Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
落ちている。
暗い暗い、奈落の底へと落ちている。
奈落へ落ちていく度に、感覚が引き伸ばされ、自己が縮小する。 それは、肉体と言う楔から解き放たれた時と、同じような感覚なのではないか、と思ってしまう。
すなわちーー死。 生からたどり着くことなど出来ない、一つの理想郷。
と、急に変化が起きた。 とぽん、と何かに落ちたのだ。 奈落の底かと思っていたが、どうやら湖に落ちただけだったらしい。 泡と共に、体は水面へ浮き上がっていく。
まるで魚になったみたいに、すいすいと泳ぐ。 水面はすぐそこ。 光を反射するその様は美しく、玲瓏な宝石か何かのようで、ずっとここで眺めていたいぐらい。
泳ぐ。 泳ぐ。 泳ぐ。
可笑しい。 水面に辿り着けない。 息はしなくて良いから、水中でも構わないけれど、それは少し困る。 きっとこの先は、美しい光景が広がっているに違いない。 見たことはないが、そうに違いない。 だったら、見に行きたい。
ちか、と光る赤。 太陽の黒点のような、ほんの少しの黒が、言葉を織り成す。
ーーふふ……お兄ちゃんってば、ホント、私が居ないとダメなんだから。
幼い声が、水の世界に木霊する。 甘美というより、甘露に近い声に、否応なく身を委ねる。
途端に意識が漂白し、世界が一変した。
水は甘い甘い、莓味のシロップへ。 色が淡い赤へ変わり、魂まで染め上げられるようだ。 それは愛を感じるような、それでいて何処か歪な搾取行為。
ーーん、……ぅ、……んふ……。
囁く声は、艶然な少女を彷彿とさせる。 ここまで色気を感じさせる声も、珍しい。 この行為は愛とはかけ離れているというのに、何故かいつまでも浸っていたいと思わせる。 蕩けるような、かき混ぜられるような、そんな母性を感じた。
ーーふ、ん……はげしい……獣みたいに求めても、応じてくれるなんて……ホント……。
意識までもがその母性に包まれ、溶けていく。 さながらイメージ的には、水に溶かされる泥だ。 大海原に投げられた泥は散り散りになり、そのまま分解され、底に落ちていく。
ああ、なるほど。 改めて気づいた。
どうやらここは、死の世界だったらしい。
でなければ、こんな快楽は毒でしかないだろうから。
ーーじゃあお望み通り……ぜーんぶ、搾り尽くしてア・ゲ・ル。
最後に見えたのは、黒い光。
黒い黒い、白を知らない黒だった。
目が覚める。
夢を、見ていたようだ。
「……ん……ぅ」
目を開けてまず感じたのは、肌寒さだった。 もうすぐ五月、そんな時期でも肌寒さを感じることはあるのだが、その冷たさは何か違った。
周りは明るめ。 日の差し方からして、昼前ぐらいか。 そこまで確認し、ベッドの上で手を額にあてる。
すると汗がべっとりと付いており、それから胸の辺りを触ると同じように、服が汗で肌に引っ付いていた。 よく見れば枕もひんやりしていて、濡れている。
「うわ……道理で寒いハズだ……」
知らず、声に出してゆっくりと身体を起こす。 余程寝苦しかったのか、被っていたタオルケットは床に投げ捨てられており、それを拾おうと手を伸ばす。
「あれ……」
変だ。 手を伸ばしても届かない。 偉く緩慢な動きだとは自覚しているが、それでも届かない距離では無かったハズだ。 再び手を伸ばすべく、身を乗り出してタオルケットを掴もうとするも。
「あ」
重心が前に行き、そのまま一回転。 見事な前転を決め、そのまま尻から床に倒れ込んだ。
どてっ、という情けない音。 たまらず顔をしかめては見るものの、そんなことすら出来ているか曖昧だった。
距離が測れない。 動きがノロノロしてる。 意識が朦朧としていて、汗をかいている。
……もしかして。 今の俺って、まさか。
「風邪、ひいてたりするのかな……」
「ん、そう。 士郎、風邪ひくの凄く久しぶり」
そっか、久しぶりか……って!?
「り、りりりっ、リズゥ!?」
がばっ、と跳ね起きることが出来ないため、タオルケットを掴んで身体に巻き付けると、そのまま部屋のドアまで退避する。
備え付けられた椅子の上で、リズは背もたれに顎を置いていた。
「む、思ったより元気。 でもまだ安静にしないとダメ」
「い、いやっ、どうしてリズがここに居るんだ!? というか何で!? 俺は確か……!」
さっきまで、イリヤと名乗った黒い少女と、戦ってたハズなのに……それがどうして、こんなことに……?
「士郎、昨日無理して、学校から帰る途中で倒れてた。 それをイリヤ達が見つけて、ここまで運んだ。 おーけー?」
……遠坂達の偽造なのだろうか? つまり、俺はあの少女との戦いを、何とかやり過ごしたらしい。 で、倒れていたところを、帰ってきたイリヤ達に。
ーーお望み通り、ぜーんぶ。
……待て。 待て待て待て。 いや、ちょっと、色々待って。
今何を思い出した。 どうしてイリヤ、ああ違う、イリヤっぽいあの黒い少女とキ……キツツキごっこする夢なんて想像した!?
詳細を思い出そうとして、ズキン、と脳から鈍い痛みが全身へと送られる。 しかしそれより急いで下半身の、より正確に言えば雄雌を見分ける勲章の様子を見なければ。
「頭痛い? ならただの風邪薬じゃダメか。 他には?」
「え?」
かなり具合が悪そうな顔をしていたのか、そう言って覗いてくるリズ。
……ぬぬぐ。 汗で勲章がどうなってるのか不明瞭だ。 これはもう直に確認するしかない。 とりあえず作業を止めて、応対する。
「……あ、えっと、服が汗でびちゃびちゃしてて、気持ち悪いのと、あとは少し寒かったり……」
ふむふむ、と相変わらず聞いてるのか聞いてないのか分からない反応をするリズ。 投げやりではあるが、看病の要点は押さえているんだろう。 俺の病状を聞き届け、彼女は立ち上がると、側にまで寄る。
「?……リズ?」
「動くな、フリーズ。 体温計るから」
は? 目を皿にして呆ける俺に、リズは目線を合わせると。
ぴと、と。
額と額を擦り合わせるようにして、抱きついてきた。
「ッ!? な、何やってんだリズ!? ち、ちかっ、近いって!?」
「これこれ、慌てるでない。 動かれたなら、もっとくっつかなければならぬ」
「それ何のキャラ!?……っ!?!?」
ふにゅん、と胸板に主張してくる柔らかいモノに、たまらず奇声をあげかける。 ふんわりとした甘い匂いと、人肌の程よい温かさが組み合わさり、何だか頭がくらくらする。 リズの吐息が耳元に当たり、たまらず背筋がピンと伸びた。
「じっとする。 ほら、服脱いで。 着替えないと」
「ば、馬鹿かお前!? そ、そそっ、そんなこと自分で出来るんだから早く部屋から出てけ!!」
「そう言われると益々脱がしたくなる。 力づくで」
何故か手をわきわきと揉むような仕草をしつつ、俺の肩に手をかけるリズ。 その目は見たことがある。 アレだ、遠坂がガンドをぶっぱなしたときと同じ(形は違えど)殺る目だ。
いやーっ!? なんでさ、なんでなん!? 普通逆だろうに! というか体温計りたいならもう済んだろ!?
「ええいっ、くそっ、無駄に力が強いっ……!!」
「フハハ、良いではないか良いではないか。 役得だと思うぜ?」
「もう何のキャラかも分からねぇ!?……あぁもう、そこまで言うなら、自分で離れてやる……っ!!」
やむなく緊急脱出、お前の手では脱がん! タオルケットを羽織ったまま、そのまま回転。 するりとリズの手から抜け出し、ミノムシ状態でベッドに冬眠しようかと画策するが。
ごちん!!、と。
その途中でテーブルの足に、頭をぶつけた。
「ぶっ、ぃ、だぁ…………っっ!?」
前方不注意も甚だしい。 もし藤ねぇに見られでもしたのなら、『士郎ってばホント抜けてるわよねー、ほらこの虎印のお守りを授けよう』なんて言って、代わりにおやつ代をせびられそうである。
リズはほほー、なんて能天気に転げ回る俺を目にし、
「スッゴい痛そう……どんまい」
「ぐぬぬ……!! 元はと言えば、お前が変なことするからだろうが……!!」
「人に擦り付けるのは良くない。 でもまぁ、そこまで言うなら分かった。 大人しく外で待っとくから、手が要るならいつでも言って」
ぴしゃりと告げ、そのままスタスタと俺を放って歩いていくリズ。 出ていく間際、彼女はこちらへ振り返り、
「……ドキドキした?」
そう、少し真剣に聞いてきた。
「っ……ば、ばか。 そんなこと、こ、答えられるわけ……」
「ふむ、脈あり。 これはわたしにも芽がありそうで何より何より」
……最早思考を停止した方が恥ずかしい思いをしなくても良いんじゃないかなぁ、これ。 そう思っている間に、リズはスタスタと去っていった。
居なくなった途端に、静まる部屋。 俺は熱っぽい頭を冷やすために、手で首元をパタパタと扇ぎながら、着替えを済ませる。
てんやわんやになってしまったものの、ようやく一人になれたことだし、とりあえず一度整理してみよう。 まだ少し浮わついているが。
俺は昨日、帰宅中に襲われた。 その相手はイリヤと名乗る、彼女と瓜二つの少女だったが、その肌は浅黒く、また服装もアーチャーの礼装を派手にしたような、そんな衣装だった。
彼女と話してみたが、どちらかと言えば俺の世界のイリヤに似ていた気がする。 聖杯戦争のことも、マスターのことも知っていた彼女は、イリヤの聖杯としての部分……つまりマスターとしての機能を兼ね備えていたのではないか、と予測するが。
「……その割りには、俺のことを正確には把握してなかったな」
マスターの資格なんてモノ、そう得られるわけではない。 冬木に居なければマスターの証である聖痕、令呪は刻まれないが、魔術回路を宿していないモノに令呪は刻まれない……ああいや、慎二の例があるからそうとも言えないのか? とにかく俺は、魔術回路こそあるが、この世界の第四次聖杯戦争時は開いてすら居なかったし、そもそも魔術の存在だって知らなかった。 極めつけは、まだ七歳程度の子供だったわけだし、そうなるとこの世界の聖杯戦争ではあり得ないという結論になると思っていたが。
「……案外、バレてなかったりするか?」
正直言って、あの黒いイリヤに関してはお手上げだ。 しかしやはり、聖杯戦争の事と良い、俺の魔術の理論を理解せずとも使えたことと良い、やはり聖杯なのだろう。 今なら納得出来るのだが、イリヤが願望機としての機能を持つなら、魔術理論無しで、ただ願っただけで魔術を使えるのだという。 初めそれを遠坂から聞いたとき、何を馬鹿なと思ったが、あの投影魔術を見て確信した。
例えば、空を飛びたいと願ったとしよう。 これを聖杯が叶えたとしたら、間違いなく浮かぶハズだ。 しかし、この願いというのは、あくまでイリヤの願望なのだ。 そこにもう一つワードが無ければ、その願いは全く別物となる。
そう。 黒いイリヤは俺の魔術ではなく、アーチャーの魔術を、剣を作って放つだけだと誤認した。 そう、イリヤが願ったのは俺の魔術の大本たる、無限の剣製ではないのだ。 だとすれば、大幅な劣化など必然である。 それでも強力ではあるが、俺からすればそれほど脅威ではない。
……さて。 そろそろ頭の痛みも酷くなってきた。 本題に入ろう。
「ふぅ……」
床に座り、胡座をかいて座る。 考えるのは、昨日の意識が消える最後、投影魔術を行ったことだ。
あのとき、何が起こったか。 それを突き止める必要がある。
「……とはいえ」
考えてはみたものの、芳しい結果は得られない。 それも当然、だって意識が無かったのだ。 自分がどうなってしまったのか、それを目撃した人物が居なければ、話にはならない。 それにもし見ていたとしても、遠坂やルヴィアに聞こうものなら、質問責めは免れないだろうし、二人をあしらえるような剛腹な態度なんて取れない。 舌先三寸はあちらの本領なのだ。
となると、俺の事情を知っていて、なおかつあの場に来ていた人物に聞くしかない。 しかし、そんな都合の良い人間が居るわけ、
「あ、お兄さんそろそろ落ち着きました? リズさんが居たんで、一時はどうなることかと思いましたよハイ」
「……………………………」
……居た。 人じゃないけど、居た。 具体的には俺の勉強机の引き出しから。 ひょこっ、と猫型ロボットよろしくタイムマシンから出てくるような気軽さで、あのステッキは出てきやがった。
「……どうしてお前がここに居るんだ、ルビー」
「そりゃあ、お兄さんがまた怪我して、ぶっ倒れたからでしょう? 看病もとい、イリヤさんから様子を見てこいと野次馬を頼まれまして。 いやー、魔法少女の相棒としての立場的には、ああいう逢い引きは防ぐべきなんでしょうが、ルビーちゃん的にはオールオッケーですよー! ハーレムモノには修羅場が付き物、最早魔法少女なんてどっかで有給とってますね! もっとやれ、もっともっと!」
「………………」
……多分、こんなにモノに対して殺意が湧いたのは初めてだ。 冗談なしで、破戒の短剣ぐらいぶちこんでも文句は言われないと思う。 絶対、あの五芒星辺りにぶすっとやっちゃっても。
いかんいかん。 ふぅ、とため息。 遠坂じゃないんだ、こんなのに怒ってたら堪忍袋がいくつあっても足りない。
雲のように空に浮かぶルビーへ、
「……一応、おはようルビー。 この通り元気だから、さっさとイリヤのところに帰れ」
「アハー☆ お兄さん、ちょっと怒ってます? んー……私だって思春期真っ盛りな、男臭ーい高校男子の部屋に入りたくありませんよ? その点、まだここは綺麗で管理も行き届いてますけども」
「遠坂に突き出すぞ、本気で。 それかサファイア辺りに」
「うえ、凛さんはまだ良いですが、サファイアちゃんはちょっと困りますね……淡々と怒られるのもそれはそれでゾクゾクする人も居るんでしょうが、私にそんな趣味はありま……ハイハイ分かりましたから、そこ、携帯でルヴィアさんに連絡を取らないでくださいまし」
どんな使い方をすれば出来るのか、ルビーは俺から携帯をぶん取り、ポイっとベッドに投げ捨てる。 ま、茶番も終わりにしよう、何せ時間はあまりないのだ。
「……お前の性格からして、マスターであるイリヤから離れることなんてほぼない。 俺に聞きたいことがある、違うか?」
「ええ、まぁ大体そうですね。 そういうお兄さんはどうなんです? 私なら色々と話せるのでは?」
「お生憎、と言いたいところだけど……こっちも大まかにはそうだ。 ま、先にそっちからで良い。 で、なんだ?」
どっからでもかかってこいと、ベッドに体を預けてみる。 じゃあですね、なんて軽い調子で。
「ーーお兄さん、昨日は何をしたか覚えてますか?」
そう、ルビーは直球に聞いてきた。
「……」
昨日何をしたか。 そんなこと、決まっている。 黒いイリヤと戦って、そのままぶっ倒れた。 それだけだ。
「いやはや、こう言っちゃなんですかね? 私としては、イリヤさんにあなたのことを勘づかれてはならないと、ささやかな老婆心もあったんですが……」
顔がない玩具。 しかし奇跡的な確率で作り出されたカレイドステッキは、あくまで冷淡な物言いで、指摘する。
「昨日、私達が現場についたとき、そりゃあもう冷や汗かきましたよ。 何せ、お兄さんがクラスカードを宿した英霊モドキ以上の、本物の英霊を憑依させてたんですからね」
「なに……?」
憑依……? ということは、俺はあのとき、投影しようとして、誰かを憑依させてた……ってことになるのか?
「……どういうことだ?」
勿論、というか当たり前だが、投影と憑依は別物だ。 物に魂が宿るなんて日本独自の九十九神は信じてはいるが、俺の投影にはそんなこと。
……って、あれ?
「……おにーさん? おにーさーん?」
「ちょっと、待った……もしかしてそのときの俺、妙に皮肉とか言ってなかったか? 後は一人称が私とか……」
「さぁ? 私達が来たときには、お兄さんはクロさん……ああ、イリヤさんの黒いバージョンなので、クロさんと呼んでるんですが、とにかく彼女に王手をかけられてましたし」
あぁでも、と思い出しながら、
「お兄さん凛さんのこと、名前で呼んでましたね。 凛、なんて物凄い親しげに」
……決まりだ。 俺に憑依していたのは、アーチャー。 いいや、厳密に言えば違うかもしれないが、とにかくあの野郎だ。
胸にすとん、と事実が落ちる。 しかし、何でまたこんなことに?
「しかし、どう言い繕っても誤魔化しきれませんよ、アレ。 あえて聞きますが、お兄さん降霊術の類いは使えるんですか?」
降霊術。 あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、俺はその奇跡を知っている。 が、それはあくまで、俺の魔術ではない。
「……いいや。 俺は、そういうのは使えない。 才能無いからな、残念だけど」
「ふむ……宝具の投影なんて真似が出来る時点で、才能が無いとは思えませんが……まぁこの際良いですね。 お兄さん、何か掴んだみたいですし」
む、どうやらさらっと見透かされていたようだ。
「私を誰だと心得ます? 可愛い可愛い、腹黒二十パーセントで出来たルビーちゃんですよ? お兄さんの反応なんて、既にプロファイリング済みです」
俺は犯罪者か、この野郎。 そんな内心をおくびにも出さず、俺は観念した。
「……俺の魔術が投影魔術だってことは、前にも言ったよな?」
「えぇ。 にわかには信じられませんでしたが、流石に実物を見ては信じるしかなかったので」
「みんなそう言うよ。 けど、それだけじゃない。 俺の魔術は他にもあるんだ」
「……と、言いますと?」
「例えばだけど、俺は剣を投影する。 けど、いくら投影したって、俺自身に剣の才能はないから、扱えるわけないだろ? でももし、本来の担い手に及ばなくても、その半分以下でも使いこなせることが出来るとしたら? 例えば、剣に染み付いた情報を、自分に叩き込むとか」
「……まさか」
流石魔術礼装、理解が早い。
「そう。 俺の魔術には、憑依経験っていうのがある。 これは剣の担い手の情報、つまり剣技を自分に憑依、経験させる魔術だ。 あくまで俺の予想なんだけど、恐らくこの憑依経験が暴走して」
「担い手の英霊を、擬似的に降霊してしまった、……と?」
「ああ」
俺の推論に、ルビーが腕を、いや羽を組む。
だが、言ってみたものの、本当にそんなことが起こりうるのだろうか……? 理論的には成り立つが、そんな簡単に英霊を再現出来るわけがない。 英霊とは、人に、世界に認められた、本物の偉人達のことを言うのである。 俺の投影は特別製だが、かと言って英霊に届くなんて思い上がってはいない。 憑依経験だって同じだろう。
ルビーはそのまま考え込んでしまうが、すぐにまたパタパタと羽を動かした。
「なるほど……そういうことでしたか。 確かにこの前サファイアちゃんと接続してバーサーカーの戦いを観戦してましたが、そういうカラクリで……ふむ。 それならば、心当たりがあります。 憑依させられていたとき、お兄さんの魔術回路から、視認出来るほどの魔力が漏れ出して、暴走してましたから」
「暴走? それって、全部の回路がか?」
「えぇ、まぁ。 いや……この世界の士郎さんの回路の方が、活性化してましたね。 あなたの方はそれに釣られて、って感じでした」
……魔術回路の暴走。 それも気になるが、その前にルビーが見解を述べた。
「しかしそれなら、お兄さんの言ってることは可笑しくないですか?」
「は……? なんでさ?」
「あなたって人は……良いですか? 確かに、お兄さんは憑依経験というモノが原因で憑依されてしまったのかもしれません。 ですが、お兄さんは英霊を疑似召喚したわけじゃなくて、あくまで呑み込まれたんでしょう?」
「……む」
それは……ええと?
「はぁ、何でこんなことが分からないのやら……つまりですね。 お兄さん、
「……あ」
まさに、前提がひっくり返った。 いや、憑依されていたということで、頭がいっぱいだったのかもしれない。 何せ一歩間違えれば、誰かに身体を取られていたのかもしれないのだから。
「お兄さんの投影は異質です。 でもだからこそ、本物にも匹敵する輝きを再現することが出来る。 しかし今回の場合、その輝きが仇となってしまったんでしょうね。 回路から漏れ出した魔力によって、お兄さんの預かり知らぬところで憑依経験とやらが拡張したのでしょう。 本来手の出すことが出来ない領域にまで手を伸ばしてしまい、憑依させるのではなく、されてしまった、と言った感じでしょうか? 」
「……じゃあ、そのままだったらどうなってたんだ?」
「そんなの決まってるじゃないですか。 宝具なんて神秘の塊とは言っても、所詮は道具ですよ? 道具そのものに意識を奪い取られたら、もう他人に扱われるしか道はないじゃないですか?」
熱っぽい頭では、瞬時には理解しかねた。 だがその意味を知覚したとき、電流にも似た何かが、回路を撫でるように貫く。
……体は、剣で出来ている。 それは何も、ただ単に体が剣で出来ているなんて、短絡的な意味合いではない。
機械的に、剣のように、誰かに振られ続ける。 それは他人のために動く俺を、誰かがそう揶揄した言葉。 消えぬ咎を背負っても、そんなことは表情に出さず、他人に良いように利用されて。 それを良しとし続けた男は、自身をそう表した。
だからこそ、体は剣で出来ているという言葉こそが、俺の本質だ。
勿論、知っていた。 アーチャーを通して、そうなってしまうことだって。 けれど、そうなりかけたことで、心が押し潰されそうになる。
視界がギチギチに狭める。 狭まった先に居るのは、一つの背中。 血に濡れたそれは、剣の山に身を委ねてーー。
「お兄さん? どうかしました、お兄さん?」
「……っ、」
えずく。 熱に冒されても、ギリギリのラインで耐えきったのは、自分で褒めてやりたいほどだ。 ぶる、と跳ねるようにかぶりを振り、
「……大丈夫だ。 続けてくれ」
「どう見たって大丈夫じゃないでしょうに、気丈な人ですね……ま、後はお兄さんも分かってると思いますが、魔術回路の融合ですね。 まだまだ半端な感じなのに、よくもまぁ痛め付けちゃって」
「え?」
魔術回路の、融合? 愕然となる俺に、ルビーは平然と周囲を飛び回る。
「あれれ、気付いてませんでした? ということはもしかして、いやまさかとは思いますが、もう完璧に魂が溶け合ってるとか思っちゃってます?」
「……ぇ、いや、……でも、同時に回路は二つ分使えるだろ!? それに記憶だって、ここの記憶がより鮮明に思い出せるようになった。 代わりにあっちの記憶を思い出せなくなってるのは、そういうことなんじゃないのか!?」
「あちゃあ……お兄さん、それは第二魔法を舐めすぎなんじゃないですか? 仮にも世界の外側の法則ですよ、生きてること自体奇跡なんですし……その程度で終わるなら、今頃第二魔法なんてバンバン量産されちゃってますよ?」
その程度で終わるなら。 ルビーの軽薄な態度とは裏腹に、それは高温の身体を冷ます冷気のような言葉だった。
「回路が暴走するということは、完璧な癒着は為されていない。 恐らく回路を起動するとき、お兄さんには別々のスイッチがあるハズです。 そんなこと、普通の魔術師ならあり得ません。 回路が別々だから出来る芸当ですし、何よりお兄さんの魔術行使に、この世界のお兄さんの回路がついていけてないでしょ?」
「……っ、なんで、それを……」
「そんな事、剥き出しの回路を見りゃあ猿だって理解出来ますよ。 お兄さん、魔術回路は頑強だとお見受けしますが、それはご自身の回路だけ。 この世界の士郎さんが投影魔術に耐えられないのは、半分以上焼き切れてる回路と、体調が悪くなってることで丸分かりです。 もし融合しているなら、自ずと回路も強靭な方へと適合するでしょうし」
それに、と。 ルビーは、俺の現状を精査し、結果だけを伝える。
「本当に融合していたならば、今頃あなたは意識を拡散させたまま、体ごと吹っ飛んでたハズですからね」
捲し立てられるような結論は、しかし的を得ていたのだろう。 ろくに考えられない頭でも、どうにか把握して、意識を事実へと縫い止める。
ルビーから聞きたいことは、沢山あった。
しかし今はもう、たった一つしかない。
「……なぁルビー。 一つ、聞いても良いか」
「はい、なんでしょー?」
「正直に答えてくれ……俺はあと、どれくらい生きられる?」
「……」
黙る。 あの喋ることしか能のないような、バカステッキが。 まさかこんな質問をしてこないとでも思ったのか、ルビーはするりと俺の視界に入り込んでくる。
「……アハッ☆ それは気付いてたんですね、ルビーちゃんビックリ」
「当たり前だろ。 記憶が混濁するし、修正力による副作用は酷くなるばかりだからな……馬鹿でも気付く。 いつ死ぬのかって」
それを、聞いて。 ルビーが一瞬だけ羽を下げた。 まるで、謝るように。
「……まず前提条件として、お兄さんが特殊な魔術師であるため、魂の融合が遅れています。 魔術回路が細胞と化しているからですね。 ここからは推測ですが、お兄さんの魔術回路は大掛かりな魔術を使用すればするほど、暴走し、定着し、後はもう止められません。 そうなってしまえば秒読み、死を覚悟するしかない」
そして。
告げる。
「ーー魔術師として生きるのならば、最高でも半年。 人としてなら五年以内に死にます。 それだけは、宝石翁の魔術礼装として、ハッキリと申し上げておきましょう」
それが、背負わされた責任。
衛宮士郎のーー奪った者、見送られた者の、贖いだった。
……これから始まるのは、夜ではない。 夜へと至る前の段階で、この身は朽ち果てる。
故に、始まるは朝。
長くて短いーー誰の目にも残らない、贖いの朝が、開始した。
ーーinterlude 2-1ーー
エーデルフェルト邸、地下。 魔術的な防壁と封印が為されたそこは、既に人の気配はない。 そもそも人が余り寄り付かない、研究室のような場所なのだろう。 石造りの床と壁を隠すように、清潔な調度品が配置され、一見不自然な樽には鉱石がぎゅうぎゅうに詰まっている。 価値の低いーー少なくともこの家主にとってーー鉱石だが、手入れ自体は行き届いている。 石造りの地下というモノは、よくカビ臭いイメージが付き物だが、部屋全体の管理は名家らしく見事なモノだ。
とすれば、ここはワインセラーかそれに近いモノなのか。 いいや違う、それならば部屋の中心に、齢十前後の女児が括りつけられてなど居ない。
彼女、イリヤと同じ顔を持った少女ーークロは、うっとおしそうに手錠をガチャガチャと鳴らす。
(……ったく。 普通、ここまでやる?
オトナゲなーい、なんて、子供っぽく言ってみるクロ。 しかし返す言葉はない。 当たり前だ、ここはクロ専用に作成された工房。 そこにクロ以外の姿があるハズがない。 何気なく置かれた調度品ですら、その全てが魔術的な意味を持ち、今現在クロの身体を蝕んでいるのだから。
(……アーチャーの対魔力は低いけど、それはあくまでアーチャーの話。 私が願えばそれだけで拘束と封印は吹っ飛ばせるし、脱出だってさっき実行したから問題はない……けど)
じ、と視線を下に向ける。 露出した小麦色の肌は瑞々しいが、そこに赤く刻まれているモノがある。
凛が施した、痛覚共有の呪術。 それも共有はクロへの一方通行。 つまり対象者の負傷は共有するが、クロが傷ついても対象者は傷つかない、極悪というよりはとても都合の良い呪術だった。 これを誰に使う予定だったのか、クロはあえて聞くまいと誓った。
術の対象が二人であることから、呪術の効力はかなり下がっている。 しかしそれでも、命を消し飛ばしたり、人体を破損させるほどの一撃は、その相手には振るえまい。 そう、イリヤスフィールと衛宮士郎には。
「……」
クロにとってその両名は、あやふやでも自身の存在をこの世界へ結びつけている、いわば楔だ。 二人が居なければ、クロという奇跡は起こり得ないし、二人が居たから、クロという存在が生まれてしまった。
……手錠にかけられた腕は、だらんと力を抜いている。 それでもそう考えた瞬間、胸が痛み、クロは無意識に握り拳を作る。
別にイリヤスフィールのことなど、どうだって良い。 最初から殺すと決めていたし、それを実行に移す前に、魔力を補給しなければ存在を確立出来なかった。 だからあの場は逃げた、一時の恥ならば飲み込もうと。
しかし次に浮かんだのは、猛烈な、烈火のように燻る、どうしようもない焦がれだった。
会いたい。
家族に、会いたい。
自分はイリヤとは違う。
その人達は、クロを暗い場所に閉じ込めて、ごみ箱に放り投げるように、ずっと一人ぼっちにさせた。 魔術なんかと関わらなくて良い、私が居るとイリヤという子が不幸になるから、そんな身勝手な理由で。
だとすれば会いたい人など、最初から一人しか居なかった。
衛宮士郎。
たった一人の、代わりなど居ない、大切な兄。
いつだって味方だと、そう兄は言ってくれた。 無論、それが自分ではないことぐらい、クロには分かっている。
だけど、もしも会えたなら。 そう思ってしまうぐらい、信じさせてくれた。 イリヤだけじゃなく、内側に居る自分にも約束してくれたのだと、そう錯覚してしまうほどに。
……だから、会ってどうなるかなど考えてすらいなかった。 それが、何を意味するかも、理解せずに。
ーー……お前は誰だ。
初めて現実で会えた兄は、酷く不安定だった。こんな、自分すらも定まらない人が、他人を守ると口にすることが、どれだけ不気味なことか。 まるで錆び付いた体を引き摺る彼は、内側で見ていたときとは余りに違いすぎた。
いいや、そうではない。 クロは気づいていた。 兄は確かに、数週間前までは思い描いた通りの人だった。 それが変わったのは、魔術師として行動し始めた、あのときからだった。
兄は変わった。 小さい頃、生まれたときから一緒に居たのだから、それはクロが一番よく分かっている。 だからこそ、変わっていないところもあると知っている。
だから、クロが本当の意味で憤激に駆られたのは、たった一点。
名前。
本物の妹である自分の、真の名を。 彼なら言い当て、迎えてくれると思っていた。
……けれど。 返ってきたのは、明らかな敵意。 それに傷ついて、カチンと来て、皮肉を叩いて、それでああなってしまった。
「……んー……」
我ながら、何と体たらくか。 イリヤよりは大人だと思っていたが、とんでもない。 ほんの少し拒絶されただけで、感情のタガが一瞬で理性を吹き飛ばしたのだから。 こんな気持ちを持っていなかったら、衛宮士郎と今日出会わなかったら、きっとこんな悪趣味な地下牢になんか繋がれていなかっただろう。 そう思うと、兄に文句の一つでも言いたくなってしまうのだが……それはまぁ、良い。
「イリヤを殺すことには変わらないし、そのときまた……」
会える。 にへら、と相好を崩したクロに、迷いはない。 もう一度兄と会える。 どんな形でも、クロはそのことが嬉しかった。 確かに戦うことにはなるだろう。 だが兄妹だ、そんなこともある。 喧嘩するぐらいが丁度良い。 兄なら分かるハズだ、真に愛すべき人が誰なのか、それが。
それに、問い詰めなければならないことだってある。 アーチャーのこと、彼の魔術のこと、何より夢のこと。 それらを話すのは、明日になるだろうがーー。
「……ふふ」
夢見る乙女は、地下にて笑う。 まるでデートの日程をカレンダーで見て、悶えるように。
しかし、乙女は未だ気づいていない。
自身が見たことは、この世界ではありえないということを。
故に、乙女は最悪の可能性を考慮しない。
……そもそも夢想する兄など、何処にも居ないということを。
「明日は会えるよね、おにーちゃん?」
純真な黒は、思いを馳せる。
地下牢の夜は、まだ始まったばかりだ。