ギルドの受付嬢ですが、残業が嫌なので定時に帰ろうと思います 作:can'tPayPay
休暇明けのギルド。百年祭の余韻と溜まった業務で、ロビーは戦場のような忙しさでした。
そんな中、アリナの異変に気づいたのは、隣に座るゼノスだけでした。
(――死ね。死ね、私の三半規管。なんでこんな時に、視界がぐるぐる回るのよ。……昨日、馬車であんなに無茶したせいかしら。それとも、あの湖畔の夜風が今更効いてきたの……?)
アリナの頬は不自然に赤く、完璧なはずのタイピング速度が、わずかに、本当にコンマ数秒だけ遅れています。
「……アリナさん。その案件、僕に回してください。あなたは少し、奥の備品室で在庫確認を」
「……何言ってるのよゼノスさん。私は完璧よ。この程度の処理、瞬きする間に……っ」
立ち上がろうとしたアリナの膝が、ガクリと折れました。
崩れ落ちる寸前、強靭な腕が彼女の腰を横から支えます。
「……っ、離しなさい。みんなが見てる……」
「いいから、黙って僕に寄っかかって」
ゼノスの声は、事務員とは思えないほどの冷徹さと、それを上回るほどの濃密な心配に満ちていました。彼はギルド長へ「アリナさんは過労による貧血です。僕が介抱します」と、有無を言わせぬ事務報告を一秒で済ませ、彼女を抱きかかえて奥へと消えました。
医務室:処刑人の脆弱
「……バカ。……あんたのせいで、私の皆勤賞が台無しだわ……」
ベッドに横たわったアリナは、熱に浮かされた瞳でゼノスを睨みつけました。
ゼノスは無言で彼女の額に濡れタオルを置き、氷魔法で冷やした水を用意します。
「……。……君の健康管理も、僕の『業務』に含まれているんだ。……それに、さっきの君は、処刑人なんて呼べる状態じゃなかった。ただの、今にも消えてしまいそうな女の子だったよ」
「……。……。……うるさいわよ」
アリナはゼノスの手を掴み、自分の熱い頬に押し当てました。彼のひんやりとした掌が心地よくて、自然と涙が滲みます。
「……ねえ、ゼノス。私、弱ってる。……殺意も、戦槌を振るう力も、今は一ミリも湧いてこないの。……こんな私、ただの『無能な女』じゃない……」
「……いいよ。たまには無能で。……君が戦えないなら、僕が君を隠すだけだ。……君の代わりに僕が毒を吐き、君の代わりに僕が世界を整理する。……だから今は、僕の手だけを握って眠れ」
深淵の看病:誰にも触れさせない
その時、医務室のドアがノックされました。
「アリナさん? 大丈夫ですかー? お見舞いに……」
心配した同僚の職員たちが顔を覗かせようとした、その瞬間。
ゼノスが、ドアの隙間から一瞥をくれました。
その瞳は「死んだ魚の目」などではなく、領域を侵された猛獣のそれ。
「――アリナさんは今、極度の安静が必要です。……許可なく半径三メートル以内に近づく者は、職務妨害とみなし、明日からの給与査定に反映させますが……よろしいですね?」
「ひっ、い、いえ! 失礼しました!!」
逃げ去る同僚たちの足音を聞きながら、アリナは熱にうなされつつも、小さく笑いました。
「……ふふ。……あんた、本当に最低ね。……給与を盾に取るなんて」
「……君を独占するためなら、僕はどんな汚い手でも使うよ。……。……。……さあ、寝るんだ。僕がずっと、ここで君の熱を見張っているから」
ゼノスはアリナの指先を一つ一つ丁寧に愛撫し、彼女が眠りに落ちるまで、その耳元で甘い呪いのような子守唄を囁き続けました。
熱に浮かされる中で、アリナは確信しました。
たとえ自分が力を失い、何もできなくなったとしても、この男だけは、地の果てまで自分を甘やかし、囲い込み、誰の手も届かない場所に隠し続けてくれるのだと。