Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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深夜~黒の記憶Ⅳ/Re:Answer

ーーinterlude6-3ーー

 

 

 走る。あの人が何処に居るか分からないから、ひたすらに走る。

 エーデルフェルト邸の廊下。本来なら走ってはいけないそこで、イリヤは全力疾走していた。

 士郎と仲直りするため。そのために走るイリヤだが、時折壁に手をついて膝をつく姿は、万全とは言いがたい。顔色も悪く、ただ歩くだけでも辛そうだ。

 学校、そして海岸での戦いから既に数時間は経つが、未だにその傷跡は深い。何せ宝具の激突のみならず、直撃だけでも二回はあったのだ。その内一回である燕返しは、臓器を傷つけたらしく、ルビーによる治療も中々進まなかったのだとか。

 いくら治療促進があるとはいえ、イリヤは小学生だ。そんな傷だらけの体を引きずれば、途中で倒れてしまう。

 それでも走るのは、きっと理屈なんかじゃないから。

 

ーー それで? あなたはどうするの?

 

 深夜。目覚めて、イリヤは士郎へどう謝るか、そして何を話せば良いか頭を悩ませていた。

 何もかも分からない。だから兄のことを知りたい。そういう気持ちがあるのだが、イリヤとしては兄とあんな別れ方をしてしまったせいで、どんな顔をして会えば良いのか全く想像がつかないのだ。

 酷いことを山程言ってしまった。謝って済むことではない。どうあれ、彼が自分のことを大切にしてくれていたことには間違いはないのだ。そんな兄へ、あろうことか大嫌いなどとよく言えたなぁ、と後悔してしまう。

 我田引水、軽挙盲動。言葉は尽きないが、それらを棚にあげてでも、今は走らないといけない。

 そんなときだった。

 

ーー衛宮くんの生き方が気に入らない。 自分と一緒に居てほしい。 まぁ大方こんなとこでしょ?

 

 いきなり凛はそう言って、自分の心の中をぶち当ててきた。デリカシーだのなんだのを気にしない、彼女らしい舌鋒だ。口ごもっている間に、凛はさっさと話を進めてしまう。

 

ーーで、アンタはなんで衛宮くんのところに行かないの? 怖い?

 

ーー……わかんないよ。正義の味方とか、よくわかんないよ。 人の数で良いとか悪いとか、勉強したことも、考えたこともないから。

 

 触りだけならルビーから話を聞いたのだが、イリヤにとっては完全に未知な事柄だ。何せ正義の味方。アニメでだって今時聞かない、非現実的な夢だ。

 自分に理解出来るだろうか。話を聞くと決めたものの、自分はちゃんとそれを呑み込めるか。不安で仕方ない。また子供じみた癇癪を起こして、逃げてしまわないかと。

 しかし。

 

ーー別に良いんじゃない、分からなくたって。

 

 凛は語る。あくまで今だけは、魔術師としてではなく。ただ歳の離れた、姉貴分として。

 

ーー十人が十人、納得出来る理由なんて何処にもない。 例えそれが、当たり前のことでもね。 もし十人が十人納得しても、それは理由を考えた人が、その十人のために用意した理由であって、考えた本人が心の底から納得出来ているかは別なのよ。

 

ーー……。

 

ーー衛宮くんは、そういうタイプね。 みんな救わなきゃって思ってて、自分に執着がない。 だから魔術で人を救うなんて馬鹿げた真似が出来る。 けどそれを行う方法とか、切り捨てるモノが間違ってしまったりしても……きっと、根底にあるモノは、そんなに歪んでなかったハズでしょう?

 

 誰かを助けたい。誰かに生きててほしい。イリヤだってニュースでそうした悲劇をみれば、当たり前のように抱いていた感情だ。士郎はそれが、人に比べてもけた違いに強いのだ。たった一人でも、許せなくなってしまうに違いない。

 でも、そう考えると余計に思ってしまう。

 どうしてあのとき、助けてくれなかったのか。殺意に溺れかけた自分を、優しく受け止めてくれなかったのだろう。

 優先順位。命の危機。そんなモノすら気にしないで真っ先に助ける相手。それが家族なんじゃないのかと。

 

ーーわたしはね。

 

 と。そんなイリヤの考えを遮るように。凛は腰に手を当てて、

 

ーー衛宮くんの生き方って、無駄ばっかりで、寄り道ばかりして、真っ直ぐ歩いていくことすら辛いんだと思う。 だからわたしには真似出来ないし、真似なんてしたくないなーってなっちゃうわ。

 

 でも。魔術師は眩しい夕日を見るように、

 

ーーそんな生き方しかしたくない人も居るのよ。 多分どん底に落ちて、全てを失っても、それでも曲げられないくらいに、その生き方しか自分が許せない。

 

ーー……そんなの、勝手すぎるよ。 こっちの気も知らないで。 わたしは、そんな夢のためにお兄ちゃんが傷つくのも、悩むところも見たくない。 他人のためにじゃない、せめて自分のことで傷ついてほしいのに。

 

ーーそうね。 我が儘で、後には残らない人生。 周りなんてお構い無し、走って、転んで、這いずり回って。 見てるこっちがハラハラしてるのなんて知らんぷり。 ったく、ホントに自己完結しちゃってるのが始末に終えないけど。

 

 微笑を口の端に過らせ、凛は胸を張って言った。

 

ーーでも、アンタの中じゃ、もう答えなんてとっくに出てるんでしょ?

 

ーー……。

 

ーーだったら走りなさい。走って、ふん掴まえて、あのトーヘンボクに言ってやりなさい。それが出来るのは、この世界でアンタだけなのよ、イリヤ。

 

 だから走った。背中を蹴り飛ばされるような、荒々しいモノではあったけれど。

 ぜぇぜぇと何回も息を吐く。横っ腹がじーんと痛いものの、腸をぶちまけそうになったときほどではないと考えてしまうのは、気の迷いだと思いたい。

 と、

 

「……い、イリヤ? なんでそんなぜぇぜぇ息を切らしてるんだ?」

 

 不意の声に、肩が跳ねそうだった。飛び上がるように顔をあげると、目の前に兄、衛宮士郎が困惑の色を隠さずに立っていた。

 深夜にも関わらず、士郎の目に疲労の色はあまりない。とはいえ緊張しているようで、あちらこちらへ視線が泳いでいる。

 イリヤは口を開いたものの、やはり言葉は出ない。まるで想いが喉でつっかえたように。

 

「……とりあえず、ちょっと風にでもあたろう。話はそれからで良いだろ?」

 

 こういうとき、気が利く人ってポイント高いなぁ、と思ってしまう自分は、色んな意味で大丈夫だと悟ったイリヤだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまで、色んなことがあった。

 夢を引き継いで、鍛え、殺し合い、後悔して、それでもと前に進んできた。

 でも今からすることは、きっとそんなこれまでと比べても、一番難しいことなんだと、心の中で感じていた。

 屋敷のテラス。二人して手摺に寄りかかって、俺達は月を眺めていた。

 別に気取ってこんな場所を選んだわけじゃない。でも、出来る限り全てを話すのなら、月と星が見える場所が良かった。誓いを立てたときのことを、鮮明に思い出せるから。

 

「……昼間は悪かったな。酷いことして、助けにもいけなくて」

 

「う、ううん。酷いことしたのはこっちだし、お兄ちゃんも怪我してたし、それに連絡だって出来なかったから、来れないのも当然だよ」

 

 一見普通の会話。でも僅かにぎくしゃくとした、小さな乱れがある。今ならそれを感じ取れる。

 この世界に来てから、ずっとそうだったのだろう。微かな違和感は世界という絶対的な壁で出来たモノだ。決して、自分などに越えられるモノではない。

 でも、越えられなくても、壁の外からでも出来ることはある。

 こんな風に。声は届く。

 

「イリヤ」

 

「……うん」

 

「今から話すことを、お前は信じられないかもしれない。だけど話さなきゃいけない。分かってもらいたいんじゃない、知ってもらいたいんだ。俺が、どんな奴かを」

 

 手摺から手を離す。浅く、空気を取り入れて。

 

「俺はさ、イリヤ。正義の味方になりたいんだ」

 

 そうして話した。

 自分のことを。魔術使いにして、正義の味方へとなる衛宮士郎のことを。自分が拾われた経緯、正義の味方とは、夢を志した理由など。とにかく話した。

 無論話せないこともある。俺がこの世界の人間ではないこと、聖杯戦争に参加していたこと。その二つはこの世界の衛宮士郎のことを鑑みても矛盾してしまうし、何よりイリヤに伝えられない。絶対に。

 穴のある話なのだが、イリヤは何も口を挟まなかった。ただ耳を傾けて、相槌こそ返してくれたものの、嫌悪感を露にするでもなく、かといって好意的に受け取っているわけでもない。

 それだけ、俺の話は彼女にとって難しいのだろう。きっと。しかしその煩悶の末に、イリヤは答えてくれる。

 

「……全部は、話してないよね?」

 

「……」

 

「答えて、くれないんだ」

 

……目を伏せて頷く。そっか、とイリヤは寂寥感を露に視線を逸らした。

 それも仕方ない。イリヤにとっては未だ疑問の残る話だったハズだ。どうして今まで黙っていたのか、黙っていたとして、誰に魔術を師事していたのか。疑問は尽きない。

 だが、それも今はそんなことを論じていない。

 

「……正義の味方、かぁ」

 

 さながらテストで納得出来ない答えを見たときのように、眉根を寄せるイリヤ。

 

「つまりお兄ちゃんは、その正義の味方になって、みんなを助けたいんだよね?」

 

「んー……別に、みんなを助けたいって思ってるわけじゃないぞ? 全員は助けられないし」

 

「え? なんで? 正義の味方でしょ、助けてあげないの?」

 

 む。そう言われると少し誤解されてしまうような。

 

「違うぞイリヤ。助けてあげないんじゃない、助けられないんだ」

 

「……?」

 

「例えばだけど、目の前に川があって、そこに十人溺れている人が居るとする。イリヤはその人達みんなを救えると思うか? 一人残らず、誰も犠牲にせずに」

 

「……」

 

 衛宮士郎が志すモノは、平たく言えばそういうことだ。無理難題、絶望的なまでの隔たり。そういうモノが四方八方にあって、容赦なく誰かを踏み潰していく。

 

「全員を救おうとして多くのモノを失ってしまえば、それは最善じゃない。もしも最善を尽くすのなら、一人でも多くを救うなら、最初から一人を犠牲にしてでも、残りの九人を救う方がよっぽど悲しむ人間が少なくて済む」

 

「……そんなの、妥協だよ。全員を助けられるなら、助けた方が良いに決まってる。そうでしょ?」

 

 そうだ。でも知っている。現実は常に残酷で、卑劣で、横暴で、救いがなさすぎる。

 

「じゃあその規模が増えたら、どうする?」

 

「え……」

 

「百人、千人、一万人。自分一人どころかみんなで助けようとしても手が届かないぐらい、大きな災害が起きたら。誰一人犠牲を出さずにみんなを救うことなんて、出来っこない」

 

「そんな……! そ、そんなのお兄ちゃんの決めつけだよ!」

 

「かもな」

 

 認める。認めるが……いかんせん、それを認めていたとしても、抗えない猛威があるのだ。

 

「でも、それでも人は弱い。十年前、大火災で俺が親父に救われたときが良い例さ。一人じゃ何も出来なくて、ただ死ぬだけだった俺を、親父は助けてくれた。俺にとって正義の味方だった親父ですら、俺しか助けられなかったんだ」

 

 思い出す。あの慟哭を。

 

「泣いてたよ、切嗣。俺だけでも救えて良かったって。炎に焼かれて瀕死になった子供の手を取って、ありがとうって。そう言って泣いてた」

 

「お父さんが……」

 

「そんな場所で救われた俺だから、分かるんだ。みんな誰一人欠けずに救うことなんて、出来やしない。出来やしないさ」

 

 普段ならこんなこと、言ったりしない。ナイーブになっているのを自覚するが、かといってそれを隠そうとは思ってなかった。

 心の中では分かっていた。救えない、助けられない、守れない。そんな場面ばかりを見てきた。だから身に染みている。全てを救うことなんて出来ない。そんなことは神ですら不可能だ。

 

「……じゃあなんで」

 

 イリヤが言う。小さな拳を握り、訴える。

 

「じゃあ、なんで正義の味方になろうとするの? 人を助けたいのに、死んでいく人ばかり見て、お兄ちゃんは辛くないの?」

 

「っ」

 

……それは。

 

「みんなを助けられない。でも助けたい。違うでしょ? ホントはみんな助けたいけど、助けられないから、泣きながら見捨てるしかないんじゃないの? 助けられなかったのは自分のせいだって、また自分を責めてるんじゃないの?」

 

 何も知らないイリヤの言葉が、俺の心を抉る。知らないだけに、初めて感じた痛みを、願いを、イリヤの想いが沈んだ心の底から錨のように引き上げる。

 

「お父さんの夢を継いで、お父さんが出来なかったことをしたいってお兄ちゃんは言った。それってつまり、みんなを助けたいってことなんでしょ。九人じゃなくて、十人助けたいって、そう言ってるんでしょ。だったらダメだよ! お父さんの真似(・・)したって、それじゃあ変わらないよ!」

 

「ま、真似なんかじゃ……ただ俺は、知ってるんだ。どうにもならないときだってある、だからそうならないように」

 

「だったらなんで、正義の味方になりたいの!? 人を助けたいんじゃないの!? みんな助けたいなら、最初からみんな助けたいって思わなきゃダメに決まってる!」

 

「ぅぐ……」

 

 無知で、あの地獄を知らないからこそ言える。あの地獄の前で、お前はそんなことを言えるのか。そう言えたなら、どんなに楽か。

 でも、それはズルい。

 ズルくて、小賢しい逃げだ。それを悟ったからこそ、イリヤの言葉がどれだけ汚れてなくて、綺麗なモノか、実感する。

 イリヤがスカートの端を掴んで、

 

「わかんないよ、わたしには……だって。だって、お兄ちゃんみたいに色んなことを知ってるわけじゃない。世界がどれだけ広いのかだって分からないし、多分人を幸せにしてきた回数だって負けてる。でも」

 

 それだけは譲れないと。誇示するように。

 

「わたしは知ってる。知ってる気がする。そういう生き方は、絶対に辛い。誰かを守ってるのに、誰かを見殺しにしていくなんて、そんなの悲しすぎるよ。そんな、そんな自分しか責められない悲しい生き方してたら、お兄ちゃんが一番救われないよ!」

 

「……、」

 

……イリヤは一度、アーチャーのクラスカードをその身に宿して戦ったことがある。そのおかげで本能的に分かるのだろう、その末路を。

 

「わたしは知ってるよ。みんな知ってる。そんな生き方が、最善なんかじゃないって。お兄ちゃんだって分かってる。みんな助かるのが、最善なんだって」

 

「……それは」

 

 無理なんだ。そう言いかけて、口に出来なかった。

 何故なら、イリヤのあの赤い瞳に、見つめられていたからだ。かつて助けられなかった、あの飴玉のようにころころとした目。純粋で、感受性が高くて、きっと色んな話があった家族の目に。

 言えるわけがなかった。

 イリヤの目をみて、助けられないなんて。そんな残酷すぎる言葉、言えなかった。

 

「お兄ちゃんはさ、お父さんのこと信じすぎだよ」

 

「え?」

 

「だって、お兄ちゃんとお父さんは違うじゃん」

 

 一瞬。言っている意味が、分からなかった。

 

「お兄ちゃんは意地っ張りで、鈍感で、人のことばっかりで、それでいて自分のことは後回しで、でも優しくて、料理も出来て。とにかくお父さんとは違うよ。だから」

 

 呆ける俺の手と、イリヤは自身の手を重ねる。

 

「夢の追いかけ方まで、似なくても良いんじゃないかな。夢は同じでも、目指そうと思った始まりも、理由も、違ったんでしょ。だったら、良いよ。別にお父さんを真似る必要なんか何処にもない。そうしないといけないなんて、誰も言ってない、違う?」

 

「……違わない、けど」

 

「だったら、思い出して。お兄ちゃんが一番最初に、正義の味方になりたいと思う前。一体誰を助けたかったの?」

 

 俺が、一番最初に助けたかった人。

 正義の味方になりたいなんて、そんなことすら思ってなくて。それはきっと暗い現実に打ちのめされたとき。

 火の海。地獄のような光景と、怨念がのたうつような熱さで襲いかかるそこから逃げながらも、自分は見た。

 助けを乞う子供を。

 助けを求める大人を。

 助けすら呼べずに死ぬ親を。

 営みは燃え、平和は灰になり、不安は炎となり、死は煙となって天へと昇っていく。

 そんな景色に打ちのめされて。

 涙すら誰にも見てもらえない場所で。

 自分は、思ったのだ。

 

 

「……助けたかった」

 

 

 心の底から、思ったじゃないか。

 

 

 

「ーーーー俺は、みんなを。助けたかったんだ」

 

 

 

 今ここに居る人達みんなを。

 苦しんでいる人達を、みんな助けたいって。そんな奇跡をこの手で起こしたい、そう思ったじゃないか。

……なんでこんなことすら、分かっていなかったのだろう。一番大事だった。一番大事な、わからなきゃいけない気持ちだったじゃないか。

 ガチリ、と何かが嵌まる。それはきっと、俺にはなかったこと。切嗣がくれたものに、イリヤ()が、そして(イリヤ)が気づかせてくれた。

 自分は最初から抱いていたのだ。正義の味方として、抱くべき目標を。借り物なんかじゃない。あやふやで、綺麗なだけのーーどんな場所よりも遠くて、手を伸ばす価値のある星空を。

 

「あ、れ」

 

 不意に、目の前が歪んだ。ぐにゃりと歪んで、何かが頬から滑り落ちていく。

 それを見たイリヤが、艶やかに薄く笑う。その横顔が自分の知るイリヤとそっくりで、瞠目した。

 

「お兄ちゃん、泣いてる。わたしと同じ、泣き虫さんだね」

 

「え……」

 

 イリヤが手を伸ばしてくる。す、と俺の頬と、目尻から涙をすくう。

 

「そんなに辛い記憶だった?」

 

「……いや、そんなことないさ」

 

 強がりも大概にしておくべきだ。案の定、イリヤには笑われている。

 

「これで分かったでしょ? 自分の気持ちが」

 

 だとしても、それは決して現実的ではない。むしろ机上の空論だ。それを叶えるのは生半可なことではない。

 けれど、今は何故だかそんなことすら、出来ないことではないように感じた。

 

「ああ、そうだな……そうだな」

 

 馬鹿馬鹿しくて、つい額に手を置いた。

 何が守るだ。守らなければいけないと、そう侮っていたのは自分だった。イリヤは自分なんかよりよっぽど強くて、強い意志を持っている。それを知らずに、守るという言葉で壁を作っていたのは、自分だったのだ。

 なんて間抜け。逃げていたのは自分自身なのに。

 

「ずっと辛い道に行ったって、どうにもならないよ。どうせなら辛くて辛いけど、最後には楽な道が良い。そっちの方が、お兄ちゃんも笑える、でしょ?」

 

「……ああ。ホント、そうだな。ありがとう、イリヤ。俺バカだから、そんなことも分かってなかった」

 

 えへへ、とイリヤは自慢気に胸を張る。そんな姿も今は輝いていて、愛しい。

 イリヤは小指を立てると、

 

「じゃあ、約束(・・)しよ? お兄ちゃんはこれから、みーんなを守ってね!」

 

ーー約束。 お兄ちゃんは、これから大好きで、大切な人を助けること。

 

 今の、は。イリヤが約束、と言った瞬間には、別の人物がその場所に居た。そんな気がした。しかもイリヤによく似た誰かが。

 

「……クロ?」

 

 刹那。

 とてつもない魔力が、屋敷の奥から一気にテラスまで走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーRewind interlude3-2.5ーー

 

 

 もう未練などない。もしあったとしても、それを叶える前に自分の命は尽きる。だから切り捨てて、そのまま死ぬべきだ。

 そう思っていたのに、お節介なあの人は今も側に居る。

 

「よし、出来た!」

 

 そう言って兄ーー衛宮士郎は、金網から何かを持ち上げると、紙皿の上に置く。長方形のそれは、アルミホイルにくるまれており、士郎はゆっくりと開いていく。

 中にあったのは、えのき、じゃがいもなどの野菜達だ。どうやらバターが入っているらしく、どろりと焚き火に照らされた野菜は黄金色に光っていた。更に蒸されることで熟成された匂いが、クロの鼻へと嫌でも入ってくる。

 正直、これを食べるまでは死ねない。というか、死んだら損な気がした。物で吊られるとは不覚である、本当に。唾液を飲み下す音が聞こえてしまわないか、心配になる。

 

「一応塩コショウ振っておいたけど、醤油もあるからな。好きなようにしてくれ」

 

 そしてどこまで準備しているのだ、この兄は。続けて魚を串に刺して、焚き火で焼き出した士郎に呆れながら、野菜のバター焼きに口をつける。

 当然ながら美味い。美味くないわけがない。醤油も付けたが格別だ。何だか負けた気がしてならないので、もくもくと食べるクロ。

 と、その姿を見たからか、士郎は微笑んでいた。ほぼ初めて見た柔らかい表情に面食らったが、そのニヤニヤは何なのだ、とクロは半ば拗ねながら食べ進める。

 まぁなんだ。つまるところ、まんまとクロは生き長らえてしまった。初めは士郎が料理をしている間に寝れば、そのままこの体が消えるかと思っていたら、士郎の手際が異常に良く(金網や包丁、まな板などを投影したりしていた)、ものの数分で食欲をそそられる匂いにノックアウトされてしまった。

 そもそもクロは現界してから、一度も食事をしてない。のべ二日ほどは魔力だけを糧に生きてきた。そんな彼女からすれば、士郎の料理はそれはそれは魅力的に見えたのだ。アウトドアで食べるようなモノであれば尚更である。

 そんなこんなで大変遺憾ではあるが、食事を堪能している内に、消えるタイミングを失ったわけだ。間抜けにもほどがある、とクロは串に刺さった焼き鮭を頬張りながら思う。

 

「……ね、お兄ちゃん」

 

「ん、なんだ? デザートならマシュマロもあるぞー。それか潰したリンゴを食パンで挟んだ、ちょっとしたアップルパイ。そっちはまだ出来てないけど」

 

「いや怖いんだけど。なんで家にはセラが居るのに、そんなスキルあるわけ? というかデザートまで完備?」

 

「そりゃあセラが居なかったら、俺が家事をするんだ。不思議とそういうのは身に付くだろ」

 

 だからってデザートまで完璧な男子高校生は居ないだろう、とクロは内心突っ込むが、それはさておき。

 本題に移ろう。クロは食べ終わった串を紙皿に置き、呟いた。

 

「……何も言わないのね。わたしは、お兄ちゃんに魔術をかけたのに」

 

 ぼそぼそとしてしまったのは、単に兄にそれを追求されたくなかったからだ。

 イリヤを傷つけ、兄を傷つけ。そうして自分の命すらどうでもいいと、自分本意で逃げた。あげくの果てに助けられて、嫌味しか言えない。そんな自分が嫌で、嫌で嫌でたまらないのだ。

 俯いて、膝に顔を埋める。兄の顔も見れない。ただクロは、士郎の反応を待った。

 パチパチ、と火が弾ける音。沈黙を破ったのは、やはり兄だった。

 

「……怒ってない、って言えば、嘘になる」

 

 やっぱり。次に何を言われるのか、兄の顔が見れない。だけど逃げられない。そんなことも出来ない体だ。

 何を言われようと耐えなければならない。それが、罰だ。

 だから。

 

「ああ。こんなに自分に腹が立ったのは、ホント久しぶりだよ」

 

 その言葉だけは、あり得ないと思っていた。

 

「……は?」

 

「なんていうか、情けないよな。妹一人助けられないで、正義の味方になろうって言うんだからさ……何を救えるんだか」

 

 待て。待て。

 何を言っているんだ、この人は。

 

「……違うでしょ」

 

 そうだ違う。何で、何でそうなる。そうなってしまう。

 

「怒るのはあなたじゃない。わたしでしょ? イリヤも傷つけたし、お兄ちゃんのことだって傷つけた。平気で魔術かけて、平気で死のうとしてた。なのになんで……っ」

 

「お、おいクロ。何をそんなに怒ってるんだ?」

 

 たまらず顔をあげる。兄の顔は、本当に何も分かってないままで。でも手に取るように言いたいことは分かってしまった。

 お前は悪くないのにーーなんでそんなに怒る必要がある、と。

 

「怒るに決まってるでしょ、何度も言わせないでよ! わたし、殺そうとしたんだよ。みんなみんな、殺そうとして。でもきまぐれで止めて。そんなの可笑しいじゃない! 怒られて当然じゃない! なのに何で、怒ってくれないの!?」

 

「……怒るって、なんでさ?」

 

 なんで、って。言葉に詰まり、彼と見つめ合う。衛宮士郎は本当に、本当に理解出来ないといった目をしていた。

 その目があまりにも純粋で、そしてーー家族というモノを知らない、正義の味方の目だった。

 

「クロが逃げたのは、あそこにいたくなかったからだろ? 確かにイリヤやみんなを襲ったし、俺だって怪我をした。でも、何の理由もなしにそんなことしないだろ、お前は」

 

「……」

 

「だって、元は(・・)イリヤなんだろ? ちょっと何かあると逃げ出すけど、でもそうするのはホントに怖いからだ。ホントに怖くて、誰かに助けてもらいたいからだ。だからお前も、イリヤと同じように怖くなって」

 

 それ以上はもう聞きたくなかった。毛布を頭から被り直して、殻に閉じ込もるように座る。

 

「……イリヤなんかと一緒にしないで。わたしは、わたしはアイツとは違う……!」

 

「……クロ」

 

「そうよ。わたしは違う、違うの。イリヤじゃない。イリヤなんかじゃ、ないんだから」

 

 わたしはイリヤじゃない。クロはそう思う度に安心する自分と、傷つく自分が居ることに気づいていた。イリヤに戻りたいのに、イリヤと混同されるのも嫌で。イリヤじゃないと比べられて、認められないのも嫌で。

 

「……ごめん」

 

「……謝らないでよ。わたしが全部悪いんだから」

 

「いや、今のは俺が悪かった。ごめん」

 

 そこで言葉が途切れる。毛布は薄いが視界はままならず、焚き火の光しか見えない。兄がどんな様子か分からないが、それでも言葉に迷っているようだった。

 兄の言う通りだ。

 結局同じ。自分もいじいじして、泣き虫で。それを少し我慢出来るだけの子供だ。分かっているフリをして、自分の境遇に酔っているだけの。

 と、

 

「……なぁクロ。こっからは独り言だから。無理して返事とかしなくても良いからな」

 

 ?……クロの疑問など知らないまま、士郎は話し始める。

 

「俺さ。正直に言って、クロと初めて会ったとき。お前のこと、敵だと思ってた」

 

……ああ、そうだろう。聖杯戦争がどうだの、令呪がどうだのと言っていたのだ。そう思われても仕方ない。

 

「だけどお前の話を聞いて、すぐに撤回したよ。お前はイリヤだ。俺の知ってる、泣き虫で、よく悩むイリヤだった。お前は一緒にされたくないだろうけど」

 

 ホントである。一緒にするなと言っているのに、叩き斬ってやりたいくらいだ。

 

「……うん。ホント、一緒にしちゃいけないよな」

 

 声のトーンが変わる。それまでと違って、その声は僅かに違う想いが混じっていた。

 

「ごめん」

 

 後悔。ただ悔いて、ただ自分だけを責めて。己の全てをかけて、衛宮士郎は購おうとしていた。

 

「今更謝ったって、どうにもならないのは分かってる。お前が許してくれないのも、当然だと思うよ。でも、だからさ。だから今度こそ、助けたいんだ。お前のことを」

 

 でも。

 その購いは、果たして本当にクロへと向けられたものなのか。

 本当はクロではなく、この世の外に居る誰かへの、償いなのではないかと。クロは邪推する。

 だから問いかけた。

 問いかけなくても良い言葉を。

 

「……それは、お兄ちゃんが正義の味方だから?」

 

「……クロ、お前」

 

 毛布から顔を出す。兄は固まっていた。固まっていたから、そんな気持ちもあったのだと答えたようなものだった。

 

「知ってるよ。お兄ちゃんが正義の味方になりたいことは。でも、でもさ。なんで先に家族として助けたいと思わないの?」

 

 衛宮士郎は正義の味方。そんな確定事項、この身がよく知っている。

 だから、腹が立つ。こんなことすら分からない奴が正義を語るなんて、と。

 

「他の誰かにそれをしたっていい。けど、家族にまでそんなもの振りかざさないで……そんなモノを、家族にまで押し付けないでよ」

 

「……、」

 

「……ごめん。勝手なことばっかり言って」

 

 形だけ謝ってはみるが、モヤモヤした気持ちは晴れない。すると焚き火が消え、熾火だけが中央に残った。

 何も見えない、暗闇。それはクロが囚われていた、牢獄のようなあの場所に似ていた。

 

「……最近、ちょっと思うときがあるんだ」

 

 と。唐突に、衛宮士郎が切り出した。

 

「?……何が?」

 

「ほら、正義の味方。 なりたいとは思うんだけどさ……本当にそれで良いのかな、って」

 

 驚いた。 自分で自分にビックリした。

 衛宮士郎が正義の味方になると言ったのならば、それはつまり正義の味方になることは確定なのだ。 どんな形であれ、それはクラスカードが教えてくれる。

 なのに彼は、

 

「もし、だけど。 自分の夢のために、誰かの幸せを壊すことが正義の味方だって言うのなら……それは、本当に正しいことなのかなって。 最近思うんだ、ずっと」

 

 知らない。 正義の味方を目指す彼が、こんなことを言うのはあり得ない。 クラスカードで見た、いつかの剣戟の彼とは違いすぎる。

 頭が混乱する中、衛宮士郎は続ける。

 

「間違いでも良いって、そう思ってやってきた。 目に届く人を救えるのなら、そうしてここまで来た……けど、もし、その目に届く人を救うために、大切な人を見捨てるのが正義なのだとしたら」

 

 物憂げに。 未来を見据えて、兄は言った。

 

 

「ーーーー俺は、そのとき。 誰を助ければ良いんだろうって、そう思ったんだ」

 

 

 それは、ごくごく簡単な問題で。

 でもだからこそ、彼はずっと悩んでいた。

 いつかそんなときが来ると分かっていたから。 いや。

 もしもわたしとイリヤが(・・・・・・・・・)戦ったとき、どちらを助ければ良いのか、判断出来なかったから。

 

「……ああ」

 

 本当に。 本当に、何処までも真っ直ぐなのに、不器用な人だ。 不器用なりに真っ直ぐな道を歩いてるのにーーそれが曲がりくねっていることすら、この人は分かっていないのだから。

……ズルいなぁ。世界が違うくせに。

 

「あはは、何言ってるのお兄ちゃん。 そんなの簡単な問題でしょ?」

 

 多分、わたしはそのとき理解したのだろう。

 わたしがアーチャーのクラスカードを触媒にした理由は。

 わたしがーーここに、生まれた理由は。

 

 

「ーーーーそりゃあ。 大好きな、大切な人を助けなきゃダメに決まってる」

 

 

 あんな風に、悩んで、苦しんで、正義の味方として生きようとする彼を。

 その道から、引きずり下ろしてあげることなのだと。

 

「……ん、そっか……」

 

 納得がいっているのか、いってないのか、不明瞭な表情の彼。 相変わらず無機質な、黒ずんだ水晶のような目は、変わらない。

 でも、変えてみせよう。

 ちょっと腹が立つモノもあるけど、仕方ないから、イリヤとしての生き方は諦めるとしよう。 どうせ短い人生だ、彼のために使うのは惜しくない。

 まぁイリヤを苛めて憂さ晴らしすれば良い。 殺すと彼が苦しむし、それも止めてあげるから、感謝して欲しいくらいだ。

 

「ふふっ」

 

「?……なんだよ。 顔見て笑われるなんて、凄い久しぶりなんだけど」

 

 ついつい声に出てしまったらしい。でも嬉しかった。やることが見つけられた、何より自分の生まれた理由を見つけられた。

 だから、もう何も怖がる必要なんてない。

 何をしてでも助けたい、大切な人が居る。

 ならば躊躇することはない。

 例え、何を失い、我が身を犠牲にしてでも。

 その末に得たモノの方が、ずっと。価値があるモノだから。

 

「ねぇ」

 

 小指を立てて、士郎へと差し出す。彼もその意味が分かったのか、恥ずかしそうに小指へと伸ばすと、絡めて、繋いだ。

 夕方のように一方的じゃない。確かな結び付きが、兄と妹の絆がそこにはある。

 

「約束。お兄ちゃんは、これから大好きで、大切な人を助けること。それが守れないならわたし、死んじゃうかも」

 

「そっか。なら頑張らないとな。クロにも、俺は死んでほしくないしさ。お前だって家族だろ?」

 

 そんなことを言わないでほしい。せっかく死んでもいいって思っていた心が、余計なことを考えてしまう。兄のために死のうとしていた心を、そんな優しい言葉で惑わさないでほしい。

 ああーーけれど。

 少しだけなら。

 罰は、当たらないハズ。

 

「お兄ちゃん」

 

「ん……!?」

 

 絡ませていた小指を、ぐいっ、と引き寄せる。そして目の前にある彼の唇へ、自分の唇を重ねた。

 ほとんど触れるだけの、キス。子供がしたがる遊びのような、幼稚で、恥ずかしくて、でも心が芯から溶けていくような、甘い愛情表現。

 暗くてよかった、とクロは心の底から思う。もしまだ火が点いていたら、自分の頬は染まって、目尻には涙が溜まっていたから。

 

「……お、お前……」

 

「お兄ちゃんは、指切りだけだと忘れちゃいそうだし。これが判子代わり。ふふ、興奮した?」

 

「す、するかっ! つか、兄妹だぞ! こんな、いけませんよこんなこと!」

 

「もう二回目だから、恥ずかしがらなくても良いのにー」

 

「二回目!? ちょっと待て、それどういう……!?」

 

 あはは、と笑いながら、誤魔化す。声が震えていることに気づいていないか、心配だ。

 多分この想いは、そう簡単に振り切れない。きっとこれから時間が経つ度に、求めるモノは増えていくに違いない。

 親や、友達も。

 結局みんな欲しい。出来るなら普通の女の子になりたい。でもそれは出来ない。時間がない。

 だから何としても、衛宮士郎を助けるのだ。

 その過程でイリヤに嫌われ、両親に嫌われ、友達に嫌われ、何より衛宮士郎本人に嫌われても。

 それでも彼を助けたという事実が、何千倍も大事だから。

 いつかの明日。

 その隣に、自分じゃない自分が居ても、それだけはーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude6-4ーー

 

 

 ふわり、と夢の海を漂う。

 息なんて無粋なモノは要らない。ここは現実と剥離した空間。現世の冷たさとは全く無縁だ。ここではただ微睡みに身を任せ、漂うだけで良い。幸せな記憶に浸れば。

 ただ、それも長くは続かない。

 目映い光は海面だ。そこに上がってしまえば、クロに逆戻り。そしてそれを認識したということは、夢も終わりということ。

 海面へと体が浮き上がる。口から気泡が漏れ、バタバタと手足を動かしたが、遅い。

 わたしはまた、現実へと戻ってきてしまった。

 

「……はぁ」

 

 陰鬱だ。屈辱だ。何で今頃になって、あんなことを思い出してしまったのだろう。

 視界もはっきりとしないまま、重く息を吐く。

 結局、そういうことだ。

 みんなに嫌われたって良かったけれど、自分には助けたい人が居た。それが衛宮士郎。もうすぐ消えるこの体で出来ることがあるとしたら、それは自分を切っ掛けに彼の意識を正義の味方の呪いから引き剥がすことだ。何も知らずにイリヤを助けていれば、今頃二人は円満な関係に戻っていたハズだった。そのために嫌われるような振る舞いを何回もしてきた。元々好感度なんてあってないようなものだったし、それで助けられるなら万々歳だ。

 なのにどうして、自分なんかを助けたのか。

 もうすぐ消える自分を助けたって、意味なんてないのに。

 

「……そうよ。意味なんて、ない……」

 

 自分のせいで沢山の人が傷ついた。身勝手な行動だと言われても仕方がないくらい。ともすれば、自分は問答無用で殺されたって文句は言えない。その風評を半ば利用してやったのに、結果は更に関係を拗らせただけ。何をやっても自分は、周りに結果を跳ね返らせるらしい。

 しっぺ返し、因果応報。そんな言葉で自分を納得させられたら、どんなに傷つかなくて済むだろう。それが納得出来なかったから、今こうして自分はここに居るのだから。

 

「起きたかい?」

 

 穏やかな男の声に、クロは露骨に顔をしかめる。嫌々とした態度で体を起こすと、ベッドの側に彼らは居た。

 一人はイリヤと同じ雪原のように白い髪と赤い目という、人間離れした美貌を持った女。もう一人は安物のスーツと、ネクタイを緩めた男。

 二人とも雰囲気は柔らかい。見守るようにクロを見ている。でもクロの目には、何処か怯えているようにも見えた。

 

「そうね。でも最悪な目覚め方だし、あなた達の顔を寝起きで見たいとは思わないわ」

 

「手厳しいね……」

 

「泣きついてほしいとでも思った? 感動の再会を演出したいなら、もう少しマシな場所を用意することね」

 

「あら、達者な口ね。誰に似たのかしら」

 

「少なくともあなた達じゃないわ」

 

 辛辣な言葉に、彼らーー衛宮切嗣とアイリスフィールは、困ったように視線をかわす。そんな親らしい振る舞いにむかっ腹がたち、そっぽを向くことで抵抗する。が、

 

「……イリヤ」

 

 そう呼ばれただけで、自分でも制御出来ない感情が、一気に全身を支配した。

 恐らくそれを、人は殺意と呼ぶのだろう。冷たく、荒ぶる殺意の炎が火を噴く。

 

「その名前で呼ばないで、衛宮切嗣」

 

 自分でも聞いたことがないような声は、隠しきれない殺意の表面化だ。

 

「わたしはクロ。イリヤとしてのわたしは、十年前にあなた達が殺した。まさか今更取り繕うつもりじゃないでしょうね」

 

 顔を彼らへ向けないのは、殺意を制御するためだ。今ここで切嗣やアイリスフィールの姿を目にしてしまったら、自分は取り返しがつかないことをする。それが分かっているから、嫌味だけで済ませるのだ。

 

「わたしが消えるときになってから来るなんて、良い度胸じゃない。消えるところでも見に来た? まぁ清々するでしょ、これで後腐れなくイリヤと親子ごっこ出来るわけだし」

 

「……イリヤちゃん」

 

「そもそもあなた達、自分の立ち位置が分かってるワケ? 魔術師殺しに聖杯の器が二つ、それにホムンクルス。どれを取っても喉から手が出るほど欲しい輩が出てくる。そんなあなた達の子供が、平穏な生活なんて遅れるわけないじゃない」

 

「イリヤ」

 

「これで思慮が足りないんじゃなくて、ちゃんと考えた結果だって言うんだから笑える話だわ。ホント、良い気味ね」

 

「……イリヤ」

 

「イリヤちゃん」

 

「その名前で呼ぶなって言ってるでしょう!?」

 

 衝動的に剣を投影し、両親へと投擲。長剣は両親の間の壁に突き刺さり、魔力へと消える。でも破壊の跡は消えず、まるで心の傷のように残っていた。

 苦しい。魔力を使ったことで、体が疲れ果ててしまった。手の感覚も薄れていきそうだが、まだ言い足りない。まだ十分の一も伝わってない。

 だから。

 

「イリヤちゃん」

 

 それでもまだ自分ではない名前を呼ばれたことに、腹が立ったのは当たり前のことで。

 だから。

 

「ーーーーごめんね」

 

 そう、悲しそうな声で言われたのは、完璧に許容範囲外だった。

 

「……、ぁ?」

 

 ぶつりと何かが切れる。最後に堪えようとしていた一線。それが今の言葉で、呆気なく切られる。切られてしまう。

 それは本音を何としてでも隠そうとした、クロなりの防衛本能だ。そしてそれを切られれば、もう隠すことが出来ない。

 

「ぁぁ……っ」

 

……分かっていた。分かっていたのだ。

 魔術のために生まれた自分の娘を、魔術から遠ざける。製造目的と反対の行動をするには、聖杯の機能を封印しなければどうにもならなかっただろう。それがイコール、わたしを封印するだなんてこと、思いもしなかっただろう。彼らだってそれが分かっているから、自分に謝っている。

 

「あ、ああ、っ、」

 

 優しい人達だった。悲願も夢も投げ捨て、そうやって愛を取った人達だ。それまで生きてきた人生全てを否定してでも選んだ道。それが愛するモノを救う道だと分かってしまったから、千年にも迫る妄執をはね除けた。

 愛故に、愛故に。

 

「あああああああああああ……!!」

 

 辛かっただろう。悔いただろう。

 だから、だから。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 その言葉だけはーー今、死に行く自分が、一番聞きたくなかったことだった。

 

「イリヤ!!」

 

「! 切嗣、危ない!!」

 

 駆け寄ろうとした加害者(父親)。睨み、体を維持していた魔力すら充填させて炸裂させる。

 ドンッ、と。形容しがたい激情が衝撃を伴い、部屋のみならず屋敷全体へと伝播。ベッドが弾け飛び、床や壁が抉れ、吹き飛ぶ。

 それはもう爆発というよりは放出だ。間欠泉が飛び出すのに近いかもしれない。魔力は絶え間なく辺りへ飛び交い、蛇のように這い回る。

 両親は何処だろう。クロはへたりこんだまま、のろのろとした動作で目を動かす。

 居た。吹き飛んだ壁の近く。切嗣を庇う形で、アイリスフィールは銀色の糸を束ねて盾を作っていた。針金のようなそれは、アイリスフィールが最も得意とする錬金術だ。それで切嗣の体を引っ張り、そのまま衝撃を防いだのだろう。しかし二人とも無事ではない。即席の盾はプスプスと音を立ててひしゃげて、その向こうの二人も傷を負っていた。

 

「大丈夫、切嗣!?」

 

「あ、ああ……な、何とか……」

 

 切嗣は立ち上がろうとしない。それだけ傷が深いのか、それとも娘に攻撃されたことが余程ショックなのか、いやどっちもか。

……わたしが、やったの?

 そうだ、と自身の中で笑う誰か。お前が願ったからやってやった、とその誰かはうそぶく。

 違う、と強くは否定はしなかった。ただそんな感情もあった。そうすれば復讐出来ると。でも、それよりもこの胸を占めるのは、もっと暗くて重たい。

 

「イリヤちゃん! 息を吸って、感情を抑えて! そのままじゃ魔力を使い切る前に、魔力の放出が強すぎて体が自壊するわ!」

 

「……謝らないでよ」

 

 アイリスフィールが口をつぐむ。

 十年以上フタをされて、煮詰まった想い。それが、怒りで沸騰する。

 

「謝られたら、わたしは誰を責めれば良いっていうのよ!?」

 

 止まらない。止められない。止めようとも思わない。

 もう沢山だ。十年待った。それでも誰も受け止めてくれなかった。もう、待てない。

 

「閉じ込められてから、ずっと考えてた。どうしてわたしは一人なんだろうって。どうしてわたしは要らない子なのに、殺してすらくれないんだろうって」

 

 必要ないと封印され、一人になって。でも誰も見てくれなくて。

 何かあるんだと考えた。そうでないと一人にしないと。

 だって。

 

「おとーさんも、ママも好きだったから。でもそれは一方通行で、二人はわたしが嫌いだから、わたしを一人にしたんだって、そう思い込もうとした。そう思えば、あなた達を恨めて、それで苦しい気持ちが無くなるから」

 

「イリヤちゃん……」

 

「安易な復讐心は、甘い蜜よ。辛くなる度にそれを味わえば、一人じゃないと感じられた。嫌ってくれる人が居るなら、それでも良いと思った。いつかわたしとまた会ってくれるって、殺しに来てくれるって信じてた」

 

 でも、謝られたらどうなる。切嗣とアイリは、クロのことを悔いていたとしたら、それはどうなる。

 

「……知らなかったんでしょう」

 

 唇を噛む。噛み切って、血が出る。

 

「わたしのことなんて! これっぽっちも、知らなかったんでしょう!?」

 

 そもそも二人が、クロの封印など意図していなかったら。それは当時のクロにとって、余りに恐ろしいことだった。

 つまりそれは愛してもいなければ、疎んでもいないということだ。どちらか片方に傾けば、また会う可能性があっただろう。

 けれど、

 

「知らないなら、もう会えない。どんなに好きでも、恨んでいても。それは意味がないし、届きもしない」

 

 そうなんじゃないかと、何処かでは思っていた。でもそれを信じたくなかった。

 だって信じたら、それまでの行為は何だったのか。

 何のために恨んだのか。何のために呪詛を吐き、その度に反応したような素振りを見せて一喜一憂したのか。

 

「全部一人芝居。恨むのも、憎むのも、笑うのも、泣くのも! わたしが一人で勝手にやってただけなら、そんなことに意味なんてない。意味なんて、何にもないじゃない……!」

 

 あんまりだ。目の前が歪んで、目頭が熱くなる。体の感覚が、既に無くなり始めていた。

 

「イリヤ……!」

 

「……ねぇ、分かる? おとーさん、ママ?」

 

 初めて両親を、心の底からの愛で呼ぶ。

 これが、誰かを呼ぶということ。そんなことすら、あの世界ではまともに許されなかった。

 本当ならわたしが、それを一番最初に出来たのに。

 

「……わたしだって、本当はおとーさんに肩車してほしかった」

 

 渇望する。全てを。

 

「おとーさんに高い高いってしてもらって、同じ目線で世界を見たかった」

 

「……っ」

 

「わたしだって、おかーさんには抱っこしてほしかった。夜には絵本を読んでもらって、声を聞きながら夢の中でもあなたに会いたかった」

 

「イリヤ、ちゃん……」

 

「セラには料理を習いたかったし、リズお姉ちゃんと食べさせ合いっこしたり、お兄ちゃんと手を繋いで……みんなで、誕生日を祝ったり」

 

 したいことなんて、一杯あった。見せられて、ありすぎて、それが叶わないモノだと知って絶望した。

 自分には何もない。

 本当に、何もないのだ。

 

「だったら始めれば良い」

 

「切嗣? ダメ、危険よ! 今のクロちゃんは!」

 

「分かってる」

 

 切嗣は言う。言って、立ち上がる。アイリの制止を振り切って、前に出る。優しい、ずっと変わらない笑顔で、父として告げる。

 

「だったら始めよう。また一から、みんなで。クロも一緒に」 

 

「信じられるわけないじゃない、そんなこと」

 

 だが、わたしの答えは変わらない。

 切嗣の体が、魔力の鞭に打たれて転がる。細長い魔力の線は感情と共有し、その動きが激しさを増す。

 

「今から暮らす? 一緒に? 馬鹿も休み休み言ってよ。初めて会ったくせに、イリヤと同じ扱いしないでくれる?」

 

 言葉は饒舌で、苛烈だった。疑う余地がないほど他人を傷つけるしかない言葉が羅列する。なのにそれに傷つくのは自分自身で、涙も同じだけ溢れていた。

 分かっていた。

 本当はただ、偶然に偶然が重なっただけなんだって。ただ単に、間が悪かっただけなんだって。

 だけどそれならどう生きれば良い。

 間が悪くて、一人になって。みんなに愛されているのにその愛は自分には向けられなくて。それを一方的に受け止めることすら許されなくて。

 気づいたらそれが、十年も経っていただけのことだから。

 結局。

 

 

「わたしはっ……十年前に、一人だけ置いていかれただけじゃない……!!」

 

 

 それだけのことだった。

 足並みは一緒で、一人だけ泥沼にはまって、抜け出せない内にドンドン月日だけは流れていって。

 自分はまだ今も、あの暗闇に取り残されているのだ。

 だから誰も信じない。信じたくない。もう裏切られるのは嫌だ。傷つくのは、もう。

 

 

「だったら俺なら信じられるか、クロ?」

 

 はっとなって、顔を上げる。

 開けられた壁の穴をくぐり、ゆっくりとこちらに近づいてくるのは。

 

「……お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目に涙を溜めて、ボロボロと泣いているクロは、魔力を指向性も持たせず暴発させていた。その様は産声をあげて、身動ぎする赤子のように幼い。だがもたらされる破壊は凄まじく、絢爛だった内装を容易く粉砕する。

 このままじゃ、屋敷が潰れるか、それともクロの体が魔力切れで消えるかどちらかだ。そうはさせない、止めなくてはならない。

 

「お兄ちゃん」

 

 一緒に走ってきたイリヤが、不安げに俺の制服の裾を引っ張る。あの中へ飛び込めば、無事では済むまい。それを彼女でも察しているのだろう。

 それでも。行かなきゃいけない理由がある。

 

ーーそりゃあ、大好きな大切な人を助けなきゃいけない人に決まってる。

 

 そう言って約束した。忘れてしまいそうになったけれど、やっと思い出した。

 だったら行かないと。

 嘘にしないために。

 何よりこの足が動く限り、目の前に誰かが居るのなら。

 

「大丈夫さ」

 

 イリヤの手を裾から離し、

 

「もう、答えは見つけたから」

 

 クロとの距離は五メートルもない。吹き飛んだ壁をくぐり、部屋の中に入ると、その惨状は更に目に見えてくる。

 クロが寝ていただろうベッド、椅子、棚、諸々が欠片となって床に散乱している。クロを中心として抉られた床は地面まで抜け落ち、世界を拒絶している。

 

「士郎……」

 

 と、切嗣が視界の隅で転がっている。あの魔力に食らったのか、もぞもぞとするばかりで立ち上がれない。アイリさんも腕を庇っている。つまり二人もクロを助けようとして、ダメだったのだ。

 当然だ。クロにとって二人は仇であり、愛した存在でもある、愛憎混じる相手だ。クロに言葉を届かせるには、少し足りない。

 

「……ごめん。僕じゃあ、彼女は」

 

「泣き言かよ切嗣。ずいぶんらしくないじゃんか」

 

 なら俺に出来るのか。この世界の人間ですらない俺に。エミヤシロウを殺した自分に。

……そんなモノが今この場で何の役に立つのか、馬鹿らしい。

 

「なら選手交替だ、任せろ」

 

 出来る出来ないの物差しなんて、後から考えれば良い。

 目の前で消えそうになっている命を助けるためなら、そんなことどうだって良いと、本気で思うから。

 

「ああ……任せた」

 

 切嗣からバトンを受け取って、歩を進める。

 のたうつ魔力が、足元を走る。床を舐めるように削るそれが直撃すれば、ひとたまりもないだろう。しかし恐れない。恐れず、省みず、愚直にクロへと最短距離で接近する。

 

「……クロ」

 

 名前を呼ぶと、クロはビクつく。するといつもの、大人ぶった彼女ではなく、素に近いフラットな形で出迎えた。

 改めて見ると、その姿は最早人の形を保っているだけで精一杯のようだった。虫食い穴のように崩壊が広がり、顔の輪郭すらあやふやになりかけている。だというのに、クロはかえって穏やかだ。

 

「……なんか、吹っ切れたみたいね。お兄ちゃん」

 

「ああ。イリヤに、そしてお前に教えて貰ったからな」

 

「……気づいてたの?」

 

「ついさっきだけどな。分かりづらいんだよ、誰かに似てお前はさ」

 

 クロとの記憶を思い出して、ここに来る途中でその推測に至った。

 つまりクロは、俺を助けるために今まで自分勝手な行動をしていたんじゃないかって。

 思い出したクロとの約束。そして昼間に言われた、あの言葉。

 

ーーおとーさんなら助けてくれるのに。

 

 あの言葉は、つまり俺に期待していたのだ。切嗣が全てをかなぐり捨てて、イリヤを助けたように。俺にもそれを期待したのだ。クロを切り捨ててイリヤを助ける、つまり一のために全を捨て去る、その一歩目を。

 

「なんていうか、そんな不器用なところまで似なくて良いのに」

 

「……悪かったわね。わたしに出来ることなんてそれしかないし。それにわたしのやったことは、もっとあなた達の関係を拗らせただけだし……」

 

「ん、それは心配ないぞ。イリヤとは仲直りしたからな」

 

 右手で後方を指す。クロは一瞬目を丸くした、のだろうか。もう、それすら分からない。

 でもその唇が、わなわなと堪えきれずに震え出していることだけは、すぐに分かった。

 

「……そっ、か。結局、イリヤがお兄ちゃんを助けたんだ。わたしがやったこと、何の……何の意味も、なかったんだ」

 

「そんなこと……」

 

 ない、とは言えない。事実クロがやってきたことは身勝手で、独りよがりの自己満足に過ぎない。イリヤは大きく傷ついて、それに振り回されてきた身だ。口が裂けてもそれが良かった、だなんて口には出来ない。

 でも。

 ならばこそ、伝えるのだ。

 

「……そんなことないさ。クロは頑張った、だろ?」

 

「……やめてよ。憐れみなんて、要らない」

 

「憐れみ? 馬鹿言うな、これは心配だ」

 

「心配……? わたしを?」

 

 へ、と力なくクロが笑う。それをもう、全てを投げ出して、自棄になった人物がするサインだ。

 

「わたしは殺そうとした。みんなを。こんなわたしを、お兄ちゃんはそれでも心配するの?」

 

「ああ、当たり前だ」

 

「綺麗事よ、そんなの。信じられるわけないじゃない」

 

 かもしれない。だけど他の誰が信じられなくても、俺は信じられるハズだ。

 だって。

 

「……俺は知ってるよ。お前が、優しい奴だって。俺のために頑張ってくれたんだって」

 

「っ、……あ、」

 

 クロの腫れた目から、また涙が溢れてくる。でもそれは悲しくて溢れる涙じゃない。初めて誰かと、共有する思い出を見つけられた、その嬉しさで溢れる涙だ。

 

「俺は知ってる。お前はピーマンが嫌いで、少し暑がりだってことも。雨は嫌いじゃないけど好きでもなくて、寂しがりやだってことも。夜は余り好きじゃないから、本当は昼に誰かと会いたかったこと。友達ってどういうものか分からなくて、教えてあげたことも」

 

「……っ!」

 

 俺は知っている。他の誰が知らなくても。お前と一緒に過ごしてきたから。誰よりもお前のことを知ってる。

 クロが手で口を押さえる。それでも、嗚咽は消しきれない。消し切れるわけがない。十年分の涙は、心の叫びは、そんなことでは消えない。

 

「俺は知ってる。そうやって声を押し殺されて、お前はずっと泣いてたんだって。本当はもっと、色んなことがしたかったから、この世界に生まれたかったんだって」

 

 近づく。クロへと。走る魔力がついに俺の体にも届く。今はまだ肌を撫でる程度だが、すぐにそれは皮をも裂く。

 だが進む。ここまで来て引き下がる理由なんて、何処にもない。

 

「……お前がどうして、昼間のとき怒ったか、よく分かったよ」

 

 イリヤを助けなかったから。状況を見ればそうにしか見えない。でもそこにはきっと、別の思惑があったハズだ。俺とクロだけに通じるモノが。

 

「お前は、寂しかったんだな」

 

「……やめて……!」

 

「自分との思い出があるのは、俺だけだから。そんな俺が覚えてなかったから、お前は寂しかったんだな」

 

「やめてって言ってるでしょうがあああああああああああああ!!」

 

 ヒュンっ、と魔力がこちらへ伸びる。都合八本。縄のようだったそれは一気に槍のごとく硬質化して、怒濤の勢いで繰り出される。

 だが、遅い。

 右手を振り抜いたときには、既に投影された陽剣、干将が切り裂いていた。続いてきたしなる魔力を左手の陰剣莫耶で切り伏せる。

 クロの手は汚させない。もうこれ以上、この少女が他者を傷つけることはあってはならない。

 

「やめろクロ。もう、強がるな」

 

「うるさい!! 勝手にわたしの心を読むな!! 何も、何も分かってないくせに……!!」

 

「ああそうだな。俺は察しが悪いし、不器用だし、人の気持ちなんて汲み取れもしない。だけど、そんな俺でもお前が今、苦しんでて、悲しんでて、我慢してることは分かる」

 

「……違う!」

 

「違わないだろ」

 

 聞き分けのない奴だ。一体その頑固は誰に似たのやら。

 なら言ってやる。言ってやらないと、分からないだろうから。

 

「なら、なんで切嗣とアイリさんを殺さなかった?」

 

「っ……!?」

 

「仇なんだろう? イリヤだってそうだ。動機はそれこそ一杯ある。なのに、お前はそれをしなかった。それは何故か」

 

 クロの目の前に到着する。真っ直ぐと、彼女の動揺がある目を見て、言う。

 

「ほら、言っちまえ。俺達にそれを。お前が願った理由を」

 

 我慢なんてするな。ただぶちまけろと。

 それで、限界だった。

 結ばれた口が開く。嗚咽が世界へと発信される。恐らくそれは十年前から今まで、少女があげた産声で一番尊い。

 

「殺せないよ……!!」

 

 だって、

 

 

「わたしはっ……みんなと、生きたいからっ……!!」

 

 

 刹那。それまで指向性を持っていなかった魔力に変化が起きる。

 それまで何も込められなかった願いが入力され、クロの体が再構築される。逆再生するように魔力が欠損していた肉体を構成し、クロはいつもの赤い外套の姿に戻った。

 酷い顔だった。鼻水と涙でぐしゃぐしゃで、髪は乱れまくっている。

 だけど、それで良い。

 それがーー生きているということだ。

 

「やっと言ってくれたな、本当のこと」

 

 手の中の夫婦剣が、砂のように崩れる。腰を下ろし、空いた両手でクロを抱き締めた。触れれば壊れそうな妹を、力強く。愛を込めて。

 

「ったく……素直じゃないな、クロは」

 

「……おにい、ちゃん……わた、わ、たし」

 

「約束したろ。大切で、大好きな人を守るって」

 

 未だに状況がよく分かっていないクロの頭へ、手を伸ばす。ゆっくりと、その髪を撫でて告げた。

 

「俺もみんなが好きだ。お前を含めてな。だったら約束は守らないと」

 

「ぅ、ぁ、ぅ……ぅぅぅぅぅう……っ!!」

 

 全く。我慢なんてしなくて良いのに。

 

「泣けよクロ、思いっきり。もうお前は、一人じゃないじゃないか」

 

「ぁ、……」

 

 一人でしか泣けなかった少女。そんな少女が今、初めて。心を開いた誰かの前で、泣くことが出来る。

 

 

「ああああああっ、ああああああああああああああああああああ……ああああああああああああああっ!!」

 

 

 みっともないくらい、声を張り上げて。クロは泣き始める。普通ならその声にびっくりするだろうが、不思議と驚きはしなかった。

 今度は、間に合った。

 その事実を、俺は心の底から噛み締めて。

 勝手だとは思うが……少しだけ、報われた気がした。

 ああそうだ。

 もう一つ、言わないといけないな。

 

「なぁクロ。お前は俺に、正義の味方になってほしくないだろうけど……俺は、その生き方を曲げられないよ」

 

 でも、もう悲観的なことをそのままにしたりしない。

 

「俺は決めた。俺は、正義の味方になる。だから、誰かを切り捨てたりしない」

 

「……それは」

 

「出来る出来ないじゃない。俺は最初から、みんなを助けたかったんだ。だから絶対に助ける。一人じゃなく、みんなを、家族も助けたいんだ。九を救って、俺は一を守るって決めたんだ。だから」

 

 もう、心配しなくて良い。

 この命の使い道は、もう見つけてあるから。

 

「……そっか」

 

 クロは、必要以上に何も言わなかった。否定もしなければ肯定もしない。

 分かるのだろう、言葉など無くても。クロもまた、その夢の意味を知っているだろうから。

 ぎゅっ、と回された手に力が入った。クロは胸の中で小さく頷いて、

 

「うん……お兄ちゃんらしいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude6-5ーー

 

 

 それを遠巻きで見ていて、イリヤは鼻を鳴らしてつん、とそっぽを向いた。

 拡散していた魔力が消え去った今、その中心では士郎とクロが、兄妹として心を通わせている。それが正しい姿なんだと分かっていても、早々割り切れるモノでもない。

 でもどうしてか、心は温かい。寂しさよりもずっと、この光景への尊さの方が勝っている。

 

「イリヤさんも一皮剥けましたねぇ。魔法少女的には、男の人への想いで覚醒とか色々言いたいことありますけどもハイ」

 

「ぬるっと入ってきてこの感動を壊すルビーにびっくりだよ、わたしは……」

 

 起きてから一度も見ていなかったルビーが、イリヤの髪からいそいそと顔を出す。ってそういえば。

 

「待ってルビー。お母さんとお父さんの前で姿を見られると非常に困るというか何というか……!」

 

「あー、そこら辺は大丈夫じゃないですかね。先方に全部ゲロっちゃいましたし。映像付きで。親バレさらっと済ませちゃってすいませんねイリヤさん、あなたが寝てる間にしちゃったので」

 

「いや気になる単語が二、三あったから何も納得出来ないんだけど……!?」

 

 つまりバレたのか。魔法少女のことが。あの幼児向けアニメ並みのフリフリ衣装がバレたと。しかもルビー監修の映像つきで。アイリや切嗣の方を見ると、片方は呑気に手を振り、もう片方は頭に手を当てて苦笑している。これだけでどちらがどちらの反応なのか分かる辺り、イリヤはあの二人の子供なのだった。

 

「うぎゃーっ! ルビー、変なもの見せてないよね!? 親だよ親! 場合によっちゃ記憶を消すのも辞さないよ!?」

 

「大丈夫ですよー。ちょこっとチラリズム的なシーンとか、お着替えシーンとかもあるかもですが、それは魔法少女の変身アイテムとしては外せないシーンですし、オールオーケーです!」

 

「全然オーケーじゃなかった……! むしろ問題しかないじゃないそれぇ!?」

 

 思わぬところからのダメージに、イリヤは胸を押さえる。肉体的ではなく精神的なモノとはいえ、エーテルをボリボリ食っても回復しなさそうなのが問題である。地味に美遊へのコラテラルダメージも良いところだ。

 頭が痛い。クロとの確執も今すぐには解けないし、続いてこれだ。

 そして悩みの種はまだある。

 

「あ、イリヤさん良いんですか?」

 

「へ?」

 

「あれあれ」

 

 あれ?、と首を傾げながらイリヤは目を向ける。

 

「ねえお兄ちゃん……さっきので魔力ないからぁ……魔力、ちょーだいっ」

 

「ぶっ!? ば、馬鹿かお前!? 親父やアイリさん、イリヤだって居るんだぞ! あんなことここで出来るか!?」

 

「やだー、お兄ちゃんってばどんなの想像したのー? お兄ちゃんのキス魔ー!」

 

「キス魔!?」

 

 会話を聞くだけで何をどうしても卑猥な方向しか行かない二人の会話に、顔が熱くなる。しかも士郎は拒否していながら、明らかに満更でもなさそうである。説明を求めたい色々。

 

「魔術師にとって、体液の交換っていうのは一番手っ取り早い補給方法ですからねー。あの感じですと、クロさんと士郎さんは体液交換の常習犯……年頃の男と女が密会してそれだけに留まるのか、コイツは犯罪の匂いがプンプンしやがりますねぇ!」

 

……つまりこういうことか。

 クロは魔力が足りないが、それを相談出来る相手は士郎だけ。断ればクロは消えるしかなく、士郎はそれを快諾し組んず解れず……?

 

「…………………………」

 

……やっぱり和解など無理じゃ。

 恥じらいをもたず魔力補給を行おうとする二人に対し、イリヤはルビーをステッキに変えて、本場さながらのカチコミを決行した。

 

「させるかおんどりゃあああああああああああああああああああああああ!!」

 

「ぎゃーっ!? ピンクの光がまた俺にーっ!?」

 

 その悲鳴は数分後、アイリが躾と称して子供達とはしゃぎたくて加わろうとした辺りで、ようやく屋敷の主であるルヴィアによって止められた。

 

 

 

 

 

 

 ところで、場所は変わるが。

 エーデルフェルト邸の外。衞宮家と挟まれた街路で、カレン・オルテンシアは一人の少女に見送られていた。

 美遊・エーデルフェルト。

 本来なら、エーデルフェルト邸に居なければならない彼女は、固い面持ちで対峙している。

 

「聞きたい、ことがあります」

 

「……場合によりますが、聞きましょう。何をお悩みですか?」

 

 これを聞いたら後戻りは出来ないと、美遊は知っている。だからこそ、聞き出せばならないと、強く思った。

 

 

「……お兄ちゃんは。あの衞宮士郎は、あなた達の世界(・・・・・・・)の衞宮士郎ですか?」

 

 

 闇に消えるべき問い。あり得ざる問い。

 それがついに、この世界で問われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end

 


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