落第騎士の英雄譚 意識低い系風味   作:一般落第騎士

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第十八話

 

 

 

 《七星剣武祭》第一回戦が終了した夜のことである。

 一人の少女が、少し緊張した(おも)持ちで客室のドアの前に立っていた。

 

 黄金色の髪を三つ編みにした、眼鏡の少女。破軍学園生徒会長、《雷切》東堂刀華である。

 彼女はルームドアの前で、不審者のようにウロウロと往復運動を繰り返していた。手には何か、大きなビニール袋が握られている。

 

 しばらく不審な往復を繰り返した後、彼女は意を決してコンコンとドアをノックした。

 ……返事は無い。数秒待っても相手の反応が無い事を確認すると、東堂刀華は安堵と無念が入り混じった溜め息を吐いた。

 

「……留守、ですか……」

 

 《天譴》甘木悠の部屋の前で、東堂刀華はそう呟いた。

 ちなみに。現在、彼は黒鉄王馬への対応を必死に月影総理へ相談しているのだが、まさか彼女がそれを知るはずも無い。ただ単に、振り絞った勇気が空回った事を受け止めるのみである。

 

「いや、もう寝てるのかも……うう……やっぱり、夜中に来たのは良くなかったですよね……」

 

 彼女の胸に抱かれたビニール袋の中には、ピザポテトや柿の種、コーラ、グミ、チョコパイなど、彼女が『男性ウケの良いお菓子』を雑誌で調べた結果購入したお菓子たちと、そしてゾンビ映画などのDVDが入っている。これも『男性ウケの良い映画』をリサーチした結果の物だ。信憑性はともかく。

 

 夜中にスナック菓子と映画を持って男の部屋へ突撃する、純度100%の奇行。

 なぜ、東堂刀華がこのような意味不明の行動に出たのか。

 

「事前に甘木くんの予定とか聞ければよかったんですけど……連絡先、知らないですし……大会中に話しかけようとしたら、桃井さんとずっと一緒に居ますし……」

 

 それはシンプルに、『甘木悠と話せる最速の機会がここだったから』という理由に尽きる。

 

 《七星剣武祭》前は《夜叉姫》に徹底的に虐められ、食事中不意に涙が流れるような限界生活を送っていた。更にその前は断頭の影響で異能が使えなくなって入院していたり、【暁学園】による破軍学園襲撃を聞かされてそれどころじゃ無かったりと、本当に色々あったのだ。

 

 『《天譴》甘木悠に、直接会って話したい』と東堂刀華はずっと思っていて、その機会がやっと巡って来たのが今だったという訳である。結局、王馬の闘争心によって空振りに終わったのだが。

 

「……帰りますか……。ううん、西京コーチに聞こうかな……?」

「あれ、東堂会長?」

「ひょえっ!?」

 

 しょぼんとした顔付きできびすを返した東堂が、背後からかけられた声に驚いて跳ね上がる。ガサガサと音を立ててスナック菓子が幾つも床へこぼれ落ちた。

 

「く、黒鉄くん!?」

「ああ、ごめんなさい驚かせてしまって。ちょっと『絵の題材にさせて欲しい』って追いかけてくる人から逃げてて……あ、拾いますよ」

「あ、ああはいどうもありがとうございます……! じゃない、これはちょっと見ないで欲しいというか……!!」

 

 わたわたと慌てながら、東堂がこぼれたスナック菓子を回収しようとする。しかしそれよりも、黒鉄が床に落ちた一冊の雑誌を拾い上げる方が早かった。

 

「なんだこれ……『月刊激モテ生活』『後輩男子と距離を縮める100の方法』? ……いや、本当に何なんだこれ……?」

ゥ゛ワ゛ー!!!! なんでそれまで入ってるんですか!!??!」

 

 月刊として続いていること自体が奇跡のような雑誌名に、黒鉄がつい困惑の声を漏らす。

 うっかり参考元の雑誌まで持ってきてしまった東堂は、羞恥の余り怪鳥のような叫び声をあげた。

 

「……あ、ここって甘木くんの部屋の前か。え? しかもそのスナック菓子とかコーラ……。あ、ここ、『秘訣は秘密のパジャマパーティー♡ 無防備な姿で一気に距離が縮まる!?』って……」

「……黒鉄くん」

 

 ゆらりと身体を傾かせた東堂が、その手に《鳴神》を顕現させる。

 誇り高い東堂刀華は、己の羞恥から他人に当たり散らすような真似はしない。この場で黒鉄一輝の頭を、彼の記憶が消えるまでブチ叩くような真似はしないのだ。

 

 代わりに、刀の切っ先を己の腹に向けた。

 

 

「―――介錯お願いします

「うわうわうわ落ちついてください東堂会長!! 何も見てないです、もう忘れましたから!!」

 

 

 ◆ 

 

 

「……甘木くんと、仲良くなりたかったんです」

 

 黒鉄が必死の説得によって東堂刀華を落ち着かせた後、彼女はそうポツポツと話し始めた。

 

「……仲良く?」

「ええ。ふふ……『今更なにを』なんて、彼は思うかもしれませんが。でも、本当の気持ちです」

 

 穏やかな語り口に、黒鉄も静かに耳を傾ける。

 合宿や《夜叉姫》による地獄の特訓の中で、目の前の少女が持つ高潔さ、心の強さという物を黒鉄はよく思い知っていた。少しでもその強さを己へ取り込まんと、ただ聞き役に徹する。

 

「……今まで……私は、ずっと、彼の"才能"だけを見ていました。何の努力もせずに《七星剣王》になれる、絶対的な才能。『じゃあ私の研鑽に意味は無かったのか』なんて思って……彼に、一方的な嫉妬を抱いていました」

「………………」

()()()()をしていました。彼を見ずに、彼の力だけを見た。生徒会長失格です」

 

 東堂刀華の独白を、黒鉄一輝は黙って聞いていた。彼女の言葉は、己にも刺さる物だから。

 

 《天譴》の才能に、恐らく誰よりも複雑な思いを抱いていたのは黒鉄一輝だろう。

 魔力に乏しく、逆境を努力で覆してきた黒鉄一輝。

 Aランクの魔力量を持ち、全てを才能で捻じ伏せてきた甘木悠。

 『羨ましい』と、『僕にも彼のような才能があったら』と思ったことは、一度や二度ではない。

 

「……会長だけじゃありませんよ」

「ええ、そうですね。……そういえば私達は、彼に教えを乞うようなことを一度もしませんでしたね。"超えるべき敵"だと思っていたから。私も、ウタくんも、破軍生徒の殆ども……彼を、なにか『ボスキャラ』のように見ていたんじゃないでしょうか。決して相いれない、己の誇りに懸けて打ち倒すべき敵だと。……ホントは、同じ学園の仲間なのに」

「……………ええ」

 

 臓腑に鉛が詰まったような顔で、黒鉄は同意する。

 聞けば、《天譴》は答えただろう。参考になるかはともかく、無下にすることは無かっただろう。ならば両者の間を邪魔していた物は、やはり自分たちのプライドなのだ。

 

 破軍学園において、彼は"理不尽"の象徴だった。必死に強さという山の頂を目指す中、天に一際(ひときわ)輝く恒星。それが《天譴》。多くの生徒にとって畏怖の象徴であり、僅かな生徒にとっては嫌悪の対象であり、更にごく僅かの生徒にとっては超えるべき目標であり―――

 

 ―――そこに、確かに『甘木悠』は居なかった。

 

 非伐刀者の家庭で育ち、一切の騎士道教育も受けず、己の力の使い道も少しずつ覚えていくような、極めて一般的な男子高校生の姿はどこにも無かった。ただ『絶対的な才能』の象徴として、破軍学園の生徒たちは彼を見ていた。

 

「……リハビリ中、沢山の生徒たちが来てくれました。仲の良い人も、そうじゃない人も。彼らと話すうちに、ふと思ったんです。『……ああ。私、甘木悠くんの事を何も知らないんだな』って」

「…………」

「彼の趣味とか。好きなお菓子とか。休日は何をしてるのかとか。そういう彼のパーソナルな部分を、何も知らない……いえ、知ろうとしていなかった。転校して当然です、こんなの。もともと……殆どの破軍生徒にとって、《天譴》が全てで。そこに、『甘木悠』は居なかったんです」

 

 そう呟いて、東堂刀華は寂しそうに笑った。

 ゲーム部くらいだろう。彼の、《天譴》以外の部分を見て接していたのは。いや、桃井新香が政府側の工作員だと知った東堂刀華からすれば、それさえも疑わしい。

 

「彼の事を、もっと良く知っていれば。

 最初から、ただの『一人の生徒』として、素直に仲良くなれていたら。

 ……きっと、彼は今も"破軍学園生徒"として《七星剣武祭》に出てくれたんじゃないか。そんな風に思うんです。『仕事だから』と総理の命令に従うとしても……もっと、今より良い形があったのではないか、と」

「…………そう、かもしれないですね」

 

 否定も肯定も無責任に思えて、黒鉄一輝はそう曖昧な言葉を口にした。

 《天譴》の、才能以外の部分。そこに目を向けた事は、黒鉄自身一度も無かったからだ。

 彼の絶対的な才能を、それでも覆してみせると気炎を上げていたが……東堂刀華の視点は、他の誰とも違った。

 

「当たり前の事に気付くのに、一年かかってしまいましたけど。

 もう彼は、破軍学園の事なんて何とも思ってないか、嫌いになってしまったかもしれないけど。

 それでも、今からでも……私は、彼の事を知りたい。仲良くなりたいと、そう思ってるんです」

「……流石です。東堂会長。きっと……貴女の強さは、そういう所にあるんでしょうね」

 

 心からの尊敬を込めて、黒鉄一輝はそう感嘆の声を漏らした。

 《七星剣武祭》代表メンバーの団長が、東堂刀華で良かった。この優しい少女で良かったと、素直にそう思ったのだ。

 

「ただ、まあ……仲良くなる方法が、ちょっとアレだとは思いますけど」

「そ、それは……! わ、私なりに参考文献を読みこんだ結果でしてね!?」

「参照元が悪いと思います。その文献、絶対に査読(さどく)通ってないですよ」

 

 そう言って、黒鉄は改めて東堂刀華の格好を眺める。

 

 淡いピンクの、もこもことしたルームウェア。

 だぼっとした上着は生地の重みで襟元が大きく開いており、彼女の豊かな胸元が谷間を覗かせている。下は同素材のショートパンツを穿いているが、上着の裾に隠れているせいで殆ど見えない。むき出しになった白く滑らかな太ももが、やけに目に眩しかった。

 

 正直に言って、今の東堂刀華はかなり目に毒な格好をしていた。

 

「……その服も、雑誌に書いてあったんですか?」

「え? いえ、これは単に私の部屋着ですが……? 『パジャマで行くと距離が縮まる』と書いてあったので」

「……後で焚書(ふんしょ)しましょうか、それ」

 

 己の無防備さが良く分かっていなそうな東堂に、黒鉄はこめかみを押さえた。

 生来の人の()さと天然のせいなのか、幼い頃から弟代わりの幼馴染がいたせいなのか。東堂刀華の男性との距離感はかなりバグっていた。こんな格好で夜に男の部屋に行くなど、青少年の何かが危ない。

 

「えー……、まあ、甘木くんも留守だったようですし。帰りましょうか、会長。僕の方も、もう追ってきてないみたいですし」

「うーん……。ちょっと残念ですけど、しょうがないですね」

()()だったと思いますよ……とんでもない事故が起きていたと思うので」

 

 そう言って、黒鉄たちがそれぞれの自室へ戻ろうとする―――

 

 

 ―――刹那。爆発的に膨れ上がった剣気が、二人の背筋を凍らせた。

 

 

「「―――ッ!?」」

 

 共に超一流の伐刀者。東堂も黒鉄も、一瞬で霊装を手元に顕現させて身構える。

 

「東堂会長、今のは……!?」

 

 距離は遠い。だが、あまりにも濃密で獰猛な殺気。戦闘者であれば決して無視できないそれが、二人の意識のギアを一瞬で切り替えさせた。油断なく己の刀を構え、殺気の出どころを探る。

 

「く、黒鉄くん……! 窓の外を見てください!!」

 

 そう言って、東堂刀華が窓の外を指さした。

 遠く離れた海岸際。そこに、砂や海水を巻き込みながら天空へと昇る龍の姿があった。雲すらも突き破り、月へと首を伸ばした巨大な竜巻。

 

 それが幾つも現れたかと思えば、徐々にその威容が一点へと集中していく。

 

 制御できずに霧散したのか? いや、違う。バネが跳ねる前に縮むように、ただ一撃の為にその身を凝縮させたのだ。遠く離れたホテルに居るはずの東堂たちでさえ、ぐらりと引き込まれそうになるほどの空気の断層があの海岸には()る。

 

「あれは……ッ、あれは、兄さんの伐刀絶技だ……!!」

 

 戦慄と共に、黒鉄一輝が(うめ)くようにそう口にした。

 

 その後も、目まぐるしく状況は推移していった。

 スマホから鳴り響くA級魔術を感知したアラート音。暴風と極光。その両者が喰い合い、極光がひと(きわ)強く輝いて(はじ)ける。

 

 ……『大会規則違反の疑いによる各選手自室待機のお願い』という通知がポコンと音を立てるまで、東堂刀華と黒鉄一輝は茫然としていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ―――《風の剣帝》黒鉄王馬。

 規則範囲外の私闘、および魔力騒乱罪により失格。

 

 そのニュースは早速、各局のニュース番組を大いに騒がせていた。

 当然ながら、王馬の所業は《七星剣武祭》出場選手として言語道断である。しかし、どのテレビ番組も積極的に彼を叩こうとはしない。既に全てのマスコミへ、月影獏牙による情報操作が入っているのだ。

 

 死を覚悟した王馬の遺した手紙と、『第三者の干渉無しに、本気で戦いたかった』というある種戦闘者としては純粋な願い。元々、勝敗に関係なく《七星剣武祭》は辞退するつもりであった事。

 

 このあたりの材料を軸に、政府の息がかかったコメンテーターが擁護論を展開することで、黒鉄王馬の犯罪行為は『若気(わかげ)の至り』と()り替わる。大衆の意識は徐々に、"若い頃はそういうヤンチャするもんだよなぁ"と許す方向へ移り変わっていた。

 

「……………まったく、王馬お兄様は…………!」

「ま、まあまあ、珠雫。僕はすごく兄さんらしいと思ったよ。あの人ならそういう事をする。間違いなく。むしろ、兄さんが昔と変わってなくてちょっと安心したかも」

「私は全く安心できません!!」

 

 そう言ってプリプリ怒る黒鉄珠雫。

 一応尊敬している黒鉄家長男が、普通に法に引っ掛かるとんでもない大やらかしをしたのだ。珠雫からすれば怒って当然である。《天譴》が手加減を誤れば死んでもおかしくなかったのだ。あまり家族に心配をかけないで欲しい。

 

「……それより。ねえ珠雫、次の試合は大丈夫なの?」

 

 親友の試合を心配して、有栖院凪がそう声をかける。

 

 既に《七星剣武祭》第二回戦は始まっている。

 先ほど行われたAブロック二回戦第一試合では、《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンと《道化師》平賀玲泉が激突。会場周辺の廃車やスクラップを糸で組み上げて操る平賀の《機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)》を、ステラが力を込めた咆哮である《暴竜の咆哮(バハムートソウル)》で吹き飛ばして勝利した。

 

 渾身の伐刀絶技をただの雄叫びで消し飛ばされた平賀玲泉は、負け惜しみなのか最後までニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら降参し、退場していった。内容としてはステラの完全勝利だ。

 

 しかし、有栖院凪がそれよりも気になっているのは珠雫の第二回戦。

 リングの修復と、黒鉄王馬の反則負けにより急遽用意された休憩時間が終われば、それがついに始まってしまう。

 

 あの《凶運(バッドラック)》、紫乃宮天音との試合が。

 

「……あくまで推定とはいえ、『己の願いを叶える』なんてメチャクチャな伐刀絶技。本当だとしたら、対策のしようが無いわ。大丈夫なの、珠雫?」

 

 運命を望むままに操る、底知れない因果干渉系能力。そして、あの"壊れている"としか言いようのない、薄気味悪い紫乃宮天音の言動。珠雫の親友として、有栖院が不安に思うのは当然の事だった。

 

「……ええ。大丈夫よ、アリス」

 

 そんな有栖院の心配へ、珠雫は気丈な笑みを返す。

 

「事前に能力の種がバレたのが運の尽きね。攻略法は思いついた……紫乃宮天音は、()()()()()()()私が倒します」

「―――――」

 

 その笑みは。有栖院凪ではなく《黒の凶手》にとって見慣れた笑みだった。いつもの珠雫の笑顔ではない。もっと禍々しい、何かドス黒い覚悟を決めた顔。

 

 瞬時に感じ取った違和感に、有栖院の脳内がバチバチと音を立てて動き出す。

 紫乃宮天音の能力は強力無比で、単純な力押しでは攻略法が見当たらない。そして彼の様子は明らかに常軌を逸しており危険。そして紫乃宮天音が勝ち上がれば、恐らく次は黒鉄一輝と当たる。

 

 何より。

 この少女にとっての第一優先事項(トッププライオリティ)は、実兄である黒鉄一輝の幸福である。

 彼女にとって、今できる『兄の幸福のため』の最善とは何だろうか?

 

「では。私はお先に待機室へ移動しておきますね」

「え、もう? 少し早い気がするけど……まあ、用心しておくに越したことはないか」

「ええ。彼の能力を鑑みれば、そもそもリングに辿り着けないなんてことは十二分に考えられますからね」

 

 そう言って、珠雫は試合前の待機室へ移動しようとする。

 その横顔に満ちた覚悟を見て、有栖院は彼女がやろうとしている事に勘付いた。

 彼女の笑みが何に似ているのか、やっと思い出したのだ。

 

 

 ―――自爆覚悟の特攻。それを仕掛ける孤児たちが、よく浮かべていた種類の笑みだ。

 

 

「珠雫、ダメ――――」

 

 制止の言葉は既に遠く。

 黒鉄珠雫は、一度も振り返らずに控室へ歩いて行った。

 

 

 ◆

 

 

『さあ!! 見応えのある熱い試合を終え、ただいまリングの修繕も完了いたしました! 観客の皆さま、お手洗いは済みましたかぁ!? これから先は一瞬たりとも見逃せませんよぉ! 遅れてる方が居たらご愁傷さまです!!』

 

 ワハハ、と司会のくすぐりに良い反応を返す観客の笑い声を聞きながら、黒鉄珠雫はゆっくりと精神を集中させていた。

 

 黒鉄珠雫は、実兄である黒鉄一輝を愛している。無論、異性として。

 兄の事を考えるだけで心が温かくなる。彼が幸せそうにしているだけでこちらも嬉しくなる。幼い頃から己を可愛がってくれた兄の事を、心の底から大事に想っている。

 

 ―――黒鉄一輝のためなら、黒鉄珠雫は何でもできる。

 

 

 ()()()()、だ。

 

 

『波乱続きの《七星剣武祭》二日目、今日は素晴らしい晴天に恵まれております! 夏の熱気に包まれ、選手たちのボルテージも最高潮へ達している事間違いなしです!! それでは、Bブロック二回戦、第一試合を開始していきましょう!! 選手、―――入場です!!』

  

 

 実況席からの合図に(こた)え、珠雫はゆっくりと青ゲートへ身をくぐらせる。

 

 

『青ゲートから入場してきたのは破軍学園の新星!《深海の魔女(ローレライ)》黒鉄珠雫選手です!! 一年生ながら《選抜試合(セレクトマッチ)》を勝ち抜き、《七星剣武祭》代表メンバーの座を射止めた麗しき才媛! そのクールな美貌と卓越した魔術の腕前に、既に多数のファンが出来ております!! 晴れわたるような本日の空の(もと)、深海が全てを呑み込むのか!!』

『あの黒鉄家のご令嬢ですね。幼い頃から鍛えているだけあって、将来はAランク騎士も狙える優秀な伐刀者です。破軍学園から一年生での出場と言えば、去年の《天譴》選手を思い出しますね。彼女がどこまで行けるか、非常に楽しみです』

 

 

「(……"黒鉄家"、か。王馬お兄様にも、お兄様にも届かない中途半端な身ですけど。ハッタリ程度になってくれるなら幸いですね)」

 

 実況解説陣がそう盛り上げるのを聞きながら、黒鉄珠雫は内心でそう考える。

 

 黒鉄珠雫は、己に戦闘者としての才がさほど無い事に既に気付いていた。

 ()()なのだ、珠雫は。何でもできる。魔術も、武術も、政治も、権謀術数も。ありとあらゆる事が満遍なく出来て、だからこそ突出した強みが無い。長兄や次兄のように、『己には(これ)一つあれば良い』と突き詰める物が無い。

 

 何でも一流レベルにこなせるが、"超一流"には僅かに届かない。それが今の黒鉄珠雫だ。

 

 更に言えば、『強くなって成し遂げたい望み』というのも実のところ無い。彼女にとっては"最愛の兄が幸せになる事"が全てであり、それは『戦闘能力』以外の物で十二分に達成できる。才能の根幹が"好き嫌い"であるなら、これもまた超一流の戦闘者になるには致命的だ。

 

 異なる世界線において珠雫は最終的に"治療師"としての道を選ぶが、これも『傷付いた兄を癒してあげたい』という願いによる物。硬く鍛え上げて隣に立つより、柔らかく後ろで支える方を彼女は選ぶ。

 

「(……でも。今は、それでいい。私の万能で、お兄様の敵を打ち負かす)」 

 

 本当は、《天譴》甘木悠を相手に出来れば一番良かったのだけれど。()()にも、トーナメントの(みょう)によってそれは叶わなかった。だが、これはこれで構わない。紫乃宮天音は、明らかな危険人物。そしてその能力も、比類なく強力な物。彼を黒鉄一輝に近付けさせないために、己はここに配置されたのだ。

 

 冷徹に、周囲を観察する。観客。司会。実況。仲間の姿を見て、まずは一つ安心する。

 

 そして―――赤ゲート。己の対戦相手を、キッと強く見据える。

 フラフラとした気だるげな足取りで、金髪の小柄な少年が入場してきた。

 

 

『そしてそしてェ! 赤ゲートから入場してくるのは暁学園一年。《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音選手です!! 一回戦では対戦相手である《白衣の騎士》薬師キリコ選手が、自身が受け持つ入院患者の容体急変により棄権。実質的に、今日この試合が彼にとっての初試合となります!! 一体どのような力を魅せてくれるのか、これは目が離せません!!』

『公式試合において、天音選手はこれが初出場ですか? 《凶運》の二つ名に相応しい運勢の持ち主というか……確かに、これはどのような試合になるのか目が離せませんね』 

 

 

 珠雫に比べるとやや少ない歓声を浴びながら、紫乃宮天音は静かに佇む。

 全てがどうでも良いと、心からそう言いたげな顔。それが気に入らなくて、珠雫はつい嫌味を飛ばす。

 

「どうも。こんにちは、紫乃宮さん。どうやら、私は()()()に出来なかったようで……。あらあら。貴方の能力というのも、案外大したこと無いんでしょうか?」

「…………、…………」

「……? ああ、そう言えばご本人がそう仰ってましたっけ? 自分の能力なんて大したことない、ゴミ、みたいな……。ですがまあ、今日は是非いい試合にしましょうね?」

「……、………………。…………」

「……ッ、ちょっと!? 何とか言ったら―――」

 

 本人を目の前にして、あからさまな無視。(うつむき)き気味に何かをブツブツと呟くばかりで、珠雫の言葉に僅かばかりの反応も見せない。不気味なその様子に、珠雫が肩をグイと掴んで―――そして、息を呑んだ。

 

「……父よ、私の願い通りではなく御心のままに……にも関わらず彼の最期は、"なぜ私をお見捨てになったのか(エリ、エリ、レマ・サバクタニ)"と……。エックハルトはこれを『自己放棄』と規定した。万物を創造し、世界に働きかける『神』は、いまだ被造物との関係性に縛られた仮象の次元に過ぎず、いかなる属性も意志も持たぬ沈黙の神性(ゴッドハイト)こそが至高の無で……」

 

 焦点の合わない濁った瞳。口から漏れ出る、言葉とも呪詛ともつかぬ何か。

 "この男は壊れている"。そう、一目で分かる異様さ。黒鉄珠雫の人生において初めて出会う狂人に、気圧(けお)されそうになる―――所を、彼女は持ち前の胆力でグッと(こら)えた。

 

「……フン。人の言葉を無視するとは、無礼な殿方ですね。私の無礼とこれでお相子(あいこ)です」

 

 掴んだせいでよれた彼の服を軽く整え、ポンと突き放す。

 肩を押されてヨタヨタとよろけた紫乃宮は、パチパチと目を瞬かせて周囲を見回した。

 

「人間の霊性を、人は知覚することが出来ない。だから僕は……おっと。何ここ? あー、はいはい。『《七星剣武祭》第二試合が始まる』のか。今の僕は、『能力との同調が深まりすぎて陶酔(トランス)状態になっていた』。なるほどねー」

「…………」

 

 妙な喋り方。所々、自分の意志以外の"何か"に喋らされているように、舌が不規則に動く。

 

「(そういえば、言っていましたね。『たかが156億2500万分の1を当てられない訳が無い』とかなんとか……。まさか、幸運に任せて喋る事で己の状況を把握しているというの?)」

 

 もし推測が当たっているのだとすれば、もはや因果干渉系能力の範疇に収まるかさえ怪しい無法な力だ。因果への直接接続。アカシックレコード。そんな言葉が脳裏に浮かんで消える。

 

「(……ここで当たれて幸運だった。兄様に届く前に、ここで私が確実に倒す……!!)」

「あーあ。じゃあまあ、やろうか」

 

 決意を込め、珠雫が己の霊装である小太刀《宵時雨(よいしぐれ)》を構える。

 対する紫乃宮も、剣型の霊装《アズール》をダラリと構えた。

 

 紫乃宮の様子に戸惑っていた実況が、彼らの意図を察して高らかに口を開く。

 

 

『え、えーっと……何やら試合前に良く分からないやり取りがあったようですが、しかしとりあえず両者気合は十分なようです!! ならば何も問題はナシ!! 両選手が開始線に立ち、試合開始の意志を見せました!! これより、《七星剣武祭》Bブロック二回戦、第一試合を―――開始しますッッッ!!』

 

『『『 ――――LET'S GO AHEAD!!!!』』』

 

 

 実況のコールに合わせ、観客たちが大声で叫ぶ。

 《深海の魔女(ローレライ)》黒鉄珠雫 対 《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音の試合の火ぶたは、このようにして切られた。

 

 

 ◆

 

 

「―――《水牢弾(すいろうだん)》ッ!!!」

 

 開始の宣言がされた瞬間、黒鉄珠雫が高らかにそう叫ぶ。

 全ての伐刀者がそれぞれに()る、まじないの言葉。珠雫の得意技、着弾すればひとりでに(うごめ)き相手の気道を塞ぐ水の弾。

 

 それが三連発、紫乃宮へ撃ち出され―――そして、彼の脇をすり抜けて壁に衝突する。

 

「うーん……シズクちゃん。お兄さんの言葉、あんまり聞いてなかったのかな?」

「いえ? ですが、何事にも検証は必要でしょう―――《血風惨雨(けっぷうざんう)》」

 

 サラリと紫乃宮の皮肉を受け流し、珠雫が今度は別の魔術を放つ。

 

 珠雫の背後が波紋を生じながら揺らぎ、無数の飛沫(しぶき)となって紫乃宮へ殺到する。珠雫の前方全ての空間を制圧する、機関銃のごとき一斉射撃。 

 紫乃宮の能力によって狙いが逸らされるなら、そもそも狙わなければいい。空間を埋め尽くす制圧射撃によって粉砕する。その気概と共に放たれた水圧の弾幕が、大瀑布(だいばくふ)となって会場を揺らす。

 

 ……だが。

 

「やっぱり聞いてなかったみたいだね。耳か頭、悪いのはどっちかな? なんて、ありがちな皮肉を言ってみたりして」

 

 紫乃宮に触れる弾のみが、パシャリと音を立てて砕け散る。

 珠雫自身の魔力制御エラーによって硬度を失い、ただの水飛沫となっているのだ。

 

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリ―)》による、相手の失敗(ミス)の誘発。僅かでも失敗の可能性が存在する限り、女神の手はそれを必ず引き寄せる。熟練した魔術使いである珠雫さえ、そのエラーからは逃れられなかった。

 

「棄権しておけば良かったのに。じゃ、終わらせよっか」

 

 そう言って、紫乃宮が両手に《アズール》を顕現させる。

 【前夜祭】作戦で、心を木っ端微塵に砕かれた時。己の人生全てを女神に捧げると決めてから、紫乃宮の能力はより()()した。さながら、(にえ)を得た神がより力を得るように。紫乃宮の人生全てを貰い受けた女神は、敬虔な信徒(紫乃宮天音)へ更なる寵愛を与えたのだ。

 

「……固有権利は、神の恩寵ではなく……人民が定めし、創世記第一章を根拠にした……」

 

 彼の瞳から光が消える。女神が、彼の身体を完璧に動かす。

 武術の達人を超える『完璧な』動きで、凶刃が縦横無尽に振るわれる。力の入れ方、抜き方、刀線刃筋。どれを取っても一級品。それが、最も珠雫にとって対処に困る角度から飛んで来る。

 

「ク、ぅ――――ッ!!」

『ああーっとぉ!? これは一方的だァーッ!! 凄まじい連撃! 紫乃宮選手の攻勢が珠雫選手を捉えます!! 防ぐ……が、防ぎきれないッ!! 全身に傷が刻まれていきますッ!!』

 

 紫乃宮の動きが冴え渡っているだけでは無い。反対に、黒鉄珠雫の動きはどこまでも鈍い。

 避けようとした足がもつれる。リングの亀裂に(つまず)く。目に埃が飛んで来る。ありとあらゆる"不運"が珠雫を襲い、十全な動きを阻害する。

 

 薄皮一枚で避けれたはずの剣が、珠雫のミスによって肉を断つ。踊るように二刀を振り回す紫乃宮の動きは達人のそれで、反撃の隙が中々掴めない。女神の寵愛が、紫乃宮を勝者へと引き立てようとする。

 

 

『珠雫選手、必死に避ける、避ける、避けるゥゥウウウウウ!! だが、誰がどう見ても防戦一方!! 紫乃宮選手の振るう二刀が斬撃の結界となり、珠雫選手を逃がさないッッ!!』

『珠雫選手にも、小太刀に水圧の刃を纏わせる《緋水刃》などの近接用魔術はあるはずなのですが……これは、紫乃宮選手が上手い、という形になるのでしょうか? 珠雫選手の動きが悪いようにも見えますが、とにかく上手くペースを握られてしまっています』

 

 

「(―――本当に、イヤになりますね)」

 

 引き延ばされていく体感時間。流出していく血液の様子が、水使いである珠雫には良く分かる。己の命の残量が刻一刻と減っていくのを感じながら、珠雫はぼんやりと物思いにふけっていた。

 

「(才能なんて、天気と同じです。乾き切った大地の所には一滴も降ってくれないくせに、もう溺れかけている人の頭上には、呪いみたいな豪雨を降らせる。《天譴》とお兄様の才能が真逆だったら、もっと話は簡単だったのに)」

 

 己の兄である黒鉄一輝は、戦闘以外ならどの道でも大成出来るだろう才を持って生まれて来た。

 彼と《天譴》の素質が反対であったなら、恐らく、どちらにとっても幸せだったのではないだろうか。

 

「(もし神様がいるなら……きっと、すごく残酷な人です。笑っちゃうくらい。

 この世界は本当に……不公平で、理不尽で。思うように行く事なんて、何一つ無くて……!)」

 

 怒りが、彼女の身体を動かしていた。何に対する怒りなのかなど、彼女自身にも分からない。

 

 尊敬する兄の愛情に、ただ甘えていた自分に。『Fランク騎士』である兄が、黒鉄家でどのような扱いを受けて来たか。多くの親戚が集う会合の中に。自分たちが当たり前に受ける剣や魔術の講習を、遠目から見つめる瞳の中に。広い屋敷の中、ようやく見つけた兄のふとした横顔に―――ありとあらゆるところに、珠雫の敵は存在した。

 

 訳の分からない不条理な怒りが、彼女を突き動かしている。

 血液が、ぎゅるりと音を立てて巻き戻った。

 

 

「……だからといって。『はい、そうですか』と諦める理由には、ならないんですよ……ッ!!」

「―――――――!」

 

 

 ピ、と紫乃宮の頬に赤い線が走った。

 今試合初めての負傷。だが、それを成した珠雫を実況が褒める事は無い。

 

 

『う……嘘だろォオオオオオオオオオオッ!? し、珠雫選手……()()()()紫乃宮選手を撃ち抜いたァッ!! 弾は、彼女の……ど、胴体を貫通してるぞォオオオオオオッ!?』

 

 

 彼女の放った《水弾》は、己の身体ごと紫乃宮天音を貫いたからだ。

 

「えへ……。これが私の考えた、《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリ―)》の対処法。()()()()()()()()()なら、貴方の女神は叶えてくれるでしょう?」

 

 口の端から血を零しながら、黒鉄珠雫はそう言って笑った。

 別世界線で、『己の失格を覚悟して待機室の紫乃宮天音を奇襲する』という珠雫の願いを、女神が見逃したように。《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリ―)》は、"相手の自滅"には非常に寛大だ。

 

 己ごと撃てば。こちらの方が重傷を負うような魔術を撃てば、女神はその邪魔をせず、むしろ成功を補助しさえする。それは、信徒の勝利へ近づく物なのだから。

 

 与えられた手札が足りないのなら。

 足りない分は、この血の一滴、骨の一片まで搾り尽くして補うしかない。

 

「……バカじゃないの? 女神が許すダメージレートは10対1にも満たない。僕にかすり傷を付けるために、君は胴体に風穴をあけた。勝てる見込みがゼロすぎて、笑う気にもなれないよ」

「あは……、知らないんですか? 今の破軍学園では、根性論がブームなんですよ」

 

 血の気の失せた蒼白な唇で、黒鉄珠雫は強気に吠える。

 自滅など承知の上だ。彼女の目的は、『紫乃宮天音を道連れにすること』。その為なら、自分の命なんて投げ捨てたって良い。

 

 ダメージレートが10対1 ? なんて()()()なんだろう。

 10回死ぬような傷を耐えれば、この男を道連れに出来るという事ではないか。

 

 

「じゃあ―――我慢比べ、付き合ってくださいね」

 

 

 ドクン、と。致命傷であるはずの胴体の穴から、赤黒い飛沫が異常な圧力で噴き出した。

 しかし、その血液は重力に従って地面に落ちることはない。宙に浮かび上がった無数の血の雫は、珠雫の意志に従い、鋭利な赤い槍となる。

 

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》の攻略法がもう一つ。

 因果を操る能力には、操作範囲や操作対象に限界がある。薬師キリコの担当患者を、彼女と直接顔を合わせなければ(あやつ)れなかったように。

 

 水を操る自然干渉系能力者である黒鉄珠雫の血液は、それ自体が一種の魔力触媒だ。彼女の魔力で満ちた血液は、珠雫にとっては非常に扱いやすく、一方で紫乃宮にとっては因果に干渉し辛い……はず。完全に推測と願望だけで行った無茶だが、血槍を形成できたなら正解だったようだ。

 

 

『これはァアアアアアアッ!! 清廉な水使いから一転、これは、相手を呪い殺そうとする珠雫選手の執念だァ!! 自らの命を削って造り出した真紅の槍群が、紫乃宮選手を完全に捕捉しているゥウウウウッ!!』

 

 

「―――《紅血穿雨(こうけつせんう)》」

 

 血を吐きながら、珠雫は残された最後の気力を振り絞り、腕を真っ直ぐに振り下ろした。

 宙に浮かぶ無数の紅い槍が、弾かれたように紫乃宮へと殺到する。

 

 珠雫の身体ごと貫く軌道。"自滅"という対価を女神へ捧げた真紅の豪雨が、紫乃宮への身体へと迫り―――。

 

 

「……《過剰なる女神の溺愛(ブラインド・アフェクション)》」

 

  

 パシャリ、と力を失って霧散した。

 

「はぁ。何から言えば良いかな……。まず、『僕の能力を過小評価しすぎ』って事かな?」

 

 ポン、ポンと紫乃宮天音が手にした《アズール》を手慰みに投げながら珠雫へ近づく。

 

「"自滅なら女神が許す"とか……いつの話をしてるんだよ。チャンスは一回。僕の頬に傷をつけたあの一回で決めなきゃダメだったね。あれで女神様は"学習"した。じゃあ、もう二回目以降はダメだ。僕への害は弾かれる。今みたいにね」

 

 その言葉に、黒鉄珠雫が返事をする事は無い。

 総血液量の30%以上を失った彼女は脳への酸素供給が不足し、失神寸前の状態へ陥っているからだ。辛うじて倒れていないだけで、もはや明瞭な思考を紡げる段階には無い。

 

「伐刀者の血液は魔力を含んでいるから因果を動かしにくいってのも……まあ、大分(だいぶ)穴だらけの理屈だよね。自分でも分かってたと思うけど。あ、そうそう。キリコさんの患者を動かしにくかったのは、()()方向に力を使ったからさ。往々(おうおう)にして、作るより壊す方が簡単だからね」

 

 つらつらと、紫乃宮は種明かしを続ける。

 無謀にも頑張った彼女へ、せめてアドバイスをしてあげたいという善意の下に。

 奇跡の恢復を起こすには、『目の前にいる対戦相手の担当患者』レベルにまで因果を結ぶ必要があっただけだ。不幸な事故を起こすだけなら、今の紫乃宮天音はほぼ全世界を対象に収めている。

 

「……最後。このトーナメント表になった理由が一つ分かったよ。君を、()()()()()()()()()()()だ。中途半端に強くて、諦めが悪くて、自爆覚悟の戦法を取る。善意100%で言うけど、君みたいな相手が一番ダメだ。()()()よ。《天譴》は、殺すべき相手はちゃんと殺せる人だ。特に仕事中の彼は、試合がグダる程度の理由でも躊躇わない。君、"運が悪かったら"殺されてたよ」

 

 《青色輪廻》という、自らを水に変える事で物理攻撃を無効化する伐刀絶技を黒鉄珠雫は使えるらしい。今、女神が教えてくれた知識を元に紫乃宮はそう語る。

 

 勿論、その程度で《天譴》が苦戦する事は無い。だが同時に、手加減する理由も無い。

 『殺したくない』と『次の試合に向けて手札を隠しておかなければ危うい』を彼が天秤に載せ、万が一にも後者へ振れれば、彼は《実像形態》の使用を躊躇わないだろう。0.000000...%程度の確率だが、しかし僅かにでもあり得るのだ。

 

 

「結論。勇気なんて、出さない方が幸せだよ。身の程を知って生きると()い」

 

 

 そう言って、紫乃宮は珠雫の身体をポンと優しく押した。試合前の意趣返しのように。

 既に気絶していた黒鉄珠雫は抵抗せず、ドチャリと音を立てて血溜まりに倒れ伏した。目の端に涙らしき物がキラリと光って、しかしすぐに血に混じって消えていく。

 

 

『しょ……勝負ありィイイイイイッッ!! 主審が試合終了の合図を出しました! 救護隊が担架を持って駆け込んでゆきますッ!! 未知数の実力であった紫乃宮選手、ついにそのベールを脱ぎましたァアアッ!! 珠雫選手の執念を物ともせず、完封勝利!! 暁学園からはこれで二人目の勝ち残りです!!!』

 

 

「伐刀者は頑丈だ。迅速に救護されれば死にはしないよ」

 

 そう言って、紫乃宮は試合ゲートへと歩いて行った。

 何の感動も、感慨も無い。()()()()()()()()()()()()()、すごく頑張っていた黒鉄珠雫を憐れむ程度だ。さっさと折れた方が幸せになれると思い、つい口出しをしてしまった。

 

「人の霊性を、人は知覚することが出来ない。……故に僕は、地上の国を諦めた」

 

 幸福は遠く、神の御国(みくに)にある。

 敬虔なる女神の信徒である紫乃宮天音は、そう呟きながら暗がりへと姿を消して行った。

 




 
・没ネタ
 珠雫が死亡前提の大技を放ち、『黒鉄家長女の死亡事故』という特大スキャンダルを元手に《連盟》の介入を誘発。紫乃宮天音を事情聴取の上『悪質な能力行使による殺害』として失格処分とすることを狙う"ジャッジキル戦法"を取るというネタがありました。もちろん失敗しますが。
 
 魔術・体術のみならず政治に精通し、『目的のためには何を使ってもいい』と考える彼女独自の戦闘論理が出ていると思い、良いアイディアだと気に入っていたのですが……『いや、普通に引くな……?』と思い没にしました。その一部は今回の自爆戦法に受け継がれています。

 投稿が遅れたのはかなり進めていたそれを書き直していたせいです。もったいないので没ネタとして供養させていただきました。申し訳ありません。
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