ギルドの受付嬢ですが、残業が嫌なので定時に帰ろうと思います 作:can'tPayPay
理事会が「事務的な自爆」を遂げてから数日。王都ギルドには、ゼノスを称える声が溢れていました。
「汚職を暴いたのは、ゼノスの正確な帳簿管理があったからだ」「彼こそ次期理事に相応しい」――そんな噂が、アリナの耳に届くたびに、彼女の眉間には深い溝が刻まれていきます。
(――死ね。死ね、その節穴のような目をした無能な同僚ども! ゼノスが理事? 冗談じゃないわよ。そんなことになったら、彼は会議に追われ、接待に追われ、私と過ごす「定時の夕食」が永遠に失われるじゃない!!)
アリナは給湯室で、ゼノスのために淹れたお茶に「隠し味」として微量の眠り薬……ではなく、彼の集中力を削ぐための「最高に甘いハチミツ」を大量にぶち込みました。
「いい、ゼノス。あんたは今日から『無能』になるのよ。計算ミスを連発し、書類を汚し、誰からも『理事なんて無理だ』と思わせるの。分かった?」
「……。……アリナ、気持ちはわかるけど。わざと計算を間違えるのは、僕の矜持が許さないというか……」
「矜持と私、どっちが大事なのよ!!」
「……。……了解した。今日から僕は、ペンを持つのもおぼつかない無能な事務員を演じるよ」
ギルド窓口:逆転の聖者
作戦開始。ゼノスは宣言通り、持ち込まれた書類をあえて乱雑に扱い、計算の途中で「あ、間違えました」とわざとらしく呟きました。
アリナはそれを横で見ながら、心の中でガッツポーズを決めます。
(そうよ、その調子よゼノス! みんなに見放されなさい。そして、私だけの腕の中に戻ってきなさい!)
しかし、結果はアリナの予想を真逆の方向へ突き動かしました。
「見てくれよ、あのゼノスさんを……! 完璧だった彼が、連日の激務(理事会解体)で、あんなに疲れ果ててミスをするなんて……」
「なんて責任感の強い人なんだ! 自分の身を削ってまでギルドを守ろうとしていたなんて……。もう、彼を休ませるためにも、早く理事にして権限を与えてあげようぜ!」
「……はぁ!??」
アリナの叫びも虚しく、ゼノスの「わざとらしい無能」は、周囲の目には**「献身的な自己犠牲」**として美化され、彼の支持率はうなぎ登りに跳ね上がったのです。
深夜の書斎:逃げ場のない包囲網
「――もう無理。このギルド、全員バカだわ!!」
帰宅するなり、アリナは玄関でゼノスに詰め寄りました。
「ねえ、ゼノス。もういいわ。最終手段よ。……あんた、明日から『不治の病』で長期休暇に入りなさい。私が診断書を偽造してあげる。……それか、私が今すぐあんたを誘拐して、地下室に閉じ込めてあげるわ!!」
アリナはゼノスの胸ぐらを掴み、涙目で彼を見上げました。
「……嫌なのよ。みんながあなたの価値に気づき始めてる。……私だけの事務員でいてよ。私だけのゼノスでいてよ……」
ゼノスは、アリナの必死な訴えを静かに受け止め、彼女の細い腰を力強く抱き寄せました。
「……アリナ。僕も、理事になんてなるつもりはない。……誰かのために働くのは、もう十分だ。僕が僕の能力を使いたい相手は、この世で君一人だけなんだから」
ゼノスはアリナの耳元で、低く、そして少しだけ愉しげに囁きました。
「……。……じゃあ、こうしよう。……明日、僕が『理事就任の条件』として、一つだけとんでもない要求を出す。……『アリナ・クローバーを僕の専属秘書にし、勤務時間は一日四時間、それ以外は僕と二人きりの個室で過ごす』という条件だ」
「……。……それ、実質的な公認監禁じゃない」
「そうだよ。……そうすれば、誰も僕を理事に推薦しなくなるし、もし受諾されたら……それはそれで、僕たちの楽園の完成だ」
アリナは、ゼノスの胸に顔を埋めて、小さく笑いました。
「……あんた、本当に最低で……最高に愛してるわよ。……いいわ、その条件、明日中に『事務的』に叩きつけてやりなさい」
二人の執着は、もはやギルドの枠を飛び越え、社会のルールさえも自分たちの「愛の道具」へと変えていく。
明日の朝、ギルドに激震が走ることは間違いありませんが、二人の夜は、今夜もこの上なく穏やかに、そして深く更けていくのでした。