落第騎士の英雄譚 意識低い系風味   作:一般落第騎士

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第十九話

  

 

 よく晴れた日の、午前10時過ぎの事である。

 

「へえーっ…。なるほど、ダイエットの為に剣を……」

「ええ。お菓子の食べ過ぎで太らないよう、母が勧めてくれたんです」

 

 俺は、おしゃれなカフェのテラス席で紅茶を飲んでいた。しかも、俺一人では無い。向かいには、浮世離れした雰囲気を持つ白髪の美女が座っている。

 

「単なるエクササイズで、別にフットボールでもヨガでも何でも良かったんですが……なぜか、妙に才能があったみたいで」

 

 テーブルに大量のケーキを載せ、優雅にコーヒーを嗜む麗人。

 

 彼女こそ、《契約》の異能者として呼ばれた月影総理の客人。

 『世界最強の犯罪者』、《比翼》のエーデルワイスさんである。

 

「……"剣で立身出世しよう"とか、別に考えてなかったんですけどね。状況に流されるうちに、あれよあれよと『世界最強の犯罪者』なんて言われるようになってしまって……道を誤りました」

「へえー……じゃあ、あれは何でなんですか? "バルト危機"でしたっけ? 《同盟》と《連盟》が第三次世界大戦寸前まで行ったところを、エーデルワイスさんが全員ボコボコにして全部メチャクチャにしたっていう」

「あれは……。軍隊が布陣した所が、ちょうど私の故郷だったんです。故国であるエストニアが、勝手な政治の都合で戦場にされるのが許せなくて……。つい、やりすぎてしまいました」

「すげ……」

 

 世界二大勢力を散々にボコっておきながら『やりすぎた』で済ませる胆力に恐れおののく。流石は世界最強の犯罪者、パワーが違うぜ。

 

 ……そもそも。

 何故、俺とエーデルワイスさんが二人でお茶会をしているのか。

 

「二人とも、大丈夫ですかね……?」

「月影先生も桃井さんも、共に伐刀者です。()()()()()()()()程度、長引きはしないでしょう」

 

 本来互いの相手をするはずだった二人が、共にぶっ倒れてしまい。双方、唐突に暇を持て余してしまったからだった。

 

 回想。

 

 ◆

 

 前回。王馬さんとの決闘で、俺は『まあええやろ』の精神で《絶滅領域》を使ってしまった。

 当然ながら良い(わけ)がなく、総理のメッセンジャーと化した桃井から『ちょっとウチの総理と"(はなし)"してくださいよォ……(ねっとり)』と頼まれる事に。いや、こんな言い方では無かったけども。

 

 いつまでも秘匿しておける物では無さそうだし、そろそろ総理への信頼も深まってきた頃。あと、最小限に抑えてこの有様なので、ずっと秘密にしてたら今後動きづらいなと思ったのも半分。熟慮の末、俺は墓まで持っていくつもりだった己の伐刀絶技、《選別する楽園(レマ・サバクタニ)》の開示を決断した。

 

 そして今朝。

 俺は月影総理に、己の抱える異能を全て打ち明けた。あとついでに、頭の良い桃井にも。

 

 

 その結果。

 二人は過度のストレスでダウンしてしまった。

 

 

『あの……今日一日(きょういちにち)、私は寝まくるんで……。なんかあったら留守電かLINEにお願いするっす。ドカ食い気絶部して何もかもを忘れたい気分なので……。総理、自分もそのお酒いただいて良いっすか? それ高いやつなの知ってるんすよ』

『ダメです。これは一本丸ごと私が吞みますから。お二人とも、申し訳ないですが本日はこれにて。……6時間で復帰してみせます。ちょっと……ちょっと、休ませてください』

 

 と言うような感じだ。エーデルワイスさんに『《契約》の応用で"特定の条件を満たすまで忘れておく"みたいな事出来ないっすか?』と聞いて、『無理です……』と返されて落ち込んだりもしていた。

 

 ……まあ、そりゃそう。普通に、俺の知る限りの情報を全部ブチまけたからね。

 

 そうして政治コンビの二人がダウンしてしまったので、俺とエーデルワイスさんの戦闘力コンビは完全に暇になってしまった。ほな解散か……と思っていたら、エーデルワイスさんから『少しお茶でもしませんか』と誘われ、今に至るという訳である。

 

 ◆

 

「それにしても、月影先生があんなに取り乱すのは初めて見ました。私は《無欠なる宣誓(ルール・オブ・グレイス)》役として呼ばれただけで、詳しい内容は知らないのですが……あれほどショックを受けるような異能だったのですか?」

「……えー、まあ……そこらへんは、企業秘密ということで……」

「むぅ……。この国の言葉で『蚊帳の外』という奴ですね。寂しいです」

 

 そう言って、エーデルワイスさんが可愛らしく頬を膨らませる。

 なんと言うか……事前情報とは全然違う、幼さというか愛嬌がある人だな。『世界最強の犯罪者』という触れ込みとはえらい違いだ。

 

「今教えてくれたら、初対面の時斬りかかろうとしてきた無礼はチャラにしてあげますよ?」

「え゛ッ……いや、それは本当に申し訳ないんですけど……それとこれとはまた別枠というか……ホント、謝るので勘弁してください……」

「むむむ」

 

 あと、実際には斬りかかってないし……。

 桃井にさんざん事前忠告を受けていたので、刀を抜くような真似はしていない。ただ、『世界最強の犯罪者』という肩書を聞いた時、一瞬、『あれ、これ斬らなくてホントに大丈夫なのか?』と思ってしまい、僅かな剣気を読み取られてしまったのだ。

 

 その後、桃井から事情を聴いたり本人と話したりしてみると、エーデルワイスさんは意外と普通の人だった。短慮を起こさないで本当に良かった。『世界最強の犯罪者』と聞いてもっとイカれた性格(平賀みたいな)を想像していたのに、普通に涼やかな見た目の美人さんだし。

 

「全員平等の星に住む女、リン。通称スターリン」

急にどうしました!?

「教えてくれずに寂しかったので、小ボケを挟んでみました。どうですか、甘木さん? エーデルワイスが寂しがっていますよ」

「……は、犯行予告……?」

「違います」

 

 そう言って、眉をひそめながら砂糖を山ほど入れたコーヒーを啜るエーデルワイスさん。

 だいぶ……だいぶ、事前の触れ込みとは違って愉快な人だな!?

 

「……すみません。冗談です。()()に出会ったのが嬉しくて、ついはしゃいでしまいました」

「独特なはしゃぎ方でしたね。……って、同類?」

「はい。月影先生から聞いています。あなたは特に野望も無く願いも無く、己の騎士道も持たず、ただ流されるままに力を振るっていると」

「酷い言われよう」

「先生は褒めていましたよ。……実際、甘木さん。あなたが剣を振るうきっかけは何でしたか?」

「……しゅ、就活……」

「じゃあ合ってるじゃないですか。ちなみに先程言った通り、私はダイエットです。その辺りが"同類"だと言った理由ですよ」

 

 人通りの多いおしゃれなカフェで、エーデルワイスさんは事もなげにそう語る。

 

 周囲の人々も店員も、皆俺たちに気付かない。そういう風にしているから、そのようになる。注文の品を届けに来る店員でさえ、俺たちの事を記憶に留めておけない。ケーキを置いた数瞬後には存在を忘れている。

 

 そういうことが、俺とエーデルワイスさんには出来るのだ。

 

「貴方と私は同じです。とても強くて、だけど、その強さの"使い道"が無い」

 

 ショートケーキを口にしながら、エーデルワイスさんはそう言った。

 

「……私に剣を教えてくれた師匠は、『黒鉄龍馬』という方なのですが……だいたい、3か月くらいですかね。その頃には、もう私の方が強くなっていました。彼が老いていたというのもありますけど」

「…………」

「"剣というのは思いのほか簡単なんだなぁ"と、私は子供心に思ったものです。まさか自分に剣を教えてくれた人が、世界に名だたる《大英雄》とは思いもせずに。"まあ、そこそこ強くなれたのかな?" なんて考えたりして。我ながら気楽なものでした」

 

 ピクリ、とエーデルワイスさんが出した名前につい反応してしまう。

 《大英雄》黒鉄龍馬。第二次世界大戦において、日本の敗北を防いだ超一流の伐刀者。あの黒鉄家が武門の名家となるきっかけを作った超偉人だ。老境に各地を放浪していたという話だが、エーデルワイスさんとも関係があったのか。

 

 ……《大英雄》の教え子が『世界最強の犯罪者』って……黒鉄家からしたら大スキャンダルだよな。普通に知りたくなかった。

 

「……聞きたくなかったです……」

「あら。それは失礼しました。まあ、ほぼ公然の秘密のような物なのでそこまで気にせず。世界の上位層はそれなりに知っていますよ」

 

 俺の抗議をさらりと流し、彼女は話を続ける。

 

「私の名が売れるきっかけとなった“バルト危機”の時も……正直、私は勝てるなんて思ってなかったんです。『どうせ戦火に巻き込まれるなら、せっかくだから滅茶苦茶やって死のう』と、意趣返しのつもりで。そうしたら、なぜか不思議と勝ってしまいましたが」

「ええ……」

「私たちは()()()()()()()でしょう。何の理屈もなく、ただただ強い。気付けば覚醒して、大したイベントも無しに、勝手に強くなっていく」

 

 優雅にコーヒーを啜りながら、エーデルワイスさんはそう言った。

 

「《覚醒(ブルートソウル)》も……終わってしまえば、あっけないものでしたしね」

「ぶる……?」

「ああ……いえ。何でもありません。ただ、何と言えばいいのか……強烈なエゴ抜きに、『こうしたい』と思うだけで強くなれるような。そういう"例外"も居るということです」

 

 そう良く分からない事を言って、エーデルワイスさんはケーキを口へ運んだ。

 

 ……彼女の言いたいことが、実際のところ俺には()()()()()

 

 特に何の理由もなく強い。他の人が必死にやっている事が、ほんの片手間で出来る。

 虎が強いのは、もともと強いから。騎士道を持たない、不条理で規格外な強さ。生まれ持った天賦の才。それが、俺と彼女を『同類』として結びつけるものなのだと。

 

 カツン、とフォークが皿に衝突して音を立てた。

 十皿以上あったケーキたちは、すべて彼女の腹に収まってしまったらしい。

 

「……食べ終わってしまいました。この国は良い国ですね。ケーキが美味しい国はそれだけで良い国です」

「あ、あー……。追加注文します?」

「いえ。全種類制覇してしまいました。別の店に行くのもなんですし……どうしましょう?」

 

 そう言って、彼女は何かを試すように俺のほうを見据える。どうしましょう、と言われてもな……俺はこの後、普通にホテルに戻ってゴロゴロするつもりだったのだが。

 

「……満腹ですね……。困りました。腹ごなしをしないと、お昼ご飯が食べれないかもしれません……」

「え……? 良く分かりませんが、とりあえず、じゃあ、解散しましょうか?」

「甘木さん。まったく、鈍い方ですね。私が何を言いたいか、ホントに分かりませんか?」

 

 エーデルワイスさんが俺をジッと見つめる。

 『どうですか。エーデルワイスが困っていますよ』と、その眼が雄弁に語っている。

 

 あと、視界の端で、付箋が大量に付いたガイドブックをチラチラさせてきている。

 

 ……だいぶ……だいぶ、思っていたより愛嬌のある人だなぁ!!

 

「えーっと……せっかくですし、どこか遊びにでも行「良いですね。私、"ラウンドワン"というところに行ってみたかったんです。スポッチャなるものが楽しいようで」返事早っ」

 

 食い気味に被せられた。

 

「オオサカ、ドウトンボリ、タコヤキ……。他にも行きたいところが沢山あります。本来は月影先生やリンナの監視下で遊ぶ予定だったのですが、しかし折角出会った同類さんに誘われてしまっては仕方ありませんね」

 

 ウキウキと会計を済ませて(さり気なく奢られてしまった)身支度をしているし、これ相当日本観光を楽しみにしていただろ。月影総理がダウンして一番残念だったの、実はこの人だったんじゃないか?

 

「安心してください、同類さん。私の計画は万全です。まずはタコヤキの食べ比べから行きますよ」

「お、おのぼり観光客……。というか、さっきお腹いっぱいって言ってませんでした?」

「記憶にないです」

 

 シレっとした顔でそう語るエーデルワイスさん。

 世界最強の犯罪者、《比翼》のドキドキ弾丸大阪観光ツアーが幕を開けた瞬間であった。

 

 

 『旅行するのは本当に久しぶりです』、とエーデルワイスさんは言った。

 実際、何の誇張もなく、一挙手一投足で世界が動く立場にある人だ。その通りなのだろう。

 その鬱憤(うっぷん)を晴らすつもりなのか何なのか、彼女は大いにはしゃぎ回った。

 

 

「くくる、わなか、本家大たこ、エトセトラエトセトラ……。道頓堀の人気たこ焼き店たちを揃えてきました。これと、さっき買ってきた『銀だこ』を食べ比べていきますよ」

「人によっちゃマジでキレてる人も居そう」

「ほふ、はふ……うわっ、美味(おい)しい。えっ、凄くおいしい。うわすご、全部美味(びみ)ですね。みなさんそれぞれがオンリーワンです。比べるなんてナンセンスでした」

「企画の趣旨が」

 

 道頓堀のたこ焼きを買い漁り、食べ比べながら舌鼓を打ったり。

 

 

「最近のゲームセンターというのは、クレーンゲームばかりなのですね。しかも綺麗になっています。前に来た時はもっと薄暗くて、格闘ゲームなんかのアーケードゲームが大量に置かれていたんですが……。あと、腕を組んでゲームを見守っている人たちが沢山居たような……」

「……"時代の流れ"としか言いようがありません。あと、スポッチャは上の階ですよ」

「分かっています……しかし、あと数回でこのぬいぐるみが取れそうで……」

 

 ゲームセンターで、極悪設定のクレーンゲームに苦戦したり。

 

 

「……決着がつきませんね」

「つきませんね……もうこれ、フリースロー対決なんて提案した奴が実質負けじゃないですか?……確か、エーデルワイスさんが言い出したと思うんですけど」

「むう……仕方ありません。勝負は持ち越しです、真なる決着はダーツでつけましょう」

「同じことの焼き直しになりそう」

 

 互いにパラメーターで言うDEX(器用さ)の値が極まっているせいで、スポッチャは殆ど持久戦の様相を呈したり。

 

 

「(……甘木さん。わたし、日本のお笑いには詳しくないんです。今のは、いったい何が面白いんですか? 半裸の男性の胸部に棒を突き立てる事で、なぜ笑いが……?)」

「(え゛ッ……えー……その、ギャグは生ものと言うか……説明して面白くなるわけが無いというか……)」

「(ふむ……合縁奇縁(あいえんきえん)、一期一会。そういうことですね。私とこの新喜劇のギャグには、ご縁が無かったと。トラディショナル・ワビサビという物でしょうか)」

「(……もうそういう事で良いです)」

 

 彼女が『どうしても見たい』と言った吉本漫才劇場に突撃したら、ギャグの解説を求められて進退(しんたい)(きわ)まったり。

 

 

 世界を震撼させる《比翼》では無く、ただの大はしゃぎ美人観光客と化したエーデルワイスさん。彼女は、無敵のスタミナに任せて大阪を大いに満喫したのだった。

 

 

「ふぅ……いい風です。劇場で火照った体に効きますね」

「面白かったですね。俺、生で漫才見たのって初めてかもです」

 

 食べ歩き、ラウンドワン、新喜劇。かなり詰め込みに詰め込んだエーデルワイスさんのプランを消化して劇場の外に出ると、すでに陽が落ち始めていた。

 

 ……めちゃくちゃ遊んだな、今日。食べ歩きの途中で道頓堀の散策もしてたし(グリコの電光看板や巨大なカニの看板を見て『これ知ってる奴です!』とはしゃいでいた)、朝からガッツリ大阪観光を満喫してしまった。

 

「『面白かった』……。本当ですか? 同類さんは、今日、楽しかったですか?」

「え? ……ええ、はい。切っ掛けは強引でしたけど、なんだかんだ滅茶苦茶楽しかったです」

 

 長い白髪が綺麗な、まるで戦乙女のように凛とした美貌のエーデルワイスさん。

 普通、こんな美女と一緒に居て俺が緊張しない訳も無い。口は(かわ)呂律(ろれつ)は回らず、終わる頃には"ズタズタにされた黒髪の雑魚がいた"状態になっていて当然なのだが……何故か、彼女相手では不思議と平気だった。

 

 エーデルワイスさんが先に、愛嬌のある一面を見せてくれたというのも大きいだろう。

 また、彼女の性格も一因だ。隔絶した戦闘能力を持ってはいるが、それ以外は極めて普通の人。そういう彼女の在り様に、シンパシーを抱いたというのも正しいかもしれない。

 

 他にも理由は沢山あるだろうが、あえて一言で纏めるとするなら。

 

 

 確かに、俺と彼女は『()()』だった。

 

 

「ふふん、それは良かった。エーデルワイスは観光においても最強。そういう事です」

「どういう事です?」

 

 上機嫌に笑う彼女が、ふと携帯を取り出して形のいい眉をひそめる。

 

「ん、どうしました?」

「……この後は通天閣の"串カツ屋"なるものへ繰り出そうと思っていたのですが……さすがは月影先生。言葉通り、しっかり6時間で復帰したのでしょうね。現状確認の電話が鬼のように来ています」

え゛。それ大丈夫なんですか?」

「監視カメラにも人の意識にも一切(うつ)っていませんから大丈夫ですが……それでも、帰らなければなりませんね。残念ですが、串カツはまた今度になってしまいます……」

 

 しょぼんとした顔でそう語るエーデルワイスさん。

 観劇中はマナーモードにしていたので、総理からの連絡にも気が付かなかったのだろう。

 

「ええと……『甘木さんと一緒にいました』。『ちゃんと暁学園の監視下にいましたよ』、スタンプ、と……。よし。これで完璧です」

「《比翼》って政治も強いのか……(困惑)」

 

 完全にはしゃいでいただけなのに、何故か総理の混乱中も律義に彼の監督下から離れず、理性ある行動をとったことになっている。実際には、ただ単にはしゃぎ倒していただけなのに。

 

「串カツはまた今度ということで……最後は、せめてゆっくり帰りましょうか」

 

 陽のオレンジが、夜の青とネオンの原色へ移りかわっていく狭間の時間。

 夜風に長髪を(なび)かせながら、彼女はそう言って笑う。

 

「……大丈夫なら、まあ。そうですね、そうしましょうか」

 

 俺がそう返すと、エーデルワイスさんは満足げに目を細め、静かに歩き出した。

 

 陽が完全に落ちると、大阪の街は昼間とは違う顔を見せ始める。

 居酒屋の明かりが輝き、看板のネオンが煌びやかな原色を放つ。呼び込みの声、観光客の笑い声。様々な匂いと音が混ざり合い、大通りは熱気を帯びて一つの生き物のようにざわめく。

 

 けれど。俺たちの周囲だけは、まるで透明なカプセルに覆われているかのように静かだった。

 すれ違う人々は無意識の内に道を避け、誰も俺たちの存在を認識できない。記憶に留めておけない。街の喧騒を縫うようにして、エーデルワイスさんはすいすいと歩いていく。

 

 

「……ね、甘木さん。これ出来ます?」

 

 

 そう言って、エーデルワイスさんが手刀を振る。綺麗な動きだ。風切り音のしない、力が完全に集約された一撃。加速が存在しない、0から100への急制動を行える比翼の剣技。

 

「えーと……こんな感じです?」

「おお、流石です。いい感じに再現できてますよ」

 

 心臓の収縮と筋肉の制御にコツがある感じだろうか。面白いアイディアだなと思いつつ、真似して歩きながら拳を突き出す。

 

「え、じゃあこれ出来ますか?」

「むむ。斬新な発想ですね……」

 

 お返しに、手に持っていた揚げ物の包み紙を視線で斬ってみせる。

 エーデルワイスさんはしばらく紙を見つめた後、数度視線を往復させた。

 はらりと紙が二つに分かれる。

 

「ん……甘木さんは眼が良いのですね。私では数度往復させないと斬れなさそうです」

「初めてでそこまで出来れば十分ですよ。俺も硬い物には複数回かかりますし」

 

 やっぱ出来る人には出来るよな、この技。

 西京さんには対処法を編み出されたし、エーデルワイスさんにはコピーされたし。世界のトップ層相手には、初見殺しか大道芸にしかならない技だ。

 

「……ふふふ」

「どうしました?」

「いえ。こんな会話したの、随分久しぶりだなぁと思って。誰かに教わる日がまた来るなんて、思ってもいませんでした」

 

 機嫌良さげに両手を広げ、エーデルワイスさんがクルクルと回って微笑む。彼女の白い横顔が、通り過ぎるネオンの光を受けて淡く色を変えていく。

 

「甘木さん。甘木悠さん。ご同輩、私の同類さん。年齢的には後輩で、ある意味では先輩でしょうか? ふふふ。貴方は、私になんて呼ばれたいですか?」

「……何でもいいですよ」

「では、やはり"同類さん"で。あはは。探せば居るものなんですね、私と同じ人なんて」

 

 くすくすと涼やかに笑うエーデルワイスさん。コミュ力に疎い俺でも良く分かる程に上機嫌だ。『同類』に会えたのが、それほどまでに嬉しかったのだろうか。

 

 

「嬉しいですよ。()()()人間は、私一人だけだと思ってましたから」

「………………」

 

 

 軽やかにそう語るエーデルワイスさんの言葉に、俺は思わず口を(つぐ)む。軽快な口調とは裏腹に、その言葉には彼女の秘められた感情が重く乗せられているような気がしたからだ。

 

 『普段は山奥で暮らしている』と、観光中に言っていた。

 山に建てられた、こぢんまりとした石造りの小屋が彼女の住居。当然ながら、近くには何の店もない。周辺は完全なる無人地域と化しており、訪れるものは《比翼》を倒して名を上げようとするアウトローばかり。

 

 想像するだけで憂鬱になる、最悪の住環境だ。

 

 規格外の才能を有する怪物が剣を振るった結果、《比翼》はついに国家や世界さえ屈服させた。彼女は、世界を相手にして勝てる伐刀者なのだ。

 

 ……しかし、その結果が"そんな物"なら。

 果たして、彼女の勝利は幸福に繋がったと言えるだろうか。

 

 少なくとも俺なら、普通にインフラの整った人里に暮らしたい。ネット環境もスーパーも無い所に一人でずっと暮らすのは、どう考えたってしんどいし(つら)い物だろう。

 

 彼女が、俺の『同類』であるなら。久しぶりの観光に、あれほどはしゃいでいたならば。

 

 ……きっと、彼女も同じように思っていたのではないだろうか。

 

 

「……ねえ、同類さん」

 

 

 今まで上機嫌に前を歩いていたエーデルワイスさんが、ぽつりとそう呟いた。

 彼女の顔は長い白髪に隠され、その表情を窺い知る事は出来ない。

 

「今日は、とても楽しかったです。本当です」

「……? はい。俺も楽しかったです」

「いいえ。……多分……貴方が思っている以上に、私は嬉しかったんですよ」

 

 くるりと身をひるがえし、色とりどりの街灯を背後にしてエーデルワイスさんが俺を見つめる。

 

「……私たちは……そこに()るだけで、何かを壊せる生き物です。一挙手一投足が嵐を巻き起こす怪物であり、剣で世界全てを平伏させられる超越者です。私たちは、他の伐刀者とは一線を画する存在なのです。これは、どうあっても変えられない事実です」

「…………」

「これほどの才を持って生まれた理由。己の貫くべき騎士道。力の使い道や、果たすべき使命。"そういった物があれば"と私は願っていますが、いまだ何も見つけられていません。見つけるのはすごく難しい事ですし、本当はそんなもの、どこにも無いんじゃないかと思ったりもします」

 

 喧騒から切り離された静寂の中、滔々(とうとう)とエーデルワイスさんがそう語る。

 

 ……その悩みは、今の俺には無い物だ。

 俺は安定した生活を送るために魔導騎士の道を選んだ。俺の剣は上司から与えられた仕事をこなすためにあるし、才能は運よく親から授かった物だと思っている。理由なんて無いし、理由(それ)が欲しいと思った事もない。

 

 だけど。

 例えば、両親の性格が違えば。国際情勢がもっと悪ければ、日本が侵攻を受ければ、桃井や月影総理が居なければ。そういう様々なIFにおいて、俺は彼女と同じ状況になっていたかもしれないのだ。

 

「あなた()、もし……。いえ、違いますね。国から、何か……ううん。いえ、月影先生なら考えにくいですが、同類さんはすごく強いですし……」

 

 すらりとした人差し指を顎に当てて、しばらく何かを考えた後。

 彼女は、俺の眼をジッと見つめながらこう言った。

 

 

「すみません。色々言いたいことはあったのですが……あまりに急ですし、何より、私自身うまく言えないのでやめておきます。だから、一言だけ。

  

 甘木さん。もし、将来困ったことがあれば……いつでも、エーデルベルクに来てください」

 

 

 エーデルベルク。バルト危機において戦場になりかけた土地であり、その剣をもって簒奪した、彼女の故郷の名だ。

 

「……はい……? それは、どういう……?」

「分からなくても良いです。ただ……隣に誰かが居れば、あの雪山も少しは暖かくなるだろうと。そう思っただけですから」

「………………」

 

 ふわりと、冗談めかしたようにエーデルワイスさんは小さく笑った。

 

「……ありがとうございます」

 

 『世界最強の犯罪者』と呼ばれる彼女が、自らの不可侵領域である故郷へ俺を招くという事。

 それがどんな意味を持つのか、いくら俺でも察しがつく。

 

 いわゆる『セーフティーネット』と言ってしまえば、彼女の善意に失礼だろうか。

 

 将来俺が、何らかの理由で、世界を相手取って戦い。そして、事もあろうに勝利してしまい。

 

 排斥と畏怖の中で、身の置き場が無くなるようなことがあれば……その時は、『同類』である己の所に来てくれればいいと、エーデルワイスさんはそう言ってくれているのだ。同病相憐(どうびょうあいあわ)れんで過ごせば、寂しい冬も少しはマシになるだろうと。

 

「ふふ、おめでとうございます。就職先が一つ出来ましたね」

「就職……就職かぁ……? なんとなく、世捨て人ルートな気がしなくも無いですが」

「むむむ。今現在そうなってる私に失礼ですよ」

 

 そうこう言い合っていると、エーデルワイスさんが大きなビルの前で立ち止まる。周囲の建物に溶け込んだ、一見何の変哲もないビル。月影総理が複数持つ、【暁学園】の指揮拠点のうちの一つ。エーデルワイスさんは此処に宿を取っているのだろう。

 

「……では、私はこれで。月影先生に、また別のお願い事をされているんです」

「え、こんな夜からですか? 大変ですね……」

「いえ。先生にはお世話になりましたし……今度は、こちらのワガママを聞いてもらうかもしれませんから。助け合いというものです」

 

 そう言って、彼女はビルの入口へと向かっていく。世界を捻じ伏せた《比翼》として、彼女なりの仕事を果たしに行くのだろう。

 

 

「……エーデルワイスさん!」

 

 

 その白い背中に向けて、俺は思わず声をかけていた。

 

「はい、どうしました?」

「……えー……っと」

 

 ……ええと。えーっと……(コミュ障)。

 完全に解散の流れだったのにも関わらず、俺は一体何をしているのだろうか。

 

 呼び止められ、不思議そうな顔で小首をかしげるエーデルワイスさん。彼女に向けて、何かを言いたかったはずなのだが……残念なことに、俺はここで小粋な事を言えるような人間ではなかったらしい。そりゃそうだ。

 

 口の急速な渇きを感じながら、それでも何とか言葉を絞り出す。

 

「……()()、絶対行きましょうね。串カツ屋」

「え」

「ああ、いえ……! 社交辞令を本気にしてしまってたら恥ずかしいし申し訳ないんですが、まあほら、本当に俺も楽しかったので! その……次は、俺が案内しますから。出来れば。多分……」

 

 尻すぼみに声を小さくしながら、しどろもどろにそう語る。

 

 俺は何がしたかったのか。彼女に、"お(れい)"がしたかったのだ。

 

 何の礼か。俺を『同類』として見てくれた事。セーフティーネットを用意してくれた事。そして何より、今日一日、ごく普通の観光客として心から笑ってくれた事に対して。上手くは言えないが、それ自体に何か返礼をしたかった。

 

 故郷を守るために戦い、そして今なお不便な小屋で暮らすエーデルワイスさん。何か、彼女にとって、大切で譲れない物があるのだろう。雪山で静かに暮らすのが、彼女の日常なのだ。それはそれで構わない。

 

 だが。たまにはこうして街に降りてきて、暴走観光客として大はしゃぎする日があったっていいはずだ。彼女にはその権利があるし、それを楽しむ心だってちゃんと持っているのだから。

 

「だから、えー……()()、ぜひ遊びに来てくださいね。"同類"として、楽しみに待ってますから」

 

 彼女がいつでも、この喧騒へ遊びに来れるように。

 セーフティーネットのお返しとして、些細な『口実』をこちらからも渡しておきたかったのだ。

 ……多分。見切り発車で話し始めたせいで、俺自身もうまく言語化できていないが。

 

「――――――」

 

 俺の言葉を聞いて。

 エーデルワイスさんは、驚いたように目を丸くして、瞬きを繰り返した後。

 

 

「はい。……ええ、絶対ですよ」

 

 

 にっこりと。夜のネオンよりもずっと鮮やかな、花開くような笑みを浮かべたのだった。

 

「ふふ……私、けっこう沢山食べる方ですから。覚悟しておいてくださいね?」

「べ、別に俺の奢りとかではないですよ……?」

「あら? 今日の支払いは私が持ったのに……? ふふふ。なんて、冗談ですよ。……私も、楽しみにしてます。また会いましょうね、甘木さん」

 

 小さく手を振り、今度こそ彼女はビルの奥へと消えていく。

 その背中が見えなくなるまで見送ってから、俺は大きく息を吐き出した。

 

「……ふぅ。帰るか」

 

 どっと気疲れが押し寄せてくるが、不思議と気分は悪くない。

 冷たくなり始めた夜風が、一日遊び回って火照った顔を心地よく撫でていく。

 

 王馬さんとの決闘のせいで予定がズレにズレた《七星剣武祭》二日目だが、結果的には良いリフレッシュになったし、総理にもちゃんと《選別する楽園(レマ・サバクタニ)》について伝えられたしで、有意義な一日になったんじゃないだろうか。

 

「ええっと……そうだ、二日目の試合結果は……うわ、平賀が普通に負けてる。しかも失格処分」

 

 駅の時刻表を確認するついでに、今日の《七星剣武祭》の試合結果を確認する。

 

 なんか人形なのがバレて『本人が来いや』と失格処分食らったらしい。そりゃそうだよ。しかもバレるまで優勢だったかといえば別にそんなことも無く、周囲の廃材を集めて巨人化して、それでもなおステラさんにボコボコにされて発覚したらしい。じゃあ良い所無いじゃん。どういう意図だったのかは分からんが、自信過剰が過ぎるだろ……。

 

「ええっと……あ、紫乃宮さんとサラさんは勝ってる。王馬さんは言わずもがな失格だし、【暁学園】はもう残り3人になっちゃったか……」

 

 減ったなあ、暁学園。トーナメント表が悪いというのもあるが、ステラさんが普通に強い。

 

 さすがは世界最大の魔力量。炎を操る自然干渉系能力者であり、その最大火力は世界でもトップクラスだろう。《連盟》に所属するヴァーミリオン皇国の第二皇女であり、幼い頃から英才教育を受けていたというのも強さの一因かもしれない。

 

 ……そう。ヴァーミリオン皇国の……()()()()()()()()()()()

 日本と関係良好であった同盟国の皇女であり、世界的な人気を誇る有名人であり。ヴァーミリオン皇国と日本の関係の、証明となる人だ。

 

「……………」

 

 俺は事前に、何人かの『特記対象』について、月影総理から説明を受けている。

 

 

「―――()()()()()()()()()、か……」

 

 

 名家黒鉄家の直系女子、黒鉄珠雫。

 同じく直系嫡男、黒鉄王馬。

 ヴァーミリオン皇国第二皇女、ステラ・ヴァーミリオン。

 

 月影総理が構想する【暁計画】において、この三人は『非殺傷推奨(アライブオンリー)』に指定されている。《連盟》離脱およびその後の世界的な混乱に際し、彼らの生存は将来的な日本の国益につながる……らしい。《七星剣武祭》の制覇が最優先のため、あくまで"考慮の対象"というだけだが。

 

「まあ……出来る限りは、やる事をやるか」

 

 スマホをポケットにしまい、空を見上げてため息を吐く。

 出来る限り、総理の要望には沿いたいのだ。多分、以前見たステラさんのままだったら問題なく非殺傷で倒せると思うのだが……。万が一というものは何にでもあり得るからなぁ。普通に怖い。

 

「……ステラさんが、特に強くなったりしていませんように……」

 

 こう……なんか、『実は隠された能力がありました』とか、『秘められた力が覚醒しました』とか。そういう事がありませんように。

 

 まあ、普通に考えてそんな事あり得ないけどね。

 

 伐刀者の異能は、ある日唐突に『自分にはこういう力がある』と自覚するものだ。確かに幼い頃には己の能力について誤解する事もあるが、異能を扱う内に理解が進み、己の力が何を(つかさど)っているのかを把握していく。

 

 ステラさんほどに熟達した炎使いが、己の能力を誤解しているなどあり得ない話だ。己の能力を自覚したうえで、Aランク騎士に(のぼ)り詰めているはず。まさかそんな、力のほんの一部しか使わずに今の地位にいるとか、そんな事あるわけ無いじゃんね。

 

「ん……? さむっ。夏とは言え、意外と夜は冷えるな……」

 

 なんか寒気がしたが、汗が夜風で冷えたのだろうか。エーデルワイスさんに付き合ってはしゃぎすぎたかな? 帰ったらゆっくり湯船に浸かろうかな。体調を崩さないようにしないと。

 

 そんなことを考えながら、俺は選手宿舎へ歩いて行ったのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ヴァーミリオン皇国第二皇女、ステラ・ヴァーミリオン。

 彼女が滞在する選手宿舎の一室は、今や凄惨な戦場と化していた。

 

 無造作に積み上げられた、大量の空皿。骨だけになったTボーンステーキたちの残骸。おかわりを頼みすぎて、とうとう鍋ごと持ってこられたパエリア。大盛りのパスタ。ルームサービスのワゴンを幾度も往復させたそれらは、常人であれば十人がかりでも到底食べきれない暴力的な熱量(カロリー)の痕跡だった。

 

「んぐ、もぐもぐ……んっ、ごっくん」

 

 その残骸の中心で、真紅の髪を揺らす美少女――ステラは、最後に残っていた北京ダックの包みを口に放り込み、嚥下した。口元を上品なナプキンで拭うと、傍らに用意させていた特大のピッチャーを手に取る。

 

 どろりとした黄金色の液体。

 胃腸に負担をかけず瞬時に吸収される炭水化物、マルトデキストリン。MCTオイル、純度の高いホエイプロテインペプチド。その他諸々(もろもろ)を極限まで溶解させた、たった一杯で数千キロカロリーを叩き出す科学の結晶。

 

 決戦を翌日に控えた彼女にとって、これが仕上げの『燃料』となる。

 常人ならば一口で激しい胃もたれを起こす重たい液体を、ステラは躊躇いもなく喉の奥へ流し込んでいった。

 

「んぐっ、んぐっ……ぷはぁっ!」

 

 豪快にジョッキを飲み干し、ダンとテーブルに叩きつける。

 一般的な成人男性であれば即座に生活習慣病になるか、もしくはそもそも胃が破裂するほどの食事。それほどの熱量(エネルギー)を腹の底におさめ、彼女はギラリと目を(きら)めかせた。

 

「……ステラちゃんさぁ、Youtubeとか出る気ない? 大食い界隈で世界獲れるよ、マジで」

 

 傍らで見守っていた《夜叉姫》西京寧音が、驚き半分本気半分でそう(うそぶ)く。見ているだけで満腹になるような、気持ちのいい食いっぷりであった。

 

 彼女は指折り数えて何かを計算する素振りを見せると、手にしたメモに何事かを書きつける。そして、同じく傍に待機していたホテル職員へチップと共にそれを手渡した。

 

「よし、まだカロリーが足りねぇからラストあと一周な。そのクソまずい特製ドリンクも、もう一回飲めよ。金で言う事聞いてくれてるホテルマンさんたちに感謝を込めて、返事」

「……っ、はい……ッ!」

「よし、偉い。医食同源、ここら辺は東洋武術(ウチ)の強みだからな。明日の試合までには完璧に仕上げてやるよ」

 

 KOKランク第三位、《夜叉姫》による贅沢な食事指導。

 己の異能によって大量のカロリーを消費するステラ・ヴァーミリオンの、決戦前夜最後の追い込みであった。

 

「ウチが面倒見る限り、試合中にカロリー切れなんてアホみてぇな真似は絶対させねえ。ステラちゃんは、とにかく喰って喰って喰いまくれよ。燃費悪りぃんだからよ」

「ありがとうございます、ネネ先生……!」

 

 全身から立ち昇る陽炎のような闘気が、ステラの美しい赤髪をふわりと持ち上げた。

 世界各地の御伽噺(おとぎばなし)で語られる怪物。全身に煮えたぎる血を(たぎ)らせる、神話に住まう頂点捕食者。

 

 己の中に渦巻く熱を感じながら、ステラ・ヴァーミリオンは力強く両の拳を握り込んだ。

 

 ドクン、ドクンと、脈打つ心音に合わせて、莫大な魔力が全身の血管を駆け巡る。西京寧音の監督下、緻密な計算と共に注ぎ込まれた熱量が、彼女の異能を通して規格外の暴力へと変換されていくのが分かる。

 

 脳裏に浮かぶのは、明日対峙する男――甘木悠の顔だ。

 

 底知れない実力を持つ《七星剣王》。

 己の恋人である黒鉄一輝の、ある意味で対極に位置するような男。極まった才能のみで頂点に立つ《天譴》。己のコーチである《夜叉姫》を無傷で完封した、恐るべき強敵。

 

 恐れを強引に飲み下し、ステラ・ヴァーミリオンは笑った。

 

「……首を洗って待ってなさいよ、甘木悠」

 

 爛々と輝く真紅の瞳は、獲物を前にした獰猛な竜そのもの。

 己の限界を突破するための準備は、西京寧音の強烈すぎる指導によって完璧に整えられた。あとはもう、リングの上で全てを解放するだけ。

 

「私のありったけの『全力』で……完膚なきまでに、叩き潰してあげるんだからッ!」

 

 己を奮い立たせるために、そう強く気炎を吐いた。

 決戦前夜。炉心に火を点けた皇女は、静かに、そして猛烈に牙を研ぎ澄ませた。

 

 

 

 《七星剣武祭》三日(みっか)目。

 

 

 《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン 対 《天譴》甘木悠。

 

 

 かたや、世界最大の魔力量を持つAランク騎士。

 対するは、かの《夜叉姫》を下した現《七星剣王》。

 

 全世界が注目するカード。その試合の火蓋が、もうすぐ切られようとしていた。 

 

 

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