落第騎士の英雄譚 意識低い系風味 作:一般落第騎士
ピッ、ピッ、ピッ……と、規則正しい音が響く。
病室で眠る赤毛の少女、その健康状態を精密機器がモニタリングしている音だ。
昏睡状態の少女。既に傷はiPS治癒槽によって完治し、四肢と胴体に刻まれた刀傷は痕一つ無く消えている。発展に発展を重ねた現代医学によって、彼女の身体に一切の
では、なぜ彼女は目を覚まさないのか?
「………………」
椅子へ前かがみに座り、両手を組みながら、黒鉄一輝は彼女を―――ステラ・ヴァーミリオンを見つめていた。
ステラと黒鉄は、かつて、二人で約束をしていた。
二人なら、どこまででも強くなれる。互いの背中を追いかけ、切磋琢磨し、ともに誰も届かない騎士の高みを目指そう。そしていつか必ず、《七星剣武祭》という最高の舞台で―――学生騎士の頂点を巡るあの熱狂の頂点で、互いの全霊を懸けて雌雄を決そうと。
誓いは果たされなかった。
《天譴》に敗れ、《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンの歩みは準々決勝で途絶えた。
「ステラ……」
サラサラとした彼女の赤い髪に優しく触れる。
肉体的には何一つ問題が無いにも関わらず、精神的損傷によって昏睡状態に陥っているステラ。
彼女の症状は、《雷切》東堂刀華が一時的に異能を失った時と酷似している。
《天譴》に斬られる事によって発生する、精神的不調。
"これほどの剣に斬られて、無事でいるはずが無い"。
"これほど美しい剣に斬られたならば、私は死んでいるに違いない"。
そういう『思い込み』が、この症状の根本的な原因だ。
あまりにも流麗な剣が、斬られた者の精神に
何度も何度も、優しく彼女の髪を
ステラがもし今、目を覚ましていたなら、自分は何と言っただろう。そう黒鉄は考えた。全身全霊を出し尽くして、それでも負けた彼女へ。いったい、自分に何が言えただろう。
精一杯の愛情を示すように、黒鉄一輝は彼女の髪を撫でながら微笑んだ。
「……そろそろ時間だ。行ってくるね、ステラ」
今日は《七星剣武祭》
《
「……あっ、黒鉄くん」
病室のドアを開けると、一人の少女が廊下に立っていた。
小麦色の髪を三つ編みに纏めた、眼鏡の少女。《雷切》東堂刀華である。
「その……ステラさんの様子は……?」
「……医師が言うには、"いつ目覚めるか分からない"と。身体的に一切の不調は無く、完全なる心因性の昏睡。だからこそ、いつ治るのか、そしてそもそも
「……そう、ですか」
黒鉄の押し固めたような
一度は雷を失った《雷切》だからこそ、"甘木悠に斬られる"という事の怖さが分かる。彼女自身、何もかもを諦めたくなる絶望にその身を
「―――大丈夫ですよ」
薄暗い病院の廊下で、黒鉄はそれでも前を見据えてそう言った。
「以前なら。きっと、僕は色々と考えてしまったと思います。甘木くんの思惑。彼が試合中考えていた事。……ステラの《
「黒鉄くん……」
「でも、今は違います」
二コリ、と黒鉄はあくまで爽やかに笑って見せた。
強がりだと、黒鉄自身分かっている。しかし『武士は食わねど高楊枝』と言うように、昔からこの国で、"騎士"という存在は意地を張り通すものだっただろう。
「《天譴》は……甘木くんは、強かった。ステラは、そんな彼に全力で立ち向かって、それでも負けた。言葉にしてしまえば、それだけのことです」
黒鉄一輝の剣才は同年代の中でも群を抜いている。剣技を観察し、相手の価値観を読み取り、照魔鏡の如き精度で洞察する、《
そんな技が、彼に教えてくれるのだ。
徹頭徹尾、甘木悠はステラ・ヴァーミリオンの技を"どうでもいい"と思っていた事を。
『なんか前置き長かった割に
『今後月影総理が動きやすいように』、『見栄えを重視して』ステラを斬った。
その思考の内に、ステラ・ヴァーミリオンへの脅威は欠片たりとも存在しなかった。甘木悠による事前の警戒を遥かに
それでも。
それが、彼へ嫌悪を抱く理由には、
《雷切》があの日、《天譴》への嫉妬を斬って捨てた時。黒鉄もまた、甘木悠という存在への嫉妬を乗り越えたのだ。果てしなく遠い頂を見せつけられても、今の彼はその絶望を越えられる。
「彼女が目覚めたらきっと、泣いて悔しがって……そして、『あったま来たわッ!!』なんて言って、また修行するでしょう。ステラは、そういう人ですから」
ふっと表情を和らげて、黒鉄はそう言った。
不器用で、負けず嫌いで、いつだって全力で燃え盛る《紅蓮の皇女》。『二人ならどこまでも強くなれる』と誓い合った、最愛の恋人。
「約束は、まだ破られてなんていない。"
窓から差した陽が、黒鉄一輝の顔を照らす。
凛々しくそう宣言してみせた彼を見て、東堂刀華は嬉しそうに笑った。
「ふふっ……、良かった。励ましは必要無さそうですね」
「会長のお陰ですよ。心から、本当に」
東堂の笑みに、黒鉄がそう返す。
「貴女が
何度でも折れて、何度でも立ち上がる。それは恐らく、"折れない"よりもずっと難しい事だ。
その強さにずっと救われているのだと、黒鉄はそう東堂刀華へ感謝を告げた。
「
「―――はい。行ってらっしゃい、黒鉄くん!!」
気力体力、共に十分。
ステラはきっと、すぐに目を覚ます。ならば自分がオロオロ慌てて、目覚めた彼女にカッコ悪い所を見せるわけにはいかない。
黒鉄が、爪が食い込むほど手を強く握りしめる。
まずは、目の前の一戦を乗り越える。相手は《
女神。因果。どちらも、ロクに魔力さえない自分にとっては遥か雲の上、逆らえない絶対的な存在なのかもしれない。それでも。
「……相手にとって、不足無しだッ!!」
それでも。『負けるわけにはいかない』と、黒鉄は気炎を上げた。
◆
寝るのが好きになった。
一日の内、最近は16時間程度寝ている。【暁学園】で入ってくる給料で寝ている間も筋肉を刺激してくれる介護用ベッドを買って、殆どの自由時間は睡眠に費やしている。
夢の中では自由だからだ。夢の中
女神の愛は、精神にまでは届かない。もし可能ならば、心を操って自分を"直接"幸せにしていただろうから、心や脳と言うのは案外扱いが難しい物なのだろう。魔術的には重要なファクターなのかもしれない。どうでも良いが。
夢の中の自分は、因果干渉系能力も無い、魔力さえ持たない、平凡な学生をしている。
公立高校に通い、学力だとか気になる女の子だとか人並みの悩みを持ち、そして学校が終われば普通の家に帰って夕食を食べる。そういうごく平凡な生活をしている。
知識の無さゆえにぼんやりとした家庭の中で、それでも夢の中の天音は本気で自分が『ただの高校生』だと信じている。願いは当然に叶わず、ありふれた苦労や悩みを、真剣に考えている。現実の紫乃宮天音にとって、もう二度と出来ない事をしている。
ピピピ、ピピピ、とアラームが鳴った。
「……時間か。良い夢見れたな」
控室のベンチからむくりと起き上がって、紫乃宮天音はそう呟いた。
寝起き特有の手足のダルさが女神によって調整され、直ぐに万全な状態へと立ち直る。筋肉が、運動神経系が、全て女神の支配下に置かれる。
「『あと10分で始まる』のか。『赤ゲートは控室出て右』ね」
過剰なる女神の溺愛。その"深度"は、日を追うごとに深まっていた。過保護な女神が因果を、そして己の身体を操り、この身に降りかかる危機を全力で排除する。"道に迷う"とか、"寝坊する"とか、そんなレベルの些細な不運さえ、全て。
アラームだって、紫乃宮は掛けた覚えが無い。寝相がたまたま"そういう"形になったか、もしくはスマホの不具合だろう。可能性はどのようにでも考えられる。
奴隷と何が違う。死んでいるのと何が違う。こんな生活、
かつての天音少年はそう気炎を上げていた。今はもう死んだが。
「……ハレルヤ。主、われらの主よ、あなたの御名は全地にあまねく、いと高く尊い。あなたの栄光は天を覆っています。栄光は父と子と聖霊に……」
何もかもがどうでも良い。
蔑みだけがある。蔑みだけが。
己を諦めず、足掻いている者へ。嫉妬と、軽蔑と、羨望と、『そんな事やってもどうにもならないよ』という、グロテスクな憐憫だけがある。
女神が何を考えているのか、何をしているのか。もはや紫乃宮天音には分からない。
【暁計画】は月影総理の利益に繋がり、そして日本の国益へ繋がり、ひいては紫乃宮天音の利益に繋がるのだろう。いまだ自分がこの場に居るという事は、多分そういう事なのだろう。ならば紫乃宮天音は、計画の忠実な
『―――さぁ!! リングの復旧が完了しましたッ!! ステラ選手の恒星級熱量によりドロドロになったリングですが、しかし実行委員会の準備は万全ですッ!! 建築に適した伐刀者の尽力により、欠け
赤ゲートの前で、紫乃宮天音は静かに待機する。
実況が熱を込めて喋り、会場を盛り上げている。なにかトラブルでもあったのだろうか。何かを塗り替えようとするような焦りを込めた熱量に押され、会場が徐々に沸騰していく。
『時間になりましたッッ!! これより《七星剣武祭》準々決勝、第二試合を開始します!!』
実況が入場を促し、目の前のゲートバーが開けば入場だ。それだけを待ちながら、紫乃宮はジッと晴天に照らされるリングを見つめる。
『赤ゲートより姿を見せたのは暁学園一年!! 《
入場と共に、紫乃宮へ歓声が送られる。
二回戦でキチンと戦い、力を見せたからだろう。既に観客たちの中で紫乃宮は『よく分からないインチキ野郎』ではなく、『超強力な異能を持つ優勝候補』になっている。その余りにも強力な異能ゆえに少々目減りしてはいるものの、"七星剣武祭出場選手"という名誉に見合った歓声が送られていた。
《アズール》を取り出し、脱力しきった腕でぶら下げるように持つ。
能力への賞賛は聞き飽きるほどに慣れた物だ。今更、紫乃宮の心が動く事は無い。
そのまま青ゲートを見据えていると、向かいから黒髪の少年が姿を現した。
『そしてそしてェ!! 向かいゲートから、紫乃宮選手の対戦相手が入場です!! 破軍学園一年、《
精悍な顔つき、よく鍛えられて均整の取れた身体。同じ暁学園の
ワァ、と歓声が上がる。
「(……ん?)」
ふと、紫乃宮は違和感を覚えた。
黒鉄一輝への歓声が、
そう違和感を抱いた瞬間、紫乃宮の舌がひとりでに動き出す。
女神が、己の愛しい信徒へ正解を授けてくれるのだ。
「『炎上してる』? 『《連盟》の、暁学園に対する露骨な冷遇』が、ネットで話題になってる? ……なにそれ、どういう事?」
今の彼は、不随意の筋痙攣が"たまたま"言葉となっているだけだ。知識が流れ込んでくる訳では無い。
紫乃宮の困惑をよそに、彼の舌は動き続ける。
「『始めはトーナメント』。『暁学園の生徒の偏りは、最初から話題になってた』。そこに、『さっきのステラさんが試合前に"
女神による啓示へ、紫乃宮は退屈そうに言葉を返す。
切っ掛けは、ステラ・ヴァーミリオンの《
周囲の魔導騎士が防いでいなければ、確実に周囲の観客へ被害が出ていたであろう熱量。
そして、ゆっくりと時間をかけて行われた彼女の変身。
それを見た観客のうち、何割かがこう考えたのだ。
『あれ、コレ良いの?』と。
『そもそも試合前に伐刀絶技って使って良いの?』『去年までは普通にダメだったよね?』と。
《連盟》によるルール改正は
去年までは、試合前の伐刀絶技は一切使用禁止であった。
それまで変身系の能力を持つ騎士たちは、試合中に何とか隙を突いて変身する、その駆け引きが勝負の
なぜ、今年からルール改正が行われたのか。
なぜ、今年で無くてはならなかったのか。
その疑問に、見え隠れするトーナメントの作為、そして休憩時間中に報じられた『《七星剣武祭》運営委員会幹部の
"暁学園を追い込もうとする、《連盟》による卑劣な裏工作"。
そのストーリーは試合間の休憩中という僅かな時間で、各種SNS上へ瞬く間に燃え広がった。
ただでさえ【暁学園】の登場により
「あー……最初、実況の人の雰囲気が変だったのはそういう理由ね……。へー……"女神が手助けした計画"が一つ二つあるとは感じてたけど、もしかしてコレがその一つだったのかな?」
《連盟》による裏工作は、確かに成功した。しかし、その勝利は反転し、
「『政治の世界は、
そう言って、紫乃宮は目の前の黒鉄一輝を見た。
勝手に期待され、勝手に失望された彼を。何一つ悪事など働いていないのに、観客から悪感情を抱かれている彼を。
哀れだ、と心から思う。
もし彼がこの試合に勝ったとしても、観客は勝利に沸いたりなど決してしないだろう。
「可哀想に。『勝っても誰にも祝福されない』ってのは、僕にも覚えがあるから良く分かるよ。……もし降参してくれるなら、女神様は慈悲をくださると思うけど?」
心からの善意で、紫乃宮はそう語りかけた。
『黒鉄一輝の評判を改善すれば、彼は降参する』。この
「ここで勝っても、どうせ次で負ける訳だし? ここで賢い選択をしておいた方が良いんじゃないかな」
観客に勝利を望まれてない上、たとえ勝っても黒鉄の次の試合相手は《天譴》だ。
彼に"挑もう"なんて微塵も思えない天音からすれば、黒鉄の行動は異常者のソレである。
どうして、人は勇気を出してしまうのだろう。
《天譴》に挑もうとする黒鉄たちの思考は、全くもって理解が出来ない。何をどうすれば、"アレ"と対峙しようなんて思えるのか。
だが。
「―――気にする必要は無いよ」
凛とした声が、ざわめくリングの上に響き渡った。
《
「僕の勝利は、
チャキ、と。
己の固有霊装である日本刀、《陰鉄》を構え、黒鉄一輝はそう力強く断言した。
「ふーん……そっか。友達とか、恋人の事かな? だったらなおの事、怪我しないように大人しくしておくべきだと思うけど……ま、どうでも良いや。君の人生だしね」
迷いの無い彼の立ち姿を見て、紫乃宮は薄く目を細めた。
そう言えば昔、この男の事が嫌いだったなと思い出す。
魔力量Fランクという伐刀者として致命的なハンデを抱えながら、それでも醜く足掻く彼を、殺したいほど嫌っていたのだ。
今は、もうどうでもいい。
そんな情熱は、あの日、《天譴》を見て擦り切れて消えてしまったから。
「『犬が自分の吐いたものに戻るように/愚か者は自分の愚かさを繰り返す』、か……」
ダラリと下げていた《アズール》を、正眼に構える。
女神が肉体を支配し、紫乃宮の背筋は糸で吊るされたようにピンと伸びる。
「
双方共に観客席の喧騒が遠く消えていく中、
「……じゃあ、やろうか」
「ああ―――言われるまでもないさ!」
二つの影が同時に弾けた。
《七星剣武祭》準々決勝第二試合。《
◆
「フッ―――ッ!!」
闘気を爆発させ、黒鉄が一息に距離を詰める。
無数の鍛錬によって磨き上げられた、弾丸のような踏み込み。
「……………………」
それに対する紫乃宮天音の動きは、一切の無駄がない"完璧な"もの。
女神によって最適化された紫乃宮の身体が、不気味なまでに最短距離をなぞって動く。
「ッ……!!」
ガァァンッ! とリング中央で黒と青の閃光が衝突し、暴風のような衝撃波が撒き散らされた。
鍔迫り合いの体勢。西洋剣術では"バインド"とも呼ばれる、互いの足捌きや体重移動によって主導権を取り合う拮抗状態だ。
「シィイ………ッ!」
鋼と鋼が削り合い、火花が散る。
黒鉄は自身の重心を微細に変化させ、絶妙な足捌きで力点の移動を試みる。剣術の理を突き詰めた、巨漢の突進すら軽々と受け流し、あるいは押し返すことができる絶技だ。
しかし――紫乃宮の体勢は、微動だに崩れない。
黒鉄が力を流そうとすれば、紫乃宮の足が"勝手に"最適な位置へと滑り、完璧な角度で重みを相殺する。力ずくで押し込もうとすれば、骨格と筋肉が最も効率よく反発する姿勢へと自動的に組み替わる。
「……『わたしは、主の怒りに鞭打たれて、悩みを見た男。主はわたしを追いたてて、光のない闇の中を歩ませられた。絶えず御手を翻して、ひねもすわたしを攻められる』……」
女神による完璧な支配。惜しみなく注がれる寵愛へ身を委ね切った紫乃宮の目は虚ろで、ブツブツと神学的な何かを口から吐いている。能力の過剰発動時の兆候なのか、と黒鉄は考察するが、しかし突破口になるような気付きではない。
紫乃宮天音の伐刀絶技。《
起こりうる事は全て実現出来る、因果干渉系能力の極み。
「(……成程。それを己に使うと、
その効果のほどを検証しながら、黒鉄一輝は内心で呟く。
紫乃宮天音の動きは完璧だ。体重移動、足運び、それら全てに一切の無駄がない。因果を介して黒鉄の動きを読んでいるのか、フェイントに引っ掛かるそぶりも全く見えない。
黒鉄珠雫を封殺した、圧倒的な異能。
「……言葉ほど、
―――そう、静かに断言した。
刹那。
鍔迫り合いを離れて繰り出した疾風の如き一撃が、紫乃宮の腕を深く切り裂いた。
『おっとォ―――ッ!! まずは初撃、黒鉄選手の先制ですッ! 紫乃宮選手、この大会中初めての失血!! この傷は深そうだぞォ!?』
『天音選手、防御が間に合わなかったように見えましたね。共に武術の達人のようですが、この分野では黒鉄選手が一枚
紫乃宮の腕から、ボトボトと鮮血が滴り落ちる。
反撃として振り回される剣を
「……天音くんの異能は、凄い能力だ。確かに"完璧"な動きだよ。『自身の筋力で出来得る範囲』で、『万が一にも
黒鉄の観察眼は、紫乃宮に憑く"女神"の存在を、そしてその力の限界を早々に暴き始めていた。
紫乃宮の身体は
ならば魔力強化を注ぎ込み、黒鉄を超える膂力を発揮すれば良いのか? 否、それも出来ない。過剰な魔力強化は筋繊維や神経系を断裂させ、激痛を生じさせる―――つまり、紫乃宮が『傷付いてしまう』からだ。
傷を避けるために傷を負う矛盾。その判断に女神は一瞬迷い、"完璧な"動きに綻びが生じる。
「君に憑いている女神様は、別に絶対の存在でも何でもない。改宗をお勧めするよ、天音くん」
「……はぁ……テンション下がるなぁ」
挑発するようにそう語る黒鉄に対し、紫乃宮は苛立たしげに頭を掻いた。
己の能力が絶対では無い事など、紫乃宮はとっくの昔に承知している。《天譴》の力、あれこそが真に
その程度の物だ、己の女神など。
その程度の物に、踏み躙られるような物だったのだ。己の人生は。
「……僕の女神は、
皮肉と共に、紫乃宮の身体が疾走する。
滑るような体捌きから繰り出される、閃光のような一閃。
「この一撃は、そのお礼だから。遠慮せず受け取ってね」
「ッ―――!」
意趣返しのように、黒鉄の腕を狙った一太刀。それを黒鉄が捌くも、紫乃宮の斬撃は止まらない。上段、下段、袈裟斬り、そして心臓を穿つ刺突。ときおり無造作に投げられる《アズール》が乱反射し、刃の結界が形成される。
『これはァ―――ッ!! 紫乃宮選手、主導権を奪い返しましたァ!! 上下左右、息つく間もない猛攻が黒鉄選手を襲うゥゥゥッ!! 予測不能の軌道から放たれる刃の雨あられと相まって、黒鉄選手は防戦一方かァアッ!?』
『紫乃宮選手の霊装《アズール》は、複数展開できるタイプのようですね……! 投擲された刃が無秩序に跳ねまわり、しかし黒鉄選手を正確に射貫きます!』
天文学的確率によって成された絶技に、実況解説の二人がそう反応する。
「へぇー……凄いね。女神によるミスの誘発を、一瞬で立て直してる」
「ッ……!」
縦横無尽に振るわれる刃。不意を突き、死角から跳弾した刃が共に襲ってくる。
《陰鉄》を振るい、迫り来る青い刃を弾き落としていく黒鉄。だが、その動きは先ほどまでと違い、格段に鈍っていた。
反撃に転じようと踏み込めば、リングの僅かな
何回も、何回も。足がもつれ、埃が目に入り、突風でよろめき、刀の
"
しかし。
「でも。一瞬は、一瞬だから。これでお
皮肉と共に、紫乃宮がそう嗤った。
黒鉄は、女神の介入自体を防げている訳では無い。
ミスに対応する一瞬。体勢を立て直す、ほんの僅かな動作の隙。その僅かな空白が、先ほど黒鉄が見つけ出した互いの
ギィンと音を立て、黒鉄が刃の結界から大きく距離を取る。
《アズール》をクルクルと回しながら、紫乃宮はどうでも良さそうにこう言った。
「言ったじゃん。棄権すれば良いのに、って。まだ間に合うよー? どうかな?」
どれだけ剣術の理を突き詰めようと、千に一つ、万に一つの"偶然の不運"を毎秒のように強制的に引かされては、十全な動きなど出来るはずもない。そう確信した紫乃宮が、憐れみを込めて微笑みかける。
魔力があれば。
この世界に生まれつき許された運命の大きさが人並みであれば、まだ黒鉄一輝は抗う事が出来ただろう。強い運命は、"重い"のだ。動かすにはそれ相応の労力を必要とする。
それに対し、Fランクである彼の運命は羽のように軽く、動かしやすい。一度の因果介入で、十も二十もミスを創り出す事が出来る。あともう少し彼の魔力が多く、作れる隙の長さが短ければ、きっとまだマシな戦いになっただろうに。
「多分、今ならまだ女神様も『評判の改善』程度なら呑んでくれると思うよ? ここまで刃向かった後だと、完全解決まではやってくれないかもしれないけど……どう?」
その言葉に対し、黒鉄は汗を拭い直しながらこう吐き捨てた。
「……何度も言わせないでくれよ。君の女神様なんて、ぜんッぜん大した事ない。天音くんこそ、痛い目に遭う前に降参したらどうだい?」
「はぁ……あんまり残虐シーンを見せると、暁学園の評判に差し支えるんだけどね……ッ!!」
再びの挑発。
紫乃宮は『理解できない』とばかりに首を振り、そして再び黒鉄へ向けて突貫した。
◆
『あ、あれ……?』
最初に気付いたのは、一人の観客だった。
紫乃宮による猛攻。縦横無尽かつ無軌道に跳ねまわる、激しい攻め。刃の結界の中に、黒鉄一輝が閉じ込められる。防戦一方の彼を見て、誰もがその敗北を確信していた。
十秒経って、よく耐えていると褒めた。
二十秒経って、黒鉄の粘り強さに感嘆した。
三十秒、四十秒、五十秒。 一分経って、観客は徐々にざわめき出した。
無軌道に跳ねまわる青い刃。流麗な動きで繰り出される二刀。
それを、彼は避け続けている。
いや、そもそも。彼は、結局、この猛攻を受けてもなお、
『よ……避ける、避ける、避けるゥゥゥウウウウウウゥッ!! 紫乃宮選手の猛攻、そして跳弾の嵐! 決して防ぎきれるはずのない死角からの攻撃を!! 黒鉄選手……! 完璧に、避け続けていますッッ!! それも、血の一滴も流さず!! こんな神業があり得るのでしょうかァッッ!?』
実況の叫びが会場に響き渡る中、リング上では紫乃宮の表情に焦燥と疲弊が浮かんでいた。
一般に、人間が全力疾走出来る時間はよく鍛えられたアスリートでも10秒程度。伐刀者と言えどひ弱な天音にとって、"一分間の全力"という物はあまりにも重すぎた。
「(なんで……なんで、どうして当たらない……!?)」
これ以上の全力は相手の攻撃を避ける余力を無くし、なおかつ天音にとって害であると女神が判断したのだろう。大きく距離を取った紫乃宮が、荒い息を吐きながら信じがたい表情で黒鉄一輝を見据える。
「……ほら。やっぱり」
そんな紫乃宮の顔を見て、黒鉄が確信したようにそう言った。
「やっぱり、ちゃんと"
紫乃宮の思考が止まる。
「……は? なに、を……」
「君が、本当に女神様の言いなりになっているなら。そんな顔する必要なんて無い。
「……ハッ、馬鹿な事を……ゴホッ! ゲホッ、ゲホッ!!」
反論の言葉を紡ごうとした紫乃宮だが、激しい息切れによって中断される。疲労が抜けていないのだ。その隙に、黒鉄は滔々と言葉を続ける。
「僕が攻撃を避けれたのは。
「……ッ!」
「観察結果も言っておこうか。君は、皮肉屋で、いちいち意趣返ししないと気が済まなくて、周囲をバカにしながら、それでもどこか羨ましいと思っている捻くれ者で―――
―――ホントはちっとも、"どうでも良い"なんて思っちゃいない。そういう
否定の言葉を、紫乃宮は吐こうとした。
根拠のない妄言だと、勝手な想像で人を語るなよと、そう馬鹿にしてやろうとして―――どうしても、口が動かなかった。
疲弊による物だ。そう思い込む。
「黙れよ……! 嘘をつくな、どうやって、僕の《
「君の思考を読んだ、と言ったろ。なぜそれで避けれたのか?
「嘘を、~~~~~ッ!!」
あまりの激昂に、一瞬紫乃宮の視界が
何を、知ったような口を利いている。僕が、この能力の主人だと? 何も知らないくせに。何も、何も、何も!!!!!
「知ったような口を利くなァアアアッッ!!」
「……そうだね。ごめん」
果てしない怨嗟を込めた紫乃宮の叫びに、意外にも黒鉄は素直に頭を下げた。
しかしその総身に満ちた気迫は衰えず、紫乃宮の心理を切開し続ける。
「でも、一つ確かな事がある。……君はまだ、
「――――は」
「勝ちたいと願っている。何もかもどうでも良いみたいな顔をして、実は何一つ諦めきれていない」
「勝手な、事を……!!」
「女神が"学習"する? どんな理屈だよ、それ。違う。君の能力だ。君が、成長したんだ。勝ちたいと必死に願って、己の能力に磨きをかけたんだ」
「勝手な、事を、言うなよ……ッ!!」
声が震える。まだ疲弊が抜けていないからだ。
視界が滲む。あまりに馬鹿らしい事を言われた憐れみだ。
そう思い込む。
「諦めて……諦めたんだよ、僕は!! 何をどうしたって勝てないから!! 今までの人生、ずっと負け続けてきたから!! じゃあ、だって、他にどうしろって言うんだ!! 誰も僕を見てくれなかった!! 何が女神の寵愛だよ!! 今までの人生、何一つ、思う通りになんてならなかったくせに!!」
何を喋っているのか、紫乃宮自身でさえ分からなかった。
「努力の成果は全部女神のお陰にされた! 両親でさえ僕でなく、僕の能力を愛した!! 何とかしようと足掻いて、全部失敗した!! そんなところにアレだ!! 《天譴》が来た! 僕が敵わなかった女神を、吐息一つで殺せるようなバケモノが来た!! だったら―――もう、諦めるしか無いじゃないか!!」
否定したいのか。目の前の男を。どうやって。分からない、とにかく目の前にいる男の全てが気に食わない。
「―――ッそうだ、《天譴》だ!! お前は彼を知らないからそんな事が言えるんだ!!」
《天譴》の怪物性を、真に"実感"しているのは自分だけだろうという確信が紫乃宮にはあった。
黒鉄の誤りが一点ある。"女神"なる者は
異能の仮想人格とでも言うべきそれが、紫乃宮には宿っている。傲慢で、過保護で、一方的な寵愛を注いでくる女神が。
そんな女神が。《天譴》には、
「僕が能力過剰発動時に唱える言葉! 一神教の教義や神学理論、そして祈りの言葉!!あれは、僕が言っているとでも思ったか!? 違う!! 女神が言っているんだよ!! 明らかに他宗教であろう
血を吐くように、紫乃宮は絶叫した。
「偉そうなこと言うなよ、お前だって彼に勝てないくせに!! お前の恋人は無惨に負けたくせに!! 今後、一生、生涯をかけたって、彼に敵わないくせに……ッ!!」
そこまで言って、もうダメだった。
己の頬に流れる涙の存在を、もう認めざるを得なかった。
悔しいと思っていたのだ、自分は。何に?
己の人生全てに。能力に踏み
何一つ思うように行かない人生で。無様な女神に、なお踏み潰される、ゴミみたいな人生で。
それでも。
「僕だって―――僕だって、
臓腑の底から絞り出すような声と共に、紫乃宮は崩れ落ちた。
……いや。紫乃宮では無い。
彼の本当の名前は、
天音紫音は、己の何もかもを吐き出して、無様に泣き崩れた。
「――『悔しいか小僧。なら、その悔しさを捨てるな。それはお前が自分を諦めていない証だ』」
そんな天音の頭上から、そう静かな声が響いた。
「……は……?」
「僕の、尊敬する曾祖父の言葉だ。Fランクで、才能が無くて、家では居ない物扱いされて……そんな時に、彼がそう言ってくれた」
「――――」
「諦めちゃダメなんだ。《天譴》に勝てなくても。絶望に押し潰されそうになっても。挑み続けなきゃダメなんだよ。そうしなきゃ、確率は本当にゼロになってしまう」
黒鉄自身、強がりだと分かっている言葉だ。
《天譴》に勝てるかなんて、そんなの黒鉄自身が一番不安に思っている事だ。彼の才能に。イカれた技術に。たった数秒で人の技術をラーニングする天性の才に。勝てる訳が無いと、そう思わなかったはずが無いだろう。
「それでもやるんだ。だって―――結局、僕たちは
それでも、勝ちたい。
愛する恋人と共に、騎士の高みへ昇り詰めたい。
これを諦めて一生を暮らすなんて、死ぬよりも辛く、難しい事だから。
「君の痛みも、君の絶望も、全部君自身のものだ! だったら、君自身の足で立って、君自身の剣で僕にぶつけてみろ!! 僕は僕の
そういう思いを込めて、黒鉄は天音へ手を差し伸べた。かつて、何もかもを諦めようとしていた己の"同類"へ。それでも諦めるなと、精一杯のエールと、淡い祈りを込めて。
「…………………」
天音はその手を、しばらくジッと見つめ―――そして、その手を叩き落とした。
「あっ……」
「……バカじゃないのか? 試合中だぞ。敵の手を借りて立つなんて事、出来る訳無いだろ。手を差し出す方も差し出す方だ」
そう皮肉って嘲笑した後、自力で立ち上がる。
「……僕に勝ちたいだけなら、もっと簡単な手段が幾らでもあったはずなのに。わざわざ面倒な真似をして、勝手な説教をして、おまけに『諦めるな』なんて……君、ホンットに馬鹿なんだね。バカ。呆れた。《七星剣武祭》をカウンセリングルームか何かだと思ってらっしゃる?」
「……ははッ」
皮肉屋で負けず嫌い、なおかつ捻くれた性格。
プロファイリング通りの言動を見せる天音へ、黒鉄は苦笑しながら内心嬉しく思っていた。
黒鉄には分かるからだ。彼の言葉は、言葉通りの意味では無く……むしろ、その"逆"の気持ちが込められていると。
「こんな馬鹿に負けたら、末代までの恥だ……何としてでも、『勝たせて』もらうよ」
天音の手に、再び《アズール》が握られる。
いや、今までと同じ物ではない。全体に黒くモヤがかかり、刀身は黒く不吉な光を放っている。天音が願う、今出せる全力。一撃で相手を殺傷せしめる、『死』の概念その物だ。
「言っておくけど、殺しちゃっても謝らないから。《
「ああ。そうだね。大丈夫、暁学園の生徒でも先生はちゃんと治療してくれるよ」
「……君もたいがい皮肉屋というか、負けず嫌いだよね」
黒鉄の身体から燐光が立ち
《夜叉姫》西京寧音との特訓で掴んだ、魔力制御の極意。それによって、黒鉄の伐刀絶技はどれも数段階飛躍した。"この一合で決まる"という気合が、彼の魔力を全開で駆動させる。
スタジアムの観客、実況、全てが黙り込んだ。
静寂。そして―――炸裂。
「《
「――――《
不吉な黒き死の概念と、運命を斬り拓く一陣の燐光。
二つの影がぶつかり、一つの影が倒れた。どこか
《七星剣武祭》準々決勝、第二試合。
勝者、《