Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
ーーinterlude 3-3ーー
冬木市。 新都の連なる高層ビルの中で、今はもう使われていないモノもある。 そういうビルは大抵、老朽化が進めば改築して再利用するのだが、使われなくなったのは最近らしい。 ライフラインが通らないそこは、人の影は全くない。
が、それこそ幸いと言うべきか。 美遊と魔術師である凛、ルヴィアの三人は、暗闇の中を迷わず歩いていた。
三人が何故こんなところに居るかと聞かれれば、そんなもの答える必要すらない。 美遊が居るということは、カード回収に決まっているからだ。
昨日の今日でと思うかもしれない。 只でさえここ連戦に継ぐ連戦。 昨日の戦いでは実質後手に回り続け、勝利とも言えない勝利に、少なくない損害を被ったばかりだ。
更にはーーもう、イリヤスフィールは戦わない。
「……全く、ルビーにも困ったものね。 アイツが居れば少しは楽になるのに」
「仕方ありませんわ。 私達に契約を破棄させる力も、権限も無い以上、美遊に頼る他ありません」
夕刻のことだ。 公園で待ち合わせ、凛達の前に現れたイリヤは、俯いたままこう言った。
もう、戦いたくはない、と。
これ以上、誰かを傷つけたくはーー殺し合いなんてものをしたくはないと。
そう。 イリヤは戦うという意志を砕かれてしまった……凛達を、美遊を、兄を傷つけたことと、何よりそんなことをしてしまった自分に対して。
元より無理の話だ。
美遊が余りに優秀すぎたからか、カレイドステッキに選ばれたイリヤにも期待してしまった。 故にイリヤの心に気付けはしても、それをケアすることは凛達には出来まい。
まぁ、ルビーがイリヤと共に居ると言ったときは、本気で消し飛ばしてやろうかと凛は息巻いていたが……どうせあとはバーサーカーを残すだけ。 イリヤが居なかろうと、切り札である
だから、美遊は二人の期待に当然頷いてみせる。
「はい。 心身共に問題ありません。 安心してください、全て終わらせます」
「……ふぅん」
凛が興味深そうに、美遊に視線を送る。
凛とルヴィアは、今日はカード回収をせずに、休息にあてようと考えていた。 残り一体とはいえ、そこで気を抜けば命取り。 一日程度経たところで、そこまで歪みは大きくならない。
そういう考えもあったのだが、士郎の見舞いをした後、美遊は決意したようにこう告げた。
ーーカード回収は今日で終わらせます。
それを聞いたとき、さしもの魔術師二人も渋面を作ったものだ。 何せサポート役である二人ですら、疲労は溜まっている。 直接戦闘している美遊の疲労は、その比ではないだろう。 なのに美遊はまるで疲労など感じさせないほど、強い意志を見せつけてきた。
ここまでさして感情を見せず、カード回収を行ってきた美遊が。 ここに来てようやく、相応の覚悟をしてきた。
それを尊重しないわけにはいかない。 というか、賛成しなければ美遊、並びにそんな義妹の成長に感動したルヴィアが、鏡面界に突っ込みかねない。 夜の予定は決まったも同然であった。
それでかは分からないが。 凛は、少し探りを入れてみることにした。
「殊勝なことね、美遊。 あなた、最初は私だけで十分とか言ってたのに……この数日で、あなた変わったわ」
「? そうでしょうか? 別に、変わったところは無いと思うんですが……」
「いいえ。 あなたは何て言うか……そうね、殻を破った、というところかしら」
「???」
言葉ではその真意が伝わらないのだろう。 あえて、凛はそのまま語り出す。
「確かにあなたは、最初から一人で戦うと言ってたわ。 でも数日前のあなたと、今のあなたはまるで違う。 少なくとも、あなたは誰かのために戦おうとしてる」
「……」
「それが誰であるかは聞かないけれど、これだけは言っておくわ。……イリヤ『達』と一緒に居たいなら、もっと自分を出しなさい。 あなた、ホント可愛いんだから、そういうところはキッチリしないと損よ?」
「え」
てっきり踏み込んだ質問が飛んでくるのかと思い、思わず目をパチパチと開く美遊。 そんな彼女にルヴィアは腕を組んで、こう付け足した。
「確かに、美遊は何でもそつなくこなせはしますが、些か侍女だとしても慎みがありすぎますわ。 堂々と、何の気なしに胸を張るぐらいの純粋さが欲しいところですが」
「いえ、私はその、胸を張っても寂しいというか……比較対称が大きすぎるというか……」
「何で胸の話になってんのよ。 というか私を見て笑うなっ、そこの金ぴか縦ロール!」
「ホホホ、ごめん遊ばせ。 私、別にあなたを見て言ってませんの。……良いですか美遊、アレが悪い見本。 あなたもああなりたくなければ、とにかく私を真似ること。 良いですわね?」
「聞こえてんのよこのプロレス女ッ!」
途端、暗い視界の中をぎゃーぎゃー騒ぎ出す二人。 一応暗視の魔術を施しているため、やたらめったら暴れているわけではないのだが、良い年こいてあんな風に慎みが無いのもどうなのだろうか。 美遊は疑問に思わずはいられない。
「……でも」
そういう面も持つから。 きっと彼女達はこんなに凛々しく、あんなに鮮やかに生きているのだ。
「うん。……分からないでもない、かな」
数日前と比べて、自分はこうして笑えている。 守りたいと思えるモノまで出来て、一緒に居たい人が居る。
恐らく、兄もそうだった。 だからここから先は、美遊の番だ。
さぁーー終わらせよう。 美遊は改めて心の中でそう決意し、歩を進めた。
それは、懐かしい声だった。
「? どうしたんだい、士郎? そんなに呆けて、らしくない」
それは、とてもとても、懐かしい姿だった。
午後九時という、少し遅い時間に病室へ現れた訪問者。 普通に来れば良いのに、何故こんな時間帯に来たのだろうか。
萎びた花のように、皺だらけのスーツ。 緩く結ばれたネクタイはさながら、仕事帰りのサラリーマンのそれだ。
だが分かる。 知っている。 この男は、神秘に身を置きながら、誰よりも神秘を壊し続ける。
魔術師殺し、衛宮切嗣。
十一年前の火事で、ただ一人俺を助けてくれた人。 その火事で、誰よりも救われた人。
そして六年前、呪いの淵に安らかに沈んでいったーーもう今は会えない、大切な大切な家族。
「……いや。 いきなり帰ってきたから、びっくりしてさ。 おかえり、親父」
何て言うべきか。 一瞬、ほんの一瞬だけ、迷いが生まれ、即座にそれを押し潰す。 月明かりぐらいしか照明の代わりになるものがないため、切嗣の表情は見えない。 とりあえず、当たり障りのない会話をしてみることにした。
「ハハハ、おかえり、か。 確かにそれは嬉しい言葉だけど、病室で言う言葉ではないね。 それじゃあ僕の家は病院になってしまう」
「なに呑気なこと言ってんだよ。 親父だって、そろそろ良い歳だろ? 老後の備えは重要だって、藤ねぇでさえ言うぐらいだ。 親父や義母さんは外国を飛び回ってるんだから、変な病気とか貰いそうで怖いし」
「これはまた、親孝行モノだな士郎は。 だけどまだ僕は四十代になったばかりだし、まだまだ現役さ。 勿論、士郎の心配は嬉しいよ、だから今回はーーこうやってすっ飛んできたんだからね」
近くのパイプ椅子を開き、切嗣はベッドの横に腰かける。 その動作が余りに元気だったからか、何だか複雑な気持ちになった。
……俺が覚えている切嗣は、この世界の切嗣ほど元気ではない。 後になってわかったことだが、切嗣があそこまで衰弱し、老けていたように見えたのもーー全ては聖杯の泥に犯されていたのが原因だ。
だから、打ち明けるわけにはいかない。 この男に頼って良いわけがない。
ルビー達は、自分から気づいたからなし崩しに話した。 けれど、イリヤと同じようにーーこの世界では誰にも、絶対に話せない。
俺にとって平和と言えるこの世界で、何故そんな残酷なことを口に出来るのか。 偽善だろうと、嘘つきと罵られようと、そんなものは関係ない、知ったことではない。
……正義の味方として、それは破綻している。 当然、そんなことは分かっているとも。 それでも、この幸せを壊すぐらいならーー。
「……どうやら、反省してるみたいだね」
「へ?」
全く聞いてなかった俺がそんなに可笑しかったのか、切嗣の頬は弛みきっている。 それに俺は、少しムッとした。
「……笑うことないだろ、別に。 言っとくけど、俺だってこんなことになるとは思ってなかったんだ」
「はいはい。 でも、僕としては嬉しいかな。 士郎はしっかりしすぎる所があるから、そうやってハメを外すぐらい無いと、男親としては物足りない」
「……親父はだらしなさすぎるだろ。 ジャンクフードにしても、バランス良く栄養取れよな。 つか、物足りないってなんだよ物足りないって」
「ん、そうだな……例えばほら、殴り合いとか。 そう言うの、結構憧れててね。 ロマンって奴さ」
ぐっ、と。 拳を握る我が父。 それで、どこの世界の切嗣も変わらないんだなー、なんて再確認してしまった。
まぁ、病院に運び込まれたことで、少しは落ち着いた。 どうにもエミヤシロウの記録と、融合した体のせいか、イリヤを守らなきゃという想いが日増しに強くなってきている。
前からカッとなることが多かったが、ここに来てから三日、既にもう二回は特攻してしまった。……自制しないと、このままじゃ簡単に命を落としてしまうだろう。 かと言っていても、ブレーキ役である俺の知ってる遠坂や、セイバーは居ないし、イリヤにブレーキをかけられたところで特攻してしまうのは目に見えている。
ならばこそ、切嗣に問わなければいけない。 その全てを。
イリヤの力。 アレがもし、聖杯としての力だと言うのならばーーこの世界でも、聖杯戦争が行われていた証拠。
「……なぁ、親父」
「うん?」
「イリヤのことなんだけどさ。……イリヤは、本当は」
ホムンクルスなのか。 そう問おうとして、そこで口をつぐむ。
……それは、本当に答えさせて良いことなのか。 もしかしなくても、今のイリヤは、衛宮の家は、決して簡単に出来たわけではなくて。
それを完膚なきまでに、壊してしまう問いなのではないか?
「……イリヤは」
頭に浮かんだ言葉が、口から発せられない。 ただの呟きでも良いから、響かせれば良いのに。 色んな考えが頭を回るせいで、それがどうしても出来ない。
……ちくしょう。 もしそうなら、それを解き明かすなんてこと、出来るわけがない。 究極的に言ってしまうのなら、俺はこの世界の切嗣とは何も関係がない……だからエミヤシロウの後を継いだなら、それを壊すことだけは出来ない。
でも本当に守りたいなら。
俺はそれすら、壊さなければならないのだろうか。
「……何もないなら、僕から良いかい?」
「え、あ、……おう」
突発的に言われ、こくりと首を動かす。 切嗣は成績でも問い質すかのような気軽さで、こう言った。
「ーー魔術を使うことには、もう慣れたかな?」
「……っ!?」
一瞬。
本当に、くら、と目眩がした。
「そ、れは」
不味い。 心臓が余りの緊張に、警鐘のようにぐわんぐわんという音までがなり立てている。 それだけ、今の質問は衝撃が大きかった。
魔術を使うことには慣れたか?
つまり今の言葉で、少なくとも切嗣は魔道に身を置くもので、そして俺の魔術回路もとっくに見抜いていたと分かる。
だが切嗣とて、俺のこの特異な体を見れば、ある程度は異常を察するに違いない。
二十七の回路を開いても、何ともない体。
二十七本も魔術回路を開けば、普通は意識が飛ぶ。 なのにこうやってピンピンしてる時点で、切嗣も俺の身体が特殊だと気づき。
子供の頃の俺と、今の俺の体が余りに違うことに、気づかないわけがない。
「……悪い」
悟られないように。 あくまで魔術を知ってしまった罪悪感を表に出して、俺は切嗣から視線を逸らす。
「何で士郎が謝るんだい? 別に悪いことをしたわけじゃない。 全く、どうせなら
「……は?」
いや待て。 今、なんて?
「うん? ああ、士郎は知らないかもしれないけれど、士郎の魔術は規格外というか、ズルというか……とにかく、人から見れば反則技みたいなものなんだ。 それをホイホイやるもんだから、記憶と一緒に魔術回路も封印していたんだけど……まさかイリヤと一緒の時期にそれが外れるとはね」
些細なことを話すような口振りだが、今のは違う。 切嗣は今の言葉の意味を理解しているのだろうか。
俺と同じ時期に、イリヤの封印が外れた。
それはすなわちーーイリヤは。
「……イリヤは何なんだ」
イリヤのあの魔力は、溜めに溜めた、聖杯としての機能なのではないか?
それが分かってしまえば、責任だとか義務だとか、そんな曖昧なことは意識から吹き飛んだ。
「答えろ、親父。 イリヤは、
「!?」
さしもの切嗣も、今の言葉には面食らったに違いない。 何せイリヤが聖杯であるなど、それこそアインツベルンにしか分からないハズだ。
そして聖杯なんてそんな言葉を吐けるのは、俺があの戦争ーー聖杯戦争を知っているから、ということに辿り着く。
だが、今の俺はエミヤシロウとの誓いすら、この激情のせいでどうでも良かった。 少なくとも、あの地獄でたった一人救われた破綻者ーー衛宮士郎として、俺は今切嗣に問いかける。
「……士郎。 何故君が、それを」
「四の五の言わずに答えろ、
「……」
恐らく。 そんなことを横から言うのは、とんでもない間違いで。 そして何より、それを俺が言う資格など無い。
多分、少しは妬みの気持ちがあったのも、否定できない。 こんな世界に、妬まないハズがないだろう。 何もかもが悲劇のまま、終わってしまったこともあったのに、この世界はそれが、全て無いのだ。
でも、だから。
これだけは、嘘をつきたくなかった。
「……」
切嗣は答えない。 何を隠しているのかは知らないが、答えられるものは答えてもらわねば。
「切嗣」
「……そうだね。 その前に、士郎がどうやってそれを知ったのか、教えてくれるかい?」
ふむ。 確かに、情報の出所は気になるだろう……ここまで来れば、ボカす事も出来ない。 腹芸など得意ではなかったが、こうも早く種明かしになるとは、情けないの一言だ。
だけど何処かでこうなることが分かっていたのか、それともこの重荷を降ろせるからか。 口は勝手に動いた。
「分かった、話す……とは言っても、簡単な話だ。 俺も、聖杯戦争のマスターだったんだ」
「?……それは、どういう……」
ことなのか。 そう告げる前に、はっ、となる切嗣。 どうやら今までのピースをはめて、俺が何なのか思い当たったらしい。
ごくりと喉を鳴らしたのは、果たしてどちらか。
全てを明かす。 それは辛いことで、そして残酷な事実を告げる処刑鎌。
「ーー俺は、平行世界の衛宮士郎。 第五次聖杯戦争を生き残った、マスターだ」
そうして、俺は全てを話す。
俺は第五次聖杯戦争を勝ち抜いたマスターで、その後アクシデントに見舞われてここに来たこと。 第四次聖杯戦争の顛末、義母さんーーアイリスフィールは死に、イリヤはアインツベルンに取り残されたこと。 俺は切嗣に拾われたが、数年後に切嗣は死んでしまったこと。 聖杯戦争中に、家族だと知らなかったイリヤは、サーヴァントに殺されてしまったこと。
……歯止めは、効かなかった。 いや、最初から効かせるつもりもない。 俺はもう疲れ果てていたのだ。
たったの三日。 その三日の内何度嘘をついて、何度みんなを、イリヤを裏切ったか。 自分が最低だってことは分かる。 でも、それは今考えれば、エミヤシロウのことすら裏切っていたのではないか。 そう思えて、仕方ない。
そして。
切嗣は、こう言ってきた。
「……そう言えば。 この世界に来たアクシデント、それを聞いてなかったね」
「……」
「?、士郎?」
……分かっている。 ここまで話したのなら、言うべきだ。 今度はもう躊躇わない。
それを、話す。
「聖杯戦争の協力者が。 遠坂の当主でさ……ソイツは俺の師匠で、その日も遠坂の家で魔術の鍛練をして、そのとき一つの礼装の設計図を渡されたんだ。 それに触って、この世界に来た。 第二魔法のトラップ」
「……なるほど。 にわかには信じがたいが、第二魔法への足掛かりは、そう甘くはなかったと言うわけか。 それで、ここに君は来た。 ということは、僕の世界の士郎は……君の世界に?」
「……いや。 ここに居るんだ、切嗣。 俺は、ここに居る」
「?」
胸に手をあてる。
「第二魔法のトラップだとは言ったけど、それは正確には違うんだ。 確かに、俺はこの世界に来た。 だが、あくまで来ただけで、俺はとある人物と融合してここに居る」
「……まさ、か」
その顔が固まる、絶望に染まる。 そんな彼を這い上がれないところまで、叩き落とす。
「ーー俺は、この世界の衛宮士郎の体を奪い、その精神を潰した。 だからもう、二度と会えないと、思う」
切嗣が、パイプ椅子の上で項垂れる。
彼の表情は、依然として暗闇に消えていて、よくは見えない。 だがそれでも、切嗣はその虚無感を味わっているハズだ。
……もう、良いだろう。 殺されても文句は言われない。 こんな男が、エミヤシロウの後を受け継ごうなど、やはり間違っていたのだ。
死者は蘇らない。 生者に代わりなど居ない。
何故、見てみぬ振りをした。 何故、それでも守っていこうなどと勘違いした。
そんな愚行で、他人の居場所になれるわけなどないのに。
……ああ。 きっと
小を切り捨てていけば、その中で大事な人も失っていく。 だから失った人の支えになりたくても、偽りの正義の味方にそれは許されない。
何故ならこの身は、誰かを助けなければならないと、強迫観念に突き動かされ、支えなどと言う一つの位置に収まっていられないから。
手遅れの戦場で、奴はそれを何度も味わった。
馬鹿みたいに人を殺して、それでも人の為になれれば。 誰か一人でも救えれば、それだけでこちらは十分だなんて、そんなものただの押し付けの救いだ。 本物はそんなこと言わない。 そうして、誰かの居場所を壊したのは誰だったか……それで迎えた悲劇は、どれだけ酷く、どれだけ惨かったか。
知りたかったわけじゃない。
だけど、知りたくもなかった。
世界中から大切な人を奪い続けて、多くの慟哭が響く。 それを糧に築いた、大きな幸せが、世界の真実に他ならないのだ。
そんなモノを、そんな醜い世界を。
一体、誰が望んだ?
「……っ」
……否。 断じて、否。
故に誰もが幸せでほしいなど、お伽噺だ。 いや、お伽噺ですらない、ただの妄想だ。 創作であっても、誰もが幸せであった世界などなかったではないか。
だから。
それを作ろうとする奴など、ここで。
「……ああ、分かった」
死んだ方が、良いのに。
「ーーよく、話してくれたね、士郎。 そして、すまない」
「……え?」
最初。 何かの聞き間違いかと思った。
だが次いで、その温かさで嘘ではないと悟った。
抱き締められている。 ずっと前に、この想いをくれた人に。 俺の頭に手を置いて、こんな奴など死んでしまえと、そう吐くのではなく、あくまで息子に接するように。
俺を、衛宮切嗣は抱き締めていた。
「辛かっただろう……そんなことを黙ってて。 みんなを騙して、苦しかっただろう?」
「ぁ、っ、え、」
頭がバカになっちまったのか。 聞きたいことなどいっぱいあって、それよりも謝らないといけなくて。
それでも、この想いは溢れていて。 この胸を、焦がし続ける。
「あぁ……ごめん、ごめん、士郎。 君がそこまで追い詰められているのに、僕には、何も出来ない」
「……なんでだよ」
分からない。 何故、抱き締められているのか。 どうして被害者のハズの切嗣が、俺なんかに謝って、あまつさえ殺そうとしないのか。
息子を殺されたのに。 こんな最高の、誰もが幸せだった世界を、ここに来て壊してやった奴を、どうしてーー?
「なんで。 なんで、爺さんが謝ってんだよ。 そんなの違うじゃないか。 爺さんは誰よりも頑張って、誰よりも愛した家族を殺されたんだぞ? なのに」
その背中に手を回さず、困惑する俺とは対照的に。
「なんでアンタが泣いてんだよ、爺さん」
大切な人は、号泣するように泣いていた。
爺さんが、呻く。
「……家族を、守れなかったからに決まっているだろう」
「だったら、俺を殺せよ。 何で、俺を、抱き締めてんだよ。 そんなの可笑しいじゃないか。 俺は」
「……士郎だって被害者だ。 違うかい?」
ああもう、何も分かってない。 俺は、殺されようと構わないのに。 どうして切嗣にはそれが分からないのか。
「違う。 俺が、俺が殺したんだ。 だから」
「なら士郎。 自分の顔を見て、その言葉を言ってみなさい」
やめろ。 聞きたくない、見たくない。 駄々など言ったことも無かったのに、俺は首を横に振る。
それに対し、爺さんは、俺の頬に指をつけ。
「……こんなにも泣いている士郎が、そんなこと出来るわけがないじゃないか」
そこで、自分も泣いていることを、理解した。
……切嗣が涙を拭いて、俺を抱き寄せる。 それにどうしようもなく受け流されるのが嫌で、手を回すことだけはしなかった。
「もう良い、分かったから。 士郎がどれだけの人を騙して、傷つけたかは、よく分かったから。 だからそんな、無意識に泣くような泣き方はしないでくれ、士郎」
「……違う。 俺には、そんな資格はないんだよ、爺さん」
そうだ。 だって、
「……俺はこの世界の人間じゃない。 どれだけ爺さんのことが、イリヤのことが大事でも。 二人から幸せと居場所を奪った俺に、イリヤを守れなかった俺に、そんな資格はっ……!!」
「士郎」
その先は言えなかった。 言う前に、分かってるっていう、口振りだった。
だから、返す言葉だって、もう分かっている。
「……それでも僕は、君をこうやって、守るよ」
「……ぁ、……」
分かって、いたのに。
その言葉だけで、涙腺を崩壊させることなど、簡単なことだった。
「君が何度、そうやって自分を責めたり。 世界中の人が、君を悪い奴だと言っても。 それでも僕は君を、君達を守る。 十年前からずっと、そう決めてたんだ」
「じい、さん……」
一度、面と向かってその顔を見る。 切嗣は不器用に父親らしく笑って、俺を力一杯、その胸に埋める。
「罪は償えない。 でも一緒に、その罪を背負うよ。 父親らしいことなんてこれぐらいしか出来ないけれど、それでも良いかい?」
「……じゅうぶんすぎるよ、そんなの……背負わせたくないのに、勝手なことしやがって……」
「ハハハ。 親ってのはね、背負うモノなんだ。 だから士郎」
ーーもう我慢することなんて、ないんだ。
ダメだった。
その一言だけは、どうしても。
少なくとも、手を伸ばさないと誓っていた、切嗣の背中に手を伸ばして。
みっともなく、泣き喚くぐらいには。
「……お疲れさま、よく頑張ったね、士郎」
優しい温もりが、この肌を包む。
泣く声はいつまでも続いた。 夜という静かな時間に響くそれは、産声でもあっただろう。
エミヤシロウの後を受け継ぐのでもなく、かといってその責任を放棄するのでもなくーー俺は、ここに来て、三度目の生まれ変わりを果たしたのだから。
やがて、その声も止んだ。 どれだけの時間が過ぎたのかは分からないけれど、でも、今はどうでも良かった。
「……うん。 お互いよく泣いたなあ。 何というか、赤ちゃんみたいな」
「う、うるさいな。 仕方ないだろ、俺だって溜め込む方だとは知ってたけどさ……」
ここまでだとは思っていなかった。 もしかしなくても、俺は物凄く恥ずかしいことをしてしまったのではないだろーか。
流石に俺達も抱き締めあっているわけではなく、離れている。 切嗣はパイプ椅子を片付けると、
「じゃあ帰るけど。 その前に一つ良いかい?」
「? なんだよ、親父」
一応、洗いざらい話してはいる。 だから、話すことなどもうないのだが……?
「あ、これは純粋な質問なんだけど……士郎は、どうして正義の味方になろうと思ったんだ?」
「……ああ」
俺の世界の切嗣は、正義の味方について消極的だった。 それはきっと、その道筋が余りに険しかったからだろう。 この世界の切嗣はどうか知らないが、この質問をしている時点で、答えてるようなものだ。
ならば、俺は自分の気持ちを素直に伝える。
「まぁ恥ずかしながら……俺の世界の
「……なるほど。 でも、それは」
「分かってるさ」
全部分かってる。 だから、今一度ここで誓うのだ。
「確かに、全ての人を救うなんて、出来ないのかもしれない」
事実。 俺が救えたのは、味方になった人だけだ。 しかもその味方になった人ですら、守りきれなかったときもある。
責任で動いたところで、借り物の願いだとして、そんなモノは救いではない。 いつかそのメッキもひび割れて、どこかで絶望する。 そうすることを知っている。 そんなモノのために剣を振るったわけではないと、そう自分自身を切り裂くのも遠い未来ではないだろう。
でも、だからこそ。 後悔だけはしない。
「けれど、俺はそれも全部分かってて、それでも目指したいって思ったんだ。 だったらきっと、誰かを助けたいっていう気持ちは、間違いじゃない。 俺は、救ってくれた切嗣のことを、今も信じてるから」
「…………そうか。 うん、そうか」
満足そうに、晴れ晴れとした顔で頷いた親父は、そのまま背広を翻すと。
「そんな士郎に、一つ言っておこう。 何でも、新都の廃棄されたビルに、三人の女の子が入っていったらしい。 それも遠坂の一人娘も居るとか」
……それって、まさか美遊達の奴、勝手にカード回収を……!?
「親父……」
「ん、なんだい? あそこはかなり暗いからね、
またお見舞いに来るよ」
「……ああ。 ありがとう、親父」
イタズラを成功させたように笑い、衛宮切嗣は病室から出ていった。
……ったく。 子供っぽいんだか、大人っぽいんだかよく分からないな。
「でも、助かったよ」
おかげで、今夜全てを終わらせることが出来そうだ。
俺は右手を握り締めると、窓の外を見た。
ーーinterlude3-4ーー
夜は深い。 深すぎて、その闇に呑まれそうになる。
かくいうイリヤも、そんな闇に呑まれそうになっていた一人だった。 食事もあまりとらないまま部屋に閉じこもり、明かりのないベッドに体を預ける。
いつもなら悩みを発散してくれるクッションも、今ばかりは抱き締めてもモヤモヤするばかりだ。 ぼう、と。 レースカーテンだけの窓の向こうへ視線を向けても、その先には何も見えない。
「……どうしてなのかな」
うじうじするのは、きっと子供だからだと思っている。 あんなことをして、許されるわけが無い。 だからこうやって逃げている。
怒られるのが怖かったのか、傷ついた人を見るのが怖かったのか。 はたまた、許されないから怖かったのか。
何にせよ、自分はもう凛との契約を切り、魔術の世界から逃げ出した。 それで結果は出ている。
と、そのときだった。
コンコン、と窓からノックのような音が、響いた。
「?」
……何だろうか。 まさか新手の泥棒? こうやって他人の家にノックしてセキュリティを突破する、画期的というかド直球すぎて首を絞めるような、そんな泥棒さんなのだろうか……?
が、そんなわけがない。 イリヤはそのシルエットに見覚えがあった。
「……ちょ、ちょっと待ってっ」
何でここに居るのか、なんて考えている間にも、彼は外で待っているのだ。 イリヤは急いでレースのカーテンと窓を開けると、ベランダに出る。 そこには、
「……よっ、イリヤ。 案外元気そうだな」
今は病院で療養中の
「……えー」
何か、台無しである。 あれこれ考えて、うじうじしていたのは何でだったかなー、と頭を抱え込まないのが不思議なくらい、その姿はいつも通りだ。
「あれ? な、なんだよその表情。 仮にも俺、病院から痛む体をおして来たんだぞ? なのにそんな微妙な顔されると困るんだけど……」
「いや……スッゴいお兄ちゃんらしいというか、唐変木というか、ジェラシーショックと言えば良いのか……」
イリヤが視線をズラす。 いつものシャツとジーパンから、少しだけ血に滲んだ包帯が見えた。 どうやら無理をしているのは、本当のことらしい。
じゃあ何故ここに来たのか。 そもそも、何でそんな態度を取ってくれるのかーー。
「何かよく分からないけど……とりあえず、話を聞いてくれイリヤ。 美遊達の奴、今日カード回収を終わらせる気だ。 もう多分鏡面界に
「え……」
かちり、と。 イリヤの意識が凍りつく。
……今日夕方会ったとき。 少なくともあのときはまだ、凛も美遊も昨夜の怪我が残っていた。 ステッキの
無理だ。 いくら美遊でも、一人で何でもやってしまうような彼女でもーーそんな状態で英霊と戦えば、どうなるかは予想ぐらいつく。
だとすれば、士郎がここに来た理由は。
「俺は美遊達の加勢にいく。 だから」
「……やだ」
一緒にいこう。 そう言い切る前に、イリヤはかぶりを振った。
そうしてしまえばもう、相手が兄だろうが、イリヤは拒絶する。
「……イリヤ」
「そんな、どうして……? どうして、お兄ちゃんはあんなことを続けられるの? やだよ、あんなの……」
嫌なことから逃げるのは、いけないことだと分かっている。 それでも逃げるのは、全てが怖いから。
「怖いよ……傷つけるのも、傷つけられるのも……戦えば、今までの自分じゃなくなってくようで……それでも、戦うなんて、私には出来ないよぉ……!!」
頭を抱える。 耳を塞ぐ。 そうして、自分の殻に逃げ込む。 そうなればほら、もう何も聞こえない、何も見えない。
これで終わり。 兄が自分を頼ったのも、恐らくカレイドステッキの力が無いと、鏡面界にいけないからだろう。
だから早く行ってほしい。 もうこんな情けない姿を見ないでほしい。 立ち向かうあなたとは正反対の、怯えで震えて、涙すら出ている私には。
みんなを見捨てた、私には。
「……そっか。 それじゃあ、しょうがないな」
が。 返ってきたのは、落胆でも、罵倒でもなかった。
呆れ。 手のかかる妹を見たような、そんな呆れ。 そんな当たり前を、兄は私なんかに向けてくれた。
「……なん、で……」
「なんでって……イリヤは戦うのが怖いんだろ? うん、だったらしょうがない。 しょうがないからーー俺が代わりに戦うよ」
そう言うなり、衛宮士郎は優しくイリヤを抱いた。 三日前の泣きそうな顔じゃなく、心からの笑顔を浮かべて。 その温もりで、イリヤを包み込んだ。
何だか、久しぶりだった。
ずっとずっと、こうしてほしかったことを、初めてしてもらったような、気がした。
「ぁ、……」
「イリヤは怖いから、仕方ないけどさ。 俺は兄貴だから、大丈夫だろ。 任せとけって」
それは、星空の誓い。 一つ一つ、輝く星は空を埋めつくし、まるで宝石のように何十通りの光を放っている。
そして、兄は約束する。
「イリヤの事は」
ーー俺が、絶対に守ってやるから。
心臓が跳ねる。 とくん、という音から、まるでドラムのようにどくんどくん、という音に切り替わる。
顔どころか全身が熱くなったのだが、それも何だか、どうでも良くなるほど、自分は眠りに落ちていった。
ーーinterlude out.
「……な、何とか出来た」
暗示の魔術を、遠坂(俺の世界の)から習っておいて良かった。 胸の中で崩れたイリヤを、部屋のベッドに寝かせると、俺はベランダに手をかける。
と、それを待ったにかける人物が一人。
「行くんですか、お兄さん」
ルビーだ。
「ああ。 イリヤにあんなこと言っちまったからな……正直、今夜の敵はカレイドの魔法少女でも倒せないだろうし」
大英雄ヘラクレス。 十一回の
彼女はふよふよ、と俺の前まで来るなり、どこか上機嫌で喋り出す。
「いやぁ、お兄さんってばやりますねぇ。 何でそんな吹っ切れたかは知りませんが、おかげでイリヤさんの好感度はカンスト、濡れ場も何もかもバッチコイカモンな最高状態ですよ!」
「お前イリヤから引き離してやろうか、俺契約破りの礼装知ってるんだけど」
言わずもがな、キャスターの短剣だ。 あれならいかにルビーと言えど、契約破棄できる。 俺の不穏な雰囲気に気づいたか、ルビーは慌てて、
「も、もー、お兄さんったら冗談がお上手なんですね、あはー☆」
「冗談じゃないんだけどな。 他に無いなら、俺はもういくぞ」
「はいはい分かりましたよ。お兄さん、ほんっとつれませんねー。 ルビーちゃんショックです」
一言も思ってないことを。 俺は全身に魔力を流すと、去り際にルビーが言った。
「……まぁ頑張ってください。 私としても、あなた達兄妹を応援してますから」
それにどんな意味が込められているか、俺には分からない。 表情すら分からないのだ、当たり前だろう。
でも。 それでも自然に、言葉は出た。
「ーー頑張るよ。 俺は、イリヤの兄貴で」
ーーみんなを守る、正義の味方なんだから。