ギルドの受付嬢ですが、残業が嫌なので定時に帰ろうと思います 作:can'tPayPay
「……ゼノスさん。少し、そこを退いてはもらえませんか?」
背後からかけられた声は、低く、落ち着いた響きを持っていた。
ゼノスが振り返ると、そこには銀髪の美形冒険者、ジェイドが立っていた。彼は常に沈着冷静で、ギルドの裏方スタッフに対しても一人の社会人として敬意を払う。
「おや、ジェイド。失礼しました、重い荷物を運んでいたもので。本日はどちらへ?」
ゼノスは人当たりの良い笑みを浮かべたまま、しかし台車を絶妙な位置で止め、通路の最短ルートを完全に塞いでいる。
「受付へ。アリナさんに、昨夜の件で少しお聞きしたいことがありましてね。彼女は今、お時間はありますか?」
「それが、先ほどギルド長に呼び出されたところでして。急ぎの案件だそうです。……よろしければ、僕が伝言を承っておきましょうか?」
ゼノスの言葉は丁寧だが、そこには「これ以上は踏み込ませない」という、見えない壁のような拒絶が混ざっていた。ジェイドは薄く青い瞳を細め、目の前の青年をじっと見つめる。
(……この男、わざとか?)
ジェイドほどの経験があれば、ゼノスの動きが単なる不注意ではないことくらい察しがつく。だが、ゼノスには悪意が微塵も感じられない。あくまで「職務に忠実な裏方」の仮面を被っている。
「……いえ、彼女に直接話すべきことですので。また改めて伺います」
「そうですか。お力になれず申し訳ありません」
ゼノスは深々と頭を下げ、進路を譲った。ジェイドは一度だけゼノスの背中を振り返り、それから目的のカウンターへと歩き出す。
数分後。
カウンターへ辿り着いたジェイドを、アリナは「営業用」の完璧な笑顔で迎えた。
「ジェイド様、おはようございます。本日はクエストの受注でしょうか? それとも、精算のご報告ですか?」
「おはようございます、アリナさん。……いえ、今日は少し個人的な話を。昨夜、隠しダンジョン付近で――」
「まあ。ジェイド様ともあろう方が、個人的なお話を窓口で……。他のお客様の御迷惑になってしまいますわ」
アリナは困ったように小首を傾げた。態度はどこまでも丁寧だが、言葉の端々には「仕事の邪魔をしないでほしい」という冷徹な拒絶が潜んでいる。
「失礼しました。……ただ、どうしても昨夜の『彼女』のことが気になって。もし心当たりがあれば、教えていただけないでしょうか」
「わたくし、昨夜は定時とともに失礼して、家でゆっくり休んでおりましたから。お力になれず、本当に心苦しいですわ」
(訳:このしつこい銀髪野郎! さっさとどきなさいよ、後ろが詰まってるじゃない!)
アリナの笑顔は微塵も崩れない。ジェイドは彼女の瞳の奥を読み取ろうとしたが、そこにあるのは磨き上げられた鏡のような「受付嬢の仮面」だけだった。
「……そうですか。無理を言って申し訳ない。また改めて、定時後にでもお話しできれば」
「お気持ちだけ頂戴いたします。定時後は、大切な『先約』がございますので」
アリナは流れるような動作で次の書類を手に取り、ジェイドとの会話を強制的に終了させた。