落第騎士の英雄譚 意識低い系風味 作:一般落第騎士
連盟―――正式名称『国際魔導騎士連盟』の本部は、イギリスの首都ロンドンに存在する。
神話や伝説に語られる伐刀者同士をぶつけ合い、血で血を洗う戦争を繰り返して来た欧州が、その不毛さ(なにせ戦争で失った伐刀者は10年以上経たないと
《連盟》による統治に異議を唱えた幾つかの大国が《同盟》という新たな組織を立ち上げるまで、世界の秩序は《連盟》が一手に担っていた。現本部長アーサー・ブライトの血筋は、
『報告します。《同盟》所属国ロシアによる第三次東部侵攻作戦は、我が方の迎撃網に掛かり完全に頓挫しました。敵機甲師団は補給線を断たれ、現在後退中。我が軍の損害は想定の範囲内です』
『よし……良くやってくれた。死者は?』
『数千名。敵手を山岳奥へ引き込むための囮となった右翼第七軍は壊滅しましたが、それ以外は継戦可能状態を保っています』
『ならば良い、尊い犠牲だった。地の利がある我々の方が戦況は優位だ、必ず《同盟》に出血を強い、撤退へと追い込むぞ』
時刻は夜深く。
臨時的に設置された参謀府では、バタバタと人が入れ替わり立ち代わり訪れながら、書類の束やUSBメモリを置いて簡潔な報告と共に去っていく。それを眺めながら、アーサー・ブライトを中心とした《連盟》首脳陣の何名かが満足げにうなずく。事前の戦力差は絶望的だったはずだが、《連盟》の立案する作戦がことごとく当たる事で戦況はほぼ互角に推移していた。
『捕虜など取るなよ。《同盟》の鬼畜どもに食わせる糧食が惜しい』
『当然だ、既に大使館からも人員を引き上げさせている。あのまま置いておけば、《同盟》の悪鬼共にどんな目に遭わされるか』
『交渉の道など無い。《同盟》を滅ぼすことだけが、この戦争における唯一の勝利条件だ』
憎い《同盟》を根絶やしにしなければならない。何故なら、向こうは既にそうするつもりだからだ。交渉の余地は無いと、言葉を交わさずとも互いに確信している。途方も無い数の死者が出ているせいで一部の民衆には厭戦ムードが広まっているらしいが、彼らはまだ《同盟》の邪悪さに気付いていないだけなのだ。そういう、偏見に満ちた会話が繰り返される。
薄く
知性を底上げし、暴力性を僅かに向上させ、頭に血を
「―――カスがよ」
上空約20000m。総理に用意されたステルス爆撃機の
エーデルワイスさんが感知してくれて良かった。日本を出て、僅かにでも異能の残滓に触れてみれば分かる。この異能の悍ましさ、異様さ、
あの時、あの場で声をあげて本当に良かった。
『殺すしかない』と、理屈抜きで直感するような邪悪な魔力が欧州全土に満ちている。
"……おい、聞こえるか。目的地に到達した"
"敵勢力圏のド真ん中、ロンドンの真上だ。一刻も早く退避しなければ、僕の《
《
彼の異能、《
そんな今作戦の立役者である彼の声が響くと同時、突貫工事で取り付けられた簡素なランプが灯る。ギュィイイイイン!! と油圧ポンプの駆動音が鳴り響く中、ブツブツと桐原さんの呟く声が聞こえる。
"クソ、Gで全身が痛い……。高度2万mだぞ? ここから生身で単独降下とか、自殺と何が違うんだ。信じられないくらいアホな作戦だ、総理は頭がおかしくなったのか? なにより、それに僕を付き合わせるあたりが最高に腹立たしい。コイツとパイロットだけで良いだろ"
「……すみません、桐原さんの異能が無いとステルス機を此処まで持って来れないので……」
"チッ……お前、マジで、絶対に死ぬなよ。僕は巻き込まれた側だってのに、僕の事まで恨んできそうな頭のおかしな女が何人か居るからな……。なんだあの湿度、あそこだけジャングルの雨季か?"
「はい?」
彼の返事を待つ間もなく、ランプの光が青から赤に変わる。投下開始の合図だ。
"何でもない……とにかく、負けるなよ。
「ははっ―――了解!」
ハッチが開く。
凄まじい暴風と共に、支えを失った俺は真っ逆さまに大空へと放り出された。眼下には見渡す限りの分厚い雲海が、後ろには群青色を通り越して黒く染まった空が広がっている。高度2万m。空というよりも宇宙に近い場所だ。
外気マイナス60度、気圧は地上の数パーセント。本来なら血液が沸騰し一瞬で窒息する環境。むき出しの肌を不可視の刃のような
「―――――――ッ」
高度九千、八千、七千。
着地点調整のためにほんの少し、ごく少量の焔を放出し身体に纏わせる。《エキシビジョン》で一度完全解放したことにより、制御力が向上したからこそ出来る技だ。
高度2万mからの落下時間は、おおよそ3分半。桐原さんの《
「《天衣無縫》」
殺到する対空ミサイル、対空砲、警備伐刀者の伐刀絶技。全てすり抜け、落下を続ける。
高度三千、二千、一千。
分厚い雨雲を突き抜けた瞬間、眼下の景色が一気に開けた。黒い闇の中、街明かりが蛇行する川を鈍く照らしている。あれがテムズ川だろうか。流石は《連盟》本部が置かれるだけあって防空網は完璧らしく、歴史ある建造物のあちこちから防空兵器がせり出してきている。加えて、《連盟》本部は既にジオフロントへと収納され、その上は強固な隔壁で覆われている。東京と同様の設備を有しているらしい。
大戦を経て生まれた、伐刀者の異能を利用して造られた最新鋭の都市要塞。
それも、俺には一切問題ない。
「来い―――《
高度五百。
虚空から剣を引き抜く。身体に纏わせていた炎が白く輝き始め、魔力を焼く楽園の焔となった。
隔壁を視線で斬り裂き、邪魔な物は焔で溶かす。無減速のまま隔壁を通り抜け―――着地直前、爆発的な焔の奔流を解き放つ。
鼓膜を破るような轟音と共に、巨大な火柱が逆巻く。
「~~~ッ、ふぅ……」
片手と片膝を立てた姿勢で三点着地。落下の衝撃で足元には亀裂が走り、踏み砕かれた瓦礫が宙を舞った。もうもうと立ち込める粉塵の中、衝撃を逃すために深く息を吐き出す。数秒の静寂の後、周囲にはけたたましい警報のサイレンが鳴り響き始めた。
「……さて。突然の訪問、大変失礼いたしました」
ゆっくりと顔を上げ、周囲をぐるりと見渡す。
落下地点の調整は完璧だ。観測したかぎり最も大きな魔力反応たちが集っている場所、つまりは《連盟》の本部会議室へと俺は真っ直ぐに落ちてきた。
当然、俺の周囲には《連盟》の有力伐刀者たちがそれぞれの霊装を構えている。着地時の焔で倒せた者も居るが、着地の余波はほぼ全て一人の伐刀者によって防がれてしまったようだ。
「貴様……《天譴》甘木悠か……ッ!!」
ふらつく身体を必死に抑え、地に突き立てた剣を頼りに立ち上がる白髪の老人。
《連盟》本部長。世界二大勢力の片割れのトップ。《白髭公》アーサー・ブライトだ。
「何の冗談だ、これはッ!! 《連盟》の裏切り者、日本の超級伐刀者が、たった一人で《連盟》本部へ強襲だと……!? 月影獏牙は気でも触れたか!?」
身体にまとわりつく焔を振り払い、アーサー・ブライトさんがそう叫ぶ。
先祖代々、長兄のみが同じ異能を継承するという世にも希少な家系。アーサーさんはその家系の当主であり、今代における《聖剣》の担い手だ。俺の焔を受けて影響が薄いのも、有する異能の相性による物だろう。いわゆる聖属性には効きが悪いゾイ(三代目ものしり博士)。
「失礼な、総理はちゃんと正気ですよ」
剣を一振りし、焔を軽く散らして宣言する。周囲の伐刀者が焔に炙られるが、聖剣の輝きがそれを遮った。全員が油断なく俺を見据えるのを感じながら、堂々とした顔で言い切る。
「俺が来たのは、皆様に一つお願いがあっての事です。――――皆様に、我が国との
この戦争は
一歩間違えば全世界からヘイトを買う行為だが、月影総理はそれでもやってみせると言った。
このまま放っておけば、戦争はもう取り返しがつかない程に長期化する。
己は日本の国土が焼かれないために政治家となったが、他国が同じ目に遭うのだって本当は嫌なのだと。恐れに冷や汗を流し、顔を引き攣らせ、それでもどこか嬉しそうに笑いながら。月影総理はそう啖呵を切ってみせたのだ。
そのために振るわれる魔剣が俺だというなら。
当然、その期待には応えなければならない。
「
スラスラと、事前に渡されていたカンペ通りの文言を述べる。古今東西、『土地と金が欲しいから』という名目で始まった戦争など存在しない。本質的な理由がどれほど低俗だろうが、大義名分は極限までオブラートに包む必要があった。
「貴国の主権と尊厳を最大限尊重する事を約束いたします。その上で、双方の将来的な安定と地域の平和を考慮し、いくつかの措置についてご検討いただければと存じます」
「その要求を呑ませるための特使が《天譴》、貴様だというわけか! 暴力で脅しておきながら和平だの平和だの、貴国の二枚舌には我々イギリスでさえ恐れ入るばかりだな……ッ!!」
怒りに満ちた声と共に、アーサー氏が己の霊装を顕現させる。豪奢な装飾が施された、眩しく煌めく宝剣。祖先から継承され続けて来た霊装、《聖鋼王剣
「まだ何も聞いておらんが、答えを先に言っておこう。全て『NO』だ! 卑劣な侵略者と交わす言葉など全く、
チロチロと小さな炎があちこちにまき散らされた室内に、別種の強烈な光が混じる。聖剣から放たれた光が、室内を明るく照らし上げる。
強烈な威圧感がビリビリと空気を震わせる。
当然だ。年老いたとはいえ、彼は《連盟》の盟主。世界三大勢力の一角における最高戦力。それが《白髭公》アーサー・ブライト氏だ。俺の任務は彼を出来る限り無傷で捕縛する事だが、万が一にも失敗は許されないため《
―――そこまで考えて、俺はふと違和感に気付いた。
「………………ん?」
「いかに《同盟》との戦争状態にあるとはいえ、後方議会への直接攻撃など前代未聞! 戦時国際法を完全に無視した、野蛮極まるテロリズムの証明だぞ……! 勝ち馬に媚びる《同盟》の犬めが、ついに落ちる所まで落ちたな……ッ!!」
「いや大概正論なんだけど、それだけは《黒騎士》と《カンピオーネ》送り込んで来た側が言うなよ……っていうより、んん……?」
髭を蓄えた、老紳士然とした顔のアーサー氏。
口角泡を飛ばして怒る彼を、俺は訝し気な顔でじっくりと見つめる。
日本の勢力圏を出た時から、世界を覆う薄気味の悪い魔力の残滓には気付いていた。前線や《連盟》本部付近は特にそれが顕著で、この異能の元凶を何としても探し出して殺さなければと直感していたところなのだが……。
「……居るな、お前」
目を細める。
注意深く観察しなければ気付けない程度の違和感。相当に上手く潜伏している、エーデルワイスさんが『探し出すのに10年かかる』と言っていただけの事はある、陰に潜む蛇のような優れた
そういう超越者の気配を、目の前から感じる。
「……何? 何を」
「元々、ここで見つけられなかったら10年かけて探し出すつもりだったが……手間が省けたな。わざわざイギリスまで来て良かった、元々ここに潜伏してたのか?」
「貴様、誰に向かって―――」
グルン、とアーサーさんの眼が白目を剥いた。
「―――ぇ、おあぁぉ」
ブツン、と何かが切れるような嫌な音が響いたかと思うと、アーサー氏の屈強な身体が糸の切れたマリオネットのように折れ曲がる。涎を垂らす口元から、調子の外れた声が垂れ流された。
「だから―――だから、名前には重さがあるとカタツムリ氏が言ったんだ。黒板の中に先生が居るんじゃないのか?聞いていると耳が増えるんだよ、昨日は五つだったんだぞ。太陽系がゴム手袋に包まれたため、我が軍の右翼はいちごジャムの第三防衛線を鉄壁としている。平和の祈りとはつまり裏返ったアリクイの三半規管、緑色の叫び声を聞いて靴底の釘が錆びる程度で済むと思うなよ――――――そりゃ、《天譴》が動いたとなればねぇ。様子は見に行かないとでしょ」
ガクガクと痙攣しながら彼の口が不規則に動き、快活な青年の声を出す。
周囲の《連盟》幹部たちはいつの間にか微動だにせず、全員がニコニコと笑いながらこちらを見つめている。遠くでけたたましくサイレンが鳴っている割に、誰一人としてこの部屋に来る気配はない。
遠隔からの異能行使……いや、人体への寄生か? 肉体を乗っ取る、あるいは操る能力。それも潜伏が相当に上手い。そう脳内にメモを取りながら、目の前のアーサー・ブライト氏だったものを見つめる。
「様子見、ね……。どうも初めまして、わざわざ出て来てくれてどうも」
「ははは。初めまして、《天譴》甘木悠。僕は《革命軍》首魁、《暴君》アダムス・ゲーティアさ……それで、どんな用だい?」
血涙を流し、口の端から黒い泥を垂れ流し、それでもアーサーさんの顔をニコニコと笑わせながら、青年の声が語りかけて来る。笑っておけば友好的だと、そう思っているのだろう。そういう人間である事がなぜか俺には確信できる。
「……見りゃ分かんだろ。ここで無理矢理終戦協定結んで、戦争を止めに来たんだよ」
「なんで? うっかり巻き込んでしまった《比翼》が異能の介在に気付いて、そこから月影獏牙が目的を推理した……って感じで、僕の存在がバレたのは推測出来るんだけどさ。なんで甘木くんが動くのかは分からなくて。徹頭徹尾、《
油断無く周囲を見渡しながら、溜め息を吐く。こういう相手か。
「分からないのか。お前の目的が"戦争を引き延ばす"っていうカスみたいな物のくせに、俺がそれを止めに来た理由が、全く分からないって?」
「うん。本当に、何がダメだったの? まずは話し合おうよ、直せる所があれば直すから」
背後の幹部がそう答える。白髪の、気の強そうな老女。かつて日本に《黒騎士》を送り込んだ、フランス支部長の《銃剣》レヴィ・アスカリッドだ。それが、今は口から泥を垂れ流しながら青年の声で喋っている。
「悪趣味だな」
「こういうのが好きでねぇ。特にこの《白髭公》は昔に色々あったし、この《銃剣》が酷い目に合ってると君も嬉しくなってくれるかと思って」
着地の衝撃で照明等は破砕されている。
焔に包まれた部屋の中で、揺らめく影がボコボコと泡立ちながらそう喋った。
「話し合いねぇ。まあ
こうやって相対してみて、絶対にろくでもない物だと本能が告げるのだが。それでも、まあ一応動機とかを聞いてみた方が良いだろう。説得とか100%無理だろうけど。
「僕? 僕はねぇ……『
「次……?」
「ああ。司る物の影響だろうね……何事も、ダラダラと惰性で続けられるのが嫌いなんだ。醜く老いて晩節を汚したり、どうしようもなく煮詰まってるのにいつまでも終わらなかったり……そういうのが本当にダメなんだよ」
そう言って、アーサーの顔が不気味に歪む。苦笑いしているつもりなのだろう。
「"終わりがあれば次がある"、ってよく言うだろう? 僕はね、
「…………」
「この異能の影響でね、人類史には嫌でも詳しくなる。ホモサピエンスの誕生から20万年、文明の誕生から5000年、西暦が始まって2000年。技術こそ発達したが、人の本質は変わらない。似たような事を、手を変え品を変えやってるだけだ……なら、そろそろ『次』を見たいと思わないかい? この戦争で人類史を
そう言って、アダムス・ゲーティアがアーサー氏の顔でにこやかに笑う。老人の硬い表情筋が限界を超えて引き伸ばされ、ピクピクと不快な痙攣を繰り返している。
「……なるほどね。良く分かった。そういう動機か」
「ああ。人類はもうマンネリってやつさ。ゴキブリでもイルカでもアリでも植物でもナメクジでも、次に
そう言ってから、アダムスが慌てたように手を振って訂正する。
「ああ、勿論だけど君には何一つ危害を加えないよ? 君が生きている間は大人しくする、むしろ協力しよう。君の手となり足となり、甘木君の幸福のために全力を尽くしたって良い」
「……俺が居なくなったら?」
「……? 全力を懸けて人類を滅ぼす。でも、君はもう死んでるんだよ? 関係ないじゃん」
「……へぇ……」
徹底した利己主義。それがアダムス・ゲーティアの思想なのだろう。個人の損得以外に判断基準が無く、それが当然だと思っている。
「どうだい、僕は役に立つよ? この肉体だって仮初だ、君が望むなら絶世の美女にもなれる」
焔と闇に囲まれた部屋の中。ボコボコと影が泡立ち、蛇の形となって這い出す。
「せっかくだ―――少し
不定形に姿を変えながら、影が俺の周囲を飛び回り
「もし君が、
世の流れを操って、君に溢れんばかりの物質的幸福を与えよう。世界の富は全て君の物だ。
もし君が、周囲からの尊敬を得たいなら。
これも私が叶えよう。ほんの少し頷けば、君は戦争を食い止めた英雄として万人に尊敬される。
もし君が、功成り世に名を馳せる事を望むなら。
私を赦すなら、これをみんな与えよう。世界の王として、思うが儘の権力を振舞わせてやれる」
―――三重欲求。人間の罪の根源、原罪は「肉体の欲」「眼の欲」「世の欲」の3つとされ、それぞれが肉体的欲求、精神的傲慢、世俗の権力欲を意味する。サタンがイエスを堕落させようとしたエピソード、それになぞらえて俺を説得しようとしているのだろう。
「…………」
大きくため息を吐き、焔で影を振り払う。
「断る」
「んー……。なら、何か欲しい物は無いかい?」
「沢山有るが、お前からは要らない。……一つ、勘違いを正してやるよ」
そう言って、影に潜むアダムス・ゲーティアを見据える。
「与えられた物だけで満足できる奴なんていない。押しつけがましく渡された幸福で、本当に幸せになれる人間なんていない。個人の幸せはそいつ自身にしか決められないし、自ら選んだ物でしか人は本質的に幸福になれない。……俺も、最近やっと分かった事だけどな」
どれほど万能な存在にも、出来ない事がたった一つある。
『全人類を、"全く同じ方法で"幸福にする』事だ。
何故なら、個々人によって思う幸福の形は違う。善悪の基準が違う。他人から渡された物はどれだけ似ていても何かが違い、自ら掴んだ物はどれほど質が悪くても輝いて見えてしまう。餌を与えられ、生活を管理され、一から十まで何者かによって与えられても、人間は幸せになれない。何かが違うと感じ、自ら選びたがってしまう。
「馬鹿らしい時もあるが、仕方がない。アダムとイブが知恵の実を食べた時から、俺たちはそういう生き物になってしまったんだ」
『主なる神はその人に命じて言われた。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」』―――創世記 第2章 16-17節。
イブは蛇にそそのかされ、知恵の実を口にした。
自ら善と悪を決め、考える力を得た。己の幸福を己で定める力を得てしまったのだ。選択する事を覚え、楽園で過ごす資格を失った。
だからこその失楽園。《
神によって全てを管理された楽園へ戻るには、
「
―――そして恐らく、その方が
失楽園については、複数の説が存在する。
サタンの誘惑だとする説。グノーシス主義による解釈。人類学・歴史学的なメタファー。
そして―――『アダムとイブが知恵の実を食べる事も、神の計画の一部なのだ』とする説。誘惑と苦難、救世主による救済を経て。人類が真の意味で成熟するための《
何が自分の幸せなのか。将来どうなりたいのか。
それを己で選択できる事こそが幸福だと、俺はそう定義する。
「俺の幸せは俺が決める。お前の助力なんぞ無くても、自力でちゃんと幸せになるさ。
―――差し当たってまずは、お前をブチのめしてからゆっくり進路を考えるよ」
白い焔が噴き上がる。
コイツを放置していれば、月影総理やエーデルワイスさんは悲しむだろう。東堂会長も心を痛めるだろうし、西京さんも良い顔はしないだろう。桃井だってそうだ。一年の頃、気軽に話しかけてきてくれた桃井に俺がどれだけ助けられたか。彼ら彼女らが湿気た顔をしている中で、俺だけが気楽に笑えるわけが無い。
つまり。俺が本当に幸せに過ごすには、周りの人も幸せでなくてはならないし。
そしてそのためには、
「これは……交渉失敗かな? はぁ……《天譴》とだけは戦いたく無かったんだけど」
「今からでも間に合うぞ。もう二度と余計な真似はしないと《契約》してくれれば良い」
「……って事は、近くに《比翼》も居るのか。その割には気配がしないけど……まあいいや。《天譴》と敵対した時点で、たとえ逃げ回っても10年程度で捕まるだろうし。しょうがないか……」
色濃くなった闇の中、影がゴボゴボと蠢き姿を形作る。
金髪碧眼に整った顔立ち。その身に纏う悍ましい魔力を除けば、モデルとして雑誌の表紙を飾っていそうな青年がそこには立っていた。
「来い―――《
『この獣には、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した』―――ヨハネの黙示録 第13章 5-6節。
這い回っていた黒い影と泥が一箇所に収束し、彼の手元で一本の剣となる。
光を一切反射しない、捻じれた黒い長剣。刀身には茨のように紋様が走り、不吉で濁った赤い光が脈を打っている。
内心で、警戒レベルを一段階引き上げる。
コイツはやはり、俺やエーデルワイスさんと同格。異能を極めた超越者だ。
見ているだけで気分が悪くなるような、醜悪な気配。そして―――それが、
「しょうがない、しょうがない……仕方が無いから、滅茶苦茶やって足掻いてみようか……」
数十体。数百体。数千体。
「………………ッ」
「同じ超越者枠とはいえ、君と一対一では絶対に勝てない。十対一も、百対一でも同じだ。だから、まあ……総数
夜の闇に溶けるように、アダムス・ゲーティアたちが並んでいる。部屋を埋め尽くすどころか、ジオフロントの広大な空間さえ圧迫する漆黒の軍勢。
「……評価され過ぎてて涙が出るね」
「大丈夫。今ちょうど臨時生産中だから、あともう数万体は追加で出せそうだよ」
「…………へえ、そう。良いぜ、数万でも数億でも持って来いよ」
剣の柄を握り直し、ぐるりと視線を巡らせる。
焔による魔力焼却は腐敗で相殺され効きが悪い。視線斬りも魔力斬りも、使いやすい技は当然のように対策されている。そんな中で、"少し格下"程度の相手が数万人。アダムスたちが全く同じタイミングで、全く同じ笑顔を浮かべる。
そんな状況でも、俺は恐れを押し込め、学習した通り不敵に笑った。
「一匹残らず、灰も残さず焼き尽くしてやる……!」
第三次世界大戦、その天王山。
《天譴》甘木悠 対 《暴君》アダムス・ゲーティア。
一人対数万の最終決戦が、極大の白き焔と共に幕を開けた。