Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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プリズマ☆イリヤ
プロローグ/破滅への序曲


 いつか、こんなことを言われた気がする。

 

ーーお兄ちゃんは、どんな大人になりたいの?

 

 その問いに何と答えたか、今ではもう思い出すことは出来ない。 いや……そもそも、そんな問いがあったのか、そう問いかけたのは誰だったのか、それすら分からないのだ。

 炎で全てが焼け落ちたこの身に、それ以前の記憶などあるハズがない。 灰に帰した後に、残るのは炭となった己だけだから。

 けれどもし、本当にそんな問いがあったとしたら。 それを答えて良いのが、俺だとしたら。

 俺はーー衛宮士郎は、こう答えただろう。

 

ーー俺は、正義の味方になる。

 

 何も知らなくて、純粋に染まった夕焼けのような心。

 それが何を意味するのか、それすら知らなかった、幼き日の想いーー。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

 ギギ、という扉が軋む音で、意識が覚醒する。 次いで目を開けると同時に朝の日射しが顔を照らし、また目を閉じた。

 風が入ってくる。 今年の冬は冷え込んでいるのか、例年よりいっそう気温が下がっている気がする。 つまり寝るには最高のコンディションであり、部屋から持ってきた毛布を被って対抗してみせるが、起こしにきてくれた誰かは、俺の肩を揺すり始める。 しかし、今の俺はかの冬木の虎相手にすら籠城出来る。 こんな幸せを剥がされてたまるか。

 

「シロウ、朝です。 今日はあなたが朝食を担当するのではないのですか?」

 

 が。 起こしにきてくれた誰かは、俺のウィークポイントを的確に貫いてきた。

 

「……あ。 やばっ……!」

 

 がばっ、と跳ね起きる。 確かに今日は俺が朝食を担当する、と昨日宣言していた。 藤村組から貰った高級品の卵を使って、朝食を豪華にしてやろうと企てていたのに……もし誰かに起こされるまで寝ていたなら、今の時間は確実に寝過ごした。

 しかし隣でそんな俺を見て、彼女、セイバーは花開いた薔薇のような微笑を浮かべながら、こう答えた。

 

「おはようございます、シロウ。 ちなみに今の時間は六時ですが、なにか?」

 

「……」

 

……あー、なんだ。

 どうやら高級卵のせいで、この騎士王さんはお腹が減ってしまっていたらしい。

 ぴょこぴょこ揺れる金色の癖毛を確認し、ため息をついた。

 

「……おはよう、セイバー。 起こしにきてくれて、ありがとな」

 

「いえ、礼には及びません。 それよりも早く調理を開始せねば、卵の品質が落ちてしまうのではないでしょうか? ええ、高級な品というモノは、その美味しさを保つのにそれは苦労すると聞きますし」

 

……えーと、つまり。

 

「うん、お腹が空いたんだろ? ちょっと待ってろ、すぐに作り始めるから」

 

 かぁ、と羞恥に頬を染めるセイバー。 全く、作ってほしいなら作ってほしいで、素直にそう言えばいいのに。 あれこれ理由つけなくたって、時間的に作らなきゃ間に合わないんだから。

 

「そ、それは誤解です、シロウ! 私はあくまで卵の心配をしているわけであって、決して自らの空腹を訴えているわけではっ!!」

 

「? いや、別に恥ずかしいことじゃないだろ、お腹が空くことなんて。 だから遠慮なく言ってくれ、ここはセイバーの家なんだから」

 

 ぐぬぬ、と俯くセイバーさん。 どうしても卵のせいにしておきたいらしい。 その内、

 

ーー騎士の誇りにかけて、私は卵の品質を心配しているのですっ!!

 

 とか大声で言い出さないとも限らないので、そそくさと修理キットを持って、土蔵から出ていく。

 何故修理キットなぞ持っていたのかと言うと、それは土蔵で炬燵の修理をしていたのだが、これが思ったより難航してしまい、ガラクタ弄りの血が騒いだ結果また土蔵で寝てしまったのだ。 幸い、長丁場になることは予想出来たので、作業服に着替えていたが、砂利や埃でかなり汚れてしまっている。

 そんなわけで屋敷に戻って軽くシャワーを浴び、制服へ着替えると、俺は朝食の準備に取りかかる。

 

「……卵を主食にしたいから、だし巻きは入れたいけど」

 

 だし巻き卵も悪くないが、日々の卵が豪華になっただけだ。 それではいまいちパッとしない。

 とすれば、ここは卵の味を楽しむ為に、味噌汁にそのまま入れて煮込むというのもアリかもしれない。 豚汁風味にすれば、高級な卵のおかげで大味ではなくなり、美味しく頂ける。

……うむ。 いつもみんなの要望を聞いているのだし、ここは男飯というわけで。 あとはいつも通りおひたし、焼き魚などの和食コースで行くのが無難だろう。

 そうと決まれば早い。 まずは味噌汁の具材である野菜を洗い、一口大にカット。 次いでにおひたしに使う春菊も切っておき、最後に豚肉をスライスする。

 ここまで来ればあとは焼くなり煮るなり茹でるなり。 忙しくなる調理場とは反比例に、座敷で匂いを嗅ぐセイバーは幸せそうである。

 と、そのときだ。

 

「……うぅ、おはよー……毎朝毎朝、良い匂いねほんとー……」

 

 とんとん、と目を擦りながら座敷に入ってきたのは、我が穂群原の誇るミスパーフェクト、遠坂凛だ。 しかしそのミスパーフェクト様も朝にはタジタジであり、いつもは整っている髪も、少しあらぬ方向へ飛んでしまっている。

 俺はそんな彼女に苦笑し、

 

「おはよう、遠坂。 早速で悪いけど、出来た料理運んじゃってくれ。 セイバーもよろしく頼む」

 

「はいはい……って、朝から豚汁? 女の子にキツいの食わせようとするわね、また」

 

「たまには良いだろ、たまには。 それに遠坂達はエネルギッシュなんだから、こんぐらい食べないと力出ないだろ?」

 

「女は男の半分で、それに見合った仕事をするもんよ。 省エネよ省エネ」

 

「そーかい。 ほら、セイバー」

 

「はい……む、シロウ。 だし巻き卵が無いようですが」

 

「ああ、それなら生卵のまま、豚汁にトッピングしといた。 少し大味になったかもしれないけど、卵でカバー出来てると思う」

 

「なるほど。 繊細な料理も良いですが、たまには豪快に頂くのもまた良し、ですね」

 

 豚汁の匂いをくんくんと鼻で味わいつつ、にへら、と笑みを零してみるセイバー。 この一年でよくぞまぁここまで染まったというべきだろうか。

 後は各々調味料を持ってきて、配膳は完了。 ちゃぶ台を囲むと、玄関の方から聞き慣れた足音が木霊する。

 

「みんな、おっはよー! って、おお、朝から豚汁!? 私も豚汁食べたーいって思ってたんだ、ひゃっほーい!」

 

 ずばびゅん、なんて騒がしい効果音を立てながら来たのは、冬木の虎こと藤ねぇだ。 真冬であるにも関わらず、余程お腹が空いているのか。 手袋せずにここまで来たらしく、その手は真っ赤になっているのだが、そんなことより豚汁の話をするぐらいは元気らしい。 お椀を持って温まろうとする姿は、何処となく猫科の動物を思わせる。

 

「おはよう、藤ねぇ。 とりあえず手袋ぐらいはしたらどうなんだ? 女の子は肌を大事にするもんなんだって、俺だって知ってるぞ」

 

「あーら、やぁねぇ士郎ったら。 私を女の子扱いとは、遠坂さんにみっちりしごかれた賜物ね。 心配ご無用、逆に豚汁のあったかさが染みてて良い感じ」

 

「そうかいそうかい。 んじゃ、改めて」

 

 いただきます。 合掌を解いてしまえば、後は食うわ飲むわでみんな押し黙る。 それだけ料理が美味しいというのもあるのだが、朝は会話する時間がないほど忙しいのだ。

 しかし、今回だけは料理が別格だった。 一口目をぱくりと頬張ると、俺も含めた全員が目を見張る。

 

「うまっはあああああああ! しーろうっ、これいつもよりべらぼうに美味くない!?」

 

「藤村先生のリアクションが全てだけど……むむ、これはちょっと美味い。 卵だけでこんなに変わるなんて……汁物は奥が深いわね」

 

「……………………………………」

 

 何か口から光線でも出さんばかりに叫ぶ藤ねぇと、興味深そうに汁を啜る遠坂。 更にはセイバーが物凄い勢いで豚汁とご飯をかっこみ続けるところからして、今回は大成功だったようだ。

 実際俺も驚いているのだ。 高級品の卵を入れるとここまで濃厚になり、そして具材に絡むとは……普通の卵だとこうはいかない。 三人に負けず劣らず箸を進めながら、俺は会話をする。

 

「そういや藤ねぇ、最近桜どうだ? 弓道部の主将だから忙しいのは分かるけど、あんまりここ来ないからさ」

 

「桜ちゃんのこと? 別にいつも通りよー、後輩にはよく世話を焼いてるし、掃除も自主的によくしてくれるし。 ただちょっと主将かと言われると、何でもかんでもしすぎかなー。 あ、ドレッシングぷりーず」

 

「はいよ……ん、なら良かった。 うちに来てもらうのは嬉しかったけど、桜には桜のプライベートがあるから、ここに来ることで束縛させるのは嫌だったからな。 いや何か妹が居なくなったみたいで、寂しいけど」

 

「はぁ……」

 

 む、なんだよ遠坂。 その作り笑いすらないホントの呆れ顔は。

 

「あいっかわらずトーヘンボクだと思っただけよ。 ね、セイバー」

 

「んぐっ……はい。 リンの言う通り、シロウはもう少しかけられた言葉の意味を考えた方が良い。 それとシロウ、おかわりを」

 

「セイバーまで何なんだよ、全く……言葉じゃないと伝わらないっての。 はい汁とご飯。 藤ねぇは?」

 

「もちのろん! 鍋を空にする勢いで食べちゃうぞー!」

 

 これ、一応夜の分まで用意してたんだけど……ということを伝えようとして、止めた。 どうせ藤ねぇのことだ、そこら辺は考えているだろう。

 しかし平日の朝は、かくも忙しいモノだ。 茶碗や箸の擦れる音だけが何十分か占領すれば、その頃には朝食も済み、学校へ行く準備も整っていた。

 畳に置いていたヘルメットを頭にはめると、藤ねぇは玄関へと足を向け。

 

「それじゃ、学校でね二人とも! 卒業間近だからって遅刻はしないよーにっ!」

 

「藤ねぇこそ、原付ぶっ飛ばしすぎないようにな。 誰か轢くなんてことになっても、俺知らないぞ」

 

「ぶっ飛ばさないと間に合わないのだから、それは仕方ないのだ! ん、いってくる!」

 

 ドタバタと玄関が閉まった後、吠えるようなエンジン音が家まで聞こえてくる。 恐らく今頃、風になった虎が坂道を爆走している頃であろう。

 

「藤村先生を見ると、何だか気が抜けるわ。 まぁ思い詰めるよりは良いんだけど……難点と言えば、朝から優雅じゃなくなること、ぐらいかな」

 

 インスタントの紅茶を啜る遠坂は、そのままテレビのニュース番組へ目を走らせている。 優雅じゃなくなると言うが、どちらかと言えば遠坂の場合、それは猫被りなので、優雅などとは程遠いのでは……そう言えばまた小言を聞くことになるので、心の隅に置いておこう。 食器の汚れと格闘しながら。

 さて、後始末も終われば、後は学校へ行くのみだ。 三年からは遠坂と共に登校するようになったし、喋りながら登校となれば時間の余裕はない。

 

「じゃ、俺達も行ってくるよ。 セイバー、何か夕食のリクエストとかあるか?」

 

「そうですね……昨日は和食でしたし、今日はリンが当番でしょう? なら久々に中華を食したいですね」

 

「ん、オッケー。 つまりわたしのお任せで良いのね? シロウはどう、何かある?」

 

「そうだな……うん、俺もそれで良いよ。 そうと決まれば夕方は買い物だな」

 

「ええ。 っと、もうこんな時間」

 

 いってきます、とやや慌てて、いつものように玄関前でセイバーに見送られつつ、俺達は学校へ登校する。

 通学路は、その景色を桃色に染めている。 桜の花弁が空から落ちる度、脳裏に思い出すのは決まってあのことだ。

 第五次聖杯戦争。

 自身の全てが再び動き出した、あの運命の夜の出来事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 一年前、当時十七歳だった俺は、偶然一つの戦いに巻き込まれた。

 聖杯戦争。 万能の杯である聖杯を求め、七人の魔術師と七騎のサーヴァントが手を組んで戦う、バトルロワイヤル。

 ほぼ独学故に三流以下ではあっても魔術師だった俺も、その戦いの参加者となり、様々なマスターと戦った。

 親友、教師、自分自身、全ての頂点に立つ王、そしてーー何もかもを知り、何もかもを知らずに見捨てた、雪の少女。

 覚えている。

 その、余りに酷い死を。

 死体など十一年前から見慣れていたし、それより酷い死だって腐るほど見てきた。 それでもなお、あのとき出てきた涙は、何かを感じたからに他ならない。

 でも、何を感じたのかなんて、あのときには分からなくて。 首を傾げて胸に聞いてみても、その答えは出なくて。

 そんなとき、聖杯戦争の後に、知った。

 知って、今までにないほど、後悔した。

……自分がどれだけ恵まれていたのか、ようやく気づいたのだから。

 

「士郎」

 

 とん、と肩を叩かれる。 それで、現実へと戻る。

 

「……む」

 

 目線を下に向けると、そこには練習用のコーヒーカップが置かれているのだが、どうやら上手くいかなかったらしい。 ごく僅かだが、強化したコーヒーカップの取っ手にもヒビが刻まれている。 魔力を流しすぎたせいだ。

 一年前なら当たり前の失敗も、一年経過した今ではあり得ない。 向かいの遠坂も、これには横に首を振る。

 時間は既に夕刻。 俺は遠坂の家で、いつものように彼女から手解きを受けていた。

 一年前の聖杯戦争で知り合った遠坂は、魔術師としては超一流であり、五大属性使い(アベレージワン)、更には百に近い魔術回路と類い稀なる才能を持っていたのだ。

 そんな彼女を師事し、早一年となる。 スパルタではあるが、彼女ほど俺の魔術特性を理解した者は居ない。 しかし、今回は初歩的なミスということもあってなのか、その顔は呆れ気味であった。

 

「力みすぎ。 確かにあなたはへっぽこだけど、得意分野ぐらいは肩の力を抜きなさい、全く」

 

「う、悪い」

 

 集中するのは悪いことではないが、如何せんしすぎるのも、ということか。 最近どうにも、魔術を使うとあの少女の顔がチラついて離れない。

 

ーーお兄ちゃん。

 

「……」

 

 甘い、妖精のような声。 再び浮き上がろうとする顔を脳裏から消そうとするが、

 

「……また考えてる」

 

「え?」

 

「イリヤスフィールのこと。 また考えてるでしょ?」

 

 ぷく、と頬を膨らまして、俺を睨む遠坂。 その可愛らしい仕草に、ドキッともするけれど。

 

「……わ、悪い。 その……」

 

「別に悪いだなんて言ってないでしょ。 ただ、魔術はどんなに簡単なモノでも命の危険が付きまとうの。 それで衛宮くんが命を棒に振ったら、無駄ってもんじゃない」

 

 ふん、と鼻を鳴らす遠坂。 彼女は魔術師だ、建前上はこう怒りっぽいが……本心は、俺を心配してくれているのだろう。

 

「ありがとう、遠坂。 彼女とこうして顔を合わせてるのに、他の女の子のことを思い出すのはタブーだよな。 すまん」

 

「ばっっ!?」

 

 一転、首まで真っ赤になる我が師。 二つに結んだ髪がぷらぷらと揺れると、遠坂は指を指してくる。

 

「だっ、誰もそんなこと言ってないでしょっ!? わ、わたしは別に、衛宮くんがイリヤスフィールのこと思い出そうが好きになろうが、どうだって良いもの!! ええそう、ちっともうんともすんとも関係ない!!」

 

「好きになったとか言ってないんだけど……それに何か言葉が変だぞ、遠坂」

 

「うっさい馬鹿っ!」

 

 がーっ、とまくし立てるなりテーブルをぶっ叩き、遠坂は今度こそ顔を背けた。

 こうなれば苦笑するしかやることなどない。 俺の言葉などガソリンに近いのだ。

……イリヤスフィール。 本名をイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 始まりの御三家の内の一つ、千年の歴史を持つアインツベルンが寄越した、ホムンクルス型のマスター。 魔術師としては分からないが、大英雄であるヘラクレスを、多大な魔力消費で自滅するとされるバーサーカーで召喚する辺り、マスターとしてなら遠坂すら越えるだろう。

 まさに最強のマスターと最狂のサーヴァント。 しかし、バーサーカーは家屋と同等の巨漢ではあったが、イリヤの姿は少女のそれだった。

 背はセイバーより低い、小学生と同じ。 言動も大人びてはいても、その身体のせいで背伸びしている子供だった。

 しかし、そんな彼女も死んだ。

 聖杯というモノに踊らされた挙げ句、その身内にすら、二度に渡って助けてもらえずに。

 

「……分かっては、いるんだ」

 

 ぽつりと呟く。 それに、そっぽを向いていた遠坂が、視線を向けてくる。 俺は俯いて、

 

「全てを救うことなんて、出来ない。 一人でも多く笑ってほしいと思っていても、俺じゃまだそこまでの人を救えないこともさ……でも、家族ぐらいは。 家族ぐらいは、救わなきゃいけないじゃないか」

 

 俺の義理の父、衛宮切嗣はいつも言っていた。

 誰かを助けるとかいうことは、誰かを助けない、見捨てることなんだと。

 大多数を救い、小を見捨てるーーつまり俺は、義理の姉を、イリヤをそこへ押しやったのだ。何も知らなかったから。

 

「たった一度、会っただけで。 何をそこまで、って思うかもしれない。 正直、俺自身そう思うから。 けれど……それでもイリヤは、俺の家族なんだ」

 

 十一年前、切嗣は聖杯を破壊した。 そのときに漏れ出た泥が大火災を引き起こし、切嗣は身体を蝕まれた。 そのとき、悟ったに違いない。 もう娘には会えないと。

 だから、イリヤは一人ぼっちだった。 マスターとして様々な調整を施され、それ以外は何も知らないほどに。 そうさせた俺と、切嗣を恨むことで、ここまで生きてきた。

 

「過去はやり直せない。 同じ轍は踏まない。 そう思っても、やっぱりさ、やりきれないよこんなの」

 

「……そうね」

 

 遠坂はそれだけ言うと、俺が強化したカップを引き寄せ、紅茶を注ぎ始める。

 

「でも、そうやって生きるモノよ、人は。 少なくとも、わたしはそうだった」

 

「……遠坂もあるのか、そんな経験」

 

「あなたと比べるのも変だけどね。 けど、わたしが苦しんでたら、その分その子が楽になるのかな、とか。 今思えば根拠のないことだけど、そういうのって案外大事よ? 折り合いつけないと、前に進めないから」

 

 はい、とカップを俺に差し出す。 ヒビが入っていようとも、持ち上げたカップはびくともしなかった。

 俺に、遠坂の苦しみは分からない。 それと同じで、遠坂も俺の苦しみは分からないのだ。

……らしくないにもほどがある。 何をグチグチ言っているのか。 腑抜けた自分の頬を打つと、紅茶を一気に飲み干す。

 

「何か、しんみりしちゃったな。 すまん」

 

「ううん。 っと、そうだったそうだった。 今の話で忘れるところだったけど、士郎にちょっと見せたいモノがあってね」

 

 遠坂は立ち上がるなり、部屋の隅に行くと、何かの箱を物色し始める。 トレジャーボックスに似たそれから出てくるのは、曰く付きの魔術品の数々で、遠坂家の財産なのだろう。 俺ですら分かるのだ、相当である。

 

「あ、あったあった! はい、これ」

 

 と。 そんな魔術品に目を奪われていると、遠坂はあるモノをテーブルに引っ張り出した。

 それは、少なくとも魔術品ではなかった。 いや、正しくはそれの基本となるモノか。

 羊皮紙。 剣のようなモノが描かれた、魔術礼装の設計図だ。 ドイツ語で書かれたそれを、俺が読み解くには、まず言語の勉強から始めなければなるまい。 正直、反応に困る一品である。

 

「……遠坂。 説明の一つもないと、設計図だけ出されたってよく分からないぞ。 これ、何なんだ?」

 

「ふっふーん。 ご期待通りの反応ありがとう、衛宮くん」

 

 む……悪かったな、へっぽこで。

 

「あーはいはい、拗ねないの、教えてあげるから。 これはね、わたし達、遠坂家の悲願ーーつまり第二魔法への足掛かりなの。 つまるところ、これさえあれば、わたしは限定的に魔法を使えるようになるってわけ」

 

………………は?

 魔法って、あの魔法か? この世に五つしかないとされる、あの?

 魔法とは、すなわち魔術師が目指す到達点、根源の渦から引き出した力のことである。 魔術がその時代の技術で再現出来るモノだとしたら、魔法はどうやっても再現出来ないモノ。 故に法であり、それを継ぐ魔法使いが五人に満たないとするのならば、その力がいかに強力で、習得するのが難しいか……言葉で語るまでもない。

 

「す、凄いじゃないか! じゃ、じゃあ、これで遠坂も魔法使いの仲間入りってことか!?」

 

 興奮する俺に、遠坂は口を濁す。

 

「あー……まぁこれが、そうもいかなくてね」

 

「?……なんでさ」

 

「考えてもみなさい。 これを手に入れたわたしの先祖は、何でまだわたしの代でも宝石魔術なんてモノ伝えてるのよ? それなら、最初から魔法を教えれば良いでしょ?」

 

「あ」

 

 それもそうだ。 遠坂の代まで宝石魔術を使っているということは、そもそも魔法、根源へは至っていないということなのだ。 ともすれば、これだけでは意味がないに違いない。

 遠坂がそう言って、腹いせか自分の髪を弄り始める。

 

「設計図はあるんだけど、どうもこの宝石剣を作るには、それに見合った材料と理論が必要みたいでね。 要は数学みたいなモノよ。 宿題として第二魔法を出されたは良いけど、公式である宝石剣の理論がぶっ飛びすぎてて、わたしにはサッパリ」

 

「……なるほど」

 

 問題を解く公式があろうと、基本となる計算が出来なければ、答えは導けない。 それと同じなのだろう。

 

「じゃあ、どのぐらいかかったら理解出来るんだそれ? 設計図はあるんだろ?」

 

「んー、そうねー……数十年、いや半世紀かなぁ」

 

「そんなに!?」

 

「馬鹿、むしろそんだけよ。 魔法をわたしの代でこじつけられるんだから、生きてるだけで儲けモノに決まってるじゃない……で」

 

 と。 ここで、遠坂の目が怪しくなる。 具体的には悪巧みをする、あかいあくまの目へと変わっていた。

 それだけで何を言いたいかは分かったが、とりあえず聞いてみることにする。

 

「で、何だ遠坂?」

 

「えー……どう? 剣だし、何かこう、分からない?」

 

「……はぁ」

 

 ため息をつく。 やっぱりなのか、コイツは。

 俺が最も得意とする魔術は、投影だ。 魔力と術者のイメージで贋作を作る魔術なのだが、俺はその投影を一度見たモノなら何でも出来る。 遠坂はその投影で、劣化でもその宝石剣とやらを作ってほしいのだろう。

 だがさっきも言った通り、俺の投影は見たモノしか出来ない。 設計図だけでは、ただの刀剣だろう。

「あのな、俺の投影はそんな便利なモノじゃないって遠坂も知ってるだろ? というか、そんなズルしたら、大師父とかいう人が怒るんじゃないのか?」

 

「う……わ、分かってるわよ。 言ってみただけよ、言ってみただけ……でもほら、万が一があるじゃない? 設計図触っても良いから、もっと見てくれないかしら? ガッチリとほら!」

 

 ったく……ドイツ語も読めないで分かったら、それはそれで遠坂も怒りそうだけどなぁ。

 そんなどうでも良いことを考えて、羊皮紙に触れたときだった。

 触った箇所から、魔法陣が展開され、膨大な魔力が迸った。

 

「!?」

 

 荒れ狂う魔力は嵐というより、濁流だった。 テーブルや椅子などが押し流され、近くの棚からは本が次々と落ちている。

 反射的に羊皮紙から手を離そうとして、気付く。 まるで接着剤でも付けられたように、羊皮紙が手にくっついて離れないのだ。だとすれば、これは魔術が起動しただけーー本当の効果はこれから発揮される。

 俺は手から羊皮紙を引き剥がそうとしつつ、そこに居るだろう遠坂へ怒鳴る。

 

「く、遠坂!! おい遠坂っ、これどういうことだ!?」

 

「……いいえ、先輩」

 

……え? 聞こえるハズのない声が、響く。 絶対に聞こえない、声が。

 それに振り返る間もなく、意識は魔力に塗り潰されていき。

 

「あなたの役は、その身体(・・・・)じゃないんです。 だから」

 

ーー相応しい姿で、相応しい世界に行ってくださいね?

 

 

 

 

 

 


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