Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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一日目~学校、確認~

ーーInterlude 1-1ーー

 

 

「……ん、じゃあ準備してくるよ。 イリヤはセラに伝言頼むな」

 

 それじゃ、とだけ言って、部屋の中へ戻る彼ーー衛宮士郎。

 それを見届けていたのは妹である、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンなのだが、彼女の顔はとろけにとろけきっており、士郎の顔があった空間をじーっと見ている。 その頭の中で反復する言葉と繰り広げられる妄想には限りがなく、そのままならあと数時間は浸れるだろう。

 しかしそんなことをしていれば、学校に遅れてしまう。

 

「イリヤさーん? ほらほら、お兄ちゃん妄想はそれまでにしておかないと、あの年増家政婦からまた小言もらいますよー?」

 

 そう待ったをかけたのは……何と言えば良いか、とにかく玩具だった。

 プラスチックにも似た材質で作られた、五芒星を象ったそれからは、計六枚の羽が飛び出しており、まんま幼女が一度は使いそうなモノだ。 しかしその可愛らしい外見とは正反対の言葉を放つ辺り、これの制作者は余程性根が折れ曲がっているのだろう。

 それ、マジカルルビーの忠告で現実に戻ったイリヤは、慌てて口元をごしごしと袖で拭く。

 

「べ、別に妄想なんてしてないし! というか妄想せざるをえないし……あんなの……」

 

 髪からひょっこりと出たルビーに聞こえないよう言ってみたものの、それは逆効果だ。 何せ兄のことを考えてしまえば、嫌でも先のことを思い出す。

 

ーーもう、一人になんかさせないから。

 

「~~っ……!!」

 

 優しい声と、温かい手。 顔が見えていなかったのは、本当に幸運だった。 もし見えていたなら間違いなく、目を合わせることだって出来なかった。 イリヤがまたもや悶絶すると、ルビーがすかさず茶々を入れる。

 

「おおう! イリヤさんの乙女のらぶぱわーが上がってます! どうです、一発転身でもしますか!? ちょっと放出していきますか!?」

 

「しないよっ、こんな朝っぱらから!」

 

 つん、と顔を反らし、そのまま大股で下へ降りていくイリヤ。 蹴立てるようなその足取りは、そのモヤモヤした気持ちをぶつけているのだろう。

 一日の始まりは、とても良かった。

 だがーーイリヤの耳に、その声はしっかりと聞こえていた。

 

「……ま、泣きそうな顔で言われたって、嬉しくはないですけどねー」

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 朝は忙しい。 それは俺の世界も、この世界も同じだ。 俺の場合は桜という助手も居たおかげで回っていたが、それも藤ねぇしか居なかった去年までの話。 セイバーや遠坂が住むようになり、代わりに桜が来れなくなった今の衛宮家は戦場だ。 いや戦場という意味合いは、作る側と食べる側でまた認識が違うだろうけど。

 つまり何を言いたいかと言うと。

 現職のメイドに、主夫なんぞが勝てようハズがない、ということだ。

 

「……ぬぬぬ」

 

 時間は朝練終了後の八時前。 既に制服へと着替えを済ませた俺は、弓道場から校舎へと入る。

 あの後、とりあえず俺は学校へ行くことにした。 この世界の情報を得るためというのもあるが、何よりイリヤを含めたみんなに怪しまれでもしたら不味い。 只でさえ嘘が顔に出る性分なのに、付け込まれるネタを与えるわけにはいかない。

 しかし、そのときには既に七時を過ぎていた。 前も言っていた通り、エミヤシロウは弓道部に在籍しており、朝練だって欠かさない。 このままでは朝食、片付け、身支度と家事にかかずらってる間に朝練は終わってしまう。

 が、俺のーーエミヤシロウの家には、凄腕の専属のメイドが居た。

 二人とも女性で姉妹らしく、お姉さんがセラ、妹はリズと言い、今日も朝から完璧な家事をしてくれたのだ。

 他人が作った料理など、桜か遠坂ぐらいだった俺にとって、それは新鮮で、同時にそんな幸せを奪った本人なのだともう一度自覚させてくれた。 まぁセラは少しお母さん気質だし、リズは家主かと言わんばかりのだらけっぷりではあったのだが……それはそれ、これはこれ。 弁当も伴って、途中からでも何とか朝練に間に合うことが出来たのだから、感謝してもしきれない。

 

「……とはいえ」

 

 肩を回して、一息つく。 久々に持った弓は軽く、入部していた感覚はすっ、と思い出せた。 思い出せてしまった。

 エミヤシロウの弓の腕は悪くない。 部内でも彼より上に居るのは、慎二と美綴ぐらいだろう。 高校生としては破格のレベルだ。

……だが、しかし。 俺はその一般人から逸脱した魔術師だ。 弓道とは自身を殺し、存在を無くすことで無我の境地に至るモノであり、その基本は魔術と非常に似通っている。 故になんだ……適当にやることも俺の流儀に反しているので、本気でやってみた。

 で、結果……四射とも的のど真ん中に中ってしまい、いきなり皆中をかましたわけだ。

 

「……何かこう、ズルした感じしかないのは何故だろーか……」

 

 弓道とは、型や射形の精美さを競う競技だが、同時に礼節や所作なども得点として入る。 何故ならそうした所も含めてきちんと通さないと、的には中らないからだ。 つまり中るときは、そういう所作や型は勿論、射形がしっかりしてなければならないため、上辺だけ綺麗にしようが的には中らない。 そのため一射一射の集中力は計り知れない上に一度乱せば中らないのだから、中々に厳しい競技なのだ。

 で、それを四射続けて中る皆中など、朝練に駆け込みで来た寝起き学生なぞに出来る技ではない。 その点スイッチの切り替えが効く我が身が役に立ったが……。

 

「……失敗したな、ホント」

 魔術師の俺が弓道部に居ても、仕方がないだろう。 弓道は好きだし、射も嫌いではないけれど……でもだからと言って、弓道にかまけてる暇がないのも確かだ。

 弓道八節の中で、久という言葉と共に、 『日に二百以上の矢をかけよ、それ以外は矢放しに過ぎぬ』という教えがある。 これは常に矢を射続けろ、一日も絶やすなとか何とか、そんな意味が込められている。

 その点、俺には久が欠けてしまっている。 俺の矢は自身に中る矢だ。 この先必要になるのは、敵に当てる矢であり、半端者が居て良い部でもない。

 そんなわけで惜しいことではあるものの、今日限りで弓道部を辞めようと画策していたが、今朝の射のせいで期待されるばかり。 慎二は怒鳴るわ、美綴は怖ーい顔で笑いながら宣戦布告してきたり……とにかく大変だった。

 

「……はぁ」

 

 教室に入り、クラスメイトに挨拶すると、自分の席に座る。 が、しかし、俺はすぐに机に倒れ、頭を抱えてしまう。

 

「こんなことなら、気分が悪いとでも言えば良かったかな……」

 

 失礼なことであるが、それは仕方ない。とにもかくにも、早いとこ休部届け出さなきゃな……と、そのときだ。

 

「どうした衛宮? 朝から疲労の溜まった顔を見せて。 勉学に励む顔とは到底思えんが?」

 

 少し低めの声。 前を見れば、そこにはすらっとした顔立ちをした男が一人。 古風染みた言葉と振る舞いは、俺の知る柳洞一成そのものだ。

……ああそうだ。 一成に相談してみたら良いかもしれない。 うむ、我ながら良い作戦かも。

 

「よ、一成。 突然だけど、四の五の言わず話を聞いてくれないか」

 

「俺は構わんが……もうすぐホームルームだ、長話なら聞いてやれん」

 

「……うげ」

 

 よく考えたら、朝練を済ませた後だ。 元々時間など余ってはいない。 しかし今日の授業は少人数教室と移動が多く、一成とゆったり話せる時間は、十分の休み時間では足りない。

 仕方なく、俺は人差し指を立てて言った。

 

「……分かった。 じゃ、昼時に相談させてくれ」

 

「あいわかった……と、予鈴だな。 ではな衛宮」

 

 背筋をぴん、と伸ばしたまま、一成は一番後ろの自分の席まで下がっていく。

 同時に、教壇側の扉が開いた。 そこには藤ねぇどころか、俺の知らない教論が立っている。

 エミヤシロウの記憶では、彼が自分の担任となっている。 だが正直違和感ありまくりだ、何せ記憶の中の景色と違いすぎる。

……ここから、また始めよう。

 先はとても暗いし、どうしようもないけれど。

 それでも俺は、もう後には退けない。

 せめてこの続いていく毎日だけは、前と変わらぬように。

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほど、事情はおおよそ理解した」

 

 一成はそう言って、俺が献上した唐揚げを頬張る。 時は既に昼休み、俺達はいつものように生徒会室で昼食をとっていた。

 事情を話すついでに、自分の気持ちなどを整理してみたが、やはり俺の意思は変わらない。 弓道部は辞めて、魔術一辺倒にした方が良いだろう。 今は魔術回路自体が眠っているので、こうしてその脆弱さを自覚出来るほど弱ってしまっている。 その遅れを取り戻すためにも、早くどうにかしないと。

 

「つまり衛宮は、弓道部は辞めたいが、自分では断りきれるか自信がない、と。 そう言いたいわけか」

 

「……うーむ。 そうなるのかな」

 

 一応、断れはする。 ただ穏便に行くためには、言葉足らずの俺だけでは不可能だ。 一成は考え込む俺に、更にこう切り込んできた。

 

「何故だ?」

 

「え?」

 

「何故、辞める? 何か理由があるんだろうが、どっちにしろ放り出すのは衛宮らしくあるまい。 間桐ならともかく、お前は誠実な男だと認識していたが」

 

 鋭い。 流石は穂群原が誇る、鬼の生徒会長。 まさか本当のことを言うわけにもいかないし、ここは適度にぼかす。

 

「えっと、だな。 それにはやんごとなき事情というか、使命というか。 それを果たすには一生を費やすしかないというか……」

 

「またそれは、随分と大事だな……俺に、話してはくれないのか?」

 

 真っ直ぐと、俺と目を合わせて、一成は問いかけてくる。 その顔には、親友なのだから頼れと、そう大きく書いてあった。

……参った。 いや、世界が違おうとも、柳洞一成は柳洞一成のままだった。 親友が変わらないということは、良きことである。

 そんな親友に、どうして嘘をつけよう。

 

「ああ、話せない。 これは俺自身が、俺自身の手で、為し遂げなきゃいけないことなんだ。 例え一人では不可能なことでも、それでも俺はやらなきゃいけない……」

 

 もし人生を道とするのなら。 それは恐らく、あの空へと繋がり、見知らぬ何処かへと続いている。 そんな大きなモノ、俺の手には余る代物かもしれない。

 それでも、守ると決めた。

……例え、いつかはバレる偽りの想いだとしても。

 それでも、守ると決めたのだ。

……例え、別れがすぐそこに来ようとも。

 

「だから悪い、一成。 お前の手を借りることは出来ない。 これは俺の我が儘だから」

 

 沈黙。 何も伝えられないなりに、自分の気持ちを伝えようとしたが、これでは伝わらないだろうか……?

 

「……全く。 何を自信の無さそうな顔をしている。 伝わったよ、衛宮の思いは十分にな」

 

「……ホントか?」

 

「ああ。 ま、なんだ。 こう言ってはなんだが、俺は少し嬉しいのかもしれん」

 

「嬉しい? また何で?」

 

 弁当を食べ終わり、一成は箸を置くと、そのまま隅にある急須へと足を運ぶ。 その顔には、笑顔がある。

 

「お前は我が儘を全く言わんからな。 それに欲もない。 聖人かと思えば俗人、かと言って俗人にしては変人だ。 あえてハッキリと言うなら、お前は人間らしくない」

 

「……んん? いや、俺出来ないことはやらないし、我が儘だって言うぞ?」

 

「それは我が儘ではなく、ただの断りと言うのだ、たわけ」

 

 ことん、と置かれた湯飲み。 それを受け取ると、口に運ぶ。 程よい苦味と熱さが、舌を刺激するが、俺は未だにちんぷんかんぷんだ。

 

「……いや一成。 結局、お前は何でそんな嬉しそうなんだ?」

 

「む? 今ので分からんか? つまりだな、お前も人の子だと分かったからだ。 やましい気持ちも無いだろうが、あの衛宮が理由もなしに相談だ。 前々から危ういところもあったが、お前が個人的な欲を見せてくれたのは、素直に嬉しいのだよ。 うんうん」

 

 善哉善哉、と快活に笑ってみせるお山の子。

……もしや俺って、そーとー変な奴だったのだろーか? いやまさか、藤ねぇや遠坂ほどではないだろ。 あの二人を超えてたら、色んな意味で沈む、間違いない。

 そして一成は、湯飲みを片手に続ける。

 

「ま、普段なら煩悩にまみれた相談など、一喝するだけだが……衛宮は別だ。 目を見れば分かる、お前の欲は清い。 その使命とやらの答えは出せんが、相談なら手伝ってやろう」

 

「え?……って、もしかして一成、退部を手伝ってくれるのか?」

 

 目を丸くする。 運動部を目の仇にすると言っても、表向きは生徒会長だ。 退部を手伝うなど、それこそまた運動部との溝を深めかねない。

 

「……本当に良いのか?」

 

「なに、友を助けるのに溝だの何だの言ってられまい。……それにだな、衛宮。 たまにはガス抜きをしないと、生徒会の仕事も上手くいかん。 丁度良い案件だからな、一つ弓道部を困らせてやるとしよう」

 

 今度はくくく、と悪代官さながらの顔になる生徒会長。 その表情をもしクラスメイトの女子に見せたりすれば、恐らく穂群原を二分したイケメン勢力は大きく変わるに違いない。 それぐらいヤバかった。

 

「……お手柔らかにな、一成」

 

「何を言う衛宮。 敵は潰す、それが一番の解決策だ。 托鉢故、手荒なことになりそうだが、それは仏の預かり知らぬ学校。 付き纏う輩は投げ飛ばすぞ、はっはっは」

 

「……あー」

 

 それは比喩表現ですよね、一成殿……。

 そうであることを、一応願うのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

……さて、放課後になった。

 弓道部はすんなりとは行かなかったが、一成の援護もあってか、一応辞める方向に持っていくことに成功した。 明日、顧問の教師に退部届けを出せば、話はこれで終わりだ。

 だが、すんなりと行ったのもそこまでであった。

 

「……はぁ」

 

 辞めるとなれば、当然部員のみんなに説明しなければならない。今まで世話になってきたのだ、当たり前と言えば当たり前なのだが……。

 

ーーはぁ!? 辞めるぅ!? おまっ、ふざけんなよな!? 衛宮のくせに、途中で抜け出すなんて許されないんですけど!

 

ーーおいおい衛宮……あんな射を私に見せといて、のこのこ辞めるってのか? そりゃあないだろ、残れ。 良いな?

 

ーーせ、せせせせんぱいっ、辞めちゃうんですかっ!? なんで、どうして、どんな風に、何故に、なんでさ!?

 

……ちなみに上から慎二、美綴、桜の三人の、極一部の反応である。 実際にはこれの十倍ほどの説得の言葉を部員全員から大合唱され、最終的には一成と共に弓道場から避難したのである。

 並んでグラウンドを歩きながら、

 

「……悪い、一成。 まさか伏兵が居るとは思わなかった……」

 

「……いや衛宮、あれは伏兵というより、お前が自ら火に飛び込んだだけだぞ。 奴らにとって、お前は獅子身中の虫だったわけだ」

 

「……うへぇ」

 

 つまりお前が悪い、とのことだ。 それは自覚しているので、心苦しい限りなのである。

 しかし、何だかんだで引き留めても、強制はしなかった辺り、みんな俺がもう辞めることは分かっていたのかもしれない。

 くよくよしたって仕方無い。 問題はこれからなのだ。

 

「……なぁ一成。 退部手伝ってくれたし、これからはお礼に何でも手伝うぞ。 備品の修理なら出来るし」

 

 ぴく、と一成の眉が動く。 甘言とまでは行かないものの、やはり魅力的なのだろう。

 

「む……いや、遠慮しておこう。 やることがあるなら、こちらの都合など無視することだ」

 

「そんなこと思ってない。 それに、そのやることに、備品の修理は良い鍛練になる」

 

「?……備品の修理がか?」

 

 頷いて、俺達は更に歩く。

 衛宮士郎の魔術は、究極的には一つだ。 しかし、その魔術もおおっぴらに発動出来る代物ではないし、そもそも俺だけでは発動出来ない。 それ故基本的に、俺の使う魔術はその一つから零れ落ちた、副産物なわけだが……その副産物も、修練すれば戦力になる。 武器は多い方が良い、本人が弱いなら尚更だ。

 

「……何か上手く丸め込められた気もするが、そういう事なら頼もう。 今日の内にリストを作っておく、明日からは忙しくなるが、構わんな?」

 

「構わんよ、一成殿。 俺だって修行の身だ、鍛練にどうこう言わないさ」

 

 そうして、歩いてきたのは駐輪場だった。 俺は停めていた自転車の鍵を開け、跨がると、

 

「じゃあ、今日は本当にありがとうな、一成。 助かった」

 

「気にするなと言っただろう。 お前は少々人が良すぎるぞ。 間桐までとはいかんが、もう少し横暴に生きても良いだろう?」

 

「……ん、そうだな。 肝に命じとく。 じゃ」

 

 手を振る一成に振り返し、俺は自転車を漕ぎ出した。

 あっという間に駐輪場から校門までを走り抜け、ついでペダルをもう一回転させて校外に出た。 しゃー、とタイヤが回る音に耳を傾けてみると、見知った/見知らぬ通学路を見渡していた。

 俺が知る冬木市と比べると、ここは些か年数が進んでいる。 大体十年程度か。 公衆電話なんてほぼ見かけないし、道路も白線や中央線が新しく引かれ直されている。 建物も何処かインテリな感じで、昔ながらの日本家屋なんてほぼない。

 

「……ホントに違うんだよな」

 

 夕焼けに染まる冬木市は、俺の知らない景色に変わっている。 それが何となく寂しいし、遠い何処かへと来たのだという感慨深さを生まれさせる。

 たった、十二時間。 ここに来て、まだ十二時間だというのに、もう長い時間ここに居る気がする。 そして不思議なことに、俺は何故か、そこまで帰りたいと思っていない。

 原因は間違いなく自業自得だが、それにしても帰りたがらないのは、他にも理由があるような……。

 

「……っ、」

 

 と、元の世界のことを思い出そうとして、不意に頭痛が走った。 内側から何かが殴り付けたようなそれに、一度自転車を停止させて、額を抑える。

 もう一度思い出そうとして、何かがヒビ割れたような、身の毛のよだつ激痛が俺を貫く。 これはーーそう、アーチャーと戦ったときのような、世界による修正力だ。 次第に熱を帯びていく頭は思考を放棄し、とにかくコントロールしようと自意識に手を伸ばした。

 

「……は、っ、はぁ、……」

 

 さながら、魔術回路の精製に失敗したときのような、命の危険。 それを何とか押さえ付け、視線を周りに向ける。

 

「……あ」

 

 よく見れば、既に住宅地に入っている。 しかも俺が居る場所は、自宅のすぐ側だったのだ。

……偶然だろうが、とにかく良かった。 もし通り過ぎていれば、怪しまれていたに違いない。

 しかし、先程の頭痛は何だったのだろうか。 もしや元の世界のことを思い出すと、矛盾が発生してしまうのか?

 

「……それもそうか。 何せ、同一人物なんだしな」

 

 ここにいるエミヤシロウが、別の衛宮士郎の記憶を見る。 なるほど、これは確かに矛盾だ。 魔術も使わず、平行世界のことを知るなどあってはならない。

 

「……」

 

 つまり、だ。 俺はもう、どちらかを取るしか無くなったのだ。

 このままだと、俺は元の世界のことを思い出さず、帰る手段を見つけなければいけない。 どれだけ焦がれても、それは矛盾だから。

 そしてもし、俺が元の世界に帰ってしまったら、この世界のことは忘れなければならない。 俺の世界で、別の世界のことは思い出してはならない。 そうしなければ、また今回のような頭痛だけではなく、世界そのものが襲ってくる。

 

「……あぁ」

 

 天秤に例えれば、簡単なこと。 傾いた方だけ、俺は思い出すことが出来る。

 ここに居れば、イリヤ達を。

 元の世界に帰れば、遠坂達を。

……目の前に居る人だけを、想うことしか出来なくなる。 たった、それだけの話。

 どれだけ会いたいと願ったとしても、その願いが両立することは、生きている限り決して無いとしても。

 世界という隔たれた壁は、余りにも高い。

 それが、俺に残された唯一の道だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。 皆が寝静まった、午後十一時を目処に、衛宮士郎は魔術師として行動を始める。

 とはいえ、することはまず足場を固めること。 兵法の基本は常に身の回り、つまりは現状確認である。

 自室。 一階の明かりが消えたことを確認し、俺は結跏趺坐の形で、目を閉じる。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 撃鉄を落とす。 それは衛宮士郎が、魔術師へと変わるスイッチだ。 これより先、この身は魔術を行うための回路でしかない。 断線しようが何だろうが、それは分不相応の魔術を使うからだ。

 俺は試しにと、昨日まで働いてくれた弓を目の前に置き、手を添える。 そこから自分の魔力を流すやいなや、神経を張り巡らせる。

 

「……基本骨子、解明。 構成材質、解明。 基本骨子、補強……」

 

 結果は見るまでもない。 俺が目を開けると、そこには鉄のように固く、なおかつ腕のようにしなる、弓があった。 解析、並びに強化の魔術は成功だ。

……さて、後は一番の問題だけだ。

 設計図は頭に。 その剣を出来るだけ細かく、丁寧に思い描くと、俺は呟いた。

 

「……投影、開始」

 

 瞬間。

 俺の両腕の中で、魔力が弾けた。

 

「……ぐ、ぅ、……!!」

 

 さながら滝の中に居るような、濃い魔力の奔流。 それを自分が生み出しているのだと知ると、その手綱を掴もうと躍起になってイメージする。

……いい加減自覚しろ。 衛宮士郎に才能はない。 お前に出来ることは、その心を具現化させることのみ。 それ以上のことは俺の身を滅ぼす。

 だから、出来ないことではない。

 投影は俺の魔術だ。 ならばその手綱程度、片手でも握ってみせるーー!!

 

「……ふ、はっ、ぁ、……っ、ぁ……」

 

 ぽた、と冷や汗が頬から落ちる。 落ちた場所は、俺の手にある、干将莫耶という双剣だ。

……干将莫耶。 かつて聖杯戦争において、未来の俺自身であるアーチャーが使っていた愛剣。 陽剣干将、陰剣莫耶。 古代中国の呉の刀匠である干将とその妻莫耶が生み出した、夫婦剣だ。

 宝具のランクこそC-だが、その頑丈さと投影にかかる負担は少なく、俺の手にもすっかり馴染んでいる。

 が、そんな双剣の投影ですら、今の俺には命懸けだった。

 

「……ふぅ」

 

 手の中の夫婦剣を、転がしてみる。

 しかし、思い描いた双剣と、俺が作り上げた双剣は、まさに雲泥の差がある。 基本骨子にムラがありすぎるし、構成材質に至ってはスカスカ。製作技術もてんでダメ。 これではまだ無銘の剣を投影した方が良さそうだ。

 

「……投影は出来るけど、宝具はまだ実践じゃ難しいか」

 

 恐らくだが、俺の身体はエミヤシロウと融合している。 つまり、もう一人俺という、肉体がある状態なのかもしれない。 マトリョーシカではないが、感覚的にはそれに近いか。

 だがそのせいなのか、魔術を使う感覚を身体が忘れかけている。 何せ半分は魔術とは無縁な体だ、得意とはいえ、使い方を知らないのである。 これで剣製が上手くいくハズがない。

 

「……改めて考えても、問題は山積みだなぁ」

 

 夫婦剣を魔力へと還す。 そのまま足を伸ばすと、背中のベッドにもたれかかる。

 今後の鍛練次第だが、しばらくは無銘の剣を投影しつつ、干将莫耶の投影もこなしていく形で続けていこう。 要は覚えていないだけだ、すぐに覚えさせることだって不可能じゃない。

 ともすれば、実践を想定して、色んな剣を投影した方が良さそうだが……。

 

「実践、か」

 

 左手を宙へ。 そこにかつてあった、紅の痣を幻視するが、頭痛で霧がかかったように思い出せない。 俺はそのまま、手を握ったり開いたりしてみたが、何も掴めやしない。 当たり前だ、掴むものすら分からないのだから。

……今日一日過ごして、分かった。 ここは、平和だ。 実践だの何だのと想定してみたが、ここは平和なのだ。

 魔術とは、秘匿され、孤立し、目的として学んでいくものだ。 本来俺のように、戦うための手段ではなくーー学ぶという目的こそが、魔術師という生き物だ。

 その点、俺は魔術師らしくない。 しかし人を殺したことは一度もないが、斬ったことは何度だってある。

……そんな奴が平和なところで、何故戦う準備などする必要があるのだろう?

 

「……そんなの、決まってる」

 

 イリヤを守るため。 ここの人達を、守るため。 そのためには強い武器が、それを生み出す魔術が必要だ。

……しかし、それは本当に必要だろうか?

 普通に暮らすのであれば、魔術など要らない。 守るというなら、自分が魔術師である限り、イリヤを魔術の世界に足を踏み入れさせることになる。

……また、過ちを犯すことに、なるのだ。

 

「……それは、ダメだ」

 

 無意識に否定する。 でも否定したところで、俺はどうすれば良い?

 イリヤを守りたい。 なのに、守ろうとすれば、俺は魔術を使うしかない。 助けたいのに助けられない。 守りたいのにどうすれば良いのか、分からない。

……同じだ、と思い出す。

 正義の味方になりたくて、けれどそれになるためには、何をしたら良いのか分からなかった、これまでと。

 分かっていたことだ。 アーチャーとの剣戟は、ただの意地の張り合いだった。 その末に得るのは、メッキを張り替えるだけの、今まで通りの思いだけ。

 貫いてはみた。

 なのに、どうして俺はまだ、こんな基本的なことすら分かっていなかったのか。

 

「……」

 

 ああ。 確かに、これは偽物だ。

 本物なら、守る方法はと聞かれれば、すぐに答えられる。 それがどんな方法であれ、結果的に守れる方法を答えられる。

 けれど、俺はどうだろう?

 俺の守る方法なんて、結局は火種でしかないじゃないか。 ここに危険なんてない。 それを知っていたのに、何故俺はまだ、魔術師であろうとするのか?

……それは、破綻している。

 守るために、誰かを危険に晒すなど、そんな守り方は。

 

「……そう、か」

 

 きっと。 アーチャーは、そのことを知っていたのかもしれない。

 誰もが幸せで欲しいと願った男。 しかしその男も、守り方を知らなかった。 ただ争いがあったのなら、そこに介入して止めるしかない。 そうして守った人も、救った人も居たのかもしれないけれど……そうやって、失った人を見たとき、彼はどう思ったか?

 自分が殺した。

 救った人に対して、たった一割。 いや、最初はそう上手くいくハズがない。 救った人に対し、七割、場合によっては九割という人を失ったこともあっただろう。

 殺して、殺して、殺し尽くした。

 守るために、失わないために。

 自分の、他人の居場所だけであっても。

……魔術を使い続けて、その末に、あの剣の世界へたどり着いたのだ。

 天秤がある。

 天秤が、未だ俺の前にある。

 

「……分かってる」

 

 それはドロドロの沼が入った杯を、二つ載せた天秤。 傾いたら最後、その杯の中身は二つとも溢れ、俺はそれを飲み干さねばなるまい。

……それはアーチャーも通った道だ。

 何処かで、奴も越えていった道。

 それを、俺はどうしたいのか?

 

「……ふざけろ。 答えなんて、最初から決まってるじゃないか」

 

 確かな芯を伴って、俺は断言する。

 贋作者の自分に、道なんて必要ない。 道など、そんなモノは作ってしまえば良い。 贋作者だから、自らの道も開けない、なんてことは、絶対に無いのだ。

 お前とは違う。

 そう言ったのであれば、同じ道ではダメだ。 贋作(フェイク)では意味がない。 貫くのであれば、想いと共に、その目指した道を貫くしかない。

 

「……そう、簡単なことだ」

 

 擦りきれるのは俺だけで良い。

 でも、後悔だけはないようにして、これからを生きる。

 窓から、空を見上げる。

 届かないと知っていた空は、今日も遠い。 あの空に届く日は、恐らく来ないだろう。

……それでも、目指す価値はあると、俺は知っているから。 行き着いた先は、間違いなんかじゃないって……そう、信じているから。

 だから、今日を生きている。

 

「……ん?」

 

 と、そのときだった。

 

「……イリヤ?」

 

 視線を空から外し、何の気なしに下を見る。 しかし、そこには外へ駆け出す、イリヤの姿が見えた。

 さながらそれは、妖精がおとぎの国へ帰るような、そんな光景だった。 白銀の髪を揺らす彼女は、そのまま新都方面へと走り去っていく。

 

「……何してるんだ、こんな時間に?」

 

 学校に忘れ物……にしても、何だか表情が硬い。 一戦交えようかと言わんばかりの気迫だ。

……ともかく、こんな夜更けに一人は危険だ。 不審者に絡まれでもしたら大変である。

 俺はすぐさま服を着替え、ゆっくりと部屋を出る。 そのまま物音を立てずに階段を降りると、靴を履いて外へと出た。

 

 空は遠い。 しかし、その上にある月は、雲で隠れ始めていた。

 

 


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