「私、自分の身体に戻りたい!」
なんだかわからないけど、これは絶対いい兆候。だって、さっきまでのみうの淡い輪郭が、いきなり4Kになったみたいにくっきりして見えるから。
枕もとに置いてあるプラスチックのティッシュ箱の陰に身を潜めるあたしは、観葉植物の大きな葉っぱで身を隠してるロンに目配せした。見守ってたロンも手応えを感じてるみたい。頬っぺたが上気してるのがわかる。あたしはちょっと誇らしげな気持ちになった。
見て。凄いでしょ、あたしの元マスター。やるときゃやるのよ、この子。ここぞという時はいい仕事してくれるの。
対岸のロンも
「!」
「くじらしゃん、うしろ?」
みうの疑問符に釣られ、くじらが茶髪の小さな頭を巡らせた。ロンは咄嗟にベッドの脇に飛び降りてる。
「どうしたの?」
「いま、なんか見えた。光の筋みたいな七色の……」
みうの指さす辺りの虚空をくじらが目で追ってる。駄目じゃん、ロン。見つかっちゃ。
「もしかして、光跡みたいなやつ?」
アニメ声のくじらが尋ねてる。って、見たことあったの?!
「そう。一瞬だったけど、なんかきらきらした感じの」
「一ノ瀬さん、見えたの?」
「そんな気が……。以前にも見たことはある……けど」
え? 二人とも見えてたんかい!?
「同じかどうかわかんないけど、流れ星みたいなやつなら、俺も子どもの頃たまに見てた」
「
ヤバいなぁ。危機管理ガバガバだったよ、あたしもロンも。
っていうか、今はそんなこと言ってる場合じゃない。もう、タイミングとかどうでもいい。あたしはみうのおっさん頭に飛びつき、耳の後ろに手を当てる。
光を吸い取るイメージ。
「一ノ瀬さん、どうしたの? 寝落ち?! いきなり?」
身体を起こし、
背中を丸めたくじらとみうが、真っ白いシーツの上で向かい合うように倒れ込んでいる。緩いガウンだから動きは見えないが、二人とも寝息はちゃんと正常だ。
「いやぁ、ヤバかったね」
ヤバかったねじゃないよ、ホントにもう。
いい汗かいた、みたいに手の甲で額を拭ってるロンを睨みつけ、あたしは一ノ瀬みうの姿をしたくじらの頭の脇に立つ。
「ほら、こんどこそ本番始めるよ」
配置に付いたロンが、サムアップで返事した。
深呼吸。
今度こそ成功させる。
ちらりと隣を窺った。ロンも目をつぶって集中してる。
イメージの中でみうの心との
「今度こそいくよ。カウント。一、二、三!」
『こだま』のときの決壊が、再び起こった。いや、あのときよりも多い。五十年分の、多岐にわたった音が、匂いが、映像が、デフラグされる前の小間切れの断片で、雪崩となって私の中に落ちてくる。
繋いだ綱は、押し寄せる記憶の奔流とともに拡張し、あたしはその通路の中心に浮遊して流れに身を任す。みうのときとは違う。高速で通り過ぎる記憶の断片は、そのどれもが見覚えあるものだった。
くじらの記憶とあたしの記憶は繋がってる。
空っぽのタンクがみるみるうちに満たされる至高の充足感とともに、あたしに紐づいている身体の記憶が、くじらに向かって逆流していく。想像もできない力で圧縮され、信じられないくらい細かく切り刻まれた情報の粒子。ひとつひとつの意味を見出すことなんてできない。でもそれらはすべてが器に収まったとき、プログラムされた再構成の合図とともに、身体そのものへと再配置されるのだ。
微動から、輪郭が失われるほど振幅の大きな高周期振動。内部からの発光を伴う痙攣を経て、横向きに寝ている一ノ瀬みうの姿は山之上くじらのそれに変容した。
鏡越しのように同じポーズをとる隣の身体も、一ノ瀬みうに戻っている。
みうの頭が乗る枕に、ロンは足を投げ出して座っていた。やりきった、という顔で。
同じように座り込んだあたしは、共犯者の守護仲間に声をかける。
「どう? ロン。ちゃんと元に戻ってる?」
両腕を背中の後ろにつっぱって身体を支えるロンが、顔だけこちらに向けて応えた。
「んー、わかんない。わかんないけど、なんか大丈夫っぽい」
「どーする? 起こして確かめる?」
寝息を立ててる
「いーよ、今夜はもう。うちの子たちも気持ちよく寝てるし、私も今から検証なんて、もう無理」
「だよねー」
とはいえ、ここで寝込んでしまうのはいろいろとマズい。もぞもぞと身体を引きずり起こしたあたしは、ロンの手を引いて舞い上がった。
そっけないこの部屋はあたしたちの隠れてゆっくりできる場所がない。どこか寝床になるとこは……?
「ネル、こっち」
ロンが前になって先導をはじめた。
「ネルのご主人が着替えたときに、私見つけといたんだ、私たちのお休み処」
そこはリネンの収納棚だった。一番上の棚板に何枚かの予備のタオルが重ねて畳まれている。
「ね。いいでしょ、ここ」
返事もせずに、あたしはその上に飛び込む。ロンも隣にうつぶせになった。
「ロン、えらい。しごでき妖精。サイコーだから、あたし、もう寝る」
「私もー!」
思えば長い一日だった。
ちょっとだけ、今朝からの一連を振り返る思いつきがよぎったけれど、疲れと眠気はそれを採択させなかった。
うとうとする暇もなく、あたしたちは、それこそ一瞬で眠りに落ちた。