呪力が纏う。灰原の術式がのっているからだ。
灰原の術式は強固な防御を構えた相手を崩すため、相手を煽りながら、灰原は術式をすでに発動させていた。
「そんな攻撃効かないって言ってるだ……ろ……」
灰原のナイフは見えない鎧の上から呪詛師の心臓を貫いていた。
「当てやすくしてくれて助かったよ」
――呪術高専東京校 第二生徒指導室
「術式の登録か、灰原」
「はい、よろしくお願いします! 夜蛾先生」
夜蛾先生と呼ばれた短髪でガタイのいい男と灰原は教室の中で学習机をはさんで、対面して座った。
「まずはお前の生得術式、心劃呪法の確認からだ。これは対象の急所への攻撃力を引き上げるもの……で合ってるな?」
「はい、その通りです!」
「人間の急所は実に数十にも及ぶ、しかしこの術式は名前の通り、心臓への攻撃が最も効果が高く、次に頭部、それ以外の急所には区別なく、一定の攻撃力上昇効果が得られる。分かりやすい、お前らしい術式だ」
「ありがとうございます!」
「褒めた訳じゃない。すまんが、この術式は強いとは言えない。効果のわりに制限が多い。特に距離と範囲の制限だ。この術式が最大の効果を発揮するには相手の急所に相手の近くから一点を攻撃することだ。そもそもそんなことが出来るのであれば、よほどのハンデがない限り、術式など無くても相手に大ダメージを与えられるはずだ」
灰原は苦虫を噛み潰したような顔で黙っていた。
「しかし、群れをなす低級呪霊相手には使える。攻撃に使う呪力の消費を節約でき、余った分で防御力や継戦能力の強化に使える。一対多、長期戦にはむしろ適任とも言える」
しばしの沈黙、灰原は素直な人間だ。しかしバカではない。夜蛾の言葉をそのまま受け取りつつも、言わんとしていることも分かる。
「自分は弱い」
「そこまでは言っていない。しかし、1級以上を相手にするには分が悪いのも事実だ」
「しかしな、お前は夏油のように器用だ。いろいろな任務に励んでくれている。一般の出で、今までやれているだけで充分だ。七海と共に引き続き、頑張って欲しい。お前たちのおかげで夏油たちの負担も少しは軽減されているだろう」
「自分が夏油さんの役に!」
灰原の声色は誰から聞いても、嬉しさに溢れていることが分かった。
「はっはっはっ! もちろんだ。夏油は天才だ、あいつと比べて卑下するなよ。お前だってもっと成長する」
夜蛾はまるで父親の笑みを浮かべ、灰原の頭をクシャクシャと撫でた。
「七海!」
「灰原、無事でしたか」
「なんとかね!」
灰原は会話しながら、七海の背後に陣取る。
「……! 灰原、呪力が! 何があったんです?」
七海建人も呪霊と交戦していた。臨戦状態の身体は神経が研ぎ澄まされ、灰原の呪力の流れを感知できた。
普段よりも増えている。これは灰原が戦いの中で成長した……ということではない。
「話はあとだよ、七海!」
二人は互いにかばいながら、呪霊の群れを祓った。
小さく、数の多い呪霊は灰原が、少し大きい呪霊は七海が迎え撃った。
「助かりました、灰原。相変わらずの殲滅力ですね。」
「七海も硬い相手にも止まらない破壊力だな」
「で、なにがあったんです? 呪力も増えているところ見ると」
「呪詛師一人と戦ったよ。でも消耗も少なめ、問題ないよ。逆に使わせてもらったよ」
「拡張術式……。呪力の上昇量からすると、相手は2級以上ですか。一旦、補助監督と連絡をとりましょう」
「あぁ、でも情報は聞き出せなかった。呪具コレクターだったってくらいだ」
「もしもし……」
七海が補助監督と話してる間、体をほぐした。
体にはいつも以上に呪力がみなぎっていることが分かる。これは自身で会得した拡張術式のおかげだった。
――呪術高専東京校 第二生徒指導室
「術式の登録? 前にもうしただろう?」
「いえ、新しい術式です!」
「なんだ?」
「拡張術式です!」
「お前が……? そうか、聞かせてくれ」
夜蛾は驚いていた。拡張術式の習得には、呪力と術式に対する深い理解と柔軟な思考が求められる。正直、灰原にそこまでの能力があるとは思ってみなかったからだ。それは灰原が真っ直ぐな人間であり、灰原の術式もそれに呼応したかのようにシンプルなものだったからだ。
「自分の術式は急所、特に心臓への攻撃の強化です」
「あぁ、そうだ。どう拡張した? 正直、拡張のしようがないだろう」
「ええ、自分の術式は行き止まりです。急所への攻撃の先にあるものはない。だから逆に考えました」
「……逆?」
灰原はキョトンとする夜蛾を見ながら、気に留めず話を続けた。
「攻撃で行き止まりなら、攻撃以外の別の行動だと思えば、まだ先があるかもしれない。そう思ったんです」
「なに?」
「丑の刻参りってありますよね、藁人形に釘を打つアレですよ。あれと同じだと思うんです。人の心臓に釘を刺す代わりに藁人形に刺し、その効果を本体に反映させる。あれは行為を攻撃に変化する呪いの儀式です。だからその逆、人を殺すことで始まる呪いの儀式もあるんじゃないかって」
「お前は何を……」
夜蛾は目の前の生徒が恐ろしくなっていた。話している内容がではない。人を殺して行われる儀式なんて世界に沢山ある。夜蛾はそういった内容を他ならぬ灰原が語っていることが恐ろしい。これが夏油であれば、またこの天才は厄介なことを考えたものだと賞賛していただろう。しかし、明るく快活な灰原が語ると不気味だった。
「自分の術式で一番の急所を突いて殺した人間、呪霊。その命を使った自身の強化儀式、それがおれの拡張術式です。殺せば殺すほど呪力が溢れて強くなれます」
「なんだとっ!?」
夜蛾は立ち上がって、声を上げた。
「条件こそあるが、無限の呪力上昇だと?それが本当なら特級相当だぞ!」
「条件は他にもあります。この術式を単純な自己強化の術式には出来ませんでした。あくまで儀式の中で強化されてるだけなんです。決められた範囲から出たら、儀式は無効、今までの強化もなくなってしまいます」
「なるほど、領域展開に近いイメージだな。」
「何とか帳内にまで効果範囲とすることができました。あと効果の上乗せも可能でした。」
「最初に強敵に出会わないようにすることが大事だな」
夜蛾と灰原は術式の可能性について話し合った末、術式名は『人身供儀』となった。
「ワ……ワ……ワ」
「七海ィ!」
灰原は相棒に注意を促した。
「出た! 交戦します」
七海は補助監督への電話を切り、敵に相対する。
まず目に飛び込むのは、変わった服飾である。絢爛な着物と粗末な衣服がツギハギに組み合わされた奇妙な衣を身に纏い、少し黄ばんだ白の帽子のようなものを被っている。その帽子はまるで餃子の皮の1/4片を切り取り、そこから顔が見えるように頭にくっつけたようなものだった。ゆったりとした衣服で体躯ははっきり捉えられないが、七海にはそれが人の形をしていることが分かる。
「灰原、十劃呪法で視た! それぞれ長さが違うが四肢がある、人型の呪霊だ!」
「じゃあ、当然ハートもあるよね、そこを狙う!」
「待て、灰原!」
七海は灰原を制止した。この呪霊の不気味さを感じたからだ。
相手を見定め、膠着状態が続く。
「七海、これは勘だけど、下手な攻撃はしない方がいい気がする」
灰原が深刻に語る。七海はその通りだと思った。
互いににらみ合うだけの状況で、呪霊は突如もがき始めた。呪霊の口元からはどす黒い液体が垂れている。
その様はまるで舌を噛み切って死ぬ人のようだった。
「呪霊が自害? そんなことが……?」
七海は目の前の光景にただ驚いている。
一方、灰原は意外にも冷静だった。
「七海……、これは始まりかもしれない」
「始まり? 灰原、なにか知っているのか」
七海が何かに気づいた頃には、敵は次の段階へ移行していた。
人のようだった体は中から食いちぎられ、割けた腹から長い体躯を持つ何かが産まれた。
呪霊の腹を食い破って出てきたのは龍だった。正確には最高硬度を誇る虹龍に似て、翼を持たずに空を飛ぶ東洋系の龍の姿をした呪霊だった。
龍は飛び出た勢いのまま、二人めがけて突っ込んできた。そのスピードは並のものではない、直撃は避けたとしても、地形を破壊しながら突進する龍の衝撃波を受け、吹っ飛ばされた。
「ぐっ……なにが起こってるんだ」
「はぁ……七海、大丈夫か」
二人は地面に突っ伏した体勢を整えながら、互いの安否を確認する。
体は低くしたまま、敵を見定める。
その龍は体躯で円を描きながら、宙に浮く。
「……七海、この龍って願いとか叶えてくれるやつじゃないよね?」
「灰原、星のマークが付いた玉、7つ集めた覚えはありますか」
龍の右手は自分が食い破った呪霊を掴んでいる。
奇妙だった服飾はボロボロになってとなり、四肢は全て力なく、だらんと体からぶら下がっていた。
龍の力は凄まじいのだろう、呪霊の体はくの字を描いている。掴まれたというより潰されているという方が正しい、まるでボロ雑巾のような扱われ方だ。
龍はその呪霊を見ては嘆き、こちらに威嚇をしている。
「いかれてる…あの呪霊。自分で始末した呪霊を見て、怒ってる」
「七海、こいつは短期決戦じゃないとマズそうじゃない?」
「ええ、相手の攻撃には注意を」
言葉を交わしたすぐ後には二人は別の方向に駆け出していた。
灰原は右側、七海は左側から龍に向かった。
最初に仕掛けたのは七海だった。
「十劃呪法……そこ」
七海は龍の右腕の7:3の内分点を鈍刀で叩きつけた。
七海の術式による強制クリティカルヒットは龍が掴んだ呪霊によって生み出された死角から打ち込まれた。
――手応えはまずまず、しかしそれでいい。
龍は危害を加えてきた者に制裁を下すため、その不敬なる者を視認する。
――本命は……
「心劃呪法! つらぬけぇぇぇ!!!」
七海に意識が向いて、出来た僅かなスキに灰原は懐に潜り込んでいた。灰原の術式を発動する。
至近距離からその一点を突く。強化された灰原のその一撃を食らって、無事なモノはまず存在しない。
はずだった。
灰原が突きつけた漆黒の刃は、龍を解体することは出来ず、ただ斬りつけただけとなった。
「なっ?! 外した?!」
「灰原!」
斬りつけたとほぼ同時のタイミングで龍の左拳が飛んできていた。
灰原は防御姿勢を取ったが、モロに打撃を受け、地面に激突した。
砂埃が舞う地点に七海は急ぐ。
「負傷は?!」
「大丈夫! 呪力で守った! でもいってぇ〜」
服の汚れを払いながら、灰原は答える。
「その状態の灰原の術式でも倒せないなんて……!」
「七海、さっきの攻撃だけど、多分術式が発動できていないんだ、手応えがなかった。だからすぐ防御できたんだけど」
灰原は笑いながら、説明する。
「急所の位置が違ったのか、もう少し喉元だったか。いっそのこと顔を狙うか。どちらにしても、スキは私がなんとしてもつくる」
「今まで急所を探りながら、戦える相手ばっかだったけど、今回ばかりはそうもいかないかな」
二人は龍に相対し、再び二人で斬りかかった。
龍の横で渦巻く水流、二人がそれを視認した時には、すでに荒れ狂う水の鞭が二人を薙ぎ払っていた。
特大の質量、呪力出力を持って打ち出された流水は当たりの地形もろとも二人を飲み込む。
青々とした水と呪力の黒雷で形成されていたうねる水流は巻き込んだ土や樹木により、茶色に濁っていた。
二人はこの色を知っている。
突如日本を襲った押し寄せる水の壁の色だ。
水の中は呪力を纏った瓦礫が絶え間なく、ぶつかってきた。
呪力の渦に呑まれながら、七海の意識はかすみ始める。しかし、それを許さないように大小さまざまな瓦礫が渦の中の七海にぶつかる。呪力で覆い、防御力を高めていても、充分なダメージがあった。
――ただの瓦礫にも呪力が!
渦の中を舞う瓦礫は呪力を纏うことでさらに危険になっている。ただの木の枝すら呪力の針となって襲いかかってくる状況に、七海は自分を覆う呪力量を高めた。
生死の境で掴みかける呪力の本質。死への恐怖が呪力を高め、七海はさらに防御力を上げた。
死への実感は呪力だけでなく、七海の思考力も高めていた。
――これは術式……?! 準1級以上……! いや間違いなく、一級だ!
無尽に暴れる二本の水柱は互いにぶつかり、霧散した。二人は水と瓦礫と呪力の乱回転からようやく逃れた。
二人ともボロボロだったが、意識はあり、欠損はなかった。体内に入った水をひたすらに吐き出す。
死んでたまるかと息を大きく吸い込む。
しかし整わない呼吸ではうまく空気を吸い込めず、むせてしまう。掠れ声で互いの状況を確認する。
「……ギリギリだった、生きてるのが不思議なくらいだ。灰原……無事か?」
七海は灰原の様子を確認するために顔を上げる。
灰原は膝立ちで空を見上げるようにしていた。
「……! 灰原!灰原ぁ!」
七海はすぐに灰原の異変に気付いた。灰原の胸に木の枝が数本刺さっていた。その光景を見た瞬間、七海は切れた息を整えるよりも先に飛び出し、灰原に駆け寄っていた。
駆け寄った七海だったどうすればいいのか、わからなかった。
槍同様の太さの枝は灰原の胸に刺さっているものの、流血はなかった。
それがなおさら七海に迷いを与えていた。親友の一大事に七海の頭の回転はフルスロットルだった。少し昔に見たなんてことのないバラエティ番組の中で紹介されていた九死に一生のエピソード。突き刺さったものを抜かずにそのままにしておいたことで、それが止血の効果を発揮し、失血死を防いだというものである。そのエピソードが急に頭に浮かび、灰原の体に突きささる枝をどうしたらよいかわからなくなっていた。その中でも七海は親友の肩を抱え、必死に灰原の名を呼んでいた。灰原の体は冷たい、でもそれは、さきほどまでさらされていた水のせいかもしれなかった。灰原の血は胸から少ししか垂れていなかった。しかし、すでに水によって洗い流されているとも考えられた。どんどん悪いほうに考えが行ってしまい、無意識に揺さぶりは乱暴に、かける言葉も意味を持たない叫びになっていた。
「七海、もう少し優しくしてくれ……」
「灰……原……?」
困惑する七海をよそに灰原は続けた。
「試したいことがある、離れていてくれ」
七海は息をするのも忘れる光景を目の当たりにする。
灰原は自分の胸に自分の黒いナイフを突き刺した。
「灰原! 何を!」
七海は思わず叫び、立ち上がり、灰原の肩を抱え、顔を覗き込む。表情は普通だった、
灰原はそんなやつじゃない。逃げることはあっても放り出すやつじゃない。諦めるやつじゃない。自分から死を選ぶやつじゃない
七海の心は灰原への今までの信頼が巡っていた。
七海の信頼は間違っていない、何より灰原は七海を見捨てるようなことはしない。
「悪い、七海。心配かけた」
七海は驚いて顔を上げる。
灰原は変わらない笑顔を七海に向けていた。
「な、なんで……」
「あの水流の中、死にかけるほどの呪力の攻撃の中で、術式の反転が使えるようになったんだ」
「反転術式って……」
「あ、家入さんのようなことはできないよ」
灰原は苦笑した。
術式の反転と反転術式は全く別のものである。反転術式は簡単に言えば、回復魔法だ。この回復の力を術式に使うことで術式の反転が可能となる。
「反転術式単体では全身が常にマッサージ後になるくらいの弱い出力だけど、僕の術式は単純だから。その程度でも術式の反転ができたんだ。」
七海は不思議そうに灰原の胸を見る。たしかに直前まで使っていた灰原の獲物が灰原の体に突き刺さっている。おそらく心臓にまで達しているだろう。それほどの負傷を負っていてもケロっとしている灰原を見ると信じる他なかった。
灰原は自身のナイフを胸に突き立てた。反転した心劃呪法により、心臓は傷つかない。一見するとただの自害、術式知っている身からしたら無駄な行為である。
しかし、この行為は灰原雄を構成している全てが噛み合わさった時、最大限の効果を発揮する。
拡張術式「人身供儀」はその性質上、敵の命を燃料として、呪力のブーストをかけていたが、もちろん自分の命を用いた術式発動も可能であり、通常運用とは比べ物にならないほど術式効果が得られる。しかし、効果が発揮した時には死んでしまうため、実際のところ意味がない。
しかし、偶然にも発現した心劃呪法の反転はこの矛盾を突破した。灰原の心臓は機能上問題ないが、複数に物理的に分断された状態となっている。そのため物理的外傷を受けても、分割して外傷になるのを防いでいる。当たり判定はあるものの、ダメージ無効となっているといえば分かりやすいだろうか。
今、灰原は自分の命を捧げたが、死んでいない状態となっている。それにより「人身供儀」の最大効果が適用された。そして、それだけではない。
心劃呪法の反転が解けた瞬間、灰原は心臓にナイフが突き刺さり、本当に死んでしまう状態となっている。これは自らの命をかけた呪術的な縛りとなり、術式効果はさらに底上げされた。その結果……。
七海は灰原から飛びのいた。
灰原の身体から呪力が溢れ出ている。
呪術師は身体が呪力へ適応し、無意識のうちに呪力が身体を均一に覆っている。そして攻撃、防御、術式の使用等で呪力を操作する。
一方、一般人はそうした呪力操作ができないため、呪力はあるがままにただ溢れる。
今灰原の状態はそれに近い。しかし、溢れ出る呪力の量が常軌を逸している。膨大な呪力の漏出で灰原の髪は逆立つ。はるか上方にまで伸びる呪力の柱は黒煙となり、周囲に霧の様に降り注ぐ。そして灰原の元へ還っていくようにも見えた。
気づくと灰原の身体には黒い斑点のようなものが浮いていた。
灰原は跳ねた。
次の瞬間には龍の左頬に右ストレートを叩き込んでいた。移動とほぼ同時に繰り出された右拳は呪力から生まれる黒い雷を伴っていた。
――黒閃
打撃と呪力のインパクトの瞬間がほぼ同時になることで生まれる圧倒的攻撃力。これを行える呪術師は少ない。それほど精密な呪力操作を戦闘中に強いられる。しかし、今の灰原の無限に近い呪力は際限無く押し寄せ、それゆえにインパクトの時間が通常よりも長くなっており、それこそ相手に深く打ち込む一撃では、そのどれもが黒閃級の破壊力となっている。そんな常識外れの一撃を不意に食らった龍の横顔は歪み、うめき声が漏れた。威嚇してきた時と違い、情け無いうめき声だった。龍の動きは格段に鈍り、目も焦点があっていないようだった。
灰原は右腕を捻り込むと同時に左手で龍の角を掴んだため、龍は身をのけぞることができず、その衝撃は逃げることなく、衝撃力がロスすることなく、龍を襲った。
二人の術式によるクリティカルダメージをものともしなかった龍の左頬は鱗が剥がれ、肉は膨れ上がっていた。そして何より龍の体内器官は自身の身体の内側に打ち付けられていた。
灰原はこの機を逃さず、顔面数カ所に拳と蹴りを入れた。最後に眉間の間に溜めた一撃を放つ。その威力は迸る黒い稲妻が物語っていた。
遂に龍は地に落ちた。
「……灰原なん……だよな?」
七海は相棒の変貌っぷりに驚いた。
「あぁ、もちろん! いや予想以上にうまくいったよ。命を懸けた縛りだっけ?」
「命って、お前!」
「大丈夫、疑似的なものだよ」
二人は戦いが終わった安堵から会話が弾んでいた。
それゆえに気づくのが、遅れてしまった。バリバリと硬いものが崩れる音がしているのを。
その音の正体に二人が気づいたのは眼前に大きな蛇が現れてからだった。
「なんなんだ、こいつ?」
七海は思わず漏らした。
「七海、あれ!」
灰原が指差した方向には灰原が堕とした龍がいた。地に伏した龍には亀裂が入っており、その切れ目は頭から尾までは伸びていた。
「脱皮だと……?!」
硬く仰々しい姿をしていた龍はその鎧を脱ぎ、しなやかで美しい蛇へと変体を遂げていた。
空を廻っていた龍の名残か、その蛇には翼があり、それを羽ばたかせ、宙に浮いた。
二人はただ眺めるしかなかった。七海は口が塞がらず、灰原の眉間にはシワが寄っていた。
「七海、補助監督監はどこだっけ?」
「え……」
不意なことに言葉が詰まった七海の返答を待たず、灰原は七海を抱きかかえ、森を突っ切り、その場から離れた。
二人の周りに黒煙が立ち込める。灰原から溢れていた呪力だ。灰原の胸から舞台のスモークのようにモクモクと広がっていく。ただの目眩しと違い、呪力を纏った黒い霧は蛇の索敵をより撹乱することに成功した。
蛇の尾鞭が当たりの地面を抉るが、そのどれもが二人をかすることも無い位置である。
「で、補助監督はこっちで合ってる?」
「あ、あぁ!」
「よし、じゃあ逆方向にぃっ!」
灰原は左手を真横にかざす。掌に灰原の全身にあった黒の斑点が集まる。斑点が重なり、漆黒が強くなる。やがて掌の黒印は膨れ、黒煙弾として発射された。
「これでもうちょっと時間が稼げるな」
遠くで蛇が起こす衝撃音が聞こえる。
「見えてきた!」
二人は帳の境まで逃げることに成功した。
灰原は七海を下ろし、胸に刺さったものを抜き、術式反転を解いた。
七海は帳を抜け、補助監督官に詰め寄る。
「補助監督! 至急増援を手配してください。あれはおそらく土地神です」
七海と補助監督の話を灰原は帳の中で聞いていた。
蛇がいた方向の空をじっと見つめる。
「灰原! 増援が手配できた。私たちの任務はここまでだ。到着までは3時間くらいだ」
「そっか、それまで帳はどうすんの」
「騒ぎにならないように維持する、持つかは分からない」
「オッケー」
言い終わると同時に灰原はナイフを再び胸に突き刺した。
「七海、帰りにお土産買っといて。あ、五条さんも食べるらしいから甘いので!」
「……? 灰原、何言ってんだ?」
「いや、お土産買ってくるって夏油さんに約束しちゃったんだよ」
「そうじゃない! なんで俺に頼むんだ!」
七海は灰原に言葉を叩きつける。
不安が混じった表情で灰原を見つめる。
灰原の後ろでうごめくものが目に入り、七海の顔は青冷めた。
「あぁ、僕は覚えられたみたいだ」
灰原はくしゃっと笑った。
「まぁ3時間くらい逃げてみせるよ、妹とよく鬼ごっこもしたしな」
「おい、待て! 灰原!」
「あとは頼んだ」
灰原は再び胸にナイフを突き刺す。
跳ね上がる呪力に森はどよめく。
辺りは再び黒煙が立ち込め、衝撃音が響きつづけていた。
――呪術高専東京校 慰安室。
「なんてことはない2級呪霊の討伐任務だったハズだったのに……! クソッ……! 産土神信仰……アレは土地神でした……1級案件だ……!」
七海は悲しみを吐き捨てる。
その部屋には三人いる。自分と先輩である夏油、そして灰原。
吐き捨てたセリフは夏油に向けたものではない。そしてもちろん灰原に向けたものでもない。
なにせ灰原ともう言葉を交わすことはできないのだから。
強いて言うのであれば自分に向けた言葉であった。
「今はとにかく休め、七海。任務は悟が引き継いだ」
……なんだそれは。最初からそうしていれば、灰原は死なず、自分もこんな思いはしなくてよかった。
しかし、これは結果論に過ぎない。五条さんが向かえているなら、当然そうしたはずだった。
理性が月並みの反論を作るが、感情はもう止まらない。
「……もうあの人ひとりで良くないですか」
七海は途方もない喪失感の中、灰原の身辺整理を手伝っていた。
灰原の部屋には、本がたくさん並んでいた。
あまり考えることが得意ではない灰原にしては難しい本が多い。
それらは灰原が拡張術式のために読み込んでいた資料であることを七海は知っている。
灰原の術式「人身供儀」は人を生贄に捧げる呪術的儀式の再現により、自らの呪力を引き上げる。
これにたどり着くまで、努力を尽くしたことが感じられ、七海の心はますます痛んだ。
あの人型の呪霊の正体に感づいたのは、この努力がもたらしたものだ。
あの呪霊も龍への生贄たちだったのだろう。
水害を鎮めるための人柱、水害の畏れを担うのは龍や蛇らしい。
並んだ本には日本だけでなく、世界の儀式についての本もあった。
その中でもとりわけ明るい色の装丁の本があった。
「アステカの神々」と題されたその本の一ページに付箋が貼ってあり、七海は思わず手に取った。
そこには神に命をささげる人の絵があった。黒曜石で出来たナイフで心臓を捧げるようだ。
灰原の術式に一番似ているその様から、灰原の術式の元になったものであることが分かった。
人の命で効果が上がるのもそのまま、灰原らしいと七海は思った。
そのままページをめくる。そこには、神の姿が描かれてあった。
黒き太陽といわれるアステカの死の神。その姿は見覚えがあった。
呪力に溢れた灰原、黒煙を纏い、体に黒の斑点が広がった姿はジャガーという豹の戦士とも考えられるこのテスカトリポカという神の姿にそっくりだった。
七海はそれ気づいてから、説明文を食い入るように読んだ。
一節の記載が目に留まった。
『テスカトリポカはケツァルコアトルに殺される。』
ケツァルコアトルは羽根の生えた蛇だそうだ。灰原は死ぬ覚悟で向かっていったのだろう。
――自分を生かすために、呪いを祓うために。
自分の無力を呪った。
いてもたってもいられなくなり、七海は高専内の空き地に向かった。
目の前の岩を見据える。そして思い出す、忌まわしき自分の死を覚悟した時の記憶を。
「十劃呪法……」
岩の内部7:3の内分点が浮かび上がる。
七海はこの地点を普段とは違った方法で打ち据えた。
クリティカルヒットを食らった岩は破片に分かれ、飛び散る。
そしてその飛び散った岩の破片は呪力を帯び、付近の岩を砕くほどの弾丸となった。
――私にもできた、拡張術式。この術式の名前はそうだな、「瓦落瓦落」としよう。あの蛇を忘れないように。
「……灰原、お前の分も祓うよ」