Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

26 / 59
昼~保健室、海岸/原因究明、その歪みは

ーーinterlude5-3ーー

 

 

「どうやら、あちらは終わったようですね」

 

 平坦で、何処までも私情の余地がない声。 それは直前まで行われていた、戦いの名残を感じさせない、自然体な振る舞いだった。

 対し、美遊は違った。 ボロボロになった魔法少女としての衣装。 露出させられた肌には、青や紫に変色した痣が、四肢のあらゆるところに刻まれている。 肩で息をしながらも、目の前の敵から目を離さないのは、美遊なりの強がりだろう。

 学校の裏手。 丁度屋上の真下にある、空となった教室のベランダ。 そこで、美遊はとある人物と戦っていた。

 相手は女。 鎧のように着込んだスーツは男性用だが、その四肢や肉体は男性の体と比べても遜色ないほど鍛えられている。 刺々しいというより、物々しい女性なのだが、整った小さい顔がまたアンバランスだ。 ちぐはぐな印象が、頭から離れない。

 

「……動かない方が良い。 一応、手加減はしておきましたが、それでも障壁を貫かせてもらいました。 身体へのダメージは蓄積しているハズです」

 

「ぐ……っ」

 

 その通りだった。 脇腹や肋骨の辺りが、内側から風船を膨らませたように、パンパンに腫れ上がっている。 息をするだけで激痛が全身を貫き、体を強張らせる。

 だが美遊は、かろうじて残った力を振り絞り。

 

「……何が、目的なんですか? わたしを足止めして、邪魔して……一体何が……?」

 

「それをあなたが知る必要はありません。 あなたが戦う力を持ったのは……彼は不運と言うでしょうが、こちらとしては幸運でした。 しかし、流石にイリヤスフィールを巻き込むのは論外です」

 

「……イリヤを、巻き込む……? 」

 

「あなただって分かっているでしょう、美遊。 私達(・・・)が抱える問題に、ここの住人まで巻き込んでしまったら、問題は広がるばかりだ。 既に組織ですら解決出来る問題ではないというのに、更に頭の痛い問題が増えてしまったわけですからね」

 

 全く、とブツブツ呟く女性。 一見OLが愚痴を言っているようにも見えなくはないが、その両手はタングステン鋼と同等の強度を誇る、立派な凶器だ。 まともに受ければ、いくらステッキの力があっても、防ぎ切れるモノではない。

 しかし今目の前の女性ーー否、魔術師は、美遊にとって、聞き捨てならないことを言った。

 

「ちょっと、待ってください……あなたは、イリヤを知ってるんですか? イリヤがどういう存在か? イリヤが……」

 

「聖杯だということですか? ええ、知っていますよ。 何せ、今回の発端の一つと言って良い。 この聖杯戦争の発端、それが彼女だ」

 

 たまらず、絶句する。 一体この魔術師は、何を何処まで知っているのか。 いや、そもそもあのとき、自分達の味方をしていたというのに、何故今になってこんなことをするのか。

 疑問は増えるばかりで、何も開示されない。 頭の中は疑問符で埋め尽くされている。 しかし魔術師には、それらを答えるつもりすらなかったらしい。

 

「……最後に言っておきましょう。 この戦い、イリヤスフィールを巻き込むのは止めなさい。 それは、士郎くんを傷つける行為でしかない。 只でさえ不安定な彼が、あちら側のことを知れば、敵になる可能性もあり得るわけですから」

 

「……お兄ちゃんが、敵に……?」

 

 またもや言い渡された言葉の爆弾に、美遊はつい魔術師から目を離してしまう。 その隙に、彼女は逃走を開始した。

 

「では。 その内会うことになると思いますが」

 

「待って……!」

 

 たん、と軽い大地を跳躍する音で、一気にトップスピードで離脱する魔術師。 最早線のようにしか見えなくなったそれへと、美遊はすがるように。

 

「待ってください、バゼットさん(・・・・・・)!!」

 

 答えはない。

 あったのは美遊が何度も味わってきた、底のない不安だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-4ーー

 

 

 小学校の保健室と言えば、物静かな場合が多い。 例えばこれが中高だったら、ボイコットした生徒の溜まり場になったりするケースや、相談役として結果的に人を集めてしまったりするケースなど、比較的騒ぎの種になることも多々ある。

 しかし、今この保健室では、そう言った日常の、表の香りは一切しない。

 一言で言えば、病院。 薬品の鼻を突き抜ける匂いと、無機質な時計の針の音が木霊する。 カチカチと、秒針の刻みが嫌に耳へと入ってくる。

 

「……で?」

 

 そんな中。 遠坂凛は椅子の上で腕と足を組み、問いを投げる。

 

「説明ぐらいはしてくれるんでしょうね。 こちとら問題が山積みなの。 手短に頼みたいんだけど」

 

「あら、随分とせっかちね。 そんなことだからあのステッキに見放されたと分かって、先輩方?」

 

 声は仕切られたカーテンの向こう。 寝せた患者を治療しているのは、カレン・オルテンシアだ。 先輩と、親愛を込めながらも何処か嫌味に聞こえるのは気のせいではないだろう。 凛達からでは見えないが、カレンは確かに笑っていた。

 凛の横で苦々しく、ルヴィアが脛を蹴られたような表情をする。

 

「そこまで掴んでいるとは……カレン、と言いましたか。 悪魔祓い師を名乗っていましたが、本当なのですか?」

 

 悪魔祓い師(エクソシスト)。 教会の司教から代行を許された、式典や秘蹟を以て悪魔を祓う、特別な司祭のことである。

 一般的に悪魔と言えば、蝙蝠のような翼を伸ばし、黒光りする身体を持った、人型の化け物を連想する。 しかし現実の悪魔は、言わば実体のない虚像だ。 結果ではなく、人の苦悩を理解し、それを取り除こうとする架空要素。 それが悪魔の正体なのである。

 架空であるが故、悪魔は人の目には見えない。 憑かれた人間が変貌ーー俗に言う悪魔憑きになり、霊障を抱えられなければ、第三者の目に映らないのだ。

 噛み砕いて言うのなら、不可思議な現象が悪魔に憑かれた人間に起こらない限り、その悪魔の姿は見えない。 悪魔祓い師(エクソシスト)は悪魔を見つけられないのである。

 つまり、悪魔祓い師(エクソシスト)である彼女がここに居るということは、この町に悪魔を見つけたということになる。

 カレンは士郎への治療を続けながら、

 

「わたしは悪魔祓い師であると同時に、修道女ですから。 嘘はつけませんし、つく理由もありません」

 

「本当に? ならどうして、この町に? お分かりだとは思いますが、この町は悪魔が起こした怪奇現象とは無縁です。 それにこの冬木の管理者(セカンドオーナー)は遠坂、つまり協会の管轄。 協会が助力をあおいだのなら話はまた別ですが、そのような話は耳にしていません。 不可侵の条約を結んだ間柄で、このように許可や知らせもなく横行されては困りますわ」

 

 魔術協会と聖堂教会は、根本から掲げる理念や信念が違いすぎる。 長きに渡る対立が元で、不可侵の条約を結びはしたが、水面下では泥沼のままだ。 殺し合いで済めばまだマシ、そういった対立なのだ。

 つまるところ立ち去れと言っているわけだが、カレンはますます嫌そうに(嬉しそうに)

 

「事を急ぐ方々ですね、本当に。 確かに悪魔はこの町には居ません。 何せ反応(・・)がありませんから。 しかし現にわたしは協会からここに派遣されました。 だとすれば、他に理由があると考えるのが妥当でしょう? それともあなた方魔術師が、無邪気に教会の司祭代理であるわたしを信じていましたか?」

 

「……、」

 

「む? どうしました? まさかわたしが、本当に悪魔祓い師(エクソシスト)としてここに来た、と?……それなら、わたしの言葉は気分を害するものね、謝罪しましょう」

 

「……いえ、そういうわけでは」

 

 ただ言葉の端から滲み出る嘲りに、ちょこっとイラついただけ……なんて言おうものなら、倍返しされそうなので、ルヴィアはそれ以上口出ししない。

 話が再開する。

 

「隠し事をしても信用は得られないでしょうし、言っておきましょう。 わたしは教会からこの町に、一ヶ月以上前に現れていたハズの魔術礼装ーークラスカードの回収を見届けるために来ました。 監督役として」

 

 その答えは、凛とルヴィアにも予想出来た。

 クラスカードはあの魔術協会の総本山、時計塔ですら見解が幾重にも分かれるほどの魔術品である。 つまり低く見積もっても、人の手には負えないと言わざるを得ない代物だ。

 そして人の手には負えない魔術品となれば、聖堂教会にも担当の部署がある。

 第八秘蹟会。

 主に、聖杯などの聖遺物(・・・・・・・・・)を管理、回収を任務とする、異端と多く関わる集団だ。

 

(……聖杯のことはバレてない、なんて、甘く見積もりすぎかしら?)

 

(ええ)

 

 あらかじめ互いの宝石を飲み込み、ラインを繋いでおいた二人は、眉一つ動かさず口裏を合わせる。

 

(そもそも、クラスカードの事自体、協会は内密にしていたハズですわ。 事実を知るのは上の、大師父に次いで権力を持つ一部の人間のみ。 だとすれば、情報が漏れたか、あるいは)

 

(誰かが意図的に漏らしたか。 信じがたいけどね)

 

 協会とて一枚岩ではない。 凛やルヴィアがクラスカード回収の任を委ねられたのも、ゼルレッチ卿の計らいがあったからで、そうでなければ時計塔から除外され、笑い者にされたあげく全てをむしり取られていただろう。

 まぁ流石に、魔術協会の問題に、聖堂教会が食い込んでくるとは思わなかったが。

 

「この町を蝕む魔術品、クラスカード。 その回収が為されたかどうかを確認しにきた……っていうこと?」

 

「ええ。 多少、霊脈や空間の歪みなどの跡はありましたが、今のところは問題自体は無い。 それが教会、わたしの見解ですが、異論は?」

 

「ありませんわ。 第一、我々がまだここに止まっているのは、違う任務に任されたからであって、それ以上の理由はない。 クラスカードの一件は既に終了しています。 あとは経過を見るだけで十分でしょう」

 

 ジャッ、とカーテンが開き、カレンが中から出てくる。 これで話は終わりらしい。 どうでも良さげにカレンは次の議題に移る。

 

「さて。 次にそちらの問題ですが」

 

 そう言って目線を送るのは、士郎が寝るベッドの真横。 そこに、魔術的な拘束を受ける少女が、黙って三人を見ていた。

 クロ。 最近起きる全ての問題の主であり、目下凛達の悩みの種である。

 

「カレイドステッキに見限られ、クラスカードの回収に一般人を付き合わせたあげく、公共施設での大規模な魔術戦。 更にはクラスカードによる人の心象を元にした英霊紛いの現界……はてさて、何から手を付ければ良いのやら。 これだけあると目移りしてしまうわ」

 

 猛禽類が嘴で生肉をつばむような、チクチクとした言葉は、凛とルヴィアの神経を逆撫でするが、それはさておき。

 

(……どう考えても、誤魔化しきれないんだけどもう!?)

 

 凛が心の中で悲鳴をあげるのも仕方ない。

 クラスカード回収任務で、一時的に与えられたカレイドステッキ。 それをあろうことか一般人に与え、戦わせた事実もさることながら、回収するべきクラスカードが、クロの身体の中にあるという事実が一番厄介だった。

 何せクラスカードは、あの聖堂教会が直々に動くほどの物品だ。 つまり一級の魔術品であると同時に、管理するためならば魔術協会の者だろうと不慮の事故と称し、秘密裏に処理しようとするだろう。 魔術協会だけなら、凛達の手で誤魔化しが効いたが、流石に教会の人間までは誤魔化しきれない。 見たところ、カレンは魔術師ではないようなので、いざというときは暗示でもかけるしかないが……。

 

(……もし報告した際に、違和感でも嗅ぎ付けられたら……)

 

(完璧に睨まれるでしょうね。 モノがモノですし、代行者が派遣されるかもしれません)

 

 どう動こうにも、結局はカレン次第なことに変わりはない。 ここは下手に口を滑らすより、一気に切り込んだ方が良いのか、それとも曖昧に答えるだけに留めるか。

 と、カレンは口の端に微笑をよぎらせる。

 

「何を勘違いしているのか知りませんが。 そんなに心配せずとも、わたしは別にこれを教会へ報告しようとは思っていません。 ご安心を」

 

「「……は?」」

 

 たまらずすっとんきょうな声をあげる二人。 それもそうだ、これほどの爆弾を抱えた二人のことを、カレンはあくまで見逃すと言ったのだから。

 

「ど、どうして……? あなた、教会から監督役を任されたわけでしょ? ならこんなの、簡単な仕事じゃない。 報告して代行者でも引っ張ってくれば」

 

「どうしてその必要が? わたしはあくまで代理、本来は修道女に過ぎません。 ですがそれは逆に言えば、未熟なわたしが発見出来なかったなら仕方のないもの。 この町に異常があったとしても、それはあくまで預かり知らぬところで起こったことですから」

 

「そ、そんな文言が教会で通じますの? 修道女だからこそ、命令に従わねば審問にかけられることだってあり得る気がしますが」

 

「それはまた心外ね。 魔女狩りと勘違いしているのかしら? わたしは教会を信仰しているわけではありません。 それに命令に背いているのではなく、ただ失敗しただけ。 ほら、何ら問題はないでしょう? もし知っていたとしても、それを報告するかしないかはわたし。 異常無しと思うのなら、それだけよ」

 

 頭を抱えたくなるような気分だった。

 カレンが教会に報告しないというのなら、これほどありがたいことはない。 ただ、これからどう動くのか、いつ裏切るのか分からないカレンへ、大きな借りを作ってしまうのは、凛達にとって出来れば避けたい。 というか物凄い厄介事の匂いがするのだ。

 対し、カレンは士郎が眠るベッドの縁に腰かけ、不思議そうに首を傾げる。

 

「頭が固い先輩達ね。 わたしはただのカナリア、傍観者でしかないのよ。 正直に言って、あなた達のことはどうでも良いの。 今回の騒動の中で、何事もなく終われるならそれで良い。 聖杯だの英霊だの、知ったことではありませんし」

 

「……アンタ、それ意味が分かってて言ってるんでしょうね?」

 

「勿論。 少なくとも、わたしはそれを見てきましたから。 あなた方よりも前から、ずっと」

 

 それは脅しに近い宣告だった。 聖杯、英霊。 その言葉が出てきたということは、間違いなくカレンは聖杯戦争のことも知っているのだ。 それを教会に報告すれば、今度こそ代行者が行列でも作ってこの町にやってくる。

 と、ここまで仏頂面だったクロが、口を開いた。

 

「……ねぇ、一つ良いかしら」

 

「まだ何か?」

 

「……これだけはハッキリさせたいんだけど。 あなたの目的は何? 聖杯も興味がない、かと言ってクラスカードのこともどうでも良い。 だったら、あなたは何を求めてここに来たの?」

 

 それは凛やルヴィアも聞きたいことだった。 終始カレンのペースだった為、忘れるところだったが、クロの図太さに救われた。

 三人の視線がカレンに集中する。 嫌でも緊張感が高まり、いつ戦闘が始まっても可笑しくない、誰もがそう思い。

 それらをそよ風のように受け流し、カレンは艶やかに笑みを溢す。

 

「そんなの決まっています。 わたしの目的は、ここで惰眠を貪ってる彼ですから」

 

「……まさか」

 

 そのとき。 三人は本当の悪魔とは、こんなにも清々しく言える人物だと思い知った。

 口角を吊り上げ、カレンは。

 

「衛宮士郎。 息災も無さそうで何より。 首輪は嵌まっているようですし、思ったより大丈夫そうですね。 最も色々と面倒ではありますが」

 

 周りを見て、言う。

 

「特にクロと言ったかしら。 程度で見れば、あなたが一番命の危機に瀕しているのは、わたしの見当違いかしら?」

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 頭が割れるような痛みで、やっと目が覚めたことに気付いた。

 

「……ぅ、……」

 

 視界が上手く確保出来ない。 世界が何重にも分かれ、その情報量に吐き気すら催す。 加えてこの頭痛だ。 空気を吸うと、身体の節々が息を吹き返したように熱くなる。

 まるで骨が、全部溶岩に変わったかのようだ。 異常なまでの熱さと痛みで、まともに起き上がれそうもなかった。

 

「……ここ、は……?」

 

 視覚が使い物にならないが、何とか場所を特定しようと目を凝らす。 片目をすがめ、逆側の目に左手を当てたところで、気付いた。

 包帯。 丁寧な処置だ。 傷を必要以上に圧迫しないように巻かれたそれは、病院のそれと変わらない。

 それで、何があったかを思い出そうとした。

 だが。

 ピシピシ、と何かに亀裂が走る。 それは薄氷が割れる音にも似ていた。

……思い出したくないわけではない。 むしろ思い出したい。 自分が何か、とんでもないことをやってしまったことだけは覚えている。 だから何かしないといけない、そんな焦燥すらある。

 しかし、思い出せない。

 どんなに思い出そうとしても、肝心の記憶が無い。

 鮮やかな色彩の記憶が、所々侵食されるように、砂嵐に消えていた。

 

「……なる、ほど」

 

 最早呻きに近い声。 そんな状態で喉を震わせながら、左手を動かす。

 押さえていた左腕の、手の平。 そこには、真っ白の包帯でも隠しきれないほど、大きな痣があった。

 浅黒く変色した、痣のような肌。 アーチャーと同じ、磨耗した肌。 それで、合点がいった。

 

「…………つかった、のか」

 

 この世界のエミヤシロウの魔術回路。 自分はそれを使い、消耗し切って倒れたのだろう。 とにかく必死だったことだけは覚えていたが、どうしてそんなことになったのか。

……思い出す。 記憶が無くなっているのも怖いが、何よりそのまま時間が過ぎるのが怖い。 一つでも、何か思い出さなければならないと強く心が言っている。

 手帳の切れ端のような記憶。 しかしそれでも、断片だけなら残っていた。 涙を流して、自分を怒鳴り付けた誰か。 顔なんて口だけしか見えないが、それでも誰か分かった。 そして自分へ、こう言ったのだ。

……大嫌いと。 イリヤはそう言ってーー。

 

「……!」

 

 それを見て、馬鹿みたいに寝ていることがもう我慢ならなかった。

 ぐるん、とあらん限りの力をもって、身体をベッドから転がす。 頭と腰を床に打ち付けたが、それより心の方が何倍も痛くて、そしてそんな痛みで止まろうとすることすら許せなかった。

 

「!? 、っ、 !?」

 

 立ち上がろうとして、腕に力が入らないことに気付く。 膝も笑ってしまっていて、その場でじたばたとしていた。 これでは立ち上がれないが、這っていけば何とかなる。 そんなことを考えることより、進む方がずっと有意義だ。

 何かに引っ掛かりそうになる度、その悉くを身体を捩り、ひたすら前に進む。 身体中、蜂に刺されたようにパンパンに膨らんでしまったのか、不思議な感覚のまま突き進む。

 

「、!?」

 

「 、!」

 

 雑音がうるさい。 耳が破裂しそうなぐらい、何かの音を取り入れている。 耳元で何度も絶叫を聞いているようで、鼓膜が使い物にならない。 ミシミシと眼窩で、蛇がのたうち回るかのごとく、嫌な蠢動が幾度もあった。

 第二魔法の副作用が何なのか、よく分からない。 それでも、これが自分の命を削り取る何かだと直感する。 出来てしまうだけの痛みと喪失感がある。

 だが、イリヤが泣いていたのだ。

 じっとしていられるわけがない。

 自分に起こる全てをひっくるめたとしても、それに比べたらどうだって良い。

 今ここで消えてしまっても良いから、自分はイリヤの元へと駆けつけなくてはならない。 離れてしまう前に、その手を掴まなくてはならない。 全てが終わってからでも、何もかもが手遅れになってからでも、それでも駆けつけなくてはならない。

 だから。

 お願いだから。

 

「お兄ちゃん!!」

 

 その声で、現実に引き戻された。

 

「……あ、……?」

 

 白昼夢から切り離される。 つんのめった身体はバランスを取れずに投げ出され、額を荒く打ち付ける。

 

「……い、た……」

 

 幾分遅れて痛みに呻きながら、左手を支えに起き上がろうとする。 しかしあれだけ無理矢理動いていた身体は、もう一ミリだって動かない。 身体が重い。 鉛の重りを四肢につけられても、もう少し動けるだろう。

 いいや、違う。 動けなかったのはさっきも同じ。 それでも動こうとした何かが、今は自分の中にないだけだ。

 と。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 背後から、少し大人びた声。 身体は動かせないが、その声で誰かはーー、。

 

「づ、……ぁ、……」

 

 予兆は何もなかった。 ただ思い出そうとしただけで、ザザザッ、ザザッという、不快な音で脳裏の全てが流されてしまう。 砂で作り上げた城を、高波が呑み込んでしまうように。

 やっと思い出す/覚えがない一人の少女の姿を噛み締め、声に出した。

 

「……クロ」

 

「……馬鹿っ!!」

 

 クロが何かしたのか、ぐるん、と半回転して仰向けになる。 目を凝らすとようやくここが何処なのかぐらいは分かった。

 場所は初等部の保健室。 どうやら自分はそのベッドから落ちて/降りて、ドタバタしていたようだ。 Yシャツに埃がまとわりついてしまっている。

 そしてクロは、そんな自分の胸元で、身体のあちこちをべたべた触っていた。

 

「ほ、ホントに大丈夫? いきなりベッドから落ちて暴れだすからとうとう可笑しくなったのかと思ったけど……平気なの?」

 

「……とりあえず、お前がさほど心配してなさそうなのが分かるぞ」

 

 平気ではないと思うがーーここは混同しないで良いか。 安心して息を吐くクロに、何だか申し訳なくなったときだった。

 

「変態確保」

 

「は?」

 

 嫌に平坦な、それでいて聞き覚えのある声に、疑問が先に来てしまった。

 瞬間、視界に入り込む赤。 その赤に本能的な恐怖が生み出されたときには、頭をがっちりと掴まれ、カツオよろしく一本釣りされていた。

 どしゃあ!、と盛大に床に叩きつけられる。 何故か抱きついていたクロの体重も加算され、臀部にビリビリと痺れるような痛みが伝わる。

 この容赦のなさ。 そして赤い布ーーいや、聖骸布。 それをこんな形で私用する者は、記憶の中では一人しか居ない。

 

「……あらまぁ。 幼女から引き離そうとしたのに、抱き抱えたまま釣られるなんて。 その上痛みで歓喜に震える辺り、もし変態度数があったら言い訳は出来ませんね、衛宮士郎」

 

「……」

 

 カレン・オルテンシア。

 この世で最もシスターらしく、シスターらしくない彼女が、俺の目の前に居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-4ーー

 

 

 逃げるという行為が、こんなにも辛いと感じたのは、いつぶりだろうか。

 イリヤは空を飛びながら、必死に逃げる。 クロから、世界から、兄から、自分から。 自分が知るモノ全てから逃げ続ける。 誰かが追ってくるわけではない。 ただ沸き上がる不安と、悲嘆と、自己嫌悪から逃れたくて、そんな自分が浅ましくて、その翼を広げる。

 

(……どうしてあんなこと言っちゃったんだろ……)

 

 その煩悶を何度も繰り返したか。

 自分は確かに、強い弱いで言えば、弱い人間だった。 怖いものは沢山あって、何かを貫き通すような信念だってない。 そんなこと考えたこともないから、当然と言えば当然かもしれない。

 だけどもう、イリヤは変わった。

 力を得て、守るべきモノを見つけた。 一度は挫折しかけたが、それでも最後には筋を通した。 未熟ではあっても、目に見える変化はあったハズだった。 それだけの戦いを切り抜けた。

 でも、それは幻想だと思い知らされてしまった。 自分は何も変わってない、変わった気で居ただけ。 交わした約束を守ることが出来ず、己の手で壊した。

 兄の側にいたい。

 兄に自分を見てほしい。

……始まりは親愛だったというのに、どうして、最後に憎しみへ変化したのか。 一瞬でも反転してしまったのか、イリヤには分からなかった。

 だから思ったのだ。

 自分が兄のことを慕っているのに、理解出来ないのは。

 きっと本当の意味で、彼と向き合っていたのではなく。 理解しようとも思わずに、自分勝手な家族像を押し付けてしまっただけなのだと。

 だからすれ違った。 一方通行のまま、交差して過ぎる。

 

「……っ」

 

 奥歯を噛み締める。 感情の余り、ステッキを振り回したくなる。

 いつからだろう。

 いつから、自分は兄とすれ違ってしまったのだろう。

 魔術の世界に入ってしまったから? 兄の歪みを見たから? クロが現れたから?

 他人のせいにしてみても、スッキリしないのは、自分にも責任があると感じているからだ。

 ならば、逃げられるわけがなかったのだ。

 例えどんな翼があっても、心という鎖に繋がれた人は、飛ぶことが出来ても逃げることは出来ない。 何度も逃げたイリヤにだって、それぐらいは分かっている。

 それでも逃げるのは、鎖に縛られながら翼を動かすのは、ただの感情ではないから。

 士郎は大切な家族。 そう思う度に、心に異変があったのは、きっとそれ以上に。

 

「イリヤ、待って!!」

 

 身体が強張る。 弾かれたように後方を見ると、いつの間にか美遊が数メートルほど後ろを跳んでいた。

 

「み、ミユ……!?」

 

 どうして。 そう口に出すより前に、下手人に思い当たる。 イリヤが握るステッキ、ルビー。 先程からだんまりの彼女が、姉妹機であるサファイアへ、この場所を伝えていたのだろう。

……余計なことを。 そう毒づきながらも、更にスピードを上げる。

 

「イリヤ! お願いだから一旦落ち着いて、話し合おう!!」

 

「……、」

 

「あなたが一人で抱え込むことなんてない!! 友達なら、こういうときこそ頼ってほしい、だから……!!」

 

 喉が張り裂けんばかりの声で、何度も訴えかける美遊。 その真っ直ぐな、いや真っ直ぐすぎる想いが今のイリヤには受け入れがたい。 いつもならその優しさに救われるかもしれないだけに。

 逃げる。

 追いかけられる。

 逃げる。

 追いかけられる。

……逃げても、逃げても。 美遊は追いすがり、イリヤから目を離さない。

 

「……どうして……?」

 いつしか。 イリヤは海岸が近くにある林で、立ち尽くしていた。 地上に降り立ち、一人打ちひしがれていた。

 自問自答を繰り返したところで、何も変わらない。 だがそうせずにはいられない。 逃げる足を止めてでも。

 美遊が追い付く。 だがあと友達まで数メートルというところで、その足が止まる。 今近づいても、きっとイリヤのためにはならないと、美遊自身感じ取ったからだ。

 

「……どうして、ミユはそんな風にわたしを気にかけてくれるの? わたし、お兄ちゃんに酷いことしたよ。 ミユの大切な人に」

 

「……友達を心配するのに、理由なんか要らない。 違う?」

 

「違わない。 違わないけど……今、そういうのは受け止められない。 自分でいっぱいいいっぱいで、どうして良いか分からないから……だから」

 

 エンジンのように回る感情は、既に抑えが効かなかった。 ふとしたことでまた走り出してしまいそうな足を、どうにか繋ぎ止める。

 さざ波が、鬱屈した思いを溶かすように響く。 日差しはまだ高く、風で青い葉が擦れる中で、重々しく、イリヤは口を開いた。

 

「……なんで、こうなのかな」

 

 訥々と。 色々なものに板挟みにされた本音が、言葉となる。

 

「わたし、クロを殺すつもりなんてなかった……ただお兄ちゃんを取り返したくて、奪われたままでいるのが嫌で、その場所に戻りたかった。 ただそれだけなのに……どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」

 

「……」

 

「……大嫌いなんて、そんなこと思ったことなんて、一度もないのに……どうして、そんなこと言っちゃったんだろ、わたし……!!」

 

 自分がどれだけ酷いことをしたか、そんなことは兄の顔を見たなら一目瞭然だ。

 まるで生きてる意味を否定されてしまったような、絶望した顔。 その顔を見た瞬間、あらゆる意味で後悔した。

……結局、自分は変わってなどいなくて。

 あの人の妹に、ふさわしくないのだと、確信した。

 

「本当は分かってる。 お兄ちゃんは、わたしを見捨てるような人じゃないって。 どんなことがあっても、助けに来てくれるような人だって。 でも、でもね。 どうしたって、今のわたしには信じられないよ……」

 

「……イリヤ」

 

「だって……だってお兄ちゃんが、あのときイリヤって呼んだのは……!!」

 

 口をつぐむ。 自分を全く見ていなかった兄の顔を、また思い出したからだ。 機械的に、自分を問い詰めたことも。

 でも、堪えきれなかった。

 夢ならば良かったのにと。

 そう思いながら、事実を告げる。

 

「わたしじゃなくて、クロなんだもん……!!」

 

 もうダメだった。

 それ以上先なんて何処にも無くて、無情な現実だけが広がっていて、それにイリヤは叩きのめされた。

 嗚咽だけが漏れる。

 切り開かれた傷からだくだくと血が流れるように、継続して水滴が頬を伝う。

 

「……」

 

 美遊は何も言わなかった。 言葉を失っていたのかもしれない。 イリヤからすれば、重大な理由だが、美遊からすれば違って見えるだろうから。

 どれだけそうしていただろう。

 やがて、美遊が言った。

 

「……きっと。 こんなこと言っても、イリヤは怒るだけなのかもしれないけど」

 

 イリヤから目を逸らさずに。 一人の友人として。

 

「わたしにも、分かる気がするんだ。 その気持ち」

 

「……え?」

 

 思わず、目を疑った。 あの美遊がそんなことを言うだなんて、思ってもみなかったからだ。 目元の涙も拭わず、振り返ろうとして、体に軽い衝撃が走った。

 なんだ、と首を回そうとして、背中から手が伸びる。 美遊が後ろから、抱きついていた。

 

「……わたし、海外に居たって話はしたよね? わたしにも兄が居て、士郎さんに似てるって」

 

「……うん」

 

「だから時々、思うんだ。 イリヤって、妹に対してそう呼んでる、あの人の顔はーーわたしには本当の意味で向けられてないな、って」

 

 首から回された手が、イリヤの目尻に残った涙を拭う。 視線を交わすと、美遊は苦笑していた。

 

「……勿論それが当たり前なことは分かってる。 士郎さんと、わたしのお兄ちゃんは違うってことは。 でも二人の横顔は、凄く似てるから。 とてもとても、よく似てるから。 だからその顔が自分に向けられないことが、今でも苦しくなるときがある」

 

「……、」

 

「でもね、イリヤ。 あの人はきっと、イリヤを裏切ったりしないよ」

 

 優しい声音は、哀愁に満ちていた。 美遊がどんな体験をしたのかは知らない。 けれどその言葉には、きっとどんな美辞麗句よりも、重みがある。

 

「時には間違えて、イリヤを苦しめるときもあるのかもしれない。 時にはすれ違って、イリヤを寂しくさせるかもしれない。 けれど大丈夫。 絶対に、絶対にイリヤのことは裏切らない」

 

「……どうしてそんなことが言えるのよ……」

 

 そしてその言葉は、重みがあるから故に、何もかもを破ってイリヤに突き刺さる。 その根本まで、入り込んでいく。

 

「……わたしは、わたし(クロ)に全部奪われた。 それでもお兄ちゃんは、クロしか心配しなかった。 わたしのことなんかちっとも。 それって裏切りじゃないの? 裏切りじゃなかったら何なの!?」

 

「イリヤだって、本当は分かってるハズ。 どうして士郎さんが、お兄ちゃんがそんな行動を取ったのか」

 

「わたしに分からないのに、他人のミユに分かるわけがないっ!!」

 

 髪を振り乱し、首を振って否定するイリヤ。 しかし怒鳴られても、美遊は変わることなく、優しい口調で語る。

 

「……あの人は、真っ直ぐすぎる」

 

「……っ」

 

「だから、二人が苦しんでたら、その苦しさがより見えてる方を助けようとする。 例えそれが身内であろうとなかろうと、関係なく。 彼にとって、きっとクロとイリヤに優劣はないんだと思う。 同じ家族だからじゃない、同じ人間だからーーきっと、平等に助けただけ」

 

……不公平な話だ。

 十年も共に過ごした自分がアレと同列だなんて、どう考えたって間違ってる。

 

「分かってあげてほしいとは言わない。 でも、頭ごなしに否定するのも可笑しいと、わたしは思う。 今回の件は、みんなに責任があった。 士郎さんも、クロも、イリヤも……そしてわたし達にも」

 

「……それは」

 

 思い当たることが、無かったわけではない。

 この二週間、ろくに話そうともしなかった。 兄は何度も話しかけようとしたのに、自分はそれを突っぱねたし。 クロ(アレ)に関しても、イリヤは否定するばかりだったからだ。

 誰が一番悪かったかと言えば、クロを除けば間違いなく兄だ。

 でも同時に、一番状況をどうにかしようとしていたのもまた兄だった。

 

「……クロのことは、わたしにも思うところがある。 でも、それとこれとは別の話。 今はまず、士郎さんと、お兄ちゃんと話すのが先決」

 

「……、」

 

 未だ頭の中はぐちゃぐちゃで、何をするべきかなんて一向に思い付かない。

 でも、だからこそ話すべきだという美遊の意見は正しいと、素直に賛同した。 前のように無邪気に笑えなくなっても、そこから何十年かかっても凝りが取れなかったとしても、それでも話すべきことはあるのだ。

 美遊の手を取り、体を回転させる。 向き合う形になり、イリヤは友達の手をしっかりとつかんだ。

 

「……ありがとう、ミユ。 ごめんね、酷いこと言ったりして。 わたし、ヤな人だよね」

 

「……イリヤの反応は当たり前。 だから、恥じることはない」

 

「あー……そう言われると、何か余計自分の未熟さに嫌気が差すけど。 でも、ミユのおかげで、落ち着いた。 ありがとう」

 

 そう言って、笑ってみる。 果たして上手く笑えているのかも確認することは出来ないが、それでも、笑えたことがイリヤの中で渦巻く感情を沈静化させるような気がした。

……そのときだった。

 

 

「ーーーーふむ。 これはまた可憐な光景だ。 美しい蝶が二匹舞うだけで、殺風景な林が幻想的に見えるとは」

 

 楽しげな男の声が耳に入った刹那、濃密な魔力が場の空気を塗り替えられた。 異界とまでは行かずとも、空気が淀み、霊脈が活性化して更に息苦しい空間へと変わっていく。

 この感覚を二人は知っている。

 だが、何故。

 何故もう回収したハズのクラスカードの魔力が、ここで感じ取れるのだーー!?

 

「!」

 

 やはり先に動いたのは、美遊だった。 右手の杖を魔力で閃かせ、青い魔力弾を声の出所へ放つ。 放った場所は左斜め前の樹木の枝。 丁度人が乗れそうな太さのそれは、魔力弾で中頃から折られ。

 そして、一人の男が地面に着地した。

 

「……ひっ……!」

 

 その姿をみたイリヤが、悲鳴をあげる。

 それは、平たく言えば落武者だった。 濃淡な和服は見るも無惨なモノで、さながら山賊が纏うボロ切れ。 髪は同じく青に近い紺で長く、腰まであるが、こちらも同様に乱れきっていた。

 しかしその顔つきだけは、優男のように端麗だ。 眼光こそ炯々としているものの、柔和な印象すらある。

 

「童子を相手に切り合うのは、私の望むところではないが……まぁ、直令とあれば仕方あるまい」

 

「……あなたは誰だ」

 

「私か?」

 

 ニヤリ、と笑う男。 イリヤが悲鳴をあげたのはその容姿や、気配ではない。 彼が持つ刀を目にしたからだ。

 イリヤ達の身の丈ほどもあるかという、規格外の長刀。 鍔はないそれは、刃こぼれや血糊がこれでもかとあり、潜り抜けた修羅場の数を思い起こさせる。

 

「……サーヴァント・アサシン。 佐々木小次郎」

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。