Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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古戦場あるので早めに更新します(お空の上から




深夜~二度目の地獄、二度目の喪失~

 

 大空洞地下、鏡面界。

 本来なら土で埋まっているハズのそこは今、黒い泥で満たされていた。粘着質な、それでいて光すら飲み込む漆黒の泥の中心で、体の半分を浸からせた少年は呟く。

 

「さて、夢は終わりだよ」

 

 鏡の世界に亀裂が走り、甲高い音を立ててひしゃげる。

 現実に、悪夢が侵食し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude14-1ーー

 

 

 その異変に一番最初に気づいたのは、美遊だった。

 誕生日の前祝いをした後、美遊はそのまま衛宮家に泊まっていた。アイリの寝室で何故かイリヤ、クロの二人と同じベッドに寝ることになってしまったのだが、それはそれでいい。暑苦しい気持ちはあるけれど、心までぽかぽかしていたから。

 だがそれも、深夜一時を回った今終わりを迎える。

 

「ん……?」

 

 チリ、と頭の奥に焼けるような痛み。

 眠りを邪魔された美遊は顔をしかめて、寝返りを打とうとする。

 しかし。

 ぞぶ、と心臓を炙られたような圧迫感の後、それが全身に広がった。

 

「か、は、っ……!?」

 

 美遊が一番外側に寝ていたのが幸いした。ベッドから転がり落ちて、犬みたいに舌を出す。ぜひゅ、と耳に届いた呼吸が余りに遠い。

 炙られるような感覚は続いている。全身を苛むそれは、皮を剥がされる痛みにも似ていた。

 

「ミユ……? ミユ!?」

 

 異変に気づいたイリヤが慌ててベッドから降りて、美遊の手を掴む。しかし美遊は返事をする余裕すら無いらしく、唾液を垂らして喘いでいた。

 

「クロ、クロってば、起きて!!」

 

「ん……? 何よもう……トイレに行きたきゃ一人で行けば……」

 

「ふざけてる場合じゃないから! もう!!」

 

 クロが頼りにならないなら、とすかさずイリヤは相棒を呼んだ。

 

「ルビー! ねえルビー居るんでしょ!」

 

「はいはい呼ばれてきましたルビーちゃんですよーっと……ややっ? これは……?」

 

 何故かベッドの下からするりと出てきたルビーは、羽をボディにあてて、

 

「魔術回路が無理矢理開かれている……いやこれは、もっと奥のモノ……?」

 

「イリヤ様、ミユ様に私を握らせてください。外部からの干渉であれば、カレイドステッキで防げます」

 

 指示に従って、イリヤは美遊にサファイアを握らせる。途端に美遊は表情を幾分か柔らかくし、徐々に呼吸も整っていく。

 とりあえずの処置だが、上手くいったようだ。

 

「ミユ? 聞こえる?」

 

「……」

 

「眠ってしまったようですねえ。どうやら聖杯……いや、神稚児ですか。その機能を外部から無理矢理こじ開けられたようでしたし、相当な負荷がかかったようです」

 

「それって大丈夫なの?」

 

「今のところは。サファイアちゃんがそれをシャットアウトしましたから」

 

 よかった、とイリヤが一息。

 そうこうしている間にも惰眠を貪っていたクロは、やっと目が覚めたようで、ベッドの上からイリヤ達を眺め、

 

「あん……? これどういう状況?」

 

「クロってほんと間が悪いよね……知ってたけど」

 

「はぁ? 間の悪さならあなただって同じくらいでしょ?」

 

「クロにだけは言われたくないよ全く」

 

「あーハイハイ喧嘩しないでくださいよお二人とも。まずは美遊さんにこんなことをした下手人を、」

 

 探さないと。そうルビーが続けようとしたときにはもう、遅かった。

 花火にも近い爆発音。続いて空震。びりびりという窓の揺れ、程なくして聞こえてくるのは……。

 

「……悲鳴?」

 

 何か。

 とても嫌な、ぬるりとした汗が、イリヤとクロの内から湧いてくる。

 何かが起こっている。

 取り返しのつかないほど大きな何かが。

 イリヤとクロは転身すると、窓を開けて屋根へと登る。

 そこには。

 あちこちから黒煙が上がり、真っ赤に燃え上がる新都があった。

 

「……なに、あれ」

 

 イリヤは呆然と立ち尽くす。

 ただの火事ならば、イリヤとて何か他の反応が出来た。しかし明らかに、普通の火事とは様子が違っていた。

 異常なのだ、火の手が移る速度が。まるで枯れ木が巻き込まれるかのように火が加速度的に広がっていく。コンクリートも、石も、材質など関係ない。まるで炎自体が新都という町を食らっているようにも見える。

 それでも、英霊やそれに類するモノと戦ってきたイリヤにとって、そこまでの衝撃はない。確かに異様で、呆気に取られはしたが、それだけ。

 

「と、とりあえず、リンさん達にこのこと知らせないと……!」

 

「そんなこと言ってる場合じゃなさそうよ。イリヤ、視覚強化して町の方よく見てみなさい」

 

「視覚強化……ってどうやるの?」

 

「私の方でやりますので、ピントはイリヤさんの方で合わせてくださいな」

 

 ルビーはそう言うやいなや、勝手に魔術を発動させる。

 急に視界が広くなったことでイリヤは少したじろいだが、すぐに目を凝らしてぼやけた視界のピントを合わせる。

 と、景色が見えてきた。

 

「……?」

 

 飴細工のように溶ける建物。竜のように暴れる炎。だがその中心にあるのは……。

 

「黒い、泥……?」

 

 波のように押し寄せる、赤黒く濁った泥のような液体。

 それが通った跡は、何も残らない。煙を発生させて、とっぷり飲み込まれた物は姿形が消えていた。

 それを直視したためか。吐き気や、目眩と言った症状がイリヤを襲う。唾を何とか喉の奥に戻し、

 

「……ルビー、あれは?」

 

「とても濃度が高い呪いのようですね。それも魔力を持つ人間だろうが無機物だろうが関係なく……融かし、侵す。言わば呪いの形をした溶解液に近いかと。それの何倍も凶悪ですが」

 

「ここからでもあれの純度の高い魔力を感じられる。多分、わたしみたいな魔力で体を構成してる奴が捕まったら、食われてポイって感じね」

 

「どうしてそんなのが冬木に? 九枚目のクラスカードの仕業?」

 

「その可能性もありますが……」

 

 と、ルビーが考察を続けようとしたとき。

 その泥の近くで、親子連れが走っているところを、イリヤは目にした。

 

「……!!」

 

「あ、ちょっとイリヤ!?」

 

 屋根を蹴って、可能な限り全力でイリヤは新都へ飛行を開始する。慌ててクロも屋根から屋根へ飛び移りながら後を追いかける。

……このとき知るはずもなかった。

 この行動が、後にイリヤを生涯で一番後悔させることだったとは。

 このときは誰も、思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景に、見覚えがある。

 真っ暗な空を塗り潰す、灰と煙。変幻自在に伸びる魔手にも似た業火。それを直視しないように目を逸らし、結局逸らしきれなかった自分。

 十一年前に見た、あの地獄。

 黒い太陽が浮かんだ、この世の地獄の溜まり場。

 

「……」

 

 とくん、と心臓がはね上がる。

 当たり前だ。これは、俺が俺になる切っ掛けになった……あの時と同じなのだ。今まさに、新都はそうなっている。

 そして全てを救うのならーーいちいちトラウマ程度で立ち止まってはいられない。

 そう考えて、自分の部屋のドアを蹴破って、一階へ飛び降りる。そのまま玄関を開けると、外には今しがた状況を確認した切嗣とアイリさん、遠坂やルヴィア、それにバゼットまで勢揃いしていた。

 家の前の道では、近所の住民が徐々にその異界じみた新都に気づいて野次馬のように外に出てきている。

 イリヤやクロ、美遊はまだ寝ているのだろう。ひとまず切嗣へ問いを投げた。

 

「何が起きてるんだ、切嗣? 新都の火災、あれはただの火災なんかじゃ……」

 

「それは、私から説明するわ」

 

 平時と違い、憮然とした態度のアイリさんが胸に手を添えた。

 

「今さっきだけど、大空洞の大聖杯が何者かに奪われた」

 

「!?」

 

 大聖杯が……奪われた?

 遠坂がそれに頷いて、

 

「本当よ。こっちでも今ルヴィアが確認した。大空洞に近づけさせないよう貼っていた結界が破られたのよ」

 

「万一のため、私は大聖杯とラインを繋いでいてね。そのラインを通して、現在位置を確認出来るんだけど……そのラインが今、とても薄くなってしまっているの。恐らくその奪った誰かが、大聖杯を取り込もうとしているとしか考えられない」

 

「大聖杯を取り込むって……」

 

 そんなことが可能なのか、と言おうとして、それが出来る存在が円蔵山の真下に居ることを思い出した。

 

「そう。九枚目のクラスカードがあるのは円蔵円の大空洞よりもっと下。その鏡の世界に、三ヶ月近く龍脈を吸い続けた英霊が居る。普通ならそこに大聖杯なんてモノをプラスすれば霊基が崩壊しかねないけれど」

 

 それを可能とする英霊、ということか。

 ならやはり、九枚目のクラスカードは英雄王ギルガメッシュに間違いない。

 しかし、

 

「じゃあどうして新都で火災が起きてるんだ……? ただ燃やすのなら、深山町の方が近いし、わざわざ新都まで行く必要なんてないのに……」

 

「それは私も思いましたわ。されどどんな英霊といえど、所詮は黒化英霊。意思など持ち得ていないのでしょう」

 

 なら、とルヴィアに疑問をぶつける。

 

「じゃああの火災は、クラスカードの英霊が起こしてるのか?」

 

「と、私達は見ていますが……あなたの予想は違うんですの、シェロ?」

 

「ああ。今回の火災を、前に見たことがある。元の世界だと十一年前、第四次聖杯戦争の最後に起こった大火災によく似てる」

 

「……大火災……それは、確か」

 

 親父が勝者となったにも関わらず、聖杯を破壊したことで噴き出した、聖杯の泥。それによって、冬木市は未曾有の大災害に見舞われた。

 

「今回はそれと状況がよく似てる。違う点があるとするなら、聖杯がまだ英霊の中にあるってこと。そして今なら、まだその被害を減らせる」

 

「……行くんだね?」

 

 重苦しく、切嗣はそう確認した。

 切嗣とて何となく、分かっているのだろう。アレが最低最悪の呪いであることを。そこへ望んで飛び込むことが、何を意味するのかも。

 

「ああ、俺は行く。あそこにはまだ大勢の人が残ってる。早く助けにいかないと」

 

「……そうか」

 

「……止めないのか? 言っとくけど、帰ってこれる保証なんて何処にも」

 

 首を横に振り、親父は続けて言った。

 

「僕も同じようなことを考えていたところだからね。本当なら家族だけを助けてきた僕が、こんな選択をして良いハズがないだろうけど……士郎を助けられるのなら、僕は喜んであの地獄に行こう」

 

 そこに居たのは、父親でも、魔術師でもない。それは何処からどう見ても、俺が夢見た正義の味方、衛宮切嗣に相違なかった。

 

「そうと決まれば急ぎましょう。ここから新都までは遠い。急がなくては」

 

 バゼットの言う通りだ。深山町から新都まで、生半の距離ではない。急がなくては、と思った矢先だった。

 

「大変です、旦那様!」

 

 慌てた様子で、家の玄関から転がり出たセラはこう告げた。

 

「イリヤさんとクロさんが、部屋に居ません! 魔力の痕跡からすると……恐らく新都に向かったかと!」

 

「な、……!?」

 

 全員で絶句する。ただでさえ、魔術的な防壁が通ずるかも分からぬあの場所へ、イリヤとクロが向かった?

 そして。

 それでようやく、俺は新都で火災が起きた理由に気がついた。

 

「……そうか、そういうことか……!!」

 

「士郎?」

 

「大聖杯が完璧に起動するには、小聖杯という炉心が必要になる。だから……!」

 

「新都を燃やすことで、誘き寄せる必要があった……? アイリ、大聖杯の場所は!?」

 

 アイリさんは険しい顔で、新都の上を指差す。

 

「……新都の上空。恐らく、あの黒点の頂きに」

 

……まるでそれはデジャブだった。

 空から垂れる、黒い糸。それが下へ流れ落ち、溶岩のように大地を溶かしていく。

 人とて例外ではないだろう。

 そんなところに、あの二人が。

 最悪の結末を考えるよりも前に、脳の中にある引き金を引き、撃鉄を叩き落とした。

 

同調、開始(トレース、オン)……!」

 

 五十四本の魔術回路を最初からフル稼働し、全身に強化の魔術をかける。骨が折れようが知ったことではない。出し惜しみなんてしていれば、イリヤ達がまた死ぬ。それだけは絶対に避けなければならない。

 

「士郎、……!?」

 

 切嗣の制止すら聞かず、普段とは比べ物にならない剛力をもって踏み込む。途端に、後方で起きた爆音が瞬時に遠ざかり、疾走を開始する。

 まるで獣のような前傾姿勢。一度転べば悪魔的な速度で床に叩きつけられ、チェーンソーで斬られたように肉片に変わるだろう。だが新都に着くまでに転けなければ何ら問題はない。

 頼む、間に合えーー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude14-2ーー

 

 

 流れていく景色を追い抜き、イリヤは冬木の空を駆ける。カレイドステッキの力とはいえ、ここまで全力で空を飛んだのは、初めてかもしれない。

 しかしそれでも、イリヤには遅く感じた。目的地に近づいているハズなのに、息苦しさだけが込み上げる。

 

「……お願い……!」

 

 さっきの親子連れは大丈夫だろうか。

 あんな人達が大勢居るとして、どれだけ生き残っているだろう。

 もしかしたら、もう手遅れなのかもしれないと、燃え上がる町を見ると思ってしまう。

 

「イリヤさん、もうすぐ橋を抜けます! 一応我々は隠れて戦う的な、そういうファンタジーのお約束があるんですけどー!」

 

「人の命と変えられないでしょ!!」

 

「委細承知の助でっす! さあバレイベントですね、盛大にやってやりましょう!」

 

 いつも通り振る舞ってくれるルビーに、イリヤは内心ほっとする。ルビーまで真面目になってしまったら、きっとイリヤは逃げ出したくなってしまうから。

 橋を抜けた瞬間、それまでとは段違いの熱気がイリヤを包み込む。魔法少女状態でも貫通するほどの熱……生身の人間がそれに晒されたらどうなるか、考えたくもない。

 そして、イリヤは知る。

 この世の地獄を。

 

「…………、」

 

 まず目に飛び込んだのは、炎だった。

 荒れ狂う炎。昔、災害はその脅威から神の化身と呼ばれていたと聞くが、まさにこのことを言うのだろう。彼岸花のように、紅蓮の炎が生まれた新都は、焼け落ちていない箇所を探すのが困難だった。

 あらゆるものが焼けた臭いは、劇薬に近い。腐っているようで、焦げたようで、しかしどれでもない。一体何が焼けたらこんな臭いが充満するのか。

 そして何より、町に溢れかえる黒い泥。どぼどぼ、と血よりも濃厚な危険な気配を漂わせるそれは、地獄の釜から溢れたモノに違いなかった。

 これは、死んでいた。

 町として。集落として。決定的に死んでいた。

 

「……ぅ、」

 

 胃を撹拌されたような吐き気と、脳が痺れる光景に、イリヤはたまらず口を押さえ、近くのビルの屋上に着地する。

 

「……酷い状況ね」

 

 遅れて到着したクロも、流石にこの光景にはグロッキーになっていた。一言で状況を表し、口を閉ざす。

 

「……探さないと……誰か、生きてるかもしれない……」

 

「無理よ。見つけたところで、生きてるとは限らない。それより探すべきなのは、これを起こした奴」

 

「……」

 

 そんなもの、それこそ火を見るより明らかだ。

 町の中心。その上空に黒い穴が穿たれており、そこから泥が流れ出している。

 不思議なことに。それは、イリヤにとって見覚えがあるモノの気がした。

 

「……何なのかな、あれ」

 

「さあ、とにかくアレを止めないと。こんなことずっと続かせるわけにはいかないでしょ」

 

「止めるって……どうやって?」

 

「そりゃあもう」

 

 鉄をハンマーで打ったような音が響き、クロの手に洋弓と約束された勝利の剣(エクスカリバー)が出現する。

 

「これで、まるごとぶっ飛ばす」

 

「まあそれしかないでしょう。イリヤさん、サファイアちゃんから美遊さんのクラスカードを預かってますよね?」

 

「うん……じゃあ行くよ、限定展開(インクルード)!」

 

 セイバーのクラスカードにより、ステッキがクロと同じ聖剣へと変化する。しかしこちらは紛い物とはいえ、真名解放が出来る正真正銘の宝具。クロは真名解放こそ出来ないが、これを射って爆散させれば穴を破壊出来るだろう。

 二つとない聖剣は死んだ街だからこそ、より輝いて見えるのは、なんて皮肉なのだろうか。

 イリヤは光り輝く聖剣を上段に、クロは魔力で悲鳴をあげる黒弓を限界まで引き絞り、

 

「行くわよ……一、二の!!」

 

「三、約束された勝利の剣(エクスカリバー)!」

 

 地獄の惨状から泥の穴まで、極光が席巻した。

 立ち込める死の気配すら吹き飛ばすそれは、イリヤ達が居るビルすら軋ませ、光の速さで穴へ到達する。

 光の暴雨に巻き込まれた穴は、ひと溜まりもない。泥は洗い流されるように吹き飛び、続いて穴の中にクロの聖剣が飛び込んだ。

 

「弾けろ!!」

 

 轟、とこれまで起きた爆発より一回り大きな爆発が、新都に木霊する。衝撃は地上に近いイリヤ達まで及び、熱気すら掻き消していく。

 穴の向こう側は恐らくこの何倍もの爆音と、衝撃があったことだろう。今は巻き上がった煙で何も見えないが、流石にこれだけ食らって何もないということは、

 

「……なに、……あれ……」

 

「え?」

 

 クロが何か呟いたときにはもう、それが起こった。

 まず土煙が、濁流のような勢いの泥によって消える。さながら壊れた蛇口のごとく、ダバダバと際限なく穴から泥が落ちていく。

 しかもただ落ちるのではない。

 落ちた泥は、ひとりでに何かの形を作ろうとしていた。液体から固形へ、確かな一つの形へ集約していく。

 それは、大きな人の形をしていた。

 高さはビルの屋上を越えて、イリヤとクロが見上げるほど。二十五メートルはくだらないか。最後の泥を吐き出すと、穴が泥の巨人へと降りていく。

 異様だった。

 あれだけ望んでいた生存者の悲鳴すら、今のイリヤの耳には届かない。

 

「まさか……!? イリヤさん、クロさん、あの穴は恐らく大聖杯です!」

 

「大聖杯って……あの大聖杯!? あれって大空洞にあるんでしょ!? なのになんでそれが新都まで? それにあんなの聖杯っていうより、丸っきりパンドラの箱じゃない!?」

 

「恐らくは取り込んだのでしょう、九枚目のクラスカードの英霊が。龍脈によって急速的に霊基が回帰したことによって、鏡面界からでも干渉が可能となった……そして大聖杯を取り込み、不完全ながら起動した……!」

 

「さっきの宝具の一撃と爆発、何らかの宝具でその二つの魔力を食ってそれで起動したのね……今は完全じゃない。ってことは、狙いは最初から小聖杯であるわたし達だったってこと!?」

 

 全てを察したクロはイリヤの肩を掴むと、

 

「ずらかるわよ、イリヤ! ここに居たら、逆に住民を巻き込む!!」

 

「え、あ……?」

 

「しっかりなさい!! 死にたいの、このバカ!!」

 

 罵倒されて、ようやくイリヤの目に光が戻る。

 だがそのときにはもう、背後で泥の巨人が右腕を振りかぶっていた。

 

「クロ!!」

 

「え、ちょ、……!?」

 

 横っ飛びから急加速して、ビルから飛び降りる。

 次の瞬間、真上から雷のように落ちてきた巨人の右腕が、ビルを真っ二つに叩き割った。砂を相手にしたように、そのまま巨人の右腕は下の地面へ深々と突き刺さる。

 

「あっぶなぁ、……っ!?」

 

「ごめん、ちょっとびびった!」

 

「でしょうね全く世話が焼ける!!」

 

 背後を見やると、さっきまで建っていたビルは瓦礫すら少なくなっている。泥自体は固まったことによって、さっきのような溶解する力は無くしたようだが、純粋な腕力で砂利にまで潰したのだろう。何より魔力が段違いだ。少なくとも、先の二倍以上と見積もっても比べ物にならない。

 ルビーが言っていた、クラスカードの英霊七騎を同時に相手取ると言ったことも、あながち嘘ではないだろう。

 

「どうするの!?」

 

「とにかく新都を出る、そのためにも注意をこっちに向かせる……!!」

 

 イリヤに担がれながらも、クロは空中に剣を幾数か投影し、放つ。真っ直ぐ向かった剣達は巨人の肩に刺さるが、いつもなら一つでも人体に当たれば致命傷になりかねないそれも、まさに蚊に刺されたような一撃にしかならない。

 それでもいい。蚊に刺されたようなモノなら、意識は絶対に無視出来ない。

 

「とにかく人気の少ないところにおびき寄せて……それで」

 

「それでどうするの!? 宝具だって効いたわけじゃないんだよ!?」

 

「……分かってるわよ。でも見過ごせるレベルなんてとっくの昔に越えてるじゃない、こんなの……!!」

 

 現状最大火力である、約束された勝利の剣(エクスカリバー)ですら、巨人を作り出す餌にしかならなかった。あれ以上の火力となると、クロは思い付かない。

……いや思い付くが、やり方が分からない。結局自分は入口に立っていたとしても、極致には到達していないのだろうと、クロは再度認識する。

 

「ねえルビー! どうすればいいの!? どうすれば……!?」

 

「落ち着いてくださいイリヤさん! 確かに相手は大聖杯すら取り込んでいますが、それならばわざわざあんな巨大な体を構築する必要はないハズです!」

 

「つまり、完全には取り込んでいないってこと……?」

 

「ええ。今ならクラスカードの英霊を倒すだけであの巨人もろとも……」

 

「……ちょっと待ってイリヤ、後ろ見て」

 

「え?」

 

 クロに言われ、イリヤは振り返り、驚いた。

 あの巨人が何故か、こちらを追いかけて来ないのだ。ただじっと、イリヤ達を眺めている。

 

「……止まってる?」

 

「ええ。なんで止まってなんか……、イリヤっ!!」

 

 まさに刹那のことだった。

 クロが並外れた膂力でイリヤを突き飛ばし、そして。

 彼女の体に三本、剣が刺さった。

 

「、クロっ!!」

 

 宙返りして体勢を変えると、イリヤはすぐにクロを助けにいく。だが遅い。その手を掴めず、脱力したクロは落下していく。

 

「くっ……!!」

 

 太股のホルダーから引き抜いたのはキャスターのクラスカード。魔女メディアの霊基をイリヤはその体に置換し、クロを守りながら戦おうと思ったのだろう。

 しかしそれこそ、クロを襲った下手人の狙い目だった。

 

「イリヤさん前です、避けてください!!」

 

「え、ぁぅっ……!?」

 

 ジャラララ……という鉄の擦れる音がしたかと思うと、イリヤの手に金色の鎖が巻き付いた。次に足、そして胴体。全身の自由を奪われたイリヤは、あの巨人がしたのか、と巨人の方へ目を凝らす。

……肩に誰かが、乗っている。

 

「っあぐっ、……!?」

 

 勢いよく鎖で引っ張られ、空中でもみくちゃにされるイリヤ。鎖が独りでに外れ、今度は巨人の左腕がイリヤの全身を鷲掴みにした。優に五十メートルは距離が離れていたのだが、それは一瞬で無になっている。

 身動きは取れない。動かせるのは首だけ。もし顔までこの手の平に埋まっていたら窒息しているところだった。

 それよりもクロが、と首を回したところで、偶然巨人の右肩に視線が届き。

 イリヤの心臓が、止まりかけた。

 

「さて、これでチェックメイト」

 

 それは子供だった。

 毎晩イリヤが見るーー自分が死ぬ夢で、心臓を抉ってくる金髪の少年。

 

(……夢じゃ、ない……ッ!?!?)

 

「そんな風に固まってて良いんですか? ほらあっちの子、落ちますよ」

 

「っ、クロ!!!」

 

 そうだった。クロは今も落下している。このままだと地面に叩きつけられて死んでしまう。

 だがそうはならなかった。

 その前に、クロを寸でで受け止めた人が一人居たのだ。

 衛宮士郎。

 息を切らして今にも膝をつきそうな彼は、力強くクロの手を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 士郎を追いかけて、ルヴィア、凛、そして切嗣の三人はリムジンに乗って冬木大橋を通過していた。後ろではバゼットがバイクに乗って追走している。

 アイリは自宅で美遊の看病、待機。英霊の目的が小聖杯ならば、アイリや美遊だって例外ではない。

 

「……」

 

 車内の空気は重い。

 普通、こんな大災害が起これば、新都から逃げ延びようとする市民がこぞってこの橋を通るハズだ。しかしその姿はこの大橋には見当たらない。時折反対車線から逃げてきた車が走っているだけで、新都がどうなってしまったのか悟ってしまう。

 しかし今は、そんなことよりも論じるべき事柄があった。

 

「少し気になることがあるんです、切嗣さん」

 

「気になること?」

 

 ええ、と凛は背中から一枚の羊皮紙を取り出して広げた。

 羊皮紙には簡略化された地図と、所々に黒い斑点がある。切嗣にはその羊皮紙に書かれた絵に見覚えがあった。これは、

 

「冬木の見取り図……かい?」

 

「はい。これは冬木市の龍脈の様子をリアルタイムで確認出来るものです。この黒い斑点が龍脈なんですが……ここを見てください」

 

 凛が指差したのは円蔵山だった。英霊が鏡面界からこちら側へ来た場所。そして大聖杯があった場所だ。

 だがそこは、他の地域と比べると何か違和感がある。

 

「……円蔵山が二つ……?」

 

 そう。ルヴィアの指摘通り、円蔵山が二つあるように見える。それも重なって、例えるなら小さい円蔵山の上に大きな円蔵山が覆い被さっているような絵だ。しかも絵が一部潰れてしまっている。

 まるでこれは、

 

「……同じ絵を二枚重ねようとして、失敗したように見えるけど」

 

「そうなんです。最初、これは美遊が転移したことで、円蔵山の一部が向こう側ーー美遊の世界と入れ替わったんだと思っていました」

 

「今は違うと?」

 

「はい」

 

 確かに、大聖杯が転移したのなら、アイリや協会が気がつかないハズがない。

 つまり大聖杯が一つしかないのなら、何か別の要因がある。凛はそう言いたいのかと切嗣は思っていた。

 が、

 

「でも仮に、()()()()()()()()のだとしたら。全く違う可能性が出てきます」

 

「……? 大聖杯ほどの聖遺物、そう隠しきれるものじゃないと思うけれど……」

 

「ええ。ですから隠したんです、大聖杯を」

 

 大聖杯を……隠した?

 凛は指を円蔵山からとある場所へなぞるように変える。そこは、以前切嗣が今の家を建てる前に使用していた、あの日本屋敷だった。

 

「前にここで、衛宮くんの世界から転移されたと見られる土蔵を見つけました。でも、それは何らかの力ーー恐らく世界の修正力によって、まるで封をするように隠されたんです」

 

「……」

 

 ごくん、と切嗣は生唾を飲む。

 いつの間にか生じていた胸の圧迫感。それは喉でつまり、飲み下そうとしても確かな違和感として残り続ける。

 

「もし。もしも、その土蔵と同じようなことが、この冬木でそこら中に起こっているとするのなら。例えば、その下にあるモノが全く別の何かだったとしたら。

 

 起動している大聖杯が、どちらもこの世界のモノじゃないとしたのなら、それはーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何とか間に合った……とは口が裂けても言えない状況だ。クロは重症、イリヤは見覚えのある奴に捕まっている。

 

「大丈夫か、クロ」

 

「あはは……だいじょぶ、お姫様気分味わえたし……あーやばい、惚れ直しちゃったかも……」

 

「それだけ喋れるなら元気だな、下ろすぞ」

 

 優しく、クロをその場に横たわらせる。下手に距離を開ければ、逆に奴の宝具の餌食になることは目に見えている。

 

「やっ、お兄さん。久しぶり、元気してた?」

 

 白々しく、泥の巨人の肩から笑顔で手を振る少年。小さくなっても、高いところから人を見下ろす生態は変わっていないらしい。

 

「……そういうアンタこそ、聖杯の穴に吸い込まれたのに、ぴんぴんしてるな。また穴に叩き込まれたくなかったら、イリヤから手を離せ、英雄王」

 

 少年ーー英雄王ギルガメッシュは、青年時代を彷彿とさせる冷酷な笑みを浮かべる。

 

「安心しなよ。この子は殺しはしない。ただ器になってもらうだけさ」

 

「お前……まだ人類の剪定とかふざけたこと考えてるのか」

 

 一年前。聖杯戦争終盤において、聖杯を降誕させたギルガメッシュの願いは『増えすぎた人類の間引き』。今回もその願いを達成させるためにこんなことを引き起こしたのかと思うと、ハラワタが煮えくり返って破裂しそうだ。

……あの男の横にイリヤが居る。それだけで、こっちは耐えきれないっていうのに。またこんな地獄を引き起こすなんて。

 魔術回路が呼応して、生命を燃料に変える。

 しかしギルガメッシュは、唇に指を添えて憎たらしく、

 

「いいや。正直どうだっていいよ、もう。僕は負けたわけだしね。だからどっちかというと、僕がやりたいのはこの薄っぺらい世界を壊すことさ」

 

「……結局それか。アンタも懲りないな、この業突く野郎」

 

「確かに僕は強欲だけど、いいのお兄さん? 君にとって、僕がやろうとしていることは()()()()()()()()()()()()なのに」

 

「……なんだと?」

 

 付き合ってられないと、頭の中で設計図を思い浮かべていたが、ギルガメッシュの言葉に思考が遮られる。

 元の世界に帰る方法がこの世界を壊すこと……?

 

「……どういうことだ」

 

「君はこの世界が元の世界と平行世界だと信じているようだけど、だとしたら、出来すぎているとは一度も思わなかったのかな?」

 

……ギルガメッシュの言うことは的を得ている。

 確かに妙ではあった。

 たまたま俺が転移した世界が、元の世界とは真逆の幸せな世界だった。

 俺が切嗣と出会う前から、もっと言えば生まれる前から手を加えなければ、こんな理想の世界などあり得なかった。

 そう、ここは理想だ。

 だがーー理想過ぎると、そう一度も思わなかったか?

 

「当たり前だよ。だってここは、()()()()()()()()()()()()なんだから」

 

「……は?」

 

 今、なん、て?

 

 

「ここはね、お兄さん。君が生まれ、育ち、そして第五次聖杯戦争の勝者となった……君の世界の、()()()()()さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude denial.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、理想は地に墜ちた。

 ここから先は、紛うことなき現実。

 現実故に隠せるわけもなく。

 鏡の理想は砕け散る。

 割れた鏡の破片に映るは。

 真っ暗な夜と、凍える人々だけだ。

 さあ、では続けよう。

 

ーー理想の夜(kaleid night)を、心ゆくまで。

 

 

 


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