俺と私の文フリTS顛末記   作:深海くじら

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第13話 失意~居場所を失った漂泊者

 待機列が途切れたのを見計ってトイレ休憩に向かった桃山さんに代わり、私は売り場の席に座っている。三百冊用意した八十ページの冊子は、すでに二箱が空になっている。残り百冊弱。

 正直、どのくらい売れるのか予想できていなかった。

 私が原作を担当するコミックスは、たしかに各巻とも一定の売上を保っている。少なくとも数回の重版がかかるくらいは。でもそれは魅力的な絵があってのことで、小説家としての私が評価されているわけじゃない。だから今回の三百冊だって、はっきり言って攻め過ぎだって思ってた。カクヨムでの評価なんて当てにならない、ってどこかの作家さんも言ってたし。そんな気持ちだったから本当にびっくりした。読みたいって思って足を運んでくれる人、ちゃんといるんだな。

 

 自分の席に座り、目の前には自分が書いて発注した本が角を揃えて平積みにされている。一ノ瀬は、文学フリマに参加している自分を実感していた。朝早くに自宅を出て、田舎の列車、新幹線を乗り継いでここまで来た本来の姿。

 だがその夢想は、目の前にやってきた新たな購入者によって簡単に打ち破られる。「一ノ瀬みう先生は」と問いかけられ、不参加であることを謝る。「今、あなたの目の前にいます」なんて、口が裂けても言えない。

 せっかく来たんだからと言って差し出された千円札を新しい本と引き換えに受け取るのは、節くれだった大きな手。

 

「お待たせしました、お父さま」

 桃山さんが小走りで帰ってきた。一ノ瀬より十は年上のお姉さん。だが、今の見た目では完全に逆転している。

「いや……」

 どう話を繋げばいいのかわからず、一ノ瀬は目の前の自作をぺらぺらとめくる。紙になっているせいか、見慣れているはずの文字列が上手く頭に入ってこない。

 ホントなら、スペースのときみたいにいっぱいお話をしたいのに。

 隣でもじもじする桃山夕顔を盗み見て、一ノ瀬は短く嘆息した。

 しょうがないよね。こんな狭いとこで初見のおじさんと並んで座るなんて、拷問でしかないよね。

 一ノ瀬が立てた椅子を引く音に、桃山の上体が跳ねた。

「ここ、おまかせしちゃってもいいかな。終了前には戻ってきますから」

「は、はひ! こっちは大丈夫れす」

 相当に緊張していたのだろう。桃山の声が裏返っている。一ノ瀬は心底悲しい気持ちになった。今回の出店に尻込みする一ノ瀬を自分ゴトのように叱咤して事細かなアドバイスを授け、さらには売り子まで買って出てくれた。いわば同志とも言える桃山との距離がこんなにも遠くなっていることに、一ノ瀬は絶望すら感じていたのだ。

「早めに売切れたら連絡をください。すぐに駆け付けて片づけを手伝いますので」

 一ノ瀬はそう言い残すと、そそくさと席を立った。

 

 キャリーバッグは席に置いてきたから身軽だ。会場内の空調に合わせてパーカーを羽織ってきた一ノ瀬は、ファスナーを首まで上げる。上下真っ黒。

「さ、このあとはどうしよう」

 寄る辺だったはずの自分の席さえ居場所ではなかったことを思い知らされた一ノ瀬だったが、この会場を見て回る一来場者としてなら、漂泊者となったこの身も任せられるかもしれないと考えた。

 どうせ、私のことを知る人なんて誰もいないし。

 元の身体に比べ、今のこの身体は他人からの注目が少ない。それどころか、横に立とうが歩いていようが誰ひとり気にする様子もない。

 なんていうか、すっごい楽。まるで透明人間みたい。前は男の人の視線がきつくって、人混みなんかだとしゃがみこみそうになってたくらいなのに。周りの認知って、女と男でこんなにも違うんだ。

 一ノ瀬は気になったブースで見本誌を手に取る。どの出店者も普通に接し、過剰な好奇の目を向けてくることはない。だから以前なら逡巡するそんなラフな行動をなにも気にせず自由に執ることができた。

 が、開いたページの文字が、なぜだか頭に入ってこない。

 そういえばさっき自分の本を見たときもそうだった。読もうとして文字を目で追っても内容がぼやけてぜんぜん意味がとれなくなってる。

 パニックになりそうな一ノ瀬だったが、本を持つ手を伸ばしてみたら理解した。

 近くのものが見えにくくなってるんだ。そういえばお父さんも新聞読むとき言ってたっけ。これ、もしかして老眼ってヤツ?!

 

 頭に入ってこないものを読んでみてもしょうがない。

 立ち読みをあきらめた一ノ瀬は、目的もなく会場を彷徨っていた。前後左右を自由に動き回る来場者の人波にもまれつつ会場中央に近い通路を歩く一ノ瀬は、ひとつ隣の通路を逆向きに歩き去る一人の少女に目を止めた。

 

 あれは、私だ。




お読みいただいてありがとうございます。
次話からしばらくは、1時間ごとの投稿となります。
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