Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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午前~ネガの世界~

ーーinterlude3-1ーー

 

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、という魔術師が居る。

 生まれながら持ち合わせた才能は、同じ天才達の中でも更に突出しており、十代で魔術の名門エーデルフェルト家の当主になったことから、その政治的な手腕がいかほどのものか察することも出来る。事実ルヴィアは、エーデルフェルト家の得意とする他者の研究成果の簒奪を既に世界中で行い、名実ともに魔術師として突出していると言うべきだろう。

 そんな、挫折というものをおおよそ味わったことの無い彼女が、何の因果があってか、ここに来て頭を抱えることになろうとは、思いもしなかった。

 

「……」

 

 エーデルフェルト邸。その自室……の外。ベランダにて、ルヴィアは一人夜風に当たっていた。

 普段慢然な態度を取ってばかりな彼女だが、今宵は少し表情に影がある。陰鬱な声色のまま、彼女は息を吐いた。

 

「美遊……」

 

 美遊・エーデルフェルト。ルヴィアにとって、どういう存在か、はっきり定義できない少女。

 そんな美遊が、最近何かに悩んでいることは、傍目から見ても明らかだった。屋敷の仕事はいつもよりもたつき、登下校や普段の屋敷での彼女は、影がより濃く出ている気がする。元々明るい方ではなく、一人で居ればもくもくと隅の方で何かをしているような少女ではあったが、時間を効率的に扱うことには長けていた。それが今では少し、何か別なことに気を取られていることは、ルヴィアにも分かった。聞くところによれば、イリヤやクロもそれを感じていたらしい。何かがあったのは、確かなのだろう。

 だが、それをあえてルヴィアは追及するつもりはなかった。

 数ヵ月前のことだ。ルヴィアが日本に来たばかりの頃、大師父から預かった大事な魔術礼装であるサファイアを探し、暗い夜道を走り回った。ルヴィアが見つけたのが、美遊だった。

 今でも、そのときのことは鮮明に思い出せる。

 春特有の花の香りが残る公園。それとは正反対に、泥だらけで、サイズの合っていない服を無理矢理着た不格好な少女。

 並外れた美貌を備えているのに、感情が抜け落ちたせいか、まるで顔そのものが死化粧に見え、しかし目は眼球から炎が出ているのではと錯覚するほど、苛烈な何かが溢れてしまいそうなところを、卓越した克己心で抑えていた。

 幼さなど欠片も見せない。あくまで、魔術礼装に選ばれたのではなくーー恐らくそれがどういう意味するのかを分かっていながら、彼女はこう言ってきた。

 

ーーカード回収ならわたしがやります。

 その代わり住む場所をください。

 食べ物をください。

 服をください。

 戸籍をください。

……わたしに、居場所をください。

 

 いきなり見ず知らずの人間に、何をとはルヴィアは思わなかった。

 ただ漠然と、美遊の月に照らされても消えない、黒曜石のように輝く瞳を見て、思ったのだ。

 きっとこの少女は今、この世界で一人ぼっちなのだと。

 それからは激闘の日々だった。七枚のクラスカードを集める戦いは、ほぼ毎夜行われ、サファイアという魔術礼装があってもただ偶然ステッキに選ばれた少女が、その身一つで切り抜けられるようなモノではない。だが幸か不幸か、美遊には並外れた魔術回路と、それを有効に扱う才、そしてこの世の頂点とも言える神秘を前にして怖じ気づかない胆力、そのどれもが備わっていた。

 まだ十代前半の、世界がどう回っているかなんて半分も知らない少女が、どうしてここまで都合良く力を持っていたのか。それは分からないし、ルヴィアは聞かないことにしていた。あの春の夜、美遊と出会い、そしてカード回収の任を手伝わせた身で根掘り葉掘り聞くのは、対等ではない。これは契約だ。例え目下の者だとしても、美遊はあくまで協力者なのである。それを盾に美遊の素性を聞くのは、あまりにフェアではないし、知ったところで美遊に対しての評価が変わらないのでは、意味などない。

……けれど。無関心を決めるというのも、それはそれでエーデルフェルトの名折れ。

 だからこそルヴィアは、契約の報酬と称して、美遊に出来る限りの援助をすることにした。正しく言うなら、まぁ、年下の少女が寂しそうな目をしているのが気にくわなかった、というわけだが。

 友達であるイリヤと同じ学校に入学させ、淑女の嗜みを教育するため、自身の給仕をさせたり。あとは娯楽に困らないようちょっとした小遣いを渡したりなど。水面下で色んなことをしていたが、一番の援助は、ルヴィアと共に住むことを許可したことだろう。

 改めて言うが、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは魔術師であり、美遊は進んで協力したとはいえ、一般人である。本来ならば、美遊の身柄はイリヤのような一般人に預けるのが一番正しい。

 無論ルヴィアとて、最初から美遊を預かろうと思ったわけではない。こんな島国の田舎、カード回収を終わらせたら用はない。だから美遊の身柄も、親しい誰かが出来たなら、戸籍や少しの財産と一緒に預けてしまった方が、双方にとって理想の未来だと思っていた。

 だからルヴィア自身、驚いているのだ。

 血の繋がった誰かが居なかったわけではない。ただ魔術の名門としての看板を背負い、それに泥を塗らないよう研鑽、研究を重ねてきた。自身に才能があることは理解していたから、その花をもっと咲かせるために、他人のモノを奪い、品種改良でもするかのように平らげてきた。

 それでいつの間にか、こんなところまで来て。気付いたら、家族なんて当たり前の何かは無く、美遊が隣に居た。

 だからこんな自分の隣に居て、我慢していても何の不満も言わない美遊が悩んでいるのなら、どうにかしてやりたい。理由としてはそれだけ。

 それだけだから、こんなときにどうすれば美遊を楽にしてやれるのか、分からないのだ。

 

(……私が待っていたところで、あの子は悩みを打ち明けてはくれないでしょうし……質問したところで、答えてくれるかも分からない……)

 

 美遊は聡明な子だ。常識に囚われるきらいはあるが、逆に言えば彼女はルールの中であれば並みの大人より頭が回る。だからあらゆる理論で心を武装して、一人で抱え込んで、そうして外部からの声をシャットアウトするくらいわけない。

 そう、契約なんてあやふやな関係のルヴィアの言葉なんて、届きもしないくらいに。

 

(ああ、どうしたことやら……イリヤ達にも話していないようですし、誰の言葉なら届くのでしょうか……)

 

 やる前から嘆くなんてルヴィアらしくないと思われるかもしれない。ルヴィアも自覚しているが、それだけ彼女は美遊との距離がいまいち掴めていなかった。

 士郎を励ましたときは友人としてだった。だが美遊は、友人でも、契約相手でも、戦友でも、ただの年下の子供でもない。それで済ませるには、ルヴィアの中で何か違和感があった。それだけ美遊の存在は、大きく、形容しがたいのだ。

 無責任なことは出来ない。ただそれでも、何かしたい。

 

「……とすれば」

 

 一番親しい人間に、その役を任せるしかない。

……それが正しいと分かっていても。美遊のことを他人に任せようとすると、何か苦いものが胸の中で渦巻いていくのを感じながら、ルヴィアはベランダから自室へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界に来てから、週末どんなことをして過ごすか悩むことがある。

 元の世界では屋敷の掃除とか、あとは道場で鍛練とか。学校やバイトの手伝いやら、とにかく予定が埋まっていて、いつの間にか週末が終わっていた、なんてことが通例だった。一度慎二に、

 

ーーお前週末までせかせか働いて、何が楽しくて生きてるわけ?

 

 なんて言われたこともある。そこまで言われることでもない、と思うのだが、うん。今思えば確かに急がしかったかも。

 と、世間一般的にはせかせかしているらしい自分だが、ここではそうでもない。

 まず家事はセラが全部やってしまう。手伝おうとすれば逆に家から追い出されるし、バイトは金に困っているわけでもないのでしていない。あとは学校で頼まれた場合だが、それも毎日やっていれば週末までもつれ込むことも最近は少なくなった。

 となれば、週末どう過ごすか決めなくてはならない。これが無趣味な自分には中々決められなかったりするのだが、幸いなことに今週は土曜だけでも予定が決まっていた。

 

「ふむ」

 

 すっかり緑に生い茂った桜並木を見上げながら、俺は付き添いへと声を掛けた。

 

「俺が言っちゃなんだけど、ほんとに付いてきて良かったのか? 鍵だけ渡すってのも、アリだったと思うけど」

 

「ううん。わたしはあくまで他人だし、それに……お兄ちゃんには、付いてきてほしかったから」

 

 そう言ったのは美遊だ。いつもの制服姿ではない。恐らくルヴィアが見立てたのだろうか、ボトムスに上着を羽織った姿は、大人しい本人にぴったりだ。

 この週末、イリヤ、美遊、クロ、三人の誕生日プレゼントを買う約束を森山としていたのだが、本人は風邪で欠席。インフルエンザをぶっ潰せる森山家でもただの風邪には負けるらしい。どんな三竦みだ。成立してんのかそれ。 

 そうして手ぶらになってしまったわけだが、そこで美遊から今日衛宮の屋敷に行きたいと言ったので、俺に同行を求めたわけだ。俺も衛宮の屋敷については結局調べられなかったので、丁度いいことである。

 

「そういや美遊って、ルヴィアの家のメイドさんなんだろ? もしかしてわざわざ休みを取ったのか?」

 

「使用人の仕事は、別に強制されてるわけじゃないから。用事があれば休んでいいって言われてるし……でも」

 

「? でも?」

 

 なんだろう。美遊が沈んだ表情のまま、

 

「今日から少しの間、使用人の仕事はしなくていいって。ルヴィアさんがそう言ってた」

 

「……ルヴィアが?」

 

 美遊はよく出来た子だ。所作は板についてるし、気品もある。仕事も見た限りそつなくこなすし、何も問題はないハズだが。

 

「一応未成年なんだし、流石に美遊を働かせるのは不味いって気付いたんじゃないか?」

 

「それならルヴィアさんは、わたしを今まで働かせてないと思う。あくまで対等な相手として、わたしを雇ってくれたから」

 

「対等な相手、か……」

 

 何か上司と部下、というか。感情的に見えて、ドライのように見えて、やっぱり人情家というか。

 何にせよ一つ分かったことがある。

 

「やっぱり信頼してるんだな、ルヴィアのこと」

 

 その言葉を、美遊は否定しなかった。指摘されて恥ずかしかったのか、歩きながら少しの間をとって、

 

「……うん。あの人は、良い人だから」

 

 そう、笑って答えた

 衛宮の屋敷が見えてくる。ここに来るのは二度目だが、やはり経年劣化しているのか、薄れた記憶と比べて荒んだ印象を受ける。あのときは夕方だったから細かいところまで見ることが出来なかったが、使い込まれた劣化ではなく、放置された故の劣化が目立つ。何だかそれが知らない場所に放り出されたっきりの今の自分と似ている気がして、少し寂しさを感じた。

 門の錠前を外して、中へ。敷地内も同じく、アインツベルンの城よりはマシ、と言ったところか。ただ草木などは綺麗に刈り取られている。藤村組が手入れを欠かさずしてくれているのだろう、違いはあれど、そこは懐かしい我が家に近かった。

 俺は母屋の玄関の鍵を開けて、

 

「さてと、どうぞ」

 

「あ、うん……ええと、お邪魔します」

 

 軽く会釈して、美遊は玄関の扉を潜る。それに続き、引き戸を閉めると、一気に数ヵ月前の我が家に帰った気分になった。これだけで、真っ暗なハズの今に、光を見つけた気がする。

 それにしても。

 

「お邪魔します、か」

 

 美遊にとってこの家は、自分と同じように思い出深いモノだ。だとすれば、やはり彼女の胸にも寂しさや悲しさ、それ以外のモノをも混ぜた、言葉にしづらい感情が去来しているハズ。それでもぐっと堪えて、こうしてあくまで違うモノだと言い聞かせている。

……俺とて、今でも辛いのだ。元の世界に帰りたいという気持ちは、どんな心境になっても変わることはない。そしてどんなに辛くても、元の世界の面影を追わずにはいられないのだ。

 ましてや美遊は同じ世界なのだ。その辛さ、渇望は恐らく、もっと。

 

「……どうにかしてやりたいけど」

 

 今すぐどうこう出来ることじゃない。それが自分の経験で分かっていて、今こうして思い出に浸らせてあげるしかないのだから。

 母屋の中は比較的手が届いていて、小さな埃こそあるものの、そこまで汚れてはいない。掃除する覚悟で来たが、これなら他の道場や別棟も心配はなさそうだ。

 ガラガラと縁側へと続く扉を開けつつ、

 

「じゃ、俺は色々見て回るけど、美遊はどうする? ついてくるか?」

 

「ううん……わたしは、ここから色々見てる。いつもここと同じ場所から、見てたから」

 

 そう言って、背負っていたリュックと共に縁側に腰を下ろす美遊。リュックから本を出しながら、

 

「サファイアはお兄ちゃんについていってあげて。調べ物なら、あなたの力が助けになるだろうし」

 

「美遊様?」

 

「おう、ありがとな。じゃあ行くかサファイア」

 

「ちょ、ちょっと士郎様!? 美遊様をお一人には……!?」

 

 出来ないだろうが、まぁ美遊は一人の方が何かと都合が良いだろう。それにお前の力も欲しかったところだし。だからこっち来い。

 

「で、ですが……」

 

「ですがもあるか。美遊の邪魔になりたいのか?」

 

「むぐ……」

 

 それを言われては引き下がるしかない、と言った感じか。サファイアは渋々俺の言葉に従ってくれた。

 さて。

 屋敷一体を調べるとはいえ、大体の目星はつけてある。母屋と別棟の一部、道場、そして土蔵。有力なのは土蔵か。

 とにかく、何か手掛かりがここにはあるハズだ。何せ今まで一度も行きたいと思うことが出来なかった場所だ。それが忙しさ故か、それとも何かの意志が介在した結果か。どちらにしろ、得るモノを得なければ前にも進めない。

 

「……同調開始(トレースオン)

 

 撃鉄を下ろし、小声で呟く。解析の魔術が瞬く間に走り、母屋から調べていく。

 居間から廊下、セイバーの部屋、俺の部屋、浴場やキッチン、トイレまで解析。結界の綻び、それに類いする魔術の痕跡無し。争った跡などもない。次。

 別棟の一部、元の世界では遠坂の部屋に当たる部屋。ここならばあるいは。

 しかし僅かな期待は、すぐに砕け散った。

 

「……何もないか」

 

 当たり前と言えば当たり前だった。

 遠坂の部屋だったとはいえ、それも別の世界の話。目の前にあるのは無人の、誰も住むモノが居ないがらんとした空間だけだ。

 

「次へ行きましょう、士郎様。元より簡単に見つかるハズの無いモノです、違いますか?」

 

 サファイアの言う通りだ。手付かずの場所とはいえ、この世界に来てからもう何ヵ月も経っている。そんな状況で元の世界へ繋がる何かがあったとするなら、それは奇跡に近い。

 だが、何だろう。この胸のざわめきは。久しく感じていなかった、ずっと纏わりついている痛みのような何か。

 母屋へ戻り、そのまま外へ出る。次は道場だ。あそこでは主に鍛練の記憶ばかり蘇るが、誰かによく試合も申し込んでいた。試合は体力を使うから、よくやかんに水を入れて水筒代わりにしてたっけ。

 そんな懐かしい、あやふやになってしまった記憶を心に閉じ込め、解析を始める。

 

「……」

 

 解析自体は一瞬で終わる。だからそこに何もないことも、恐らく最後にここを使われたのは十年以上前だということも、分かっていた。

 それでも、解析を続ける。

 胸のざわめきが大きくなる。

……結局、俺はまだここを自分の家と重ねているのだろう。調べれば調べるほど、自分の霞んだ記憶とのすれ違いに、寂しさを感じているのだ。

 何が自分のモノで、何が他人のモノなのか。

……それが、あの少女も同じだと知っていて。

 

「士郎様」

 

「分かってる。……分かってるから」

 

 道場は知っている景色と全く違った。日差しを弾く木の床は、知らない色の褪せ方をしていて、立て掛けてあった竹刀や木刀は主を見つけられないまま、くすんでいる。

……上がり込み、壁の側であぐらをかいてみる。何もかも違う。何もかも。こうやって確かめている座り心地だって。

 それでも、共通した何かを一つでも探そうとすることは、間違いなのだろうか。

 

「ちょっと……確かめてるだけだ」

 

 本音を言えば、イリヤ達と別れたくない気持ちはある。苦しいこと、辛いこと。それすら今の俺にとっては愛しい記憶であり、忘れたくない大切なものだ。

 けれど……やっぱり、俺は帰りたいのだろう。

 イリヤは居ない。クロも居ない。切嗣も、アイリさんも、セラも、リズも。

 それでも帰りたい。

 そう、思ってしまったことに驚いたし、悲しくなったし、寂しかった。強烈なまでに現実を叩きつけられた気がしたのだ。

 お前は、ここの人間ではないのだと。

 帰るべき場所があると。

 

「……」

 

 サファイアも何も言わなかった。ただ、じっと、俺のその無意味な沈黙を破ろうとはしなかった。

 

「……なぁサファイア」

 

「はい」

 

「元の世界に帰ることって、俺の勝手だよな」

 

「はい」

 

「多分、イリヤ達は泣くだろうけど、それでも俺は帰るんだろうな、あの世界に」

 

「あなたはそういう人でしょう。あなた自身も、それはわかっておいででしょうが」

 

 でも。自由気ままな礼装は、続けてこうも告げた。

 

「それは、間違いではありません。元より、不測の事態がたまたま長く続いてしまっただけのこと。間違いというなら、この状態こそが間違いであって、あなたはそれを正常な状態へ戻そうとしているだけ。違いますか?」

 

「かもな」

 

 否定はしない。事実そうだ。

 間違いと言うならば、衛宮士郎に妹など居らず、六年前にもう父は死んでいる。母は存在せず、おっちょこちょいでマイペースな家政婦なんて何処にも居ない。

 だから、これは可笑しいのだ。

 ちょっとした夢の中で、過ごす時間が長くなって、それで目を覚ますのが嫌なだけ。

 なのに。

 

「この記憶が、気持ちが間違いなら……だったらなんでこんなに、胸が苦しいんだろう」

 

 分からない。

 間違いが間違いではなく、正しさが正しいわけではない。

 どちらも正しくて、どちらも間違っているわけでもない。

……きっとこれは、永久に答えなど出ないまま、胸に抱えて生きていくしかないのだろう。問い、悩み、そうやって生きるのが、人間の特権であり。これは、永遠に俺が死ぬまで、胸の中を掻き毟っていく。

 

「……生きるって難しいな」

 

「あなたが言うと、確かに実感がありますね。皮肉ですが」

 

 全くだ。

 立ち上がる。いつまでも浸っている場合なんかじゃないだろう。浸りに来たのは美遊であって、俺はそれを断ち切りに来たのだ。

 

「ありがとうな、サファイア。愚痴に付き合ってくれて」

 

「愚痴のつもりだったのですか? 泣き言にしか聞こえませんでしたが」

 

「……お前のそういう遠慮がないところ、姉貴そっくりだよ」

 

「ありがとうございます。しかし意外でした。あなたはもうとっくにそういった感情の区別がついていたと思っていましたが」

 

 ついていたさ。ただ、変わらないと思っていたモノが変わっていたから、思い出しただけ。俺にとって、それだけ衛宮邸は変わることなどあり得なかった思い出の塊なのだ。

 道場を出る。もう残りは土蔵しかない。

 道すがら母屋を見ると、美遊は縁側でずっと本を読んでいるようだった。俺と近い苦しみを持つ少女は、いつもと変わらず柔らかな表情で、物語を読み込んでいる。まるで何かを忘れようとするかのように。

 と、美遊がこちらに気づいた。ぱぁ、と顔を輝かせて、小さく手を振る。可愛らしいその姿に、曖昧な笑顔と小さく振り返してみるが、胸のざわめきは収まらない。

 

「……ダメだな、どうにも」

 

 やはり、これも人間として成長したからか。魔術師としては決定的な弱さが、更に浮き彫りになっている。

 ともあれ、あとは土蔵だけなのだ。結局収穫はゼロ、残ったのはつまらない感じ慣れた寂寥感だけだ。それだけは避けないと、立っていられなくなる。

 しかし中を覗いて、早々に諦めそうになった。

 他の場所と同じように、土蔵もその中身はほぼ別物だった。土蔵と言えば俺にとって、自分の部屋みたいなもので、何に使うか分からないのに誰かが持ってきたガラクタや、季節によって使わないモノを収納する倉庫みたいな場所だった。

 しかし、この土蔵には何もない。

 藤ねぇが持ってきたガラクタも。

 今まで一緒に過ごしたモノも。

 何も、ない。

 がらんどうな暗闇だけが、あるだけ。

 

「……はぁ」

 

 手掛かりなし。

 解析の魔術は何もヒットしない。

 期待を裏切られ、たまらず肩を下ろす。最も衛宮士郎にとって関わりが深い場所、それが土蔵だ。その土蔵に何も無いのならば、衛宮邸には何も。

 

「士郎様」

 

 と、思っていたときだった。

 

「ここ。何かありませんか?」

 

 サファイアが指したのは、土蔵の入り口のすぐ近くにある床だった。コンクリートの床には、無論何もない。だがサファイアがその周囲をぐるりと一周すると、それが取っ掛かりになって感じ取った。

 何か、ある。魔術の痕跡、それも儀式と言っても良い大がかりな何かが。

 

「これは……認識阻害? いえ、空間そのものを騙しているような……まるでリフォームするように空間を逐次作り直している……?」

 

「この綻び広げられるか、サファイア?」

 

「勿論。こと空間、時間、三次元的な魔術は私達に一日の長がありますので」

 

 サファイアは降り立ち、コンクリートの床を体でなぞっていく。なぞり、見えてきた線は慣れ親しんだ形となって浮かび上がる。

 魔法陣。しかも、ただの魔法陣じゃない。これは……。

 

「霊脈と接続するための術式……? しかし、何のために? 霊脈と接続したならその次があるハズなのに、痕跡が何処にも……」

 

「ある」

 

「、士郎様?」

 

 分かる。誘われるように左手の甲で魔法陣に触れる。

 ぴり、と弾かれるような痛み。水ぶくれが破裂するイメージ。それにあえて逆らって、浮かんだ魔法陣を引きずり出した。

 

「見つけた」

 

 暗かった土蔵を、ぼう、と青白い光が照らす。魔法陣が起動したのだろう、左腕を通して少しずつ魔力が浸透してくる。

 が、それはどうでもいい。

 

「召喚魔術……!? 霊脈との接続はこのため……?」

 

「ああ。そしてこれは、ただの召喚魔術じゃない。サーヴァントを呼び出すための術式に変化させられたモノだ」

 

「十年前の第四次聖杯戦争時の、ですか? しかしそれは事前に止められたハズじゃ……!?」

 

 サファイアも気付いたらしい。

 第四次聖杯戦争は始まる前に終わった。だとすれば、そもそもこの術式があるハズない。

 ないハズの術式。それを隠そうとした世界そのもの。そして何故か反応した、俺の左手にあった令呪の跡。

 つまり、

 

「これは元の世界の魔法陣。俺がセイバーを召喚したときに使った魔法陣、そのものだ」

 

「……!」

 

 間違いない。

 勘でしかないが、分かる。これはサーヴァントを召喚するためのモノだ。見たのは一度きりだが、例え今はぼやけてしまっていても、これは確かにあの夜の証拠。

 

「し、しかし、あり得る……のでしょうか? あり得たとしても、何のためにこの土蔵をこちらの世界に送ってきたのか、その目的が……」

 

「ああ、分からない。サーヴァントを召喚する魔法陣自体は、多分そこまで特殊じゃない。大事なのはサーヴァントを召喚するための聖杯だ」

 

 だから、分かったことは一つだけ。

 

「これを隠してたってことは、知られると何か不味いことが、まだこの世界にあるってことだ」

 

 魔法陣が輝きを失い、みるみる内にコンクリートの床に吸い込まれていく。それはまさに、見えない手のようなモノが覆い被さって、無理矢理カーペットの下に仕舞い込むような不気味さ。

 

「……なぁサファイア。前に言ったよな、この世界は可笑しいって。それでお前はこうも言ったよな、そんなハズはない、自分達が探知出来ないのならと」

 

「……はい」

 

「これを見てまだ言えるか?」

 

 声はなかった。ただ、サファイアは羽を振って答えるだけだった。

 完璧に見えていたような世界。

 その世界で簡単に見つかった綻びは、俺の心に不穏な何かを植え付け、急速に根を張ろうとしていた。

 

 

 

 


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