Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
ーーinterlude 1-3ーー
それは、あり得ない現象だった。
先程まで五十にすら満たなかったーー正確にはそれだけしか使っていなかったーー衛宮士郎の魔力。 その彼の魔力が膨れ上がったかと思えば、彼の様子は一変していた。
まるで熾火のように、
それは、酷く矛盾した雰囲気だった。 決して親しい印象を持たせるわけでもないのに、それでもただ敵意を向けるのは、戸惑わせる何かがある。 そんな雰囲気だった。
「アーチャー……ですって?」
イリヤーーそう名乗った黒い何かーーが、困惑する。 何故なら、その偽名には、覚えがあったからだ。
聖杯戦争。 七人の魔術師と、七騎のサーヴァントーーつまり英霊を召喚したその戦いにおいて、七つあるクラスの一つ。 それが、アーチャーだった。
そして、イリヤがこの世に現界するため、寄り代としているクラスカードこそが、アーチャー。 そのアーチャーと、同じ力を持つ、アーチャーと名乗る何かーーこれはもう、決まったと言って差し支えない。
動揺するイリヤを尻目に、士郎は事も無げに説明する。
「あえて言うのならば、だがね。 昔は偽善者だの、守護者だの呼ばれていたが……今は弓兵という呼び名が、私を現すにふさわしい名だ。 志半ば、勝手に折れてしまった私には、昔の名を名乗る権利すら与えられるべきではないのだろう」
優しい声色なのに。 どうしてか、イリヤには兄の顔に忸怩たるものが浮かんでいるような気がした。 底冷えするような闇の中、どうにか出た声。 それが、兄の中に居る誰かが発した、自嘲だ。
風が吹く。 兄の髪が揺れ、逆立つように見える。 発起した魔術回路が、燐光の如く生命の光を放つ。
「……っ」
ミシ、と頭の奥から痛みが貫く。 イリヤは眉目を押さえるが、痛みは兄を見る度に増していく。
思考が続かない。
断裂的に、映像が脳裏に走る。
のたうつ蛇のように、記憶の欠片が乱舞する。
(……チッ)
燃える炎。 掴んだ手。 知っている人の涙、救いへの羨望。 継承する誓い、運命の夜。
混濁するのは果たして、誰のものだったか? この身に宿す英霊のモノか、それとも違うようで同じ人か。
とにかく、腹が立つ。 イリヤは知らず知らず、奥歯をギリ、と噛んだ。
ただ魔力量が増えて、雰囲気が変わっただけ。 それがどうした。 アーチャーのクラスカードと同じ魔術を使うから何だ? 兄の、粟立つほどの異常性を目にしたから、一体何だと言うのだ?
ーー兄の末路を、垣間見たからなんだ?
「ふむ、ご機嫌麗しくないようだな。 どうやら病み上がりというよりは……生まれたてと言った様子だが」
千里眼さながらの洞察力は、流石は英霊といったところか。 いや、どうせお得意の解析でも使ったのだろう。
「さて、続けるなら続けさせてもらうが、こちらとて余りこの状態は好ましくない。 全てが推論で成り立っている状況でね……何にせよ、私も争いは避けたい」
「……ふん」
鼻を鳴らし、イリヤが答える。
「何が争いは避けたい、よ。 バリバリこっちの隙を伺っといてよく言うわ。 レディに不躾な視線を送るにしても、そんなに見られると小言じゃ済まないけど?」
「レディ、ね……君は自分が、富貴な淑女だとでも? だとしたら、随分と自分を大きく見たモノだ。 刃物を振り回す野蛮な行いをしている時点で、精々騎士崩れが限度だろうに」
「……ハ!」
鼻で笑い、イリヤは空の手で虚空を握る。
投影。 傾いた日の光に照らされ、無名の剣がその右手に顕現する。 鉱石を削り出したそれを、イリヤは士郎へ突きつけた。
「半端者なのはお互い様でしょ? こんな力を持ったあなたが、言える義理かしら、アーチャー?」
「ふ、これはしたり、と言うべきか。 ま、私の存在そのものが、
士郎を操る誰かは、剣を突きつけられてなお、戦う素振りを見せなかった。 それどころか肩を竦める辺り、隙だらけなのだ。 確かにこちらの隙を伺うような視線を向けてくるが、それはどちらかと言えば……どういう風にイリヤへ対応すれば良いか、コミュニケーションに戸惑っているように感じた。
気に入らない。 まるで敵と見られていないのか、いや事実そうなのだろう。 ならば、やることは一つ。
「じゃ、精々複製品らしくーー潰れなさい!!」
跳躍。 少女の力とは思えない脚力で飛び上がり、イリヤは即座に一角剣を振り上げる。
剣の投擲。 彼女の十八番だ。 士郎はそれを弾き返していたが、もう遠慮はしない。 低ランクでも宝具であるそれを、破裂することで強力な爆発を叩きつける。
確かに士郎は、この能力の本質が分かっていて、イリヤは理解していない。 しかし、だからこそ士郎が取らない手だって考え付けるし、実行出来る。 裏をかける。
真実、士郎なら剣で弾こうとして、
されど、最早そんな法則など通じない。 何故ならばーー。
「ふ、剣を投げるのは結構だがな」
彼女が対するは、本物の英霊だからだ。
イリヤが剣を投げつける、その一瞬前。
士郎の姿が、消えた。
「!?……消えた!?」
何の前触れもなく、まるで蜃気楼のように消えた士郎。 何処だとイリヤは見回そうとして、目を見張った。
イリヤの後方。 人の脚力では到達出来ない位置に、衛宮士郎は到達する。
「ソレでは、私を殺せんぞ」
ガッ、と剣を持った手を、無造作に掴む士郎。 イリヤは振り払おうと、逆の手にも一角剣を投影するが、その前に士郎が彼女から剣を奪い、対応する。
同じ工程、同じ刀工で鍛えられた一角剣。 袈裟斬りに振るわれた剣は、全く同じ軌道を描き。
当たり前のように、彼女の持つ一角剣が、砕かれた。
「なっ……!?」
どうして。 イリヤは動揺を隠せず目を剥くが、無意識に転移。 しかし地上に着地しても、黒いイリヤは中々平静を取り戻せない。
それも当然だ。 イリヤの、アーチャーの投影とは、確かに各々の完成度は微々たるものだが違ってくる。 投影するその都度、同じ投影品であったとしても、だ。
しかし、ここまで違いが鮮明には出ない。 これでは雲泥だ。 あんな、一方的な結果にはならない。
「そんなに不思議かね、自分の剣が砕かれたことが?」
余裕綽々と言った感じで、とん、と地に足を付ける士郎ーーいや、アーチャー。 微笑を携える彼は、未だイリヤが投影した一角剣を手にしている。
「君が言っただろう? 私の魔術は所詮、偽物だ。 劣化品など、よほどのことが無ければ砕かれる。 それがどれだけ精巧に作られていようとも、な」
呆然とするイリヤに、皮肉を込めて告げるアーチャー。 しかしそんなこと、彼女とて先刻承知だ。 だから、こんな風に混乱している。
「……あり得ない。 込めた魔力も、工程も、全く同じハズ……なのに砕けるなんて、一体……!?」
「私に解答を求めている辺り、やはり君の剣製は衛宮士郎以下だな。 いくら最適な理論があろうと、正しい工程を踏もうと、理解出来ていないのなら話にならん。 悔しいと思うのなら、解析の魔術でも走らせてみたらどうかね?」
「……!」
言われて、イリヤは歯噛みする。 そうだ、あの剣に解析をかければ良かったのだ。 それをしなかった自分にも腹が立つが、アーチャーに言われたことこそが何よりも屈辱だった。
願望機の一端である自分ですら、正しく使うことが出来ない力。 難儀な英霊を取り込んだものだと思うが、それは置いておく。
見る。 その剣の完成度を確認し、イリヤは目を細めた。
(!……投影の精度が上がってる……?)
解析は一瞬で済んだ。 いや、一瞬というよりは、視界に入れば設計図が浮かんできた。
(投影の
見てくれだけなら、イリヤの一角剣とそう変わらない。 しかし同じ剣製を使用する者ならば、その細工を見逃さない。
端的に言えば、彼女の一角剣の構造、基本骨子、それら不十分な要素が、まとめて本物と大差ないレベルにまで引き上げられていた。 魔力を通し、強化しただけではこうはならない。 恐らくアーチャーは、自身の持つ設計図と重ね、中身だけを書き換えたのだろう。 もっと細部まで見通すと、その名残がちらほらと目についた。
「……化け物ね」
「私で化け物など、そう簡単に言ってくれるな。 これでも若輩者だ、弓兵としても、刀工としてもまだまだ達人の域には届かんよ」
眉を潜めて、不満そうにぼやくアーチャー。 本気で言っているのだ、全くもって質が悪いとイリヤは顔をしかめる。
アーチャーはなまじ、古今東西あらゆる刀剣、武具に触れてきたから、贋作しか作れない己を忌避しているのかもしれない。 コピーしか出来ないのだから、それは仕方ない。 弓に対しても、大方同じような感情なのだろう。
しかし、彼女が化け物だと告げたのは、そんなことではない。 一度完成したモノを、己の魔力だけで瞬時に作り替え、宝具にまで昇華させる、その魔術こそが、化け物だと言いたかったのだ。
「さて」
気だるげに、アーチャーは一角剣を放り捨て、その呪文を呟く。
「
蛍火のような光が弾け、アーチャーの手に握られるのは、無銘の剣二つ。 しかし、その完成度たるや、一目見たイリヤに鳥肌が立つほどだ。 頬にまで伸びた魔術回路が、更に強くその存在を誇示し、アーチャーは言い放った。
「さて、どうやら回路が
ーーinterlude out.
熱い。 熱い。 熱い。
まるで炎の中で、身体全身を直に炙られているような感覚。 バーベキューの肉になってしまったようで、目玉が溢れ、脳は沸騰し、腕は手羽先みたいにカラカラだ。 紅蓮の世界、その中心で、ひたすらこの痛みに耐える。
あのとき、俺はエミヤシロウの魔術回路と、自身の魔術回路を合わせて、干将莫耶を投影したハズだ。 しかしその回路を使った瞬間、俺はここに引きずり込まれ、魔術回路の激痛に悶えている。
一体自分に何が起きたのか。 そもそもここは何処なのか。 全身を脅かす痛みに、目すら開けることが叶わない。 ならばひたすら我慢し、この痛みをどうにかするしかない。
しかし、それもいつまで持つか。 衛宮士郎の意識は既にその八割が溶け、泥のようにベトベトになっている。 焼け付いた意識は、身体を動かす気力すら失わせ、こうしてだらしなく倒れたまま、灼熱の世界から逃げることも出来ない。
このままでは不味い。 そんなことは分かっている。 もし俺がこの世界に留まり続ければ、たちまち身体は燃え尽きるだろう。 そうなる未来が目に浮かぶ、直感する。
だが、動けない。
ドロドロになってしまった身体は、深淵に沈みきっている。 眼球は最早何の意味を持たず、手も足も、立ち上がるための足掛かりすら無いのでは、どれだけの意思があろうと無駄だ。
「ぁ、が、」
意識が遠退く。 ちゃぷちゃぷと、液体になった頭から、中身が無様に撒き散らされる。
陽炎と、熱波。 その二つに、衛宮士郎は為す術もなく焼き尽くされて。
「ーーーーよう。 どうしたよ、正義の味方? 随分と息が上がってんじゃねぇか?」
その明け透けな声に、取っ掛かりを見つけた。
どくん、と無いハズの心臓が跳ねる。 熱波に流れていく身体と意識が一瞬で凝固し、瞳が開いた。
「ふーん……まーたド派手に、魔力を放出してるな。 投影ってのは、自傷行為みてぇなモンだろ? 魔術回路が癒着してない状態で、投影なんかすりゃあ、そりゃそうなるさ。 ったく、勝者に何もあげられなかったのをダシにされて、
何の話をしているのか、分からない。 ただ一つ一つの事柄を理解する前に、目でそれを理解した。
姿形はボヤけている。 ピントがズレたカメラのような視界に、映っていたのは、一人の少年。 全身に入れ墨ーー否、呪詛を刻み付けられたそれは、不良のように足を曲げ、目線を俺に合わせた。
「良いか、よく聞けよ衛宮士郎。 事態は最悪に近い」
「……な、に……?」
「あー分かってる、皆まで言うな。 説明する暇も無いんで、端的に言うぜ……聖杯がまた動き出したぞ」
驚く間もなく、ソレは少し冷めた口調で、続ける。
「ご丁寧に、お前だけをロックオンだ。 良かったなモテ男、呪いの奉公女は、お前をご所望だ。 わざわざこんなところへ死にに来てるお前に、説明することでもねーが……ま、これもオプションみてぇなもんだな。 きひひっ。 問題山積みだな、ごくろーさん!」
鼓膜をくすぐるような、ケラケラとした笑い。 話は一割すら、溶けかけた脳では理解も出来ない。 しかし身体は、半端に動く。
「おま、えは……だれ、だ……?」
「あん? オレか? どうせお前の耳にゃ残らねーよ、やめとけやめとけ。 それよりもしものときは、全身凶器女か、ドSシスターに頼れ。 この世界に長逗留してる最中だ、こき使ってやりゃあ喜ぶさ」
と、話は終わりなのか、徐々に空間から引き剥がされていく。 まるで自分がシールになったかのように、乱暴に剥がされ、浮かんでいく。
「それじゃあまたな、
「ま、て……!!」
「待たねーよ、衛宮士郎。 それと、あんまり悠長に構えてる暇もないぜ?」
現実へ引き戻される、その直前。 ソレは口の端を歪めると、俺を仰いだ。
「ーーーー遠坂凛は、そんなに強くないんだ。 あの女を自分のモノにしたいなら、精々自分に負けることだけは、しねーこったな」
ーーinterlude 1-4ーー
踊る、爆ぜる、踊る、爆ぜる。
「チ……!」
今日何度目かの舌打ちは、手に持った刀がへし折れることで掻き消える。 構わず振り下ろしながら、折れた刀と同じモノを投影、その腹をかっさばこうと閃く。
「ふんッ!!」
が、再び破砕音。 風のように迫ったイリヤの刀を、雷のような速度で切り落とし、アーチャーは返す刀で柄頭を叩きつける。
「うっ……!?」
打撃の箇所は、手首。 しかし岩石を叩きつけることよりもよっぽど手痛い打撃だ、イリヤの身体は泡のように吹き飛び、地面に激突する。
だがイリヤが思ったのは、痛いという感情よりまず、情けをかけられた、という、一種の悔しさだった。
アーチャーは強かった。 力、戦略、そして剣製。 その全てがイリヤを遥かに超えているのだ、出鼻を挫くどごろか、全て一手先を取られていた。
それなのにアーチャーは、イリヤを決して傷つけようとはしなかった。 今回のように、突き放すためや武器を破壊するなど以外は、イリヤへ危害を与えるなどはしなかったのである。
つまり裏を返せば、それだけ余裕なのだ。 イリヤなど、いつまでも倒せるほどのか弱いモノでしかない。 アーチャーは、そう評価しているのだ。
「ふ、もう限界かね、小さなレディ? まだ前菜の段階で地面に座り込むとは、君の家ではテーブルマナーも教えなかったのか?」
耳に入る皮肉に、露骨に舌打ちするイリヤ。 倒れ伏す彼女とは反対に、アーチャーは軽やかな足取りで、投影した刀を投げ捨てる。
黒いイリヤ、自分と同じ魔術を扱う者。 真の意味で贋作者たる少女を直視し、アーチャーは苦笑する。
「……笑えないな。 確かに、自分の力を真似されては、余り気分が良いものではない。 それが不出来なら尚更だ。 が、本当に度し難いのは、聖杯に叶えさせた願いの方だがね」
「……あなた、まさか」
「そんなに不思議なことかな、聖杯の器たるレディ? これでも真贋を見極めることにおいて、私は他の追随を許さない。 それが聖杯、しかも君のようなタイプならば、腐るほど目にしてきたモノでね。 故に、君の力の源も自ずと知れる」
アーチャーの目にあるのは、仄かな情感のみ。 しかしその情感ですら、余りに複雑で、いくつもの思いが入り交じっているように見えたのは、何も錯覚ではあるまい。 もし先ほど、目にしたモノ全てが真実であるなら。
目の前の英霊は、イリヤ達に人生を食い潰されたと言っても過言ではないのだから。
「大層なモノだ、同時に融通が効かないところも、本当に良く似ている」
イリヤが立ち上がるため、足に力を入れる。 アーチャーはそんな彼女を観察し、新たな設計図を浮かび上がらせ、手に魔力を流す。
「止めておけ。 君では、私には勝てまい。 いいや、そもそも一撃を入れることすら不可能だろう。 その程度、私を宿すならばすぐにでも理解出来たハズだが?」
「……っ、ぅるっさいッ!!!」
思考を蝕む頭痛など、アーチャーへの怒りで吹き飛んだ。 いや、強制的に麻痺させた。 体の動きを阻害する全ての要因を、無くせと願い、跳ねるようにイリヤは立ち上がる。
連続の魔術、否、奇跡の行使は、湯水のようにあった黒いイリヤをの魔力を容赦なく奪い続ける。 存在するだけで魔力は消費されるのだ、それに加えて多数の魔術。 既に魔力は底を尽きかけている。
それでも、勝つとしたらーーもう玉砕覚悟で挑むしかない。
「!」
握るは夫婦剣。 しかしその数、何と九本だ。 指の間に挟んだ夫婦剣全てに強化を施し、その形をオーバーエッジへと変える。
絶壁のような鋭さを持つ、翼の剣。 最早大剣と見間違えるほど肥大したそれを、イリヤは固く握る。
他方、アーチャーは変わりない。 投影の準備こそ出来ているが、素手のままだ。 様子を見る、それがアーチャーの選択。 だとしたら、逃避は当に不要ーー必殺の一撃、それを入れることすらも是非は問うまいーー!
「……一つッ!」
一度目の攻撃。 横から挟撃する形で、夫婦剣を射出。 当然アーチャーは、それを鳥のように身を捩らせて回避。
しかし、そこでアーチャーの目の色が変化した。 それも必然、何故なら既に、アーチャーの周りにはイリヤの姿はない。
「二つ……!!」
「、上か!」
響く声は空から。 しかし落ちかけた太陽からは、カラスのように襲いかかる二つ目の夫婦剣。
瞬間移動。 アーチャーはバックステップしてその攻撃をかわすと、千里眼を使い、即座にイリヤを探り当てた。
アーチャーの、真後ろ。 死角故、最も狙いやすく、最適解と思われる場所。 されどそれはあくまで定石、使い古された手だ。 ×印に夫婦剣を振ろうとする黒いイリヤを見ず、投影魔術を、
「……ほう」
と、そこでアーチャーが感嘆の声を漏らした。
イリヤの真上と、目の前。 そこには一度目と二度目の干将莫耶が、アーチャー目掛けて迫ってきていた。
干将莫耶。 その名の夫婦が決して離れないように、この宝具は互いに引かれ合う性質がある。 その性質に着眼し、アーチャーが生み出した必殺の剣が、この鶴翼三連。 それは、完全に同じタイミングで繰り出す三連撃。 イリヤのそれは、劣化していようと、タイミング的にはコンマ辺りのズレしかない。 常人に防ぐことは敵わないだろう。
が、それを打倒するからこそ、彼は英霊として畏れられるのだーー!!
「……ホント、カンの良い男ってキライッ!!」
構うものかと、黒いイリヤは未完成な鶴翼三連を続行。 対するアーチャーも、取った手はシンプルであった。
名もない剣、一本を投影。 そして、無造作に、だが加減は無しで、剣が舞い踊った。
やったことはそれだけ。
それだけで、襲いかかる三つの斬撃全てが弾き返される。
「なっ……!?」
たまらず瞠目するイリヤ。
たった一度の斬撃は、決して速いモノではなかった。 しかし三つの斬撃のタイムラグを一瞬で把握、更には正確に来る順番から叩き落とす等という荒業、黒いイリヤには出来ない。 同じ魔術を使える身でも、あんな技までは知らない。
これが英霊。 神秘の頂点に座する、人の到達点。 イリヤの背筋を、一種の戦慄が走り抜けた。
「これで終わりかね? ならば良い、茶番もここまでにしておきたかったところだ」
チャキ、と今度こそ剣を突きつけ、アーチャーはイリヤに宣言する。 その目は動けば斬るぞと、言外に伝えていた。
万事休すか。 瞬間移動して逃げたところで、その前にアーチャーの剣に切り裂かれる。 願いを叶える機能も、今回ばかりは答えをカンニングするのも不可能だ。 何せ、答えが無いのだから。
「……私をどうする気?」
「さてね。 幼女を縛ったり、なぶる趣味もない。 そろそろ凛辺りが、人払いの結界を感知して向かってくる頃だろう。 それまで少しばかり話をするとしようか。 まぁ、私が居なくなれば、記憶が小僧に保持されるか定かではないが」
「はぁ……あなたね。 剣を突きつけられて、マトモな話が出来ると思う?」
「では逆に聞くが、君は檻から出た虎を放置すると? ソッチがお好みならば、首輪でも嵌めれば満足なのかね?」
取り入る隙もない。 話術で勝負するのも無理そうだ。 こりゃ本格的に負けた、後はどう情報を渋るかーーそう、イリヤが術策を練ろうとしたであった。
「……ぐっ、ッゥ!?」
唐突に、アーチャーが胸の辺りを押さえた。 苦しげな表情は、明らかに並大抵の痛みでは無いだろう。 英霊たるアーチャーが苦しむなど、イリヤには想像を絶する痛みに違いない。
(……魔術回路が閉じて……いや、あれは……まさか……!?)
見れば、爛々と輝いていた魔術回路が、ショートしたようにプスプス、と焦げ付いたような音を発し、次々と閉じていく。 目視するだけで、おおよそ二十七程度か。 まるで指先で押し付ければ消える、水性ペンのようだが、それをなぞるように湧き出す魔力に、イリヤは怖気を感じた。
そう、何故ならアレは、
(……聖杯の、魔力……!?)
ドス黒く変色しているが、間違いない。 慄然とするイリヤの前で、アーチャーは更に呻き声をあげ、ついには剣を取り落とし、膝をついた。
「!」
チャンスだ。 黒いイリヤは即座に、アーチャーの落とした剣を蹴り上げ、キャッチ。 剣先をアーチャーの首元に押し付けた。
「はっ、ふ、ぐ、……!!」
どさ、とコンクリートに落ちる音。 それはアーチャーが、ついに地に伏した音だ。 イリヤが立ち上がっても、アーチャーは何度も呼吸を繰り返し、目をすがめている。
何が彼に起こっているのか、分からない。 とにかくイリヤから見て、アーチャーはもう戦える様子ではない。
「は、ぐ、ぅ、……!?」
「……随分と優しいじゃない。 ジェントルマンか、バトラーにでもなった方が良いわ、あなた」
皮肉を返すことも出来ないのか、アーチャーはただ険阻な顔を作る。 それに応じるように、イリヤは鼻を鳴らした。
正座するように倒れ伏すアーチャーは、頭を垂れている。 余程切羽詰まっているのだろうか、そこから動くこともない。
「ふふ、まるで時代劇みたいね。 確かカイシャク、だったかしら……まずはあなたが居る部分を切り取らないと」
くるん、と逆手に持ち換え、剣を振り上げる。 少女の目は、宝石のように輝いて見えたが、その実濁っているようにも見えたのは気のせいか。
「バイバイ、名も知らない英雄さん。 お礼に一撃で終わらせてあげるわ!」
剣が、銀光へと変わる。 決して遅くない銀光は、まさしくアーチャーの、士郎の首を切断しようと振り下ろされていき。
その刃が、肉に到達しようかという間際、頭上の魔力がうねった。
「!」
アーチャーか腹立たしい奴だったのか。 それともそれだけ、自分も疲弊したのかーーどちらにしろ、気が付くのが遅れた。 黒いイリヤは、瞬時に剣を跳ね上げる。
キン、という衝撃。 バレーボールほどの魔力弾を弾きつつ、投影した剣をブーメランのように投げつけた。
「
可愛らしい声とは裏腹に、高密度の魔力砲と剣が接触。 空中で爆発を起こし、たまらず黒いイリヤは下がった。
黒いイリヤが、視線を上に移す。 そこには怒りを魔力に変えて、黒いイリヤをねめつける美遊が居た。
「衛宮くん!!」
「シェロ、無事ですか!?」
美遊が牽制している間に、凛とルヴィアが士郎へ駆け寄る。 彼の状態と辺りの傷跡を見て、只事ではないと悟り、すぐに凛は士郎ーー精神はアーチャーだがーーを抱き上げる。
「酷い……一体どんな魔術を使えば、こんなボロボロになるまで回路が焼け付くのよ……衛宮くん、分かる!?」
「……凛、か……?」
「へ?……え、衛宮くん……?」
かすれるような声だが、耳には入ったのか。 目を丸くする凛に、彼は沈みながら告げた。
「……衛宮、士郎に伝えろ……投影は、使うな……でなければ、己が心に……」
「衛宮士郎に伝えろって……ちょっと、それどういうこと? 何言ってるのか、もっと分かる言葉で……!」
「なに……すぐに分かるさ、君ならば……」
「だーからアンタが話しなさいってば!? 聞いてる、ねぇ!?」
ふ、と士郎の身体から力が抜ける。 彼に取り憑いていたモノが、離れたのだ。 凛は何度か士郎の体を揺すったものの、それだけ。 士郎は目を覚まさない。
が、それはまた後で良い。 凛の前に立って、ルヴィアが堂々と言った。
「……シェロを傷つけたのは、あなたでよろしいのかしら?」
「だったら?」
その答えに、それまで無表情だった美遊の顔に、抑えきれぬ憤怒が沸き上がる。
「決まってる……敵は殺す。 彼を傷つけるなら、この世に残す道理もない……!!」
「あら怖い。 じゃあやる? 言っておくけれど、私、あなた達に用は」
ないのよ、と黒いイリヤは言おうとして、言葉に出来たのはそこまでだった。
ドン、と。 黒いイリヤの髪を裂く、弾丸。 それは淡い桃色の魔力砲だが、そこに込められた魔力は、今までの彼女と比べると三分の一もない。 しかし一点集中した魔力弾ーーいや魔力刃は、背後にあったコンクリートの壁すらも一閃する。
「……なんてことするのよ……」
底冷えするような声は、既に憤怒など通り越し、泣きそうでもあった。 黒いイリヤ以外の誰もが唖然とする中、美遊の隣で、俯いたままのイリヤは、ぎゅっ、とカレイドステッキを握りーー黒いイリヤへその激情をぶつける。
「わたしの顔で……お兄ちゃんに、なんてことするのよぉッ!!」
走るは、先程と同じ魔力刃。 その切れ味は、黒いイリヤも視認している。 すかさず投影を行い、受けの体勢に入らんと夫婦剣を重ねる。
しかし動いていたのは、イリヤだけではなかった。
「はっ!!」
砲撃、美遊だ。 イリヤとは違い、その出力は砲撃の名に恥じない、大火力。 魔力刃を追う形で、それは黒いイリヤへ向かう。
「チッ……!?」
不味いと思ったものの、空間転移しかけて思い止まる。 黒いイリヤの手が、一瞬だけ形を無くしかけたからだ。 それで自身の現状を省みる。
「ハァ……ま、仕方ないか」
黒いイリヤは夫婦剣を交差したままだ。 どうするのか、全員が見守る中で、攻撃が着弾する。
爆風。 黒いイリヤの姿は一瞬で見えなくなる。しかし魔法少女の二人は、まだ終わっていないと感じたのだろう、追撃にと魔力を集束し始める。
爆風が晴れる。 緊張に包まれる場で、四人が目にした黒いイリヤは、驚きのモノだった。
両手を上げて、万歳。 すなわち、降参するということだった。
いきなりの表明に誰もが目を疑う中で、黒いイリヤは淡々と告げる。
「はい、コーサン……今の私には、あなた達四人の相手は、ちょーっと分が悪いわ。 だからはい、負けてあげる」
「……ふ、ふざけないで!!」
余りに唐突で勝手な降伏に、イリヤは激怒する。
「勝手に現れて、お兄ちゃんを傷つけて!! それで負けてあげるって、あなた何なのよ!?」
「何なのよって、分からない? あなた自身よ、イリヤ?」
「!……、この……!!」
沸点など越えて、マグマのような怒りがイリヤの頭を占領していく。 手が勝手に動き、イリヤは太股に付けられたカードケースに手を添えるが、それを美遊が止めた。
「美遊……どうして止めるのっ!?」
止めた美遊は、やはり無表情だった。 しかし前髪に隠れた眉間は、ぴくぴくと動き、堪えていることは一目瞭然だった。
「気持ちは分かる。 けど、イリヤはお兄ちゃんの側に行ってあげて。 家族が苦しんでいるなら、側に居なきゃダメだから」
「……美遊……」
「この娘は私が見ておく。 だから、行って」
美遊に言われ、イリヤはいかに自分が浅慮だったか、思い知った。
そう、士郎が倒れているのだ。 それなのに感情に支配されて、今も苦しむ士郎を放っておいて良いハズがない。
この少女は、美遊が相手をしてくれる。 イリヤはそう言い聞かせて、士郎の元へ駆け寄った。
「……美遊も行きたいくせに」
「黙れ。 それ以上喋るなら、消し飛ばす」
にべもない美遊に、ニヒルに笑いかけ、大人しく黒いイリヤは息を吐いた。
戦いは終わる。
だが様々な謎と爪痕が交錯し、日常は引き裂かれた。
日が落ちていく。
夜が、また始まった。