Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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夜~衛宮家/魔力供給Ⅰ 信じるべきか、否か~

ーーinterlude4-1ーー

 

 

 夕食は、どうやら久し振りに兄が作ってくれたらしい。 らしい、というのは、その夕食をイリヤは食べなかったから、不確かなだけなのだが。

 

「……はぁ」

 

 ざばん、とバスタブに体を浸ける。 ピリ、とまるで電流が通るように、全身へ湯が染み渡るが……やけに熱い。 昨日最後に入浴したセラが、温度を高くしたままにしているのか。 案の定壁に設置されたパネルを見ると、四十二度。 夏はまだまだ先とはいえ、やはり暑いモノは暑い。 温度調節をしながら、ゆったりと風呂を堪能する。

 

「ぷぁー……極楽ですねぇ……羽がふやけちゃいますよー……」

 

 桶を湯船にしているルビーが、気の抜けた声を出力する。 桶の縁を羽で叩き、タオルまで頭に置いている姿は、まるっきり銭湯に癒されに来たおっさんのそれである。

 

「耐水性どころか、英霊の攻撃をガンガン弾く玩具が、今更何を言うのかな……」

 

「もー、水を差す言葉はやめてくださいます、イリヤさん。 ルビーちゃんはこう見えても忙しいんですよ? イリヤさんのサポートは勿論のこと、凛さんやルヴィアさんに呼び出し食らいますし。 まぁ無視しますけども」

 

「それでどやされるわたしの身にもなってよ、全く……」

 

 最近はあんまりないけど、と肩まで沈めるイリヤ。 その表情は、少し暗い。 伏し目がちに、湯船の水面を眺めている。 そんな主を察してか、

 

「……お疲れですね、イリヤさん。 やっぱりお兄さんを避けるなんてこと、あなたには無理ですよ」

 

 小さく、ん……と返事をするが、納得がいかないように、イリヤは俯いた。

 もう二週間近くの前のこと。 イリヤはとある事件で、自分の出生の秘密を知った。

 聖杯戦争。 その戦争の報酬として設けられた聖杯が、自分であることを。 そして何より自分の聖杯としての機能が具現化し生まれた、クロのことを。

 クロは兄である士郎を襲い、自分にも牙を剥いた。 口を開けば、『兄以外は殺す』の一点張り。 そんな危険な彼女を拘束していたのも当然のことで、これからどうするか対策を練っていたのだが……事もあろうか、殺されかけた士郎自身が、クロを逃がしてしまったのだ。

 曰く、『クロはまだ人の関わりを知らない子供だ。 確かに危うい所もあるだろうけど、きっと大丈夫。 分かり合える』……ということらしいが、イリヤからしてみれば、そんなことは二の次で、まずは早急にとっ捕まえるべきである。 何しろクロは、身内にすら刃を向ける。 そんな狂っているとしか言いようがない相手に、何をそんな悠長なことを言っているのか。 イリヤからすれば、全く理解出来なかった。

 それに士郎のそうしたマイペースさ、呑気な態度が気に入らない。 士郎の妹はクロではない、イリヤだ。 例えイリヤがその位置を奪ってしまったとしても、それまで過ごした時間や、この想いは、決してクロのモノではない。 これは自分だけのもの、だから自分を殺そうとするクロを、受け入れるわけにはいかない。

 もし受け入れてしまったら。

 本当のイリヤが居たら、家族はきっと自分ではなく、本当のイリヤを愛するのではないか、なんて。

 

「……む」

 

 悠々と泳ぐアヒルの玩具を、むんずと掴む。 間の抜けた音が響くが、イリヤの中の懸念は晴れない。

 流石にそれは飛躍しすぎかもしれない。 イリヤの知る家族は、例えイリヤが本物のイリヤでなくても、受け入れる。 だからクロのことも受け入れるかもしれないが、同時にそれは自分も変わらず愛してくれることと同義だ。

……しかし。 血の繋がってない、彼はどうなんだろう。

 衛宮士郎。 義理の兄である彼は、クロを受け入れて……そして自分に対して、どう接してくるのか?

 変わらないとは思う。 士郎はそこらの人間より、よっぽどのお人好しなのである。 けれど。

 その目が、その言葉が。 自分ではなく、クロに向けられる優しさが……何故か、とてつもなく怖い。 まるで、新しい人形を与えられた、少女のように。 まだ会って数日だったハズのクロに、どうしてか自分に対して接するような態度なのだ。

 もし。 もしクロを受け入れ、家族として迎えてしまったら。

 その先で、自分は兄の隣を歩いているのか?

 その隣に居るのは、自分ではなく、クロなのではないのか?

 

「……そんなわけ、ないもん」

 

 ぶくぶくと泡を立てながら、イリヤはそう呟く。 しかし誰にも届かない声は、湯煙となって充満していくだけで、更にイリヤの心は疑問の熱に侵されるばかりだ。

 

「いやー……昼ドラですねー……魔法少女に昼ドラ路線を入れるとは、イリヤさんも中々マニアックな……」

 

「……何だろう。 かつてないほど、わたしは今怒れそうなんだけど」

 

「いやーん、イリヤさーんこわー……ぶばっ!?」

 

 いつまでも黙らない礼装を、桶からぶっこ抜くと、そのまま無表情で湯に沈没させるイリヤ。 その様子は月曜ゴールデンの冒頭でありそうな、殺人現場さながらで、違いがあるとすれば深刻さが全く伝わってこない点である。 バタバタともがくルビーに、表情を崩さず、

 

「……そういえば美遊は、どう思ってるのかな、アレのこと……」

 

「もがばっ、ぼばばばばばばば……!!」

 

 イリヤの疑問に答えるのは、タップアウトを十セットしても解放されない、ルビーのSOSだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 基本的に、俺がいつもする魔術の鍛練で、必要なモノというのは無い。 何せ魔力だけなのだから、準備するとしても礼装ぐらいだが、生憎と手ぶらで鍛練どころか魔術戦だってこなせてしまうのは、我ながらスマートで素晴らしいところだ。

 まぁそれも、きちんと魔術に集中出来ていれば、の話なのだが。

 深夜零時。 闇が一番色濃い時間帯、俺は自室で一人、魔術の鍛練を行っている。 遠坂と行っていたときのように、ひたすら強化と投影、変化を繰り返す作業。 普段なら精度の心配をするだけで、失敗なんてもっての他だが……。

 

「……む」

 

 今しがた終えた投影品を、自分の目で鑑定する。 今回投影したのは短剣。 ダガーというよりは、ナイフに近いが、失敗も良いところ。 試しに腕に振り下ろしてみると、触れた瞬間ボロっ、と土のように形を無くしていき、魔力へと返っていく。

 残った柄を投げ捨て、大の字に寝転ぶ。 あんなモノを作り出した手を恨めしげに睨んでみるが、馬鹿らしくなって視線を外した。

 原因は二週間前。 クロを逃がし、イリヤから避けられるようになったからだろう。

 前は事あるごとに気にかけてくれたイリヤは、今では俺から逃げるように部屋に閉じこもるか、俺の居ないリビングに退避したりしている。 会話も日を増すごとにぎこちないし、ここ数日はうん、だのああ、だのしか話していなかったりする。

 勿論、俺だって何が悪かったのかぐらい、分かる。 クロにばっかり構っているから、大方拗ねているのではと思っているのだが……もしかしたら違うのではかもしれないと、直接問い質そうとしたりもした。 しかしイリヤは取り合ってくれないし、かと言って強引に聞き出すのも気が引ける。 なので今日は、イリヤの好きな料理で少しは前のように話せるかと思ったのだが……。

 

「まさかの欠席だもんなぁ……」

 

 おかげで万策尽きた。 セラやリズにはあらぬ疑いをかけられ、魔術には身が入らない。 これではクロとイリヤの仲を取り持つどころの話ではない。

 

「……クロ、か」

 

 クラスカードによって現れた、俺のもう一人の妹。 守ると、そう約束しただけで驚いてしまった彼女。 自分はいつか元の世界に帰らねばならない。 エミヤシロウの場所をいつまでも陣取っている気はないが、放棄するつもりもない。 だからこうして命を削ってでも、魔術の鍛練を行っているのだ。

 そう、自分に言い聞かせている。 沸き上がる問題を横に押しやっていることを自覚しながら。

……実は。 クロに守ると約束した直後から、記憶がどうにも曖昧だ。 クロがどう逃げたかも分からないし、何より気づいたときには、遠坂に叩き起こされていたのである。

 冷静に考えれば、クロに何らかの魔術を仕掛けられたと見るべきだ。 暗示か、記憶の操作か。 クロの性能を考えれば、魔術的な防衛対策がない俺など、それこそ一度願うだけで叶えられる。

 しかしどうして? いや、動機はそれこそいくらでも思い付く。 与しやすいが魔術の相性で手強い俺を陥落させることか。 それか俺を仲間に取り入れることか。 どちらにしろ、イリヤ達を殺すことには変わりない。 分からないと思い込んでいるのは、きっと彼女を信じたいから。 盲目的でも。

 分かっている、気づいている。 自分の中で、何かが可笑しくなっていることぐらい。

けれど。

 信じないのか。

 兄貴である俺が、妹を。

 エミヤシロウなら信じるというのに。 その場所を奪った俺が、信じないのか?

 

「……意固地だよな」

 

 我ながら頭でっかちだとは思う。 イリヤが殺されるかもしれない、切嗣やアイリさんが殺されてしまうかもしれない。 そこまで想像してしまえるのに、自分は行動に出ないのだから。

……俺はエミヤシロウの命を奪い、その役に成りきろうとしている。 既に舞台は半壊しているのに、マリオネットのように無理矢理。

 けれど誓ったのだ。 自分は、決して彼女達を悲しませないと。 その誓いこそが矛盾しているというのにーーそれでも、この体の持ち主に誓った。

 それは間違っている。 分かっている、分かっているとも。 これが俺の我が儘でしかないことだって。

 それでも自分は、あの笑顔をどうしても守りたい。

 嘘であったとしても、自分が更に罪を重ねるとしても、それだけは否定したくない。

……昔のことだ。 昔、誰かが口を揃えてこう言った。

 

ーーお前は、踏み台にしてきた人のために、正義の味方になるんだ。

 

 何処かの誰かが、そう決めつける。 衛宮士郎はそう生きるべきだと、あの地獄で見捨てた全ての命が、それを言い渡す。

 強制されたわけじゃない。 けれど、そうならなければ、苦しんだ人達を見捨てた意味が、無くなってしまう恐怖に取り付かれた。

あそこで消えた命にだって、意味はあったのだと。 そう信じたい為に。

 正義の味方になる。 そうなりたいと願い、その相反する願いすらも良しとした自分だからこそ、この世界は眩しかったし、自らの生き方をねじ曲げてでもここに居る。

 でも。 イリヤと、美遊と、クロと。 それぞれ約束したとき。 ずっとすぐ側で、向こう側で、誰かの声が木霊する。

 

ーーーー裏切るのか?

 

 あのとき死んでしまった誰かを。

 あのとき涙を流し、助かった自分を。

 あのとき乗り越えた、あの男の背中を。

 そして何よりーーあの夜、最期に幸せそうに笑い、逝った父親を。

 お前は妹を守る代わりに、その全てを裏切るのか?、と。

 

「……っ」

 

 違う。 その声は心の中に閉じ込められて、外へ微量すら出ない。

 何故なら、俺自身が自覚し、受け入れてここに居るからだ。 エミヤの言葉はエミヤを傷付ける。 その意味を知ってなお、進んだように。

……もし、これから。

 元の世界のことも思い出せなくなり、この世界のことしか思い出せなくなって。

 そうして、エミヤの言葉も忘れてしまったときーー自分は果たして、正義の味方を張り続けられるのか?

 張り続けるとして、そこにイリヤ達が居なかったとしても、自分はそれでも正義の味方という夢を優先するのか。

 

「……」

 

 もし気に病むとするなら、それだ。 俺にとって、それが一番怖い。 イリヤをもう一度失うことが、何より。

……そのためなら、何だって捨ててしまいそうなことが。

 一人でこうして佇んでいると、考えはドンドン悪い方へと下降していく。 いつもなら自らを落ち着けた後、寝てしまうのだが……幸か不幸か、今日は来客が来た。

 

「また随分と落ち込んでるのね。 考え事?」

 

 俺の思考をぶった斬る、甘い声。 顔を傾けると、今しがた転移してきたらしいクロが、すまし顔でベッドに座っていた。

 

「……クロ。 入るなら入るで、ベランダから来てくれないか。 心臓に悪すぎるぞ」

 

「む。 わざわざ魔力を多く使って、お兄ちゃんを驚かせようと趣向を凝らしてるのに。 サプライズは男の方からしないとダメなんだからね、分かってる?」

 

「あのな。 こちとら結構参ってるから、そこまで気が回らないんだけど……まぁ助言は頂くよ」

 

 足をぶらぶらと揺らすクロに、少しだけ対抗するが、すぐに態度を改める。 変に刺激してはいけない。 ここに来たということは、目的はたった一つなのだから。

 で?、と少しばかり身を硬くして、

 

「……その。 足りないのか、魔力?」

 

「ん。 だから、今から良い?」

 

 まるで朝食にジャムでも要求するような、軽い態度。 しかしクロは猫のごとく目を細める。 獲物を捕まえた、そう言わんばかりの目だ。

 クロはイリヤの聖杯としての機能が、クラスカードによって現界した存在である。 とどのつまりサーヴァントに似て、体は魔力で出来ているのだ。 当然サーヴァントと同じく、自力で魔力を生み出す力はない。 それで魔力供給が必要らしく、この二週間の内に、何度か俺の元へと訪れていた。

 しかしラインもない使い魔相手に、魔力を供給する術など知らない。 よって、クロの方法に従っているのだが……。

 観念して、右手を差し出す。 と、またもや不服そうに、じとっ、とした視線で俺の心を攻撃してくる。

 

「……わたしは前みたいに、キスでも良いんだけどなー、全然」

 

「なっ……!? ば、馬鹿言うな、兄妹だぞ! んなことがでっ、出来るか馬鹿!?」

 

「そう? わたしはお兄ちゃんとなら大賛成だし~」

 

「慎みを持ちなさい少しは!」

 

 この小悪魔は。 動揺する俺を見るコケティッシュな目は、まるっきり子羊を前に舌舐めずりする狼である。

 クロが提案した魔力供給の方法。 それが何と、キスだったのだ。 しかもまだ捕まっていたとき、俺が寝ている間に……その、まぁ、なんだろうか。 『ヤられた』らしく。 変な夢を見て、やけにその、熱が出たときがあったが、それが原因だったらしく。 知ったときには自己嫌悪で死にたくなったほどである。 鏡に映った自分をぶん殴って、ぶち割ったのが懐かしい。

……しかしクロには、その魔力の供給が必要だ。 こうして生きていることすら、魔力を消費し続けているのである。

 だとすれば、代案が必要で。 そこで俺の血を吸うことでどうか、と提案し、了承を得たのだ。 それまでに体感では百日間戦ったような気がしたのは、気のせいでは無いハズである。

 

「……ふーんだ。 意気地無し」

 

「なんでそうなる……良いから始めろって。 血を抜かれるのだって、結構辛いんだからな」

 

 背に腹は代えられない。 そんな態度だったが、俺の手を握ったときにはそれも消え去っていた。

 

「ま、良いけど……こっちはこっちで、悪くないし……」

 

 両手が俺の手に触れる。 ゆっくりと人差し指を、口へと運ぶ。 ぬるりとした、温かい感触。 それが指先から、指全体を覆う。 舌が動き、指を丹念に撫でていく。 犬や猫にされるのとはわけが違う。 月光が焼けたクロの肌を照らし、より蠱惑的に、エキゾチックな姿を映し出す。 俺を貪る姿が目に焼き付く。

 くすぐったさと恥ずかしさ。 そして少しの、快楽。 澱のように巣食うそれをどうにか心の奥底に抑え込む。 血を吸うのなら早くしろと言いたいが、何故か口に出来ず、されるがままだ。

 唇から指が引き抜かれる。 唾液が糸を引き、クロはぺろ、と舌を出して、クリームを舐め取るように唇へと走らせる。

 

「ん……あれ、もしかして気持ち良かったりする?」

 

「っ……そんなわけ、あるか。 遊んでないで、早くしろ」

 

「図星でしょ、どもってるもん。 ふふ。 じゃあ、こっからが本番ねーー」

 

 そう言うなり、今度こそ搾取に入るクロ。 指先を噛み切ると、先程より激しく、指を飲み込んだ。

 途端に体から、力が抜ける。 血が飛び出すように、魔力を搾り取られているのだろう。 腰が抜け、最も血が足りない指から感覚が抜け落ちていく。 しかしそんな脱力の中で、快楽だけが強くなっていく。

 血を吸うクロは、取り付かれたようにその行為を続ける。 粘着質な音が部屋に響くと同時に、甘い声が耳朶に染み渡る。 頬が上気しているが、どれだけ興奮しているのだろう。 血と体液にまみれた口元すら気にせず、舌を上下に駆け巡らせながら、俺へと熱が入った視線を送る。

 見ないようにしていたのに、いつの間にかその行為へ釘付けとなってしまう。 不甲斐ない、情けない、そんな背徳感すらも興奮へと変わっていくのを自覚する。

 

「ん……」

 

 一際大きいねばついた音で、ようやくその行為が終わったことに気付いた。 クロは最後まで丁寧に指を舐めとるが、消化不良らしく、開口一番。

 

「……キス、する?」

 

 まさに反則だった。

 どくん、と鼓動が跳ねる。 自分でも抑えきれない劣情が、独りでに走り出しそうになる。

 元々露出が多かった装束は、行為で肩から外れかかっており、腹部に至っては涎が垂れかかっていた。 普段は快活なイメージしか湧かなかった小麦色の肌は、暗闇においては色欲を増長させ、クロ自身を強烈に彩っていた。 何よりその表情。 幼く、しかしそれ故に止められない理性が弾けた、女の表情だった。

 興奮の上限を飛び越えかねない状況。 が、それを、鉄の意志で。

 

「……しないの? 最高に気持ち良いよ、わたしの唇」

 

 その言葉で、目が行く。 ふっくらとした唇、俺の血で汚れた、俺を受け入れた口。 そこにこの欲を放出出来たなら、それは。

 

ーー何もかもを裏切ることになるぞ。

 

「……ふぅ」

 

……息を整えろ。

 目的を思い出せ。

 お前がどうしてここに居るのか、なさねばならぬことを思い出せ。

 

「……馬鹿なこと言うんじゃない」

 

 すこん、と逆の手でクロの頭へチョップ。 あたっ!?、と頭を押さえるクロの服を正してやると、意地悪く笑ってみせる。

 

「俺を魅了したいなら、あと五年は待つんだな。 具体的には遠坂ぐらいじゃなきゃ、俺は揺れないぞ」

 

「何でリンなのよ? って、まさかお兄ちゃん、リンみたいなのが良いの!? 趣味悪すぎでしょ、それ」

 

「……小学生に襲いかかる方が趣味悪いと思うけどな」

 

 その言葉が決め手だったか、うー、とひとしきり唸り、立ち上がる。

 

「……ちぇ。 ま、いっか。 次は落とすもん」

 

「そういうのじゃないだろ。 でも、魔力が足りなくなったら、いつでも来い。 ああ、あとお前のこと、俺の方からイリヤ達に話したいんだけど、中々上手くいかなくてさ……すまん」

 

「全然良いよ、気にしてないし。 密会とか嫌いじゃないわ」

 

 ニコッと無邪気な笑顔を見せるクロ。 守ると決めた笑顔。 騙していると信じたくない笑顔。 そんな葛藤を押し殺していると、

 

「じゃ、また明日(・・)

 

 そう言って、目の前から消えた。 初めから幻想だなんて言われても、仕方がないほど完璧に。

 けれど覚えている。 その笑顔を。 彼女はここに居る。 ならば守るべきだ……守るべきなのだ。

 寝よう。 寝て覚めれば、そんな疑問には取り付かれず、クロを信じてやれる。

 そう言い聞かせて、ベッドへと倒れ込む。 香る匂いに、先程の行為を思い出すが、魔力供給での疲れが勝つ。

 また明日。

 そう言った意味を気づいてやれたのなら、もう誰も傷つけなかったかもしれないのに。

 眠りは速やかに訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude4-2ーー

 

 

 自然と笑みが溢れる。 あの兄の惚け面が、嬉しくて仕方がないからだ。 自分に快楽を感じてくれた、その観点だけで言うなら、即席の魅了魔術も悪くはない。

 たん、たん、と。 電柱を、看板を蹴り、クロは夜の深山町を疾走していく。 何処に向かうでもない、ただその喜びを忘れないために、駆け抜ける。

 

「……ふふ」

 

 二週間前。 確かに自分は魅了の魔術をかけた。 暗示だってそう。 それぐらいは彼とて分かっている。 だからこそ今日まで、魅了と暗示に負けず、直前で突っぱねてきたのだ。 まぁもしこの程度の誘惑に負けるなら、即座に首を落として、自害していたが。

 しかし、これはあくまで布石。 魅了と暗示はかかればそれでお払い箱。 魔とは人の心に入り込むから魔。 つまり解呪しようと、その影響が無いとは限らない。 毎回二つの魔術を彼にも分かるようにかけたのは、解呪したと思わせて、自分色に染め上げるためだ。 魔力供給もそう。 個人的な願望があったことは否定しない、というか百パーセントそうなのだが、それも一種の魔術。 刷り込みだ。

 

「……明日が楽しみ……ねぇイリヤ。 あなたのお兄ちゃん、わたしのモノにしちゃうけど、良いかしら?」

 

 ニィ、と歪められた口の端。 寝静まった夜を、過去も未来も見えない少女の笑い声が木霊する。

 

「待っててね、お兄ちゃん」

 

ーーすぐに、わたしだけのモノになるから。

 

 少女の願いはただ一つ。 兄のみ。

 ならばそれ以外は、不要。 二人だけの世界があるのなら。

 自分は、それを求めるために、全てを壊そう。

……見ない振りは出来ない、彼の末路と共に。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude4-3ーー

 

 

 月明かりは、朧気で嘘みたいだった。 カーテンの隙間から差し込む光を眺めてみると、その静けさにうとうとしてしまいそうなのだが、生憎とそこまで気楽にはなれない。 美遊はベッドから抜け出す。

 上着を羽織り、ベランダへ出ると、少しびっくりした。 初夏にもなっていない外は肌寒いが、眠れない身には丁度良かった。

 

「ふぅ……」

 

 息を吐き、何となく夜空を仰ぐ。 欠けた月は美遊の心を映したようで、沈痛の面持ちでそれを見つめる。

 この二週間。 クロが脱走してから、美遊は悩んでいた。 イリヤが士郎を避け、士郎はそんなイリヤにどう向き合うべきか迷っている。 そこでイリヤの友達として、イリヤに親身になるべきか。 それとも士郎の妹分として、士郎に親身になるべきなのか。 どちらに重点を置いていくべきか、悩んでいた。

 これが些末な問題ならば、美遊が考えている間に問題は解決していただろう。 しかし、これはあの兄妹の今後に差し支える問題だ。 それに対し、半端に介入するのは、美遊自身許せなかった。 美遊にとって、それだけ二人は大切な存在であり、また力になりたかったのだ。

 それだけに、問題が長引いていることは、美遊としても忸怩たるものがあった。 自分が介入したところで、好転するどころか悪化したかもしれないが、可能性は否定出来ない。

 

「……」

 

 暗い表情のイリヤと、困ったような士郎。 二人の顔を思い出し、美遊は悩ましげに睫毛を伏せる。 公言していないが、美遊はあの兄妹を守りたいと常々思っている。 その関係が壊されることだけは、避けたい。

 どうして、と言われても、恐らく美遊は誰にも言わないだろう。 ただ答えるとすれば、たった一つのシンプルな言葉。

 あの二人は、そうあるべきだと。

 

「……うん」

 

 物理的に守るのであれば、美遊にも心得はある。 しかしこうした、心証や精神の問題はどうにも、人の関わりが少なかった美遊には難しい問題だった。

 と、少し可笑しくなって笑った。 まさかそんな小さなことで笑えるようになるとは思ってなかった。 この世界で、そんな風に笑える日が来るなんてーーーー。

……ここには、彼が居ないのに。

 

「……ねぇ、『お兄ちゃん』」

 

 改めて噛み締めるように。 美遊は、はにかんで、報告した。

 

「わたし、頑張るよ。 出来ることなんて少ないのかもしれないけれど……それでも、あの二人を守れるように」

 

 純粋すぎるきらいすらある、少女の願い。

 だが願いとは、純粋なモノこそ夜空を駆け回り、星となって叶えられる。

 ならばこの願いも、一つの流れ星となって、地上で叶えられる夢に違いない。

 故に少女が願うのは、ただ一つ。

 

「……この幸せ(世界)がずっと、続きますように」

 

 その命に幸あれ。

 月夜の下、少女は一人、願い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 


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