Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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崩壊の昼~学校、屋上/シスターVSシスターfeatシスター

ーーinterlude5-1ーー

 

 

「おはよう、イリヤ。ちょっと良い?」

 

 朝。今日も今日とて自身の存在を揺るがす問題があろうと、学校へは通わねばならない。兄は用事で先に学校へ行っており、それだけは感謝しておきたい。されどイリヤは憂鬱な気持ちで、玄関を出たのだが、そんなときに凛と鉢合わせた。

 バイトでほぼルヴィアに付きっきり(という名の嫌がらせ)な彼女には珍しく、一人だ。首を傾げ、

 

「リンさん、おはようございます。それで何ですか? ルヴィアさんとミユが居ないけど……」

 

「んー……まぁ長くなるし、歩きながら話さない? ちょっと二人だけで話したいから」

 

「はぁ……?」

 

 また何かクロ絡みで問題だろうか。それにしては街路で、しかも二人で話したいと言うし。イリヤは内心嫌になりながら了承する。

 衛宮の家から学校まで、それほど時間はかからない。喋りながら話しても、八時過ぎには教室に着ける。

 早速、凛は話し始めた。

 

「まどろこっしいのは無しにして。話っていうのは、衛宮くんのことよ」

 

 ぴくん、と心が跳ねた。まさかそこを凛に突かれるとは、想像していなかった。

 何せ凛とルヴィアは、そういうデリケートな話を士郎に全て投げているからだ。家族の問題は家族の問題で、部外者が口を出すことでもないと。

 つまり、それだけ今、イリヤと士郎の関係はチグハグなのだ。こうして凛が無粋を承知で話すように。

 

「……ごめんなさい」

 

「え? な、なんであなたが謝るのよ。確かに見てられなかったし、あなたも少しは歩み寄りなさいとは思ったけど……」

 

「ううん、それもなんだけど……リンさん達、クロの問題で手一杯なのに、余計な問題増やしちゃったから、その……悪いなって」

 

 何せ分からないことばかりなのに、そこへ他人の問題まで背負わせようとしてるのだ。凛達にそこまで頼りきりにはなれない。イリヤはそう思ったのだが、

 

「……ったく。だから違うでしょ、それは」

 

「え?」

 

「そもそもクロのことは、あなた達だけの問題じゃないでしょ。クラスカードがクロの体内にある限り、わたし達も無関係だなんて言えない。ていうかちょっかいかけたり、士郎に構ってもらってるしで、同じ顔の人間が居るあなたが戸惑うのも無理ないっていうか……」

 

 つまり、と凛は締め括る。

 

「別にあなたを責める気は更々ないわ。悪いのは衛宮くんも同じ。だから、二人とも平等に責める。あなた一人が背負い込む必要はない、ね?」

 

「……そこは、お兄ちゃんに押し付けないんですね」

 

「そこはキッチリしないと。イリヤだって分かってるんじゃない、何が悪かったのかぐらい。そもそもなんで話せないの? 嫌いになったとか?」

 

「そ、そんなんじゃない、けど……」

 

 口淀むイリヤ。凛は追求せずに、きちんと耳を傾けてくれていた。

 なら話すべきだ。自分も嘘をつかずに、正直に。

 

「……ちょっと、怖いのかも。お兄ちゃんが」

 

「怖い?」

 

「うん……」

 

 思い出すのは彼が魔術師と知った、その晩。アサシンの攻撃から庇ったときのことだ。

 

「お兄ちゃん、痛くても他人の前だとそういうの全然見せなくて。自分の方が辛いのに、他人のことばっかりで……」

 

 腕に深々と刺さった短剣になど一切目もくれず、それどころか苦悶の表情すらなくこちらを心配する顔。その顔が、酷く遠くに思えた。まるで透明な壁が幾枚もあるように感じたのだ。

 

「だからお兄ちゃんが自分のことを守らないなら、わたしが守ろうって思った。みんなを助けようとすることは、きっと間違ってはいないから。その気持ちは今も変わらない。変わらないけど」

 

 胸に手を持っていくと、心臓の辺りを擦る。

 

「……最近、また分かんなくなっちゃって。分からなくても良いと思ってたけど、でも闇雲に信じようとしても辛くて。だから、どうして良いかも分からなくて」

 

 前にイリヤは約束した。士郎を守ると。

 でも、結局そんな約束をしたって、イリヤまで変わるわけではない。臆病で、うじうじしてばかりの性格までは変えられないのだ。

 と。それを聞いた凛が、

 

「……衛宮くん、言ってたわ。夢があるんだって」

 

「夢? お兄ちゃんが?」

 

 それは初耳だ。セラに将来はどうするのかと言われ、とりあえず進学と答えていた彼だ。それだけ昔から他人のことばかりで、夢なんて言葉とは程遠い人だった。

 そんな彼の夢。イリヤは気になった。兄を知るキッカケになるかもしれないと。

 

「まあ夢と言っても、荒唐無稽というか。一体いくつなんだって話なんだけどね」

 

 そうして二人が話す間にも朝は過ぎていく。

 思えば、嫌な予感がしていたのはーーここからだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼。 魔力供給の影響か、少し重い体で何とか授業を乗り越えた。 脱力感というか、筋肉痛に近い。 普段魔力を吸われ慣れてないせいだろう。 いやまぁ、慣れてるなら慣れてるで問題なのだが。

 

「んー……」

 

 降り注ぐ日差しが心地良い。 初夏に入りかけている今の時期だと、屋上で食べるのも健康的だろうか。

 だがまぁ、それも睨み合う竜虎が居なければの話。

 

「……ふ」

 

「な、なによ。 言いたいことがあるならはっきり言えば?」

 

「いえ。 あなたはいつも、購買のウグイスパンを食していると思いまして。 同じ時計塔主席、名門の出身ながら、どうしてこう如実に差が出るのかと」

 

「重箱担がせてくる奴が言うこと、それ? そりゃ見劣りもするでしょ。 小学校の運動会じゃあるまいし。 というか、アンタんとこの執事が姑みたいにネチネチ朝から呼び出すから、弁当も作る暇が無いんでしょうが」

 

「あら、雇い主の前で苦言とは……随分と大きく出たものですね、下僕(バイト)の身で。 オーギュスト、教育が足りないようね」

 

「すみません、お嬢様。 遠坂様にも一応実生活があるため、睡眠を二時間ほど削ることに成功しましたが……それ以上は報酬をチラつかせても、やはり芳しくは」

 

「おいコラそこの執事鉄人、今ちょっと気になる単語がチラっと出たんだけど」

 

「ホホホ、何でもありませんわ。 ちょっとしたフィンランドジョークです、夢も希望もありますでしょう?」

 

「金が出てる時点で夢も希望もあるか!? 金で買えたら夢も希望もただの現実でしょうが!」

 

 俺の右隣で、ウグイスパンへ骨付き肉よろしく、ワイルドに噛みつく遠坂。 また左隣では重箱にこれでもかと詰め込まれた高級料理を優雅に食すルヴィア。 その背後で控え、オーダーに応えるオーギュスト氏。 いつの間にかティーセット+αを持ち込んでいる辺り、この学校の警備はどうにかしないといけないと思う。

 今日は一成からお誘いを受けていたのだが、なんやかんやでこの面子で昼食。 我ながら女子には弱いというか、どうにも遠坂が相手だと断りにくかったりする。

 その俺も弁当。 昨日の残り物である揚げ物と、温野菜に白米。 実に健康的、普通極まりないメニューである。 まぁ昨日作り過ぎた、反省。

 

「ルヴィアの弁当、相変わらず凄いな……なんだその海老、オマールとかロブスターとか、そっち系か?」

 

「ええ、産地から直送ですわ。 これも宝石魔術の応用ですわね。 しかし私の弁当も大切でしょうが、イリヤスフィールも同様ですわよ、シェロ? クロのことでの説得は終わりましたの?」

 

「馬鹿ね、ルヴィア。 衛宮くんがそんなデリケートな話題、解決出来るわけないじゃない。 どうせ話題すら振れないんでしょ? 意地なんて張らず、わたし達に頼めば良いのに、変なとこで真面目なんだから」

 

 む。 手厳しい二人に、口をへの字に曲げる。 確かにクロは、二人にとって目の上のたんこぶなわけだから、口煩いのも納得だが。

 

「……ご想像の通りだよ。 まだ話せてすらない。 けどこれは俺とイリヤの問題だ、二人に任せるのは筋違いだろ」

 

「むむ。 鉄のように頑ななのも、本当に考えものですわね……しかしやはりイリヤスフィールのことは後回しせず、自ら切り出すのが得策です」

 

「ん。 ま、分かってるんだけどな……」

 

 中々上手くいかないのが、俺のような小市民なわけで……そんな俺の様子に、トマトソースがかけられた海老を頬張るルヴィアは、気難しそうな顔つきになる。 しかしすぐに、俺の弁当へと興味が移った。

 

「そうですわ、シェロ。 せっかくこのように、持参したことですし……一品だけでも、交換してみませんか?」

 

「俺の? ていうかそれ、オーギュストさんが作ったんじゃないのか? そんな見るからに万札が飛ぶような輝きを放ってるような料理に、俺みたいな素人が作った料理でトレードに応じるのは、回り回ってこちらが傷つくと言いますか……」

 

 何せ素材からいって、スーパーの特売品、または半額のセットである。 調味料だって詰め替え可能なお得品。 対して相手は、秘境に生えただの、一年に百個とか、そんぐらいのスーパーオーダーメイド。 ダメ押しに料理の腕も、天と地の差はあるに違いない。 完膚なきまでの大敗だ。

 しかし諦めきれないのか、ルヴィアは熱弁する。

 

「そ、そんなことはありませんわ。 そ、そう、愛情! やっぱり愛だと、Mrs.はぁとも言ってましたわ! ですからシェロ、一品だけでも交換を……」

 

「お嬢様、私の忠誠心は誰にも負けておりません。 それこそ、士郎様にもです」

 

「お黙りなさいオーギュスト! あなた、無意識にわたしを追い詰めているとわかって!? それとシェロとは、まだそういう関係では……確かに、そうなれば縛ってしまいそうですが……いやしかし拘束する女は嫌われると聞きますし……!」

 

 顔を赤らめたルヴィアはごにょごにょと口ごもっていて、話は聞き取れないが、節々から拘束だの縛るだの、怖いぞちょっと。 そっちの趣味があるのか……? 全く想像出来な……。 

……いや、普通に出来るな。 ああ、うん。 あの高笑いはまんま、女王サマだし。

 

「はぁ……流石に憐れというか、相手が悪いというか」

 

「……なんだよ遠坂、お前も弁当ほしいのか? 結構食べそうだもんな、お前」

 

「それ、本来なら黒板にヘッドスライディングさせてあげるところだけど、今は受け流してあげるわ。 とりあえず交換に応じてあげたら?」

 

 何やら分からんが、遠坂は見かねた感じだし、ルヴィアはチラチラと弁当を盗み見てるし、これではまるっきり俺が悪者だ。 忍びないのだが、応じよう。

 

「……交換するか、ルヴィア?」

 

「い、良いんですの、シェロ?」

 

「まぁな。 どれでも良いぞ」

 

 ああうん、出来れば早く。 後ろのオーギュストさんの指にナイフが影分身したみたいに滞空してるから、サーカスに一人は居る奴みたいになってるから。

 と、ルヴィアはぱぁ、と花のように表情を明るくする。 即座に差し出した弁当を吟味し始める。

 

「む……シェロ、これは?」

 

「ああ、イカリングだな。 文字通り、輪切りにしたイカを揚げた料理だよ。 こっちはとんかつ、えびフライ、白身フライに唐揚げ、コロッケに……」

 

「随分揚げ物の比率が多いような気がしますが……」

 

「はは、ちょっとな。 気合い入りすぎて、作り過ぎちまった。 だからこれ、昨日の残り物なんだ」

 

 ほほー……と感心したように声を漏らし、様々な角度から俺の弁当を審査するお嬢様。 その姿は、クラスメイトの女子と変わらない。 地金の彼女が、ようやく見えたような気がした。

 長いまつ毛の下で、ころころと転がる大きな瞳。 唇はリップが塗られ、よりふっくらと。 大人の女性と言っても差し支えない彼女にはアンバランスな、純粋な表情は、それだけにギャップがある。

 見惚れなかったのが不思議なくらい、鮮やかで、可愛らしい。 ルヴィアは系統で言えば美しいのだが、こんな一面を見られるとは。 交換に応じたのも、存外悪くは、

 

「……、」

 

「……」

 突き刺さる視線。 逆側からビームのように注がれるそれは、いつも感じていた種類のモノだ。 震え上がりそうになるほど、冷たく、鋭い。 背筋に寒気が走るのは、最早本能と言っても良いかもしれない。

……恐る恐る振り返ってみれば、やはり視線の主は遠坂だった。 黙々と、表情が滑り落ちた顔で、ウグイスパンを噛み千切っている。 優雅とはほど遠い、豪快な食いっぷりだ。

 

「……遠坂。 お前もしかして、弁当欲しいのか?」

 

「ふん、そんなわけないでしょ。 わたしはルヴィアじゃないし、残り物なんかで満足するわけーー」

 

 ぎゅるるる。 会話を遮るタイミングで、健康的な音が鳴る。 いや、まぁ……何というか。 音の出所は間違いなく、こやつの下腹部辺りからであって。

 いつの間にか俺の弁当からイカリングとコロッケをゲットしていたルヴィアも、その音は聞いていたらしい。 笑いを堪えようとする余り、背中が震えていた。

 フリーズしていた遠坂はパントマイムみたいな滑らかな動きで、

 

「おほほ、違うわよ? これはほら、携帯の着信音みたいな? お腹の鳴る音を意図的に演出することで、人為的に女子力アップを図るマストアイテムなだけであって、決してウグイスパン一つで足りなかったわけではなくてですねーーーー」

 

 ぐぎょるる。 無慈悲にも女子力というか、貧乏力をアップさせるSEが流れる。 俺は言葉を選び、保護者の気持ちで笑ってみた。

 

「……携帯使えないのに、よく着信が来るな、遠坂」

 

「殺せェ!! この貧相なわたしを誰か殺してくれェーーッ!!」

 

 うわーん!、とウグイスパンを机に叩きつけ、そのまま泣き寝入りする貧乏系魔術師さん。 その姿はこう、あんまりだった。 憧れとかイメージとか、そういうモノが瓦解するのって、きっと些細なことなのだろうなと、改めて思い知らされる。

 

「……ルヴィア。 何か可哀想すぎるし、バイトの特典として三食ぐらいは出してやったらどうだ? お前も張り合いがないだろ?」

 

「お断りしますわ。 資産も管理出来ない三流魔術師なんて、努力が足りないだけですもの。 それにバイトを提供しているというのに、これ以上馴れ合うのはどちらの流儀にも反するというもの。 それに食事など出した日には、中毒で死ぬことになりそうですが、それでも」

 

「あ、やっぱり良いです」

 

 ダメだった。 普段は気の良いお姉さんのルヴィアも、ふとしたことで一気にトラブルメイカーへと変貌する。 しかしやはりこうして、腹を空かせる猫……否、遠坂を見ているのも罪悪感に駆られる。

 んー、そうだな。 よし。

 

「なぁ遠坂、一つ提案があるんだが」

 

「なに……? アンタも笑いなさいよ、どうせわたしなんて倹約も出来ない、ただの没落貴族なんだから……」

 

「ご先祖が泣くぞ、そんなこと言ってると。 まぁなんだ……遠坂が昼飯食い足りないって言うんなら、作ってきてやろうか? 弁当?」

 

「え……え?」

 

「なん、ですと……!?」

 

 遠坂のみならず、何故かルヴィアまで、瞠目する。 しかし一度止まってしまえば、恥ずかしさで口に出来ないことは分かっているので、この際言ってしまおうか。

 が、そんな俺の出鼻を挫くように、小さな振動音が耳に滑り込んでくる。 音源はーー遠坂の鞄からか?

 

「……遠坂、何か携帯鳴ってないか?」

 

「え?」

 

 慌てて鞄から携帯を取り出す遠坂。 電話ではないようだが、携帯を開いて、そこからどうすべきか分からずオロオロしていた。 覗けば、メールの通知だったらしく、仕方なく代わりに操作してやる。

 

「……!」

 

 差出人は、イリヤだった。 遠坂にメールをすることは何ら可笑しくない。 しかし、その内容に、俺は冷や水に打たれたように息を詰まらせる。

 

ーークロが学校で暴れてる! 捕まえるから、凛さん達も手伝って!

 

 クロが暴れてる。 イリヤも嘘で、こんなことは言わないだろう。 となると、本当にクロは暴れているのだ。 あのクロが。 しかしどうして、理由が分からない。 クロは今、俺の説得を待ってくれているハズだ。 それに暴れる理由だってない、何せクロは今、非常に危うい立場だ。 一歩踏み間違えてしまえば、即捕獲。 逃がされているのも、俺が取り合って、何とか保っているに過ぎない。

 なのに何故、自らの首を絞めるような行為を、クロはしているんだ?

 

「ちょっと、操作してくれるのはありがたいけど、わたしにも見せてくれないと……、衛宮くん?」

 

 遠坂に肩を揺らされ、はっとなる。 理由はどうあれ、クロを止めないと。 このままだとイリヤや美遊だけでなく、クロ自身も傷つけることになってしまう。

 

「……悪い遠坂。 学校は早退だ」

 

「は? ちょっ、衛宮くん!?」

 

 遠坂に携帯を返すと、荷物も持たず、教室から飛び出す。 人目も憚らず、徐々に魔力を体の中で循環させていくと、俺は初等部へと走る。

 どうしてイリヤが、そのメールを俺ではなく、遠坂へと寄越したのか。

 その真意を確かめなかったのは、きっとーーーー俺が、イリヤの本当の兄ではないからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 5-2ーー

 

 

 思えば、片鱗はあった。 ここ最近の運勢は最悪だったし、事実兄とも反りが合わせられない。 こちらが拗ねていただけなのかもしれないが、申し訳なさそうな兄を見る度、胸にちくりと棘が残る。

 しかし、いくらなんでも、こんなもの想像出来るわけがない。

 屋上。 その出口の側、イリヤは身を潜め、状況を見守っていた。

 

「……ふぅ」

 

 息を吐き、クロが満足げに口を拭う。 いつもと違う点と言えば、服か。 穂群原の制服、もっと言えばイリヤの制服を身に纏っていた。 その下には顔を赤らめたクラスメイトーー桂美々が、目を回して倒れている。 しかも腰が抜けているのか、がくがくと痙攣しっぱなし。 どう考えても十一歳が出して良い色香ではなかった。

 事の成り行きは昼休み。 日直だったイリヤが、教師である藤村大河からプリントを受け取り、教室に戻ったときだった。

 ほとんどの生徒が出払っているハズの教室。 しかしそこでは、クラスメイト達が待ち構えており、皆イリヤへとこう言い放ったのだ。

 アレは、どういうつもりだ、と。

 

(……まさかその『アレ』が、こんなのだとは思わないよ……!)

 

 アレ。 そう口を揃えるクラスメイト達の顔は羞恥に染まっていて、詳しくは聞けず、美遊が引き留めている間に逃げてしまった。 そうして辿り着いていた屋上で、クロと美々の濡れ場を目撃してしまったのである。

……何がどうして、こんなことになっているのか。 全く、ちっとも、これっぽっちも理解出来なかったが、見逃せるハズもない。 しかし下手に今アレを引き剥がすには、美々を巻き込んでしまうため、結局最後までその行為を見届けてしまった。 まるで自分が美々を弄んでいるようで、実際はそれを離れて目撃しているこの感覚。 嫌なのに、日常が奪われているのに、それが快楽になり変わってしまうようなーー。

 

「……さ、て。 見てるだけで満足、デバガメさん? どうせなら混ざってくれれば、もっと楽しいことが出来たのに」

 

 嘲る声は、楽しげだった。 法悦に歪んだ顔は、狂暴な肉食獣が、獲物をいたぶる顔にも見える。 そのイリヤを徹底的に小馬鹿にした言葉と態度に、先程までの不純な想いも、すぐに消え去る。

 

「!……斬撃(シュナイデン)!」

 

 ほぼタイムラグ無しで、カレイドルビーへと転身。 イリヤはすぐさまその場から駆け出し、効果範囲が狭い斬撃の魔術を叩きつけると、そのまま美々をかっさらう 。

 魔力を凝縮した斬撃。 クロはそれを真っ正面から切り伏せ、その勢いでくるりと回転し、赤い外套へと姿を変える。

 イリヤは美々を、屋上へと繋がる入り口へと押し込め、扉を閉めた。 ついでに結界を張り、外界との繋がりを断つ。 これで何があったとしても、誰にも邪魔はされない。

 振り返る。 ステッキを向け、問う。

 

「……美々に何をしたの?」

 

「なにって、分からない? 見てたでしょ、キスよキス……ああまぁ、正確に言うなら、体液を貰ってたんだけど」

 

「……っ」

 

 ふざけるな、と言いたい気持ちを抑える。 何故ならここで問い質すことは、他にあるからだ。

 

「……わたしの友達にも、同じことしたでしょ。 どうして?」

 

「どうしてって……魔力を貰うためよ。 ほら。 わたし、魔力が必要だし。 それで貰う方法でポピュラーなのが、体液の交換、つまりキスだったってわけ」

 

「っ……なんで? 魔力が必要なら、魔術師のリンさんやルヴィアさんを狙う方が、効率が良いハズでしょ。 それなのにどうして、魔力を持たない、よりにもよってミミやみんなにあんなことしたの!?」

 

 語尾が強くなる。 イリヤなりの威嚇だが、クロの笑みがますます深くなる。

 

「決まってるじゃない、復讐よ」

 

「……復、讐?」

 

 クロの言葉は言ってみても、ドラマで聞いたような現実味のない台詞だった。 しかし、その現実味のない台詞が、心へ鎖のように絡み付く。 イリヤの怒りをも縛る。

 

「……っ、イリヤさん!」

 

「え?……わっ!?」

 

 自立するルビーが、咄嗟に障壁を展開。 しかしそのときには無数の剣が衝突、障壁を切り裂いた。 寸前でイリヤは空へと回避したが、剣は背後の金網を吹き飛ばす。

 クロが忌々しげに空を見上げ。

 

「あなたも知ってるんでしょ? わたしは、あなたそのもの。 クロなんて名前も、所詮は識別以外に意味はない。 クロとしてのわたしも、イリヤとしてのわたしも、全部からっぽ。 わたしに居場所はない。 何処にもね」

 

「……だから、わたしの居場所を壊すの? わ、わたしだって、あなたから奪うつもりなんて……!!」

 

「ええ、無かったでしょうね。 でも、そんなこと知ったことじゃないわ(・・・・・・・・・・)

 イリヤが鼻白む。 その瞬間、剣群が彼女目掛けて撃ち込まれる。 答えることどころか、その話を聞く余裕すらない攻撃。 イリヤは空を駆け回り、時に反撃に移ろうとするが、それもまた剣群の餌食となるため、回避に徹する。

 しかし迫るのは、身体的な刃だけではない。

 

「あなたが居たから、わたしはこんな歪な願望しか抱けなくなった」

 

 精神的な、刃。 なまじ意識のない相手しか戦ったことがないイリヤは、その一言一句を、心に刻んでしまう。

 

「わたしはイリヤだった。 そう、『だった』。 あなたが得たモノ全ては、わたしを踏みつけて得たモノ。 ダイヤのような人生、その対価がわたし。 本当だったら、その対価があなたなのに……どういうことか逆転して、あまつさえわたしの人生を奪い取っていった」

 

「だから、それは……!」

 

「あなたがどう思おうと、どんなご高説を語ろうと、奪った本人の言葉なんてどうでも良いわ。 むしろ、この期に及んで自分は関係ないなんて言い張る辺り、虫酸が走るのよ……!!」

 

「ぐっ!?」

 

 勢いを増した剣群を防ぎ切れず、イリヤの体がバルーンのように舞う。 フリルのスカートがたなびき、空中で静止する。

 

「……だったら!!」

 

 飛行に使っていた魔力を、物理保護に転換。 三角錐に似た、何枚も重ね合わせた障壁を作り、落下する。

 

「あなたはあなたの人生があるでしょ!? 別にわたしの人生を壊さなくても、クロとして生きれば……!」

 

「……ふぅん?」

 

 弾くのではなく、逸らすことに特化した障壁。 それを攻略するために、剣の中でも湾曲した、鎌のような剣を中心に撃ち出していく。

 牙が食い付くかのごとく、みるみる内に削れる障壁。 イリヤは奥歯を噛み、尚クロへ突撃する。

 

「じゃあなに? あなたは、わたしにわたしとしての生き方を諦めろ。 そう言いたいわけ?」

 

「なっ……!? そうじゃない! わたしは、クロとして生きれば、それで解決すると……!」

 

「ああ、そういうこと。 なら、勘違いしないでほしいんだけど」

 

 小さく。 自嘲するかのような、儚い笑みを過らせ。

 

「わたしはクロとして生きたいんじゃないーーーーイリヤに、戻りたいの」

 

 途端のことだった。 剣の放出が苛烈さを増し、一気に障壁が砕かれる。 目を見開くイリヤへ、十以上の宝具が肉薄する。

 

「だから復讐する。 あなたから全てを剥ぎ取って、それを無意味にしてあげる。 あなたが生きてた意味なんて、これっぽっちも無くなるように」

 

 バイバイ、偽物。 そんな言葉を口にしたときには、剣がイリヤの四肢へと殺到した。 複数の音が木霊し、針山のようになったイリヤは、そのまま落下して、

 

「……いっ、たいですねー!?」

 

 ぽん、と風船が破裂するような音を立てて、ルビーへと姿が変わった。

 

「……!? 宝具!?」

 

 驚くクロ。 彼女は知らなかっただろう。 イリヤは剣群を防ぎ切れないことなど分かっており、事前に一枚のクラスカードを限定展開(インクルード)していたのだ。

 アサシン。 百の貌の異名を持つ暗殺者。 展開した宝具の名は、妄想現像(ザバーニーヤ)。 カレイドステッキを媒介に囮の幻像を生み出す宝具だ。

 そして当然、本人は隠密され、解除されれば姿を現す。

 クロの懐。 落下してきたルビーを掴み、再び転身したイリヤが、ゴルフのスイングのようにステッキを振るう。

 

砲撃(フォイア)!!」

 

 放たれた魔力弾は、クロにとって魔力で強化されれば、腕でも弾けるようなモノだ。 されどゼロ距離ともなれば、話は別。

 寸前で差し込まれようとした剣ごと、魔力弾を腹部に炸裂させる。 爆発。 イリヤは地面を転がり、クロは側にあった階段室に叩きつけられた。

 転がってる暇なんかない。 急いで立ち上がり、クロの姿を確認。 どうやら頭を打ったらしい。 クロはずるずると座り込み、動かない。 しかしそれも時間稼ぎにしかならないことは分かっている。 イリヤは近づき、改めてクロにステッキを突きつけた。

 

「終わりよ」

 

「……、」

 

「あなただって、分かってるハズでしょ。 確かに、わたしはあなたの居場所を奪ったのかもしれない。 けどそんなこと、こっちこそ知ったことじゃない(・・・・・・・・・・)

 

 そう。 イリヤだって、何も感じなかったわけではない。 クロの境遇には同情するし、気に入らないが、出来ることなら争いたくない。

 だが正直に言って、そんなことを今更言われたって困る。 それがイリヤの本音だった。 辛かったのかもしれない、苦しかったのかもしれない。 しかし、だから何だと言うのだ。

 イリヤは真っ直ぐとクロを、己自身に目を向ける。

 

「確かにあなたは、わたしだった。 それを奪われて、怒るのも分かる。 でもだからって、そんなの認められるわけないでしょ!? あなたが辛いから、今度はわたしが不幸になれだなんて、そんなの自分勝手にも程がある! 聖杯だの、ホムンクルスだの、そんなのウンザリ! わたしはただ、みんなと今まで通りの暮らしが出来たらそれで良い! なのにどうして、あなたはわたし達を引っ掻き回すの!?」

 

 イリヤとて、何とかして穏便に済ませたいという気持ちはある。 だが、いずれ直面しなければいけない問題だとしても、こんな風に振り回されるのは嫌だった。 渦中に引きずり込まれて、知らないところで進められて、それで知らない内に置いてけぼりになるのは嫌なのだ。

 

ーークロはそんなに悪い奴じゃない。

 

 そう。 勝手に決めて、突っ走り、こうして引っ掻き回す種を作った、兄など。 鬱屈した想いは熱を帯び、いよいよイリヤは歯止めが効かなくなっていく。

 

「大体あなたのせいで、お兄ちゃんをどれだけ傷つけたか分かってる!? カード回収のときもそう! わたしはあんなこと望んでなかったのに、勝手に人の願いを汲み取って……!」

 

「い、イリヤさん、少し落ち着いてください。 これからクロさんと話をするにしても、もう少し冷静にですね……」

 

 たしなめるルビーとて、これでイリヤの怒りが収まるとは思っていなかっただろう。 精々こちらに意識を向けさせる、それだけの言葉。 しかし、

 

「そうね、ルビーの言う通りよ」

 

 たまらずぎょっとするイリヤ。 何故なら返事は、目の前で朦朧としているクロの声のハズなのに、余りにもハキハキとしていたからだ。

 

「言ったでしょ? あなたはわたし。 わたしはあなた。 例えわたしの願いであろうと、それはあなたのモノでもあるのよ」

 

 言葉を紡ぐ度に、眼前のクロの姿がパンパンに膨んでいく。 パァン、と破裂したところで、ようやくその工程に見覚えがあることに気づいた。 何せイリヤ自身が先程行ったことだ。

 現れたのは、ヒビが入った剣と、カード。 さっき使っていた、アサシンのクラスカードだ。

 

「アサシンの限定展開(インクルード)……!? そんな、いつの間にカードが奪われて……!?」

 

「馬鹿みたいに鈍いのね。 そんなんだから、決定的に出遅れてることにも気づかないのよ」

 

 イリヤの真横。 ギリギリ、と。 矢をつがえたクロが出現する。 矢尻へと凝縮される膨大な魔力に寒気が走ったときには、最早手遅れだった。

 放たれる。

 螺旋の剣が。

 

「ーーーー偽・偽・螺旋剣(カラドボルグ)・Ⅲ」

 

 逸らすための障壁など、何の意味を為さなかった。 螺旋剣が障壁に激突した瞬間、魔力が点火して爆発。 轟音と共に、イリヤの体をとてつもない衝撃が襲いかかった。

 視界が回る。 焦点が消える。 意識が定まらない。 鼓膜が破裂したかのように、音を聞き取ることが出来ない。

 やがて、くん……とその場で止まる。 ぶら下がっているようだが、未だ意識がハッキリしないため状況が掴めない。 続いて引っ張られ、何処かに墜落した。

 

「……、イリヤさん!!」

 

「……ル、ビー…………?」

 

 わんわんと耳に入る声は、ルビーだ。 どうやら自分で動けることが幸いしたらしく、自分をここまで連れてきたのは彼女らしい。 現在地を確認すると、屋上の端。 つまりあのまま行けば、グラウンドまで叩きつけられていたのだ。

 

「……ぐっ……」

 

「動いてはダメです、Aランクに迫る宝具を、ほぼゼロ距離で受けたんですから。 まさか人払いの結界をも一撃で破壊されるとは……」

 

 立ち上がろうとして、呻いてへたり込む。 可愛らしい衣装は、あちこち破れ、赤い染みが滲んでいる。 額もぐっしょりと濡れていて、白い手袋が真っ赤に染まるほどだ。 英霊の攻撃ぐらいでなければ破れない物理保護が、紙屑同然。 その事実に、イリヤの心は冷たい恐怖に鷲掴みにされた。

 

「やっぱりそのステッキ、厄介ね。 まさか意識を保てるなんて思わなかったわ。 ま、その傷じゃ勝負は目に見えてるけど」

 

「……!」

 

 屋上の中心。 破壊の中心であるそこから、クロが指に挟んだカードをこちらへ投げる。

 

「はい返却。 で、まだやる? 大人しくすれば、すぱっと一刀で終わらせてあげるけど?」

 

「ふざ、けないで……まだ、終わってない……」

 

「はっ、子供ね。 もう終わりよ、まさしく。 あなたは負け、全部奪ってあげる。 あなたの大好きなお兄ちゃんもね」

 

「……!」

 

 兄を、奪われる。 その言葉を理解したときには、ステッキを支えに、イリヤは立ち上がった。 倒れそうになりながら、反射的にクロを睨み付ける。

 奪われる?……兄を? 約束したのに?

 自分が守る。 そう約束した。 その約束を、自分は今、お世辞にも守れていると言いがたい。 逃げていると言っても良い。 目を逸らそうとしている。

 だけど、それでも。 イリヤにも何が何でも、退けない一線がある。

 

「……奪わせない」

 

 まだ一人で歩くには、幼く、か弱い少女。 しかしそんな少女でも、守りたいモノのために、立ち上がることは出来る。

 

「お兄ちゃんを、みんなを、あなたには奪わせない……!!」

 

 イリヤの願いは幼稚でも。 その願いは、イリヤ自身のこれまでの積み重ねと同義だ。 それを否定することは、誰にも出来ない。

 そう、自分以外には。

 

「ご立派な声明、どーも……ふふ。 じゃあ、聞くけど」

 

 そこで気付けば良かったのだ。

 何故クロが、兄のことをこれ見よがしに語ったのかを。

 

 

 

「ーーーーあなた、本当にお兄ちゃんを守りたいと思ってる?」

 

 

 

 まさに、青天の霹靂とはこのことなのだろう。

 最初、言っている意味が分からなかった。 しかし同時に心が、体が。 不自然にざわつき始める。 根付いていた何かが、萌芽する。

 

「な、にを……」

 

「? あぁそっか。 まだ分かってないのか。 全く気付いてるくせに、いつまで棚上げしてるのかと思ってたけど」

 

「……何を、言ってるの……?」

 

 奥底。 心の奥底から、何かが這い出る。 言い様の無い不安感を食らい、それは大きくなる。 言葉を口にした瞬間に外へと排出されてしまったら、取り返しがつかなくなるほどの何かが。

 

「確かにあなたは、衛宮士郎の魔術師としての側面に、恐怖を感じた。 何かが違うと、そう思った。 けれどそれでも、自分が守りたいならそれで良いと言う決断をした。 うん、確かにこれなら、筋は通るわ。 お兄ちゃんはそれ以外なら良い人だから、そこだけは目を瞑ろうと考えるのも、まぁ可笑しくない」

 

「……何が、言いたいの……!」

 

「逆よ」

 

 答える間もなく。 クロは、断言した。

 

 

「お兄ちゃんは魔術師だから可笑しいんじゃない。 元々、可笑しかっただけよ」

 

「……は?」

 

 

 今度こそ。 イリヤの理解の範疇を超えた。

 魔術師だから可笑しかった?/そうであってほしかった。

 元々から可笑しかった?/そうでなければ説明がつかない。

……心の何処かで、声がする。 その声が、心を侵食する度に、イリヤの中で何か歯車が嵌まった。 世界の果てから持ってきた常識が、ここでも通じてしまうような異常。 その得体の知れなさが、底抜けの恐怖へと転化する。

 

「あなたはお兄ちゃんが、魔術師だから可笑しいと思ったでしょう。 でもそれは違う。 魔術師はそもそも人ではないもの。 だからこそ、お兄ちゃんは人になりたいロボット辺りが妥当なんでしょうけど」

 

 好き勝手な物言いなのに、不思議と反論する気力は湧かなかった。 だってそうだ、遠ざけていた、見ないようにしていた問題を、まざまざと叩きつけられているのである。

 そう。 本当はイリヤも、分かっていたのだ。

 アレは、可笑しいと。

 自分を追い詰めると分かっていて。 イリヤは、僅かに残った気持ちを振り絞る。

 

「……だから、なに? なにが言いたいわけ……? だから守る価値なんてないとでも……」

 

「いいえ、守る価値はあるわ。 お兄ちゃんだもん。 けどあなたはどうなの? あなたはあの異常性を理解出来る? 見ないフリをし続けられるかしら?」

 

「……それ、は……」

 

「そう。 分かってるじゃない。 あなたがこれからも彼を守りたいのなら、その歪みを理解しないと、その愛はグズグズに崩れるだけ。 一人相撲もここまでよ」

 

 一人相撲、確かにそうだ。 自分は見ないフリをして、ただ我が儘に、ちょっとした約束を取り付けただけだ。 出来もしない、いつかは破るであろう約束を。

 しかし、違和感があった。

 心を剥き出しにされたからなのか。

 イリヤは、言わなくても良いことを口端に乗せる。

 

「愛……?」

 

「あら? そこに疑問があるの? もしかしてあなた、お兄ちゃんのこと嫌いなんて言わないわよね?」

 

 嫌いではない、ハズだ。

 何せ幼少の頃からずっと一緒に居て、手を引いてくれた人だ。 好きか嫌いかで語るより前に、愛と答えるのが家族だとイリヤだって分かっている。

……なのに、どうしてだろう。

 どうして自分は、愛より前に、好きか嫌いかでこうも悩んでいるのだろう?

 これではまるで。

 兄に恋でもしているみたいでは、ないか。

 

「……」

 

 蓋を閉じる。 心の蓋を。 今そんなことは詮なきこと。 だからそれは後回しで良い、その蓋は一生開けなくて良い。

 

「ふぅん……まだ分かってないんだ。 まぁ良いけど。 それで、あなたはどうするの?」

 

「……わたし、は」

 

 イリヤは願った。 士郎を守りたいと。 歪んだ士郎も、守ってあげたいと。

 

「笑ってくれるなら。 一緒に笑ってくれるなら、わたしはそれで」

 

 だったら自分の我が儘でも良い。 彼が笑ってくれるなら、それで良い。 歪んだ笑いでも、何だって良い。 それでも守りたい、それが想いと相反していようとも、願いたい。

 だが。

 

「笑ってくれるなら? 随分可愛い願いだけど……」

 

 クロは、たった一つ事実を言った。

 

 

「ーーあなた、彼が心から笑ったところ、見たことあるの?」

 

 

……それは、決定的だった。

 辛うじてあった、士郎との約束。 それが、粉々に砕け散ったのをイリヤは感じた。

 そう、何故なら。

 士郎が心から笑っていた姿なんて、見たことがないから。

 それどころか、ここ最近まともに顔を合わせていないせいで、笑う姿すら思い出せないから。

 だから、小さな願いも、砕け散った。

 

「……ぁ……」

 

 ミシミシと。 嫌な音が、胸の辺りから響いた。 まるで心臓がぱっくりと割れたみたいな、激痛があった。 全身から力が抜け、自分の見てきたモノ全てが汚れていくような気すらした。

 もう嫌だ。

 もう何も聞きたくない。

 耳を塞ぐ。 自らの体を掻き抱く。 もうそんなことをしても意味などないのに。

 なのに。

 

「あ、そうそう。 わたしね、お兄ちゃんとも魔力供給したのよ?」

 

 余りに呆気なく。 クロはイリヤの心の欠片すら、踏み潰していく。

 きょとん、として。 しかし次の瞬間には、絶望という傷跡が、イリヤの顔には色濃く刻まれた。

 

「……う、そ……」

 

「嘘じゃないわ。 ファーストキス、あげちゃったし、貰ったもの。 まぁ不意打ちだったけどね。 止めるどころか求めてきたのよ? その意味ぐらいは、鈍くさいあなたでも分かるでしょ?」

 

 やめろ。 その先を言われたら、自分はもう生きていられない。

 半ば、諦めて。 イリヤは痛む体で、それを止めようと這いずり。 クロはそんな自分へと、壮絶な笑みを浮かべた。

 

「お兄ちゃんはあなたじゃなくて、わたしを選んだのよーーーーね、偽物(・・)さん?」

 

 今度こそ。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンから、あらゆる表情が消えた。

 かつてないほどの痛み。 かつてないほどの絶望。 その余りの仕打ちにイリヤの理解が追い付かない。 追い付かず、内側から、何か黒いモノに炙られる。 ボロボロと理性が崩壊する。

 

「……ぁ、は……」

 

 理解出来ない。 許容出来ない。 筋肉が弛緩し、瞳から色が消える。 まるで西洋人形(ビスクドール)のように、在るだけの存在になりかける。

 

「は、ははは……」

 

「……イリヤさん……?」

 

 しかし。 ルビーは気付いた。

 イリヤの声に、不安定な、だが一本の線が通ったことを。 彼女の心を瓦解させるような、ギラついた光が、目に宿ったことを。

 

「あはっ……ははっ、はははは……っ!!」

 

 笑う。 ただ、笑う。 唇は大きく裂け、肌は蒼白なのに気力がみなぎっていく。

……イリヤは無意識に、自衛とも思える措置を取った。 悪魔的な声に耳を傾けたのだ。

……悪い夢を見ている、と。

 アレを殺せば、全部元通りになると。

 自分の目の前に居る偽物を殺せば、それで終わると。

 

「はははははははははははははははははははははははッ!! アハッ!! ぐふっ!? かふっ! はははははははははははははははははッ!!!」

 

 追い詰めているのは、明らかにクロ。 なのにイリヤは、勝利を確信するように笑い続ける。 その姿に、クロはようやく気付いた。 自分が誰を攻撃していたのか。

 そう。 アレは自分自身。 今の自分のように、全てを否定されてしまったらーーどんな感情を抱き、行動するかなど、我が身をもって知っているハズだったのにーー!

 

(……まずい……)

 

 ぶわっ、と冷や汗が堰を切ったように溢れる。 クロはかつての己を直視し、そのおぞましさに恐怖する。

 

(……まずいッ……!)

 

 クロが戦慄しているのを見た上で。 イリヤは、宣言した。

 

「……ルビー。 アレ、殺すよ」

 

「! イリヤさん、いけませ、……!!」

 

 ルビーがすぐに引き止めようとしたが、もう遅い。 その前に、ステッキへクラスカードを押し付けられる。

 カードは槍兵。 かのケルト神話の大英雄、因果率の頂点に降り立つ武具を顕現させる。

 

「クラスカード・ランサー。 限定展開(インクルード)

 

 静かな詠唱。 そこからは渾々と、感情が流れ、イリヤが持つ朱色の槍に蓄えられていく。 死へと誘う棘の槍は、仮初めの主の憎悪を糧にし、死への因果を絶対のモノとする。

 故に必滅。 故に神話は語り継がれる。

 今ここにーーかつてなし得なかった、弓兵の心臓を貰い受けるーーーー!!

 

突き穿つ(ゲイ)ーーーー」

 

 クロがはっとなったときには、イリヤはもう跳躍していた。 ギリギリと、腕の筋肉の全てを使い、魔槍が紅い尾を引いていく。

 猛獣が牙を見せびらかすように、イリヤは空中で振りかぶる。 絶対不可避な死の未来、その訪れとなる朱槍を投擲するーーーー!!

 

「ーーーー死翔の槍(ボルク)!!」

 

 放たれた槍は、まさに流星だった。 紅い流星。 日常の空間を死の一撃が天から下り、一直線にクロの身体ごと心臓を貫かんと迫る。

 突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)。 光の御子、クー・フーリンが扱う魔槍、ゲイボルクの本来の扱い方。 対軍宝具の名にふさわしく、一部隊を一投で薙ぎ倒したその宝具の真価は破壊力に重点を置いたモノ。 イリヤの放った突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)は、ランクこそ落ちるが、それでも屋上、ひいては下の階ごと吹き飛ばしても可笑しくなかったに違いない。

 だが知らぬだろう、仮初めの主よ。

 この世に必滅があるように。

 この世には絶対というモノが、あるということを。

 

「……投影(トレース)!!」

 

 無手を掲げる贋作者の少女。 かの轟く五星(ブリューナク)大神宣言(グングニル)にも匹敵、ないしは上回る本物の神話の再現に対し、剣では対抗出来ないだろう。

 なれば答えは一つのみ。

 剣で勝てぬのなら、それを防げる盾をこの場に作り出すーーーー!!

 

熾天覆う(ロー)七つの円環(アイアス)!!」

 

 咲き乱れる、四枚の花弁。 現在から未来の確定を遮るかのような盾は、放たれた魔槍を寸前で防御。 拮抗する。

 ギリシャ神話のトロイア戦争にて、アイアスに使われたのがこの盾だ。 英雄ヘクトールの投擲を唯一防いだという逸話を忠実に入力されたこの盾は、対飛び道具に関して追随を許さぬ花の盾。 花弁の一枚一枚が城門と同等の防御力を持つ盾ならば、或いは防げたかもしれない。

 奇しくも、現代に行われたとある戦争の対決が再び相成ったわけだが、状況は余りにも違いすぎたというべきか。

 

「……嘘、……!?」

 

 拮抗したのは一瞬のみ。 瞬時に一枚、二枚と花弁が割れ、アイアスを展開するクロの右手が余波で裂ける。

 そもそも二人の放った宝具は、本物ではない。 所詮は劣化(レプリカ)。 その完成度も規模も、本物とは比べるべくもないが、拮抗はする……ハズだった。

 しかし問題は、クロの宝具が、贋作(フェイク)劣化(レプリカ)だったことだろう。 更に熾天覆う(ロー)七つの円環(アイアス)とは、文字通り七つの花弁を展開する盾。 クロは宝具の性質を理解はしていても、その再現に誤りがあったのだ。

 よってーー魔槍の神話が、覆ることなどない。

 

「まっ、ず、……!?」

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」

 

 唸る魔力は咆哮に。 猛る心は目の前の敵に。 クロが魔力でアイアスを補強しようとも遅い。 悲憤したイリヤの爆発した想いを、呪いの槍は受け取っていたのである。 死は確定だった。

 甲高い破砕音。 花の盾は弾け、舞い散る。 桃色の魔力の残滓が、ふわりとクロの頬を撫でる。 そんな優しい感覚すらも、死が指を這わせる行為に等しい。

 迫る。

 避けようがない死が。

……その、一歩手前のことだった。

 

 

「ーーーーイリヤっ!!」

 

「「!?」」

 

 バァン、と。 後方から、何かを無理矢理こじ開けた音が聞こえた。 それが階段室の扉を、強引に吹き飛ばしたのだと気付いたときには、茶色い影が疾走していた。

 衛宮士郎。 イリヤ達の兄。

 

「お兄ちゃんっ……!?」

 

 来てくれたのか。 イリヤの中にある黒い感情の渦が、その勢いを無くしていく。 やはり来てくれたのだ、兄は。 例え嫌われようと、どんなにクロに誘惑されようと、こんなときには自分を真っ先に助けようと、あんなに必死にーーーー。

 

「……ぇ……?」

 

 何か。 何か、違和感がある。

 兄の顔。 いや、兄の目。 真っ直ぐに、だが一体誰の身を案じて……彼は誰の名前を呼んだ……?

 思考だけが早い。 スローになった世界で、ずぶずぶと沼に沈んでいく。

 喘ぐ。 渦巻く感情が臨界を越え、しかし呪いの魔槍は止まらず、兄は自分ではない誰かだけを見て、呼び掛けた。

 

イリヤ(・・・・)!!」

 

 名前は変わらない。 そこに込める想いとて変わらないだろう。 しかし、そうして助けようとした相手が、違った。

 クロだった。

 妹の、自分ではなく。

 生まれてから成り代わった、自分ではなく。

 兄は、かつてイリヤと呼ばれていた、クロを選んだ。

 

(……あ……)

 

 思考に空白が埋まれる。

 そして、少女の心は砕かれた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 火災警報のベルが、隙間ない音の世界を形成する。 まるで夏の蝉のようだ。 まぁそこら中の探知機を叩き鳴らしてる俺が言う言葉ではないのだが。

 

「ああもう、何で美遊にも繋がらないのよ!? というか、これ繋がってる!? ねぇルヴィア、アンタ携帯(これ)使えたっけ!?」

 

「何故私に振るのです!? こ、この私に出来ないことがあるとでも!? 貸してごらんなさい、遠坂凛!」

 

「あ、ちょ、乱暴に扱わないでよ!? 高いんだからねそれ!?」

 

 穂群原学園初等部。 イリヤがクロと共に居るハズの学校で、俺達は懸命に屋上へと走っていた。

 クロが暴れている。 暴れているということは、間違いなく危害を加える行動を取っているハズだ。 魔術師が、英霊の宝具を投影可能な者が暴れているとなると、その被害がどれだけ甚大になるか分からない。 それで火災と偽ったわけだが、やはり避難行動の波に押されて、かなり時間をロスしてしまった。

 遠坂とルヴィアが美遊の携帯へ連絡を取ろうとしているようだが、肝心の携帯の使い方が分からないらしく、さっきからこの調子だ。 俺もあのスマホ……だっけか? 通知されたところを開くだけならまだしも、アレの使い方はよく分からん。

 

「とにかく!」

 

 角を曲がり、階段へと足をかけ、遠坂の話に耳を傾ける。

 

「美遊も賢い子だし、流石にイリヤと一緒でしょ! となれば、クロがどんな理由であれ、暴れてるならとっ捕まえる! 異論は!?」

 

「私も同意見ですが……シェロは?」

 

「流石に無いさ。 誰かを襲うなら、絶対止めなきゃいけないからな」

 

 勝手に逃がさせられたとはいえ、俺がクロの拘束を解いたことには変わらない。 それは彼女が俺の妹であり、守るべき存在だったからだ。 遠坂達にクロの処遇に対して猶予を求めたのも、それが理由なのである。

 しかしクロがそれを自ら破るというのなら、止めるしかない。 一度拘束し、今度こそイリヤとの話し合いを進める。 こうなった要因は、だらしなかった俺にもあるのだから。

 が、そんな悠長なことを言っていられる場合ではなかった。

 

「……!」

 

 足が止まる。 恐ろしいほど静かな校舎。 駆け上がる音だけしか存在しない階段の、その更に上。 屋上から、凍るような夥しい魔力が吹き付けてくる。 そしてその魔力には、見覚えがあった。 何せ向かおうとした体が拒否しかけたからだ。

 

「嘘でしょう……まさか、宝具の開帳!?」

 

「クロじゃない。 ……あんの馬鹿、学校でそんなものを……!」

 

 遠坂達の声が遠い。

 そう。 俺はこの魔力を知っている。 かつて俺の命を奪い、その猛威を振るってきたランサーを、どうして忘れよう。

 そしてこれを放てる人間は、ランサーのクラスカードを持つイリヤだけ。 だとすれば、それは。

 それは誰の命を、奪うものだ?

 

「……!」

 

 学校だろうが関係なかった。 二十七本をフルスルットルで稼働させ、俺の身体は階段を跳ね上がった。 数メートル以上の距離を蹴り、屋上を目指す。

 余計な思考はなく、頭はスッキリしている。 やるべきことはたった一つ、クロを守る。 こんなところで死なせるのもそうだが、イリヤの手を汚すことになれば、何のために魔術を使っているのか、本当に分からなくなる。

 屋上のドア。 それを剣で吹き飛ばし、その場所に飛び出した。

 屋上は酷い有り様だった。 地面を形成するコンクリートは抉られ、飛び降り防止のために張られたフェンスは軒並み薙ぎ倒されている。

 しかし目を奪われたのは、中心部。 イリヤが放った魔槍に、クロのアイアスが砕かれ、死が迫っていて。

 その光景が、どうしようもなく、いつか冬の城で目にした景色と、重なった。

 

「   !!」

 

 最早何と叫んだのかすらどうだっていい。 意識はクロ一人に定まっている。 一歩踏み出したときには、もう一つの魔術基板を全解放していた。

 過剰な強化で、機械のように強靭になった足で駆ける。 風となった身でクロを抱え、右手を魔槍へと突き出した。

 

熾天覆う(ロー)七つの円環(アイアス)ッ!!」

 

 咲き乱れるは、花の盾。 五十四の回路から魔力を吸ったからか、完成形である七枚の花弁は槍を塞き止める。

 

「お兄ちゃん!?」

 

 が、槍と盾が接触した途端、右手から異音が木霊した。 ミシミシ、という軋みは、右腕のありとあらゆる骨を強引にずらし、肉を引き裂いていく。 片腕だけというのが災いしたのだろう。

 

「ぁ、ぐっ、がッ、……!?」

 

 体が重圧と激痛に耐えきれず、膝をつく。 そんな主人と運命を共にする花の盾も、花弁を次々と散らす。 クロのアイアスも壊してるくせに、何てデタラメなんだ……!

「ダメ……防ぎ切れない! アレはわたしを狙ってる、だから早く逃げ……!」

 

「ふざ、けるな……!」

 

 間近の死を見据える。 それを直視し、なお目を逸らさずに、クロを強く抱き寄せる。

 それだけで、痛みが和らいでいく。 クロの命を感じることで、気力が戻っていく。

 

「……失って、たまるか……」

 

 確かに衛宮士郎に、この運命を覆すことなど出来ないのかもしれない。

 けど、それがなんだ。

 そうして運命に従った結果、目の前で誰かを失うことだけは。 もう一度同じ家族を失うことだけは、何があってもごめんだ。

 

「失って、たまるか……!」

 

 裂かれながら、砕かれながら。 自らの体が壊れることを承知して、立ち上がっていく。 じりじりと立ち上がりながら、血を吐き出す。

 上からの重圧に、腕が千切れてしまいそうだった。 体が許容外の魔力を放出することで、喉は血で渇く暇がない。 内側が過剰な魔力でパンパンになっており、外側からの魔槍で挟まれているせいだ。 果汁を搾るようなものか。

 しかし、それでも。 食い縛り、一歩も引かず、ただこの身を差し出す。 守るため、夢を壊させないため。

 しかし既に、アイアスの花弁は一枚。 右手は持ち上げている感覚すらないほど傷つき、その盾もヒビが入っている。

 万事休す。 せめてとクロを背後に投げようとするが、余裕がない。 永遠にも、刹那にも感じた時間の中、必死に死から抗う。

 終わりは唐突だった。

 

「むむむ……ていやっ!!」

 

 ぐにゃん、と中程で液体のように流動するゲイボルク。 思わず目を疑ったが、すぐに槍は魔力となって掻き消え、代わりにステッキへと戻ったルビーとクラスカードが現れた。

 直前の激突が嘘のような、静寂が訪れる。 盾を掲げたまま、固まる。 無理矢理、限定展開(インクルード)を解除したのか。 そう思ったときには、無意識に魔術回路を停止させていた。

 花の盾が魔力へと帰り、ふら、と視界が揺れた。 続いて衝撃。 どうやら倒れたらしい。 朦朧とした意識ではそれすら確認することが出来なかった。

 

「お兄ちゃん……? お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 

 クロは……良かった。 声が聞こえる。 これだけ叫んでるなら、大した傷ではない。

 全身が焼けるように痛く、熱い。 まるで皮を剥がされたか、それか切り付けられたみたいだ。

 だが、守れた。 それを実感した。 しかしそれに浸っている時間はない。

 

「……イリ、ヤ」

 

 三メートルほど、先。 青ざめたイリヤが、俺達を見て、裂けそうなほど目を見開いている。

 

「……わ、たし……ちがう、わたしは……」

 

「……気に、するな。 ちょっと、怪我しただけだから……」

 

「ちょ、ちょっとなわけないでしょ!? ほ、ホントに、死んじゃうところだったんだよ!? なのに!!」

 

「そんな、ことより」

 

 意識が消えそうになる。 その前に自分勝手かもしれないが、これだけは聞きたかった。

 

「……イリヤ。 何で、宝具を使った? クロが死んだら、どうするつもり、だったんだ?」

 

「そ、それは……でも、それを言うならお兄ちゃんだって……!!」

 

「ああ、そうだ……けど、ならクロには、使うべきじゃ、なかったんじゃ……ないか……?」

 

 イリヤは答えなかった。 ただ唇を、体を震わせ、俯くばかりで。 何かに耐えるような仕草を見たとき、ようやく自分が間違えたことに気付いた。

 

「……なによ……」

 

「……イリヤ……?」

 

 声は今にも泣きそうだった。 俯いたまま、イリヤは目を背けるように。

 

「何なのよ……わたしのことなんか、どうだって良いくせに……こんなわたしなんて、ホントは……ホントは、妹じゃなかったら守りたくもないくせに……!!」

 

「おい……イリヤ……? なにを……?」

 

「……もう、知らない!」

 

 きっ、と。 涙を溜めて、イリヤは告げた。

 

 

「ーーお兄ちゃんなんて、大っ嫌い!!」

 

 

 それは。

 全身を貫く痛みよりも、深く、鋭く、魂に突き刺さった。 ガラスが割れるような残響が、重くのしかかる。

……知らなかった。

 人は、本当に傷ついたとき。 こんなにも、生きてることが苦しくなるのだ。

 

「……ぁ」

 

 空へと浮かぶイリヤへ、手を伸ばす。 しかし届かない。 距離がありすぎるだけじゃない。 その心がーー余りにも、離れすぎていた。

 そうして、軽々と。 衛宮士郎の意識は消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-3ーー

 

 

 遠坂凛達が現場に駆け付けたときには、既に状況は終わっていた。

 拒絶し、空へと消えるイリヤ。 一度も振り返らないその背中からは、断固たる意志があり、流石に鈍感なあの少年でも気が付いたらしい。 宝具を受け止めた手は空を切り、そのまま倒れた。

 

「シェロ!!」

 

 傍らのルヴィアが走り、士郎の治療に入る。 凛とてそうしたいところだが、だからこそ冷静に、客観的に動く必要があった。

 クロは沈黙している。 士郎が倒れたことが、余程ショックだったらしく、目は最大まで開かれ、虚空を眺めている。 拘束しようとすれば、素直に捕まってくれそうだ。 とりあえずは放っておけば良い。

 破壊されたフェンスを踏み、屋上からグラウンドを見下ろす。 そこには偽の火災に踊らされ、誘導された生徒や教師の姿があった。 一般人への秘匿、魔術の基本である。 備えとして張ってあった結界で魔術戦など見ることは出来ないだろうが、宝具同士のぶつかり合いは別だった。 仮にも神秘の到達点、あんな常駐の結界では破壊されて当然である。

 しかし、どうやらそれも杞憂だったようだ。 こちらへと視線を向ける生徒は勿論、教師も存在しない。 この分なら、一人一人に記憶の改竄を施す……なんて、手間のかかりそうな真似はしなくても良さそうだ。

 

「……ふぅ」

 

 眉間の皺を指で押し、こねる。 そんなもので気持ちなど晴れるべくもなく、凛は嘆息した。

 衛宮士郎が何か隠していることは、凛から見ても明らかだった。 普通、元妹だからと言って、一度も話したことのない相手に、あそこまで親しくはなれない。 家族だとしても、成人手前の自分達にはそれを容易に受け入れられない。 見たことないモノ、感じたことのないモノ。 例えそれが家族であっても、普通人間とはそういうモノを受け入れられるほど簡単には出来ていないのだ。

 しかし彼は拒絶するどころか、可能な限り

クロの要求には答えてきた。 いくら妹想いであったとしても、そこまでするモノだろうか? 士郎は甘やかすことがほとんどない。 優しくはすれど、基本的にそれは一般的な範疇だ。 しかしクロに対し、今回は異常なほど傾倒していた。

 魔術で操られていた可能性も否定出来ない。 しかしそれを加味しても、士郎の振る舞いは可笑しいと言わざるを得なかった。 そう、その姿はまるで。

 生き返った死人に対して、舞い上がってしまっているような。

 

「……考えすぎよね……」

 

 あの少年が何かを抱え、悩んでいることは承知済みだ。 それを容認したのは自分であり、イリヤに対しても精一杯のケアはしてきたつもりだった。

 しかし、結果的にそれは、自分の甘えだったのかもしれない。

 只でさえ、自分と同じ顔の少女が現れたというのに、そこに家族が入れ込んでいると知れば、イリヤの心が荒れるのも納得である。 衛宮士郎という人間は、どうにも周りの様子には疎い。 それを指摘しなかったこともそうだし、イリヤにも気を配るべきだった。

 美遊やイリヤの功績は、確かに素晴らしい。 しかし美遊はまだしも、イリヤは完璧超人でもなければ、卓越した精神を持っているわけでもない。 それを考慮しなかったのは、この世界に引きずり込んだ、凛のミスだった。

 

「……あーもう、らしくないわね」

 

 何にせよ、こんなところで燻るのは後だ。 すぐに学校内へと人が押し寄せる。 秘密裏に脱出出来る今こそ、動くべきだ。 ルヴィアの邸宅なら、治療するための宝石もある。

 が、それより前に状況が動いた。

 

 

「にゃーにゃーと、雌猫の声が聞こえるわ」

 

「……は?」

 

 全く空気を読まない声は背後。 屋上の入り口からだ。

 教師……だろうか。 背は低く、凛より幼い。 肌を隠すように包帯を身体中に巻き、だぼついた白衣が何処と無く病人を思わせた。

 しかし表情はほとんどなく、起伏に乏しいそれは、教会で祈りを捧げる修道女のように、一定の表情を保っていた。 その纏っている雰囲気が、ある種の厳粛さと貞淑さを全面に出しており、教師というには、余りに口を憚らせる。

 

「ここで手をこまねいていても仕方ないでしょう。 こちらも暇で暇で、ボイコットでもしてやろうかと画策していたところです。 その迷える子羊を治療してあげましょう」

 

「……あなたは?」

 

「聖堂教会の悪魔祓い(エクソシスト)

 

「!」

 

 思っても見ない答えに、即座にでも懐にあった宝石を握ったのは、褒められるべきか。 そんな凛に、少女は無表情のまま、

 

「ーーーーカレン・オルテンシア。 教会をたらい回しにされて、天職を得た。 ただの修道女です」

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 


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