ギルドの受付嬢ですが、残業が嫌なので定時に帰ろうと思います 作:can'tPayPay
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ギルドの鐘が定時を告げると同時に、アリナは音速で窓口を閉鎖した。
そのまま裏口から飛び出し、数分後には王都の喧騒を外れた場所にある、ゼノスの質素なアパートへと転がり込む。
「……もう、無理。ジェイド、いい人なのは分かってるけど、あの真っ直ぐな目が一番疲れるのよ!」
玄関の鍵が開く音と同時に、アリナは脱力してゼノスの胸に飛び込んだ。
ゼノスは「おっと」と苦笑しながら彼女をしっかりと受け止め、その背中をぽんぽんと優しく叩く。
「おかえり、アリナ。今日も一日、よく頑張ったね」
「本当に。ゼノスが昼間足止めしてくれなかったら、もっと早く捕まって精神を削られてたわ。……ねえ、あの人、ゼノスには何か言ってた?」
ゼノスはアリナを抱えたままソファへ移動し、彼女を膝の上に乗せるようにして座らせた。
「いや、『アリナさんに用がある』って言ってただけだよ。……でも、少しだけ僕を疑ってるかもしれないね」
「疑ってる? ゼノスのことを?」
「僕が君を庇ってることに、勘付かれたかもしれない。……でも、大丈夫。君の平穏を守るのが僕の仕事だから」
ゼノスは少しだけ目を細め、静かに微笑んだ。その表情は、昼間ギルドで見せていた「地味な裏方」のものとは明らかに違う。
「アリナ。君は明日も、いつも通り笑っていればいい。……残業を押し付けようとする奴も、君を連れ出そうとする英雄様も、全部僕が裏で捌いておくから」
アリナはゼノスの首に腕を回し、その胸に顔を埋めた。
外ではジェイドが彼女を追い求め、ギルド長が書類の山を抱えて彼女を探しているかもしれない。けれど、この腕の中だけは、誰にも邪魔されない彼女だけの聖域だ。
「……ゼノス、大好き。……あと、お腹空いた。今日の夕飯は何?」
「ふふ、もうすぐできるよ。アリナの好きな、具沢山の温かいスープだ」
「……最高。一生、定時でここに帰ってきてあげるわ」
アリナは満足げに目を閉じ、ゼノスの温もりに身を委ねた。
その日の夜。
仕事を終えたゼノスがギルドの通用口を出ると、夜風に銀髪をなびかせた男が一人、壁に背を預けて待っていた。
「……ゼノスさん。少し、お時間よろしいでしょうか」
ジェイドだった。
昼間の窓口での騒がしさとは対照的に、街灯の光に照らされた彼は、より一層静謐で、抗いがたい威圧感を放っている。しかし、その口調はあくまで丁寧で、大人の余裕を失っていない。
「これは、ジェイド。……僕のような裏方に、何か御用ですか?」
ゼノスは足を止め、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた。
ジェイドはゆっくりと歩み寄り、ゼノスの目の前で立ち止まる。
「少し、そこの酒場で話しませんか。あなたとは、一度ゆっくり話してみたいと思っていたんです。……アリナさんのことについて」
「……光栄ですね。ジェイドほどの方が、僕を誘ってくださるなんて」
ゼノスは拒まなかった。ここで逃げれば、かえって疑念を深めることになる。
二人は近くの、冒険者たちが集まる賑やかな酒場へと足を運んだ。
ジョッキに注がれたエールを一口飲み、ジェイドが先に切り出した。
「単刀直入に伺います。ゼノスさん、あなたはアリナさんのことをどう思っていますか?」
「どう、とは?」
「彼女は……ただの受付嬢にしては、少し『隙』がなさすぎる。そして、彼女の周囲で起きる奇妙な偶然――例えば、彼女が席を外している間に問題が解決していたり、彼女に近づこうとすると、必ず誰かが立ちふさがったりする」
ジェイドは静かな、しかし射抜くような視線をゼノスに向けた。
「特にあなたは、彼女を過保護なまでに守っているように見える。……彼女が、隠しダンジョンに現れたあの『処刑人』ではないかと、私は疑っているんです」
「ははは、それはまた……面白い想像ですね」
ゼノスは可笑しそうに肩を揺らした。
「アリナは、ただの残業が嫌いな、真面目な女の子ですよ。ジェイド。あなたが彼女に期待しているような、世界を救う力なんて彼女にはありません」
「本当に、そうでしょうか」
「ええ。それに、もし仮に彼女がそうだとして……。彼女を戦場に引きずり出すことが、彼女の幸せだと思いますか?」
ゼノスの声から、少しだけ温度が消えた。
彼はジョッキをテーブルに置き、ジェイドの瞳を真っ向から見据える。
「彼女は、定時に帰って、温かい食事を食べて、静かに眠る。そんな当たり前の生活を何よりも大切にしているんです。……それを壊す権利は、たとえ『英雄』と呼ばれるあなたであっても、誰にもない」
ジェイドは息を呑んだ。
目の前の「地味な裏方」から放たれた、一瞬の、だが圧倒的な意志の強さ。それは、彼が今まで出会ってきたどんな強敵よりも、揺るぎないものに感じられた。
「……失礼しました。どうやら、私は少し焦っていたようです」
ジェイドはふっと表情を緩め、謝罪の意を込めてジョッキを掲げた。
「ですが、私は諦めませんよ。彼女のような逸材を、このまま埋もれさせておくのは惜しい」
「……やれやれ。その熱心さが、彼女を一番疲れさせているんですけどね」
ゼノスは苦笑いしながら、自分のジョッキを合わせた。
二人の間には、一時の休戦のような、奇妙な沈黙が流れた。
【数十分後・ゼノスの部屋】
「遅ーい! ゼノス、何してたのよ!」
部屋に入るなり、待ちくたびれたアリナがソファから身を乗り出して抗議した。
彼女はすでに部屋着に着替え、抱き枕を抱えて不満げに頬を膨らませている。
「ごめんごめん。ちょっと、ジェイドに捕まってね」
「……えっ!? ジェイドと何を話してたのよ! まさか、私の正体を……」
「いいや、何も。ただ、『アリナは僕が守るから、手を出さないでくれ』って釘を刺しておいただけだよ」
ゼノスはアリナの隣に座り、彼女の頭を優しく撫でた。
アリナは顔を真っ赤にして、ボフッと抱き枕に顔を埋める。
「な、なによそれ……。格好つけちゃって」
「本当のことだよ。……さあ、スープ温め直すから。食べたら、今日はもう寝よう」
「……うん。ゼノス、後で腕枕して」
「はいはい」
ジェイドという脅威はまだ去っていない。だが、この部屋の扉を閉めている限り、二人の穏やかな時間は誰にも奪えないのだった。